2020年12月13日

冬紅葉忌(母の命日) (人間は死んでも以前として何かが残りつづける)


冬紅葉忌(母の命日)

(人間は死んでも以前として何かが残りつづける)

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冬紅葉の一枚一枚が違っている




我が家や曇りガラスに冬紅葉

師走かな母の命日また忘る


冬紅葉散りてあわれや雨にぬれ墓地の道行く母の命日

我が母の座れる所我が座りその長き歳月偲びけるかも 


母の命日をまた忘れていた、十二日だった、何か母が座っていた場所に今座っている
炬燵がありそこに座っている、その母もここに40年くらい座っていた
その前は古い家であり20年とか座っていた
考えて見れば長い、それで今日曇りガラスに冬紅葉が写っていた
その冬紅葉が母を象徴していた、それで死んだ日を冬紅葉忌としたのである
まさに冬紅葉のようにな一生だったからである

そして師走に死ぬのにふさわしかった、なぜなら一生働き詰めだったからである
大正生まれであり貧乏であり働かざるを得なかった
そして我が家に嫁いでも働き詰めだった、店をしていたからどうしても食事中でも立たざるを得なかった、それが嫌だった
ところが今度は母のしていたことが自分もせざるを得なくなった
食事中に必ず立っている、それが何かたりないものがあったりかたずけたりするものがあり立たざるを得ないのである
意外とだから一人というのはゆっくり食事ができない、これまでは食事は何もしなくても与えられていたからである

何か母は不運だった、実家が事業で失敗して一家離散のようになったとかありその後後妻がきて継母にいじめられたとか不運であり不遇だったのである
自分の家にきても女中のように使われるだけだったのである
ただ母は何か世間にうとく一人で生きられる人間ではなかった
その母の性質を自分は受け継いでいる
だから曇りガラスに冬紅葉が写っているのがなんとも似合わっている

それぞれの家のことはわかりにくい、でも家はやはり物ではない、箱でもない
何かが物としてではなく人間が生きたという何かが残っている
そこに家の重みがある、単なる物ではないのである
60年とかいればそうなる、そこを離れずに何かが残っている
そして自分にそれが受け継がれたのである
自分の性質は母に似ているからそうなったのである
これは墓には感じないのである、ただ家もいつかなくなる、墓は残るという相違はある
ただ依然として母が座って所に母がいるという感覚になる
そこに自分が座っていて感じたのである

俳句は写生である、写生には深い意味がある、ただその意味をくみとることがむずかしいたからこうしてその意味を説明しているのである
俳句は鑑賞する方が相当にその意味をくみ取らないと鑑賞できない芸術なのである
なんか平凡なものに感じてしまうからである

それにしても人間は死んでもすぐ全く何にも残らなくなるとはならない
何かが残っている、特に家には長くいるから何かが残る
ともかくまた母の命日を忘れたのは自分自身が家事に追われているからである
今日も命日だからと花を買ってきたり墓参りしたりした
そして食事の用意をすることが手間なのである、その合間にプログを書く、これは結構忙しいのである、そのために命日を忘れていたのである

ただ師走に母が死んだのはふさわしいとなる、暇なく働いていたからである
それは94才くらいまで働いていたのである
それで花にも興味がなく趣味もなく人間としては無味乾燥にもなったのである
それも時代でありそういう一生を強いられたととなる
ただその母がなお依然としてここにあると感じるのはその歳月が長かったからなのである








金の貸し借りの不思議 (借りた方が優位になる、借りたものは自分のものとも思う)


金の貸し借りの不思議

(借りた方が優位になる、借りたものは自分のものとも思う)

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金を貸したり返したりすることの不思議がある
ここでAがCに金を貸したのだが実際はBが仲介者であり
Aの貸した金はBに一端払われてAに返ってくる構図になっている  

実際はBが金がない、Cは返す能力がある、だからBはCを通じてAから金を借りた
AもBなら金を返してくれると貸したのである
つまりCの信用を通じてBはAから金をCへ借りさせたのである

その借りた金は今度はC⇒B⇒Aと回って返ってくる
これはAとCとの貸し借りなのだがそこに仲介者が入りややこくしなった
何もAとCとのやりとりだけで良かったのである
でもCはBを通じてAから金を借りた結果ややこしくなった

つまりCは金を返す能力がある、Bはない、だからCに頼んで借りたとなる
もしBが直接Aに金を貸してくれと頼んでも貸せない、Bはもともと支払い能力がないからである

もともとはCがAに金を直接借りてBに与えればいいものだった、それがBが仲介者になったことでややこしくなった
ただ金を貸すということは信用がない相手には貸さない
Cは信用があるから貸した、Bは信用がないから貸せないのである
返すあてもないからである

となると金の貸し借りでも信用が大事になる、信用がないものには貸せない
返すあてがないものにも貸せない、金をくれるならいいけど返すことを前提にしていたらそうなる

何か不思議なのはここでBは金を返す信用もない、でもCは信用がある
それでCを通じて借りたとなる
それで不思議なのはCが金を返すからとしてまたAから金を借りる
もともとその金はAのものだった
でも金を貸した結果、AからCへそしてBへと回りややこしくなった

何か金を貸すことは損なのである、金を貸すことはくれるともなる
金は他者に一端与えられるとそれがその人の金のような感覚になる
借りた金でもそうである、物でも借りるとそれが自分のもののような錯覚にもなる

つまり金を借りるのでもまた物を借りるでも借りた方が優位になる
貸す行為は何か貸す方が損になることがある
だから借りた方は金でもそれが自分のもののような錯覚になる
借りたことで所有権が移動した感覚にもなる
それは理屈ではなくそうなるのである
だから金でも借りた方が優位になり貸した方が低姿勢になりなんとか返してくださいと頼むことになる、それができないときは強制するために暴力にまでなる
金を貸すことはそれだけリスクがあるとなる

例えば銀行にあづけた金でもそれが銀行のもののようになる感覚になる
もしタンス預金が危険でも自分で金を所有していればそういうことはないのである
一端他者に金を保管してもらうだけで金が他人のもののようにもなる
実際に借りた金を返さないというのはそういう人間の心理が働いているからだとなる
金を貸したらかえって不利な立場になる、一端借りた金は人は返したくなくなる
借りた金は自分のもののように思うからである

ところが銀行は金を貸すことが商売である、でも金を貸して利子をつけるが金を借りて何か事業でも商売でもしてもうけてれる人がいなければ金は活きてこないのである
それは銀行に貯金しても利子が今はつかないのは金を借りてでももうけくれる人がいないからである

そもそも資本主義は常に投資して利益をだすということを前提にしている
ただ銀行に金があっても何もならない、利益を出さないからだ
今銀行に金をあずけても利子もつかない、するとただ金の安全な保管場所になっている
そうならそうした貸金庫のようなものに銀行はなるだけであり誰でもできるとなる
そこで安全保証すればできる、盗まれた場合などは保険をかけるとかになる

ともかく金を貸すことが優位になるようでそうではない、なぜなら貸した金を返さない人がいると取り立てるためにものすごく苦労する
遂には暴力でとりたてるほかなくなる、それが犯罪人にされてしまうのである
だから一概にサラ金とか消費者金融とかが悪者にされるが貸した方にすれば貸した金を利子をつけて返してほしいとなるだけである、それは約束だからである
まず親しい仲とか友達同士だと金の貸し借りがあるともう返してもらうことはできなくなる、法的な縛りもないし裁判にするのもめんどうになるからである
金をくれるならいいが金の貸し借りはしない方がいいというのはそのためである

posted by 老鶯 at 11:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年12月12日

俘囚とされた蝦夷(エソ)が大量に全国に移住 (真野郷の製鉄にかかわる栗太郡にも移住していた)


