2020年10月04日

秋の暮、秋柳(双葉町が廃墟の街となった不思議ー短歌十首)


秋の暮、秋柳(双葉町が廃墟の街となった不思議ー短歌十首)

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白富士は富沢酒店の酒なのである

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倉だったのを店にした、いつの時代からなのか?

薬剤店にしても字が古いのである、だから古いのかとなる

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初発神社とある、他に妙見神社があるのは相馬らしい

ここに記された奉納者の姓なども歴史を語るとなる

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ゆっくりと電車を待つや秋の蝶

朝顔や数人待ちし駅舎かな

みちのくや車窓に望む秋の山

・・・・・

(双葉町)

石の倉街中人無く秋柳

石の倉街に人なく秋柳

双葉なる古き店かな秋柳 

秋日さし石の倉の店古きかな

人も無く飲み屋もあわれ秋の暮  


久々に電車を待ちて遠く行く秋となりしも旅心湧く

双葉町人の営み絶えにけりかすかに鳴きぬ虫の音聴きぬ

この道を行く人なしやあわれかな石橋わたり秋の日暮れぬ

街中に石の倉あり店屋かな秋の日さして人気なく暮る

辻曲がり妙見の社奉納者の名前刻まれ秋の日暮れぬ

この街に暮らしはつづく今はなし秋の日影に裏の道歩む

草むせし家の跡かな人住まぬ虫の音幽か聴きつ帰りぬ

駅前の通りに銀杏色づくも人は住まじもロケ地に似るかな

その道をなつかしみ行く人影の見えてあわれや秋の日翳る

出会い橋なつかしみ行く人影や柳しだれて秋のくれかな

津浪にも残れる松や根付きけりここを離れじ秋そ深まる


双葉町は私の父親が酒造りの店で働いていた、葛尾村からでて丁稚奉公したのである
そのことを聞かされているからそれで親しいものを感じていた
でもそれほど行ったということではない、何か見るべきものもなかった
ただ姉が銀行があったとしてそことで遊んだとか良く言っていた
銀行があるということはかなりめずらしいことだったのである
それは戦前であり大正時代にもなる

今の富沢酒造店の脇にあった、ただそれは戦前に倒産した、その後暖簾分けここに来た
そして同じ店で酒造りしていた人がいて戦後引揚者として鹿島に来て小池に開墾して入った人を知っている、その生活は極貧だったろう
ただ私の家で店をはじめたから玉子買いに良く行かされたのである
そこには確かに今は開拓の記念碑がある
ただなぜ小池というと街から近いのにそんなところに開墾する場所があったのかとなる
この戦後引揚者は本当に多い、津島とかは集団で入って開墾したから仲間意識が強いというのもわかる、相当な苦労だったからである、飯館村の木戸木もそうである
あんな不便な所でも開墾に入ったのである

いづれにしろそうしたことをじかに知っているので双葉町に親しみを感じていた
ただその割にはそんなに行っていない、それが立ち入りが禁止されたか解除されたので行ってみた、そこは本当に廃墟の街、ゴーストタウンだった
小高とかも一時ゴーストタウンになった、浪江町でもそうである
でも何か双葉町はまた違っていた、それはずっと街の規模が小さいということもある
だから街全体が歩ける範囲にある、そして街中に川が流れて石の橋がありそこが出会い橋とか名付けられたりしたところが新山橋のあるところが印象に残った
そこから富沢酒造り店に通じている
何か相当にさびれた感じになる、それもそのはず十年ももう人が住んでいない街なのである

そこはまた映画のロケ地のような感覚になった、でもそこは作られたものではない現実の街だったのが違う、こういうふうになった街はそんなにないだろう
そもそも古代から人が住んでいたし江戸時代も相馬藩内になっていた
だから野馬追に出る侍もいたとなる
小高に行ったときは人が住んでいる時でありこんなふうに感じなかった
浪江でも住んでいる人がいたのである
ここは人が住んでいないのである、まだ住めないのである、そこが違っていたのかもしれない、だから人が住まなくなった不思議を一層感じたとなる 

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橋にはいろいろある

幽霊橋 思案橋源助橋乞食橋 相引橋、・・・・

江戸の橋は時代劇に映る小さな橋である、無数の小さな橋があった、幽霊が橋に出るという時、何か柳がしだれていて真っ暗になれば幽霊が出る感じになる
その時電気の明かりがないのだから不気味だったとなる
相引橋というとき本当に橋を目印として男女があっていた、思案橋なども橋で良く思案していたとなる,当時の橋は人間的だったのである  
乞食橋はそこに乞食がいたから名付けられたのだろう、乞食は本当に多かったからだ

