2020年08月06日

高齢者の読書離れ (読書も勉強も環境に左右される-私の読書経験)


 高齢者の読書離れ

 (読書も勉強も環境に左右される-私の読書経験)

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週間文春-8月6日

ここで面白いのは読書していることではなく、蔵書を本をそろえることだとしている
本を理解しなくても読まなくても本をそろえる、書斎を作る
これもそうだと思った、私がそうだったからだ
本を読もうとして相当に本を買った、でもその本がたりなかったのである
本が買えなかったのである、田舎では都市があっても5万くらいの都市ではまず本が売っていないのである、専門書などほとんど売っていない
そうなると田舎で独学することはできない、本が読めないということはもう知的な刺激も得られないからだ
そしてくだらない本を読んで失敗することになる

子供の時には本が一冊も家になかった、第一子供部屋などなかった、だから今子供部屋おじさんと言われる人がいる、その人は子供部屋をもっていたのである
まず高校まで家が狭くて自分の部屋がもてない、また家に一冊も本がない
そういう環境は知的な発達には不利である
頼るのは学校であり教科書しかなかったからだ
知的な興味というのは学校ではなかなか培えないように思う
私は何か学校で試験のために勉強したが興味をもって勉強したことがないからだ
勉強は自発的にしない限り身につかないと思う

家庭に知的環境があるのとないのとは相当に差がある
なぜなら家庭でそうした知的環境があれば自分の興味あるものを追及できる
最も身近で追求できるとなるからだ
それで家庭に一冊も本がないということは相当に不利だったのである
戦後生まれの団塊の世代でもその時本は高かったから家に本がそろっている
知的環境がある人はまれだったろう
たいがい飯台一つしかない生活が普通だったからである 

なぜヨ−ロッパに天才が多いのか?
それは学校とかないとき家庭に教えられる環境があったからである
モーツアルトでもベ―トベンでも家庭で音楽を学ぶ環境があった
親が教師でもあった、まず音楽だと家にピアノがあるとないでは相当に違うからだ
音楽になると幼児の時から親しまないと身につかない
私自身は音楽は音痴でありクラシックでも知らない
ところが暇だったので何かクラシックを無理しても聞いていたのである
そういう環境が大学卒業した以後家にあるようになったからである
音楽だってそういう家庭環境がないと親しめないからである 
ヨ−ロッパの天才は貴族はそうした環境が備えられていて独学でも学びえたのである
その天才たちが実はヨ−ロッパ文明を作るリーダーにもなった
理系の分野でも本当に天才か多いからである
そうした天才を産むということでアメリカでも発明がありコンピュターなどを発明したりしたのである、それも二人くらいの天才がいて生れたのである

私がインタ−ネットにはまったのも引きこもりになり自宅で通信機能付きのワープロを始めたからである、だからその時からパソコン通信とかに親しんでいたのである
それをしていたのは相当に若い世代だった
でもすぐに時間すぎてインタ−ネットがされほど発達して日常に欠かせないものとなったのである,インタ−ネットはそもそも家庭で知的仕事ができる道具だったのである
家庭の中に図書館でもあるような感覚になる
図書館も利用していたが今はここ十年くらい行っていない
図書館は意外と不便なのである、むしろ古本の安いのを買って自分の家を図書館にした方が効率的だしそれが今できるのである
テレワークの時代になるというのもコロナウィルスで推進されるのも時代だったのである

私は大学を出てから正式に会社に勤めたことがなくアルバイトを渡り歩いて底辺になったそこでした仕事は流れ作業しかない、そのために仕事をしたくなくなった
その嫌悪感が強かったからそうなった
そののちは家に引きこもり本を読んだり旅に明け暮れたとなる
その時家を新しく建てたので書斎付きの部屋が用意されたのである
ただその時書斎には本は少なかったが、大量の本を置く場所が用意されていたのである
それでそれなりに本を買って集めた
でもその本が少なかったのである、近くにしょぼい本屋しかない、まともな本は仙台にしかない、すると一週間に一回でも仙台市に行ったのは本をみるために買うために行ったとなっていたのである
でもいまアマゾンで古本で何でも買える、キンドルとか電子本でも読める
今になると田舎でも本は本当に古本を集めるだけで書庫を作れる
それも安いし専門的な本でも買えるからだ

