2020年08月19日

社会が変わると価値観が変わる (ニートとか引きこもりとか増え遊戯三昧も追求されるネットの時代)


社会が変わると価値観が変わる

(ニートとか引きこもりとか増え遊戯三昧も追求されるネットの時代)

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安倍首相と日本人がかかっている呪い。嫌な仕事、結果が出ない仕事を辞めたくても辞めれない・・・呪いはどこから来るの?作家今一生さんと一月万冊清水有


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スーヅの時代は終わった(加治将一)


何かインタ−ネットで特にyoutubeの発言を見ていると不思議になる
今日の月一万冊での対話でもそうである
特に遊戯三昧という禅宗の言葉が面白い、何か遊びでもそれを追及して行けば悟りの境地にもなるとかなる
遊戯とか遊ぶことなど無駄であり社会人から拒否される
また禅宗は座禅するということはデスタンスをとることである、そして大声でしゃべらないことである、そうして沈黙していることが修行なのである
そうしないと棒で叩かれる、だから私はキリスト教とか聖書の神に基づいているとしても禅宗が好きなのである、向いている
それは30年間引きこもっていたから寺に入らないにしろ禅宗の修行僧のようになっていたのである
例えば遊戯三昧というとき自転車とかで旅したとするとそれは雲水となる
自由な旅を追及したとなるからだ
でもそういうことができたのは家族に恵まれたからである
あなたのしたいことをしなさいとなっていたのである
普通働かなかったら働け働けとなって親に殺されたりもしているからだ
私にはそういうことは全くなかった、だから特別な家庭環境でそうなったのである

そして今になるともう死んでもいいとう歳になってまたコロナウィルスで今までの社会常識が変わる、他でもAIの社会になるとコンピュターが仕事するからすることがないからみんなけアーティストになれとかいうのも奇妙なことだと思う
その人は歌が好きで歌手になりたいとしている、でもすでに60代なのである
加治将一氏でもスーツの時代が終わったというときまたスーツを着ているのは詐欺者に多いというときも今までの価値観とは違う、会社員がほとんどだとするときスーツなしではありえないからだ
私はスーツなど着たこともないのである
そしてスーツを着ている人は何か逆に胡散臭いということが確かにある
パリッとして正装しているからスーツを着た人は信用できるとなる
そういう人は社会人として常識あり信頼されている
その恰好を見て人は判断するからだと言われてきたのである
つまり人は何であれ見た目だとか言われているのが普通だったのである
だからこういうことを盛んにyoutubeとかネットで言われるのは何か不思議なのである
別にアウトサイダーならいい、それがまるで時代の先端を行くのがアウトサイダーだとなっている
アウトサイダーとなれば社会で天才と言われる極わずかの10人足らずとかの人間のことを言っていたのである
例えばニーチェとかゴッホとか宗教ではキケルゴールとかの単独者のことである
それは極めて少数者でありそれは歴史にも残る人として評価されている
上野霄里氏などもそうだった、それは一時師として私は仰いでいたからである

とにかくアウトサイダーとして生きることは実際は至難なことでありむしろ天才とか優れた人のことを言っていたのである
それがなぜか普通の人がそうしたアウトサイダーとかになる
まず無職だということがその条件だからである、ところが現代はニートでも引きこもりでも百万単位でどこにでもいる、田舎でもいる
良く同類なのか、そういう人と田舎でも逢う、風体からしてその人は仕事はしていない
何か髭をはやしてふてぶてしい、だからそういう人は何なのだろうとなる
またコトオジという子供部屋おじさんというのとも会う、その人は毎日ぶらぶらしているだけである、だからそういう人となぜか私は逢うのである
でもそういう人は何なのだろうとなる
でも今でもそういう人を世間はどうみているだろうか?
毎日苦労して働いているのになぜぶらぶらして働かないのだと大きな不満をもっている
そういう人は死んだ方がいいともしている
また現実にホームレスに暴力をふるった人がいてそれは会社員の人が苦しんで働いているのに何もしないでいるホームレスに不満になり暴力をふるったとしている

ただまずスーツを着ている人間を詐欺師だというのも驚きである
でも本当はスーツを着ていれば信頼されるというよりそれによってだますということがあった
なぜなら銀行でも保険の勧誘でもまた営業になればみんなスーツを着ている
それはユニホームのようなものである、それで信頼されるものとなっていた
でも実際はそういうユニホームにだまされるとういこともある
だから警官の恰好をして人をだました詐欺者がいたというのもそうである
もしよれよれの服など着ていたらなんだこいつはとなり相手にしないからだ
でも団塊の世代となるとみんな会社員でありスーツを着ないでは仕事ができないのであるただこうしてスーツを着ている人が詐欺者だということも一面あった 