今は橋は車が渡るものであり人間が渡るというより物を運ぶ橋なのである
要するになんでも機械化すると人間的なものがなくなるのである
ただ物と機械だけの世界になり人間がいなくなる、人間を感じなくなるのである
鉄道の無人駅でもそうである、改札でも機械でしているからである

ただ橋には何か情緒がある、それで近くの落合橋のことを語ったのである
つまり人が落ち合う橋としてあったからだ、ただ下になると橋は大きくなりそこで何か出会うとかならない、橋が大きくなると人間的でなくなるのだ
だからここの出会い橋というのは小さい橋だから人間的なものを感じたのである
別にこういう橋はどこにでもある、ただ人がいなくてったので不思議な感じになったのである   


原発事故は必然的に起こった (無数の配管が痛んで老朽化して地震でも壊れる―素人集団が作っていた)


原発事故は必然的に起こった

(無数の配管が痛んで老朽化して地震でも壊れる―素人集団が作っていた) 

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十一人の死傷者を出した美浜原発3号機事故。直径五十六センチもある主要な配管が破裂するという重大事故です。破裂個所の配管は運転開始から二十八年間一度も検査が行われていませんでした。昨年十一月に協力会社から摩耗の可能性を指摘されていながら、九カ月も放置したまま運転していました。なぜこんなことが起こるのでしょうか

電力会社まかせでは、原発の安全は守れないことを示しています。原発の安全性をチェックするための科学的基準を確立し、それに基づいた第三者機関による厳正な検査を行うことが早急に求められています

福島原発事故でも地震によって配管が破損し重大事故につながったことが立証されている。これまでも頑丈につくられた原子炉本体よりも数百〜数千本といわれる配管の破損が原発の重大事故の原因となっている。しかも長期間運転を停止していた原子炉の再稼働では配管などの劣化が進み危険性が高まることを専門家は指摘している。

素人が造る原発 

筆者「平井憲夫さん」1997年1月逝去。1級プラント配管技能士

これは読みごたえがある

 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。 

 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。

 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

 「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。



この配管を見ていた電気関係の工事をしていた浪江町がこのことを指摘していた
でも東電に言うこともできないと仕事ができなくなると言っていた
つまり原発はその中で仕事している人ですら何も言えないのである
そしてその管理も危険なものなのにずさんだったのである
だから必ずしも地震とか津浪のせいではない、それを管理していた人たちが知っていたのである、でもは金がかかるとかなんとか安全を計ることはせず、原発は安全だとまるで念仏を唱えるように言っていたのである

それが科学者の態度なのかとなる、だからこそ「安全神話」なのである
科学と宗教があり科学者でも技術者でもその管理があまりにもずさんだったのである
それは手抜き工事でもありそんなに危険なものでも何もしなかったのである
要するに「安全神話」で肝心なことは何もしない、金をかけたくないとしなかったのである、今になって防波堤を作った、それは作れるものだったのである
日本が時の科学技術がこれほどずさんだった、だから日本の技術が進んでいるとか信じられなくなったのである、例え他でも信じられなくなった 

そうしてただ巨大な利権にあるゆる人が群がった、もちろん地元のひとでもそうだが地位ある人がほとんど群がり巨利を得ていたのである
そうしして安全神話が作られて安全は無視されて必然的に起こった事故だっこ
必ずしも津波とか地震のせいではない、それを防ぐことを怠った事故だったのである
最善を尽くしたらなら仕方がないとなる
でもただ「安全神話」を権力で作ったのであり肝心の安全を怠っていたのである
それはコストがかかるとなりそうなっていた
今になるそのつけは何百倍にもなっている、20兆円も廃炉にかかるとか国が傾くほどの金と労力を使うのである

なぜこれほど管理もできない、素人集団がばらばらに集まり作っている原発に「安全神話」が作られたのか?
これほど危険なものが堂々と「安全神話」を吹き込まれて成立していたのか?
それが本当にわからない、こんなことがあうりうるのか、それは事故前からもわかる人はわかっていたのである
そして国の検査官でもそれは分野が違っているとか本当に素人集団なのである
そういう人達がばらばらに集まり無理して作り上げたのが原発だったのである