俘囚とされた蝦夷(エソ)が大量に全国に移住

(真野郷の製鉄にかかわる栗太郡にも移住していた)

●近江に移住させられていた蝦夷(エソ)の資料発見

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滋賀県栗東市は、律令期の近江国栗太郡(粟田)にあたり、かねてから武井・金沢製鉄遺跡群の技術体系の故地とされる官営製鉄所=瀬田丘陵生産遺跡群を抱えたところ

『六国史』(『類聚国史』の補分を含む)には吉弥侯部や吉弥侯(君子部、君子)を氏とする人物の記述が時折見られる。『続日本紀』では公民や官人としての君子氏や君子部氏、吉弥侯部氏、吉弥侯氏が記載されているが、類聚国史の「俘囚」の項には多くの吉弥侯部氏や吉弥侯氏が俘囚として記録されており、『続日本後紀』以降では俘囚以外にも賊首や賊主としての吉弥侯部氏、吉弥侯氏の記録がある。これら六国史の実際の記載としては「陸奥国俘囚」「陸奥国賊首」「出羽国俘囚」「常陸国俘囚」「甲斐国俘囚」「甲斐国賊主」「越中国俘囚」「摂津国俘囚」「播磨国俘囚」「伊予国俘囚」「安芸国俘囚長」「因幡国俘囚」「出雲国俘囚」「豊前国俘囚」「豊後国俘囚」とされているが、その殆どは何らかの功を挙げ位階を賜った記事となっている。これらの人物の中には、尾張国、駿河国、阿波国へ移配された者もあった

毛野氏一族の吉弥侯部氏(君子、浮田国造)がその伴造だったと考えられており[5]、賜姓の際には多く「上毛野」某公、「下毛野」某公の氏名を賜っている。一例としては陸奥国信夫郡の外従八位吉弥侯部足山守(きみこべのあしやまもり)が上毛野鍬山公(かみつけのくわやまのきみ)を賜ったことがある


蝦夷とは何かとなればそもそも大和王権が成立する前の日本は先住民がいて蝦夷だったのである、縄文人が先住民でありその後出雲王国があり出雲は蝦夷だったとされる
蝦夷というとき伽耶国とかからその王子のツノガノアラシトが鉄生産技術をもって蝦夷の国に入り先住民化していたのである、だから大和王権が戦った蝦夷とは手こわいものだった、渡来人がもたらした技術をもっていたからである
鉄生産もしていたからである、だからここに書かれている俘囚にしても全国に移住させられた、それで俘囚の反乱もあった
そもそも防人などに兵士として徴集されるのを嫌い反乱したというのもわかる
第一その時代に国という意識がない、狭い範囲しか認識できない、それが突然大和王権の配下になり戦地にでも送られるとしたら抵抗があった
これだけ全国に俘囚がいるとしたらそもそも大和朝廷として全国を治めたとしても不安定になる、それだけ蝦夷制定には苦労したとなる

みちのくの真野の草原(かやはら) 遠けども面影にして見ゆといふものを 笠女郎

この歌はここまでが大和王権に朝廷に服属した地として知られたものとしての歌だったのである、ここから奥はまだ大和朝廷に服属した地ではなかったのである

吉弥侯部(きみこべ)というとき毛野氏と同族関係にあり浮田国造(うきこくにのみやっこ)は南相馬市の鹿島区にあった、毛野国の支配下にあったともなる

そして

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近江粟田郡の鉄生産地と陸奥行方郡真野郷の密接なつながり (直接鉄生産の工人が行き来していた)

ここで考察したように永治二年(1142)の造立で玉桂寺の阿弥陀仏より70年前の資料である、そのように古くからエソが蝦夷がここに移住していたとなる
蝦夷の問題はそれだけ古いし終わることなく鎌倉時代までもつづき江戸時代になると征夷大将軍というのは夷を制するものとして残されたのである
それは鎌倉時代までそういうことが知られていて資料が残ったとなる
実際に真野郷と工人が直接行き来していたのでありそこに定着した人もいるともなる
その継続として今度は蝦夷が俘囚として全国各地に移住させられて管理されていたともなる、つまり歴史の継続が鎌倉時代までつづいていたのである

●阿波の忌部の祭祀集団が千葉県に移住

古語拾遺』(大同2年(807年)成立)[原 11]や『先代旧事本紀』[原 12]の説話によれば、忌部氏遠祖の天富命(天太玉命の孫)は各地の斎部を率いて種々の祭祀具を作っていたが、さらに良い土地を求めようと阿波の斎部を率いて東に赴き、そこに麻(アサ)・穀(カジノキ)を植えたという[5][6]。

同書では続けて、天富命が植えた麻が良く育ったのでその地を「総国(ふさのくに)」というようになり、また穀の木が育った地を「結城郡」というようになったとし(分注に、麻は「総(ふさ)」の古語とし、また上総国・下総国の2国がこれにあたるとする)、阿波斎部が移住した地は「安房郡」と名付けられたとする(分注に、これが安房国の国名になったとする)。また、同地には「太玉命社」を建てられ、これが「安房社」(現在の安房神社(千葉県館山市)に比定)にあたり、その神戸(神社付属の民戸)には斎部氏があるとも伝えている[5][6]

                                                           
阿波忌部ー織物の技術集団

さたみつとかあるのは忌部氏と関係している、阿波に織物の技術者集団がいてそれは千葉県に移住した、千葉県はもともと総国(ふさのくに)であり下総と上総があったからである、つまり移住するというとき何かしら技術をもった人たちがいると技術が伝えられるとなる、何か越中などの移民が紙漉きの技術を相馬地方に伝えたというのもそうである
さたみつという貞光町がありそこに行ったことがある
そこはうだつの屋並で有名である、ただ屋根に苔むしたり草が生えたりして相当に古くなっていた、その後は煙草の産地として大阪とかに煙草を売ることで栄えたのである
さたみつというのはそれだけ古い由来がある名前だとなる

初燕うだつの屋並貞光町

こんな所まで旅していたのが自分だった、地名でも阿波は安房とかなり移動しているし真野郷とあるときこれも近江に真野があり移動したとなる


 あとがき

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毛野氏一族の吉弥侯部氏(君子、浮田国造)がその伴造だったと考えられており、賜姓の際には多く「上毛野」某公、「下毛野」某公の氏名を賜っている


浮田国造は毛野氏一族の吉弥侯部氏である、毛野系統の支配下にあった
そして賜姓では毛野になっているのはその証拠である
ただ行方郡とかは大伴氏になっているのは注意が必要である
大伴氏が毛野の支配下に入ってきてそうなった
それは大和朝廷の進出を物語っている、そしてそれが真野の草原の歌とも関係している
大伴氏を慕ったのが笠女郎であるからだ
行方郡の真野郷は大和朝廷の支配下に入ったということを示している

毛野氏一族の吉弥侯部氏(君子、浮田国造)はその前のに支配していたのであり大伴氏は後から大和朝廷の進出とともに勢力を伸ばしてきた氏族なのである


2020年12月11日

引きこもり、ニート、アウトサイダー (文明社会の脱落者なのか?)


引きこもり、ニート、アウトサイダー

(文明社会の脱落者なのか?)

