2020年11月10日

資本主義社会で商品化されて切り売りされる人間 (全人間を生きるにはアウトサイダーになるほかない)


資本主義社会で商品化されて切り売りされる人間

(全人間を生きるにはアウトサイダーになるほかない)

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材料として人間は商品化され切り売りされる

このサイトは引用もできないのか?人間が派遣されるのではなく、人材が派遣されるという、資本主義社会の冷酷な現実をこの人はいつも書いている
確かに人材というとき材は材木であり木のことなのである、木は一つの生命体であり
森の中で生きている時は全体として森の命として存在していたのである
でも一本の木が切られて材料となるとき森の全体の命から切り離された材料になったのである、商品となったのである
それで森に生活していたソーローはその森の木をただ商品として見ている商人に怒ったのである、ソーローは森の住人であり森全体の中で生きていたからである

資本主義の矛盾を冷酷さはマルクスが人間の商品化を人間疎外として指摘していた
だからめずらしいことではない、人間はみんな商品にされているのが資本主義だとなる
だからそれは社会全般でそうなっている、婚活とかも人間を商品化しているという感覚になる
商品として価値あるものが男女とも選ぶ市場を形成しているからである
それは遊郭の遊女でも商品として並べられて選ばれて金で買われていたのと同じである
一見婚活は現代的合理的なものとして見られるがやはり資本主義的現代社会の一端として現れたものである
そこでなかなかうまく選ぶことができないというのはどうしても男女とも商品化するとき商品価値が高いものを選ぼうとする、すると互いに望みが大きくなり選ぶことがむずかしくなる、そして選ばれる最高の商品はみんなが欲しい商品なのだから簡単に手に入らない競争も激化して手に入らない、でもいつまでも相応の人がいいとはならず高望みして決まらないとなる、つまり人間が商品として陳列させていることなのである
婚活を主催する人は昔なら仲人なのだがその商品をすすめる商売人となっているのだ

何かこのことに興味をもったのは私は森を詩で追求して来た
木の詩も書いてきた、それでその見方が面白いと思ったのである
このサイトではもともとユニークな見方をしていたのである
なぜ現代社会ではこうして人間が商品として能力にしても一部が切り売りされるのか?
それは資本主義社会だからというのでもない、現代文明がたどりついた結果なのである
文明そのものが非人間的なものである

人間が派遣するのではない、人材を派遣する

このことがまさに非人間的なことなのである、人間というとき森のように全体のことであり人材とはその森から切り離された木という材料にすることである
その時森という全体の命から切り離されたものとなり生命としては死んだものともなる
第一森全体を派遣したりできない、森は全体でありそれは一つの命として存在しているからである

また人間を派遣するいうとき、人間とは全体のことである、部分のことではない、なぜなら人間一人は様々な要素があるからだ、家族の一員であれば妻であったり母であったり
家族の中の一人として機能している存在である
その家族という全体から抽出して一部の能力を人材として採用するのが会社なのである
そもそも社会の仕事は人間的なものを切り離してある一部分の能力だけを見て採用する
人間全体を見る人はいない、そんなことしたら会社が成り立たない
ただ高度成長期はそういうことがあった、家族全体の福祉とかを担っていたのである
だから運動会とか社員旅行とか様々なことで家族のようにもなっていたのである
それは会社が高度成長で終身雇用ができてそうなっていたのである
人を雇うとその人の頼みとか聞いているときりなくなるのである
何で困ったとか助けてくれとか病気だから休ませてくれとかな本当に切りなくなる
でも資本主義社会では冷酷である、もう働けないからやめてくれと首にされるだけなのである、そして代わりはいくらでもいる、いないなら外国から連れて安く働かせればいいとなる

とにかく人間は資本主義社会だけではない、社会主義社会でもどんな社会でもこのようなことが起きている、奴隷がいたこともそうである、現代社会はあからさまな奴隷ではないにしろ商品化されて奴隷化されているのである
だから社畜だとか自ら言っていることでもわかる、それがわかっているからそう言っている
では資本主義社会の人間商品化から脱するにはどうすればいいのか?
それは皮肉にも株でもなんでもいい、一億円くらい稼いでこの社会から離脱してアウトサイダーになることだともなる 

