2020年10月16日

陸前浜街道(原町宿)の秋の俳句


陸前浜街道(原町宿)の秋の俳句

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原町の道の駅
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公園

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原町宿の街道


秋に来る庭に鶯籠るかな  

小蝶遊ぶ紫式部に猫のいる

(原町の道の駅)

秋日さす芝生に石の三つかな

公園のベンチ一つや秋の暮

(原町宿)

街道の松に朝顔原町宿

原町宿二本の松や秋の暮


秋日さす街道行くや次の宿

街道の実りに松や宿場かな

街道に夕暮れせまる虫の声

街道に馬頭観世音秋の暮  


今日は家にいたら庭に鶯がきた、これもめずらしい、冬鶯という季語がある、笹鳴きする鶯である、これはちょっと難しい季語である
ただ春だと鳴くことで鶯を知る、その姿より鳴き声で春を感じる
秋とか冬は鳴かない、するとその姿を見て鶯としる
「冬鶯むかし王維が垣根かな 蕪村」この句は王様の権力の残した物は大きな城とかであるが詩人の残したものはわずかな垣根だたという意味かもしれない、それを蕪村が偲んだとなる
蕪村の俳句は鑑賞がむずかしい面がある

紫式部の俳句は全く写生だった、そこに何一つ付け加えるものがない、見たものそのものである、ここに何か付け加える余計なものとなり悪い俳句となってしまう
小蝶がいる、紫式部に猫がいるというだけで一つの絵になっているのだ

原町の道の駅の前は芝生にして休む場所も作ったから前より良くなった
あそこに良くよる、隣の公園の木はいい木である、そこに一つのベンチがある
そこに座り小高の人だったか話ししたことがある
何かベンチ一つでも老人とかなると愛着がでてくるのである
ここで良く座ったなとなりそのベンチがただの物ではない、人間的なものになっている
だからベンチの絵を良くみかけるのもそのためである

このベンチ誰かかが座り我が座る木のかたわらや秋深むかも

こんなふうになる、人間はここにいたんだなとなるだけで意味を帯びて来る
それはもういついなくなってもいいようになるからである
つまりいつまでもこの世にこの場にいられるわけではないからだ
本当にこの心境は老人にならないとわからない、いつまでも生きているように思えるが
実際はつかの間にこの世にいるだけだったとなるのだ

原町宿は大きな宿場町だった、それは絵に残されている、こんな大きな宿場町だったのかと驚く、だからこそ原町市に発展したともなる      
ただ今その名残を知ることはむずかしい、ただ松がありそれがふさわしい、でもそれは江戸時代からあったものではない、それでも街道にはふさわしい、朝顔が咲いていたのでまた松と合っていた 

浜街道でも原町宿があり次に浪江の高野宿があった、それから双葉町の長塚宿があり新山宿があった、小高には宿はなかった
何か旅する時はどこでも街道を行くと違ったものになる
でも他になると街道自体が車洪水でわからなくなる、浜街道は地元だからたどることができる、残念のは依然として自転車では双葉町から交通止めになっていけない、もう十年にもなるのに解除されていないのである

まず旅したか感じになるには車ではだめである、早すぎるからだ、本当は歩けば昔の街道を旅した疑似体験をできる、自転車でも通り過ぎることがある、でも歩く旅を私はしたことがないのである
でも夕暮れがせまり虫の声を聴くと心細くなってきた、早く宿に泊まりたいとなる
そういう感覚が旅なのである、「くたびれて宿借るころや藤の花 芭蕉」である
疲れたなもう宿に着くころだな、虫の鳴く声が夕暮れに聞こえる、早く宿で休みたいとなる、まずこうした感覚は現代ではなくなっているのだ、車で通りすぎたり飛ばしてゆくだけだからである

いづれにしろ秋の浜街道は行くのはいい、やはり歴史のある道は違うのである
だからこそ歴史の道である、六号線と全然違ったものなのである
でもその道が依然として原発事故以後途切れてしまっているのが残念なのである

