2020年11月21日

耕作放棄地の増大ー三人の老人がやめる (高齢化社会、介護社会、病人社会)


耕作放棄地の増大ー三人の老人がやめる

(高齢化社会、介護社会、病人社会)

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この時はカンナもさいて野菜もわずかとれていた
その時花も活きていたのである

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いかにも荒れ果てものとなった

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知っている女性がしていた畑も遂に耕作放棄地になった
まず隣の畑が娘の車できて這って畑を手入れしていた80以上の人が遂にできなくなり
耕作放棄地になった
次に前の畑は結構広いがその人も腎臓を悪くして透析になっていた
顔が黒くなると死ぬんだよと言っていた、その女性はひどくその人を嫌っていた
田舎だと畑にも隣がありいろいろと付き合いがめんどうなのである
そして隣の畑の影響がある、耕作放棄地になると種とかいろいろ飛んでくる
雑草をとなりから生えてくるとか影響がある

ともかく本当に高齢化社会とは介護社会であり病人社会なのである
同級生でも脳出血になったとかそのために足が悪くなったとかひどい人は口もきけなくなったとかある、ただ脳出血でも軽くすむと普通に生活している
その畑ができなくなったのはその女性が70くらいになりいつも腰が痛いとかなりできなくなった
またその知人も糖尿病で何回も長く二カ月以上とか入院している
何か手術したとかで長引いている、手術となると糖尿病はめんどうになる
他に一軒ある自転車屋の人も60歳以上で病気である、でも仕事は普通にしているから不思議である

自分自身も自転車で大倉の方に行っただけで体中が痛くなったのである
筋肉が弱ってきたためだと思う
こうしてとにかく高齢化社会はなんらか病気になり病人社会でもある
介護社会というとき息子が親を青森の施設に入れている、でもそこでも何か必ず金が要求される、もう一人の母親もその息子に金をもらわないと暮らせない
つまり2025年問題がすでに現実化しているのである
40代とかの人が丁度団塊の世代とかの子どもになるからである

そして超ソロ社会というのもそうである、一人暮らしの人が多いのである
一千万人いるとか多い、だから孤独死も増える、何か社会自体が異常化している
このように病人が多いと病気の治療にかかる金がまた大きいのである
60以降はなんらかで病気になりやすいのである、自分自身もそうだった
それで薬とか医者の費用がかかる、それが馬鹿にならないのである

これはまさに高齢化社会の縮図だった、畑をやろうとしたのは良かったができなかった
70以上とかなると何かしようとしてもできない、いろいろ機械を買っても使いこなせないとかなる、畑をしようとしても体がついていけないのである
農業は体を使う仕事だから体が資本だから高齢者はつづけることができずまさに放棄するのである、それをまさに身近に知った

高齢化社会はただ高齢になるのではない、みんな病気になる確率が高いのである
だから2025年問題は団塊の世代が介護状態になりその子供の負担となるのである
こういう社会が維持できるのか?こんなに高齢者が増えてそれも健康ならいい、何らか病気になりまとせに活動できなくなる
そして介護になったらその子供に負担がかかる
その子供がちょうど氷河期世代とかなり独身が多いしまた収入も少ないのである
引きこもりとかも多い、すると地獄の様な社会になるかもしれない
それを自分自身が経験した、二人の親の介護でもう家族崩壊になり死ぬような思いをしたからである

日本の経済でも弱体化するのは少子高齢化である、耕作放棄地でも若いならやることができる、しかし年になれば体がついていけないのである
つまり一人は透析となりつづけることができなかった、隣は80以上になり這ってしていたができなくなりもう一人は体が悪くなりやめた
そしてそこは耕作放棄地となったのである

こういうことは全国的にあり耕作放棄地が増大する、特にこの辺は原発事故以後田畑でもやめる人が増大した、結果的に耕作放棄地が増えた、避難区域になったところはほとんど回復していない、草ぼうぼうなのである、そこに放射性物質の土を貯蔵する場所となったでも避難区域でない所は10年過ぎて最近土は運ばれて元にもどりつつある
でも避難区域になったところは回復していないのである
膨大な土地が耕作放棄地となり放置されているだけなのである
少子高齢化社会の現実が具体的にこの耕作放棄地に現れている

