2020年10月25日

シリア難民の悲劇はなぜ起きたのか? (国家が喪失すると家族も守れないー原発避難民との比較)


シリア難民の悲劇はなぜ起きたのか?

(国家が喪失すると家族も守れないー原発避難民との比較)


ドキュメント「シリア難民からのSOS」の衝撃(1)「難民の子が誘拐されて臓器を摘出されて死んでいた」

内戦により多くの難民を生むこととなり、2017年には国内避難民だけでも660万人にものぼる
国外に逃亡した人々も多く、最も多く難民を受け入れているトルコでは約370万人、ウガンダで120万人やパキスタンで約140万人とされている
最も多いトルコからはヨーロッパへ逃れる人もいるが、2015年時点で約80万人の人がギリシャへ渡り、その後もヨーロッパへと避難生活場所を求める人も増加

●国家を喪失したシリア難民

「世界は私たちを忘れた追いつめられるシリア難民」

NHKのこの放送は衝撃的だった、こんなに悲惨なのかと訴えるものがあった
シリアというとき関心をもったのはトルコのイスタンブールに行ったとき私自身は行かなかったがシリアに行った人がシリアの人は素朴だからいいと何度も言っていたことが印象に残った、何か外と交わらない社会主義国であり独裁国家でも人々は素朴な状態で生活していたのかとなる、それはアジアだとラオスがそういう状態で人気があった
そこもまだ外国から人が入らない地帯で素朴だったとなるからだ

そのことを考えるとなぜあんな悲惨な状態になったのか?
それが疑問になる、そのことを思えば別に自由を求めた革命が結局現在の悲惨な結果をもたらしたともなる
その原因はいくら自由を求めても外国がかかわると国は分断されて破壊崩壊されるとなる国の規模がまた小さいとそうなりやすい、大国がかかわり国が分断されてしまう
そういうことは北朝鮮とか韓国で国が分断されたしベトナムでも南と北に分断された
第二次世界大戦ではドイツが東西に分断された
そして日本もソビエト連邦とアメリカによって二つに分断される計画があったのだ
ただそれはアメリカによって支配されてまねがれていたのである
だから日本も国が分断される危機があったのである

シリアがなぜあのようになったのか?それは日本とかかわりないことでもなかった
何かいろいろ考えさせられる問題である              

そこで顕著に現れたのは家族を守ろうとしても守れない

NHKの放送では家族をなんとか守ろうとして必死になっている、食べ物を得るために子供が働き売春もしたり臓器まで売っているという極限の苦しみになっている
そうしてなんとか家族を守ろうとして必死になっている
日々の食べ物を得るために必死になっている、でもレバノンとか難民は差別されている
そしてイスラム教徒なのに青年の心はすさんで酒を毎日飲んでいる
何か物乞いして得たものだとしている
そして家族に妹に暴力をふるっている、売春して金を稼げとか脅迫して暴力になっているこれほど悲惨な光景にはショックだった
もう耐えられないと祖父は焼身自殺したというのもショックである
それほど追い詰められているということである、子供が臓器をとられてゴミ捨て場に捨てられていたというのもそんなことあるのかとショックだった
そしてコロナウィルス騒ぎでさらに病院にも入れないとか今度はレバノン
大爆発騒ぎで窮地にたたされる、これこそ地獄だと見た

●家族は家族だけでは守れない

なぜそんな悲惨な状態になったのか、その原因は何なのか?

それはいろいろあるにしても国家が崩壊した国家を失ったということにある
人間は家族が一つの単位として協力して生きようとする、シリア難民も必死に家族を守ろうとしてそうなっいるが限界がある

国家が崩壊する⇒家族が崩壊する

家族がどれだけ協力して生きようとしても国家が崩壊する時もう家族を守れないのである他国に難民になるとき他国でも受け入れるのがむずかしく差別される
その数も多いから難民化した人たちを受け入れるにも限度がある、人道的になんとかしろといってもその国自体が混乱してしまう、それで難民排斥が起こる
つまり国家が喪失ることがどういうことかそれが問われたのである
難民化して行き場がなくなり海をわたりヨ−ロッパに行こうとして2000人くらい死んだとかある、でも今やヨ−ロッパでもその難民を受け入れがたくなっている
国内が混乱して受け入れられないのである
そこにコロナウィルスが世界的に流行してさらに悪い状態になたっのである

家族を守るというときそのことを第一にしても実際は家族だけで家族を守れるのか?

それはシリアという異常事態でなくてもすでに介護とかでも家族を守れなくなる
自分自身が介護で一人必死になり苦しんだ、誰も助けがない、他者に助けを求めても助けてくれないとかなる、それでどうにもならなくなりこの近くでも認知症になった親を殺したとかあり介護殺人は普通にある
そして最近家族遺棄社会という本が出たように家族が家族を捨てる、介護でも家族を捨てる現象がでている、その負担を家族だけでは負いきれなくなっているからだ
ただ別に介護だけではない、家族に親が捨てられている人を知っている
それは金銭的にも介護でも家族がめんどうみきれないからである、でもそのめんどう家族がみないとすると他者が社会でめんどうみることになる
日本だって家族の崩壊現象が起きているのである
特殊な家族でなくても家族崩壊現象がこれからも高齢化社会で起きてくるのである

確かにシリア難民と比べることは無理であるが原発避難民とかの問題でも家族崩壊が起きた、また町や村が崩壊して廃墟と化した、ただここでは別に家族が崩壊したというとき
若い世代と老人世代に分断されたということがある、老人世代は取り残されて故郷に住んでいるとなる
別にシリア難民のように悲惨なことはない、かえって仙台市とかで補償金を資本にして不動産とかアパート経営で成功した人もいる、原発避難民はいわき市に大挙おしよせて補償金で新築々の家を建てた、その数も二万人とか多いがその人たちはまるで特権階級のようになっていた、それで地元の人たちともめたりしたから事情は相当に違っている
シリア難民と比べればあまににも違っている
でも故郷を国家だとするとき国家を失ったともなる、アイディンティティの場所を失ったということで共通している、ただ物質的には恵まれているが精神的は同じような状態にあるのかとなる

ただ人間は国家を失うとどうなるのか?

それを真剣に考える必要がある、ユダヤ人は国家を失い世界を彷徨う民族となり差別された、国家がなくなるということはこういうふうに悲惨なのである
だから国家があって家族があるともなる、日本は日本がなくなるということを考えない
でもそれが本当にそうなのか?
今や中国が大国化して現実に尖閣諸島とかに進出して侵略する勢いである
そして日本が経済的にも衰退して弱体化すると中国がロシアが侵略してくる
アメリカは衰退してもう頼ることができない、引き上げるからである
するともう日本一国では日本を守り切れないのである、すると日本も大国の草刈り場となりシリアのように分断されるということもありうるのである

戦前なら中国は弱小国化して脅威でもなかった、日本が戦ったのは欧米である、ロシアとの戦争もあったが日本はロシアとも対等に戦った、つまり明治維新では実は外国勢力が入ってきてやはりシリアのように国が分断される危機でもあった
でも日本はそういうことがない植民地化されない唯一の強国だったのである
ただその時中国は弱小国化されていたから日本がアジアを先導する国となっていたのである

国家とは何かというときそれも何かわからない、でもシリア難民を見れば国家が喪失するときどれだけ悲惨なものになるか具体的な例としてわかる
家族を守ろうとしても守れないのである、国家という基盤の上に家族がある
まさ国の家があって個々の家がありうるとなる、家族が大事なこと家族を守ることはわかる、でも現実家族だけでは別にシリアでなくても守れないのである
そこに家族の問題がある

●シリア難民と原発避難民

それは何か原発事故で故郷を失ったとかでも共通したものがある、故郷というか市町村とか自治体があって個々の家族が守られるとかある
だから自治体全体で原発に反対しないと家族も守れないと考える必要があった
ただ原発が自治体を破壊するとは見ていなかった、むしろ利益をもたらすものとして見て歓迎されていたのである
例えば再三批判しているけど漁業権を東電とか政府に売り渡して多額の補償金を事故前も船主などは得ていた、でも今になるとその海は自治体全体のものであり漁業者だけのものではなかったのである
もし自治体のものとして漁業権があったら簡単に原発は作られなかったのである
そして原発を作った責任は自治体全員にあり別に船主とかないし漁業組合にもない
そうなると批判されたりしなかったのである、その責任は自治体にあったとなるからだ

だから国家もそうだが自治体でも運命共同体なのである、家族を守ることが先決になっているにしろ家族だけで自治体でも守れないのである、原発避難区域になったところでは自治体が崩壊した、家族も分断されて残されたのは老人だったともなる
自治体と国家となると規模が違うにしろ何か共通なものがある
自治体というとき生態系とか関係していた、つまり原発事故では放射性物質に空気とか水とか土とか森とかその生活の基盤となるのものが汚染されて住めなくなったからである
それで依然として最近心筋梗塞とかこの辺で増えているから移住させるべきだとか武田邦彦氏がなどが警告している、それだけの被害が十年過ぎてもこの辺にある
放射性物質はセシウムが30年で半減するとかなり簡単に消えないからである

だから何か人間は家族のことを第一として常に考える、でも家族より自治体とか国家のことを真剣に考えない、それは平和な時とかはそれでいい、私自身が国家とか自治体のことなど考えていなかったからだ、平和なの時はそれでいいのである
でも原発事故とか何か国家の危機とか自治体の危機となるとそれですまされなくなっていたのである

この辺では原発など別に金になるからいいじゃないかしかなかった、そういうふうに軽く見ていたら自治体が崩壊して住めなくなったのである
原発について真剣に考えることなどなかったのである、またそう仕向けられていたともなる
シリアの悲惨な結果でも何か最初は独裁に反対する自由シリア連合の武装化からあんな悲惨な結果となったのである
そんなことが国まで喪失する結果となることとは思っていなかったのである
ともかく国家を失うことは家族も維持できないということになったのである

posted by 老鶯 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年10月24日

真野川の土手の岸の木が切られた (合歓の花の木と藤の木も切られたのが残念)


真野川の土手の岸の木が切られた

(合歓の花の木と藤の木も切られたのが残念)

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これは作った写真である
実際はこういう藤の花ではなかった
ただこれらは全部切られてなくなた

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霧の中に合歓の花が咲いていた




昨日真野川の土手の木々が根こそぎ切られていた、そこは浪江の復興住宅の人も水をさえぎるから危険だと言って切ってもらいたいと要望していた
それで切ったのかもしれない、それは前々から水の流れを悪くするから切る予定があった
でもそこには合歓の木と藤の木があった、だからその花を見ていいなと見ていたのであるまた橋の所には前から合歓の木があり花が咲いていて気持ちよかった
それまで切ってしまったのが残念である

何か藤の木と合歓の木は残すべきだったとみる、ただ他の木は何か花も咲かない木だから切ってもいいとなっていた、下の方はそうである

でも何かこうして自然というのは無造作に破壊される、私はいつも自然を見ている
鹿島から深野にでる高平の所にも高い木がありそれが春になると芽生えて風にそよぐとき気持が良かった、その樹々は高いからである、でもそこも切られていたのである
そこは気を切って何にするのかわからない、それも残念だとみる

ただそれを残念に見ているのは自分だけだともなる
他の人は自然とか花でも無関心なのである、何か用があるときとか金になるものとなると注意して守る、でもそうした実用がないと関心がなくなるのだ
ただ邪魔だという感覚になるのである

それでも森などは木材と利用している時の方が間伐などして森は守られていた
つまり実用として森があるときかえって森が守られていた
ただ森が鑑賞するものとして美的にあるものだとかなるとかえって森の木でも利用されず荒れるということがあった

ただ人間というのは実用にならないと金にならないと関心がなくなる
なぜあそこの木が切られたのが残念だったかというといつも買い物に行く道であり日常的な道だからである、だからそこに花が咲いているとなごむとなる
つまり日常的な場所に自然があるとなると違うのである
それは人間の生活と一体化するからである
ただそういう配慮はない、当然洪水があるから流れを良くするのが先決だからである

でも何か日本人は意外と自然に無頓着であり自然保護というときそういう観念はない
日本がではむしろ雑草が常にはこびって苦しめられている
だからどうしても農薬を使う、使わざるを得ない、それでヨ−ロッパ中心に農薬に厳しくなって日本の果物とかでも輸出が制限されるようになった
農薬なしの有機栽培の食料でないとだめだとなるようになった

とにかく日本の食料には薬を使いすぎるのである、食べ物でもいろいろな薬が入りすぎている、それにも日本は無頓着なのである
日本では雑草でもすぐに繁茂するから自然はやっかいなものだともみている
そもそもそういう自然だと自然保護という感覚は起こりにくい
日本人は自然に恵まれていて自然に無関心だともなっている

だから金にならないものは実用とならないものは無視される、花などはそうである
でも花でも金になり売れるとなると別なのである
おそらくあそこの土手の道を歩いてそこに合歓の花が咲き藤の花が咲いていいなと見ていたのは自分だけかもしれないからだ

ただ言えることは身近にある自然は貴重である、それはいつも日常的に接して見るものだからである、まず都会だと日常的に接する自然が少ない、都会から離れないと自然に接することができない、その差が大きいのである

posted by 老鶯 at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年10月23日

ナショナリズムとグローバリズムとは何なのか? (郷(くに)を基とした文化の形成が人間の基本―飯館村を破壊した原発事故)


ナショナリズムとグローバリズムとは何なのか?

(郷(くに)を基とした文化の形成が人間の基本―飯館村を破壊した原発事故)

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「ナショナリズム対グローバリズム(前半)」三橋貴明

これは確かにわかりやすい、何か自分の追求し来たことが右側のナショナリズムである
飯館村のことで郷(くに)のことを山尾三省の詩から追求した
つまり歴史的ときとういとき身近なものではそれぞれの家族があり親がいて祖父母がいて継続されたものとしてみる、そこが歴史の基本である
それで私の親が双葉の新山で丁稚奉公したということを書いてその土地と共感したのである
それは歴史的であり継続的なことなのである、その歴史というのも日本だと天皇があり二千年前からつづいていたとなりそこまでさかのぼる

つまりグロ−バリゼーションとはこの逆なのである、国々の歴史とか風土とか文化を無視する、グロ−バルに経済的単位としてしか見ないのである
そして歴史とか文化は金にならないというのもわかる
自分の追求したものは金にならないのである、金に換えられないものなのである
原発事故ではまさにそうして金に換えられないものを失ったのである
その土地の郷(くに)で生きてきた先祖代々の生活がありその郷での暮らしがあり文化があったが失われたのである
ただグロ−バリゼーションというときここで多額な補償金としてその損失を補償したのである、でも失ったものはもともと金に換えられないものであり金では取り戻せないものだったのである
だから意外とそこに住んでいる人もそのことを気付かないということがある
別にそれだけの補償金もらったきだから良かったのではないかとか他からも内部でもそう思う人もいる
つまり価値をなんでも金に換算すればそうなるのである

でも金に換算されないものがこの世界にはある!

それが原発事故で問われたのである、郷(くに)とは経済的一単位ではない、総合的なその土地と時間的継続と風土でもって結びついた有機体でありそれを分解したりできないものである、その一部のものを取り上げてそれを金銭に換算できるようなものではないのである

人間は経済的単位ではない!

でもグロ−バリゼーションは国でも地域でも一つの経済的単位利益とみる
国(くに)を形成しているバックグランドを見ないのである
その時金に換えられないものが奪われていることに気づく、それが原発事故で明らかになったのである
確かに補償金を得て他に都市にでもでて立派な家を建てることができた、だから良かったじゃないかとなる
でも何か他にそうして移り住んで精神的空虚感を覚える
野菜でも山菜でもその土地にあり自ら生産して食べる時、その土地に生きる充実感があるそれで飯館村特産のかぼちゃを生産して喜んでいる女性がいた
それはその土地の実りだからである、だから買ってばかり生活していると不安になるというのもわかる、金で買えてもいつか金はなくなるからである
でも野菜でも米でも継続的にその土地でとれれば安心だとなるのである

つまり東京とかはすべて経済的単位の人工的空間と化している
そこに文化がない、その土地を耕す、cultivateするcultureがないのである
あるのは人工化された経済化された精神のない世界である
だから墓でも団地の様な狭い空間に閉ざされて作られる
田舎だと墓地はたいがい自然の中にあり今なら秋の日がさして土地の人々が眠っている

グロ−バリゼーションとナショナリズムの対立は都会と田舎の地方の対立でもある
東京とかとなるとグロ−バリゼーションになる、つまり食料でも日本の地方より外国から輸入すればいい、日本の地方は効率的ではないとして切り離すべきだともなる
でも日本の国土と不可分に東京でもつながっている、だから原発事故は東京まで影響したのである
いづれにしろ大都会民と地方民田舎人とは分離する、心も通じなくなる
そしてやがて地下に大都会ができて地下人間と地上人間は心も通じなくなったりする
だから国内でも別にそうした分離が起きていたのである
なぜなら一千万もの大都会があるということ自体が国土を分断してしまったのである

だからコロナウィルスとかで東京が密集しているから危険だとかなり交通でも遮断されるとかなり人の交流でも物の輸送でも止められたのはそれは世界的変化としてナショナリズム的志向になる、グロ−バリゼーションでもある程度は許容されるし貿易も必要である
でもそれが過度になり世界的な歪みをもたらしたのである
それを是正するものとしてコロナウィルスが生まれたのかともみる
一つの時代の変化が起きたともみる

ヤマトタケルノミコトのお歌として伝えられる歌に

いのちの全けむ人はたたみこも平群(へぐり)の山のくまかしが葉を うずにさせ その子 

いのちの全けむ人はとはまさに郷(くに)に全体として不可分に結びついた郷(くに)に生きる人のことである、そしてくまかしの葉ををずにさせ・・・とはその森の豊かさを身に帯びる、または森の霊力を帯びるともなる
だからこういう感覚は自然人として生きた古代人とか原始人的な感覚なのである
人間と自然が一体化していたのである
これからの時代は経済的単位としての人間ではない、郷人(くにびと)として生きることにアイディンティティを見出して安定してし継続する生きる力を取り戻すことである
リストアーすることである、そういうときいかに原発事故がそういう郷(くに)を破壊したことは大罪だったのである、放射性物質で森の木々まで汚染されたし森全体も汚染された、それは30年でセシウムは半減するとしても消えないからだ
その罪は余りにも重すぎたのである






posted by 老鶯 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

山尾三省が追及した郷(くに)とは 山尾三省が追及した郷(くに)とは (原発事後で奪われた郷(くに)と生業-飯館村から考える)


山尾三省が追及した郷(くに)とは

(原発事後で奪われた郷(くに)と生業-飯館村から考える)



