2020年09月18日

松と倉のカフェー金沢の一番星の秋



松と倉のカフェー金沢の一番星の秋




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奥に蔵が見える

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揚羽が飛んでいる

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揚羽来て我が休めるや松と倉

松に倉季節変わりてうろこ雲


秋の蝉ここに鳴きにき我が命残れる時を惜しみて聞きぬ  


何か観光課の人が一番星の庭を撮影していた、観光課だから宣伝するためなのだろう
あそこは野馬追いにも出ているとすると古い農家である
だからあれだけの広い庭がある

あそこは入り口に松がありそれがいいのである
そして蔵がある、それで松倉となる、そういう苗字もある
一番星というのは似合わない、ここの特徴を現していないからである
命名にもセンスが必要だとなる
何かこれからの時代、センスが必要になる、観光だってそうである
何かを発見するセンスが必要である、花屋のことでもセンスが必要だと書いた

これからの時代は何か芸術的センスとかが必要になる、つまり確かに食べる料理も大事であり基本である、でも何かハードの時代からソフトの時代に移行している
建物でも頑丈に作るハードの技術が基礎になる
でも豊かな時代になると装飾にこるとか家具を選ぶとかなる

だから喫茶店とかでも景色のいい場所にあるといいのだ
ここは景色がいいというわけではないが広い庭と松があるから目印となる
ただ原町には海が見える場所に喫茶店があればいいなと思っていたが何か津波の危険があり建てられないとか言っていた
でも海が見える場所にあってもいいとなる

前はカレーでも1000円近くしていたが500円では安い、丼物も500円である
あういう所は普通は高くなる、場所代で高くなる
安くしたのはなぜか?やはり人が入らないからかもしれない
テイクアウトもしている、ただ三種類くらいしかない
あそこは近いから気軽によれる、息抜きにはいいとなる
相馬市はずっと行っていない、暑くて行けない、今日もむし暑かった
まだ残暑である
でも空にはうろこ雲が出たから秋でもある

写真でわかったことはとにかくいろんな角度から多角的にとってみることである
松と蔵が偶然に一緒に映っていた、まさに松倉だとなる



      


南相馬市の感染者が比較的多いのはなぜだろう (ウィルスは交通と人口に密接に関係)

   南相馬市の感染者が比較的多いのはなぜだろう 
  
  (ウィルスは交通と人口に密接に関係)

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南相馬市はいわき市より多い

 県は17日、新型コロナウイルスに感染して県内の感染症指定医療機関に入院していた70代男性2人が死亡したと発表した




南相馬市 60代 男性

南相馬市 50代 女性

浪江町 50代 男性

浪江町  60代 女性

南相馬市 30代 男性

南相馬市 60代 女性
   
南相馬市 10代 女性

南相馬市 40代 女性

南相馬市 30代 男性
  
浪江町 40代 男性

相馬市 60代 男性

南相馬市 20代 男性

南相馬市 60代 男性

南相馬市 80代 女性

南相馬市 60代 女性

相双   50代 男性

南相馬市 30代 女性

南相馬市 70代 女性

南相馬市 50代   男性 

浪江町とあるのはやはり移り住んだ人だろう
 

      
なぜ南相馬市とかで人口に比例して感染者が多いのか?
郡山市とか福島市は人口が多いのだからそれに比例して多くなる
南相馬市は人口が少ないのに多いとなるから注目する
相馬市は5名で少ない、相双とは相馬と双葉地域でありでも双葉地域には浪江町でも双葉町でも大熊町でも富岡町でも人がまだわずかしか住んでいない、一割も住んでいない
だからそこでの感染者数とは復興住宅に移り住んでいるから他の市町村に移って感染したとも考えられる、その場所に住んでいないからである
すると南相馬市でももともとそこに住んでいる人ではなく原発事故で避難した人が移って南相馬市でも増えたとなる

