2020年11月12日

余裕のない人は他者を省りみない (自分のことしか頭になくなる―日本は貧困化しているから)


余裕のない人は他者を省りみない

(自分のことしか頭になくなる―日本は貧困化しているから)

その女性はガスの風呂を使っている、それでずっと私自身がユニットバスの水を一旦だしてからまた入れ替えてガスでたいていた
それてユニットバスの水がその度にいれかえるので水道料が高くなったのである
それをなんとかしようとしてその女性に聞いたが良く話を聞かない
それで二年以上かそれ以上水道料を高くしていたのである
ただ私は風呂には春から秋でも一週間に一回くらいしか入らないからそんなに水道料はかかっていなかったのである、だからそんなものかと見逃していたのである
そしてオイタキ機能を使っていたのだがこれはお湯が出るとばかり思っていたのである
これはお湯が水とともに出るわけではなく水をあたためる機能だった
それに気づかなかったのである、これは長くは使わないからである

そのことを見回りにきたイワタニの人に聞いた、そしたらオイタキで使用した水を温めることができると知ったのである、それを知らずに使っていたのが大失敗だった
ただ一週間に一回くらいだったから水道料金にはそれほど影響しなかったからそのままにしていた
でも今年は早く寒くなったとか何か年で冷えやすくなったとか風呂に入る回数が倍以上にもそれ以上にもなった、それでいちいち水を全部出して新しく風呂をわかすことが金がかかると思って困っていたのである
とにかく今日見回りの人が来て聞いて助かった,風呂を利用する頻度が多くなるからだ

いづれにしろ人間は余裕がない人は相談相手にもならない、第一その人は毎月電気ガス水道料金を払えないからそのことで常に頭一杯になっている、自分のことで頭一杯になっている、そういう人は他人の話など良く聞かないのである
そして機関銃のように困ったことを訴えるのが日常なのである
でも相手が困っていてもその話を良く聞かない、聞いている余裕がないのである
自分のことで毎日精一杯だからである

こういうことは自分が介護している時や病気のときでもそうだった、相手はその苦しいとか困ったことが見えない、第一その人も事業に失敗してただ頭の中が金だけになっていただから相手が苦しんでいても自分のことで一杯であり余裕がないから他者の困っていることは関係ないとなる
なんか家族が病気になったり自分が病気になったりしてから自分の身に起きている
日本が貧乏になるときこうして余裕がない人が増えて来る、金に追われる人が増えて来る
そしてどうなっていくのか?

犯罪者が増えてゆく、犯罪者とはもともと悪い人とは限らない、人間は追い詰められると犯罪者になるのである、明日食べるものがないときわずかの金でも襲い殺すこともある
それが生物だとなる、餓えたら襲ってくるのである
日本が貧困化することの恐怖はそこにある、ともかくみんな余裕がないとなるときそうなる

統計ではかえって富裕な人が金銭的にも余裕がある人達の地域で助け合うというのもそうである、貧困者が集まる所では犯罪が増える、助け合うこともできない
みんな余裕がないからだ、だからわずかの金でも奪うということもある、物でも奪う
貧困者同士は助けあえないのである、電気水道ガス代払えないからとして金をくれと言ってもないからである

でもそういう人と付き合うことは犯罪の予防にはなる、それでも全く他人のことを思いやる余裕もないというとき一方的になり肝心の自分は何もしてくれないとなる
何もしなくてもいいがちょっとした助言でもしてもらえない、ただしてもらったことはある、でも相手のことを良く聞く余裕がないから親身になって聞いてくれないのである
だからかえっていいことがなく損が多いともなる

なんか生活保護は最低限を保証して犯罪を予防するものだとか言われる
それもそうだと思う、もうぎりぎりに追い詰められれば人間に善悪はない、食べるために襲ってくるとなるからだ
ただ日本自体が貧乏になる時そういう余裕がない人であふれる、その時どうなるのか?
いくら余裕がある人がいてもそういう人が多くなると安穏としてはいられなくなるのだ
極端の格差社会になると犯罪が増える、金持ちも誘拐されたりする
それが一番怖いから生活保護の制度がある
しかし今生活保護は本当に厳しいし簡単にもらえないしもう門前払いになる
もらっても医療費は無料とかだけになるが実際は医療費も無料ではない、二割三割負担されているのである

