2020年09月13日

江戸時代の時間感覚 (50年で良田とする政策ー津波、原発事故の復興も50年かかる?)


江戸時代の時間感覚

(50年で良田とする政策ー津波、原発事故の復興も50年かかる?)

地頭と肝入とが協議して以下のように合意した。つまり彼らは,耕地が「良田」になるまでに50年はかかると見込み,年貢はこの期間「本銘」( ほん めい
本免:本来 ほん めんの年貢)の1/2〜1/3とすると決めたのである 

本来の年貢率を50%(五公五民)とすれば,この年貢率は250〜1 . 67%であり,しかもそれを50年維持するというのである。 


50年かかるとしたら木の育つのと同じ年月である
江戸時代の時間感覚は今と違っている、でも今でも木が育つには50年かかるから自然の時間感覚は長い、今の時代の感覚はとにかく早い、短期的にしか動かない
今直前のこと今利益になるかどうかがすべてである、それで長期的視野を持てないのである、今すぐ成果を上げろであり2年先3年先も考えない
だから国家百年の計などありえないのである
上に立つ人も政治家でも今得すれば今地位があり得することだとしかないのである

ただこの50年という歳月には驚く、例えばこの辺の農業の復興は放射性物質の汚染で復興するのにどれくらいの時間がかるのか?
それはもう不可能であり耕作放棄地になった、そうなったのは時代もある
江戸時代はみんな農民であり農業で生活する他なかったからなんとか土地を利用して食糧をえなければ餓死してしまうからである
だから戦後でも引揚者が一千万単位でいたとかなるとその人たちはどんな不便な不毛の地にも入って農業するほかなかった、それは過酷なので半分はやめたとなる

ただ時間の感覚が短いと長期的視野で物事がすすめられない、今すぐ成果を上げろとなると落ち着いて事業でも取り組めないのである
会社では金融系だとただ社員にノルマを課してとにかく成果を上げろとなる社員は客をだましてでも投資信託とかを売りつけることになる
それでノルマを果たして認められるからである
でも会社の将来を見て苦境を乗り越えるということ何か時代にあった事業に転換するとか長い目で仕事ができないのである

何かあらゆることで簡単に短い時間で成果が出にくい、株式投資でも10年くらい長期的視野でみないともうからない、なぜなら株は必ず10年単位になれば下がったり上がったりするからである、それでリーマンショックのとき半分に下がった株が元にもどしそれからまた上がった、もしそれを銀行の営業マンが売らなかったら相当にもうかったとなる
どうも長期的視野で事業でも仕事をするということが現代は合わない
それだけ変化が激しい時代だから合わない、また農業とかなると自然のリズムに合わせるから林業でも50年過ぎないと木が育たないとするとそのリズムに合わせるほかないから長期的視野に生きることに自ずとなる

それにしても50年で良田になるというのは長すぎる
おそらくこの辺でも農業とか林業とか漁業でも50年過ぎないと復興するとかなったらそんなこと誰もしない、だから若い人は流出した、農業とかの時代ではないからである
漁業、農業、林業などは衰退産業であり誰も跡を継ぎたくないとなっていたからである
それより原発が収入になるとなっていたので地元は積極的に誘致したのである
工業時代と農業時代の相違があってそうなった

おそらく国家百の計とか言う時代は農業とか林業とかの時代だった、それが江戸時代であり明治以降でも戦前でもそうだったのである
そこではもう目前の利益しか考えられない、今金になるかどうかである
それで何でも急ぐ、そこにも落とし穴があった
目前の儲けを優先するから安全がないがしろにされた

急いで富は得られない

これも真理である、結局原発事故でもそうだった、目先の利益を優先して安全を計らないで大失敗になり大損失になったからである、それで今になって事故のあった原発に津波を防ぐ防波堤を東電で作ったのである
なんだ、簡単に作れたとか見る、そんなものすら科学者が警告していたのに作らなかった
コスト削減のために作らなかった、それが大損失を招いたのである
それはとにかくまず利益優先でありそれしか事業者にも頭がない、長期的視野がもてないのである
原発は一企業の事業というより国家的事業なのだからそんなに利益優先ではできない代物だったのである