びろう葉帽子の下で

郷(くに)ということばと
郷人(くにびと)ということばを つぶやく
奄美の郷(くに)
奄美の郷人(くにびと)
沖縄の郷(くに)
アイヌの郷人ということばを
心をこめて つぶやく
原子力発電所のない、郷(くに)
核兵器のない郷
その郷人のなりわい
・・・・・・・・

びろう葉帽子の下で
国ではなく
郷(くに)を思う
畑の草を刈りながら
畑の土を掘りながら
日本の郷とつぶやいてみる
わたくしの郷とつぶやいてみる
そうつぶやくと

(山尾三省)



山尾三省の不思議は必ず原子力発電とかチェルノブエリのことに反対している
そのアンチテーゼというか、それに反発するものとしてこうして郷(くに)のことを詩にしている
そもそもこの人は東京生まれだけど田舎の生活に憧れていた、その憧れも普通ではない
何か渇望するように憧れていた、それは東京砂漠というようにそこに自分が生きるアイディンティティを見いだせなかったからである
それで極貧でも囲炉裏で炭を使い生活していた
そういう人はまれだが若い人ででてきている、でも依然として変わり者である
飯館村にもいたようである

現実はそういう田舎に住んでいてもみんなそんな暮らしをしたくないとなっている
しかたないから暮らしているとなる、でも東京とかではそういう田舎の暮らしを渇望している人がまれにだがいる
つまり東京には郷(くに)がないからだ
ただこの国(くに)というときどれくらいの範囲なのかわかりにくい、日本に小国(おぐに)という地名が多い、そこは何か山の中の平な土地であり小盆地なのである
そこは山に閉ざされてある、そういう地形が日本には多いから小国が多いのである
そこは一つの国として意識されたともなる

でも実際くにというとき

 会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね

この国は相当に広いのである、ただ万葉時代にすでにこれだけ広い土地が国として意識されていたのである、それだけ会津が古い土地だということがこの歌で示している
国を意識する時そこは土地だけではない、そこに愛する妻がいるとか親がいるとか友がいるとかでも郷(くに)となる、そういう人と離れたくないということがある
また故郷というとき実は故あるというとき親とか祖父母とか先祖と深く関係した場所なのである
私の父親は双葉の新山の酒屋で丁稚奉公していた、それで何かそこに行ってみたら廃墟の街になっていた、その酒屋のあった近くの道を歩いた時不思議だった
父もここを歩いていたのかと感慨深かかった、何か出会い橋とかあり父と会うようにも思えたのである、ここで父が働いていたんだなと思った
何かそういうふうに人との死んだ人でもつながりを感じる場所が故郷なのである

山尾三省は東京で暮らしていたからそういうものがないからあれだけ渇望して極貧でもその郷の人として屋久島で62才くらいで死んだのである、妻も死んだ、それはその生活が楽ではなかったからだとなる、第一今ではそこまで田舎を求める人はいない
ただかえって東京とかに住んでいればその渇望が強くなってそうなったのである

人間はやはり生物であり生物本能がある、人間は植物でもある、だから一つの土地に木が根付きそこに定着する、そして木のように深くその土地に根を張りその土地と一体化するそれが生命として自然なのである、そのために根を張る土地をもたねばならない
それが山尾三省が言った郷(くに)なのである
ただこのクニというとき何か山間の小国という場所がふさわしいのである
海側だとそういうものを感じないのである、海は遠くを意識する、だから海と山とで意識するものが相当に違ってくる、山は墓所になった、死者を葬ったということは山はまさに死者が眠る場所にふさわしいからである
そして山には先祖がいて春になると田植えの時期になると里に降りて来るという信仰にもなったのが日本である
つまりクニというとき先祖も関係しているのである、だから日本国となると歴史的に天皇が二千年なのか代々国を受け継いできたとなる
先祖のさらに大先祖となりそれが国の歴史となる
何か自分の家族は全部死んだけどやはり死者は私の心の中にその土地に生き続けているという感覚になるのである

飯館村は何か地形からしてクニにふさわしい場所である、それは私は自転車で行っていたから高いし遠いのである、今回行ったら体中がいたくなった、だんだん年になり行くのが苦しくなった、でもそうして苦労してあの坂を上り行くことが記憶に刻まれる
この地形というのは地図を見ても車で行ってもわからない、坂は峠は歩いてでも自転車でも上ってみると体感できるのである
だから不思議なのは車がない時代の生活なのである、どうしてその坂を歩いて上って生活していたのかとなる、そうなると峠を越えた向こうは相当に遠くなる
近くても別世界になるのである、でも不思議なのは今ならグロ−バル化経済であり世界から食料でもなんでも入ってくる、昔だったら外国から入ってくるものがない
食糧など全く入ってこない、戦後でもバナナは仙台にしかなかった、それで私の父親が病気になったとき仙台からバナナを買ってきたのである
今からすると本当に食料は貧弱だったことは確かである
飯館村で魚を食べるにしても海側でないから簡単には食べられない、江戸時代だったら塩の道があった、それも助け小屋とかありそこで泊まるとかして塩を運んだ、その時魚も運んだかもしれない、そしてその塩の道は沢伝いの細い道であり馬で運んだのだが下を見ると落ちそうであり怖い場所である、それだけ馬で運ぶにしても難儀したのである

いづれにしろ原発事故の無惨さは飯館村に一番現れた、そこはもともと原発と関係していなかったからである、恩恵もなかったからである、ただそこでも原発で働いていた人がいたのである、なぜなら原発だと普通の給料の三倍くらいもらうからそうなっていたのである、飯館村は福島県でも最低の収入しかなかったからだ
だから全く関係しないということはなかった、原発の恩恵はそれだけ大きいものだったのである、ただ皮肉なことに原発事故以後飯館村では補償が手厚かったから億の金をもらった人が普通にいるだろう、そしてその金をもらって外に出て行ってしまったとなる
そして新しいこじんまりとした家がどこにでも建っている、それが別荘だというのも不思議である、人は住んでいないのである、別荘として利用している
それから50億円をかけて学校やその他の施設を作り建物は立派だけで生徒は五人とかなっているし村には住んでいないのである
そこでもう村が成り立つのかという疑問である

ともかくその村で失ったものは何なのか?それは山尾三省があれほど渇望した郷(くに)を失ったということである、そこで常に原発のことを核兵器のことを批判していたのである、ただ現実問題として別に飯館村とか田舎に住んでいる人は人で山尾三省のように田舎をいいものとして生活していない、だからこそ豊かな暮らしをしたいとして原発を積極的に誘致したのである
またこの辺では山尾三省のように原発に反対したら住めなくなっていたのである
もうみんな原発で金になるとなると目の色を変えていたからである
だから反対運動は起こらなかったのである
つまり田舎でも山尾三省は変人だったのである、何か貧乏生活してテレビにでも出て見世物にして金をもらうのかというふうにも見られる  

それが現代の生活からみればそうなっていたのである
バンが贅沢だとなればそうなる、ただ別に自分の子供時代は炭で生活していた
今からすると山尾三省の生活をみんなしていたし飯館村とかは森が多いから炭にする材料が多いから炭を売って金持ちになった人もいたし大倉では材木を売って金持ちになり相馬の女学校に行った人もいたのである、そこからは通いないから親戚の家から通っていたという、相馬の女学校というときここに行っているというだけで相当な金持ちだったのである、私の母親は尋常高等小学校くらいだからである
その時代では学校は知識をえる唯一の場所だから貴重だったのである
なぜなら子供の時、家には一冊の本も置いていなかったからである
そうなる学校以外で知識を吸収する場所がなかったからだ 

いづれにしろクニをうしなうことはその存在基盤、生き死にの場を失うことである
それは普通なら意識されない、むしろそんな場所に生きることの不満が多かったのであるでも前からそういうクニを渇望して求めてそこで死んだという人がいたということであるもしこれだけの意識をもっていたら原発など誘致しなかったのである
ただ飯館村は遠いから関係ないと思っていたのである
自分の住んでいる所でも30キロ離れていたから遠いと思っていたのである
それが福島県全体に関係するとはみんな思っていなかったのである
だから真剣に対処しなかった、また政府でも東電でも安全神話を作りその危険性を隠していたのである

だからその生き死にの場所であるクニを放射性物質で汚染したということ住めなくさせたことの罪は大きい、ただ東京ではそういうことを意識しないのである
そもそも東京にはクニがないからである、それで経営者が言っていた
一か所に家をもって定住することは金ももうける機会を失うからしてはいけない
チャンスの場所は変わるから一か所に家をもち定住することは良くないという
それが東京人の感覚だとなる、そこでは経済が最優先でありクニとかは関係ない場所なのである、経済のことしか頭にないからである

それで飯館村とかのことなど田舎は経済的に無駄だとかなるのである
その感覚の差が大きすぎるのである、要するに大都会人と田舎人は人間そのものが違ったものだともなる、同じ人間ではないともなる、東京人は異星人だともなる
彼らの頭には経済のことしかない、それがすべてであり山尾三省が追求したことなどただ変人の戯言となってしまうのである
そうは言ってもまた田舎でも実際は大都会人と同じ意識にもなる
みんないい家が欲しい車が欲しい、うまいものが食べたい、その欲は都会人と同じで限りないのである、田舎でも山尾三省は変人なになっているのである
だからこそ原発が積極的に誘致された経緯があったのであ

この辺の問題は今や何か原発に反対するにしてもそれが常に補償金がからんでくる
補償金をもっとよこせとなるだけである、もともとでは山尾三省のような生活を望んでいなかった、だからこの際補償金をもらうだけもらって他に住めばいいともなる
それが正当化される、だから山尾三省がその時代に原発に反対してそういう生活を渇望して実際に実践していたということは評価できるのである
ここでは原発事故後意識したとしてもその前は意識していない、もっと贅沢な暮らしをしたいとして原発を積極的に誘致したからである、それが違っていたのである
ただ飯館村自体はほとんど原発とは関係していなかったのである



posted by 老鶯 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2020年10月22日

evening river(abstract painting)

evening river(abstract painting)

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残る虫(飯館村考- 場所の魅力)


残る虫(飯館村考-   場所の魅力)

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 残る虫の声

 幽かに残る虫が鳴きあっている
 山の静けさにその声がひびく
 その声に山は聞き入る
 小さきもの、幽かなもの
 そこでここで大きな声となる
 木の葉一枚が散り落ちぬ
 山の大いなる静けさがつつむ
 虫の声はそこにひびきつづける
 山は黙してその声聞いている
 山に陽は没り一村は暮れぬ


 飯館村というとき山と森の村である、飯館村はもともと相馬藩になる前から岩松氏が鎌倉時代に支配していたときから一体化していた
その後に相馬氏が支配したのである、だからそういう古い時代から地理的一体感があったなぜなら新田川の源流が草野を流れている
大倉は真野川の上流であり真野ダムがある、だから地理的につながっているのだ
それで飯館村が南相馬市が実は地理的に一体なのである
それで放射性物質のフレコンバックが破れて流れ出したというときそれは飯館村だけの問題ではなかった、南相馬市にもその放射性物質は川を通じても流れてくるのである
だから飯館村は飯館村で合併しなかったが地理的に一体化した地域だったのである
地理と歴史が一体化した地域である

相馬藩というとき新地が伊達藩内として境界というときあそこから牡鹿半島と金華山が明確に見える、すると宮城県を意識するのである
確かに原町片倉のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えたが小さいのである
新地からはかなり大きく見えるから意識するのである

地形的な魅力としては飯館村と丸森にある、丸森は阿武隈川も流れているし蔵王も大きく見えるから魅力がある、川と森の国でもある
ただ平地が少ない、飯館村は森の国でも平地が結構ある、広い地域なのである
私はこのその土地の魅力という時、その地形の魅力、その土地の個性を形成するのはその土地の独特の雰囲気なのである
これは人間が作ったものではない、地形が作ったものである

だから相馬藩領域は一つの地理的一体感がある、ただ海側に住んでいると山というのを意識しにくい、でも山も身近なのである
そして田舎というとき人間が少ないということで存在感が大きくなる
特に飯館村とかなると広い地域に人が少ないから存在感が大きくなる
もちろん経済的には前から貧しかったからそこに住んでいる人はいいとはならなかった
飯館村は福島県でも最低クラスの収入しかなかった
ただ私はそういうことを見なかった、時々自転車で大倉から木戸木から草野に出るのがいつものコースとして行っていた
そして木戸木に出る峠で休んでいた、そこで秋の蝉の声を聴いていた
今回は残る虫の声を聴いていた

何か残る虫の音が合っていた、今まさに飯館村に残っている人は二割くらいなのか少ないそれも老人が多いという時、まさに残る虫になる
でもそうした虫の声でも山の静けさに森の静けさに大きな声となっているのだ
それが山の静けさに大きくひびいて余韻が残る
つまりその残る虫の存在感が大きいのである
こういうことは都会にはありえないのだ、どうしても場所の魅力がもてない
場所の魅力は自然が神が作りだしたともなるからだ
人工的空間では作れないからである
だから何度行ってもその場所の魅力を感じる、ただ場所の魅力はまだ発見されていない
すぐ近くにそういう魅力がある場所があったからだ

相馬藩地域だと海があり山があり実際は変化に富んでいる、ただ高い山がないことは欠けているのだ、それが残念なのである、遠くに蔵王が見える、でもその大きさを感じにくい街中に岩手山のような山がそびえているとその山を身近に見るから一体化するのである、アイディンティティ化されるのである

原発事故でもこの場所の魅力が失われたわけではない、ただそこに人が住まないとか暮らしがないとそこは何なのだろうとなる
虫の声でもそれは人間をイメージして聞いている、残る虫はまさに飯館村に残っている人だともなるからだ、だから暮らしがないと自然も活きてこないのである
ほんの一部は実りがあった、でも荒れ果てたままであった
すると何か荒涼としたものになる、飯館村の復興はどうあるべきなのか?
それはやはりその場所の魅力を活かすことだとなる

森に囲まれているからそこで精神が醸成される、森の中に分け入るとまるで神殿の柱のように樅の木があった、それはドイツの黒い森と同じである
それは丸森でも同じだった、森の国なのである
そこにふさわしいのは森に醸成される精神形成だともなる、別にその森は失われてはいない、ただ放射性物質に汚染はされているが森は存在しつづけている
放射性物質に関係ないものとして花の栽培などはつづけられる
他に何かあるのかというときそこは瞑想の森であり例えば昔なら宗教の修行の場所にもなる、そういう場所なのである

ただそこに働く場所がないと人は住めない、だから菊池製作所がありそこで人は働き住んでいる、工場だと放射性物質に汚染されなかったからである
そこに矛盾がある
飯館村には外から入ってきた人が多いみたいだ、郵便配達していた人は外から来た人である、普通郵便局に勤める人は地元の人になっている、でも外から入ってきている人が多いのである、それだけ人が流出したから外からの人を受け入れているとなる
もう外からの人が村を支えているともなっているのかもしれない
郵便配達している人が外からの人だというのもそうなのである

ともかく新しい家が建てられてそこに人は住んでいない、別荘だというのも不思議であるそんな村が成り立つのかともなる、5人の生徒のために50億円かけて校舎やその他の施設を作ったというときもそうである
そして村は補償金をもらい分断して人が消えたとなる、残っているのはわずかの人であり残る虫が鳴いているとなる
ただその場所の魅力は失われていないのである、それが救いなのである 

ヤマトタケルノミコトのお歌として伝えられる歌に

いのちの全けむ人はたたみこも平群の山のくまかしが葉を うずにさせ その子

いのちの全けむ人は・・・これは命はその場所とともにある、場所と一体化してある
現代文明人の命は無数に部品化されて全きことはない、そこにいかに経済的に繁栄しても命がないのである、全けむ人とはその場所と命が一体化した人のことである
そこに生きる意味がある、現代はその場所が失われたのである
また原発事故によってそういう命の場所を喪失させたともなる

posted by 老鶯 at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2020年10月21日

残る虫、秋の暮(飯館村に行くー木戸木は戦後開墾された場所)


残る虫、秋の暮(飯館村に行くー木戸木は戦後開墾された場所)

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飯館村というと山菜で有名であり山菜料理が定番だった
その山菜がとれないことは一番悔しいとなる


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木戸木にそ半鐘残り秋の暮

十軒ほどここに暮らしや秋の暮

残る虫かすか鳴きあう山の中 

三四匹残れる虫の声を聴く

我が一人夜更けけ聴き残る虫

闇深く残る虫の音の余韻かな

闇深く残る虫の音の余韻かな

樹々の間に山の静かに秋日没る

街離れ大原あわれ山に月

明らかに輝き映えぬ山に月



大倉を郵便局員配達す坂を上るや秋のくれかな 

一枚の木の葉の散りぬ残る虫鳴く声ひびき山の暮れにき

人行かぬ山の道かな竜胆の四五輪咲きて木戸木の暮れぬ

人住まぬ家にしあらむ飯館にいつ帰らむや残る虫鳴く

この石の何を語らむキノコ石名付けてあわれ秋のくれかな

耳すまし残る虫の音我が聴きて帰り来ぬかな   


飯館へいつものコースで自転車で行った、夏は暑くて行けなかった、だから久しぶりだった、でも体がかなりいたんだ、なかなか行けなくなる
大倉で何か郵便局員が配達していた、その人は最近来た人らしい
なぜなら今新しく作られた郵便局の支店の前に店があったことを知らなかったからだ
店はやめても自動販売機があったようだがそれもなくなり遂にそこが郵便局の支局になった、何か不思議なのは郵便局はどんな辺鄙な所にもある

コンビニによりある、与那国島についたときも最初に見かけたのは郵便局だったのであるまたどんな辺鄙な所にも郵便局から委託された家がありそれが高収入となっていた
でもゆうちょと変わりもうそうした贅沢は維持できなくなってもいる
ゆうちょで不正があったりするのもそのためである、日本経済が落ち込んで銀行とかゆうちょは危機になっているからだ
でも大倉とかの辺鄙な所に郵便局があるというのは何か頼りになるのか?
郵便というものがそもそも減っている、インタ−ネットになりもう通信はハガキとか手紙とかが廃れる、それも時代である、でも一軒一軒郵便局員が回るということで安否を確認するとかしているのもわかる、辺鄙な山の中だとそういう役目もでてくる

大倉から飯館の草野に出るのは苦労である、ここで疲れる
大倉から木戸木に出る、ここに十軒くらいの部落があった、ここにあまり注目しなかったそれより新しくできた道路があったところに神秘的な流れがありそこは森に覆われていたそこに踏み入る人はほとんどなかった、まさに秘境だった
しかしその秘境は失われた、それは原発事故前からあった、七曲の坂が不便なのでそこを道にしたのである、ただ自分としては残念だった

