柿なりぬ、古き碑、残る虫、秋の暮(日立木まで自転車でまわる)
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秋薔薇一輪鮮やか庭に映ゆ
ふるさとや古き碑集め柿なりぬ
柿なりて我を見つむや牛の顔
退職し車の旅や秋の暮
夕暮れて曇りし月や三本松
残る虫鳴く声幽か細き道
残る虫すがりて鳴くや老いあわれ
秋薔薇
秋薔薇というとき何かものさびしい感じにもなるが今の40代くらいは若い、20代だとも見た、子供はもう大学生である、だいたい今の40代は30代である、若く見えるのである
ただ秋薔薇というと中年くらいをイメージする
この秋薔薇は何か華やかに見える
田舎でぱ古い碑を集めている場がある、まさにここがその一つだった、そして端の方に柿が実っている、何かつくづく自分はこの古い碑を見て来たからまさに自分自身を象徴していた、それに柿があっていたのである
牛がじっと自分を見つめている、柿がなっている、何か田舎の風景である
そこに梨もなるが今年は梨は高すぎて食べれなかったのが残念である
相馬市の道の駅で車で旅している人がいた、その中は狭いのである、寝る場所もないくらいである、だから窮屈で疲れると見た、ただ車の旅はホテルとか旅館に泊まらないから安上りである、食費だけで旅できる、なんでも五カ月も旅しているとか行っていた
そういう人が今は増えている、なにしろ老人社会であり暇な老人が多いからである
その人たちはこううして安上りな旅をしているのである
退職して鹿児島から青森まで歩いて旅してきた人には驚いた
その人も自由に旅したいとなり退職して旅に出たのである
それだけ自由と旅に憧れていたとなる
相馬の道の駅からの街道の五本松は三本松になった、そこに曇っていたが月がでた
三本松でもあの松はいい松である
残る虫が幽かにまだ鳴いている、それに耳をすます、でも残る虫というときこれも老人をイメージする、その女性は金もない、病気もあるとかなりすがってくる
これも困るのだけどぎりぎりでもう食事もまともにとらないで寝て過ごしている人がいるという、金をかけないために医者に行かないとぎりぎりになっている
国民年金4、5万の人もいる、そうしたらもうそういう生活になる
老後は年金がいかに大事か思い知らされる、定期的にやはり死ぬまで金が入ることは安心なのである、貯金は減るだけど定期的に死ぬまで収入があるということは安心である
するとそこに余裕が生まれるのである
老後は金銭的にも体でも健康で余裕がなかったら地獄になる
また一人暮らしでも病気になったりしたら悲惨である、誰も助ける者がいないからだ
今日は日立木まで行って帰ってきた、知っている人も自転車で回っていた
その人も退職して自転車に乗るようになったのである
ともかくどれだけ退職したりした人が暇になり車で旅したりしているか、それはいたる所にいるらしい、それも長いと言っていた、まるで車でジプシーのように旅しているのである、本当にそうした生活が日常にもなっているみたいである
車だとそれができるのである、食費だけでまにあうからである
私も車があればそういう旅をしたかったができない、まあ、自分は十分に旅したからもうそれほど旅したいとも思わない,してない人はそうなることもわかる