ヤクザと原発を読むー鈴木智彦
この本はさほど衝撃的なものではない、別に暴力団関係者が来ていたしめずらしくもないそれで郵便局に入れ墨だらけの若者が来た時は驚いた
また暴力団関係者が「この仕事はおいしい」といったときこの本に書いていあるように暴力団がかかわりやすいものだったのである
第一放射線被害がありそれだと普通の人は来ない、何か事情がある人しかこない
それで事業に失敗した人に二人ほどあった
一人は事業していたので駅前の開発のことを言っていた
それは事業をして経営者だったから提言できたとなる
原発は様々なことで暴力団がかかわりやすかったのである
そこに後ろめたいものがあり隠さねばならないものがあったからそうなった
そこは常に隠ぺいで成り立っていたのである
だからとてもこれは操作できるものではないと実地に働いていた技術者でもそう思っていたのである
それを「安全神話」作り隠したのである
それは政府であれ官僚であれ検察であれ警察であれマスコミでも一体化して安全神話を作っていたのである
つまり原発は金のなる木だからその金に群がったのである
その時の地元の事情として産業となるものがない、農業でも漁業でも林業でも衰退した
それで親に農業はするなと殴られた人がいた、その子供は原発で働くようになった
また双葉とか大熊とかは相馬市とか南相馬市と離れていて産業がなかった
工場もなかったので出稼ぎ地帯であり出稼ぎしないで生活することを望んでいた
そのために原発を誘致したという経過がある
だから東電社員は神様とまでなっていた、金を落としてくれるからそうなった
人間は何であれ金になると目の色を変えるし人間も変わってしまうのである
何か金だけが見えて他は見えなくなるのである
経済的に苦しくなればみんなそうなる
そんな場所で原発に反対すれば村八分にされて住めなくなっていた
それが原発事故以後は本当に住民が住めなくなりゴーストタウンになってしまったのである
双葉町は私の父親が酒屋で丁稚として働いていたので不思議になる
その通帳が残っていた、その通帳をもって酒を売った代金などを記していた
もともと葛尾村の出身であり山で仕事がないから酒屋の丁稚になったのである
そういう人は他にもいる、原発ができてから浪江に移り原発で働いたとかいる
また浪江で下請けをして働いていた人もいる
その時大学生で何かそこで働く場所として紹介された
親戚の人はそこで下請け会社となった、その人は「原発は安全」だと言っていた
それより言わされていたのだろう、まず原発が危険だということを地元ですら言えなかった
双葉町の横断幕を見ればわかる
街が一体となり原発推進であり原発の町となっていたときそれに反対する人はもう町には住めなくなっいたのである
だから東電社員は神様となっていたのである
自治体自体が東電の下請け会社のようになっていたのである
もう東電なしでは原発なしでは成り立たなくなていたのである
今ふりかえると
原発ほど隠すものが多いものはなかった!
常に隠さざるをえない、隠蔽しなければならない、「安全神話」とはただその危険なものを隠すために作られたものだったのである
だから危険を言うことはタブーになっていた
マスコミでも何も危険を言わない、莫大な宣伝費が出ているから言わない
そうして「安全神話」作ったのはそうした危険があっても隠すためだったのである
何かこの本でも感じるのは放射性物質という毒をまきらすの原発であった
それは暴力団と相性が良かったのである
そうしてうしろめたいところがあるところに暴力団も取り入り安いからである
暴力団が原発をしのぎにできるのは、原発村が暴力団をふくむ地域共同体を丸のみにすることによって完成しているからだ
原発は村民同士が助け合い、かばいあい、見て見ぬふりをするという暗黙のルールによって矛盾を解消するシステムの上に成り立っている
不都合な事実を詰め込む社会の暗部が膨れ上がるにつれ6、昔からそこに巣くっていた暴力団は越え太った
原発と暴力団は暗部を共生している
原発というのは素人は立ち入れない、外部からの立ち入りもできない
するとその暗部がますます黒くなってブラックボックス化する
それで武田邦彦氏は権力者は権力を維持するために必ず嘘いうというのもわかる
原発にもかかわったからその嘘を知っていたとなる
とにかく政府とかでも権力も持つものは嘘を言うのである
嘘でごまかすのである、それは人間の歴史で継続されたことだとしている
権力自体そういうものであり権力は絶対的に腐敗する
そういうことで平和的に政権交代ができる権力を後退できるものとして民主主義が生まれた、でもこれも結局自民党のようにほとんど一党独裁のようになっているから腐敗してくる
ただ人間の弱みはいくら金がいらないと言っても現実問題として必要になりおれる
就職先というと田舎では公務員とか銀行とか農業職員と地方新聞社くらいがエリートとしてあった
都会のようにいろいろな就職先がないのである
すると自分に合った能力を活かせる場がないのである
ただ都会と違って地方だとある会社に就職するのとはも違う、その地域に就職するという感覚になる、それは地方が地域密着して生活しているからである
だから一部の会社とかではない、総合的なものとして地域をみるようになる
放射性物質で汚染されたとき一番の被害は生態系を破壊されたことなのである
生態系とは空気とか水とか土とかでありまた森林とかもある海も汚染された
そうなると食料すら得られなくなる、ただ今は外から入ってくるからしのげたのである
でもそうした生活基盤を失ったらもう住むことができなくなった
確かに貧乏ではありたくない、豊かな生活をしたいというのはわかる
自分もそうである、でも基本的に故郷でも住めなくなったら終わりではないか?
そのために電気がなくても家族と一緒にロウソクでも暮らしたいとなったのである
そのように極端になったのは住む場所を失ったからである
ただそこまで言ったのは極端な結果になったからである
別にに子供時代は炭で暮らしていたからできないことはない、でもそれに賛成する人は今はいない
原発の問題は一見技術的科学的問題のように見えるし論議されてきた
しかし何か人間のモラルの荒廃がありそれが事故にも通じていた
それは暴力団がかかわり安いものとなっていたことでもわかる
うしろめたいものがあり暴力団がかかわってきた
そのこと自体モラル的な問題もあった、嘘をつくということもそうである
隠蔽に隠蔽を重ねることもそうである、うしろめたい知られたくないことがあるからそうなる、そういうことが最後に大事故になったのである
もしそういうことが事故前から自覚されていれば事故にはならなかったのである
それができないのが原発だったのである
権力は暴走する。そして潰える!
巨大な権力が歯止めがきかなくなり暴走する、誰もとめられるなくなる
それがナチスとかでも起きて来る、民主主義でも起きて来る、なぜなら数が多いことが民主主義では絶対になってしまう、数さえ集めればいいとなってしまうからである
それは正義でもなんでもない、権利も数が集めれば得られるとなるだけなのである
それでカルト教団は毎日24時間一票をとるために休みなく奔走しているのである
信仰など関係ないのである、数は権力だからそうなる
数を集めなければ何ら力をもていないからである
そうういことが原発事故でも起きたのである
そして人間社会の行き着く先はバベルの塔の崩壊とかカタストロフィになってしまうのである