でも一方で国際的に活躍していた銀行マンが農業を実際に5年くらいしていたとかある
それは銀行業というのに嫌気をさしたことと紙幣がもう価値がなくなる、金に価値がなくなることを実感したからである
食糧飢饉になることも予想して農業をはじめた、銀行員が自ら田んぼで働くということもしている、農業に投資するためである
それだけの耕作放棄地があるのだからそれを活用させるべきだとなる

しかし農地でも勝手にできない、それぞれの所有者がいて許可をとるとか簡単にできないそれも耕作放棄地が増えている理由である
土地をもっていれば宅地化したりできるとか売るために耕作放棄地でももっている
するとそこを農地として貸すとか売ることが簡単にできない
だから何かこれは自治体とか国で国策として強制的に解決する方法を見出すべきだともなる、日本の国土の利用は国の問題であり個々人にまかせていらないともなるからだ

ともかく農業をすることは容易ではない、だから農家でありそれを受け継ぐのが楽だとなる、なぜなら土地という資本を受け継ぎそのノウハウを受け継ぐことができるからであるこの辺では梨栽培が盛んだがいい梨を作るのに十年かかったという
つまりそれは野菜でもそうして時間がかかるのである
だから特産品というときその土地にあったものを時間をかけて作ってきたからそうなったそれは江戸時代からもつづいてそうできたのである
土地はみんなその土地土地によって地味を違っているしまた肥料などを工夫するとかノウハウが意外と大きなものとして農業があるからだ
だから農業は簡単にできないのである     

ただ一方で都会の人でも紙幣とかが紙切れになるとか不安になっている
貯金しても預金封鎖があるとか紙切れになるとか盛んに言う
だから農業が注目される、食料はつねに価値あるものとなるからだ
他に現物をもっている人が強いというのもそうである、また何かを生産している人も強いただ金をもっている人は弱いのである、インフレなれば紙幣は本当に紙切れになる
いくら紙幣を積んでも紙切れにすぎないともなる
その時現物をもっている生産している人が強いとなるからそうなる
そうはいっても農業は簡単にできない、まず農業法人とかに会社員のようにして入る他ないと思う、とても一人でするのは無理がある
農家の後継ぎならそれができるが素人になるとできないからだ
農業も体力も必要だし汚い仕事にもなる、蛇とかアブとかブヨとか動物とかに荒らされるまた盗まれるのも普通にある、その話を菊だけでんざりしたからである

人間は目の前の利益しか見えない (津波を警告しても誰も聞かなかった)


人間は目の前の利益しか見えない

(津波を警告しても誰も聞かなかった)

仙台市の海側の若林区なのか郊外の住宅地化した所があった
そこを津波が来るとして学者が警告した、すると不動産屋とかから抗議があった
地価が下がるからそんなこと言うなと抗議されたのである
これも人間は自分の自分たちの利益しか見てないから起きる
学者の人は預言者のようになると言っていた
それは津波は400年前に起きたとしても忘れられていたからである
だから津波が来るというと誰も信じないとなり危機感もないのである
ただ損になるからそんなこと言うなとなるだけだったのである
つまり人間が一番敏感なのは目の前の利益なのである
そのために他でも毎日働いているからだ

原発にしても目の前の利益しか見ない、利益になればいいとかしかない
安全がどうのこうのより目の前の利益が優先される
そこに目の色を変える、その利益を得ることに反対すれば村八分にされる
原発でもやはり利益優先であり東電の社長はコストカッターとしてのし上がったというのもそうである、だから科学者が十数メートルの津波が来ると警告したのにその備えもしなかった、それはコストが金がかかるからである
でも今になって防波堤を作っていたのである