それを証明したのが南相馬市の自分の住んでいるすぐ近くで感染者がでた
それは東京のライブハウスに行った人からうつった
その家族の家は窓が壊されたとかして住めなくなり他に移ったという
何か他にも家があったらしいとか裕福な家だったからうつったと言っていた
南相馬市で多いのこうして外から移り住んで人が多いためだとなる

何かウィルスの感染は人口密度とか交流密度とかと比例している
郡山市は人口が多いし東京との交流も多い、交通の要である、そこから会津若松へと鉄道がでている、だから会津でも最近増えてきた
郡山市が一番多くまた福島市が多いのはわかる、でも南相馬市がそれについで多いのはなぜだろうとなる
その原因は原発事故で避難した人たち復興住宅に住んだ人たちが多いからなのだろうか
でも考えてみると南相馬市に移り住んだ人たちでも浪江町の人だった浪江町となり南相馬市民にはならないのである、ただ移り住んで南相馬市民となった人もいるだろう
その辺がこの辺ではわかりにくい、ただ南相馬市が多いのはそういう事情があるかもしれない、ただ浪江町とか富岡町とか感染した人の出身地を出している
でもその人たちも移り住んだ場所で感染したともとれる

いづれにしろ南相馬市は意外と多いとみたのでなぜだろうと疑問をもった
一部は東京から来た人たちによってうつされたとも報告されている
南相馬市ではまだ外部から工事関係者が来ているからだ、ただそれもかなり減っているからどういう経路で感染したかわかりにくい
年齢で50代以上が多い、東京では40代以下が多い、若い人は外に出る範囲が広い
それで新宿の歓楽街で広がったのである
地方では若い人より50代以上が多いだろう
それは年齢的に50代以上が多いからだから人口比率なのかもしれない。
男性と女性の比率でもたいして変わりない、ただ50代以上が多いことは確かである

いづれにしろウィルスの感染者は数学的にみれる、人口比率とか交流度合いとか交通の関係で見れる、江戸時代に会津若松からコレラが広がったことでもわかる
それは新潟からでも北前船が来て阿賀野川で交通があり白河からも街道があり会津が交通の要であり人口も多かったからである
その時郡山市は人口が少なかったのである、大正時代に人口が増えた   


会津の人口 

1899年 明治32年 30,488 

郡山市の人口推移

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郡山市はもともと藩がない、三春藩があり白河藩があり二本松藩があり城があるが郡山にはない、新興の都市だった、戦後になって急速に人口が増えた都市である
それは地の利にもよっていたのである
東京にも近いことからも発展した、新幹線で一時間くらいで行くとしたらここから仙台市に行くより近いとなるからだ
ただ普通列車で行くと郡山市から磐越西線で途中スイッチバックの中山駅があった
だからそこで会津まで遠いという感覚が生れていたのである
何かそれが思い出となる、でもそのスイッチバッグもなくなったのである

いづれにしろウィルスはもともと人口密度と交通とか密接に関係していた
江戸時代にコレラが会津若松が多くなり広がったのはそのためである
会津若松の城下町が交通の要となっていたからである
それが郡山市が次に交通の要となり人口が増えたから感染者が多くなったのである
だからウィルスの感染は予測できる、仙台市から最初秋田の方に移動した人がうつしたということでもわかる、仙台市は増えると思っていたがやはり増えた
それは人口密度とか交通の関係から予測できたのである

ウィルスの感染を防ぐには人の交流をとめるほかないのである
それが現代ではとめられない、江戸時代でもやはり止められなかった
江戸時代なら人の交流度合いは今と比べれば格段に低いのに止められなかった
関所もあったしそれでも止められなかった
となると現代はもう人との交流は止められない、不可能だともなる
だからこそGO TO キャンペーンになったのである
観光業でも生活できないとなれば死ぬとまでなる深刻になる
現代は意外と交通がこれだけ盛んになればもう止めることはできない
交通が発達して人が行き来する交流することはいいことだと思っていた
でもそのこともコロナウィルスで見直されたのである
それは時代の変化もうながすものだったということになる 

福島県コロナの感染者が会津にでない不思議 (スペイン風邪を分析して地理を見る)

    

posted by 老鶯 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層