まず知的な仕事には本は欠かせないのだ、それも相当な量が必要なのである
ただ今になるとせっかく買っても読んだ本は理解した本は少なかった
だから本を買った、積ん読になっていた、ただ本を買って積んでいることになった
でも柳田国男全集とかは買っていた、やはりこうした全集は確実に必要である
それを感じたのはインタ−ネットでプログとかで書き発信するようになったからである
つまり読書は一方的になりやすい、そして何も記憶されないで理解しないで終わっている本とは実は対話である、著者との対話である
また別にインタ−ネット時代になるとニュースの記事の解説でも対話できる
それを私はプログで試みている、引用して自分なりの感想を書くのである
これが大事だったのである、ただ本を買って並べているだけでは身につかない
対話することが重要である

確かに老人になると新しいものが吸収できなくなる、となると今まで読んだ本や買った本がその人の知的教養となる
それで不思議なのはそうして買った本を読んでもいない、また理解してもいなかった本を読み直している、そして再認識している
人間は本を買っても深くその本について理解していないのである
だから必ずいい本は読み直す必要がある、それで再発見してい活かすのである
今なら本でも要点をつかみ自分の文脈で引用できる
これも不思議なのである、やはり老人になるということはどんな人でも経験をつみ何より先が短いということ死が迫っているということで人生をふりかえりその意味を否が応でも知らしめられるのだ
それでなにかしら老人は語ることがある

本についても読書についてもそうである、高齢者の読書離れというとき高齢者はむしろ他人の本を読むというより今まで読んだ本の理解を深め経験を語る方にアウトプットに向いているのである
だから本を買っても読まない理解しないとしても老人になると他者に何か書いて伝える時再び活きてくることがある、どうしても老人は読書より他者のものを読むより自らの思想を経験したものをアウトプットすることになる
その中で過去に買った読んだ本でも思い出したりして引用できる
それでイリイチの本がアマゾンで

「専門家時代の幻想」が古本でも7000円していた

これは高いと思った、古本でしかもう読めなくなっているからだ
それだけ歳月が過ぎたということである、この本が原発事故やコロナウィルスとかで専門家の問題を指摘したので役にたったのである
でも今7000円で買うとなると簡単に買えないとなる
私は要約して伝えることができる、でもやはり一冊読まないと理解できないとなる

原発事故とコロナウィルスとの比較 (専門家集団と政治家官僚の関係ー専門家が国家を指導するのか?)


原発事故とコロナウィルスとの比較

(専門家集団と政治家官僚の関係ー専門家が国家を指導するのか?)


現代は科学抜きでありえない時代である、すべての問題が科学と技術と密接に結びついている、それを具体的に理解したのは私の住んでいる場所で起きた原発事故だった
原子力とか核とか放射線が毎日のように話題になった
だから文系でも知らないですまされなかった
コロナウィルスでもこれも理系であり科学の分野である、これも知らないですまされなくなり素人でも知ろうとした
ただ専門的なものはわからないから口出すことはできない
それで現代の評論家とかニュースの解説者は科学者でないとできない
それも専門の科学者を批判するとなると普通の人にはできない、理系でも相当に優れた人である、だから武田邦彦氏はノーベル賞もらったしんや氏をコロナウィルスのことはその専門ではないからわかっていないと批判したのには驚いた
それだけの自信が自らも研究者だから言えたのである

今回吉村大阪府知事がポピドンヨードでうがいするとコロナウィルスの細菌を拡散させない効果があると実験で出たと言った時もそうである
それを今度は専門家がそんなに効果があるものではない、かえって副作用もあり危険だと指摘した
つまり文系である吉村知事が安易に公に発言したことで問題になった
それでそのポピドンヨードが売り切れた店が出て来た
何か原発でもそうだった

政治家ー専門家(科学者)

専門家は理系でありそこで専門家が重要な役割を果たす、そもそも政治家とかは文系がほとんどだから専門的にわからない、すると専門家に従うほかないともなる
ところが専門家の言うこともまちまちである、統一されていない
それはコロナウィルスが未知のウィルスだからそうなっているのである
そもそもポピドンがいいと実験して推奨したのは専門家だからである
ただその専門家の言ったことを公の場で知事が発言すればそれは一つの政策として実行することにもなる、それでなんとかいい薬がないかというときそれに飛びついたのである

ここで政治家と専門家とがどういう役割をするのかが問題になった

そもそも政治家は何なのか?