<レールから外れたうちの子が悪いのだけど、今の世の中、一度脱線してしまったら、もう修復は無理。私みたいな弱い人間がいたら、家族の人生まで狂ってしまう。壊れた母親は、これから、どうして生きていけばいいのだろう>


今の世の中、一度脱線してしまったら、もう修復は無理


人生は二度ない、若い時は感じない、人生はとてつも長く感じる、時間感覚が老人とまるで違う、老人になると人生はあっという間に終わる、たったこれだけかとなるのに驚く
これは老人になってみないとわからないのである
だから本当に20代で人生は決まるとなる、そこでレールをはずれたものは一生レールからはずれるのである

また逆にレールに乗ったとしてもそのレールに乗って終着駅まで運ばれることになる
一生社畜だとか言って会社人間となり終わる
どっちにしろ20代でその進路が方向が決まる
だから赤軍のメンバーは日本航空をハイジャックして北朝鮮に行ったがそのまま日本に帰ることなく北朝鮮で子供は成人していたのである
その時決断した結果として一生の方向が決まってしまったのである
それを後悔しても元に戻ることはできなくなっていたのである

カルト教団などでもオウムとかでもそうだし他のカルト教団でも創価でも・・・いろいろあるが同じなのである、そこに入ったものは一生呪縛されたものとして終わる
脱出しないと一生そこに囚われたままになる
だから20代で進路が方向が決まるから怖いのである
そして失敗したとしても方向が間違ったとしても引き返すことができないのである
それが赤軍が北朝鮮に日本航空をハイジャックしてそのまま日本に帰れなくななったことに現れている

ニートとか引きこもりは正規のルートを脱線した結果そうなった
その数が60万とかなんとか多いのはなぜなのか?
それだけ親とかに経済的余裕があり寄生できているということになる
だから経済的豊かさがもたらした現代的現象だともなる
貧乏だったらなんらか働かなければ食べていけいないからである
それで団塊の世代ではニートとか引きこもりはほとんどいなかった
ただいたとしても気づかないし問題にもならなかった
みんな企業戦士となり高度成長時代を築いたのである
だからその時、引きこもりとかニートがいたとしても例外的存在であり誰も注意もしなかったしそんな人がいるのかともなっていたのである

アウトサイダーというときそれは天才的な芸術家などで社会から脱線してもかえって凡人とは違って優れた人だったのである
ただそういう人は狂気となった人が多い、ニーチェとかヘルダーリンでも社会から離脱して狂気化した、ゴッホとかでもそうである
でも今のニートとか引きこもりはそうしたあまりに優れていたからそうなったのとは違うでも何か似ているのである、そういう人と私は逢う、同類なのか何かふてぶてしい
でも社会からはずれた人間として異常だともみる
ただその数がこれだけ多いということはそれが普通になり何らか対策しなければならないとなったのである、少なければほうっておかれだけだからである
数が多くなるとそれが社会的現象となり社会で問題視する
カルト教団も実際は異常集団なのだけど数が多いということで認められるのと同じであるその異常集団がナチスとかファシズムとなってゆくけど数が多いということで容認されるのである

ただ20代とかで脱線したら一生脱線した道を行くことになる
特に日本は集団組織の中で生きるから集団組織から離れた人間は見放す、落伍者ともされるのである
私自身が30年間引きこもったのも20代から正規のレールからはずれたからである
その後はそのままはずれた道を行くことになったのである
ただ自分の場合は家族に恵まれたから何か働けとも言わないし旅とが費やしたり自由に勉強したりしていたのである
だから自分の場合は特殊だったとなる、ただ介護になったとき本当に死ぬような苦しみを味わった、それを延々とプログに書いた
現実に引きこもりとかニートとか社会性がないから介護とかなると苦しむ
また頼りになる人もいないから一身に親の介護になり苦しむのである
それで事件になることが多くなる、それは金の問題だけではない、介護でも協力してもらえる人がいないということで苦しむ
そして親子で共倒れになる、私自身もそういう一歩手前までなっていたからである

ただ人間というのは長く生きていると時代が変わる、それが本当に解せないとなる
小野田少尉がジャングルで戦後も戦争状態にあったが日本に帰ってきたらまるで違った時代になっていた、あれほど日本国民が一眼になって戦争していたのに全く違った世界になっていたことに驚き戸惑うことになる
そういうことが戦後70年で起きている、終身雇用の会社人間の時代は終わったとかAIで人間のやることはなくなる、みんなアーチストになれというのもそうである
ベーシックインカムでやりたいことをやれとかいうのは本当に団塊の企業戦士とうし生きた人たちには理解できないとなるのだ
自分自身はそうしていたからそれに違和感を感じないのである 

いづれにしろ人間社会をみるとき人間が労力を費やしたものに価値が本当にあるのか?
それを一番感じるのは東京とか大都会を見た時である
そこに何の価値があるのか、美があるのか、ここが人間の住む場所なのかという疑問になる、そんな世界で人間が生きるのかとなると絶望になる
そこで人間はもう人間ではない、経済的単位であり数として数えられるだけでありただ消耗されていくだけだとなる
何かそうこに人間の作った荘厳なものでもあればいいがそういうものもない
巨大な高層ビルを見上げている蟻のようになっているだけである 

そもそも一千万の人間が密集して住んでいること自体生物としてありえないことである
そういう大都市があること自体が回りに影響する、東電が福島に原発を作ったのもそれだけの人口に供給する電力が必要だったから危険でも福島に作ったとういことがある
もちろん経済的効果があったとしてももうそこは人間の住む場所ではない
密集していることはコロナウィルスでも伝染しやすいとなり、東京から人が出るのを抑えられない、東京の影響が周りに波及して来る
福島県はそういう位置にもあったとなり原発事故になったのである
つまり茨城県だと東京に近すぎる、福島県だと遠からず近からずになり地理的なものから原発が作られたのである、そこに恩恵があっても災いももたらした原因があった

結局極論になるが人間はいくら働いても理想の国とか天国とか絶対に生まれない、作れないのである、人間の労働はむしろ自然破壊にもなり原発事故にもなったりいい結果をもたらすとは限らない、そこに人間の限界がある
つまり天国は人間の労働の結果としてもたらすことできない、天国は労せずして神から与えられるのである、ギフトなのである、恩寵なのである
なぜなら人間の成す業(わざ)には災い(わざわい)となるものがあり呪われているものがあり原発事故のようにもなるからである

2020年12月10日

原発事故とコロナウィルスの共通性 (敵の正体を知りそれに見合った対策が必要)


原発事故とコロナウィルスの共通性

(敵の正体を知りそれに見合った対策が必要)

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原発事故とコロナウィルス騒動が似ていることを考察した
それはなぜなのか?コロナウィルスが科学者と関係していて専門性が必要になるからである、でも専門家だけで決められたものでもなかった
ただ科学の時代になると科学を知らない者は発言できないとういことがあった
文系と理系の対立もここにクローズアップされた
科学の専門家は理系であり政治とか経済分野は文系でもあった

原発を作ることを決断したのは政治的決断だった、それは読売新聞の正力松太郎がCIAのエージェントでありテレビ局を作るためにそうした
そこにアメリカの意図があり日本の政治を動かしたとなる
アメリカに戦争で負けたからこういう構図が多くなった
アメリカに占領されてGHQに支配されたから当然だとなる
日本はアメリカの意向に逆らえないとなったからである

それで原発でもアメリカを利するものとして古い型の原子炉を買わされたともなる
それは後進国はソ連の古い型の武器とかを買ったのとにている
そこに経済の問題があり政治の問題がある
現代は特に科学が技術が大きくかかわってくる

