2020年10月01日

一五夜の満月(川子の溜池)


一五夜の満月(川子の溜池) 

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カシオの月の満ち欠けを示す時計では完全な満月になっていなかった
明日が完全な満月なのである


十五夜や電車の行き来平常に

十五夜や一人守りぬ広き家

一五夜の満月光り実りかな

秋の雲溜池に映し鯉沈む   


溜池の水面にいくつか波紋かな川子の村の秋の夕ぐれ 

秋の蝉声の聞こえずあわれかな季節のすすむははやかりしかな


「十五夜の日は満月」という認識の方も多いかもしれませんが、実は満月は1日ずれることも多いんです。実際、2020年の十五夜は10月1日ですが、満月は10月2日になります。何故なのでしょうか?

それは、月は必ずしも15日ピッタリで新月から満月になるとは限らないから。時期によって13.9日015.6日と大幅に変わります 

時計で月の満ち欠けがでるのがある、確かにわずかに満月ではない、明日が完全な満月である
目測では満月に見える、でも機械の方が今は正確である、目測は誤る、とうしてしも満月にしか見えないからである

川子の溜池を写真にとった、それをどう撮ろうかと工夫する、その前にいろんな角度が撮ってみる、するとその中にこれはいいなとして選ぶのがいい、写真にとってみないとわからないからである
ここはいつも通る道だけど良く見ていなかった、人間はとにかく近くでも良く見ていないのである

ここに鯉がいたこともわからなかった、蛙はいる、何か波紋が静かにいくつか広がる
それが神秘的である、日本には溜池が多い、それはやはり自然ではないが沼のようになっているのだ、この写真だと溜池が村の中心のようにも見える
溜池があって村があるとなる

一五夜の供え物はしなかった、彼岸があり墓参りして花をさす、そういうことを一人でやるのが結構手間なのである
ときもかく季節は常に変わりもう今年は秋が早くすぎて冬になるかもしれない
もう秋の蝉の声は聞こえなかったからだ




十五夜の月と電車の写真一枚


十五夜の月と電車の写真一枚

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十五夜や電車の行き来平常に

最初スーパーヒタチの写真を撮ろうとした、満月と写そうとした
広角レンズには収まったが列車はうまくとれなかった
その時満月は薄い雲に隠れて光っていた
だから写真をとるのは動いているとむずかしい、背景でも満月と一緒にとろうとしても雲に隠れたりするからである

今日は十五夜であり満月である、電車の行き来は正常にもどった
ただコロナウィルスでまた乗客は少ないし遠くからも来ない、駅でマスクしているから話すこともできない、写真をとるには困らない、ただ鉄道写真は意外とむずかしい
動いているからその一瞬をとらえるのがむずかしい
そこにスキルとカメラとレンズが必要なのである
夜景をきれいにとるとするとかなりの用意が必要である
そこまでやるとなると金もかかるしめんどうになる  

レンズが高いのには驚く,カメラ本体より高いのである
今のカメラでは夜景はきれいにとれない、ただ写真にこるとやはり景色でも見方が変わってくる、何か平凡なものでも違ったもものに見える
人間の眼とカメラの眼で二つで見れるから視野が広がる
こんなふうに見えてこんな写真がとれるんだとなる
それは近くでも一つの場面を詳しく見る、いろんな角度から見る
それで近くでも結構写真になるものがあると思った

JRは乗客を人と見ていない (お上であり人を運ぶモノと見ているー無人駅のボランティアは排除されるだけだった)


JRは乗客を人と見ていない

(お上であり人を運ぶモノと見ているー無人駅のボランティアは排除されるだけだった)

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武田邦彦

本当にそこは人にサービスするということはない
監視しているのである、刑務所の中のように見回りしている感覚なのである
だから上からの目線で命令するという感覚なのである


ここで新幹線のことで見回る車掌がまるで監視しているとか客として扱わない
国鉄時代と同じで上から目線で命令する感覚だとか不満を言っている
それは武田邦彦氏は前も言っていたのである
何か気軽に話もできない、旅も楽しむことができないというのもわかる

例えば航空会社だと飛行機の中はキャビンアテンダント女性がいてサービスしているし親切である
鉄道の場合はそういうことはない、人間に対してサービスするという感覚がないのであるそれは自分が駅でボランティアしてわかった
いろいろ案内とかしてきた、それはただ偶然に無人駅になったからである
そこで聞かれたのでただ案内しただけである
ゴミ箱がホーム内にありゴミを投げる場所がわからないので私は乗客のゴミをホーム内のゴミ箱に捨てたりした
そしたら監視カメラで見ていて駅長が私にホームに入るなと今は常駐している高校生の見守り役に注意されたのである

そのこともそうだか何かと自分が無人駅でたりないものを言うとなんだこいつは目障りだとしていた、私がそこで何をしていたかはわかっていたのに何もするな、かかわるなという態度だった

無人駅だから何もしなくていいんだ!  