このように安全は金にならない、それが致命的結果ともなる
それは危機感の欠如からそうなる、たいしことないよ、そんな津波など来ないとか原発でも事故など起こらないとか危機感がないのである
現実は現場の人が技術者が配管が危ない、老朽化しているとか事故前もすでに警告していても幹部は見過ごしている、取り合わないのである
「安全神話」は徹底的に安全に配慮した結果できたのではない
様々な危険な要素があったとしてもそれをごまかすために権力で操作されただけなのである、それは政治家と官僚とか検察とか海上保安庁とか官僚とマスコミでも一体となりそれも自分たちの利益を優先して作られたのである
東電は有力な天下り先になっていたからである

だからここでも自分たちの利益優先としてありそれが大事故につながった
そして誰一人として責任はとらないのである
それは戦争と同じだった、でも必ず誰かが責任をとらされる
戦争では三百万人の国民が死ぬという責任をとらされたのである
原発事故では故郷に住めなくなるという責任をとらされたのである 

人間は目先の利益しか見ない、見えないとなる、原発事故後でも補償金をどれだけもらうかしかない、市町村をどう復興するかより個々の利益しか見ない、だから一早く若い世代は故郷を脱出して補償金で他で暮らすようになり生活が別になり老人だけが取り残されたのである、家族でもばらばらになったのである
市町村全体をどうしようとかとか考えない、目先の個々人の利益しか見ないのである
それで目先の利益となれば補償金をいかにとるかしかなくなる
それで原町区では補償金をもっとよこせとなり訴訟になっても鹿島区は30キロ圏外だから除外されているのである

人間は全体を見ることができない、今はあまりにも複雑であり誰も全体を見れる人はいないのである、社長でも見れない、それは一部分しか知らないのである
吉田所長が復水器のことを知らなかったというのもそうである、それは最も肝心なことであっても知らなかったのである、資材関係が専門だとかなり知らないとなる
無数の専門に分化しているからその全部を知る人などいないのである
ただコストには敏感だからいかにコストを減らすかには熱心になるのである

そもそも人間は大きな巨大なものは認識できないのである
何かインドの哲学者が海岸に来た大きな船のことを知らなかったという、認識できなかった、小さな舟は常に見ているから認識できた、でも大きな船となると見たこともないからそれが幻のように見えたのだろう、見慣れていれば別だがその小さな漁港ではそんな大きなものを見たことがないから認識できなかったとなる
人間は自然でも宇宙でもあまりにも巨大だから認識できない、鳥でも大鵬のような巨大なものもは認識できないのである 
そこに人間の限界がある、日々の目先の利益にとらわれて生活している
だから大きなことに対処できないとなる

自然災害でもそうだが何か大きなことになると戦争とかなると理解できなくなる
国にしてもアメリカがどれだけ大きな国だったか理解できない、それで中国の野郎自大国のように漢の鉄器に対して青銅器で戦い敗れたのである
何か大きなことは理解しにくいのである、人間は俯瞰することが不得意である
常に空から下を見ているわけではない、狭い範囲で生活しているからである
それで大きなことに対応できないとなる

つまり目先の利益は常に見ているが大きなものは無視されるのである
でもそれが致命的結果になったのである、個々の利益は見えても全体の利益は無視されやすいのである、その調和を計ることが難しいのである
明治になってから山でも海でも私権が認められて山でも無数に土地が個々人に分割されて所有されて山を共同で利用することができなくなった
それが今でも問題になる、誰の所有の土地かわからないとして利用できないのである
入会権があり村の人が共同で利用していた時とは違うからである
それで家の前の海は自分のものであり補償しろとまでなったのである
海まで分割して私的所有とされる、それは異常だとなるが目先の利益を求めるからそうなる

いづれにしろ危機感を感じないという時、それが日ごろ生活している狭い範囲のものではなく自然という大きなものであり外国でも大きなものだからそれが理解できないからそうなる、アメリカでも中国でも日本の様な島国からするとどれだけ大きいか認識できない
その差が大きすぎるのである、砂漠とか平原とか大河が日本にないからそれを理解するのがむずかしい、その風土から感覚が全く違ったものとなるのである
人間は大きなものを理解できない、だから大きな自然から来る災害でも弱いし他国が攻めてくるということにも危機感を感じないとなる
中国という大きな国を理解することがむずかしいからそうてるのである



posted by 天華 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層