とにかく家族がいたときは自分はめぐまれていた、家族の介護とかなって本当に苦しくなった、それを自分を気遣ってくれる人もいなくなりこちらが気づかい世話する立場になったからである
そして家を維持するときいろいろなことがある、今回のことはその一部なのである
他でも何か自分は世事にうとくわからないことがあり失敗しているからだ
だから引きこもりとかニートとか大量にいるけど両親とか死んだら地獄になる
その例が自分自身だったのである

ともかく現代の問題として機械の操作ができなくなることがある、特に老人は機械の操作が苦手になる、だから新しく買った機械が使えなくて失敗した
ただ今までしていことはパソコンでもできる、でもスマホとなると私自身でもしにくいからしないのである、他にも機械をうまく操作できないことがある
これが現代の老人の大きなハンディキャップとなっているのだ
現代はある面では老人が高齢化社会でも生きにくい社会である
老人向きの商品も売っていないとかいうのもそうである

ただ不思議だったのはヤマハのYPJ-XCは老人向きだった、最初マウテンバイクだと見ていたが全然違っていた、普通の道路が走り安いのである、第一27・5のタイヤとなると大きい、するとマウテンバイクとしては使いにくいのである
それで一回り小さいさらに改良したマウテンバイクが発売された、これは60万もしているこれならどんな悪路でも平気だとはなる、何かプロ用だともなる
現代の問題は老人にとっていろいろな機械が操作しにくいということがある
かえって若い人に教えてもらうとなり老人が何か役立たないとされるのである

ただ老人には経験したものがありそれは活きる、私は全国を旅したからそのことで今日も国造りのことで小国の地名のことなど書いたからである
こういうことは経験しないと書けないのである、その場に行かないと書けないことなのである、だから依然として老人は経験したことで何か教えることがある
だからプログでもyoutubeでも老人が発言している、その内容は若者より心にひびくものとなる、アメリカに十五年仕事していたとかいう経験はなかなかできない
私自身は外国生活していないからそこに差が生まれたのである


とにかく自分で思いこんでいるより直接きいてみることである
これは命にかかわる、医者行かないで聞かなかったの手遅れにり死ぬところだった
つまり良く聞かないこは死ぬこともある
たた聞く相手が問題なのである、ここではそなつくたガス屋に聞くべきだった
ただユニットバスを作った会社とガス屋違っていの問題だった
でもとにかく聞かない失敗したのである

国(くに)とは何なのか? (古代から国造(くにのみやっこ)から考察)


国(くに)とは何なのか?

(古代から国造(くにのみやっこ)から考察)


くに‐の‐みやつこ【国▽造】 の解説
《国の御奴 (みやつこ) の意》大化の改新以前における世襲制の地方官。地方の豪族で、朝廷から任命されてその地方を統治した。大化の改新以後は廃止されたが、多くは郡司となってその国の神事もつかさどった。くにつこ。こくぞう。

東の毛野(けぬ)、西の筑紫・豊・肥の君姓国造などさまざまであり、一律に行われた編成ではないことが分かる。

国造はそれぞれの国造の祖神たる神祇の祭祀を司り、部民や屯倉の管理なども行った。国造族の子女を舎人や釆女として朝廷に出仕させており、紀国造や上毛野国造などのように外交に従事したりもした。また、筑紫の国造(筑紫国造)のように北九州を勢力下に入れ朝廷に反抗する者や、闘鶏国造のように解体された国造も存在する。


国(くに)を考察するときそこが最小の国からの行政単位としてあった
だから国造(くにのみやっこ)が中央から派遣された
ただもともとそこに何らか国が形成されていないとそれもできない、その地域に国が形成されていて国造が中央から派遣された、第一荒野のような所だったら派遣しようがないだろう

浜通りでは石城(いわき)、染羽(しめは)、浮田が国造りが置かれた地域である
染羽(しめは)は浪江辺りであり浮田は南相馬市の鹿島区である
だから古代になるとこの三つの地域はすでに一つの国が形成されていたとなる
そこに何らか国となる人口があり人々がそれなりに住んでいたとなる
一番古い国があったとなる 、これは毛野系統なのである