不思議にコロナウィルスは何か科学技術と関係しないようで深く関係していた
原発は日本がの風土に合わないものでもあった
地震が多いし津波があるように地盤が安定していないし日本の風土に合わない
そういうことが考慮しないで50基以上も作ったのは無謀だったとされる
なぜならアメリカでは西海岸の方には地震があり津浪もあったから作っていないからだ
東の方にほとんど作っていたのである
そしてアメリカでは竜巻があったりするから地下に電源を設置していた
そのアメリカをまねて日本でも地下に電源を設置して津波で浸水して機能不全になったのである

コロナウィルスでも中国とか東南アジアでは人種的な原因なのか感染者でも死者でも欧米とかと比べると極端に少ないのである
これも風土の関係があったからなのかとなる
ただインドは多い、インドは人種的に欧米型にもなる、アーリア人の混血だからともなる要するにそもそもウィルスは風土病とも云われる地域で発生したものでありもし人の移動がなければ伝染しないものだった
ヨ−ロッパでペストが蔓延したのはモンゴル人が運んだ、ネズミに由来していると言われているからだ

科学技術の問題というとき何か風土とも関係している、風車が中東で技術が開発されたのは砂漠だと風が吹くから適地でありそうなった
日本だと山が多いからトンネル技術が発達したとかなる
科学技術は風土とも関係していたのである、その土地土地の風土に合ったものとして開発されてきたのである、だから科学技術がすべての国に共通に通用するものでもなかったのである

ただ原発事故とコロナウィルスの共通性はやはりこれが科学技術とも深く関係しているから共通性がある
だから原発事故がなぜ起きたとかを考察してきたがそれと比較すると何か共通性がある
科学者が10数メートルの津波が来ると警告していた
でも東電とか政府では無視した、それは防波堤などを作るとコストがかかる経済的問題から無視したのである
科学者の専門家の警告を無視したということはコロナウィルスでも専門家が人の移動をGOTO トラベルを止めるべきだとかを聞くべきだということにも通うじている
ただ40万人がこのまま対策してければ死ぬという専門家の警告とも似ている

でもその警告は科学者としては否定されるものだった
ただ10数メートルの津浪が来るというのは科学者の科学的研究の結果でありそれが無視されたことは重大なことだったのである
なぜなら相馬地域とかでは津波は来ないとしていたからである
でもそのこともマスコミでも大きく取り上げられず知らない人が多かったのである
もしこの警告を知っていて警戒していたら津波で死ぬ人も減っていたかもしれないのだ
なぜなら津波は来ないとして警戒していなかったからである
それで死んだ人で多いのは老人だったのである  

科学的専門家の判断が政治的経済的判断で止められた!

原発事故ではそうなったがにコロナウィルスでは確かに専門家は経済優先で政治的判断で人の移動を止めない、GO TO トラベルも止めない、それは科学的判断ではない
ただコロナウィルスはどういうものか、原発とは違ったものであり同じようには判断できないのである
今回は政治的経済的判断が優先されるのが正しいともなる
なぜならコロナウィルスについては専門家も未知のものであり判断できないからである
でも東電に津波の警告をした科学者専門家でもその時はそんなことはないと無視されたのである
だから科学者の専門家の判断を無視することも非常に危険なことになる
そもそも原発自体が科学者専門家は危険なものとして知っていたが政治的経済的判断で無理やり作られた経過があった、それが大事故につながったのである

コロナウィルスと原発事故の相違は科学者専門家もコロナウィルスについてわからない
でも現実的に経済的な被害があり自殺者が増えている、その対策も重要だということである、原発事故では事故後には経済的問題が起きたが事故前は起きていない

コロナウィルスで死ぬのか自殺で死ぬのか?

コロナウィルスで唯一わかっていのは60、70、80以上と確実に死ぬ確立が増える
でも若い人は死なない影響がないのである、でも自殺となると若い人が死ぬのである
すると命の重さを考えると経済優先で政治的判断するのが正しいともなる
不思議なのは原発事故では放射線の影響は遺伝子に影響して子供や次世代に被害があるということで問題になった
そうなると深刻である、でも老人は飯館村でもキノコを山菜を平気で食べていた人がいたのである、つまり十年先は死んでるとしたら放射線の被害など関係ないからそうなったのである    

だからコロナウィルスというのがどういうものかその性質に見合ったものとして対策する必要がある、経済活動を止めると若い人でも自殺する人が増える
それが深刻だとなる、80以上だと寿命なのだから仕方ないとあきらめる
そもそもコロナウィルスの不思議は増えすぎた老人を淘汰するものとして生まれたとのかとも見るからである
自然の摂理として種の保存とか次世代の命の継続のために生まれたともみることができるからである

要するにコロナウィルスが敵だとするとその敵の正体がわからないことで対策がとれない混乱しているのである、ただわかっているのは老人は死ぬ率が高いが若い世代は死なない影響がほとんどないことなのである
だから老人が死んでもいいとはならないがそういう性質がありその敵の正体がわかっていることで対策するのが正しいとなる
でも正直自分自身も死にたくはない、でも70以上でも8パーセントくらいがかかるにしても死ぬにしてもみんな死ぬわけでもないのである
感染者が増えればこれからどうなるかわからない、でもこのコロナウィルスの性質からして過度に恐れるのは問題がある、マスコミは本当に過度に恐れさせている
それでテレビを見るとみんな恐怖におびるえとなる
ただ人の移動はやはり抑えるべきだとは今の時期では思うのである

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コロナウィルスで死ぬのは老人が寿命で死ぬのと同じ
肺炎もそうである、ガンは多少天寿で死ぬより早いとしている
つまりコロナウィルスで死ぬのは天寿でありこれは自然なことだしている
すると医療崩壊で他の若い人でも老人にしても60代とか70代でも緊急でも
治療されないということは問題になる
だから病院ではコロナウィルス患者受けつけなくしている



posted by 老鶯 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年12月09日

冬景色 冬籠もる 冬紅葉(桜井古墳を冬にめぐる)


冬景色 冬籠もる 冬紅葉(桜井古墳を冬にめぐる)

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このレンズは前と後ろがぼける
だからこのレンズはボケさすにはいいとなる



みちのくや心にしみぬ冬景色

みちのくへ上野を離れ枯野かな

ふるさとに我が老い家主冬ごもる

寒鳥の鋭く一羽朝に来る

我が親の残せし家に冬ごもる  



(桜井古墳)

冬日さし公園歩む老夫婦

誰が眠る墓地を尋ねて冬紅葉

冬椿桜井古墳を囲み暮る




国に住む時の長しも我が命ここにありなむ冬深むかな

みちのくへ秋の夕日や我が帰る電車急ぎてひびきけるかな 


日のさして冬の紅葉の映えにけり桜井古墳のここに鎮まる

主二人桜井古墳に眠るかな棚引く冬の雲に閉ざさる  

落葉踏み桜井古墳主(ぬし)二人長くも眠る新田川の岸




みちのくというとき上野を電車が離れるとやがて夕日が車窓から地平線に沈んでゆく
その時の印象が忘れられない、だんだん家も少なくなってみちのくへ帰る
そういうことをくりかえしてきた、みちのくというときやはり一つの原風景となる
ただみちのくと言っても広い、どうしても秋田とか青森はみちのくともならない
岩手県辺りまでだとなる、実際芭蕉が旅したのは岩手県の平泉までだったからである
ただみちのくは一つのアイディンティティの場所になっていることは確かである
風土としても歴史としてもそうである、その冬景色が心にしみるとなる