なぜ引きこもりとかがこれだけ多くなるかと言えば人間の商品化とか奴隷化が嫌だからともなる、親でも援助してくれれば働かなくてもいいとなるからだ
それは問題あるにしろ商品化とか人材派遣とかそういうことからまねがれない
そうならないためには金があればできるとなるからだ
親に援助されていてもそれができればその方がいいとなる
そうなったのが自分自身だったのである、20代では底辺労働者だったけど30以降は働かず旅ばかりしていたし会社にこきつかわれこともなかった
その間は人材とされることもなく自然とアイディンティティ化する詩を書いてきたとなる森全体を生きようとしてきたのが自分だったとなる

ただこういうことはすでに2000年前から指摘されていたのである
老子とか荘子の思想がそうである      


「樗と呼ばれる大木があって、その太い根元は節くれ立って墨縄の当てようがなく、
小枝はかがまって定規にかからない。
道ばたに立っているのだが、通りかかる大工は振り向きもしない」というのです。

要するに無用の木なのです。

『荘子』では、「そんな木は無用なるが故に、用材として伐採されることがない。だから大木になる


人材にするも人材になりえない、材料になりえない人間を無用の木に例えたのである
無用の木こそ本来の木の命を生きるものであった、木という全体を生きるものだった
でもそれを人間社会から見ると無用になるのである
そうなるためには引きこもりになりアウトサイダーになるのである
そして最もあるものには値段がつけられないしまた無料なのである
景観は最も素晴らしいものでも金で計れないしそれに直接金を払う人はいない
景観のいい場所のホテルとか旅館とか温泉はその景観によって価値がでる
でもそもそも景観自体は無料なのである、最も価値があるものがこの世では実は無料なのである、富士山が見えるからといって富士山に金を払う必要はないのである

いづれにしろこの世に適合すること自体働くこと自体、人間の人材化であり部品化であるそれはどんなに優秀な人でもそうである、医者にしても人間の体を全部知る人はいない
体の一部分の専門家であり全部のことはわからないのである
これだけ複雑な文明で人間はみんな機械の部品のようになっているのである
だから職業につくこと自体部品化をまねがれない、人間存在の卑小化なのである
働くかないものは生きる価値がないとかされるが全人間的価値を志向すると社会の一員となることは社会の部品化なのである
宗教でも会員一人となるとき認められるが一人だと誰も認めないのである
それで天才的人間はアウトサイダー化したのである

一般的には天才でなくても老後は会社人間を離脱して全人間として生きるべきだともなるいろいろなしがらみを脱して大自然に融合する、それが可能になる
老後も働くというのは問題である、経済的な問題がなければそれが可能になるのである
社会のためにとかボランティアするにしても利益なしでするべきでありただそこに生きがいを見出すのである、ただボランティアには様々な問題があり簡単にはできないのであるだから荘子の無用の木になれとなる、社会の用なきところに自然の大いなる用があるとなるからだ、社会の用とは人材として一部を切り取られた用だからである
全人間としての用は社会には決して与えられない、それだけ複雑でありもう社会というのは怪物であり全体は知ることは不可能だからである

山津見神⇒羽山津見神(羽山戸神)の関係 (なぜ羽山神社が多いのか?)


山津見神⇒羽山津見神(羽山戸神)の関係

(なぜ羽山神社が多いのか?)



よく似た名前の神…ハヤマツミ(麓山祇・羽山津見神)

死んだカグツチの体から生まれた神の1柱が「ハヤマツミ神」です。ハヤマは「山の端」という意味で、山の麓、山の入り口という意味です。「ハヤマツミ神」と「ハヤマト神」はほぼ性質が同じがかなり近い神と考えていいでしょう。

日本では山に穀物神が住んでいて、その神が里の畑に下りて、畑に宿って穀物を育てると考えていました。だから山は異世界の入り口であり、良い穀物神を宿す山は特別視したわけです。それが「ハヤマト神」だと思います。

『古事記』だけに出てくるマイナーな神に羽山戸神という神がいる。系譜は大年神(オオトシ。『古事記』において須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた)と天知迦流美豆比売(アメチカルミズヒメ)の間に生まれた神と言う。

