2020年09月25日

孤立化する中国? (日本の太平洋戦争へ突入したのと似ているのか?)


孤立化する中国?

(日本の太平洋戦争へ突入したのと似ているのか?)


中国が拡大化して周辺国と摩擦を起こしている、インドとは実際に戦闘して兵士が死んでいる、ロシアともバイカル湖の水資源を奪われるとか中国が嫌われている
ただ国境を接する国は仲が悪くなる、利害が対立する場にもなるからである
何か満州里に行った時ロシア人が買い物して中国人ともめていた
中国に買い物に来るという時、中国は豊かだからである、物も豊富にあるからだ
十数年前でもそこでトヨタの車を持っていた人がいた、すでに金持ちにっていた人がいたのである
ロシア側は極東とかなると貧しい地域である、それでハバロスク中心にデモが起きている経済的不満が大きい所ではデモが起きる
極東はハバロスクとなるとモスクワから離れすぎている、第一中国とかロシアが広すぎてそれが一つの国として見るのが日本人には感覚的にむずかしくなる

ただ流氷がアムール川の河口で作られてオホーツクに流れて来るとかある
つまり海があるとしてもアムール川とも通じているとなる、アムール川は長大な川だからである、オホーツク文化もあったから大陸と通じるものがある
ハバロスク辺りの人種はモンゴル系統とかロシア人系統とも違う、アジアと白人の混血とかともなる
モスクワはあまに遠いから統治することも困難になる、それで不満があってデモになっている
中国とロシアの仲が険悪になっているとすると中国は周辺国から孤立しているのかとなるインドとも争い、アメリカとはぬきさしならない対立となり米中戦争もありうるとなる
ただヨ−ロッパも中国と一線を画して離れる
そうなると中国は孤立化する、中国の膨張は世界的に危険だとなり包囲網が生まれる

何かそれは日本がアメリカと戦争になったと時代と状態と似ているともなる
日本も国連から脱退してアジアで孤立の道を行くことになったからだ
日本に味方する国がなく一国で膨張したともなるからだ
欧米と対立してロシアとも条約があっても破られた、その包囲網によって惨憺たるものとなり三百万人が犠牲になった
だから国際政治では孤立化することが危険なのである
中国がいくら巨大化してもやはり国際関係で孤立すると日本のように包囲網ができて孤立して自滅するともなる
ただ中国とロシアが連合したりしたらそうはならないともなる

いづれにしろこれからの国際関係がどうなって戦争が勃発するのか?
それが予断を許さない、ただ未来はどう展開するかわからない
米中戦争になったら日本はまきこまれてシリアのように強国によって分断されて悲惨なことになるかもしれない、アメリカが撤退したら日本は一国で国を守れないからだ
だから日本は中国包囲網に参加するのか得策だとなる
ただロシアとは連合しにくい、インドとかは連合できる
欧米側につけば背後から援助はされる、日本でも孤立したら中国に進攻されて今度は中国の属国になる

この国際関係の政治も難題である、日本人はアメリカに守られてきたからアメリカ頼りになっていたからである、そのために戦後は経済に力をそそぐことができて高度成長が生まれた、国際関係で漁夫の利も得ていたのである
朝鮮戦争では戦争に参加しないで特需となった、ベトナム戦争でも参加しないで特需とはいかないでもアメリカに物資を供給して経済的には得したとなる
今の国際関係は米ソの冷戦でもない、巨大化する膨張する中国が大問題なのである
それにどう対抗してゆくのか?それが問われる
ただアメリカも衰退している、かつての経済力もない、内部では超格差社会である
そういう国は国力も維持できない、戦争するにしても国のためというより超金持ちのために命をかけて戦うのかとなるからだ
それでローマ帝国は中産階級が没落した結果没落したとされるのもわかる

国を守るのは国力を作るのは一部の富裕層でもない、中産階級が国の母胎となる
一部富裕層がいたとしても中産階級が没落するとき国力は弱体化する
日本もまた格差社会になり中産階級が没落すると同じようになる
そういう兆候が見られる、それより中国でも共産党一党独裁で富を独占すると命をかけた戦争ができるとは思えない、つまり格差社会はそれだけ国力を低下させる原因なのである国の一体感をなくすのである
だから中国でもアメリカでも日本でも格差社会となるとき日本のために戦うということができるのか?