これがJRの基本的態度なのである、つまり人間に対するサービスは全く考えていない
だから新幹線で見回りしていても客を監視しているのでありサービスするという感覚はない、そもそもサービス業と考えていない
あくまで人でもまるでモノのように目的に安全に運ぶことを主眼としていて人に対するサービスは考えていない

人は乗せてやっているんだ、ありがたく思い!

これがJRの基本的態度でありまた国鉄時代のお上の上から目線の態度なのである
ただそれは自分の場合、ボランティアしても誰も認めない、乗客自体が風を吹いて遅れた時、案内したら血相変えてそんなことするなとわめいて怒っていた
そして遂にはあいつは怪しいやつだとして誰かが匿名の人が通報してきたのである
それもみんな集まっているとき公衆の面前で職務質問されたのである

だから別に駅長とかJRの人だけではなかった、結局誰も認めなかったということである
ただ私の目的は駅でいろいろな人と出会って情報を仕入れることだった
だからその延長としてたまたま案内していたのである

ともかくJRの問題はまず人を乗せているのではない、モノを目的地までに時間通りに正確に安全に運ぶことを仕事としている
人へのサービスは眼中にないのである
だから駅は効率的にコスト削減のために無人化する、車内でもサービスする感覚はない
だから弁当食べてもあとかたづけはしない、航空会社とは違っている
そもそも鉄道は貨物輸送からはじまったのであり観光で乗客をのせるというのは付随的なことだったのである

ただ時代が変わるとただ人を安全に運ぶとかではなく、人へのサービスも必要になる
つまり社会が豊かになると基本的に安全に時間通り運ぶのが基本であっても人へのサービスが必要になってくる、それでローカル線でも観光列車になりそこでは人へのサービスが求められるのである、今の時代はなんでもハードからソフトの時代になっている
観光業はソフトである、ソフトとは柔かなとなり柔軟な対応とかなハードとは違っているつまり鉄道が車に押されて客が維持できなくなるというときソフトの面で充実させることがかえって必要になる
鉄道を観光で利用するとなると何かソフトの対応が必要になるからだ

いづれにしろ今回のコロナウィルスで鉄道の客とか航空の客が激減したことには驚いた
鉄道まで激減した、それも何なのだろうとなる
それは自分に対する冷たい仕打ちから罰を与えたともとりたくなる
それも一方的でもJRは全く人間のサービスを無視した会社であるからそうなる
とにかく自分の駅でしたことは全く否定されて排除されただけだったとなる 

ただなにかにやといっても自分の場合はJRにはずいぶん乗ったから世話になった方でありそれであまり文句は言えないとなるがそれにしても自分にされたことはひどかったとはなる
それはなぜか、乗客でも駅長でも誰も認めなかったことである
でもそれなりに役立っていたのだがそれが認められなかった、余計なお世話だとなってしまったのである


なぜ態度が悪い?
このような駅員の態度の問題はJR東日本が発足してから起きたことではない。国鉄時代から続く内容である。

国鉄時代からのお役所体質
黙っていても会社が儲かる構造
もともとは公企業だったため、お客様への質の高いサービスというよりもただ電車を動かすことに重点が置かれていた。

JR東日本の駅員の態度が悪い人、なぜそんなに多いのか?

これはみんな思っていることである、だから今回のようなコロナウィルスで客が乗らないというときこういうことも考え直すこともあるとなる、どうしたら客を増やせるかとなる時、人へのサービスも考えざるを得なくなるからだ
要するに乗せてやっているという態度は収入が減ることもないからそうなっているからである



花の変容(Flower transformation)


花の変容(Flower transformation)

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これはインタ−ネットに出ていた画像から変化させたものである
すると著作権違反にもなる
何かインタ−ネットには無数の画像がでているからそれをソフトで変えると創造したものになる
第二次第三次作品とはなる、これは抽象画に成り安かったのである

This is a variation of the image on the internet.
Then it also becomes a copyright violation
There are innumerable images on the internet, so if you change them with software, it will be created.
It will be the second and third works, which was easy as an abstract painting.