桜井古墳の方を回った、冬紅葉がきれいだった、写真もうまくとれた
なかなか紅葉がきれいな所がこの辺にないと思ったがあった
相馬市の城跡の冬紅葉もきれいだった、ここはさらにきれいに映えていた
写真もうまくとれた、これはやはりレンズが影響している
このレンズが安い二万もしないものだった、でもこのレンズは前と後ろがボケてとれる
それが特徴みたいだ、レンズと写真が深く関係していることを知った

なぜここに原町市にこの大きな桜井古墳があるのは謎である
この古墳をみれば原町がこの辺の中心だともみる、でも実際は隣の鹿島が古代の中心地でもあった、真野郷があり「みちのくの真野の草原(かやはら)」笠女郎の万葉集の歌は鹿島区の真野地域とされるからである

いづれにしろ桜井古墳には二人の遺体が棺にあった、つまりこの辺で勢力があった支配者が二人いたとなる、それで共に葬られたのかとなる
それはわからないにしても二つの勢力がありその融和のために一つの古墳地葬られたともみる、それは謎である    

埋葬された人物は、古墳の立地や築造年代からも新田川流域を治めていた浮田国造の初祖・鹿我別命だったと考えられる[5]。しかし、2箇所の棺の痕跡は何を意味するのかなど今後究明すべき点も多い。

浮田とは鹿島区でありここが国造(くにのみやっこ)が置かれたのだから一番古いとなるではなぜ原町市にここにその初めの祖が葬られたのかとなる
そこに密接な関係がありそうなったのである

この二人の主というとき自分の家にも二人の女性がいて家を支えて来た
だから一人というのではなく夫婦でも二人であり二人がともに協力して支えるということはある、何か歴史という時、人は死んでもその後にその死者のことを生者がかたり昔でも一つの織りなす物語となるのである
人間の歴史は今だけで作られていない、過去から延々として人は生きて死ぬことを繰り返しているのだから死者もそうして物語の中に生きつづけるのである






政治経済科学のバランスをとる判断 (原発事故とコロナウィルスの相似)


政治経済科学のバランスをとる判断

(原発事故とコロナウィルスの相似)

原発事故でもそうだったがコロナウィルスでも同じようになことが起きている
総合的な問題として起きている、一科学分野のことではない、社会全体の問題として起きている、社会全体から解決することを要望されている
政治と経済と科学とか総合的なものとして解決することを要望されている

原発事故でも実際は科学だけの問題ではなかった
その背景に政治の問題があった、それはアメリカとも関係していたのである
背後にアメリカの力が働いて原発が作られていた、原発を作ったのはアメリカとの関係から作られたのである、それで読売新聞の正力松太郎は原発を会社のために誘致したとされる、アメリカのCIAのエージェントとなり誘致した
あとは中曽根首相とかに受け継がれたのである

科学的には日本ではそもそも原発を核を操作する技術がなく未熟だったがあえて誘致したのである、それで湯川秀樹博士が時期が早いとして反対したいきさつがあった
だから物事は科学だけでは決まらない、政治判断があり経済判断がある、そして科学判断がある、コロナウィルスも似ているのである

原発の場合は科学判断では日本では技術的に未熟だから誘致する時期ではないのに政治的判断とか地元の経済を優先して原発を作った
そこに科学判断はないがしろにされた、つまり科学者は御用学者となり危険性があっても「安全神話」でそれを権力で隠したのである

コロナウィルスとの相違は原発は核はもともと危険なものとして科学者でも認識されていた、科学的にすでに研究して放射線がどういうものか知っていた
でも政治的経済的判断が優先されたのである、科学者は御用学者となり政治的経済的判断に従ったのである

今回のコロナウィルスは原発の核とは違って未知なものとして襲ってきた
専門家も実際は何なのかわかっていない、ワクチンにしても効果がわからない
だから専門家の言うことも信用できない、それで40万人が死ぬとか突拍子もないことを言って恐怖に陥れたりする
何か科学の時代になると専門家が大きな力をもつ、でも専門家でもコロナウィルスについてはわからない、憶測で言っているのが多いのである
そしてマスコミはやたら恐怖をあおるだけで視聴率を稼ごうとしている

ただ感染者が増えてくると科学的判断で自粛とかなる、医療崩壊ともなりそうなる
でも政治的経済的判断で経済活動を止めることはできない、なぜなら自殺者が増えているからである、日本の場合は死者数でも少ないのだからそれくらいの数なら経済活動を止めるべきではない、人の移動でも止めるべきではないとなる

それは

政治的経済的判断>科学的判断

こうなっているからである、つまり科学が絶対的なものではない、絶対的なものとして通用しないのである、今回はそもそもコロナウィルスが専門家でもわかっていなし未知だから余計にそうなっているのである
ワクチンでも信用できない、わかっているのは高齢者がかかりやすく重症化して死に安いことである、その他のことは良くわからないのである
そのわからないことが不安を増大させているのである、その不安に便乗して不安をあおり視聴率を稼ぐのがマスコミだとしている

要するに政治的経済的科学的判断のバランスの問題になる
科学的判断が専門家の言い分が強調されれば自粛とかになりそれで自殺者が増えるとなるから危険になる
一方で政治的経済的判断が優先されると感染が拡大するから抑えろとなる
原発は政治的経済的判断が優先されて大事故になった、科学的判断があったが津波でも十数メートルの津波がくると警告していたがコストがかかる、経済的政治的判断で備えることをしなかったのである

いづれにしろ科学的判断を突出させるとロックダウンとかの処置をしろとなる
そうなると経済的に困窮して自殺者が増えるとかなりその方が大問題だとなる
もう医療崩壊になるから患者を受け入れられないともなる、するとコロナウィルス感染者だけではない、他の病人も死ぬともなる
その選択をどうするのかという問題になる,バランスをどうするかということである
ただ原発の場合は政治的経済的判断を優先させて失敗したのである
「安全神話」は強力な政治的経済的判断があり作られたものだからである

では今回のコロナウィルスではどうなるのか?

何を優先させるのか?科学的判断を優先させるにしてもそもそも今回はコロナウィルスでも科学者でも専門家でもわからないのである、だから判断しようがない、ワクチンでもあくまでまだ効果があるかどうかも明確ではないのである
ただ過剰にこういうとき期待されているとなる

となると何か科学的判断を突出させたりまた政治的経済的判断を突出させたりするより
相互のバランスをとるということが大事になるのかもしれない
要するに報道とかでは科学的判断から危険をあおりすぎる
政治的経済的判断で経済活動を止めないことも必要なのである
ただ原発の場合は政治的経済的判断が優先されて大事故になったのである
「安全神話」は政治的経済的判断から作られたのものであり科学的判断はないがしろにされていたのである

こうなると何かに偏り突出するのが良くないとなる、バランスが大事だともなる
政治的経済的科学的判断を並行して進めるということになる
これらのどちらかに突出すると偏ると全体のバランスが崩れる
そしてマスコミのように恐怖があおられ平静さを失う、マスコミの問題は一方的な見方で恐怖をあおりそれで視聴率を稼ぐことだから問題なのである
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2020年12月08日

コロナウィルスで戦争状態に突入しているのか? (老人と病人や弱者が淘汰される?)


コロナウィルスで戦争状態に突入しているのか?

(老人と病人や弱者が淘汰される?)  

