2020年10月19日

計画、計算できない人生 (何が起こるか予測できないー信仰ならただ求めることが一番大事)


計画、計算できない人生

(何が起こるか予測できないー信仰ならただ求めることが一番大事)

人間はいくら計算しても計算通りにならない、一流大学を出て大企業に入り終身雇用で安泰だとか目指してもそれも今や崩れた
終身雇用などありえなかった、それは一時の高度成長時代があってありえたがそれも30年前にバブル崩壊で終わった
日本はそれから経済は低迷したままのなのである

人生を経験して老人になった人に聞いてみるといい、計画通りに計算通りにいった人はいないだろう、何か必ず不測のことが起きて意外だったとなる
こんなしことになるとは思わなかったとなる
つまり人生そのものが有為転変なのである、無常だというときもそうである
常なるものはこの世にない、人間自体常に変わっている、同じ状態を維持できない
男性でも女性でも常に体でも変わってゆく、40才になると男でも白髪がでてくる
それで40才で先が見えた俺の人生も終わりだとみる
それが早いのである
氷河期世代は40ともなるとあせり苦しむのである、40になるともう社会的に終わりだと見るし社会も見るとなるからだ

自分の人生は特殊だから参考にはならない、ただ20代で自分の人生はほぼ確定した
あとは余禄のようになってしまった
私はまず家から田舎からの脱出願望が強かった、大学にも入れるような学力もなくても運よく三流大学に入った、ただ大学で勉強するというより家から田舎から脱出することで大学に入るとなっていたのである
でもそれが功を奏した、私はわがままであり家から家族から故郷から離れる必要があったのだ

だから引きこもりというとき家から離れない、親から離れないということが問題なのである、経済的に独立しなくてもそうである
人間は一度家とか故郷ととかから離れる必要がある、それが精神的に成長させるのであるだから現代的にしろ引きこもりとかニートとかは家から離れない、家族からその土地から離れないということが精神的に自立しないことに通じている

とにかく20代は自分にとって一番苦しかった、別にカルト教団に入ったのは私には求道心があった、でもそこは宗教とは無関係なところだった
だからやめた、でも奇妙なのは自分自身は求めていたのは何なのか?
それはなぜ人間は死ぬのかということで宗教を求めていたのである
一切の世俗的野望などなかったのである

何であれ何を求めるかが人生では大事である

つまり求めなさいさらば与えられるだろうとなる、求めない限り与えられないのである
誰も水を求めている時、水を与えられる、でも何も求めないものは与えられない
だから宗教とか信仰を強制するのは間違えでる、求めないものに水を飲みたくないものに水を与えても無駄だかである
でも求める者は砂漠のような所で水がない所で乾き求めるものは水が与えられる
まずその求めることこそが信仰なのである
ただもしその求めるものがこの世の欲だとしたら求めること自体が間違っている
だからカルト教団ではその求めるものが現世利益しかない、神社に求めるものは自分の個人的欲望を満たすことを祈る、それでいくばくかの賽銭をなげる
第一そんなことで神様がその願いを聞くことがあるのかとなる

要するに求めないものに何を言っても無駄である、求めるものは求めるものを得る
誰に教えられなくてもそうである、だから聖書も読んでいない、教会に一回も行かない自分でもキリスト信者になったというのもそうである
とにかく自分の場合は何か20代で波乱でありそうなったのである
それこは本を読んだとかではない、求めていてそれが人との出会いとか実人生の中でそうなったのである
ふりかえるとだから不思議なのである、師がいたとしてもそれも偶像化した、その偶像を否定した時神を知ったともなる

どうして神が人間に現れたのか?

それは神とは何かというとき妬む神として現れたのである

これも不思議なのだけど聖書を読めばかわる、それは偶像崇拝との戦いだったからである人間は必ず偶像を拝む、それも人間が一番偶像になりやすいのである
だから真実唯一の神が人間を見て何を拝んでいるんだ、そんな偶像は神ではないとして
妬み現れたのである
それが宗教のはじまりだったのである、それはユダヤ人に聖書に記された歴史だったとなる

そもそもなぜモーゼがエジプトを脱出せねばならなかったのか?