足の方がなんとか直ったから今回も遠出した、秋はやはり運動するにはいい、夏から秋でも残暑とかなると今は陽ざしが強い、それで紫外線が危険なのである
今なら運動するにはいい、あまり疲れないからである
ただ歩いて足を悪くした原因はよくわからない、自転車で行ってたらならなかったと思う私は歩くことはほとんどししていないかったからだ、それで答えたのである








時代の雰囲気の変化ー中世時代(引きこもり)となるのか? (明治から戦争の終わりから高度成長時代へ


時代の雰囲気の変化ー中世時代(引きこもり)となるのか?

(明治から戦争の終わりから高度成長時代へ)

時代をふりかえると明治時代は開国であり国威高揚の時代だった
それは戦争終るまでそうだった、日本がアジアの盟主となる時代だったのだからかえってグロ−バル化した今より外へ向かって目が向いていた
だから鎖国から一気にそういうふうに開国してアジアの盟主としての気概をもった
それは中国であれアジアが主にヨ−ロッパの植民地になっていたからである
日本がだが唯一ヨ−ロッパの植民地にならなかったからである
そして太平洋戦争でもヨ−ロッパ列強には勝ちヨ−ロッパはアジアから駆逐されたのである
そういう時代雰囲気の中にあった、だから日本の存在感はアジアでも世界でも大きくなっていたのだ、第一アメリカ自体も日本を恐れたということで必死になり原爆まで落としてその覇権国になることを阻止したことでもわかる

何か時代の雰囲気というのはわかりにくい、それで10年間くらいの年齢差があると世代ギャップが生まれる、それで年号が世代を分ける、明治時代となると日本が世界にその力を示した輝かしい時代に見える、なぜなら明治に大学でもそうだがあらゆる分野の創始者になった人が多いからだ、それだけ新しい日本の基を作った時代だとなる

それだけの人物がなぜ生れえたのか?

それも明治維新の一つの謎である、それは明治維新が実は庶民が成したものではなく侍が成したものであったからだ、それも下級武士中心に成したものだったからだ
つまり江戸時代三百年の蓄積がありそれが人物を作っていた、そうでなければ対処できなかったろう、植民地化されるのは必然だったからである
軍事力とか技術力の差が大きかった、それなのに植民地化されなかったのである

侍というのはおそらく今の教育とは全然違ったものとして教育された、教育というより日々の生活と共同体の中で身についたものであり知識だけではない全人教育がなされていたのである、そうでなければあれだけの人物が明治に生まれるはずがないとなる
だから明治時代の雰囲気は庶民は別にしてエリートは大きな志をもって生きていた
それは欧米列強に伍するために必死になっていたのである
勉強するにもそういう大きな目的がありそのために国家のために尽くすという志があり今のようにただ自己中心の利のためのものではなかった
大学は真のエリートだったけどその志は高く今の大学とはまるで違っていた
それが旧制高校の校歌に残っている
今はただ自己の利を追及することしかない、公とか国家となどないのである

ただ日本の歴史をふりかえると奈良時代は中国の唐に遣唐使を派遣して文化を取り入れる国際化時代でありその後平安時代になり漢字だけではないかなを発明して国風文化になった、漢字が入った時は漢語が優先され知識人は漢詩を作ることが優先された
でもかなを発明したのは女性だったのである
その後は鎌倉時代となるがこれも五山文化のように禅宗とかを中国から入れた、国際的なところがあった
それから安土桃山時代となり信長がキリスト教を入れた、鉄砲なども日本に普及したことなど新しい時代が生まれた、その後はまた江戸時代になり国風文化時代になったのである