カルト教団とかでは勧誘するときそうしてみなんスーツを着てまるで会社員のような恰好してくる,創価ではそういうふうにスーツを着てまるで大企業の社員のようにして勧誘していた、創価ではとにかくナチスのような雰囲気の世界でありみんな統一された服装にもなる、そこに一切の自由はない、中国の共産党とも同じである
その人たちも人民会堂ではスーツを着ている、ただ多様な世界だから民族衣装の人もいることは違っている
スーツを着ている人は詐欺者というのは本当に意外でありその人でも不動産とかの商売をしていたのだからスーツを着ていたのではないか?
この人については何か理解できないものがある
ただ比較的欧米とかでの生活経験ある人は自由な考えとか態度の人が多い
それで外国で生活経験を積んだ方がいいというのはわかる
たいがい日本を客観的に見れるのはそういう人達だからである

インタ−ネットの発言はもともとマスコミのように制限されていなかった
自由な発言の場として発展した、でもこんなことをみんな言っていいのだろうかとなる
それが今の社会にアフターコロナに必要なのだとか言うのもそれはもう昔のアウトサイダーとかではない、社会自体そういう価値観を受け入れるようになったからだともなる
そもそも百万もニーととか引きこもりがいること自体異常である
でも数が多ければ正常になる、ナチスでもそうなったからである
その時はみんなそれが正常だったのである、だから創価などもそれと似ている
みんな創価の会員になったらナチスと似たものとなるからだある
そうなるのじゃないかと一時は会員が増えたので危険があった
回りをみてもみんな創価の会員だとなっていたらそうなるのである

いづれにしやスーツでも制服とかを着るのはその時その個人の個性とか自由は奪われているのかもしれない、警察でも自衛隊でも何かユニホームを着ることは全体主義に通じている、実際にファシズムの全体主義になれば警察とか軍隊が戦争の時のように強権をもって統制してくるからだ、それは歴史で実験済みである
ただ世界的にもスーツを着ているのがスタンダードになっているからスーツを否定することは何なのだろうとなる
日本の伝統を重んじるなら和服を着ろというもの理屈である、なぜなら民族衣装こそその国の伝統文化だからだとなる
スーツは民族衣装ではないからである

ともかく今インタ−ネットでそんなことを盛んに言うのはこれまでの価値観が変わりそうなった、今までのように経済成長も望めないし一生大企業でも勤めていれば役職につき給料もあがり社会的地位を得て社会に認められるとういものでもなくなったからだという
それでダークネスで「どこの馬の骨かわからなくなる」これも大企業でも富士通でも45歳でリストラになるとかなればそうである
お父さんは一流企業で働いてる自慢もできなくなる
それは実際に厳しい社会でもある、一生安泰な世界はなくなる
職人なら腕一本という時代になるのとにている、大きな後ろ盾の会社とかはあてにならなくなるからだ
俺には一人で稼げる腕があるとなればそうなる

でも確かに遊戯三昧という禅宗の考え方は面白い、遊戯でも究めればなにものかになる
それは自分自身が流れ作業との底辺の仕事を嫌い旅ばかりしていたからわかる
旅でも追及して行けばそれは旅人として名を遺す人ともなるからだ
社会からはずれても西行や芭蕉や山頭火とかなり一つの世界を究めたとなるからだ
だから一つの世界を究めるということは人生では大事である
ただそれはスーツを着ているようなユニホームも制服を着ているような人には無理に思える、その人たちが個性を出すことは禁止されるからだ
同じ歩調で統一される、それはカルト教団でも同じである
そこには全く自由はなくなるのである、集団で必ず行動してナチス的になるからだ
共産党も中国のように同じなのである、一人一人が細胞というときもそうである
政治とかはみなそうなりやすいのである、また宗教も集団化すれば一人一人は細胞にすぎないのである、一票という頭数だけになる
中味は個性とかなんとかは一切無視されて数として数えられるだけだとなる

とにかく人生は70年も生きると価値観がまるで変ることがある
それは戦争に負けた日本で起きた、国家が最大の価値であったのがそれが全く失われたからである、その代りに企業戦士となり会社にすべてを捧げるともなった
会社に帰属していることがスーツをきて一斉に出勤することは何か軍隊の変形したものなのかもれない、今になるとそれは何なのだとなるのも不思議だとなる
スーツの時代は終わったというのは会社員の時代が終わったとういことなのか?
それも簡単には受け入れられないだろう、でも今時代が大きく変わってゆくことは確かなのである
だから私こそ遊戯三昧に生きてきた、ただそこで小人だからこそ閑居して不善を成すとなったのである
以外と今でもニートとか引きこもりとかは様々な見方があるにしろいいものと見られないそんな人間がなぜいるのだろうとまだなっている、みんな働いているのに働かない人間は許されないとなるからだ、ただ原発事故とかなり異常事態になりみんなが復興のために働くことが求められたときはやはり働かない人間は責められても仕方がないとなる
現実は外から来た人たちが仕事でもボランティアでも働いていたのである
肝心の地元の人たちは働かないからこそそう言われたのである