その役割は何なのか?例えば政治家で権限をもつのは権力をもつのは予算の配分である
それは具体的に金を扱うからわかりやすいのである
どこにどれだけの金を配分するかを決める、それが政治家の権限なのである
それで研究費とかに金を出すのは配分するのは政治家の仕事だとなる
その裏には官僚がいるから陰の実力者は官僚だとされる

でも十万配布を決めたのは政治家である、また50億かけて飯館村の5人の生徒のために学校を建てたのは村長だった、また原発を作ると決めたのも科学者でも技術者でもなかった、政治家が決めて科学技術者に作らせたとなる
ここでも政治家と科学技術者(専門家)の問題が浮彫にされたのである
原発はアメリカが古い原子炉とか原子力関係のノウハウを教えて売りたいとかフランスとか協力して原子力を西側で欧米でその技術をもつということで力を得るためだった
それで日本がアメリカの属国に近いから政治家が従ったとなる

でも本当はそこに原子力の科学技術者が重要な役割を果たすべきだった

その決定には安全が最も大事だから科学技術者(専門家)の意見を重視すべきだった

それで湯川秀樹博士は時期が早いとして原発を作ることにその時は反対していたのであるつまり日本には原発の技術がなかったからである
福島の一号機の原子炉はアメリカのお古であり危険なものだったのである
また科学技術者でもいろいろ分野がある

失敗は東芝の技術者だったか、原発を建てる所を高くしていたのに電源を下にすると不便であり
コストがかかるとその高くした場所を削った

それから十数メートルの津波が来ると東電が依頼した科学者が警告していた

この二つのことが大失敗の原因になっていた
これらはコストがかかるとかで決定されていたのである、この失敗が致命的な失敗になったのである            

これは誰の責任なのか?

政治家なのか官僚なのか?

保安院がいたとしてもそれは飾りであり何の役にもたたなかった、安全を計るためならわざわざ高くして所に原発を作ることをしていたのにわざわざ土をけずって低くしたとき
保安院が危険だから高くして作れと支持するべきだったからである
保安院は何の役にも立たなかったのである
また十数メートルの津波が来るとして提言してもコストがかかるので実行されなかった
その時も保安院は何の役割も果たしていない、何か安全を守るというけど何にしていなかったのである、東電の言うなりであり政治家も何もしていない

結局そうした責任はどこにあったのか?

東電にあったとしか言いようがない

なぜなら保安院に官僚にあったとしても何もできない状態にあった、そういう権限もなかったともなる、そうした専門的なことにかかわることができなかったともなる
保安院の官僚は科学技術者ではない文系の法律関係の人だったとなるからだ
ただ官僚でも理系の人がいるしその人たちはやはり安全のことで食品でも支持している
指示する権限はもっていたのである、でも実際に工事するのは東電の支持でされていたのであり何か指示することもなかったのである

なぜならせっかく高く土盛りして原発を建てた、それを低くしろと命令したのは東電の幹部なのである、でも東北電力では副社長が10メートルでいいとしていたのをこの辺は津波が起きるから5メートル高くしろとしたときその命令が通り高くした結果ぎりぎりて津波からまねがれたのである、これも危機一髪だった
その5メートル高くしろとしたのは別に保安院とか政治家と官僚でもない
その人たちは何らかかわりなかったのである、おそらく会議にすら参加しないないのである
だからどのように政治家か官僚が原発にかかわったのか知るべきだとなる
結果的に東電とか東北電力で政治家とか官僚と関係なく独断で工事して作ったとなる
ただ東電でも東北電力でも原発に関しては国家的事業であり事故があった場合は補償することになっていた、つまりそれだからこそ原発を建てたとなる  
ここでは国家と民間との問題も生れていたのである

東電⇒高くした所を低くしろ

東北電力(副社長)⇒5メートル高くしろ


でも考えてみると国家的事業だから補償もするのだから国は安全にはかかわるべきだった
保安院でも口出しするべきだったとなる、その権限もあった

東電で土盛りした高台に建てるのをわざわざ土を削って低くしたとき
そんなことするなと支持できたのである、その権限もあったはずなのである
また十数メートルの津波が来ると報告されたときその対策をしろと命令できた
予算的にできないなら国で援助することもできたのである
なぜなら事故に成ったら20兆円とかの事故処理費用が税金でかかったからである
だからその責任は政治家にも官僚にもあったとなる
また官僚は検察で警察でも東電に天下りして利益を得ていたからである

政治家(官僚)−専門家(科学技術者)

この関係が科学技術の時代には必ず問題になる、でも政治家でも官僚でもその権限があっても役割を果たせなかった、東電を監視することはできなかった
ただ東北電力でも副社長の一存で5メートル高くしてぎりぎりて津波の被害からまねがれた、一方東電ではわざわざ高くした土を削って低くして大事故になった
それを決定できたのは東電であり東北電力であり政府とか官僚とか政治家でもなかった
つまり科学技術の時代は専門家の方が力があり文系的な政治家とか官僚でも力がないから知らないからなんら力を発揮できなかったともなる
要するに現代社会を牛耳るのは科学技術集団であり専門家集団だとなる
政治家でも官僚でも原発では金をだしても何も力を発揮できなかったからである