木戸木は戦後開墾に入った人たちが住んだ、それは共栄橋とかあるのでもわかる
それにしても平地が少なく確かに田畑があっても土地が狭すぎるのである
そういう場所でどうして生活していたのか?それは戦後引揚者が開墾に入った場所はそういう場所であり半分が撤退したのもわかる、とても生活できないということである
おそらく林業とかで成り立っていたのだろう
半鐘が残っているがあれも必要だったのだろうかともみる、十軒くらいしかないのに火事を知らせるのか?でも半鐘はいたるところにあった
自分の家の近くの神社にもあった、その半鐘に上ったことがあるからだ
だから狭い範囲でも火事に注意したとはなる 

木戸木の山の道を分け入ると竜胆が四五輪咲いていた、なかなか自生する竜胆は見かけない、飯館村だと見かけるとなる
それから飯館の方に向かった、何か七曲の坂でも去年の台風で通行止めになったのが多い今も工事がつづいている、あの被害は実際は本当に大きなものだった
道でもずたずたにされたのである

私はいつも峠の道で秋なら秋の蝉の声を聴いていた、そして飯館村も秋だなと感じていた昨日は虫の声を聴いた、それももう残る虫となっていた、山の静けさにただその残る虫の音がひびいていた
何か残る虫というのが飯館村にふさわしかった、そこに残り住んでいる人をイメージするからである

飯館村では一部稲が実っていた、それはほんの一部である、でも大きな倉庫を建てていたそれは米を貯蔵するものだという、飯館村でそんなに米が作れるのか?
それが疑問だったが米を作れるようにしていることは確かである
でも飯館村の問題は森に囲まれているから周囲から流れる水でも泥でも放射性物質をふくんでいる、その放射性物質は減らないのである
それが一番のやっかいな問題なのである、花の栽培とかは影響しない
ともかく飯館村の特徴は森に覆われた村である、70パーセントが森だからである
ただその森は活かすという時、詩的にみれば森の癒しとか荘厳な森の国をイメージする
ドイツの黒い樅の木の森とかである
それで飯館村とか丸森は森の国として貴重である、浜通りは海があり山は低いが森があり二つの世界があることで魅力あるとなる

いづれにしろ木戸木でもそうだが一つの部落が失われるとか村自体が失われるとかは何なのだろうとなる、それは双葉町でもそこは廃墟の町であり何なのだろうとなる
そこでは私の父親が酒屋の丁稚として働いていたので特に感じたのである
戦後開墾に入った人たちが築いた村が結構多い、山村に多い
それも一つの歴史だったのである、そうした歴史が失われるということは何なのかとなる人間は親がいて祖父母がいて家族も作られる、歴史はその延長としてさらに長いものとして作られて来た、だからそういう歴史が失われることは何なのだろうとなる
何か人間の存在の重い意味が失われることではないか?
それは日ごろ自覚できない、こんな不便な所に生活したくないとかばかりになる
でもそこに住み生活を築いた親がいて祖父母がいて先祖がいたとなる
その歴史が省みられなくなるとき、先祖もそこで一度死に二度死ぬことになる
誰もいない村を幽霊として行き場もなくさまようとなる

橲原(じさばら)は通行止めであり大原の方から回って帰ってきた
大原には月がでていた、山に月が出るというのも海側では見ない、最近はずっと海から月がでていた、あれ山から月が出るのかと不思議だった
それは明るく輝いていた、大原というと原町の街から相当遠いのである
海で感じるのと山で感じるのは相当違うのである、この辺は両方があるから変化がある
ただ自転車では疲れるようになった、体中痛いのである
でもなんとか行けたので良かった









posted by 老鶯 at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2020年10月19日

計画、計算できない人生 (何が起こるか予測できないー信仰ならただ求めることが一番大事)


計画、計算できない人生

(何が起こるか予測できないー信仰ならただ求めることが一番大事)

人間はいくら計算しても計算通りにならない、一流大学を出て大企業に入り終身雇用で安泰だとか目指してもそれも今や崩れた
終身雇用などありえなかった、それは一時の高度成長時代があってありえたがそれも30年前にバブル崩壊で終わった
日本はそれから経済は低迷したままのなのである

人生を経験して老人になった人に聞いてみるといい、計画通りに計算通りにいった人はいないだろう、何か必ず不測のことが起きて意外だったとなる
こんなしことになるとは思わなかったとなる
つまり人生そのものが有為転変なのである、無常だというときもそうである
常なるものはこの世にない、人間自体常に変わっている、同じ状態を維持できない
男性でも女性でも常に体でも変わってゆく、40才になると男でも白髪がでてくる
それで40才で先が見えた俺の人生も終わりだとみる
それが早いのである
氷河期世代は40ともなるとあせり苦しむのである、40になるともう社会的に終わりだと見るし社会も見るとなるからだ

自分の人生は特殊だから参考にはならない、ただ20代で自分の人生はほぼ確定した
あとは余禄のようになってしまった
私はまず家から田舎からの脱出願望が強かった、大学にも入れるような学力もなくても運よく三流大学に入った、ただ大学で勉強するというより家から田舎から脱出することで大学に入るとなっていたのである
でもそれが功を奏した、私はわがままであり家から家族から故郷から離れる必要があったのだ

だから引きこもりというとき家から離れない、親から離れないということが問題なのである、経済的に独立しなくてもそうである
人間は一度家とか故郷ととかから離れる必要がある、それが精神的に成長させるのであるだから現代的にしろ引きこもりとかニートとかは家から離れない、家族からその土地から離れないということが精神的に自立しないことに通じている

とにかく20代は自分にとって一番苦しかった、別にカルト教団に入ったのは私には求道心があった、でもそこは宗教とは無関係なところだった
だからやめた、でも奇妙なのは自分自身は求めていたのは何なのか?
それはなぜ人間は死ぬのかということで宗教を求めていたのである
一切の世俗的野望などなかったのである

何であれ何を求めるかが人生では大事である

つまり求めなさいさらば与えられるだろうとなる、求めない限り与えられないのである
誰も水を求めている時、水を与えられる、でも何も求めないものは与えられない
だから宗教とか信仰を強制するのは間違えでる、求めないものに水を飲みたくないものに水を与えても無駄だかである
でも求める者は砂漠のような所で水がない所で乾き求めるものは水が与えられる
まずその求めることこそが信仰なのである
ただもしその求めるものがこの世の欲だとしたら求めること自体が間違っている
だからカルト教団ではその求めるものが現世利益しかない、神社に求めるものは自分の個人的欲望を満たすことを祈る、それでいくばくかの賽銭をなげる
第一そんなことで神様がその願いを聞くことがあるのかとなる

要するに求めないものに何を言っても無駄である、求めるものは求めるものを得る
誰に教えられなくてもそうである、だから聖書も読んでいない、教会に一回も行かない自分でもキリスト信者になったというのもそうである
とにかく自分の場合は何か20代で波乱でありそうなったのである
それこは本を読んだとかではない、求めていてそれが人との出会いとか実人生の中でそうなったのである
ふりかえるとだから不思議なのである、師がいたとしてもそれも偶像化した、その偶像を否定した時神を知ったともなる

どうして神が人間に現れたのか?

それは神とは何かというとき妬む神として現れたのである

これも不思議なのだけど聖書を読めばかわる、それは偶像崇拝との戦いだったからである人間は必ず偶像を拝む、それも人間が一番偶像になりやすいのである
だから真実唯一の神が人間を見て何を拝んでいるんだ、そんな偶像は神ではないとして
妬み現れたのである
それが宗教のはじまりだったのである、それはユダヤ人に聖書に記された歴史だったとなる

そもそもなぜモーゼがエジプトを脱出せねばならなかったのか?

それはエジプトが偶像崇拝の国だったからである、あらゆるものが人間でも神像化していた、それで神はモーゼに命じて脱出させたのである
だから宗教の最大の問題は偶像崇拝だったのである、それはイスラム教でも同じだった
一神教なのである
神は見えない神であり見える神は偶像になるのである

いづれにしろどんな人生であれ計画しても計算してもその通りにならない、みんな思わぬ結果として意外に終わる
歴史を見ればわかる、なぜ戦争であれそれは全く思わぬこととして起こり世界で何千万も日本でも三百万人も死んだ、それもその当時の人は予期せぬこととして起こった
赤紙一枚きて戦場に連れ去られてしまったのである
そういう急激な運命の変化に見舞われたのである
有能な才能ある人も若くしてあえなく戦場の露と消えたのである
残酷な運命の下に生まれてそうなったのである

人間の計画は計算は無駄になる、こつこつと金をためてもそれもあえなく消えたとかにもなる、何もしないのに遺産が転がり込んだとかにもなる
何か計画して計算してもその通りにならない、無駄なのである
コロナウィルスでも誰も予測した人などいないからである
だから人生には歴史には予測し得ないことが起きるのである
それが何なのかどうなるのかわからないのである
津浪や原発事故でもそうである、故郷に住めなくなると誰が思ったか?
いくら危険でもそんなこと起こりえないと思っていたのである
だから長い人生の間では必ず予測し得ないことが起きる
だから計画して計算しても無駄だともなる
それだからといって無駄に金を使いということではない、金自体もいくら計画して計算してもその通りにならない

現実に私の家族は金をため込んでいたが認知症になり銀行から金を下せなくなった
この時ほど驚いたこともない、つまりこれまで金を唯一の頼りとしてため込んでいたものを自分自身で下せなくなったのである、これほどのショックはない
金をに頼っていてもこんなふうにもなってしまうのである
いくら金に頼んでもそれもこんなことになったら何にもならない
自分の金を自分で使えなくなったからである

ともかく予期せぬことが起きて来る、でもそれに備えることはできない、別に金をためてもいいけどそれも認知症になったりしたら何の役にもたたないともなる
何か一生安泰したものもない、会社だって今のように変わると安心ではない
でも婚活では女性はひたすら安定、安心、安全を求めているという
そんなことありえないというのが現実である
みんな有為転変なのである、だから若き時神を知れというのはこうした有為転変の人生に備えるためだったともなる、永遠の命があることを知れば安心だとなるからだ
別に死んでも人間は死なないとなれば畏れることはないとなるからだ
だから若い時に神を知れというのが大事になる
若い時が過ぎるとその機会を失うからである

ただ人間は30過ぎるともう終わったとかにもなる、なぜなら40でおっさんだとかなり白髪も生えてくる、それで氷河期世代の人があせるのもわかる
それだけ時間が過ぎるのが早いからである、夢のようにたちまち人生は過ぎて浦島太郎になっているのである
それは引きこもりでもニートでも30辺りになると一生そうなって終わる
自分自身がそうだった、竜宮城とかにいると外から言われたいたのも納得する
家族に養われて恵まれ過ぎていたらたちまち時間は過ぎて老人になっていたのである

そういう人は自分でもそうだったが親が何でもしてくれるから結婚もしたくない、なぜなら女性と付き合うにしてもいろいろ要求が多すぎるからだ、何してくれ何くれとしかないそして文句や愚痴が多い、でも親は何も言わず世話してくれたからその方がいいとなったのである、そこに大きな落とし穴があったとしても人間は楽だったら楽なままにしていたい、苦しむのは嫌なのである、苦しむのは仕方なくそうすするのでありあえて苦しむことを選ぶことはないのである

ただ結果として親の介護で四苦八苦してもう誰も助けてくれない、むしろ責められるだけだったとなる、苦しい時責められるのはさらに重圧となり苦しいのである
慰めの言葉も一つもなかった、一人苦しみ耐えているほかなかったのである



フラワーアレンジメント写真一枚


フラワーアレンジメント写真一枚  

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フラワーアレンジメントには壺がかなり関係している
あと背景とかも関係してくる
写真撮影の場所作りが必要になる
だから写真撮影は結構な手間なのである
だからこそ商売ともなっているのである
高級な写真は売れるからだ

このカーネーションとスーパーで買った安いものである
ただめずらしい花だから買った、同じようなものだと飽きるのである
ただこれだけで絵になる花だった

ただ失敗したのはカメラのレンズを一つなくした
何かこのレンズも二つもって使うだけでも手間なのである
だからなくしたともなる、前には落としたこともある

今回の写真でも壺が良く映っていない、この壺はただの青ではない、何かいい感じの壺だった、海の色なのだから他のとは違っていたので買ったのである

ここでは照明も関係している、蛍光灯で暗い感じになっている、写真では光りがかなり影響する


2020年10月18日

コロナウィルスは欧米系(インド)に増えた原因 (東南アジア、中国、日本は少ないー東西文明の転換期に起きた)


コロナウィルスは欧米系(インド)に増えた原因

(東南アジア、中国、日本は少ないー東西文明の転換期に起きた) 

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人口100万人当たりのCOVID-19による死者数(5月17日の段階)はスペイン(591人)、イタリア(528人)、イギリス(511人)、フランス(431人)、アメリカ(275人)など欧米諸国で多いのに対し、台湾(0.3人)、タイ(0.8人)、韓国(5人)、日本(6人)などの東アジア地域では極端に少ない。

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コロナウィルスに東アジアがすでに抗体をもっていた (日本人のルーツとも関係していたコロナウィルス?)


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人種は大きくこの三つである、イスラム系はアーリアン人(白人)系がまじっている
ペルシャ人は古い民族である、アラブ人は新しい人種である
エジプト人は謎でありアフリカ人の黒人の血とヨ−ロッパ人の混血だとしている
 アジアでも縄文人は謎である、それは古い民族だからである



コロナウィルスを人種的にDNAから分析した結果としてなぜ欧米に多いのか?
それをネアンダール人からホモサピエンスとかまでさかのぼり分析する
欧米というとき白人が主でありそれはネアンデルタール人の子孫でありまたアーリア人の子孫だともなる

秋からにインドまでその血が確実に入っている、インド人は端正なヨ−ロッパ人的顔だちをしているからだ、濠が深いのである、インド、ヨ−ロッパ語族でもある
だからバングラデッシでも増えている

でも東南アジア系とか中国とか日本ではなぜこれほど少ないのかという疑問になる
その原因はやはり人種的DNAと関係しているのかとなる、何かそれが説得力がある
中国人と漢人とか比べた時実は縄文人が古いという説まである
人種的にはやはりアフリカ系の黒人とヨ−ロッパ系の白人とアジア人に分類されるのかもしれない、またこれは東西文明の交流と衰退とも関係している

今そういう時代の分かれ目になり東のアジアが興隆する先ぶれとしてコロナウィルスがあったのかとなる、中国がこれほど世界で大きくなることが考えれなかった
でも今や中国がアメリカと覇権を争うようになっている
それはとりもなおさず欧米が衰退する端境期に来ている現象なのかとなる
確かなことは大航海時代は西から東への拡大進出が起きてアジアでも南北アメリカでも
ヨ−ロッパ人が征服してきた時代だった

つまり文明とか世界史とかでもカルマとして起きて来る、カルマというときヨ−ロッパやアメリカの時代を終わりを告げているのかもしれない
西欧文明が世界化された時代が大航海時代からつづいたからだ
その時アフリカで黒人が奴隷にされた、アジアでは日本をのぞいてヨ−ロッパの植民地化された時代である
そしてアメリカによって日本に原爆が落とされた悲劇となった

つまりヨ−ロッパ人の文明が世界を席巻して服属した時代だとなる
文明論的に見ればそのヨ−ロッパ文明に対抗したのが唯一日本だったとなる
中国はヨ−ロッパ側についたのでありアジアでは特殊だったとなる
ただ歴史にカルマがあるというときヨ−ロッパやアメリカが衰退してゆくというときそれも世界史のカルマなのだともみる
アジアは欧米に痛めつけられたからである
ウィルスにしてもヨ−ロッパ人によって白人によってもたらされてアメリカのインディアンとか南米のメキシコのアステカ文明やインカ文明が滅ぼされたとしている
それだけこのウィルスは怖いものだったのである

すると今ヨ−ロッパがコロナウィルスで深刻なのは逆にそうしてカルマがめぐり復讐されているのかともみる
それはネアンダー人がウィルスで絶滅したという説にも通じる
すでに西の文明は衰退期になりコロナウィルスが欧米を襲う、そしてその衰退に拍車をかけるともみる、つまりヨ−ロッパの時代は終わりアメリカの時代も終わる
ただそこにコロナウィルスがウィルスが現れて加速させただけだともなる 

では次の世界を導く国はどこなのか?

それは中国になっている、中国を中心としたアジアだとなる、ここはコロナウィルスに強かったからである、逆にコロナウィルスには欧米系は白人は弱かったとなる
中国は問題でありその興隆はどうなるのかわからない、ただアジア人がコロナウィルスに強かったということは確かである
となるとコロナウィルスによって明暗が分かれる、インドを境としてアジアはコロナウィルスに強いから経済的にも衰退はまねがれて欧米をしのいでゆくともなる
つまりウィルスによってインディアンとか南米とかが弱体化して支配された
逆に今度はコロナウィルスによって欧米人が疲弊して衰退してゆくカルマなのかとなる

そもそもなぜ第二次世界大戦が起きたのか?