医療最前線を追い詰めるコロナの現状 進む入院患者の高齢化、負担増える現場

コロナウィルスの謎は特徴は老人がかかると死にやすい、それも確実に60代70代80代とかで罹患率が高くなる、それで入院の優先順位を点数化した
一方でコロナウィルスの感染者を受け入れることで医療崩壊が起きる
コロナウィルスではない病気の人が手術を受けられないとなっている
それで自衛隊の救急看護師を派遣してくれるよう要請した
その人たちは派遣の命令が出たら断れないという
それは赤紙一枚で戦地に送られた従軍看護婦と同じだった
ただ戦争とは違うから事前に契約してそうなったのである
自衛隊でも事前に契約して了承してなる、でも戦争の時はすべて強制だった
国家の命令であり逆らうことはできなかった

今何が起きているのか?これを把握することもむずかしい、マスコミだと危険をあおり不安にして視聴率を稼ぐとしている、一方でネットでは経済的困窮で自殺者が増えているから経済活動を止めるべきではないとしている
それも最もだとなる、感染を防ぐようなルールを作りそれを守ればいいのであり全面的に経済活動を止めることは必要ないとしている
つまり経済活動を止められることで死ぬ人が増えてくるからだとなる

ただこの判断はむずかしい、だから政府では経済活動を止めないでGO TO トラベルを止めないのである、感染病にとって人の移動は一番危険であるがそれを続行する
ただこのコロナウィルスの特徴は老人に伝染すると年齢が上がれば上がるほど死に安いのである、また基礎疾患がある人に伝染すると死に安い、別に70以上でも8パーセントはかかるがあとはかからないのである、死ぬ割合でもそうである
つまり弱者が淘汰される、そこで若い人はかかっても死ぬことはほとんどゼロである
今までの感染病は結核でも若い人が死ぬ、それで国民病とされたから深刻だった

なぜ若い世代がコロナウィルスを無視しているのか?

それは自分たちは別にかかっても死なないとかなっているからである
だから別に感染してもいいやとかなって外出したり飲み食いしして騒いだりすることを止められないのである
そして若い世代が高齢化社会で負担になる老人を嫌っている

多くなりすぎた老人は死ね!

そう心で思っているとき当然コロナウィルスで老人が得に80以上になるともう寿命だから死んでもいい、そんな人のために労力をそそぐのは馬鹿らしいともなる
それは高齢化社会で今までそういう気持になっていたのある
だからどちらかというとそんなどうせ寿命の老人に労力をそそぐより今生きている若い世代の人たちを優先すべきだとなる、すると経済活動優先になる
どうせ若い世代は死ぬことはないのだから危機感もないのである

人間は自然でも次の世代に労力をそそぐ、命の継続のために自然の摂理がある
次の世代をのために犠牲にもなるのが生命の原理である、だから親は子供のために犠牲にもなる、特に母親はそうなっていて命が継続される
国家にしても社会にしても若い世代がこれからの社会を作るのだから尊重されるのが生命の原理である
それがわかるのは原発避難区域では若い世代がいなくなり子供もいなくなり老人ばかりになった、シルバータウンになった、それでも町や村が継続できないからやがて廃村とかにもなってしまう、それこそ危機なのである

今だから命の選別が迫られるとき、どうなるのか?

命の優先順位は80以上とかの老人は寿命だから死んでもいいとなるかもしれない
そこに労力をそそぐことは無駄だともなる
それは介護とかでも言えるのかもしれない、若い人がそこで労力をそそぎ疲弊するのは無駄だとなる、それで自分自身が30頃親戚の人に輸血を頼まれたがしなかった
その時登山して死ぬほど疲れていたからである
それで恨まれたがその時登山しなかったら後でできないということもあったのだ
つまりやりたいことをやれないことは後で後悔するのである

私は60まで親にやりたいことをやらせてくれた、だからその後は介護になっても当然であり必死になって介護した、それは自分にやりたいことをやらせてくれたからである
そこに恨みはないのであり当然だったのである、でも親のために老人のために犠牲にされるのは嫌だ、若者には若い世代にはやりたいことをやるべきだとなる
そういうふうに考えるとコロナウィルスは死ぬのは老人でありそれも寿命だとなる
そのために若い人とかでも国家でも労力をそそぐのは無駄だともなる
ただ自分にしても個々人なら生きたいとなる
でも全体的に国家の危機になったとき命の選別となると80以上で死ぬのは寿命ともみる
こういうふうに考えればどういう対策をすればいいのか見えてたいか? 

80以上は死んでもしかたがない、見捨てる

なんかこんな選択になるかもしれない、さらに追い詰められればそうなる
それは延命治療ともにている、このコロナウィルスは高齢化社会の問題としてもあったのだ、自然の摂理として弱者が淘汰されているのかともみるのである
ただ個々人ではそうはならない、何歳でも生きたいとなる
ただ全体の生命の法則ではもともと自然界では弱者は淘汰されるのである

おそらく弱者とかの問題は量の問題にもなる、老人が増えすぎることは社会にとっても
自然界にとっても生命の法則に反している
老人のために若い人が犠牲になるのも生命の法則に反している
ただ老人でも実際はコロナウィルスでも70以上でも8パーセントとくらいしかかかっていないのし死ぬこともないのである
だからコロナウィルスの不思議は自然界の法則で淘汰が起きて多くなりすぎた老人を減らしているのかともなる
だから若い世代の活動をとめられない、それで老人が死んでも若い世代には影響しない
むしろいつも増えすぎた老人は死ねと日ごろ思っているのだから歓迎しているともなるのだ
お前もコロナウィルスにかかったら死ねと言われれば嫌だとはなる
それは全体の生命の法則とか維持の観点から言えばそうなるということである

要するにコロナウィルスはその特徴があり性質がありそれに合った対策をとれともなる
今までのウィルスはむしろ若い人が死んでいたからである
だから深刻だったのである、それより経済活動を止められて若い世代が自殺したりする方が深刻だともなる、すると経済活動を止めるなと声高に言う人もいるのがわかる
感染しないようにして経済活動をつづけるべきだというのもわかる
一方でこれ以上感染しないように経済活動を止めるべきだというのもわかる
でもそれを選択するのは何なのか?

それを決めるのは何なのか?

政府なのか国民なのか、はたまたマスコミなのか、専門家なのか、それが混乱しているのである、それはどういう考え方で対処するか決められないからかもしれない
こっちを立てればあっちが立たないとかなり混迷するのである
でもどこかで選択しなければならない、するとどうして選択して決めるのか?
それが問題になる、でも確実に全員が納得する決定はできないのである
高齢者社会だと高齢者をないがしろにするのかという声が大きくなるからだ
そうこうして混迷している内に傷口は大きくなる
戦争だったらもう若い人が率先して死んだ、戦争状態を考えればある程度の犠牲はやむをかないとなる
でも誰でも犠牲になりたくないのである、老人でもそうである、個々人ではそうなる
でも全体を国家的レベルになると全体を考慮して決定せざるを得なくなることは確かである

2020年12月07日

富士山が見える範囲 (四街道市に住む半杭氏へのコメントの一つ)


富士山が見える範囲

(四街道市に住む半杭氏へのコメントの一つ)


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富士山と筑波山

富士山の見える範囲



半杭氏のプログを見た、四街道市から富士山が見える写真がのっていた
茨城県から富士山が見える、冬だと空気が澄んでいるから見えやすい
他でも同じ写真がでていた、茨城県からなら見える
でも四街道市は千葉県なのである、千葉県からも冨士山が見える

富士山が見える範囲は実際は茨城県までである、福島県からも一部見えるがかなり小さくはっきりしない、茨城県だと写真で見るようにはっきり見える
ただ千葉県の四街道市からも見えるのか?茨城県から見えるとなると見える
富士見市とか富士見野市は埼玉県である
だから富士山の見える範囲は広いのである、東京からももちろん見える

第一埼玉県の富士見市とか富士見野市から富士山が見える、それもはっきり見えるからその名がついた、でも実際はかなり距離的に遠く感じる
ただ富士山が見える範囲は浜名湖辺りまであり静岡県は富士山が中心に常にある県だとなる   