とにかく国際情勢でも変化の時である、それが深刻になれば戦争になり日本が確実にまきこまれて悲惨なものになる、大国の狭間でシリアのようになったりした悲惨である
なぜなら太平洋戦争の時、ソ連とアメリカによって二つに分断される、支配されることになっていたからだ、ドイツのように分断されて支配されることが予定されていたからである、それだけはさけねばならないとなる
ただ日本はそういうとき一億総火の玉とかなる国である
ただそうした気迫が今はない、それは平和の時代が長かったからである   

平和になれているしアメリカの属国ともなり平和に甘んじる時間が長すぎたからである
戦後70年そうだった、平和の時代を享受したのである
それがここにきていろいろなことで崩れてきた、明治維新とか戦後の焼野原とか何かそういう大変化が起きる、ただそれでも未来はどういうふうに展開するかよめないのである
ただ正直そういう危険な時代に生きたくはないとなる
もう老人は最後の年月はそんな戦争につきこまれたくない、最後に平和を培う仕事をして終わりたいとなる
でもこれから生きる人は若い世代は厳しい時代を生きることになる
そうした大変化の時代に耐えられるのかとなる

そうはいってもなぜアメリカ大統領が70代でありその対立候補も80近いのには驚く
そんな年で厳しい政治の矢面にたてるのかとなる、日本の菅首相も69才とかである
だから高齢化で年齢の感覚が違ってきたのである
70代でも髪が黒くてとてもその人は同じ年に見えない、普通だったらおじいさんなのである、でもとてもおじいさんには見えない、個人差があるにしてももう70代でも十分に若いというのに驚く、そういう時代になったということもある
人生百年時代となれば別に70代でも一線で働けるとはなる
政治の世界でも経験がものいうということがあるからだ
ただ学問とか芸術の分野だと年とっても成就したものとなり年は別に影響しないことがある、ただ政治の場になるとこれは体力もないと勤まらない、阿部首相も体がついていけずやめたういことでもわかる

まず未来はいろいろ言ってもよめない、コロナウィルスのように意外なものが現れて世界が変わる、そして誰一人としてコロナウィルスを予測した人はいなかったからだ
すると全く予想しないものとして国際関係でも経済でも政治でも何でも変わる
予測できないからこそ未来に対処できないのである
津浪でも原発事故でもそうだった、津波は実際は予測できた、でも過去に起きた津波を忘れて対策もしていなかった、結果として大被害となったのである
ただ世界情勢とかさまざまなものがからんでくると未来は予測できない
意外なものとして未来はありそれで人間の限界があるとなる
つまり未来は神のみぞ知るになっているからである


posted by 老鶯 at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

人生も歴史も無念を語る (すべての人が無念で終わるー死があるから)


人生も歴史も無念を語る

(すべての人が無念で終わるー死があるから)

歴史とは何なのだろうと思う、人間の罪の歴史だという人もいる、戦争の歴史だからそうともなる、ただわかりやすいのは歴史は無念の歴史であり無念の集積の歴史である
その無念が怨念ともなる、権力闘争に敗れたり戦争で殺された人が無数にいるからだ
それで日本がの神社は怨念を恐れて祟りを恐れて祀ったというのもわかる
それだけ非業の死とか無念に死んだ人が多いのである
日本だって太平洋戦争で三百万人死んだとかある、それら無念の死であるから靖国神社がある、やすらかに眠ってくださいとなり神社があるからだ
無念を怨念を鎮める神社だともなるからだ

無念という時第一すべての人間は無念に終る、無念というときいろいろある、貧乏で苦しんで無念に死ぬというのが継続してある
また病気とか不慮の事故とかで死ぬのは今でもある、身内でも40才で交通事故で死んだそして病気で死ぬ人も無念になる、特に若い人が死ぬのは無念である
戦前までは肺結核で若くして死んだからそういう人たちは無念を残して死んだのである
母の実家には25歳で肺結核で死んだ人がいた、何かそれでキリスト教に入ったのかもしれない、啄木も肺結核で無念の死となった
いづれにしろ無念の死は数限りなくある

いづれにしろ人間はみんな無念で死ぬ、それはどんな人でもそうである、例えば大金持ちでも地位を得た人であれ美人であれ無念に死ぬ
それはなぜなのか?結局人間はすべて死ぬということにある
人間は誰一人として死からまねがれない、つまり死にたくないのである
すると死ぬことは無念だとなる、死に関しては平等である、どんな金持ちでも地位があっても死からまねがれないからだ、また誰でも男女でも老いる
すると美人でもしわくちゃのばあちゃんになる、それを見た時まるで別人になってしまう
とにかくみんな無念だとして死んでゆく、姉は死んだ「俺は優秀だった」と言って死んだ優秀だったことはわかるが認知症になってそのために馬鹿になったということでそれが悔しくて最後にそう言ったのかもしれない、ただ個々の人生をみればみんな無念に死ぬ
病気になるも無念であり人間には何かそうして無念にさせるものがいくらでもある
かなえられなものがいくらでもあり死んでゆく
私はこうしたかったああしたかったとか後悔して死んでゆく
まず老人になって後悔しない者はいないのである
どんな人生を送っても後悔しない人はいない、何か足りないものがある