それは大航海時代からヨ−ロッパが世界を植民地化してヨ−ロッパでも覇権争いになり熾烈な戦争になった、そもそもヨ−ロッパ人が世界に侵略して植民地化したことが世界動乱の基になっていたのである
江戸時代までは別に中国とも韓国とも争っていない、友好的だったからである
ヨ−ロッパがアジアに入ってきたときアジアも動乱の時代になったからである
日本が悪の根源のように欧米では見るけどそれが一方的勝者の偏った見方なのである
今度は中国が覇権国になるとして敵対しているように欧米の覇権の継続としてそうなっている
でもその時代は終わりに近づいている、欧米の時代は終わりに近づいている

では次の時代は中国なのか?中華文明も復興なのか?
それは肯定できないにしろ文明の興隆が5百年単位で起こり東から西へ西から東の流れがあるという時、今がその始まりなのである
中国の興隆がまずそれを物語っている、ただ今の中国がアジアの盟主となるかどうかはわからない、むしろその周りを融合できない、インドでも東南アジアででも日本でも統合できない、中国には従わないということである

確かなことはコロナウィルスの結果として欧米が衰退してゆく、それに代わってさほどコロナウィルスの被害を受けなかった東南アジアから中国、韓国、日本が興隆する国になるのかとなる
文明論となるとどうしても短い期間では計れない、50年とかが単位になる、百年でもそうであり東西文明は500年単位で興隆衰退したという時でもその時間が長いのである
ただ交通の発達でそれが早められたのである
20年くらいで日本でも高度成長があり中国でもあったからだ
だから船で航海していたような時代とは違って時間は短縮される

いづれにしろこのコロナウィルスは一つの時代を画すものともなることの驚きである
ふりかえりコロナウィルスを契機にして世界がまるで変ってしまたっともなる
そんな影響力をもつことに驚くのである



posted by 老鶯 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

秋の朝の絹雲(巻雲)の写真一枚


秋の朝の絹雲(巻雲)の写真一枚

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陽のさして絹雲美し秋の朝


「絹雲」を「巻雲」に

気象庁4月1日から 40年以来23年ぶり変更

気象庁雨は九日、四月一日から、上層雲の中の「絹雲」の「絹」の字を「巻」の字に変更することを決めた。近く告示する。

絹雲が巻雲となった、何か絹雲の方が詩的であった、でも科学的になると詩的なだけでは誤解が生じたりする、それは地名でも起きていたのである
地名はそもそも地形とかに由来する無味乾燥なものであり詩的にすることは合わないのであ、だからやたら合併して美里などと町名とかにしたのは合わないのである
そこには歴史も感じられない、ただ美しい里ではその土地の特徴を何も現していないからだ

雲は日々変わっている、今日の絹雲は特に美しかったので写真をにとった
これは広角レンズがないととれない、雲や空は広角レンズないととれない

この雲が出ると天気が悪くなる、すでに午後から悪くなり曇って来た、明日は雨なのかともなる、これは間違えないのである

2020年10月17日

感染症と文明 (大都市には近づくな、東京には近づくな、離れろ)


感染症と文明

(大都市には近づくな、東京には近づくな、離れろ)


狩猟採集民は感染症の危険を十分にわかっていたから、大きな定住地には近寄らなかった都市文明を拒否したのは「未開」だからではなく、それが伝染病との接触を避ける最良の方法だったからだ。

今回のコロナウィルスでわかったことは東京のように密集している大都会は感染症に弱い人と人の接触をさけらさぱないからだ、感染症から見た世界史というのもありうることを知った、インディアンや南米のアステカとかインカ文明が滅ぼされたのも感染症が原因だったとされる、そんな簡単に滅ぼされと思えないからである
感染症はそれだけの影響力があったということである

ところが古代都市となると実際今の一千万都市とかと比べるば十万以下だと小さいなのである、それでも狩猟民とかが感染症を恐れて近づかなかったというのも謎である
おそらく都市文明があったとしてもその規模が小さいのだから回りにそれほど影響しない広い自然空間がありそんな都市とかかわらずに生きていけたとなる

まず人々が分散して生活していれば感染症は広がらない、地域の風土病としてとどまっていた、それが密集して生活する都市ができたとき広がりやすくなった
それは止めようがない、ヨ−ロッパのペストでもそうである
都市から蔓延して拡散してゆく、人々の行き来も中世でも活発化してということもある
やはり最大の問題は都市化であり密集化なのだろう
都市の規模が小さくても蔓延したということである

するとその規模が一千万倍とになっている現代都市は感染症を防ぎようがなくなる
どんなに医学が発達しても限界がある、人との交流が止められないからである
それ自体が文明の死に通じているからである
つまり感染症とともに都市も滅び国まで滅んでしまうともなる
そして古代のように狩猟民が生きていた広い自由な空間はもうないから逃れようがないとなる

大都市は自然災害でも感染症にも弱い、それは過剰に異常に人が密集しているからであるそれは直感的にもわかる、建物でも密集しているから地震になったら逃れる場所もない
自由な空間もないのである、そこで建物に押しつぶされる、何かそういうことは普通にイメージできる   
江戸でも大火事になったのは木造の家が密集していたからである、もう火事になったら消すこともできない、延焼を防ぐために家を壊すほかなかったのである
ではなぜ人間は世界的にこんなに異常な大都市が生まれたのだろうか?
わざわざそんな危険な場所を選んで住むようになったのだろうか?
それが定着農耕文明から起きてきた、これは人間家畜化する国家システムだと説明している、文明は人間を家畜化するシステムだったとなる、社畜とも今は言うからそうだともなる

ともかく大都会はまたソドム、ゴムラでもある、背徳の街である
大都会の歓楽街からコロナウィルスも広まった、福島県でも郡山市の歓楽街から広まったとも報道があった、すると感染症はなんらか道徳的なこととも関係しているのかとなる
都会とはそもそも道徳が退廃する場所である、農民とかのことを悪くみるがそういうことはないだろう、牧畜民でも遊牧民でも素朴であり道徳に頽廃することはないが都市民は必ず頽廃的になる、ローマでも末期は贅沢にふけり退廃したからどこも同じである

結局「大都市に近づくな」人と接触するな、デスタンスをとれ

コロナウィルス以後の教訓である、大都市はそれだけ危険である
だからこそ東京は一番危険である、でも東京なしでは生活が成り立たない
観光でもなんでもそうである、ただ東京からでも大都市から災いがもたらされる
原発だって東京電力が作ったからだ、大都市の住民が作ったからだ
そして福島の住民は故郷に住めなくなったのである

つまり大都会そのものが災いの都市なのである、ソドムでありゴムラなのである
だから逃れよとなる、そういう危機感をもつべきだが東京一極集中は簡単に解決しない
それが東京だけではない、地方も蝕んでゆくのである
その一つの例が原発事故だったのである、大いなる災いがもたらされたのである
大都会から災いの種が生れて来る、それは人が密集しているためなのである
都会から発生したカルト教団などでもそうである、そういうのも地方へ拡散して災いとなる、災いの種は大都会から生まれてくるのである    
だからそれも近づくなとなる

要するに原発事故でもそうだがコロナウィルスでも文明的災禍であり世界中がグロ−バル化して交わり密集しているから起きる
ただ原発事故は自然の生態系を壊したことが最大の罪だった、空気や水や土や森を汚染されたら人は住めなくなる、現実に住めなくなったのである
大都会だと東京のようになるとそういう生態系と切り離されているから感じないのである水や土や森とかとも切り離された人工空間で生活している
そのことにくいて危機感を感じないのである
でも水源のダムの水とかも放射性物質に汚染されたことがあり飲めなくなることもありえたのである

ともかく大都市化というのは日本がだけではない、世界の問題である、その警告としてコロナウィルスが生まれたのかとなる
最初にニューヨ−クが大被害になったのもそうである
日本がでは東京である、そこから止めようがなく拡散されるのである
古代なら近づかないということができた、でも今は交通がこれだけ発達して交流しているから不可能なのである、だから地方でも東京と運命をともにするとまでなっている
例えば江戸時代の村なら村ごとに自給自足で生きていた、だから一つの村が成り立たなくても別に関係なく存在できたのである
でも地方でも今は密接に東京と結びついてるから近づくなといっても向こうから近づいている、それを止めることはできないのである、その経済規模でも大きすぎるからである
結局現代の文明は大都市文明であり地方でもそれと運命をともにするともなる


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2020年10月16日

陸前浜街道(原町宿)の秋の俳句


陸前浜街道(原町宿)の秋の俳句

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原町の道の駅
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公園

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原町宿の街道


秋に来る庭に鶯籠るかな  

小蝶遊ぶ紫式部に猫のいる

(原町の道の駅)

秋日さす芝生に石の三つかな

公園のベンチ一つや秋の暮

(原町宿)

街道の松に朝顔原町宿

原町宿二本の松や秋の暮


秋日さす街道行くや次の宿

街道の実りに松や宿場かな

街道に夕暮れせまる虫の声

街道に馬頭観世音秋の暮  


今日は家にいたら庭に鶯がきた、これもめずらしい、冬鶯という季語がある、笹鳴きする鶯である、これはちょっと難しい季語である
ただ春だと鳴くことで鶯を知る、その姿より鳴き声で春を感じる
秋とか冬は鳴かない、するとその姿を見て鶯としる
「冬鶯むかし王維が垣根かな 蕪村」この句は王様の権力の残した物は大きな城とかであるが詩人の残したものはわずかな垣根だたという意味かもしれない、それを蕪村が偲んだとなる
蕪村の俳句は鑑賞がむずかしい面がある

紫式部の俳句は全く写生だった、そこに何一つ付け加えるものがない、見たものそのものである、ここに何か付け加える余計なものとなり悪い俳句となってしまう
小蝶がいる、紫式部に猫がいるというだけで一つの絵になっているのだ

原町の道の駅の前は芝生にして休む場所も作ったから前より良くなった
あそこに良くよる、隣の公園の木はいい木である、そこに一つのベンチがある
そこに座り小高の人だったか話ししたことがある
何かベンチ一つでも老人とかなると愛着がでてくるのである
ここで良く座ったなとなりそのベンチがただの物ではない、人間的なものになっている
だからベンチの絵を良くみかけるのもそのためである

このベンチ誰かかが座り我が座る木のかたわらや秋深むかも

こんなふうになる、人間はここにいたんだなとなるだけで意味を帯びて来る
それはもういついなくなってもいいようになるからである
つまりいつまでもこの世にこの場にいられるわけではないからだ
本当にこの心境は老人にならないとわからない、いつまでも生きているように思えるが
実際はつかの間にこの世にいるだけだったとなるのだ

原町宿は大きな宿場町だった、それは絵に残されている、こんな大きな宿場町だったのかと驚く、だからこそ原町市に発展したともなる      
ただ今その名残を知ることはむずかしい、ただ松がありそれがふさわしい、でもそれは江戸時代からあったものではない、それでも街道にはふさわしい、朝顔が咲いていたのでまた松と合っていた 

浜街道でも原町宿があり次に浪江の高野宿があった、それから双葉町の長塚宿があり新山宿があった、小高には宿はなかった
何か旅する時はどこでも街道を行くと違ったものになる
でも他になると街道自体が車洪水でわからなくなる、浜街道は地元だからたどることができる、残念のは依然として自転車では双葉町から交通止めになっていけない、もう十年にもなるのに解除されていないのである

まず旅したか感じになるには車ではだめである、早すぎるからだ、本当は歩けば昔の街道を旅した疑似体験をできる、自転車でも通り過ぎることがある、でも歩く旅を私はしたことがないのである
でも夕暮れがせまり虫の声を聴くと心細くなってきた、早く宿に泊まりたいとなる
そういう感覚が旅なのである、「くたびれて宿借るころや藤の花 芭蕉」である
疲れたなもう宿に着くころだな、虫の鳴く声が夕暮れに聞こえる、早く宿で休みたいとなる、まずこうした感覚は現代ではなくなっているのだ、車で通りすぎたり飛ばしてゆくだけだからである

いづれにしろ秋の浜街道は行くのはいい、やはり歴史のある道は違うのである
だからこそ歴史の道である、六号線と全然違ったものなのである
でもその道が依然として原発事故以後途切れてしまっているのが残念なのである

足の方がなんとか直ったから今回も遠出した、秋はやはり運動するにはいい、夏から秋でも残暑とかなると今は陽ざしが強い、それで紫外線が危険なのである
今なら運動するにはいい、あまり疲れないからである
ただ歩いて足を悪くした原因はよくわからない、自転車で行ってたらならなかったと思う私は歩くことはほとんどししていないかったからだ、それで答えたのである








時代の雰囲気の変化ー中世時代(引きこもり)となるのか? (明治から戦争の終わりから高度成長時代へ


時代の雰囲気の変化ー中世時代(引きこもり)となるのか?

(明治から戦争の終わりから高度成長時代へ)

時代をふりかえると明治時代は開国であり国威高揚の時代だった
それは戦争終るまでそうだった、日本がアジアの盟主となる時代だったのだからかえってグロ−バル化した今より外へ向かって目が向いていた
だから鎖国から一気にそういうふうに開国してアジアの盟主としての気概をもった
それは中国であれアジアが主にヨ−ロッパの植民地になっていたからである
日本がだが唯一ヨ−ロッパの植民地にならなかったからである
そして太平洋戦争でもヨ−ロッパ列強には勝ちヨ−ロッパはアジアから駆逐されたのである
そういう時代雰囲気の中にあった、だから日本の存在感はアジアでも世界でも大きくなっていたのだ、第一アメリカ自体も日本を恐れたということで必死になり原爆まで落としてその覇権国になることを阻止したことでもわかる

何か時代の雰囲気というのはわかりにくい、それで10年間くらいの年齢差があると世代ギャップが生まれる、それで年号が世代を分ける、明治時代となると日本が世界にその力を示した輝かしい時代に見える、なぜなら明治に大学でもそうだがあらゆる分野の創始者になった人が多いからだ、それだけ新しい日本の基を作った時代だとなる

それだけの人物がなぜ生れえたのか?

それも明治維新の一つの謎である、それは明治維新が実は庶民が成したものではなく侍が成したものであったからだ、それも下級武士中心に成したものだったからだ
つまり江戸時代三百年の蓄積がありそれが人物を作っていた、そうでなければ対処できなかったろう、植民地化されるのは必然だったからである
軍事力とか技術力の差が大きかった、それなのに植民地化されなかったのである

侍というのはおそらく今の教育とは全然違ったものとして教育された、教育というより日々の生活と共同体の中で身についたものであり知識だけではない全人教育がなされていたのである、そうでなければあれだけの人物が明治に生まれるはずがないとなる
だから明治時代の雰囲気は庶民は別にしてエリートは大きな志をもって生きていた
それは欧米列強に伍するために必死になっていたのである
勉強するにもそういう大きな目的がありそのために国家のために尽くすという志があり今のようにただ自己中心の利のためのものではなかった
大学は真のエリートだったけどその志は高く今の大学とはまるで違っていた
それが旧制高校の校歌に残っている
今はただ自己の利を追及することしかない、公とか国家となどないのである

ただ日本の歴史をふりかえると奈良時代は中国の唐に遣唐使を派遣して文化を取り入れる国際化時代でありその後平安時代になり漢字だけではないかなを発明して国風文化になった、漢字が入った時は漢語が優先され知識人は漢詩を作ることが優先された
でもかなを発明したのは女性だったのである
その後は鎌倉時代となるがこれも五山文化のように禅宗とかを中国から入れた、国際的なところがあった
それから安土桃山時代となり信長がキリスト教を入れた、鉄砲なども日本に普及したことなど新しい時代が生まれた、その後はまた江戸時代になり国風文化時代になったのである

日本歴史には何かこういうサイクルがある、外国との交流があり文化を取り入れ変化する革新する時代となりその後に平安時代や江戸時代のように内にこもり国風文化の時代になる
それは世界史でもそうなのかもしれない、ローマ帝国は外へ外へと拡大する時代でありそのために「すべての道はローマに通ず」となった時代である
水道も整備されたりインフラが整備されてローマ帝国は拡大した
しかしその後は中世時代になり内にこもる閉鎖的時代となった、それも長かった
でもやがて大航海時代なとりヨ−ロッパは拡大して世界の国々を植民地化して発展してヨ−ロッパ中心の世界が作られてそれはアメリカに受け継がれたのである

そして今はどういう時代になるのか?それは世界的視野と日本国内の視野でみる必要がある
日本が高度成長時代はジャパンアズナンバーワンと言われ目覚ましい発展を遂げたのである、戦後の焼野原からそこまで急速になったことに世界が驚嘆した、それは中国ともにている、その存在感は大きなものとなっていた、それでアメリカが脅威を感じて叩くことになったのである
それからバブルとなり失われた30年となってしまった、何か全体に低迷したままなのである

それはまた明治維新から70年で戦争に負けてそれから高度成長があり70年過ぎた
その時代の変化が起きている、要するに時代の変化や雰囲気が変わる、何かコロナウィルスでもグロ−バル化が止められたことには驚いた、グロ−バル化はもう限界に来ていたのである、だからコロナウィルスが一つの時代を変えたともなる
つまりこれからの時代は奈良時代から平安時代への移行であり安土桃山時代から江戸時代の移行への時代とにている
何か内にこもる時代になる、それはヨ−ロッパだと中世時代にもなる
そのことは良く言われた、時代雰囲気としてそうなってゆく
経済発展が一段落して限界にきて精神的なものに向かうサイクルである

これからの時代は内面的なものもとか観想的世界とか哲学とか宗教の時代になる
宗教というときカルト団体だがこれは宗教とは全く違う現世利益追求だから哲学とか内面とかはまるで逆行の世界である、ただひたすら御利益を求める物質を求めるだけである
だから高度成長時代に会員が異常に増大したのは経済的利益を与えることができたからである、それが時代にあっていたのである
だから本来の宗教とかとは全然違ったのものである

つまり現代はヨ−ロッパだとローマ帝国から中世時代への移行であり日本だと奈良時代から国際化時代から平安時代の国風文化時代への移行であり安土桃山時代から江時代の移行なのである
だからかえって江戸時代に学ぶという日本回帰が起きて来る
日本はひたすら欧米化して日本の原点になるものを見失ったからである
日本がの良さを見失ったからである、明治維新でも侍がいて成功したのでありその侍は江戸時代に作られたものだったからだ

国風文化の時代というとき
「朝がほや一輪深き淵のいろ 蕪村」一輪深き朝顔の色を見る、深くその色を見る
色は多様である、色は文化でもある、様々な色を探求する時代になる
様々な色の味わいがある、それが文化なのである
内面的な時代になる、観想的な時代になる
ひきこもりがこれほど多いということは時代なのかもしれない、なぜなら団塊の世代は
すべて企業戦士となっていた、日本兵士が国家のために死んだ、企業戦士は会社のために死ぬほど忠誠して働いたとなるから似ている
でも今や日本経済が衰退するとそういう時代雰囲気ではない、会社への忠誠心も衰える
その抵抗として引きこもりが生まれたのかもしれない
実は自分自身は特殊として団塊の世代では企業戦士にならず引きこもりになっていたのである、それも30年間となれば長いとなる
その間に自然との一体感を詩で追求してきたのである
だから大半の同世代とは違った道を歩んだとなり特殊だったとなる

でもコロナウィルスとかにより何か不思議なのは時代に適応したものとなる
私はワープロ時代からたまたますでに通信の世界に入り込んでいた
別に理系でもないし何かわからないままにそんな世界に入り込んでいた
それができたのは引きこもりだったからである、外界と接することがなかった
通信の世界が外界へ通じる道だったからである
それは異常なことだったが何か今になると時代に適したものになっいる
変なのは世界が引きこもりの時代、リセッションの時代になってしまったことである
時代の雰囲気としてそうなったということである



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2020年10月15日

藍深き朝顔一輪 (俳句は限界ー短歌は表現の幅がまだある)


 藍深き朝顔一輪 (俳句は限界ー短歌は表現の幅がまだある)
                        
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今日は曇って来た

                      
石三つ秋の陽さして道の駅


藍深き朝顔一輪心しむこの道の辺に行く人もなく

藍深き朝顔一輪この道に見る人もなく我が見て帰る

藍深き朝顔一輪ここに咲き虫の音幽か我が聴き帰る
                       
花知るやこの道来たる我をしもまた来たらむと咲きて待つかな




朝顔の一輪深き淵の色 蕪村

これが有名な句なのだけどこれだけでは物足りない、そもそも俳句は短すぎるから何か一つのジャンルとして成り立たなくてっている
それで短歌の方に可能性がある、それだけ依然として表現の幅があるからだ
とても俳句では表現できなくなっている

露もありつ かへすがへすも 思しりて ひとりぞみ(見)つる あさがほのはな
     (西行(1118-1190)『山家集』)   
     
この短歌と比べてみればわかる、何か自分の短歌と共通したものがある 

かへすがへすも 思しりて ひとりぞみ(見)つる あさがほのはな  

つまりつくづくあさがおの花を一人みたということである
ただこの朝顔が藍色のものかどうかわからない、でもこの短歌の方が短歌だけで一つの完結した世界を表現している、俳句はそれがうまくいかない、だから限界なのかともみる
写生俳句は確かに一つの規範を示したものであり今でも通用している
でも短すぎるということで限界になった

すると日本文学では詩の分野では短歌は残るが俳句はは消滅してゆくかもしれない
ただそうはいっても誰か天才的な人が新しい俳句を作れば別である
正直子規は確かに写生俳句という革新をしたが明治時代にしろその後に芭蕉、蕪村、一茶とかの俳句の三傑を生んでいないのである
俳句も大衆化して月並みになったということである  

ともかくいつも行く近くの道である、そこにも季節の変化がある
これが車だと何か道の辺の花にも感じないなのである
やはり車は非人間的になる、道の辺の花に目をとめるということがないからだ
見慣れて何もないようでも朝顔の一輪深き淵の色のように深い色を見る、それが心に残るそもそも色は不思議である、色は神秘的なのである
青があったとしてもそのバリエーションはいろいろあるからだ、同じ青はない

この朝顔というとき自分の母親の色だった、地味だし寡黙だからこの青にあっていた
私の母親はもし短歌を書く訓練をする余裕があったら短歌を作っていたかもしれない
ただ貧乏で働き詰めでそれができなかったのである
何かこうした文化的なものは余裕がないとできない
私は別に才能はないけど自然を見てきたから自ずと身についたものがあったとはなる
自然を知るには時間がかかるのである
他の物にいろいろいまどわされるとまた自然の奥深さを知ることはむずかしい
何か修行や訓練が必要になる、その点問題はあったが引きこもりは観想的生活には向いていた、自分自身はもともとそういう性格であり向いていたのである

今回は原町の道の駅で二週間ぶりに行った、足が悪くなり動けなくなったのは辛かった
完全ではないにしろ直った、やはり一人だと病気になったりしたら補佐するものがいないから辛いとなる



abstract mountain


abstract mountain

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an unknown mountain in the distance


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summer river


2020年10月14日

菅首相の学歴嫌いはなぜ? (その生い立ちが語るー学歴は人間の劣等感の一つにすぎない)


菅首相の学歴嫌いはなぜ?