千葉県から見える富士山

東京湾沿いに富津市とからも見える、この写真をみるとこんなに富士山が大きく見えるのかと驚く、遠くになると相当に空が住んで晴れていないと見えない

この辺では相馬地域になると蔵王が結構大きく見える、でも原町とかになると見えないのである、蔵王が見えるのは南相馬市だと鹿島区までだとなる
富士山の見える範囲は高いのだから相当に広いのである

それで筑波山と富士山にまつわる伝説が残っている、そういう伝説が残っても不思議ではない距離なのである、茨城県から富士山が見えるからだ

ただどうしても地理だけはわかりにくい、富士山を見た記憶としては伊豆半島を旅した時だった、それは本当にもう30年前とかそれ以上にもなっていた
その時西伊豆から富士山を見た、その時菜の花畑がありそこから富士山を見た
伊豆からは大きく富士山が見えた、距離的に近くなっているからだ

西伊豆や菜の花畑に富士の山

この伊豆は西伊豆であり西となるとまた趣が違っている、富士山は駿河湾から三保の松原から見るのは絵になっている

駿河湾魚打ち上げ春の富士

駿河湾で魚が波に打ち上げられたのを見た、何か富士山を見えてふさわしかった
ただ富士山はまだ良く見ていない、富士山を見るスポットがある
富士山が見えるのは冬である、空気が澄んでいる遠くからでも見える
この辺では阿武隈山脈と言ってもそれは阿武隈高原であり山という感じにもならない
やはり高い山があると心もひきしまる、それがここの物足りなさなのである

とにかく人間の住んでいる場所は多様である、ただその地理を理解することが本当にむずかしい、福島県を理解するにも第一会津とかなる全く違った山国でありハマ、ナカ、アイヅとなりその地勢が違っている
ただ茨城県だと山が少なく平野が多い、関東平野になっている
でも千葉県は結構山が多い、埼玉県になるとここも地理的にわかりにくい、何か東京の延長のようになっている、だから埼玉県に富士見市とか富士見野市があったのかとなる

いづれにしろ関東といっても広い、ただ富士山が見えるということが関東の特徴かともなる、千葉県でも茨城県でも埼玉県でも見えるからである
ただ四街道市とかにしてもその地理が良くわからないのである  

ただ今年の新年に富士山が見えた、写真が出ていた、そしてまた冬になり見えた
晴れた日に冬だと見えやすいとなる

富士見ゆる関東に住み冬日没る

富士を見て新年迎ゆ関東圏

こんなふうになるかもしれない、富士山には一回上っただけだった、失敗したのはヒマラヤにまた上って8000メートルの山を見たかった、フ富士山は見る場所で印象が違ってくる、それで良く見いない
ヒマラヤは一回だけ見てで終わった、結局人間は遂に旅もできなくなりその場に立つこともできなくなる、だからいかに旅でも一回限りでありそこにいたことが貴重だったかを知った
飛行機からヒマラヤの峰々を見た、まさに天空に聳える山だったのである
特に海外旅行は一回とかで終わることが多いたら今になると貴重な時間だった
これも結局後から気付くのである
早めに行っていればこうはならなかったのである


2020年12月06日

冬夕焼け(スーパーヒタチの写真)


冬夕焼け(スーパーヒタチの写真)

expresshitachisunset1.jpg
クリック拡大

写真はある場所を決めてとるといいもしれない、特に動く電車などはそうである

それで塩崎のところは構図としていいから撮っている
今回は冬夕焼けを背景にしてスーパーヒタチを撮った
ただ電車に明かりがついていないので物足りないとなる
時間的に5時ころになるがその前にもう夕焼けになっていたのである

2020年12月05日

人間の価値は歴史的価値となり消えない (死んでから人間の本当の価値がわかる)


人間の価値は歴史的価値となり消えない

(死んでから人間の本当の価値がわかる)


人間は死ぬと何も残らず消えてしまうのか?
人間が死ぬと十年くらいすぎると家族だと何か死者はどうなってゆくのか?
それで弔う(とむらう)とは問い明らかにすることだというのもわかる
死者のことを問い明らかにする

それは死んで十年くらい過ぎると人の心は死者をいたむことから冷静になりその人自身が何であったのか問うことになる、それが弔うになる
その時真にその人の価値を人間の価値を問うことになる

価値と言っても人間にはいろいろな価値があり多様である
家族で生きるとその家族の中でどういう役割を果たしたのかという価値を問う
ぐうたらで迷惑ばかりかけていたような人は死んでも血がつながっていても弔うこともできない、ただ苦しめられ迷惑ばかりかけていた親だったら弔うことすらできない
何ら価値を認めることができないのである

ただ人間の価値というときそれが様々でありだから他者からみてその価値がわからないのである、家族でどういう役割を果たしたのかとなるとそれも他のものはわかりにくいからだ、家族でも一様ではないからわかりにくいからである
人間の価値はそれだけ多様なのである
この人間は生きる価値がないとか生きた価値がないとか社会で言ったとしても家族では価値ある存在の人も普通にいるからだ

歴史的価値というとなるとそれは一家族の問題ではない、日本国家から日本の歴史から世界史での価値とまでなる
それで戦争のことをその価値を弔う(とむらう)問うことがむずかしくなる
それで自分の家族の一人が従軍看護婦だったということでその歴史的価値を問うことになる
今でも墓に二等兵だとか一等兵だとか日本軍の位を墓に刻んでいるのが普通にある
でもそれを見て日本軍の位がどれだけの価値が今認めているのか?
この人は日本軍の位で高いから価値があったと認めているだろうか?
今になると何か自分自身でもそんな位が意味あるのだろうかとなるし注意している人すらわずかだと思う、つまり価値を認めなくなったのである

ただ私の姉が従軍看護婦看護婦としてマレーシアのジョホールバルで四年間苦しみ働いてことを聞かされた、そのことが戦争に負けたからといって全く価値がないとはならない
それを感じたのは今コロナウィルスで医療崩壊するとか危険だから募集しているけどやりたくないとかなる
それを見ていて国家のために命をかけて働いた看護婦がかつていたということをふりかえる
それが価値ないこととはならない、今はただ金のために働くだけであり医者は危険をさけているしそうできるが看護師はできないという、つまり看護師の方が直接危険にさらされている、いくら50万もらっても割に合わないとなるかだ

つまり人間の価値はどうして生まれるのか?

