2020年11月16日

危機感がもてない人間 (津波も原発もコロナも戦争も危機感をもてない)


危機感がもてない人間

(津波も原発もコロナも戦争も危機感をもてない)

まず津波に危機感をもっていなかった、この辺では津波が来ないという確信になっていて老人は逃げなかった、400年前に津波で700人溺死と記されていたがそれこも忘れられていて津波の以後に発見されたのである
ただ宮城県側では津波の危機意識があった

女川原子力発電所の建設にあたって、記録が残っているものだけでなく、
文献調査や聞き取り調査、考古学的調査、堆積学的調査によって、過去においてどの程度の規模の津波が三陸沿岸を襲ったかを調べた。

それによると、日本海溝で発生した大規模津波としては貞観津波(869 年、マグニチュード 8.6)、慶長津波(1611 年、マグニチュード 8.1)、明治三陸津波(1896 年、マグニチュード 8.5)、昭和三陸津波(1933 年、マグニチュード 8.1)などがあることが分かった。

明治三陸津波(1896 年、マグニチュード 8.5)、昭和三陸津波(1933 年、マグニチュード 8.1)などがあることが分かった。

近くで大きな津波が明治とかにもありそれで危機意識をもっていた、その相違は大きい
そして女川原発は東北電力が作ったのだから地元であり地元に通じていた
東電は遠くであり幹部でも安全を最初から計っていた、それで危機意識が薄れていたのである

そもそも人間は危機意識をもてない、津波のような空恐ろしいことが起きるという危機意識がもてない、もし危機意識をもったらあんな海岸線に住むことはできないからだ
村ごと根こそぎ津波に流されたからだ
もしそのことを頭にイメージでもできたらとても住めないのである
でもなぜかそんな危機意識も持たず平気で住んでいた
ここには津波が来ないとして老人は津波が来ても逃げもしなかったのである

人間は何かこういう大きな危機をもてない、日々の生活で交通事故になるとか何か事故が起きるとかはもつにしても津波などの巨大な災害をイメージできない、ただ三陸では明治にも一万人死ぬとか津浪で経験しているから危機意識をもった
でも相馬地域では危機意識を持てなかった

でも実際原発の煙突がすぐ目の前に建っていたら怖いこということがある
でもそれでも危機意識は希薄だったのである
「安全神話」が作られて安全だと思っていたのである
これだけ危険なものが目の前にあっても危機意識がもてない
それが人間の弱点になる、危機意識がもてないからのんびりしている

それは個人的にもそうだった、自分のことを延々と書いてきたが自分の家が介護とか自分自身の病気とかで崩壊寸前にてり死ぬほど苦しみを味わった
でもそのことは危機意識があれば予想できたことでもある
でも楽でありその楽に安住していた結果全部一人で負担を背負うようになったのである
それは予測できたことだが何もしなかったとためだとなる

とにかく危機意識がないということはコロナウィルスでもそうである
なんだたいしたことがないじゃないかとなり人が普通に外出して騒いでいるとなる
人間は人がバタバタ死ぬようにならない限り危機意識がもてない
若い世代になると症状が出ないとかなり警戒もしないとかなる
つまり人がバタバタ死ぬようにならないと危機意識がもてないのである
放射線の被害でもそれが十年後なのか二十年後なのか三十年後とかなるともう危機意識がもてない、人が放射線でばたばた死ぬようになると危機意識をもつ
それが人間の弱点なのである

危機意識というとき別に大災害でなくても人間が死ぬということを知っている
そしたら若い時から求道すべきだとなる、人間はなぜ死ぬのか?
死なない命が永遠の命があることを知るべきだとなる
でも危機意識が薄いから若い時は飲めや歌いやでたちまち貴重な時間が過ぎて求道する
時が消失する
他のことでも常に人間はチャンスを逃している

もちろんそうして危機意識を持てないから平然として生きていけるのだともなる
そんな恐怖を日々感じて生きていたら生きた心地もしなくなるからだ
とにかく人間は大きなことに危機意識をもたない、戦争があったのは70年前であり3百万人も死んでいる、それも忘れて日本が攻められるとか戦争になる危機意識はない
原発の「安全神話」とかにて事故は起きないとか戦争はないとかなるからだ

将来的に目に見える危機はある、2025年問題の介護が増える危機である
そういうことはすでに起きている、40過ぎた独身の人は親を施設に入れても備品などにかかり苦しいのに金を送っている、もう一人の母親も金が無くせびるとかある
つまり団塊の世代の子供の世代が親の介護になるのが2025年なのである
それはすでにはじまっている、その人たちは金もないのに親の負担を強いられるとなる
そして氷河期世代とかの老後は本当に地獄が見えている
また引きこもりなども親が死ぬと地獄になる、それは自分自身が地獄の苦しみを味わったからわかる、でもその用意は全然されていない
でもある時必ず親は死に援助は受けられなくなるのである

ただ人間は本当に危機意識を持てない、そして突然に不幸が容赦なく襲ってくるのだ
病気でも突然やってきて動けなくなったりする
そういう人がこの年になれば普通に近くにいるからだ
いづれにしろ人間の造りだすものがいかに安全でないか、でたらめなのか原発事故で知った、すでに技術者が配管が老朽化して危険だと指摘していたが東電ではとりあわなかった東電自体が危機意識をもっていなかったのである
十数メートルの津浪が来るという専門家の警告にもとりあわなかった
これも危機意識がなかったからである