ともかく人生大事なことはぶれないことである、右でも左でもいい、それを貫けばその人は何者かになる、だから遊戯三昧でもいいのである
でもそれが社会からはずれたものだから貫くこと自体相当に優れた人でないとできない
私はたまたま家庭環境に恵まれたからなれただけなのである
おそらくニートとか引きこもりとかも食べさせる家族がいて成り立っている
そういう豊かな時代だからこそ生れ人たちなのである
時代でも70年も過ぎると明治維新があり70年過ぎて戦争があり戦争にまけて価値観ががらりと変わった、そしてまた70年過ぎて価値観が変わる
そういう大きな時代の変わり目となり技術でもインタ−ネットとかスマホとかが成熟してきたことでも変わったのである
だから人生はこうして変わるからこれからは遊戯三昧でもそれを追及していけば何者かになるという時代になる
その表現の場としてインタ−ネットがプログでもyoutubeでも生まれたとなる
そして規制のマスコミは古くなり衰退メデアとなる
そういう先を見越すことがこれからは大事である、だから銀行でも半分がなくなるとかなるのも時代である、公務員がいいとした時代も終わりつつある
東大の優秀な人は官僚を目指さないとかあり意外と公務員は人気がなくなっているのだ
これも時代の変化なのである






福島県コロナの感染者が会津にでない不思議 (スペイン風邪を分析して地理を見る)


福島県コロナの感染者が会津にでない不思議

(スペイン風邪を分析して地理を見る)

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●会津に感染者が出ない謎

福島県のコロナウィルスで不思議なのは会津にまだ感染者が出ないのである
これは岩手県のようにここだけなぜ感染者が出ないのか?
最初は南相馬市から東京のライブハウスに行った人から感染者が出た
その人はすぐ近くだったから驚いた
でも会津では未だに感染者が出ていない
郡山市などが多いのは交通の要所だからわかる、中通りが出やすいのもわかる
新幹線が走り東京との交通が頻繁だからである

でも会津でも東京から会津鉄道がありそれなりに観光でも来ている
会津は観光収入が多い、会津の江戸時代のコレラの流行で考察したが会津若松市中心に拡散した、それで田島の方には逆に栃木県の方からではなく会津若松市から城のある所から伝染していたのである
また白河街道が江戸時代は主要な道路で新潟から阿賀野川も道路の役割りを果たしていたからそこを通じて人の流れがあり感染が広がった
新潟には北前船が入ってきて遠くからも感染した人が入ってきて伝染した
長崎からコレラは入ってきて感染者が増えたからである

でも不思議なのはなぜ会津で感染者が出ないのか、これが不思議なのである
人の行き来はやはり相当数ある、でも福島県で唯一感染者が出ていない
これには何か理由があるのだろうか?
県でも実際は満遍なく感染者が出ているのではなく出ていない地域がある
ただ東京から拡散してその周辺から感染者が徐々に増えた
茨城県が最初少なかったがやはり増えた、予想したのは東北では仙台市が多くなると診たかその通りになった、あれだけ東京から人が流入するのだから感染は増えるとと思った
ともか感染者はコレラでもそうだが交通と深く関係しているのである

江戸時代でコレラがあれほど会津の城ある所から感染者が増えたのはその当時福島県は会津中心の社会だったかもしれない、今見ている感覚と違っていたのかもしれない
福島県は福島市に県庁が置かれたがここに何か藩があったとか城があったとかないのである、郡山市にもない、三春藩があり郡山市は明治以降に発展したのである
中通りだと二本松が10万石で中心だったとなる
会津は30万石くらいだとすると中心が会津にあった
でもコロナウィルスでは一つのエアポケットのようになっている
この原因は何なのだろうと不思議なのである
今ならどうししても会津でも人の交流があり交通でも発達しているし感染するはずだからである

ただ全国の感染者を見るとやはり東京を中心にして大都市を中心にして感染している
東北では仙台中心であるが青森とか秋田とか岩手県は少ないのである
それは全国を見ても四国などでも感染者が少ない、大阪中心に感染者が増えたのはそこが人口密集地帯であり交通の要だから当然だとなる
ただ金沢など日本海側は比較的多いのもやはり交通の関係かもしれない
大坂京都ととの交通が古代からある場所だったからである
大伴家持が赴任した場所でもあったから古代から奈良と京都と交流があったからである
そして滋賀県が最初大阪に京都に近い割には少ないと見ていたがいづれ増えるだろうと見ていたらやはり増えたのである
何かこれは地理を見ていると予測できるのである
私は地理に興味がありそうなると見ていたのである 