(その生い立ちが語るー学歴は人間の劣等感の一つにすぎない)

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人間で何らかコンプレックスを持っていない人はいない、これから逃れようがない
コンプレックスを持たない人は神でしかありえない、神のみが全能だからである
それ以外優秀な人がいてもたとえ天才がいても一部で優秀にとどまる

つまり人間は何かかがみんな欠けている、コンプレックスをもっている!

こういうことから必ず劣等感をもつのである、別に知的なことだけではない、体力だって優れた人がいるし何か自分のように貧弱も者がいて劣等感をもつ
人間はあることに優れていてもあることには優れていない、あらゆることに優れた人はいないのである
私は数学が苦手だから理系の人は理系の人は優れていると思う、文系だと東大卒でもたいして変わりないと見てしまう、一応文系だと理解できるからそうなる
理系になると最低クラスでも理解できないからである

ただこの劣等感が笑ってすまされないのはなぜなのか?
ここに人間の本質的なものを形成するものがあるからだ
そこから妬みとか憎悪が生れてくる、どうしてあいつは優秀で俺は無能だとなり不満となる、そこで劣等感にうちひしがれる
第一自分達の時代は団塊の世代は絶えず競争だった、点数で差別されスポーツだと競争で順位を争う、何するにも競争であり負ければ劣等感を持つようになる
もしこうした競争が学校になければ劣等感はもたないのである
だから最近では運動会でも順位を争う競争はしないとかなる
それも問題だがまず学校で劣等感をつけられるのが問題なのである

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福島高校2020年度合格者

別に法政大学より下もいる、だからそういう人達を下等とみるのも傲慢だとなる
自分もそのレベルである

菅首相が法政大学だとなるとやはり学歴としては別に普通であり阿部首相の成蹊大学よりもいいともなる、だから劣等感をもつ必要もない、ではなぜそんなことが語られるのだろうか?
何か福島高校の人がいた、その人が言うには法政大学出は同級生に相手にされないという差別されるという、なぜなら福島高校となる東北大学の合格率が高い、2020年でも35名いる、その数はいかに多いか、近くの原町高校とか相馬高校でも一人もいないということがある、最近は一人もいないことがつづいている
それでその法政大学の人がそんな下等大学の人間は相手にしないと言われるんだという
それだけ優秀な集団になるとそうなってしまうのだろうか?
でも調べると東北学院とかでもいるからそれなりにさらに下のクラスもいたということである
ただそういうふうに学歴で学校で差別されるていること自体おかしいと思う

もちろん自分自身もそれ以下だともなる、自分の場合は学校になじめないということがあった、それから蓄膿症とか高校の時二回も手術していてそれが脳に影響して頭が回らなくなったとかまた性格的に内気だったとかわがままだったか学校になじめないということの方が大きかった、不登校にもなっていたのである
一面こうした上位の大学に入れるとなるとそれなりの人格とか知性をもっているともなる
要するには学歴だけではない、人間の劣等感が学歴差別をもたらしている

人間の能力は種々多様である、体力も能力である、コミニケーションをできる人は能力である、そういう人は営業で能力を発揮する、学歴がすべてではない
学歴差別とか学歴にこだわるのはみんな劣等感をもっているからである
菅首相でもそうである、その劣等感が意外と怖いものなのである

なぜならヒットラーは画家になりたかった、それなりの才能はあったが実らず政治家になったのである、そして抽象画は絵ではないと禁止したという、芸術家とかも弾圧したのは自分自身が画家になれない恨みからきているともなる
そういうことで菅首相も学歴を嫌い学歴社会を壊すとか言われるのもそうである
それは極端にしろ劣等感をもてばそういうふうにもなる
二世議員とか嫌うのもそういう既得権者を嫌うのとにている

そして怖いのはそういう個人的怨念が蓄積されて実行されることである
そういう人が頂点に立ち権力をもったときその恨みを果たすようになる
池田大作も劣等感の塊りだった、だから大学を出ていないということに劣等感をもって
異常に大学卒業の学歴にこだわっていたのである
それで富士短期大学を出たとかしてそれで大学を出たとしていたのである
別にそんなことにこだわる必要もなかった、そのこと自体宗教とかには無縁の人だったのである、日蓮自体名聞名利を捨てろしているからだ
それからオームの浅原なども目が見えないとか劣等感をもち有名な理系の大学出の人を指導する立場になってその劣等感を克服しようとした
だからこそこの劣等感を人間にとって恐ろしいものなのである

つまりこういう人達が権力をもったときどうなるのか?

社会に向かって牙をむき復讐する、一人の独裁者になったとき権力でそれがでるから怖いのである、ただ政治は権力闘争なのだからそもそもそもそも権謀術数の世界ともなる
それで菅首相の愛読書がマキャベリの君主論だというのもわかる
池田大作の愛読書が三国志であるのとにている、権力者だから権力をいかに操作するかの手引書だからである、宗教はそんな権力とかかわらない、世間からの権力からの離脱が宗教なのである

要するに別に学歴だけではない、この世自体が様々なことで劣等感をもたされる
それから逃れようがないのである
なぜこれほどの熾烈な争いが権力をめぐって殺戮がくりかえされているのか?
それは人間の劣等感に由来している
それは政治家だけではない、事業を起こした人は失敗しても俺は優秀で成功したとして装う、実際は多額の借金で苦しんでいてもそうなのである
最後に私の姉は認知症になり「俺は優秀だった」と言って死んだのも悲惨だった
そこまで優秀なことにこだわっていたのである
それが人間の実体だったのである、認知症になっても人間のプライドは消えないからであるだからその人のしてきたことをほめたりすると喜ぶのである、社長だったと人を社長と呼んでやると喜ぶのである、つまりプライドは消えないからである
そのプライドとは人生を生きたということのプライドなのである、だからその子供は無視できない、なぜならそうして家族を養い家を作ってきたからである

いづれにしろ学歴が問題のすべてではない

問題の根幹は人間の劣等感である!

これを見ない限りわからない、学歴とはその一つとして一般化しているからわかりやすいだけなのである
つまり人間から劣等感を取り除くことは絶望的である、医者は優秀でもまた必ず他の優れた医者に対して劣等感をもつ、それはあらゆる分野でそうである
そういう競争がどこでもあるからだ

そして人間の本質として劣等感を消せないことが社会を歪める、なんとか俺は偉くなりたい優秀な所を見せたいとしてしのぎをけずっている、それが具体的になる権力争いになるのだ
そもそもどうして国同士が争うのか、戦争になるのか、アメリカは絶対に世界で一番ということに固執する、アメリカより上に立とうとすると叩く
それで日本も戦争で叩きのめされた、次に中国が台頭すると許さない、そういう国なのである、習近平よりトランプ大統領が上であり従いとなる
上か下かを明確にしたいのである
キリストのように上に立つ者は下になりなさいとか弟子の足を洗うようなことはないのである上に立つか下にさせるか、勝つか負けるしかないのである

要するに人間社会が絶望的なのはいくら理想社会を説いても共産主義でもかえって熾烈な権力争いとなり格差社会となる、それは人間そのものの本質として劣等感とかが影響してそうなっている、俺が上だ、お前は下だという序列を作るのもそのためである
そういう人間の本質が変わらない限りいくら理想社会を説いても無駄である
そして結局同じ結果になっている
だから学歴社会はその指標となりやすいだけであり本質は人間の劣等感が払しょくできないのことなのである
社会に出れば学歴より仕事ができるかできないかであり人間の価値を決めるのは学歴ではない、第一死んだ時学歴など見ないだろう
どういう功績があったことに学歴など見ない、学歴はその人の功績にならいからである

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2020年10月13日

田舎では格差が眼に見えて大きくなる (田舎の有力者は住み安い-田舎は監視社会)


田舎では格差が眼に見えて大きくなる

(田舎の有力者は住み安い-田舎は監視社会)

その人は歯医者だけど今日見たらキャンピング―カーがあった、新しいものである
それはその本人のものかわからなかった、でも何回も見ればそうらしい
新車でそれなりに大きいから一千万近くかもしれない、第一私の町でキャンピングカーを持っている人を見たことがない、たいがい駐車しているのをみればわかるからだ
だから車は目立つからそれであそこではいい車をもっているとかみる
それは車を持っている人ならわかるのである
一時何かこの辺は原発補償金が入りレクサスとか買ったとか常に噂されたのである

その家のことは自分の家で店をしたときから知っている、店で関係していたからである
でも医者の家とかではない、金持ちでもない、でも歯医者になり今は立派な家に住んでいるから成功者だとなる、評判もいいらしいとなる
これは別にもともと何の後ろ盾もなかったが息子が頭が良かったからだとなる
ただその資金についてはわからない、借金だったのかどうかわからない
でもそうであってもすでに返しているのだろう

田舎ではかえって格差が大きく目立って現れる
こうしていい息子をもてばいいが障害者の子ども持っている人もそれなりの人数としてどこでもいるのだ、その差が大きすぎるのである
一方は日雇い労働者となり非正規だとかにもなる、コンビニで働いている中年はそうだろう
都会と違って田舎だと金持ちでも貧乏人でも目立つのである
それは目に見えるからである、都会だとあれだけ密集して住んでいればわからなくなる
その人が贅沢をしていてもどこに住んでいるかもわからないし目に見えないからである

だから田舎の方が格差が現れやすい、第一家を見る、家からその家を判断できる
まず田舎で市営住宅に住んでいる人たちは最低限クラスである
生活保護者も多いだろう、その市営住宅も50年以上過ぎて老朽化しているから最低クラスだとなる、でも家賃など5000円とかもあり三つくらい部屋があるから一人なら都会より恵まれているとなる
田舎は住居費は安いのである、収入が少なければそうでないとやっていけない

ともかく田舎の方がこうして格差が目立って現れやすいから外面を気にする
それで親戚も医者だとかなり自分自身も事業で成功した人として認めてもらいたいと必死になり嘘をついたり隠したりしていた
そういう人は必死なのである、田舎で失敗者となるとみじめである
それも都会だと周りにわからないことがあるが田舎だと隠すことができない、いくら隠していてもわかってしまう、知っている人の工場は倒産して更地になったりする

ただ正直人間の浮き沈みが常にありいつまでも栄えているものもない
時代によって浮き沈みがあるからだ、ただ事業に向く人と向かない人もいる
不思議なのは自分の母方の実家の父親は警察署長だったけど機織り工場の経営で失敗した次に私の父親は双葉の新山で酒造り屋に勤めていたが倒産した
また父方の親戚も工場が倒産して今は更地となった
次にやはり父方になるのか会社を経営して事業に失敗した、そのことで自分もひどいめにあった
だからこれだけ事業に失すずる人がいるということなのか?それは普通のことなのか?
実際に事業で成功している人は20人一人だというのもそういうことなのか?

ただ歯医者とか医者とかは成功しやすい、事業としてはそうである、それもこれまではでありこれからはわからない、歯医者も増えすぎたからである、すると過当競争になるからだ、ただ別に腕がいい医者には人が来ることは確かである
でも田舎はなにかとこうして格差がかえって目立つから下の方になると住みにくい
どんな家に住んでいるからわかるし隠しようがないからである
都会だったらどんな家に住んでいるからわからないとかなる、格差が見えないのである

田舎だとこうして差別化されやすい、田舎で暮らしやすいのは田舎で地位とか財産とか何か既得権をもっているとかなると暮らし安い、そういう場に雇われる人だったりするとさらにその地位はゆるぎないものとなる
つまり殿様のようにもなるのである、そういう人は田舎でぱ威張っていられるから住みやすいのである、田舎でぱ誰でも一目置くからである
警察だってそうした田舎の有力者には手を出せないとか犯罪すら隠すこともできるとかなる、田舎だと警察すら土地の有力者のご機嫌をうかがわないと仕事ともできないとなる

開業医とかも土地の顔役になったりするから住みやすい、第一田舎だと医者を選べない、少ないから選べない、都会だったらいくらでも選べる、ただ歯医者は隣の市でもあり多いから不便とはならない、他の病気はそうはならないのである
耳鼻咽喉科は南相馬市では一軒しかないしむずかしい病気はこの辺では診れないということもあるからだ
そうなるとお医者様に何かたてつくことはできないのである、診てもらえないということが診療拒否されることが現実にあるからだ、都会だったら別な医者がいくらでもあり優秀な医者を選べばいいだけである、田舎ではそうはいかないから不利なのである

また田舎では平等性も求めてくる、だからよそ者で金があるとしたら分けてくれとか図々しく要求される、それはこの土地の仲間になるにはそれが当然だとなるからだ
もともと住んでいる人なら違う、ある人が金をもち豊かに暮らすとなればうらやましいとなるからだ、たた土地の有力者がそういうことはない、それはその土地で認めているからだともなる、公認されているからだともなる、そうなると田舎でぱ住みやすいとなる
別にその人は贅沢してもかまわないとなるからだ
ただ周囲の眼が常にあるのが田舎である、だから田舎は常に監視された社会だとなる

とにかくあいつはいい家に住んでいるなとかいい車に乗っているとか話題になる
それは隠しようがないからだ、その目から逃れることはできないのである
スーパーでさえどなものを買っているのか籠の中までみている
高いものを買っているなと女性はこまかいから見ている、それで相馬市の女性は原発避難者が高いものを買っているとスーパーで見て不満を言っていたのである
だから田舎では見てないようでも見ているのである、監視されているのである
こうなると息詰まるようになり嫌になる、だから必ずしも自分は故郷とか田舎は嫌な面があった、ただまた反面田舎の静寂と自然に没入するに性格的に向いていたので詩を書いていたのである 

どこにでもいい面と悪い面がどこにでもありこれはどうにもならない、田舎の人間が素朴だと人がいいとかは今はないのである、むしろ人間の悪質が眼に見えて露骨に現れやすい場でもあるそれで私が常に言っているのは「神のその暮らしを隠した」ということが実は桃源郷だったのである、そこに人も自然の中に隠されて見えない人の顔も見えない、それが理想的な状態だったのである、人間の顔が現れる時、そこに醜いものが隠しようがなく現れるからである   
もしかしたら人間は蛇なのかもしれない、藪とか草叢に隠れていればいいが姿が現すときもっとも嫌悪するものだからである
そこまで言うのもなんだが自然の中に隠されていればそれが見えないからである 
ただ別に田畑で働く人間はどういう人かわからない、それが醜いとはならない、自然と調和して労働しているから一つの絵なのである

故郷の片隅生きる我なりき虫鳴き幽かここにとどまる



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2020年10月12日

近くで草刈機が盗まれた (治安は身近でも悪化している)


近くで草刈機が盗まれた

(治安は身近でも悪化している)


「昨日の深夜、近くのコンビニが強盗に襲われたんだ。この前は裏の家に空き巣が入ったばかりだよ。最近、治安が悪化しているんじゃないか」

よくなったと思う         8.1%

どちらかといえばよくなったと思う 27.4%

どちらかといえば悪くなったと思う 48.6%

悪くなったと思う         12.2%

わからない            3.6%

この治安を語る時、自分自身の家が象徴ししていた、それを自分のプログで書いてきた
自分の家で自分自身が病気になり緊急入院になりたまたまいたいたお手伝いさんとかに
家探しされて大金を盗まれた、ただ今になるとこれはその時の事情があり何も言わない
でも田舎でもそういう盗む行為は日常的にある
それは貧乏になるとそうなるのである、だから家の中に入れるとか人を雇うことは本当に大変になる、信用することが簡単にできない時代だかである

私の家自体が犯罪者にねらわれた家だったのである
なぜなら金庫も明けられていた、番号をあわせるのだから簡単に開かないとしても今はプロになれば開けられるのである、でも中味は何も入っていなかった
それは外から来た人である
このように家族が病気に自分自身が病気になり介護になり混乱したら犯罪者が襲いかかってきたともなる、また犯罪者でもなくても借金していると金に追い詰められた人間が襲いかかってきたとなる
そういう人間は追い詰められているから余裕がないから人を助けるどころではなかった
だからさんざんな目にあったのが自分だった
その時からもう日本は田舎でも治安は相当に悪いと自覚していた

だから近くで車庫がこじあけられて仲の草刈機が盗まれたというときそれも荒っぽいなと見た、草刈機は必要なものだから盗まれやすい、畑の小屋などに置くと常に盗まれていたからである
でも家まで侵入して車庫をこじあけて入り草刈儀を盗むのは相当に荒っぽい
田舎でも治安が悪くなっている、ただ犯人が田舎の人かどうかはわからない
とにかくこれだけの人が自由に行き来しているのだからどんな人が入ってくるかわからないからだ、そうなると犯人も特定しにくいのである
盗まれた人はめんどうになるからと警察には言っていない

警察に盗難で届ける人は非常に少ない!