そして人間の弱点は自然の時間とかと違って長い時間の歴史を考慮するのが苦手なのである、なぜならもう一年前でも何をしたか忘れている
次々に新しいことが起こり過去は忘れてゆくのが人間なのである
だから自分で描いたプログでもこんなことを書いていたのかと忘れているのである
だからただ何でもいいからメモしろとか記録しろというのは本当である
とにかく人間は忘れやすい、また一人の人間が死ぬと急速にその人間自体を親でも何か不確かなものとなり忘れてゆく、ましてや他人の死など次々に死ぬから遂にはそんな人いたのかどうかともなる、もう膨大な人が次々に死んでゆく、そしてその人がもう本当に存在したのかどうかわからなくなる

すると墓でもあればこの人が存在していたのだ思い出す効能はある
墓がなかったら文書の記録とか言い伝えだけになり実在感がさらに消失してゆくのである
いづれにしろ放射性物質に汚染された復興は本当に長くなる、30年過ぎてやっとセシウムの放射線量が半減するとかなる、もう溜池の除染など徒労だと思う
回りの森から放射性物質がまた流れてきてたまるからである
そこに莫大な金を兆円の金をかけることが無駄だともなる
それよりプルトニウムの毒が消えるのに二万年というのには驚くし何なのだろう理解できない、それほど放射線の被害は恐ろしいものだったともなる

時間の感覚として江戸時代のようであったら50年というのはありえる
でも今なら技術が発達しているから来年でも元にもどないとやっていけないとなる
それよりほかに移って別な仕事を探した方がいいとなり若い世代は移住して残されたのは老人だけなのである
ただ良田にするまで年貢をも低くされたし一応米もとれるとか飢え死にはしないとかありそうして50年かけて良田にするともなった

それも50年間もの先を見込んで年貢を低くしたというのは驚きである
ただ正直今ではこの時間の感覚は理解できないし誰もそんな時間をで物事を考えることもできないのである 、為政者でもそんな時間感覚がない、第一首相でも一年毎に前は変わったりしていたからである、そうなる年期一年とか二年でありその時間で物事を決める
そして自分の利益にすることをすればいいとかなってしまうのである
ただ自分たちの派閥の利権とかで動くとかなる
ただ当時は農業主体の生活だからそういう発想もできたとなる
封建制であり領主が変わらないとか時代の変化のスピードが遅いからそういうことができた
それだけ長い時間で考えることができたし自然とはそういうものであり急激に変えられないという感覚がありそうなっていたのである

ただ一個人の人生でも百歳までの人生を考えられない、だからたいがい若い人は60くらいで死ぬから老後を心配しない
でも百歳人生となるともうどうしていいかわからないだろう、金銭的にもそうだし会社員だった人は退職して何をするのかともなる、それだけの長い人生があるということはライフワークをもって何かを追及するにはいい時代である
たいがい少年老い易く学成りがたしとなっていたからである
でもなかなか老いないとなると老いたとしても先が長いとするとそれだけ余裕をもって生きることができるとはなる



あとがき

国会国立デジタル図書館でこうした論文が読める、最近はアクセスしなかったが何かと電子空間では検索できる、ただ検索の方法がわかりにくい
それでも図書館は意外と調べものに不便なのである
キーワードで調べることもできない、また本を一冊一冊調べてコピーするのが手間なのである
だから図書館にはもうここ十年一回くらいしか行っていない
何か調べたり書き物するには自分の家が図書館になっていないとできない
それが古本が安いとか自分なりの図書館が作れる  

すると学者の論文も読めるから引用して自分なりのものを探求して書けるのである
ただ検索が意外と不便であり方法がわからずにうまくいいものに当たらないということが問題である
インタ−ネットは商業用にもなって商売の宣伝が増えたのでそれでいいものに当たるのがむずかしくなった
ただ国会国立図書館なら学術用の図書館だからいいものに当たるとなるが全部は読めないのである   

それで自分でも蔵書を検索できればいいと思った
すると検索してそれを編集すると自分なりのものが発表できる
それもまためんどうだとはなる、何かインタ−ネットは便利なのだけど手間なのである
これが省けないのである、それで何とか自分のプログでもワードプレスで見やすくしようとかフェフブックとかしようとしたができない
ホームページを創り直そうとしてもそれもできない、手間でできないのである


posted by 老鶯 at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連