日本歴史には何かこういうサイクルがある、外国との交流があり文化を取り入れ変化する革新する時代となりその後に平安時代や江戸時代のように内にこもり国風文化の時代になる
それは世界史でもそうなのかもしれない、ローマ帝国は外へ外へと拡大する時代でありそのために「すべての道はローマに通ず」となった時代である
水道も整備されたりインフラが整備されてローマ帝国は拡大した
しかしその後は中世時代になり内にこもる閉鎖的時代となった、それも長かった
でもやがて大航海時代なとりヨ−ロッパは拡大して世界の国々を植民地化して発展してヨ−ロッパ中心の世界が作られてそれはアメリカに受け継がれたのである

そして今はどういう時代になるのか?それは世界的視野と日本国内の視野でみる必要がある
日本が高度成長時代はジャパンアズナンバーワンと言われ目覚ましい発展を遂げたのである、戦後の焼野原からそこまで急速になったことに世界が驚嘆した、それは中国ともにている、その存在感は大きなものとなっていた、それでアメリカが脅威を感じて叩くことになったのである
それからバブルとなり失われた30年となってしまった、何か全体に低迷したままなのである

それはまた明治維新から70年で戦争に負けてそれから高度成長があり70年過ぎた
その時代の変化が起きている、要するに時代の変化や雰囲気が変わる、何かコロナウィルスでもグロ−バル化が止められたことには驚いた、グロ−バル化はもう限界に来ていたのである、だからコロナウィルスが一つの時代を変えたともなる
つまりこれからの時代は奈良時代から平安時代への移行であり安土桃山時代から江戸時代の移行への時代とにている
何か内にこもる時代になる、それはヨ−ロッパだと中世時代にもなる
そのことは良く言われた、時代雰囲気としてそうなってゆく
経済発展が一段落して限界にきて精神的なものに向かうサイクルである

これからの時代は内面的なものもとか観想的世界とか哲学とか宗教の時代になる
宗教というときカルト団体だがこれは宗教とは全く違う現世利益追求だから哲学とか内面とかはまるで逆行の世界である、ただひたすら御利益を求める物質を求めるだけである
だから高度成長時代に会員が異常に増大したのは経済的利益を与えることができたからである、それが時代にあっていたのである
だから本来の宗教とかとは全然違ったのものである

つまり現代はヨ−ロッパだとローマ帝国から中世時代への移行であり日本だと奈良時代から国際化時代から平安時代の国風文化時代への移行であり安土桃山時代から江時代の移行なのである
だからかえって江戸時代に学ぶという日本回帰が起きて来る
日本はひたすら欧米化して日本の原点になるものを見失ったからである
日本がの良さを見失ったからである、明治維新でも侍がいて成功したのでありその侍は江戸時代に作られたものだったからだ

国風文化の時代というとき
「朝がほや一輪深き淵のいろ 蕪村」一輪深き朝顔の色を見る、深くその色を見る
色は多様である、色は文化でもある、様々な色を探求する時代になる
様々な色の味わいがある、それが文化なのである
内面的な時代になる、観想的な時代になる
ひきこもりがこれほど多いということは時代なのかもしれない、なぜなら団塊の世代は
すべて企業戦士となっていた、日本兵士が国家のために死んだ、企業戦士は会社のために死ぬほど忠誠して働いたとなるから似ている
でも今や日本経済が衰退するとそういう時代雰囲気ではない、会社への忠誠心も衰える
その抵抗として引きこもりが生まれたのかもしれない
実は自分自身は特殊として団塊の世代では企業戦士にならず引きこもりになっていたのである、それも30年間となれば長いとなる
その間に自然との一体感を詩で追求してきたのである
だから大半の同世代とは違った道を歩んだとなり特殊だったとなる

でもコロナウィルスとかにより何か不思議なのは時代に適応したものとなる
私はワープロ時代からたまたますでに通信の世界に入り込んでいた
別に理系でもないし何かわからないままにそんな世界に入り込んでいた
それができたのは引きこもりだったからである、外界と接することがなかった
通信の世界が外界へ通じる道だったからである
それは異常なことだったが何か今になると時代に適したものになっいる
変なのは世界が引きこもりの時代、リセッションの時代になってしまったことである
時代の雰囲気としてそうなったということである



posted by 老鶯 at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層