私は大金なので一応届けたが警察はとりあわなかった、でも小さいことにはしつこく職務質問したりするがそういうことで届けても取り上げないのである
だから実際の犯罪は盗難とかなると届けて統計化されているのはどのくらいになるのか?非常に少ない、一二割くらいしか統計に出ないかもしれない、とにかく統計の数字はまたいくらでもごまかせる、コロナウィルスでもそうだし放射線量でもそうだし自殺者とかでもそうだしどれくらいの数になっているのかわかりようがないのである

ではなぜ犯罪が増えるのかというと日本人自体が貧乏になっているからだ
それでベーシックインカムで7万支給することは貧乏な老人でも救うことになるというのもわかる、本当に4万くらいした年金をもらえない人がいるからだ
それだけ老人でも貧乏な老人は貧困化しているのである
これがコロナウィルスで失業者が増えるとさらに治安が悪化する
職がない金が得られないということはそういう人が大量にあふれれば犯罪予備軍になるからだ
もう日本の治安悪化はさけられない、かつての日本ではなくなったのである

そしてこうなると金持ちにも影響する、やはり金持ちは犯罪の標的にされやすいからである、すると外国の金持ちのように鉄条網で囲んだりするようになる
日本の良さはなくなり物騒な社会になる、だから失業問題は大きな問題になる
2021年は大量倒産失業の時代だというときもう悪夢の時代と警告する人が多い
来年はもっと悪くなるだけだとなる、いい兆候は見えないのである

posted by 老鶯 at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

廃墟の街-双葉町の不思議 (父がそこで働いていたので見方が違った)


廃墟の街-双葉町の不思議

(父がそこで働いていたので見方が違った)


我が父のここを通うや何思ふ虫の音かすか人なき街かな

我が父の働く姿ここに見ゆ今は人無く悲しくもあれ

新山橋石造りなれ戦後にそ作られ人々通りけるかな

我が父の辛きことあれこの街に働くあわれ虫の音を聴く

古代よりここに生きにし人のあれその生断ちし原発事故かな 


人間は何か祖父母とか親とかをたどるときはリアルになる、実際に接して一緒に生活もしているからである
父は子供の時死んだからそこでどんなふうにして働いていたのかなかなかイメージできない
でも明治時代まで丁稚奉公があった、松下幸之助がそうだった
江戸時代はさらに丁稚奉公することが子供のを親元から出して大人にすることだった
そして丁稚奉公はそこが子供を教育する場所でもあった
だから葛尾村を出てどうして字を覚えしていたのか不思議だった
学校などあったのかとも思うからである     

昭和以前では、子供たちは10歳前後、尋常小学校や高等小学校の卒業を契機に奉公に出るのが通常で、奉公にあがれば、まず丁稚の修行からで、はじめは主人のお供や子守、掃除などの雑用を受け持ち、少し長じると商用の使い走りなどをしました。

学校教育では教えるということを重んじる一方、徒弟制度による現場の学びがなくなったため、知識と現場技術・知恵が交わらず、シナジーとしての優れた職人、仕事人が生み出しにくくなったことが問題なのかもしれない。その点からもドイツのような徒弟制度と学術教育がセットになるデュアルシステムは合理的であると言える。

丁稚奉公は個々の科目とかの勉強ではない、全人間的なものとして教育する
その生活すべてが教育なのである、それが今の社会とは違っていた
実生活の中で教育れるのだから点数とるだけの教育とは違っいた
もちろんこれも見方を変えれば安く掃除とかでも使われていたとかの見方になる
ただ常に過去の見方は今でも江戸時代は身分制ではなかったとなったように変わるのである、過去を歴史を知ることのむずかしさは現在からしか過去を知りえないからである
そこに必ず誤解が生まれるのである
その当時おそらく寺子屋とかあっても実際に実地に社会を学ぶ場として丁稚奉公があったそれも今見直されるのも教育というのがもう行き詰まっているからだ
近代教育というのがもう頽廃してしまったからである   
そしてAI教育では何か人間的なもの情的なものとか人間の基本となるものが学べないのである

今になると丁稚奉公は資本家による搾取だと見たりするが必ず励めば暖簾分けできて別に独立した家をもって生活できたのである
それで土地を買い自分のその家に住んでいるのである
自分の家の歴史をふりかえるその酒屋は倒産した、その後小さな子供相手の店を出した
くじなどを売っていた、それが繁盛したのはただ時代によったのである
私の父でも母でも商才はなかった、ただ店を出した場所が良かっただけである
角であり場所が良くて集まったのである、その時車などなく近隣で買い物していたからである、だから時代が悪ければいくら才能があっても活きないのである

いづれにしろ双葉町は何を意味しているのか?
廃墟と化した街を歩いて不思議だった、これって何なのだろうと思った
それは他でもこの辺ではそうなった、でも双葉町で感じたものとはまた違っていた
やはりそこに私の父親が働いていることで他とは見方が違うようになっていた
ということはこれも父親と子供というつながりがあり受け継ぐものがありそれが歴史となる

歴史とはこうして綿々と古代からでもつづいているのである、古代の清戸迫横穴(きよとさくおうけつ)は、福島県双葉郡双葉町大字新山にある横穴式装飾古墳。

私の場合は父親までの歴史をたどるがそれ以上に江戸時代でも古代までも歴史がさかのぼれるのである、そういう綿々としてつづいた歴史が原発事故で断たれたということが大きな問題だったのである
人間は一時期を生きるものではなく代々先祖から受け継ぐものがあり生きている
双葉町のように廃墟の街になればそれを失うということである
それが一番の大きな被害だったのかもしれない、それが原発事故による最大の被害だったともある、そもそもそうして一旦断たれた歴史は回復しなくなるからである
するとそこにある神社であれ歴史的な遺産とかも活きることがなくなる
もう誰もお参りもしない、それは限界集落でも起きている、継承する者がいなくなっているからだ

ともかく丁稚奉公にしろ過去を遅れたものと見るだけでは歴史を見誤る
それが明治以降極端だったのである、すると日本の歴史で培われたものの良さが失われてしまったのである




posted by 老鶯 at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2020年10月11日

人間立てないほど苦しいことはない (立つことで人間になったから)


人間立てないほど苦しいことはない

(立つことで人間になったから)

今回はなんか一部分ではない、体全体が不調になった、最初右の足が腫れて立つことができてぐなった、その後左足に歩きやすいという靴下を買ってした、それが圧迫したのか腫れて痛くなりふんばることができず立てなくなった

立つときはどうするかというと階段のような一段高い所に座りそれから立つのである
わかったことはしゃがんで立つことは相当な力が必要だと思った
腰が重いのと腰も痛めていたかからである
だから重い腰をしゃがんだ状態から立つことは容易てはない
つまり人間の生活の基本は断つことにあった
立つことができないと何もできなくなる

そもそも人間が人間になったのは動物と違うようになったのは立つことからだというのも納得するそれを理論化したものもある、そもそも四つん這いの方が生きるのには楽である
四つ這いだと脚が悪くても歩けるのである
四つん這いだと逃げ足も速くなる、四つん這いの方が自然界で生きやすいのである
立つとは自然に反したものなのである
だから一旦立てなくなると人間は日常的行動ができなくなる
立つ⇒歩く・・となっているからである、立つことができないことは歩くこともできなくなる、すると自力で何かをすることができなくなる
介護状態になるのである

それで私の母親はベッドで寝た切りになっていても立つことができた、ベッドからりて立つことができた、そこでポータルトイレに行っていたのである
だから入院するまでそうしして手間がかからなかったから助かったのである
それは立つことがぎりぎり死ぬ直前までできていたためである
だからいかに立つことが大事か人間は知るべきである

人間はは立つことによって知性が育まれたとか食物を探すだけではない、頭を上げて天を見て星を見るというのもそうである
つまり地上に這いつくばる動物とは違って天を望むようになったのである
これはよくよく考えてみると人間が四つん這いになっていたら知性すら生まれなかったのである

言葉をもったら人間になったとか道具をもったから人間にてったかとある
その重要な一つが立つことだったのである
だから人間が立てないことは致命的になる、認識力も衰える
だから介護になっても自力で立てることは重要である
そして日本人のしゃがむとか布団を畳にすいて寝ることは良くない
ベッドの方が立ちやすいからだ
だから自分自身もベッドにきりかえるというのがいいと思った

いづれにしろなぜこんなひどい状態になったのか?
その理由が全く分からない、体の調子は最高潮くらいに良かった
これなら旅でもできるな、長い旅でもできると見ていた
体が充実していたのである、それがこんなに急激に不調になり立てなくなった理由がわからない、右足が腫れて立てなくなった、でもそれは一週間で直った、次にどうしてか左足が腫れたのである、それで痛くなり立てなくなったのである
ただ全体に体が痛んだことは確かである、すると全体がおかしくなり立てなくなった

老化は急激に来る!

それは72才が健康寿命でありその年を越えたからのためかとなる
まだまだだは思っていても急激に弱る、前は熱中症で吐いてふるいて死ぬ思いをした
それは自転車で小高まで行った時だった
春の時期でも暑かったからだ、でもそんろふうになるのもやはり老化現象なのかとなる
ただ普通に生活していたら老化を感じなかった、何かかえって体が充実していたのであるだから気力もあった、でもガクンと一気に落ちた
これが老化の怖さである、みんな同世代でもなんらか病気になりそこでガクンとおちこむそれが老人の怖さである、脳卒中で脚悪くなった人が近くにいる
それもひどいとみた、やっぱり足は生命線になる、立つこと歩くことが人間を作って来たからである

2020年10月09日

落合橋は出会い橋 (ふるさと物語-女子中学生と語る)


落合橋は出会い橋

(ふるさと物語-女子中学生と語る)

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橋に逢い橋に別れてまた逢わむ秋の日あわれ落合橋かな

橋下の流れの清し学生の学び励げまむ秋となるかな


双葉に行った時、廃墟の街となっていたが小川が流れてそこに出会い橋と名付けられたのがあった、なるほどなと見た、そこは私の父親が酒屋の丁稚をしていたとき歩いた道かと思ったら何か親しいものを感じた、なぜならすぐ近くに丁稚奉公していた酒屋があったからである

その出会い橋とは誰かがただ名付けたものでありもともとそういう名ではない、橋の名にそんな名をつけないからである、たいがいその土地の地名が名になる
ただ落合橋とは地名に由来していても人が落ち合う場所としていいのである
というのは今の時代、車の時代だと何か人と人が逢わないからだ
橋でもあまりにも多くの車を通るとうるさくなる、すると人が出会って逢って話するというのも落ち着いて出来ないのである
何か人と人が話するのにはそうした落ち着いた場所が必要なのである
土手の方に人が休む座る場所がもうけられている、そこもいい場所である
でも橋だと何かそこで気軽に話せるという場になる

そこでいい点は川の水がきれいに流れれている、下になるときれいでなくなる
それもいいのである、意外と何かこうした人が出会い話せる場が少ない
車社会になるとただ車が行き来するだけになる、それが人間的なものを奪っているのである

今橋の下には放流された鮎が群れをなして泳いでいる、それは自然の鮎ではない、放流されたものである、自然の鮎ならここで卵を産んでそれが海に下りもどってくるとき自然の鮎である、鮎の寿命は一年である
その鮎は清い流れで跳ねる、それが気持ちいいのである

その時中学二年生の女の子にあった、学年が何人いると言ったら27名だと言っていた
私の団塊の世代は人が多く50名もいた、その点は恵まれている
全体で300名いるのは結構人数でもいるとみた
10クラスくらいはある、でも私たちの時は一学年で8クラスとかありそれも50人もいたのである、その数は比べようがない、だからその時は子供がわんさといたのである
遊ぶのでも群れを成して騒いでいたのである
今は本当に子供をみるとめずらしいとなる、今私の組では子供は一人もいないのである
9割が老人である、60歳以上である、そして跡継ぎがいなくなっているのである

その時カワセミが飛んできた
ここには前にもカワセミを見たとその中学生に教えた、それは鮎がいるので来ているのだと思う、

水中の小魚や虫などをエサとしていて、 ザリガニ や カエル なども食べてしまいます。
木の枝などから水中をしっかり観察し、一気に水中に飛び込んでエサを捕まえますが、時には「ホバリング」と言って空中で停止する飛行法を使いながらエサを狙います。

餌になるものは魚だけではない、でも鮎がいるということでここに来ている
枝のようなものがないので鮎をどうしてとらえるのか、ホバリングしてとらえるのか?
それはわからない、ただ鮎を狙っているのだと見る

それからこの辺は原発事故で一時川の魚を食べるなと言われた、それは科学的根拠があったのだ、なぜなら最近海の魚はセシウムは排出する機能があるが川の魚にはない、川の魚は放射性物質を蓄積するとなるから食べるなとなった、特に川の魚とか河口に放射性物質が流れて来て高くなっていたのである
成せなら泥についたセシウムが流れて河口にたまったからである
この辺は原発事故と深くかかわる場所となった
だからこれはもう百年でもつづく、それが大きなテーマとなってしまった土地なのであるでもその中学生は原発事故があった時二歳とかだからわからないのである
結局つくづくもう十年たつということはそれだけの時間が流れたのである
時間が過ぎるのは本当に早い、10年一昔になるからだ

とにかく近くのことを知らないから近くのことに興味をもって知るべきだと言った
水無川があるが水が流れていない時でも下を流れている、だから堰のコンクリートの下の隅から水が湧いて流れている
そういう身近なことが意外とわからない、というのはすぐ近くに学校がある
でもそこに注意している人が意外と少ないのである

ともかく落合橋は人が出会う出会い橋である、この川にはナマズがいたとかそのナマズを売っていたとかも聞いた、今川にはカジカなども見ない、ちいさい水生の生物はいる
でも小魚でも見えない、ましてナマズがいたということは本当に遠い昔だとなる
何か生き物がいないと川も活きない
おそらく鮎が放流されてカワセミも餌になるから来ているのかもしれない、鵜も来ていたつまり生態系はつながっている
鮎がいればそれを餌としてカワセミも来るとなる
原発事故のあとに蛙もいなくなった、蛙の鳴き声も聞こえなくなった
でもその後に田んぼが再開されたら蛙がもどり星がかがやき蛙の鳴く声が夜空にひびいたとき復興を感じたのである
それから蛙がもどると鷺ももどってきたのである、蛙を餌ともするからである
田んぼは生態系の一部として全体につながっている
つまりこのように自然は関連しているのである

原発事故の大罪はこうして生態系を破壊したことなのである
ただ鮎にしてせ小型になっていた、だから食べる鮎というのではなくなっていた
子供の時は大きな鮎がとれて父親がとってきたのでいいオカズになっていたのである
ウナギもとれたのである、田んぼの畦にミミズを棒にさしてそこに鰻がいたということも不思議だった、そういう時代は牧歌的だったともなる
ウナギなど全くいなかくなったからである

コスモスや学生行き来す落合橋

去年の水害の後に土手の花壇は全滅した、でも夏菊とコスモスが一面に咲くようになったそれが落合橋に映える、何か木の橋だともっと情緒がある
盛岡の橋はいくつもあり情緒がある、まるで浮世絵のようにである
昔の橋は何か今とは違って人間的だったのである、それはなんでもそうである
車社会とか機械化、コンピュター化、自動化すると人間的なものが喪失する
人間的なものが排除されるのである、人間は邪魔だいらないともなるのである
機械とロボットとコンピュターがあればいいとなる   

駅員など無駄となってしまう、そんなものに金がかけられないという時代になる
車社会というのが人間的なものを排除することはあった
だから橋の上でこのように出会い話すとか人間的な場を演出できないのである
ただまた女子中学生と話ししたりすると怪しい奴だとかなるのも昨今である
何か人間を窮屈にさせたのが現代なのである  
そもそも自分自身が学校は嫌いである、窮屈すぎたから合わなかったからである
でも何か学ぶことは地域でもいたるところにあったのである
ただ発見していなかっただけである

人間でもその生活でも回りの自然の風景と溶け込んだとき美しいものとなる
自然は鳥でも魚でも生物でもみんな自然にとけこみ調和しているからである
人間だけが調和しないのである、原発はその調和を破壊するのもだったのである
別に火力発電所でもガス発電もここまで破壊されることはなかった
それも空気を汚すとしても許容するほかないとなっていた

原発だけは一旦事故になったらそのベースとなる空気や水や土が汚染されるのだから住めなくなる、何か木も汚染された、私が飯館村で計った時は3マイクロシーベルトあった
何か木の小さな穴とかに放射性物質が入り込み汚染された
それでその木を燃やすとまた放射性物質は拡散される
それで一時浪江の森で火事になったときその放射性物質が拡散されるから騒いだのである

この女子中学生が大人になると10年過ぎたらまた20年過ぎたらふるさとはどうなっているのだろうか?
原発事故の教訓は忘れてはいけない、これがこの土地のカルマとなってしまったからだ
実はそれはここだけではない、日本全国でも同じである
原発がいかに恐ろしいものかを身をもって体験された土地になったからである
それは広島原爆とも似ているのである、それはプルトニウムの毒が二万年消えないように簡単に消えることはないのである

2025年問題の恐怖 (歩いた旅で体ががたがたになった)


2025年問題の恐怖

(歩いた旅で体ががたがたになった)

双葉町と久ノ浜までの旅で歩いた結果、体ががたがたになった、足は腫れ脚がつり筋肉が張り腰はいたい、全身の筋肉をいためた
こんなことは経験していない、自転車でもこんなに全身の筋肉がいたむことはない
今回は全身の筋肉がいたみ立てなくもなった、それで寝ていた
でもなんとか買い物と食事の用意はした
一人はこういうとき苦しくなる、誰も助ける者がいないからだ
これで食事の用意ができなければ衰弱してゆく、そういう恐怖が常にあるとなる

自分の経歴をふりかえると30代は登山でありこれはきついのでやめた、次に40代は自転車旅行であり50代は海外旅行でありそれで人生も終わったとなる
ただ歩いた旅はしていないのである
ただ今回歩いたとしても10数キロくらいかもしれない、久ノ浜で歩いたのが長かったかもしれない、それにしてもこんなに全身が痛むとは思わなかった、でも10キロとなると原町くらいになる、すると長かったのかともなる、距離的にはそんなに長く歩いた感覚はないのである

それでこれは老化現象かとも思った、老化も急激にやってくることがある
そういうことがあり2025年問題を身近に感じた
2025年になると団塊の世代が介護される時代になるということで数が多いので問題にされる、その2025年はすぐなのである
それは社会全体の圧力となる、介護する方もその労力が大変になる
日本が経済的に落ち込み少子高齢化になっているとき対応できなくなる