それなのにのうのうと「安全神話」などを作っていた利権集団が原子力村だった
この責任はあまりにも大きいものだったのである
「安全神話」によってごまかした罪はあまりにも大きい、これは国家的詐欺にも等しい
それは戦争でも3百万人が死んだということがありこれも国家的な大罪でありそういう巨大な悪ともに匹敵するとなる
そもそも元から住んでいた人たちが故郷であれ長年住んでいた場所に住めなくなるほど大きな災害はない、なぜなら日本は戦争で焼野原になっても住んでいたからである
原発事故の最大の悲劇は故郷であれ住めなくなったことである

「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前まではお米の検査をしていた人だった」と 

そして国家の管理もあまりにもずさんだったのである、だからこれは国家的犯罪だったのである、となるとこれにかかわった人たちは罰せられるべきだとなる
しかし誰一人として罰せられていない、そもそもわからないのは自治体の役割りである
自治体の住民の生命を守るのが自治体職員の役割りである
でも原発は国家が管理して自治体は手を出せないのである
でも一番被害を受けるのは自治体なのである、ただ自治体でも大熊町長の5億円入った金庫が津波で流されたとか話題になったようにただそういうふうにして利権を得るだけだったのか?
それはそこに住む人たちも利権にあづかり金になるからいいとしていた
それで漁業権のことを再三批判した、海が汚染されて魚がとれなくなったと組合で騒いでもそもそも漁業権を東電に売ったのだからそんなこと主張できるのか?
今度はトリチウムを海に流すということでそれに抗議する、するとまた補償金が上積みされるのか?
事故前も多額の補償金をもらい原発御殿を建てていてうらやましがられていた
ただここで言いたいのはそもそも漁業権の問題である

海は誰の者なのか?

漁業者の組合のものだとなっていた、でも東電に漁業権を売りわたした、漁業権とは資源保護のための権利であり東電に売り渡す権利はないのである
第一事故前でも海はかなり汚染されていたという指摘がある、原発というのはそういうものだったのである

だからここで問題しなければならないのは自治体の役割りである、原発は自治体に住む人の生命の危険にかかわっていたのである
そしたら自治体がなんらかかかわらないのが納得いかないとなった
ただ自治体にはその代償として多額の金が国から出ていた、それにしても今になればその損害は大きすぎたのである
その自治体にしてもその立地した場所の自治体だだけではない、広範囲に福島県全体にかかわることだったのである、それより一時は東北に人が住めなくなると吉田所長が恐れたそれだけ広範囲に被害があるものなのに自治体でも周りの県でも権限がない

権限があるのは国だ!

これはおかしい、なぜならそこに住んでいる人こそ権利があるからだ
なぜならそこに住んでいる人がこれだけの被害を受けたからである、確かに国から金をもらったとしても自治体の住民が一番被害があり責任を否応なく負わされるのである
ただこの自覚が自治体の住民になかった、それは根本的に原発のことはブラックボックスであり知らされなかったからである、知らされたのは「安全神話」だけだったのである
そして県とは何か?それは国の出先機関であり国の方針に従うとなっていた
つまり原発は国策であり国の命令に絶対服従だともなっていた
その国の管理があまりにもすざんだったのである
検査官も分野の違う素人であり何の働きもしなかったのである

ただいろいろ考えるとそもそも原発の責任はだれにあるのか?

これが複雑で多岐にわたるからわからなくなる、それは根本的に国家の責任だった、でも国家の責任とは特定した政治家なのか官僚なのかそれもわからない、結局国家と言っても国家を作るのは議員を選ぶの国民であり国民のせきにんだとなってしうまうのである、戦争でも同じことだったからである
だから原発の問題は一地域の問題ではなく国家が関与する国家的問題であったとなる
でも国家の責任を問いるのかとなくとむずかしくなる、生業を返せ裁判では裁判所がその責任を認めて東電に賠償命令をだした、でも裁判所が司法が国家をさばけるのかとなるとそれもむずかしい
アメリカでは司法の力が強く国家に関与できる、それで最高裁判所の一番上の検事になる人が重要になると報道があった
民主主義の三権分立だとそうなるのが正しいとなる
このように原発の問題は多岐にわたり複雑であり国家そのものを問うことにもなったのである
                       


posted by 老鶯 at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連