2020年10月22日

evening river(abstract painting)

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残る虫(飯館村考- 場所の魅力)


残る虫(飯館村考-   場所の魅力)

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 残る虫の声

 幽かに残る虫が鳴きあっている
 山の静けさにその声がひびく
 その声に山は聞き入る
 小さきもの、幽かなもの
 そこでここで大きな声となる
 木の葉一枚が散り落ちぬ
 山の大いなる静けさがつつむ
 虫の声はそこにひびきつづける
 山は黙してその声聞いている
 山に陽は没り一村は暮れぬ


 飯館村というとき山と森の村である、飯館村はもともと相馬藩になる前から岩松氏が鎌倉時代に支配していたときから一体化していた
その後に相馬氏が支配したのである、だからそういう古い時代から地理的一体感があったなぜなら新田川の源流が草野を流れている
大倉は真野川の上流であり真野ダムがある、だから地理的につながっているのだ
それで飯館村が南相馬市が実は地理的に一体なのである
それで放射性物質のフレコンバックが破れて流れ出したというときそれは飯館村だけの問題ではなかった、南相馬市にもその放射性物質は川を通じても流れてくるのである
だから飯館村は飯館村で合併しなかったが地理的に一体化した地域だったのである
地理と歴史が一体化した地域である

相馬藩というとき新地が伊達藩内として境界というときあそこから牡鹿半島と金華山が明確に見える、すると宮城県を意識するのである
確かに原町片倉のフラワーランドから金華山と牡鹿半島が見えたが小さいのである
新地からはかなり大きく見えるから意識するのである

地形的な魅力としては飯館村と丸森にある、丸森は阿武隈川も流れているし蔵王も大きく見えるから魅力がある、川と森の国でもある
ただ平地が少ない、飯館村は森の国でも平地が結構ある、広い地域なのである
私はこのその土地の魅力という時、その地形の魅力、その土地の個性を形成するのはその土地の独特の雰囲気なのである
これは人間が作ったものではない、地形が作ったものである

だから相馬藩領域は一つの地理的一体感がある、ただ海側に住んでいると山というのを意識しにくい、でも山も身近なのである
そして田舎というとき人間が少ないということで存在感が大きくなる
特に飯館村とかなると広い地域に人が少ないから存在感が大きくなる
もちろん経済的には前から貧しかったからそこに住んでいる人はいいとはならなかった
飯館村は福島県でも最低クラスの収入しかなかった
ただ私はそういうことを見なかった、時々自転車で大倉から木戸木から草野に出るのがいつものコースとして行っていた
そして木戸木に出る峠で休んでいた、そこで秋の蝉の声を聴いていた
今回は残る虫の声を聴いていた

何か残る虫の音が合っていた、今まさに飯館村に残っている人は二割くらいなのか少ないそれも老人が多いという時、まさに残る虫になる
でもそうした虫の声でも山の静けさに森の静けさに大きな声となっているのだ
それが山の静けさに大きくひびいて余韻が残る
つまりその残る虫の存在感が大きいのである
こういうことは都会にはありえないのだ、どうしても場所の魅力がもてない
場所の魅力は自然が神が作りだしたともなるからだ
人工的空間では作れないからである
だから何度行ってもその場所の魅力を感じる、ただ場所の魅力はまだ発見されていない
すぐ近くにそういう魅力がある場所があったからだ

相馬藩地域だと海があり山があり実際は変化に富んでいる、ただ高い山がないことは欠けているのだ、それが残念なのである、遠くに蔵王が見える、でもその大きさを感じにくい街中に岩手山のような山がそびえているとその山を身近に見るから一体化するのである、アイディンティティ化されるのである

原発事故でもこの場所の魅力が失われたわけではない、ただそこに人が住まないとか暮らしがないとそこは何なのだろうとなる
虫の声でもそれは人間をイメージして聞いている、残る虫はまさに飯館村に残っている人だともなるからだ、だから暮らしがないと自然も活きてこないのである
ほんの一部は実りがあった、でも荒れ果てたままであった
すると何か荒涼としたものになる、飯館村の復興はどうあるべきなのか?
それはやはりその場所の魅力を活かすことだとなる

森に囲まれているからそこで精神が醸成される、森の中に分け入るとまるで神殿の柱のように樅の木があった、それはドイツの黒い森と同じである
それは丸森でも同じだった、森の国なのである
そこにふさわしいのは森に醸成される精神形成だともなる、別にその森は失われてはいない、ただ放射性物質に汚染はされているが森は存在しつづけている
放射性物質に関係ないものとして花の栽培などはつづけられる
他に何かあるのかというときそこは瞑想の森であり例えば昔なら宗教の修行の場所にもなる、そういう場所なのである

ただそこに働く場所がないと人は住めない、だから菊池製作所がありそこで人は働き住んでいる、工場だと放射性物質に汚染されなかったからである
そこに矛盾がある
飯館村には外から入ってきた人が多いみたいだ、郵便配達していた人は外から来た人である、普通郵便局に勤める人は地元の人になっている、でも外から入ってきている人が多いのである、それだけ人が流出したから外からの人を受け入れているとなる
もう外からの人が村を支えているともなっているのかもしれない
郵便配達している人が外からの人だというのもそうなのである

ともかく新しい家が建てられてそこに人は住んでいない、別荘だというのも不思議であるそんな村が成り立つのかともなる、5人の生徒のために50億円かけて校舎やその他の施設を作ったというときもそうである
そして村は補償金をもらい分断して人が消えたとなる、残っているのはわずかの人であり残る虫が鳴いているとなる
ただその場所の魅力は失われていないのである、それが救いなのである 

ヤマトタケルノミコトのお歌として伝えられる歌に

いのちの全けむ人はたたみこも平群の山のくまかしが葉を うずにさせ その子

いのちの全けむ人は・・・これは命はその場所とともにある、場所と一体化してある
現代文明人の命は無数に部品化されて全きことはない、そこにいかに経済的に繁栄しても命がないのである、全けむ人とはその場所と命が一体化した人のことである
そこに生きる意味がある、現代はその場所が失われたのである
また原発事故によってそういう命の場所を喪失させたともなる

posted by 老鶯 at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村