2025年問題は今から5年後だとしてもすでにはじまっている
まず60代でなんらか病気になっている人が多い、70代になったらさらに多くなる
80代になったらなんらか病気がない人がいないかもしれない
80代の人は糖尿病で苦しんでいる、手術するとかでまた入院するとか言っている
なんらか腰が痛いとかどこかが悪いとか言わない人はいないのである

つまり老後の最大の問題は健康であるかないかである
これがものすごく左右する、どこかが病気になるともう正常の活動はできなくなる
今回の経験で自分自身もわかった、歩くとこうなるのかと恐怖になる 
そうすると簡単に旅もできないとなる
ただ普通の生活をしていればそうはならない、何か無理をするとそうなるのである
今回は全身の痛みでありそれか立てないほどになったから苦しかった
ただ別に食欲とかはあり普通である、ただ体全身が痛くなり筋肉が張り立つのもやっとだったのである

金も必要だが老後の一番の問題は健康でなるかないかである
これが一番左右する、その差が大きいのである
もう寝た切りになったら終わりである、ただ天井を見ているだけだとなる
何十億の金があっても何もできないのである
歩くことさえできないからだ、すると金だけではどうにもならないとなる
そして老人でも健康な老人と病気の老人との差が大きすぎるのである
そこに一番の差がでるのであって金もそうだがその健康の差の方が老人にとっては大きい健康であれば貧乏でもなとかなるが病気になったらどうにもならなくなる

とにかく今回はなぜこうなったのか良くわからない、やはり老化現象なのだろう
こんなに痛むはずがないからである、体が老化して筋肉が痛んだ、そう考えざるをえないのである、歩いたとしてもそんなに長く歩いたという感じもしないからである
ただ日ごろ私は歩いていないことは影響している、ほとんど自転車を利用しているから歩かないからである
自転車で使う筋肉と歩くときの筋肉の使い方が違っているからこうなったのかとなる
ただそうであっても老化現象の一つでありこれだけの筋肉の痛みとなったのである

2020年10月08日

abstract underwater tunnel

abstract underwater tunnel

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2020年10月07日

ヤクザと原発を読むー鈴木智彦


ヤクザと原発を読むー鈴木智彦

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この本はさほど衝撃的なものではない、別に暴力団関係者が来ていたしめずらしくもないそれで郵便局に入れ墨だらけの若者が来た時は驚いた
また暴力団関係者が「この仕事はおいしい」といったときこの本に書いていあるように暴力団がかかわりやすいものだったのである
第一放射線被害がありそれだと普通の人は来ない、何か事情がある人しかこない
それで事業に失敗した人に二人ほどあった
一人は事業していたので駅前の開発のことを言っていた
それは事業をして経営者だったから提言できたとなる

原発は様々なことで暴力団がかかわりやすかったのである
そこに後ろめたいものがあり隠さねばならないものがあったからそうなった
そこは常に隠ぺいで成り立っていたのである
だからとてもこれは操作できるものではないと実地に働いていた技術者でもそう思っていたのである
それを「安全神話」作り隠したのである
それは政府であれ官僚であれ検察であれ警察であれマスコミでも一体化して安全神話を作っていたのである
つまり原発は金のなる木だからその金に群がったのである

その時の地元の事情として産業となるものがない、農業でも漁業でも林業でも衰退した
それで親に農業はするなと殴られた人がいた、その子供は原発で働くようになった
また双葉とか大熊とかは相馬市とか南相馬市と離れていて産業がなかった
工場もなかったので出稼ぎ地帯であり出稼ぎしないで生活することを望んでいた
そのために原発を誘致したという経過がある
だから東電社員は神様とまでなっていた、金を落としてくれるからそうなった
人間は何であれ金になると目の色を変えるし人間も変わってしまうのである
何か金だけが見えて他は見えなくなるのである
経済的に苦しくなればみんなそうなる
そんな場所で原発に反対すれば村八分にされて住めなくなっていた
それが原発事故以後は本当に住民が住めなくなりゴーストタウンになってしまったのである                                        

双葉町は私の父親が酒屋で丁稚として働いていたので不思議になる
その通帳が残っていた、その通帳をもって酒を売った代金などを記していた
もともと葛尾村の出身であり山で仕事がないから酒屋の丁稚になったのである
そういう人は他にもいる、原発ができてから浪江に移り原発で働いたとかいる
また浪江で下請けをして働いていた人もいる
その時大学生で何かそこで働く場所として紹介された
親戚の人はそこで下請け会社となった、その人は「原発は安全」だと言っていた
それより言わされていたのだろう、まず原発が危険だということを地元ですら言えなかった
双葉町の横断幕を見ればわかる
街が一体となり原発推進であり原発の町となっていたときそれに反対する人はもう町には住めなくなっいたのである
だから東電社員は神様となっていたのである
自治体自体が東電の下請け会社のようになっていたのである
もう東電なしでは原発なしでは成り立たなくなていたのである

今ふりかえると

原発ほど隠すものが多いものはなかった!

常に隠さざるをえない、隠蔽しなければならない、「安全神話」とはただその危険なものを隠すために作られたものだったのである
だから危険を言うことはタブーになっていた
マスコミでも何も危険を言わない、莫大な宣伝費が出ているから言わない
そうして「安全神話」作ったのはそうした危険があっても隠すためだったのである
                                                                  
何かこの本でも感じるのは放射性物質という毒をまきらすの原発であった
それは暴力団と相性が良かったのである
そうしてうしろめたいところがあるところに暴力団も取り入り安いからである

暴力団が原発をしのぎにできるのは、原発村が暴力団をふくむ地域共同体を丸のみにすることによって完成しているからだ
原発は村民同士が助け合い、かばいあい、見て見ぬふりをするという暗黙のルールによって矛盾を解消するシステムの上に成り立っている
不都合な事実を詰め込む社会の暗部が膨れ上がるにつれ6、昔からそこに巣くっていた暴力団は越え太った
原発と暴力団は暗部を共生している

原発というのは素人は立ち入れない、外部からの立ち入りもできない
するとその暗部がますます黒くなってブラックボックス化する
それで武田邦彦氏は権力者は権力を維持するために必ず嘘いうというのもわかる
原発にもかかわったからその嘘を知っていたとなる
とにかく政府とかでも権力も持つものは嘘を言うのである
嘘でごまかすのである、それは人間の歴史で継続されたことだとしている
権力自体そういうものであり権力は絶対的に腐敗する
そういうことで平和的に政権交代ができる権力を後退できるものとして民主主義が生まれた、でもこれも結局自民党のようにほとんど一党独裁のようになっているから腐敗してくる

ただ人間の弱みはいくら金がいらないと言っても現実問題として必要になりおれる
就職先というと田舎では公務員とか銀行とか農業職員と地方新聞社くらいがエリートとしてあった
都会のようにいろいろな就職先がないのである
すると自分に合った能力を活かせる場がないのである
ただ都会と違って地方だとある会社に就職するのとはも違う、その地域に就職するという感覚になる、それは地方が地域密着して生活しているからである

だから一部の会社とかではない、総合的なものとして地域をみるようになる
放射性物質で汚染されたとき一番の被害は生態系を破壊されたことなのである
生態系とは空気とか水とか土とかでありまた森林とかもある海も汚染された
そうなると食料すら得られなくなる、ただ今は外から入ってくるからしのげたのである
でもそうした生活基盤を失ったらもう住むことができなくなった

確かに貧乏ではありたくない、豊かな生活をしたいというのはわかる
自分もそうである、でも基本的に故郷でも住めなくなったら終わりではないか?
そのために電気がなくても家族と一緒にロウソクでも暮らしたいとなったのである
そのように極端になったのは住む場所を失ったからである
ただそこまで言ったのは極端な結果になったからである
別にに子供時代は炭で暮らしていたからできないことはない、でもそれに賛成する人は今はいない

原発の問題は一見技術的科学的問題のように見えるし論議されてきた
しかし何か人間のモラルの荒廃がありそれが事故にも通じていた
それは暴力団がかかわり安いものとなっていたことでもわかる
うしろめたいものがあり暴力団がかかわってきた
そのこと自体モラル的な問題もあった、嘘をつくということもそうである
隠蔽に隠蔽を重ねることもそうである、うしろめたい知られたくないことがあるからそうなる、そういうことが最後に大事故になったのである
もしそういうことが事故前から自覚されていれば事故にはならなかったのである
それができないのが原発だったのである

権力は暴走する。そして潰える!

巨大な権力が歯止めがきかなくなり暴走する、誰もとめられるなくなる
それがナチスとかでも起きて来る、民主主義でも起きて来る、なぜなら数が多いことが民主主義では絶対になってしまう、数さえ集めればいいとなってしまうからである
それは正義でもなんでもない、権利も数が集めれば得られるとなるだけなのである
それでカルト教団は毎日24時間一票をとるために休みなく奔走しているのである
信仰など関係ないのである、数は権力だからそうなる
数を集めなければ何ら力をもていないからである
そうういことが原発事故でも起きたのである
そして人間社会の行き着く先はバベルの塔の崩壊とかカタストロフィになってしまうのである
posted by 老鶯 at 14:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年10月06日

虫の音-久ノ浜の俳句

虫の音-久ノ浜の俳句

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おそらくこの松である、なぜこの松がここに残っているのか?
ただ津波の被害は相馬地域とはまた違っていた


無人駅虫の音しげく二人かな

秋の灯や二人待つなり無人駅

久ノ浜秋の夕暮れ松に鳥




この俳句は海が背後にある、ただこの松の不思議は津波にも残っていたのか・
これは前からあった松である、そこは海岸と接している
何かここは津波が多少弱められたのかもしれない、波立薬師でも残っている
そこは引っ込んでいて津波の波が弱くなったとか言っていた
津浪は地形と深く関係している、海底の地形も関係している
なぜなら南相馬市の鹿島区の海老村は高台にあった、でも津波の被害が大きかった
それでその高台は避難場所になっていて30人も死んだのである
津浪は海から離れて逃げることが大事である
海岸でも高くても危険なのである
ただ津波のメカニズムは解明されていない

この俳句は久ノ浜といいう地域性がありできた
結局津波にも流されず残った松に鳥がとまっているとなる
そこに平和が戻ったともなる

結局俳句は写生である、一見つまらないようでも写生にすると真実を感じる

無人駅虫の音しげく二人かな

秋の灯や二人待つなり無人駅

無人駅に二人だけが電車を待っている、ただそこには虫の音だけがしげく鳴いているとなる
二人はその虫の声を聴いている、あとは誰もいない、人がいないというとき自然を感じる
人がいないというとき、自然が活きる、ただ人がいないということはまた経営的には問題である
それなりの人がいないと成り立たないからだ
でも東京のようなぎゅうぎゅうづめの混雑は嫌である
もともと人と接することが嫌で引きこもり化したのが自分だからである
ただ乗り降りもない駅がありそこで虫の声だけが聞こえて来る、それも変である

とにかく久ノ浜はいい場所である、それは海と接して街があるということである
そして砂浜があることがいいのである、この砂浜が今やなくなっているからだ
四倉にも大きな砂浜がある、だから相馬地域は砂浜がないので魅力ないと見た

ただ今回何か足が腫れあがった、歩いていてそうなったのか?
前にもあった、それは座っておしつけた結果であった、今回と歩いてそうなった
結構な距離を歩いたからである、それで押し付けられて腫れたのかもしれない
まず自転車だとこうはならない、歩いたため地こうなった
歩きなれていないからだともなる、足を何かで圧迫したのである
これは直るのに一週間くらいかかる、歩けなくなるので苦しいとなる
体力が落ちたことは確かである



2020年10月05日

秋鴎、虫の音、秋の海(久ノ浜の秋の短歌十首と写真)

                    
秋鴎、虫の音、秋の海(久ノ浜の秋の短歌十首と写真)

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一段と低くくなっているのが前の道である

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遠くに見えるのが原発の煙突

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つわぶきが自生している、これは秋に花が咲く

この辺は照葉樹林帯でありあたたかいから自生している

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海から昇る月が街なのかにでる、それが赤い月なのである
だからここは海と一体化した街なのである





久ノ浜旅人一人秋かもめ

秋の海連隊飛行鴎かな

無人駅虫の音しげく夜になる 


久ノ浜砂浜歩み流木の形を作り秋の日暮れぬ 

久ノ浜波音ひびき砂浜を我が歩みつつ秋思に暮れぬ

波立の巌に波の飛沫けり沖に船行く秋の海かな 

波立の巌に秋の日さしにつつ波打ちしぶきさらに固しも

久ノ浜巌につわぶき密なりき照葉樹林や秋の日さしぬ

秋の陽は山に没りにしあわれかな砂浜歩む久ノ浜かな

波立に波打ちひびき秋の海鴎三羽連なり飛び去る

久ノ浜老女のあわれ虫鳴きてこの松の育つ歳月思ふ

ひさびさに久ノ浜に来て秋の海波音聴きて我が帰るかな

無人駅一人のみ待つ人のあれ電車を待ちぬ秋の夜かな

海よりし十五夜の月や久ノ浜路地裏の路にい出にけるかな

乗る人もなき駅なりしただ虫の声しばし聞こえて去りにけるかな

十五夜の満月車窓に望みつつ全線開通常磐線かな  
       

久ノ浜は砂浜があり街が隣接している、この砂浜が貴重だと見た
なぜならここからは相馬藩内になっても砂浜がないからだ
一部わずかにあるにしろほとんど砂浜がなくなった、四倉の浜も砂浜が広い
それでその広い砂浜が津波の干渉地帯となり意外と街が被害がなかったのである
だから津波に有効なのは土手であり砂浜であれ緩衝地帯が必要なのである

だからなぜこんなに津波の被害があったのか?

もしかしたら自然の地形が変わり緩衝地帯の砂浜などが消失したかもしれない
直接海に接していたら危険である、自然の状態だったら広い緩衝地帯がありそこには家は建っていないということがあった
仙台の若林とかでもともと海だったところに住宅地にしたから被害が大きくなった
つまり人間は文明が発達すればするほど自然を侵害してしまい、それが災害に弱くなったのかともみる
四倉は別に高い土手はない、でも広い砂浜があり津浪の緩衝地帯になって被害が少なかった

久ノ浜は観光ではいい場所である、砂浜があるからだ、それと波立の巌がありあれがいい
ただ前は岩礁地帯がありそこに海の生物を見ることができた、何か今回は荒く波が打ち寄せて見えない、津波で変わったのかもしれない
この辺は磯とか岩礁地帯がほとんどないのでここが貴重だったのである
そこで熱帯魚などを見たことがあるからだ
海があっても岩礁地帯とか浦とか入江がないと自然景観としては良くない

それで津波で一時八沢浦が本当に入江になったことほど驚いたことはない
もともとそこは海であり入江だったのである、明治になって干拓されて田んぼになったのである、日本でぱ土地がないからどうしても海側でも土地を求めて干拓しているのである
この時十五夜の満月が久ノ浜の街の路地の道に出ていたのもふさわしい、この街は海と一体化しているのである、だから津波の被害にもなった
ただここが砂浜があるのでこの辺の海とは違っている
次はは四倉の方に回ってみたい、浜街道を行くのである





2020年10月04日

秋の暮、秋柳(双葉町が廃墟の街となった不思議ー短歌十首)


秋の暮、秋柳(双葉町が廃墟の街となった不思議ー短歌十首)

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白富士は富沢酒店の酒なのである

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倉だったのを店にした、いつの時代からなのか?

薬剤店にしても字が古いのである、だから古いのかとなる

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初発神社とある、他に妙見神社があるのは相馬らしい

ここに記された奉納者の姓なども歴史を語るとなる

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ゆっくりと電車を待つや秋の蝶

朝顔や数人待ちし駅舎かな

みちのくや車窓に望む秋の山

・・・・・

(双葉町)

石の倉街中人無く秋柳

石の倉街に人なく秋柳

双葉なる古き店かな秋柳 

秋日さし石の倉の店古きかな

人も無く飲み屋もあわれ秋の暮  


久々に電車を待ちて遠く行く秋となりしも旅心湧く

双葉町人の営み絶えにけりかすかに鳴きぬ虫の音聴きぬ

この道を行く人なしやあわれかな石橋わたり秋の日暮れぬ

街中に石の倉あり店屋かな秋の日さして人気なく暮る

辻曲がり妙見の社奉納者の名前刻まれ秋の日暮れぬ

この街に暮らしはつづく今はなし秋の日影に裏の道歩む

草むせし家の跡かな人住まぬ虫の音幽か聴きつ帰りぬ

駅前の通りに銀杏色づくも人は住まじもロケ地に似るかな

その道をなつかしみ行く人影の見えてあわれや秋の日翳る

出会い橋なつかしみ行く人影や柳しだれて秋のくれかな

津浪にも残れる松や根付きけりここを離れじ秋そ深まる


双葉町は私の父親が酒造りの店で働いていた、葛尾村からでて丁稚奉公したのである
そのことを聞かされているからそれで親しいものを感じていた
でもそれほど行ったということではない、何か見るべきものもなかった
ただ姉が銀行があったとしてそことで遊んだとか良く言っていた
銀行があるということはかなりめずらしいことだったのである
それは戦前であり大正時代にもなる

今の富沢酒造店の脇にあった、ただそれは戦前に倒産した、その後暖簾分けここに来た
そして同じ店で酒造りしていた人がいて戦後引揚者として鹿島に来て小池に開墾して入った人を知っている、その生活は極貧だったろう
ただ私の家で店をはじめたから玉子買いに良く行かされたのである
そこには確かに今は開拓の記念碑がある
ただなぜ小池というと街から近いのにそんなところに開墾する場所があったのかとなる
この戦後引揚者は本当に多い、津島とかは集団で入って開墾したから仲間意識が強いというのもわかる、相当な苦労だったからである、飯館村の木戸木もそうである
あんな不便な所でも開墾に入ったのである

いづれにしろそうしたことをじかに知っているので双葉町に親しみを感じていた
ただその割にはそんなに行っていない、それが立ち入りが禁止されたか解除されたので行ってみた、そこは本当に廃墟の街、ゴーストタウンだった
小高とかも一時ゴーストタウンになった、浪江町でもそうである
でも何か双葉町はまた違っていた、それはずっと街の規模が小さいということもある
だから街全体が歩ける範囲にある、そして街中に川が流れて石の橋がありそこが出会い橋とか名付けられたりしたところが新山橋のあるところが印象に残った
そこから富沢酒造り店に通じている
何か相当にさびれた感じになる、それもそのはず十年ももう人が住んでいない街なのである

そこはまた映画のロケ地のような感覚になった、でもそこは作られたものではない現実の街だったのが違う、こういうふうになった街はそんなにないだろう
そもそも古代から人が住んでいたし江戸時代も相馬藩内になっていた
だから野馬追に出る侍もいたとなる
小高に行ったときは人が住んでいる時でありこんなふうに感じなかった
浪江でも住んでいる人がいたのである
ここは人が住んでいないのである、まだ住めないのである、そこが違っていたのかもしれない、だから人が住まなくなった不思議を一層感じたとなる 