羽山戸と羽山津見(麓山祇)は「羽山」の部分を同じくし、『日本書紀』訓注に「麓、山足を麓と曰ふ。此に簸耶磨(はやま)と云ふ」とある。よって、「羽山津見」のハヤマは端山の意で、山の麓に解され、奥山津見に対応する、と言う。地名には、羽山、葉山、早馬等があり、「は(端)、やま(山)で、平地に接する山のこと」とか、「山の端」の意



相馬地域に多いのは綿津見神社である、それと対となった山津見神社がある
それは飯館村までつづいている、飯館村の佐須にある山津見神社は有名である
また綿津見神社も対なしてあり小社ではない、なぜこの神社がこの辺で特別多いのか?
それがこの辺の古代の特徴である

そして次にわかったことは羽山神社というのがまた多いのである
これは山津見の神から生まれたものとしての系統である
山津見と羽山は一体である、なぜなら羽山津見神というのもあるからだ
山津見のの前に羽を置けばそうなる
それで「本邦小祠の研究ー岩崎敏夫」があるのもそのためである
それだけ羽山神社が多い、また地名としても多いから研究の対象となった

それは山津見神と一体のものであり元来は山津見神から派生した神であった
この羽山神が多いのは稲作と深く関係していたからである
山が水の供給源であり稲作には水が欠かせないから信仰の対象になった
それが奥山ではない里山となっていたのはそこが生活の拠点となっていたからだろう

ただ水の不思議は奥山だと平地で水がないときも水が流れている、山には水が絶えることがないのである、その水が里に流れて来て春には田植えがある、それで先祖が春には山からおりてきて実りをもたらすという信仰が生まれた

とにかく日本の神社の淵源をたどると古いのである、古事記まで連なる古いものなのである、そしてこれらの神が出雲系だというのも不思議である
神々の由来をかずねると出雲にある、そして蝦夷と呼ばれた人たちは出雲系だとしている大和より先に出雲があったとなる  
丸森町にも山津見神社があり羽山神社があり祭りが行われるている
これは全国的にも多い神社なのである、一地域のものではない、その系統をたどってゆくと古事記の記述にたどりつく、

羽山戸(端谷間門)は羽山(端谷間)か山戸(谷間門)に分けられてもおかしくはない。おそらく後世になり、山と谷間(やま)が混同するようになり、ヤマは「山」に一本化され、谷間(たにま)は苗字が多少残っているようだ。

Tomのスペース

このサイトの説明が的を得ているのか?
山(やま)とあるがこれは当て字である、日本人がヤマと言った時、山を発見したのは谷間のことだったのである、谷間からは水が流れて来る、それは稲作に欠かせないものだったからである、高い山を意識したのではない、生活に密接なものとして谷間(やま)を発見したとなる、そこから羽山信仰が生まれた、奥山は別なな世界だった
南相馬市の鹿島区の栃窪村にも羽山神社がある、それは奥山ではない、村の入り口であるただ奥山から水が平地に流れて来る地点でもある

なぜこの神に注目するというと第一大和(やまと)というとき山戸であり山の入り口なのである、そして大和と言ってもそれが生まれたのは小さな一地域のことでありそれが日本を意味するようになった、つまり日本にとって山の入り口とか羽山の地域が重要な地域だったのはそこから水が流れてきて稲作に欠かせないものだったからである

いづれにしろなぜ綿津見神社と山津見神社とそれに連なる羽山神社が多いのか?
これは日本がの成り立ちと深く関係しているのだ、綿津見神社とは海の神であり海を離れて日本はありえないし、また山津見神社があるとして山を離れて日本はありえないのである、海彦山彦の神話もそこから生まれて来た

その生業(なりわい)を 雨降らず 日の重(かさ)なれば 植ゑし田も 蒔(ま)きし畑も 朝ごとに 凋(しぼ)み枯れ行く そを見れば 心を痛み みどり子(こ)の 乳(ち)乞(こ)ふがごとく 天(あま)つ水 仰ぎてそ待つ あしひきの 山のたをりに この見ゆる 天(あま)の白雲 わたつみの 沖つ宮辺(みやへ)に 立ち渡り との曇(ぐも)りあひて 雨も賜(たま)はね

ここでは山だけでない海にも祈っている、それは綿津見神なのでる、山だけでは、海に向かっても祈っていたのである