だからコロナウィルスでもそうである、もう前のように危機意識がない、なれたとかあるたいしたことないじゃないかとなり人が普通に出ている
それも人がバタバタと死なない限りそうなる、それが人間なのである
そこにまた人間の危険性がある、コロナウィルスは未知のものだから対処がむずかしい
経済活動も継続せねばならないというのもわかる
ただ人間というのは危機意識を持たないことがとりかえしのつかないことになる
それは個人的にもそうだし大局的なものでもそうである
「中国何んか攻めてこない、アメリカが守ってくれる」とかなり危機意識がもてない
でもその潮目が変わってきたのである、アメリカはバイデンが大統領になり日本を捨てるというのもそうである
国防でも危機意識がもてないのである、だから核武装しろとかではなく危機意識がもたないことが怖いのである

そして人間の失敗は個人的にも国でも奢りになるとき失敗する
相手のこと敵のことがわからない、それで青銅器主体の野郎自大国が鉄器をもった漢に滅ぼされたのである、それは日本がアメリカに戦争で負けたのとにている
アメリカなどたいしたことがないとかなり大敗北になってしまった
アメリカのことをほとんど知らなかったからである

では具体的にどうすればいいのか?それもあるがまず危機意識をもつことが肝心なのである、もし危機意識を持てば備えることができる
女川原発では身近に明治にも一万人死んだとかの津波の被害があったから危機意識がもてたのである、その他はそういう危機意識をもてなかったのである
相馬地域では津波は来ないという確信にもなっていたからである

ともかく危機は現実になる、それがどういうふうにしてくるかわからないが現実になる
それは個々人でもそうである、それを自分は経験した
その時地獄の苦しみを味わうのである、今でも苦しみに自分はうなされているからだ
ただ人間は危機が目の前にあっても自覚できないのである
だからこそ生きていられるともなる、でも危機意識をもたないことがやがて致命的になることは確かである

だからコロナウィルスにどう対処するのか、それはわからない、ただの風邪だという専門家もいるしそんなに恐れるものではないというのもわかる
ただコロナウィルスでもそうだがバタバタ人が死なない限り危機意識を持てないのであるだから今やなれてウィルスを恐れない、それは被害が大きくくならない限り危機意識をもてない、津波や原発事故はまさにそうだった

これだけの空恐ろしい被害がでて危機意識をもつようになる、そうでなければ危機意識をもてないなのである、それも時間がたつとだんだん忘れられる
すでに津浪でも原発事故でも十年一昔になり記憶が希薄化してゆく
この忘れるということも人間の弱点である、3百万人も死んだのにその戦争の記憶すら希薄化しているのである、風化しているのである
ここにまた人間の危機があるとなる、危機意識がもてなくなるのである
それがまた大惨事につながることになる
つまり歴史は繰り返すであり、またカルマは業でありその業はくりかえされのである
それが人間の宿命なのでる,ウィルスも歴史上何度も襲ってきて大被害を与えていたからである
それも人間のカルマだったとなからだ

posted by 天華 at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

冬の樹の写真 (写真で発見する変わる見方)


冬の樹の写真

(写真で発見する変わる見方)

twotrees1.jpg

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winterlight11.jpg
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芒が見えるから秋である、まだ枯芒にはなっていない
この風景も普通は見逃している
たまたま写真とって発見したのである

winterrose123.jpg
冬薔薇

murasakissss222.jpg
紫式部

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二本の木の重くも冬日没る

誰が棲む灯ともりあわれ芒かな


この冬の樹の写真は広角で撮ったが自分ながら感動した、そこは毎日通っている場所である、だから特別な場所ではない、でも何か写真にこるようになってから写真を撮ってみて発見があった、カメラから見るものが撮るものが違って見えるのである

ただ写真は構図をとるとかいつも見ている場所でとないとうまくいかないと思った
何かいつも見慣れた場所だといろいろな角度から試しに撮ってみたり構図を変えたりできる
でもこれが遠くになるとそれがしにくいのである、その場所になじまないとできないと思った、この写真は毎日通っているから角度を変えたりして撮ることができたからである
そして広角で撮ったことが成功だった、写真はレンズに左右されるのである
私は別にレンズは二つしかもっていない、それも安いものである
レンズがCAMERAり高いのには驚いた、ええ、こんなに高いのと驚くのである
ただレンズによって移り方も違ってくるのも確かである

とにかく写真はいろんな角度から枚数をとるこはて上達する、でも遠くに行くとそれができない、場所を点々と変わるからである
人間は自然と一体化するというときそれは身近な自然になる
それはいつも見ているしそうしてなじんでいる内に一体化してゆく、アイディンティティ化してゆくのである

この辺の自然でものたりないのは高い山がないことである、阿武隈山脈があるとしてもこれは阿武隈高原であり山というものでもない、高い山がないので風景が引き締まらないのである
写真をとるには自転車ではきつい、車だと機材をもちこみ定点観測できる
それで富士山をとるために車に半年も泊まり込んで撮っていたというのもわかる
それくらい自然は刻々変化するから定点観測しないといい写真が撮れないのである

ただ写真が万能ではない、やはり本当に実感するにはその場を歩いてみることが必要である、写真だけでは実感でないものを知る
ここは毎日通っているからこの写真に我ながら感動したとなるからである

この桜の木は一部が枯れた、何か枯れやすいとか維持するのが苦労らしい、近くの人が手入れしているからだ、でもあそこの桜の樹は太いから見応えがある
樹齢何年かわからないがそれなりに長いだろう、他にも桜の木が土手に植えられても育つのに時間がかかるのである