秋の暮、秋柳(双葉町が廃墟の街となった不思議ー短歌十首)
白富士は富沢酒店の酒なのである
倉だったのを店にした、いつの時代からなのか?
薬剤店にしても字が古いのである、だから古いのかとなる
初発神社とある、他に妙見神社があるのは相馬らしい
ここに記された奉納者の姓なども歴史を語るとなる
ゆっくりと電車を待つや秋の蝶
朝顔や数人待ちし駅舎かな
みちのくや車窓に望む秋の山
・・・・・
(双葉町)
石の倉街中人無く秋柳
石の倉街に人なく秋柳
双葉なる古き店かな秋柳
秋日さし石の倉の店古きかな
人も無く飲み屋もあわれ秋の暮
久々に電車を待ちて遠く行く秋となりしも旅心湧く
双葉町人の営み絶えにけりかすかに鳴きぬ虫の音聴きぬ
この道を行く人なしやあわれかな石橋わたり秋の日暮れぬ
街中に石の倉あり店屋かな秋の日さして人気なく暮る
辻曲がり妙見の社奉納者の名前刻まれ秋の日暮れぬ
この街に暮らしはつづく今はなし秋の日影に裏の道歩む
草むせし家の跡かな人住まぬ虫の音幽か聴きつ帰りぬ
駅前の通りに銀杏色づくも人は住まじもロケ地に似るかな
その道をなつかしみ行く人影の見えてあわれや秋の日翳る
出会い橋なつかしみ行く人影や柳しだれて秋のくれかな
津浪にも残れる松や根付きけりここを離れじ秋そ深まる
双葉町は私の父親が酒造りの店で働いていた、葛尾村からでて丁稚奉公したのである
そのことを聞かされているからそれで親しいものを感じていた
でもそれほど行ったということではない、何か見るべきものもなかった
ただ姉が銀行があったとしてそことで遊んだとか良く言っていた
銀行があるということはかなりめずらしいことだったのである
それは戦前であり大正時代にもなる
今の富沢酒造店の脇にあった、ただそれは戦前に倒産した、その後暖簾分けここに来た
そして同じ店で酒造りしていた人がいて戦後引揚者として鹿島に来て小池に開墾して入った人を知っている、その生活は極貧だったろう
ただ私の家で店をはじめたから玉子買いに良く行かされたのである
そこには確かに今は開拓の記念碑がある
ただなぜ小池というと街から近いのにそんなところに開墾する場所があったのかとなる
この戦後引揚者は本当に多い、津島とかは集団で入って開墾したから仲間意識が強いというのもわかる、相当な苦労だったからである、飯館村の木戸木もそうである
あんな不便な所でも開墾に入ったのである
いづれにしろそうしたことをじかに知っているので双葉町に親しみを感じていた
ただその割にはそんなに行っていない、それが立ち入りが禁止されたか解除されたので行ってみた、そこは本当に廃墟の街、ゴーストタウンだった
小高とかも一時ゴーストタウンになった、浪江町でもそうである
でも何か双葉町はまた違っていた、それはずっと街の規模が小さいということもある
だから街全体が歩ける範囲にある、そして街中に川が流れて石の橋がありそこが出会い橋とか名付けられたりしたところが新山橋のあるところが印象に残った
そこから富沢酒造り店に通じている
何か相当にさびれた感じになる、それもそのはず十年ももう人が住んでいない街なのである
そこはまた映画のロケ地のような感覚になった、でもそこは作られたものではない現実の街だったのが違う、こういうふうになった街はそんなにないだろう
そもそも古代から人が住んでいたし江戸時代も相馬藩内になっていた
だから野馬追に出る侍もいたとなる
小高に行ったときは人が住んでいる時でありこんなふうに感じなかった
浪江でも住んでいる人がいたのである
ここは人が住んでいないのである、まだ住めないのである、そこが違っていたのかもしれない、だから人が住まなくなった不思議を一層感じたとなる
橋にはいろいろある
幽霊橋 思案橋源助橋乞食橋 相引橋、・・・・
江戸の橋は時代劇に映る小さな橋である、無数の小さな橋があった、幽霊が橋に出るという時、何か柳がしだれていて真っ暗になれば幽霊が出る感じになる
その時電気の明かりがないのだから不気味だったとなる
相引橋というとき本当に橋を目印として男女があっていた、思案橋なども橋で良く思案していたとなる,当時の橋は人間的だったのである
乞食橋はそこに乞食がいたから名付けられたのだろう、乞食は本当に多かったからだ
今は橋は車が渡るものであり人間が渡るというより物を運ぶ橋なのである
要するになんでも機械化すると人間的なものがなくなるのである
ただ物と機械だけの世界になり人間がいなくなる、人間を感じなくなるのである
鉄道の無人駅でもそうである、改札でも機械でしているからである
ただ橋には何か情緒がある、それで近くの落合橋のことを語ったのである
つまり人が落ち合う橋としてあったからだ、ただ下になると橋は大きくなりそこで何か出会うとかならない、橋が大きくなると人間的でなくなるのだ
だからここの出会い橋というのは小さい橋だから人間的なものを感じたのである
別にこういう橋はどこにでもある、ただ人がいなくてったので不思議な感じになったのである