コロナウィルスでもそうなのである、これもやはりウィルス関係の専門家がいて政治家がいて官僚がいてこの関係がどうなっているのかわからないのである
だから吉村知事が専門家の知見をわずかの実験結果を鵜呑みにして発表した結果問題になったのである
何か今の科学技術の時代はこうした専門家は表にでてこないが現実の社会を支配しているのは専門家集団だとなる
ただ今回のコロナウィルスについては専門家でも未知であり解明されていない、ワクチンも作れないから混乱している、専門家集団でも力を発揮できない
原発では専門家はコロナウィルスよりは知っていたからこそ危険であっても電気を作りだしていたのである、そこでの専門家の力は強かったとなる
それで「安全神話」が作られたのである

いづれにしろ専門家集団がワクチンでも作れるようになったらその力はまた増す、つまり実際の社会の実権を握っているのはこうした専門家集団であり理系の集団であるともなるそれをイリイチは指摘したことは功績だった
専門家というとき例えばマスコミも報道の専門家なのである
テレビで六局しか報道できないということでもそうだった
つまり報道する権限はテレビ局六局にしか与えられていなかったからである
その権限は巨大なものとなり第三の権力ともなっていたのである
特にNHKはまさに国民を指導する木鐸ともなっていたのである
それで今インタ−ネット側から常にマスコミは批判されるようになった
youtubeとかで個人でもテレビ放送できるようになったからである

他にも専門家集団は理系だけではなく、いろいろある、法律家などもそうかもしれない
法律なしで裁判もできないのだから当然免許をもった専門家集団でありそこを頼らない限り何もできない、国民はただ専門家に頼らない限り何もできないとなっているからだ
だからコロナウィルスにしても常に細菌学の専門家が問題になる
でも放射線より今回のコロナウィルスは未知だから専門家も何か役にたたない
それで素人でもいろいろ言うというとき専門家がワクチンを作れないからである
そして経済活動をとめることがかえって自殺者を出すとかなり経済優先になる
専門家がそれは危険だとしても専門家自体が今回はわからないからそうなっているのだ
特に日本の場合は重症者と死者が極端に少ないから当然そうなるのである
つまり専門家より政治家とか素人の国民の意向が反映されるとなる

つまり吉村知事がポピドンが有効だというとき確かに別な専門家が異を唱える
でもそれも必ずしも説得力がないのは有効な手立てを専門家が示していないからである
だからそれも試しにしてもいいじゃないかとなる
本当に今回のコロナウィルスでは専門家の力の無さを露呈したのである
ただ政治家でもウィルスの素人でも自粛しろというくらいでレベルが同じなのである
何か明確な指示ができない、対策ができないのである

いづれにしろ現代が科学技術の社会だというとき専門家集団に社会は牛耳られているというのは確かである、それは主に理系でありそこで素人は何も言えない、手も出せない
その専門家集団内には立ち入ることもできない、原発がすぐ近くにあっても素人は入るな危険だから入るなとなって何もできずに住むことすらできなくなったのである
常識的に近くに原発があって危険があるとしたら一番心配なのはそこに住んでいる人である、でもその人は全く原発にかかわることもできなかったのである
ただコロナウィルスに関しては専門家自体がわからない未知なものだから力を発揮しないいろいろ言ってもそれが素人レベルにも思えるのである
そもそも専門家自体が憶測で言っているだけだからである
ポピドンにしても副作用があるから使用すべきではないという人もいればまた慎重に扱えば効果があるかもしれないともいう、明確にならないのである
だから原発の時と似ているようでそういう点で違っている
でも何かやはり似ている面もあり比較すると見えるものがある



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この図のように専門家が国家より上に立つことがある、そもそも国家とは何なのか?
その存在意義はなになのか?
なぜなら国家より専門家が上に立ち指導するとなれば国家とは専門家が国家の指導者だともなる

何かそういうことで国家の代表たる政治家と専門家が対立するとしても専門家に従うのが国家であり政治家だともなる
つまり国家とは国民のことである、国民が意志決定することである
でも国民と言っても数が多いからその代表者が政治家が決めるとなる
それで経済が苦しいと国民が訴えればコロナウィルスも怖いがどっちを優先させるかとなると国民の意向だともなる
でもまた国民自体が対立する、コロナウィルスに伝染するから観光でも規制すべきだとかなるからだ
国民自体の利害とかの対立があり政治家は国民に等しく対応できないのである

専門家時代の幻想 (イリイチ)

この古本はAmazonで7000円していた、やはりそれだけ価値があるからだろう




posted by 老鶯 at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層