ただクニというとき県(あがた)がありムラがありマチがありミヤコがある、クニというのがどれくらいの範囲なのか明確ではない、国造りのクニは狭い範囲なのである、浮田などになるとそこは相当に狭い、一つの村くらいなのである
だからクニという今の感覚では狭すぎるとなる

会津嶺の国をさ遠み逢わなはば偲びにせもと紐結ばさね

万葉集にのっている国では会津が一番古いとなる、でも会津というとき広いのである
それだけの広い所が国として意識されていたとなる
だから国造(くにのみやっこ)が置かれた国とも違って大きいとなる

そもそも国意識がどうして生まれたのか?

それは何か風土と密接に関係している、どちらかとうと四方山に囲まれた地域が国として意識されやすい、だから会津が国として古代から意識されていた
そして日本は地形的に山が多く山に囲まれている、そこに小国(おぐに)という地名が多い、阿武隈山中にも小国がありそういう場所なのである
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山超えて小国とあれや春の日やバスにおりたち一時ありぬ

福島市に行くのだがここでバスで降りた記憶があるからだ
それから小国町もありそこは遠かった、さらに青森県の黒石市から温湯(ぬるゆ)温泉へ雪が積もっている時バスで行った、トンネルをぬけるとそこにも小国とあった
こんな奥に小国があるのかと不思議だった、そこは十和田湖に近い場所でもあった
つまりこのように日本に小国という地名が多くそこを一つの国として意識していたのである、だからもともと国はそうして小さい隔絶した山に囲まれた辺鄙な所だった
そこで自給自足して暮らしていたとなる
それにしてもそこまで行くのはバスしかないのだから難儀する、車があれば別だがバスは不便だからである

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クニというとき村とも違う、村は群れるからきているから人の匂いがする
クニは区切られたとか一つの区切られた地域であり自然をイメージする
でも国というときその範囲が拡大して来た、すでに会津嶺の国でもそうである
だから日本全体が国となったのもそうである、でももともと国造りが派遣された場所でありそこは何か狭い場所なのである
今の意識とは相当に違ったものと感じる   

柳田は〈ヲグニ〉の特徴として「生活品は塩さえも土地に産することがあり、武陵桃源の隠れ里のごとく、彼らが自得自讃の根拠あることを感ぜしめる」と記しました

日本は山が多いからそういう隔絶した場所にも住んだ、だからそこで小国という意識が生まれた、そこで自給自足して生活していたからである
飯館村などがそういう地理にあり海側からすると峠を越えるのが容易ではない、地理的に隔絶されている、そこは貧しい地域だったともなる、ただ森が多いから炭焼きなどで豊かになった人もいる、木材が豊富だからそれで伊達との争いもあった

いづれろにしろ私は国にこだわるのはその土地と一体化してアイディンティティ化するのが国だからである、ただ故郷ととなると古い里なのだから狭すぎるのである
国というときもっと大きな自然がありそこでアイディンティティ化する場なのである
だからこそ日本国となるのもそれだけクニが広い範囲として国土として意識されたからそうなった、ただ行政的単位ではない、クニとはだから福島県だったら会津とは一体化できない、浜通りと会津とは全く違った風土と地域だからである
だからそれを国として意識することは無理なのである、ただ一応福島県内にあるから親密感はあるとはなる、でも地理的には相馬地域なら宮城県と仙台方面と一体感が海を通じてあったのだ、それは津波で意識された、だから宮城県の津浪の歴史を地理的一体のものとしてもっと郷土史で探求していればよかったとなる

ただ一時私はスマトラ津波の時相馬市に松川浦から津波が来て奥まで砂がボーリングで発見されたとありそのことを書いた、それは貞観津浪のものであった
慶長津波のことは何ら記録されていなかったのである、相馬藩政史に二行700人生波(いくなみ)で溺死としるされていただけなのである
それも津波の以後に発見されたのである、だからここは津浪の記録の空白地帯になっていたのである                              

ともかく地理と歴史は不可分に結びついている、だから地歴なのである
それで日本国内なら隈なく私は旅行しているから地理はわかるのである