2020年10月27日

柿なりぬ、古き碑、残る虫、秋の暮(日立木まで自転車でまわる)

柿なりぬ、古き碑、残る虫、秋の暮(日立木まで自転車でまわる)

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秋薔薇一輪鮮やか庭に映ゆ

ふるさとや古き碑集め柿なりぬ

柿なりて我を見つむや牛の顔

退職し車の旅や秋の暮

夕暮れて曇りし月や三本松

残る虫鳴く声幽か細き道

残る虫すがりて鳴くや老いあわれ
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秋薔薇

秋薔薇というとき何かものさびしい感じにもなるが今の40代くらいは若い、20代だとも見た、子供はもう大学生である、だいたい今の40代は30代である、若く見えるのである
ただ秋薔薇というと中年くらいをイメージする
この秋薔薇は何か華やかに見える

田舎でぱ古い碑を集めている場がある、まさにここがその一つだった、そして端の方に柿が実っている、何かつくづく自分はこの古い碑を見て来たからまさに自分自身を象徴していた、それに柿があっていたのである

牛がじっと自分を見つめている、柿がなっている、何か田舎の風景である
そこに梨もなるが今年は梨は高すぎて食べれなかったのが残念である

相馬市の道の駅で車で旅している人がいた、その中は狭いのである、寝る場所もないくらいである、だから窮屈で疲れると見た、ただ車の旅はホテルとか旅館に泊まらないから安上りである、食費だけで旅できる、なんでも五カ月も旅しているとか行っていた
そういう人が今は増えている、なにしろ老人社会であり暇な老人が多いからである
その人たちはこううして安上りな旅をしているのである
退職して鹿児島から青森まで歩いて旅してきた人には驚いた
その人も自由に旅したいとなり退職して旅に出たのである
それだけ自由と旅に憧れていたとなる 

相馬の道の駅からの街道の五本松は三本松になった、そこに曇っていたが月がでた
三本松でもあの松はいい松である

残る虫が幽かにまだ鳴いている、それに耳をすます、でも残る虫というときこれも老人をイメージする、その女性は金もない、病気もあるとかなりすがってくる
これも困るのだけどぎりぎりでもう食事もまともにとらないで寝て過ごしている人がいるという、金をかけないために医者に行かないとぎりぎりになっている
国民年金4、5万の人もいる、そうしたらもうそういう生活になる

老後は年金がいかに大事か思い知らされる、定期的にやはり死ぬまで金が入ることは安心なのである、貯金は減るだけど定期的に死ぬまで収入があるということは安心である
するとそこに余裕が生まれるのである
老後は金銭的にも体でも健康で余裕がなかったら地獄になる
また一人暮らしでも病気になったりしたら悲惨である、誰も助ける者がいないからだ

今日は日立木まで行って帰ってきた、知っている人も自転車で回っていた
その人も退職して自転車に乗るようになったのである
ともかくどれだけ退職したりした人が暇になり車で旅したりしているか、それはいたる所にいるらしい、それも長いと言っていた、まるで車でジプシーのように旅しているのである、本当にそうした生活が日常にもなっているみたいである
車だとそれができるのである、食費だけでまにあうからである
私も車があればそういう旅をしたかったができない、まあ、自分は十分に旅したからもうそれほど旅したいとも思わない,してない人はそうなることもわかる

北陸エリアにある140駅の約8割が無人となる (無人駅化すると自治体とか住民の支援が必要になる)


北陸エリアにある140駅の約8割が無人となる

(無人駅化すると自治体とか住民の支援が必要になる)

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日本経済新聞-10月27日

今後JR西日本の在来線縮小がすすめば地域の交通維持のために自治体の存在感を高まる可能性がある


すでに鹿島駅ではこうなっている、高校生の見守り役は南相馬市の方でNPOに金をだしてそうしている
でも不思議なのはそれは高校生の見守り役に仕事がを限らせている
何か案内すらするなと駅の業務にかかわるなとしている
そういう契約の下でやらせているのである
その理由は良くわからないが無人駅でもかかわらせたくないのである
だから監視カメラで監視している

それで前の自転車屋に高校生の見守り役に対して何も言うなと言われたという
これもやはり何か駅にかかわらせたくないのである
そのために自分も無人駅になったので良く最初はわからないことがあり地元の人に聞かれたのでたまたま案内したりした、今でも遠くから来た人はわからないことがあり聞かれるのである

それは自分自身が久ノ浜駅に行ったときそこも無人駅でいわき方面と仙台行き方面がわからなくなる、そのことを鹿島駅で良くきかれたのである
また原町駅が終点になっているとき、番線が変わるのである
だからそんなことでもはじめての人はわからなくなると思った
それで駅の跨線橋に行き先の案内板を設置するように言ったらしてくれたのである
でも久ノ浜駅ではそれを言う人がいないから設置しないのである

ともかくJRでは駅でもかかわらせたくない、だから今鹿島駅で高校生の見守り役がいるがその人たちは案内するなとか契約してさせている
でももう無人駅にするのはJRだけではコスト面でできないからそうなっている
すると自治体で駅にかかわらざるをえなくなる
現実にすでに高校生の見守り役でも市の方で金を出しているのである
自治体がすでにかかわって駅を維持しているのである

ただ別に駅のことでも無料のボランティアでもやりたい人がいるかもしれない
でもJRでは無人駅でも他者にかかわらせたくないのである
そういってももう自治体でかかぉらざるをえないのである
だから高校生の見守り役のNPOには市の方で金を出しているのである

北陸の方になるとこの辺よりさらに収益が悪いし乗る人も少ないから8割が無人駅になる
収益は新幹線の方で稼ぐとなる、そしてそういう線は廃止にもなってゆく
それが時代の流れだともなる
ただコンビニでも無人化するというけどそれでやっていけるのか?
何かロボットが客の接待をするというとき味気ないものになる
必ず人間的なものが必要になるからだ、索漠として社会にもなる

何か駅は人を待ったり別れたりと車と違ったものがあり人間的な場面を演出してきたのである、だから駅は様々な人間が交差する不思議なの空間になっていたのである
それは自分自身が求められしないのに駅員のボランティアをしてわかったのである
ただ全く認められず地元からも排斥されて遂には怪しい奴だとして警察に通報されてみんなの前で職務質問されて追放されたともなる
勝手になにもするな、必要ないとされて終わったのである
ただ自分としてはいい経験だったなとつくづく思っているのである
なかなか職業を経験することはむずかしいからである、一日駅員など放送することがあるが一日で駅のことはわからない、結局それでも二年間くらいしていたようだからそれなりに駅というこういうものか駅員というこういうものかとわかったことは貴重だったとはなる

いづれにしろもうJRだけで鉄道でも駅でも維持できない、でも無人駅でも極力その住民でもたとえ無料のボランィアでもJRではかかわらけせたくないことは確かである
わざわざ駅前の自転車屋にもそう言っているからである
でもその駅前自転車屋に昼間が高校生の見守り役がいないから聞きに来る人がいるという
つまり何かわからなことがありそうなっているのである
だからJRというのは自分たちで鉄道でも駅も維持できないから回りの住民でも自治体でもかかわる
そうしなければ維持できない、そこを認識していないともなる
何らか協力しなければ維持できない、でもそうしてJR意外の人がかかわるの嫌っているのある
だから無人駅にすることですべて解決するとはならないのである