●スペイン風の全国への感染  

最モ早ク發生ヲ見タルハ神奈川、靜岡、福井、富山、茨城、福島ノ諸縣ニシテ、之ト相前後シテ埼玉、山梨、奈良、島根、ヤ島、等ノ諸縣ヲ襲ヒ、九州ニ於テハ九月下旬ヨリ十月上旬ニ渉リ熊本、大分、長崎、宮崎、福岡、佐賀ノ各地ヲ襲ヒ、十月中旬ニハ山口、廣島、岡山、京都、和歌山、愛知ヲ侵シ、同時ニ東京、千葉、栃木、群馬等の關東方面ニ蔓延シ、爾餘ノ諸縣モ殆ント一旬ノ差ヲ見スシテ悉ク本病ノ侵襲ヲ蒙レリ、

神奈川、三重、岐阜、佐賀、熊本、愛媛等ニ流行再燃ノ報アリ、次テ十一月ニ至リ東京、京都、大阪ヲ始メトシ茨城、福島、群馬、長野、新潟、富山、石川、鳥取、静岡、愛知、奈良、和歌山、廣島、山口、香川、福岡、大分、鹿兒島、青森、北海道等に相前後シテ散發性流行ヲ見、爾餘ノ諸縣モ漸次流行ヲ來スニ至レリ」

1920-22年には33-35歳の年齢域でピークを示している.男子では1917-19年と1920-22年との両期間で年齢ピークの位置が異なっているのに対し,女子ではいずれの期間においても24-26歳の年齢域でピークを示している.また,女子のピークが男子に比して高いことも特筆に値する

日本におけるスペインかぜの精密分析(インフルエンザ スペイン風邪 スパニッシュ・インフルエンザ 流行性感冒 分析 日本):(東京都健康安全研究センター)

神奈川、靜岡、福井、富山、茨城、福島ノ諸縣というときここに東京が入っていない
神奈川というとき横浜市が神奈川である、その時東京より横浜の人口が多かったかもしれない、確かなことは東京から拡散していない、後から東京に拡散したのである

そしてここでも不思議なのは宮城県が出ていない、感染者が少ないのである
今なら仙台市が感染者が増えて東北に広がる、それは最初から見えていたのである


横浜市 1920(大正9年) 42万  

東京  1920      36万  


(A) 仙台市
■(B) 仙台圏 

1920年(大正9年)118,984 320,770   

福島市

大正09年35762   

郡山市

大正09年26218  

会津若松市

大正09年45492 


これでみるとスペイン風邪が流行した時に横浜市が東京より人口が大きいのである
つまり横浜市から文明開化が起こり人口が増えて次に東京が人口が増えたのである
おそらく神奈川から増えたというとき横浜市が中心に増えたとなる

福島県では会津若松市が一番人口が多かった、つまりその時でも会津若松市が福島県の中心的存在ともなっていた
仙台市はすでに11万だから多い仙台圏となると32万だから多い

●東北の感染拡大地図

仙台市にも広がったが仙台市が特別多いとはなっていない
新潟県が多いからその方面から伝染したのかもしれない
それは江戸時代のつづきだったともなる
最初に仙台市が増えるようなことはない
鉄道とか交通が発達していないからである

次の感染地図を見ればわかる

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新潟県が多いのは江戸時代の延長にもなっている
1920になるとやはり宮城県は福島県より増えている
ただ福島県の方が先に伝染している
宮城県は後だということは当時の交通が影響している



仙台市にも広がったが今だと仙台市から東北へ拡散するが当時は福島県から拡散した
当時の交通は確かに鉄道は通っていたとしても主に貨物輸送であり人がそんなに乗らなかったのである、今のように観光旅行などしていないからである
文人などが一部していただけで庶民はしていないのである
ただ大正時代生れでもその後成年になって東京に行く人が増えたのである

いづれにしろウィルスは交通と深く関係していた、それは確実にそうである
だから最初は東京に近い茨城県が少ないと見たが増えた
大坂京都に近い滋賀県が少なかったがやはり増えたのである
つまり人口が多い密集地帯から拡散するのである
でも仙台市がそうならなかったのは交通が活発でなく人の行き来が今と違っていたからだと推測する、江戸時代だと北前船とかで新潟県から会津の方へ人の流入があり感染が広がったからだ、ただスペイン風邪でも新潟県が多いのである   

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)


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汽笛一声(いっせい)新橋を
はや我(わが)汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として
(新橋)


鶴見神奈川あとにして
ゆけば横浜ステーション
湊を見れば百舟(ももふね)の
煙は空をこがすまで


愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として

こんな感覚は今はない、ビルに埋まっているからである
ここで横浜ステーションとしていることが文明開化の地だからそうなった

posted by 天華 at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層