後悔しない人生を送れといってもではみんなそうできるのか?
自分を社畜だとか奴隷だとか言っていやいや会社勤めしている人は老人になり後悔する
もっとやりたいことをやっているべきだったとかなる
別に自由に自分のように生きても後悔がある、社会性を身につけるために働くべきだったとなるしまた留学すべきだとかもっと海外旅行すべきだったとかある
特にヒマラヤは一回で終わったからもっと行くべきだった
なぜなら十回も行った人がいたからである
そんなに行けたのかというのが意外だったからである、それはトレッキングコースを行っていたのだから必ずしも登頂するとかではない、ヒマラヤは見るだけでいいともなる

人間の歴史自体数限りない無念の死で埋まっている、非業の死もいくらでもある
第一戦争では日本人だけではない、何千万人とか死んだとかなる
他にも権力闘争は必ずありカンボジアとかでも骸骨が積まれた記念館がある
それも非業の死だった、歴史はそうした人間の過ちの無念の記録だともなる
自然災害の死もある、津波で死んだ人たちも非業の死だとなるし原発事故の被災者も故郷に住めなくなったのだから故郷を離れて死ぬから無念だとなる

無念だというとき一番多いのは貧乏のために願いがかなえられないことが一番多いかもしれない、そもそも学校にすら行けない国もある、ネパールなどはボールペンとかすらないつまり文房具すら用意できないのだからどうして教育ができるのかとなる
世界ではまだそうした貧困な国がある
そういう場所では学校に行くことすらかなえられない、また裕福な国では学校嫌いになり行きたくないともなる、自分自身がそうだった、それは貧困な国になれば贅沢だとはなる私の父親はさしみが食いるようになったが病気で食いたくないとして死んだ
何か食べ物に関してもまともに食べらない無念があった
食べ物の恨みは怖いということにもなる

ただこうした様々な人間の無念も豊かになったり科学技術が発展して解消することがある肺結核は伝染病とわかりかからなくなったから肺結核で無念で死ぬ人はいない
他のウィルスでもワクチンができてかからなくなったから病気で無念で死ぬことはかなり減ったのである、教育でもゆきわたるようになったからそれで無念だということもない
様々なものが改善されて無念で終わることがなくなってはきた
でも人間はどんなことをしても無念で終わる
何か無念を残さないで死ぬ人はいないのである
何か無念だとして死んでゆく、動物さえ犬さえ最後は吠え続けて死んだ、それは最後の断末魔で死にたくない死にたくないと叫んで死んだように思う
つまり人間は死ぬから無念なのである

すると死ぬかぎり無念は解消しないのである、その死から解放するのが信仰になる
死ななくならない限りそれがありえないからだ、死ぬということはみんな無念だとなるからだ、死なない命を与えられない限り無念はなくならないのだ
永遠の命が与えられない限り人間の無念はなくならないのだ
確かにキリストは十字架で無念に死んだけど蘇ったのだからそれで無念は解消されたからだ
人間の無念は結局死ぬことにある、だからどんな人も無念に死ぬのである
いろいろ無念があっても死の問題を解消しないかぎり人間から無念はなくならいのである要するに神の国に行く他、無念を解消する方法はないのである
この世に生きることは結局誰でも死ぬから無念に終わるのである
この世でどんなに恵まれても死ぬときは無念になる
ありあまるほどの富を貯えても病気になって寝た切りになったらその富は何の役にもたたなくなる、ただ天井を見ているだけになる、これも無念だとなるからだ

ただこうした人間の無念が歴史だという時、その無念を知るべきだとなる
そして今の恵まれたことに感謝すべきだとはなる
先人の努力の積み重ねで様々な無念も解消してきたからである
歴史にはいろいろな見方がある、歴史の見方として後世に何をもたらしたかを見ることも大事になる、科学技術でも伝染病を治したということは病気で死ぬ無念をなくしたとなるからわかりやすい、また貧困をなくしたということもわかりやすい
これらが一番わかりやすい、他にも無念をなくしたことがある

自分に関しては家族に恵まれて自由に生きることができたから社畜なんだとかならなかった、ただそれでも後悔は残る、別に社畜だからとそれか全部マイナスにはならないからだ、まず引きこもりとかニートとか何か欠けるようになる
また結婚しないとか子供もたないとかも何か人間的に欠けた人となる
ただ正直あらゆることをすることは人間はできない、芸術家の8割が独身だったということがそれを証明している、何か家族をもったらそれに費やすエネルギーが膨大になり何か考えることもできなくなる、今家事を全部していただけで自分は感じたからである
家事は相当な労力であり疲れることを介護でも一人になっても知ったからである