それはエジプトが偶像崇拝の国だったからである、あらゆるものが人間でも神像化していた、それで神はモーゼに命じて脱出させたのである
だから宗教の最大の問題は偶像崇拝だったのである、それはイスラム教でも同じだった
一神教なのである
神は見えない神であり見える神は偶像になるのである

いづれにしろどんな人生であれ計画しても計算してもその通りにならない、みんな思わぬ結果として意外に終わる
歴史を見ればわかる、なぜ戦争であれそれは全く思わぬこととして起こり世界で何千万も日本でも三百万人も死んだ、それもその当時の人は予期せぬこととして起こった
赤紙一枚きて戦場に連れ去られてしまったのである
そういう急激な運命の変化に見舞われたのである
有能な才能ある人も若くしてあえなく戦場の露と消えたのである
残酷な運命の下に生まれてそうなったのである

人間の計画は計算は無駄になる、こつこつと金をためてもそれもあえなく消えたとかにもなる、何もしないのに遺産が転がり込んだとかにもなる
何か計画して計算してもその通りにならない、無駄なのである
コロナウィルスでも誰も予測した人などいないからである
だから人生には歴史には予測し得ないことが起きるのである
それが何なのかどうなるのかわからないのである
津浪や原発事故でもそうである、故郷に住めなくなると誰が思ったか?
いくら危険でもそんなこと起こりえないと思っていたのである
だから長い人生の間では必ず予測し得ないことが起きる
だから計画して計算しても無駄だともなる
それだからといって無駄に金を使いということではない、金自体もいくら計画して計算してもその通りにならない

現実に私の家族は金をため込んでいたが認知症になり銀行から金を下せなくなった
この時ほど驚いたこともない、つまりこれまで金を唯一の頼りとしてため込んでいたものを自分自身で下せなくなったのである、これほどのショックはない
金をに頼っていてもこんなふうにもなってしまうのである
いくら金に頼んでもそれもこんなことになったら何にもならない
自分の金を自分で使えなくなったからである

ともかく予期せぬことが起きて来る、でもそれに備えることはできない、別に金をためてもいいけどそれも認知症になったりしたら何の役にもたたないともなる
何か一生安泰したものもない、会社だって今のように変わると安心ではない
でも婚活では女性はひたすら安定、安心、安全を求めているという
そんなことありえないというのが現実である
みんな有為転変なのである、だから若き時神を知れというのはこうした有為転変の人生に備えるためだったともなる、永遠の命があることを知れば安心だとなるからだ
別に死んでも人間は死なないとなれば畏れることはないとなるからだ
だから若い時に神を知れというのが大事になる
若い時が過ぎるとその機会を失うからである

ただ人間は30過ぎるともう終わったとかにもなる、なぜなら40でおっさんだとかなり白髪も生えてくる、それで氷河期世代の人があせるのもわかる
それだけ時間が過ぎるのが早いからである、夢のようにたちまち人生は過ぎて浦島太郎になっているのである
それは引きこもりでもニートでも30辺りになると一生そうなって終わる
自分自身がそうだった、竜宮城とかにいると外から言われたいたのも納得する
家族に養われて恵まれ過ぎていたらたちまち時間は過ぎて老人になっていたのである

そういう人は自分でもそうだったが親が何でもしてくれるから結婚もしたくない、なぜなら女性と付き合うにしてもいろいろ要求が多すぎるからだ、何してくれ何くれとしかないそして文句や愚痴が多い、でも親は何も言わず世話してくれたからその方がいいとなったのである、そこに大きな落とし穴があったとしても人間は楽だったら楽なままにしていたい、苦しむのは嫌なのである、苦しむのは仕方なくそうすするのでありあえて苦しむことを選ぶことはないのである

ただ結果として親の介護で四苦八苦してもう誰も助けてくれない、むしろ責められるだけだったとなる、苦しい時責められるのはさらに重圧となり苦しいのである
慰めの言葉も一つもなかった、一人苦しみ耐えているほかなかったのである



フラワーアレンジメント写真一枚


フラワーアレンジメント写真一枚  

flowerarragementkk11.jpg


フラワーアレンジメントには壺がかなり関係している
あと背景とかも関係してくる
写真撮影の場所作りが必要になる
だから写真撮影は結構な手間なのである
だからこそ商売ともなっているのである
高級な写真は売れるからだ

このカーネーションとスーパーで買った安いものである
ただめずらしい花だから買った、同じようなものだと飽きるのである
ただこれだけで絵になる花だった

ただ失敗したのはカメラのレンズを一つなくした
何かこのレンズも二つもって使うだけでも手間なのである
だからなくしたともなる、前には落としたこともある

今回の写真でも壺が良く映っていない、この壺はただの青ではない、何かいい感じの壺だった、海の色なのだから他のとは違っていたので買ったのである

ここでは照明も関係している、蛍光灯で暗い感じになっている、写真では光りがかなり影響する