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橋にはいろいろある

幽霊橋 思案橋源助橋乞食橋 相引橋、・・・・

江戸の橋は時代劇に映る小さな橋である、無数の小さな橋があった、幽霊が橋に出るという時、何か柳がしだれていて真っ暗になれば幽霊が出る感じになる
その時電気の明かりがないのだから不気味だったとなる
相引橋というとき本当に橋を目印として男女があっていた、思案橋なども橋で良く思案していたとなる,当時の橋は人間的だったのである  
乞食橋はそこに乞食がいたから名付けられたのだろう、乞食は本当に多かったからだ

今は橋は車が渡るものであり人間が渡るというより物を運ぶ橋なのである
要するになんでも機械化すると人間的なものがなくなるのである
ただ物と機械だけの世界になり人間がいなくなる、人間を感じなくなるのである
鉄道の無人駅でもそうである、改札でも機械でしているからである

ただ橋には何か情緒がある、それで近くの落合橋のことを語ったのである
つまり人が落ち合う橋としてあったからだ、ただ下になると橋は大きくなりそこで何か出会うとかならない、橋が大きくなると人間的でなくなるのだ
だからここの出会い橋というのは小さい橋だから人間的なものを感じたのである
別にこういう橋はどこにでもある、ただ人がいなくてったので不思議な感じになったのである   


原発事故は必然的に起こった (無数の配管が痛んで老朽化して地震でも壊れる―素人集団が作っていた)


原発事故は必然的に起こった

(無数の配管が痛んで老朽化して地震でも壊れる―素人集団が作っていた) 

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十一人の死傷者を出した美浜原発3号機事故。直径五十六センチもある主要な配管が破裂するという重大事故です。破裂個所の配管は運転開始から二十八年間一度も検査が行われていませんでした。昨年十一月に協力会社から摩耗の可能性を指摘されていながら、九カ月も放置したまま運転していました。なぜこんなことが起こるのでしょうか

電力会社まかせでは、原発の安全は守れないことを示しています。原発の安全性をチェックするための科学的基準を確立し、それに基づいた第三者機関による厳正な検査を行うことが早急に求められています

福島原発事故でも地震によって配管が破損し重大事故につながったことが立証されている。これまでも頑丈につくられた原子炉本体よりも数百〜数千本といわれる配管の破損が原発の重大事故の原因となっている。しかも長期間運転を停止していた原子炉の再稼働では配管などの劣化が進み危険性が高まることを専門家は指摘している。

素人が造る原発 

筆者「平井憲夫さん」1997年1月逝去。1級プラント配管技能士

これは読みごたえがある

 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。 

 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。

 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

 「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。



この配管を見ていた電気関係の工事をしていた浪江町がこのことを指摘していた
でも東電に言うこともできないと仕事ができなくなると言っていた
つまり原発はその中で仕事している人ですら何も言えないのである
そしてその管理も危険なものなのにずさんだったのである
だから必ずしも地震とか津浪のせいではない、それを管理していた人たちが知っていたのである、でもは金がかかるとかなんとか安全を計ることはせず、原発は安全だとまるで念仏を唱えるように言っていたのである

それが科学者の態度なのかとなる、だからこそ「安全神話」なのである
科学と宗教があり科学者でも技術者でもその管理があまりにもずさんだったのである
それは手抜き工事でもありそんなに危険なものでも何もしなかったのである
要するに「安全神話」で肝心なことは何もしない、金をかけたくないとしなかったのである、今になって防波堤を作った、それは作れるものだったのである
日本が時の科学技術がこれほどずさんだった、だから日本の技術が進んでいるとか信じられなくなったのである、例え他でも信じられなくなった 

そうしてただ巨大な利権にあるゆる人が群がった、もちろん地元のひとでもそうだが地位ある人がほとんど群がり巨利を得ていたのである
そうしして安全神話が作られて安全は無視されて必然的に起こった事故だっこ
必ずしも津波とか地震のせいではない、それを防ぐことを怠った事故だったのである
最善を尽くしたらなら仕方がないとなる
でもただ「安全神話」を権力で作ったのであり肝心の安全を怠っていたのである
それはコストがかかるとなりそうなっていた
今になるそのつけは何百倍にもなっている、20兆円も廃炉にかかるとか国が傾くほどの金と労力を使うのである

なぜこれほど管理もできない、素人集団がばらばらに集まり作っている原発に「安全神話」が作られたのか?
これほど危険なものが堂々と「安全神話」を吹き込まれて成立していたのか?
それが本当にわからない、こんなことがあうりうるのか、それは事故前からもわかる人はわかっていたのである
そして国の検査官でもそれは分野が違っているとか本当に素人集団なのである
そういう人達がばらばらに集まり無理して作り上げたのが原発だったのである

それなのにのうのうと「安全神話」などを作っていた利権集団が原子力村だった
この責任はあまりにも大きいものだったのである
「安全神話」によってごまかした罪はあまりにも大きい、これは国家的詐欺にも等しい
それは戦争でも3百万人が死んだということがありこれも国家的な大罪でありそういう巨大な悪ともに匹敵するとなる
そもそも元から住んでいた人たちが故郷であれ長年住んでいた場所に住めなくなるほど大きな災害はない、なぜなら日本は戦争で焼野原になっても住んでいたからである
原発事故の最大の悲劇は故郷であれ住めなくなったことである

「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前まではお米の検査をしていた人だった」と 

そして国家の管理もあまりにもずさんだったのである、だからこれは国家的犯罪だったのである、となるとこれにかかわった人たちは罰せられるべきだとなる
しかし誰一人として罰せられていない、そもそもわからないのは自治体の役割りである
自治体の住民の生命を守るのが自治体職員の役割りである
でも原発は国家が管理して自治体は手を出せないのである
でも一番被害を受けるのは自治体なのである、ただ自治体でも大熊町長の5億円入った金庫が津波で流されたとか話題になったようにただそういうふうにして利権を得るだけだったのか?
それはそこに住む人たちも利権にあづかり金になるからいいとしていた
それで漁業権のことを再三批判した、海が汚染されて魚がとれなくなったと組合で騒いでもそもそも漁業権を東電に売ったのだからそんなこと主張できるのか?
今度はトリチウムを海に流すということでそれに抗議する、するとまた補償金が上積みされるのか?
事故前も多額の補償金をもらい原発御殿を建てていてうらやましがられていた
ただここで言いたいのはそもそも漁業権の問題である

海は誰の者なのか?

漁業者の組合のものだとなっていた、でも東電に漁業権を売りわたした、漁業権とは資源保護のための権利であり東電に売り渡す権利はないのである
第一事故前でも海はかなり汚染されていたという指摘がある、原発というのはそういうものだったのである

だからここで問題しなければならないのは自治体の役割りである、原発は自治体に住む人の生命の危険にかかわっていたのである
そしたら自治体がなんらかかかわらないのが納得いかないとなった
ただ自治体にはその代償として多額の金が国から出ていた、それにしても今になればその損害は大きすぎたのである
その自治体にしてもその立地した場所の自治体だだけではない、広範囲に福島県全体にかかわることだったのである、それより一時は東北に人が住めなくなると吉田所長が恐れたそれだけ広範囲に被害があるものなのに自治体でも周りの県でも権限がない

権限があるのは国だ!

これはおかしい、なぜならそこに住んでいる人こそ権利があるからだ
なぜならそこに住んでいる人がこれだけの被害を受けたからである、確かに国から金をもらったとしても自治体の住民が一番被害があり責任を否応なく負わされるのである
ただこの自覚が自治体の住民になかった、それは根本的に原発のことはブラックボックスであり知らされなかったからである、知らされたのは「安全神話」だけだったのである
そして県とは何か?それは国の出先機関であり国の方針に従うとなっていた
つまり原発は国策であり国の命令に絶対服従だともなっていた
その国の管理があまりにもすざんだったのである
検査官も分野の違う素人であり何の働きもしなかったのである

ただいろいろ考えるとそもそも原発の責任はだれにあるのか?

これが複雑で多岐にわたるからわからなくなる、それは根本的に国家の責任だった、でも国家の責任とは特定した政治家なのか官僚なのかそれもわからない、結局国家と言っても国家を作るのは議員を選ぶの国民であり国民のせきにんだとなってしうまうのである、戦争でも同じことだったからである
だから原発の問題は一地域の問題ではなく国家が関与する国家的問題であったとなる
でも国家の責任を問いるのかとなくとむずかしくなる、生業を返せ裁判では裁判所がその責任を認めて東電に賠償命令をだした、でも裁判所が司法が国家をさばけるのかとなるとそれもむずかしい
アメリカでは司法の力が強く国家に関与できる、それで最高裁判所の一番上の検事になる人が重要になると報道があった
民主主義の三権分立だとそうなるのが正しいとなる
このように原発の問題は多岐にわたり複雑であり国家そのものを問うことにもなったのである
                       


posted by 老鶯 at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年10月03日

双葉町の放射線被害 (森が異常に高いーモニタリングポストは信用できない)

双葉町の放射線被害

(森が異常に高いーモニタリングポストは信用できない)

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ふくしまの今 2019


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4キロ離れてこの数字でありえない、0.08なのである

ただ百メートルもない森は10くらいあるのかもしれない

土台をコンクリートの足で固め、その上に鉄板を置き、そこに検出器を載せている。これでは矢ケ崎氏の言うように、地面に落ちた放射性物質から発する放射線が遮蔽され、肝心の検出器まで届かないのである。

国の放射線量デタラメ測定 文科省動かした科学者らの告発

こういうことかもしれない、コンクリートの土台がありそこからは放射線を検知することはできないからだ

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海岸の松は残っていた、多少高台にあり自然の松らしい
でもこれだけ残っていることは不思議である


双葉町で駅の通りなど0・5マイクロシーベルトで低い、でも山田地区から原発方面の森の道を行くと一番高い所で20マイクロシーベルトあるとyoutubeで報告されている
それは東電の人が計ったのではない、一般の人が機械で計っている
それは正確なのである、今や一般の人が放送局のようにして報告しているのが普通であるだからビデオカメラで撮影する人がいた、二人でしていたから放送局の人かと思ったら違っていた
何か双葉町は長く人が入れない地域になっていた、でも今はどこでも入ることができる
ただ入れない場所はアーケードしていて人が守っている
でもたいがいは入れるのである

私が海岸の方に行ったらそういう場所があった、その森の坂の道の向こう側が4キロくらいに爆発した原発がある、だからひっきりなしにトラックが来ていた、4キロとなると一時は死ぬとされた、そのくらいに危険だった

そこで疑問に思ったのが放射線のモニタリングの計測器を見たら0.05マイクロシーベルトと表示してあった、こんなことありえないと見た
それでそこのアーケードで守る人に聞いた
なぜこんなに低いのかと聞いた、その人は結構話できる人だった
何か話できない人がいるし話ししたくない人もいる
なんでもこの辺は津波がきて放射性物質も洗い流したせいだとか言っていた
すると爆発したと同時に津波が来て放射性物質も流れたのか?
これも良く科学的にわからない話である

ただモニタリングポストの値は確実に半分と見ていい、それは飯館村で村民が指摘していた、ごまかしたとしていたからだ
それで私自身も計ったらモニタリングポストの回りは確実に倍以上あった
なぜならモニタリングポストの下の土をとって計っていたからである
低く見せるためにそうしていたのである、そこで大成建設の人が働いていた
そこにごまかすことをしていたとなる

その人が言っていたことはすぐ近くの森は高いと言っていた
それはどれくらいかというとyoutubeでは20マイクロシーベルにもなっていた
それは原発に接近すればするほど高くなっていて最高でそうなっていた
だから原発との距離と比例して高くなっていたのである
近ければ近いほど高いのは当然だとなる
それから森の中の高いのは森に蓄積されやすいということがあるだろう
つた森は除染できないからいつまでも高いとなる
それで7割が森に囲まれた飯館村は森を除染できないので放射線を低くできないのである駅通りとかはやはり除染の効果があり低くなったのか、0.5はまだ低くすぎる
というのは浪江町から双葉町にバスで入った時、浪江町で0・5であり双葉町に入ると
7マイクロシーベルトになっていた、それには驚いた

なぜこうして大きな差が出たのか?

それは原発の爆発で出た放射性物質はブルームとなり雲の塊りのようにして流れたからである、平均に分散するというのではなかった
それとその時の風向きが影響した、東風が春に海から吹きそれが山の方へ向かって吹いたその時運悪く雨とか雪がふり放射性物質が雨と雪とかについて降った
それで山側は高くなったのである
海側は低いということは確かである、それで浪江の東電の人が町長が山の方が安全だからと津島に逃げた、でもそこは一番放射線が高い場所になっていたのである
でも東電の人がいて海側の方が安全だとして町民も従って街の方へ引き返した
つまり海側の方が安全だったのである、海側は低いのである
海の方に放射性物質が流れたからである

だからあそこの海の近くが低いことはわかる、でも0.05というのは納得できないのである
いづれにしろ双葉町にしろ大熊町にしろ回復不可能とも見た
住民は帰ってこない、町は放棄されたとなる、ただ廃炉事業に40年もかかるとしたら
その仕事は延々とつづく、そのための施設が必要でありそこで働く住民が必要になる
原発ができたときから原発の町と化して東電の社員のようになっていた
下請けで働くとかなんらか東電と関係していた、もう東電なしでは原発なしでは成り立たない状態になっていたのである

でも津波であれだけの松が海岸に残ったのが不思議である
南相馬市では特に鹿島区の人工林だった松原は一本の松も残らず消失したからである
あそこは多少高台になっていて残ったのか不思議である
あれは人工林ではなく自然林の松のようだ   
双葉町は津波で死んだのは20名くらいである、だから被害は少なかった
海岸には港もないし人もあまり住んでいなかった
久ノ浜のようだったらもっと被害があった、だからその点で津波だけだったらこんな被害になはならなかったのである

いづれにしろこの放射線の被害は森はほとんど除染不可能であり放射線の量が減らない
森の中で放射性物質が循環する、木の葉が散って落葉になっても放射性物質は消えない
セシウムは30年消えない、プルトニウムは二万年消えないという恐ろしいものだったのである、ただ見えないから意識化することがむずかしい、でも機械があれば誰でも計測できることが違っていた
コロナウィルスとなると計測できない、だからそのことで不安が増すのである
そしてその感染者の数におびえていることは同じだったのである
とにかく数値が問題になるのである、数値に一気一憂する
でもそんなに心配しなくてもいいというのはコロナウィルスの場合であり放射線量は素人でも正確に測れるのである、それは科学に詳しくなくても素人でもわかるのである

だからわからない素人は何も言うなというのは間違っていた
私が駅のボランティアでJRの駅長でも管理している人に仙台行きといわき行の表示を跨線橋にしてくれと言ったらしてくれたからである
原発ではそういうことはありえないのである
だからそこは完全なブラックボックスになっていた、安全神話というブラックボックスになっていた、それがどれほど危険なものか、今になってわかったのである
ただ時遅しとなっていた

この世の中は権力というのは怖いものなのである、権力によって科学でもゆがめられる
社会も歪められる、そのく権力が誰が持つのか、それが大問題なのである
原発の場合は権力をもっている全部で「安全神話」を作りブラックボックス化した
政治権力、官僚の権力、科学者(御用学者)、マスコミ・・・・・
これらが一体となり安全神話を作った、こうなると誰も逆らうことができなくなっていたのである、カルト宗教団体とか創価なども一枚加わっていたし意外と宗教団体は原発に抵抗しない、推進派になっていた、創価の場合は大成建設と富士山の正本堂建設で受注して密接な関係になった、つまり権力と権力は結託して利益を計る
利益でみんな結び合うのである

そして創価の雑誌の潮とか第三文明では原発を宣伝して宣伝費をもらっていたのである
何でも御利益ならとりつくからである、そして利益を配分するということでは同じなのである、第一仏教でも神社でも御利益宗教である、集団化すればみんなそうなる
御利益を配分するには東電のような有力企業にとりつくとなる、それは暴力団ともにているとなる
官僚は天下り先が東電でありマスコミは電事連からでも800億円が宣伝費として出ていた、それでマスコミで反対することはなかったとなる
東電によって爆発したとき朝日新聞ですら幹部が中国に招待されていたからである  

民主主義でもマスコミが報道を独占したように公平な報道もなかった
ただマスコミはテレビ六局で報道を独占していただけである
なぜら他は報道はできなかったからである、なんかyoutubeが生れて双葉町をビデオカメラをもって取材していた、放送局だと思ったら違っていた
別に個人的youtubeで双葉町のことを報道している、それが参考になる
つまたテレビ六局時代の独占は終わったのである
こうしたプログなど誰でもできるしたいしたことないともみる
でも意外と文章でも写真でも主張したり報道できるのである
つまりマスメデアとメデアでありその内容よりメデアであること報道する装置をもっていたことによって権力をもったのである
だからテレビウィルスが強力なものとなったのでてある

このようにあらゆる巨大権力が合体して一体となればそれに逆らうことは不可能である
「安全神話」とか創価の選挙の不敗信仰とかも似ている、戦争中の現人神(あらひとかみ)信仰の不敗神話もそうである、それはあくまで人間が作ったものであり絶対に安全などこの世にないのである
だからこそ津波であれバベルの塔のように崩壊したのである、神によって打ち砕かれたのである、この世の権力がいかに巨大でも全能の神にかなうことはないのである
絶対安全などこの世に人間の力で作りだせないのである
原発というのは確かに事故なのだがそれは巨悪でもありそれが津波によって自然災害によって暴かれたということがあったのだ   

まずこれだけ巨大化した権力になると対抗できないからである
だからこそ神の力によって砕かれたのである、つまり神がどこにいるともなるがなんらか神が人間に作用することがある、コロナウィルスでもグロ−バル経済をとめたようになんらか神の力が働いたのかとも思うからである
第一世界的なグロ−バル経済など止めようがないからだ
そんな力もまた人間にはない、でもこのまますすむと世界中でグロ−バル経済、資本主義経済の横暴が覆い地球自体が滅びるとまでなる、生態系が破壊されるて住めなくなるとまでなる、その実例が原発事故だったのである
一時吉田所長が東北に住めてくなると恐怖したからである
そんな空恐ろしいものを作ったことが問題だったのである、だから罰当たったともなる
神からの警告として津波があり原発事故になったともみるのである 

新しくできた原発伝承館を見た、600円の入場料をとられた、映像がほとんどであり見るべきものがなかった
そういう映像は前に見ていたからである、ただここも建物だけは立派だった
中味はなかった、何か建物とかは立派になった、駅でもエレベーターがあるのでうらやましく思った
それは避難区域になったところは建物だけは立派なのである
でもそこに住む住民がいないのである、そのアンバランスが何か原発事故の復興を象徴していたのである

posted by 老鶯 at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連