その時々や時代によっても違ってくる、また歴史的価値となるものは百年後でも二百年後でも見直され注目されることもある、でも全く捨て去れる価値もあり人間もある
ただ長く歴史の中で生き続ける価値がありそれが本当の価値だとなる
それは死後もさらに歴史の中でその価値は衰えることなく生き続ける
その時その人は死んでも生き続けるとなる、つまり死ですべては終わらないのである
ただそれだけの価値を持ち続ける生き続けるとなると相当な功績がないとありえないとなる

今日ドラマで特攻隊のことをやっていた、その特攻隊員は出撃する前に5日間くらい恋人とあい別れた、でもそれが最後の別れではなかった、途中徳之島とに不時着して生き延びていたのである、でもその後は戸籍からも存在を消して亡霊のように生きていた
そして40年後くらいなのか恋人とあった、でもその人に何か価値があったのか?
その人は特攻隊として死んだ時価値が生まれていたのである
その後の人生は別であり身を隠して生きていてもそこに価値は生まれなかったのである
それは新たに別な価値を作りだして生きることになったからである
40年となれば長い、だから昔の恋人とかはもう価値を共有できない
その人が特攻隊として死んだ時、国家的価値として残されるともなった
ただそれを無価値だともされるがその人の価値は時代を生きることは特攻隊になり死ぬことだったのである

人間は死ぬと最初はただ悲しいとかなる、でもだんだん時間が過ぎるとその人を弔う、
その人を問うということで弔(とむら)うになる、その人の価値を問うということになるその人の一生の人生を問い弔うとなる
本当に価値ある生を送った人は死んでも生き続ける、不朽のように生きつづける
その時、その人は死なないともなる
ただそれは今を見てはわからない、今は価値のない人でも作品でも価値あるとされる
でもその人は死んでも百年後とかに価値ある人ならその人は歴史の中で生き続ける

歴史の中で不朽の価値を残す者
それは死んでも歴史の中で生き続ける
その価値は衰えることなく
純金のように輝く価値
それは色あせることなく価値を増して輝く

ともかく歴史の中で何が価値あるものなのかというときまだ見出されない価値もある
百年くらいではまだその価値が確定されないとなる
歴史的価値とは百年では短く判定されないのである
それで明治維新でも今にになるとその価値判断が変わったりするのである

2020年12月04日

大坂で看護師80人募集 (でも集まらない、緊急事態に対応できない日本の危機) 大阪府 吉村知事「医療非常事態宣言」で看護師80人募集 (でも集まらない理由)


大阪府 吉村知事「医療非常事態宣言」で看護師80人募集

(でも集まらない理由)



医療崩壊の瀬戸際」大阪で何が?吉村知事に高まる批判。コロナ重症センターの看護師が集まらない?!維新の会の無策。作家今一生さんと一月万冊清水


日本は緊急事態に対処できない国になった (医療崩壊は起きないー医者、看護師は十分にいる)



一月万冊で言っていること指摘したことは共感する
大坂でコロナウィルスの重症患者が増えて重症者センターを設置してそこに80人の看護師を募集している、月給は50万だという

でもそこは野戦病院であり特攻だ!

まさにそうである、すでに対応している看護師はうつ病的になっているとかありそんな場所にわざわざ危険を犯して他から看護師が来るのかとなるのも当然である
つまりその動機がないからである            

誰のためにそんな危険な仕事を引き受けるのか

金のためなのか

その患者は60とか70とか80以上の老人であり80以上なら寿命じゃないの

そんなところで働く意味があるの、うつされてコロナにかかりたくない

要するにそれだけの危険を犯す動機がない、戦争の時、姉が従軍看護婦となり戦地に赴いて地獄の苦しみを味わったのは国のためにという大きな動機があった
それは従軍看護師だけではない、国民全部が兵士が命をかけて国のために戦っていたのだからである、それが赤紙一枚で招集されても行かざるをえなかった

でも現代の働く動機は何なのか?

国家は関係ない、みんな私的動機で働いている、金になるかならないかまず考える
医者でも看護師でもそうである、ただやはり他人の命にかかわるから他の仕事とは違っている、医者は特別尊敬されている、それは金銭的にも恵まれている
それだけ医者は現代では日本では尊敬されている職業である
あとは今社会で尊敬される職業はないくらいである
それだけ尊敬され待遇もいい、でもコロナウィルスでそうしした場で働きたくないとなる特に看護師は別にもともと給料もいいわけではないしそれほど尊敬されるというものでもない、医者とは待遇が違うからである
となるとそんな危険な場所には行かないとなる

現代とはそうして日本では特に戦争に負けて国家とか意識できなくなっていたのである
みんな私的なもの金のためにしか働かない、金が万能になっていた
なんでそんな危険な場所で働かなければならないのか、給料50万でも安いとかなる
それよりその動機がもてないのである
命を助けるためだコロナウィルスと戦うためだとしてもそれで犠牲になる動機もないのである
戦争の時は国民一眼となって戦っていたのだから強烈な動機がありそれで一体となり戦っていた
戦争に負けてからそういうふうに国民が一体となり協同して危機に立ち向かうという経験をしていない、そんな危険な場所では働きたくないとなる

こういう国家的危機になったら広く言えば人類的危機となれば何かしら金銭的なものだけで解決しない、人類一体となり危機に立ち向かうとかの連帯が必要になる
それは個々人がそれぞれの国々が利益を追求するのとは違った動機になるのである
それでも国でも会社でもワクチンを作り大儲けしようとかにもなる
純粋にコロナウィルスと戦いそして人類を救うとかにはならないのである
どこまでも利益が付きまとっているのが現代なのである

現代は個々の利益追求の社会である、家族のためとか個々人の利益のために働く
でも国家の危機の時は赤紙一枚で招集されて戦地に送られたのである
今なら国家が大阪の重症者センターに地方からでも看護師を募集して強制的に送るとなるそれはもはやできない、国家の強制力もないし常に国家を否定してきたからである
だから日本は中国でも侵略したら国民が一体となって戦うということもありえないとなるなんで国家のために犠牲になり死ぬんだとなるからだ
コロナウィルスは国家的危機なのである、でもそれに対して強制して看護師を働かせることもできない、それでもうコロナウィルスにかかっても病院には行けない
自宅療養するほかないとしている、病院はもう受け付けないからである

医者も看護師ももうこれ以上コロナ患者は受け付けません、医者も看護師ももうこれ以上危険を犯すことはできなません、家族もいるし子供もいるし子供も保育所でコロナにうつると差別されているという
むしろ励まされる立場の人が差別されているのである
ご苦労様と言われて感謝されるべき人が差別されているのである
こうなれば指揮があがらない、そもそも国家のために働くとかないから指揮が上がらないのである、国家のために無料で働くのか、犠牲にされるのか、そんなことしたくないとなる

何か社会はすべてが金のためであり私的利益のためであり公益のためにとかの動機がなくなった、ナイチンゲールなら敵であっても看護したというときそこに崇高な看護師の姿があり模範になった、でも今はそんなことないのである
すべては我が身大切であり金のためにしか働かないのである
別に普通ならいいが緊急事態のときはそうしていたらもう危機に対応できない
そうして伝染も防げないとかなり敵が攻めてきても戦うこともしない、犠牲になるのは嫌だとなるからだ、そうして国も滅びてしまうとなる
緊急事態にどうすればいいのか政府でも国民でもその最前線に立つ医者でも看護師でも
ただめいめいの思惑とかあり一体化しないのである

ただ日本は外国と比べればまだまだ感染者でも死者でも極端に少ない、なのにもう医療崩壊だとしうている、それ自体が何かおかしい、医療がそれほど脆弱だったのかとなる
それより政府にしても国民にしても医療関係者でも一体となり戦う体制が作れない
経済活動をとめることはできないというのもわかる
そのために自殺者が増えているというのも危機である、でも何かちぐはぐでありそれぞれの保身にばかり目が向いている

要するにどういう方針でやるのか定まらないとなる
こういうときいろいろな要求がありまた医療関係者でも犠牲になりたくないとかありそういうふうにそれぞれが勝手にすれば治められない
そこで強力なトップダウンの支持が必要にもなる
みんな銘々言いたいことを言っていたらまとまらないからである
確かなことは日本は緊急事態に対応する経験を戦後70年はしていない、そういう対応を否定してきたのである、だから危機に対応できないのである
原発事故でも全く対応できなかった、どこに逃げるべきなのか指示もできなかった
なんかそれとも似てるのある、みんな右往左往しているだけだともなる


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貧困とは何なのか? (エンゲル係数から歴史をふりかえり考える)


貧困とは何なのか?

(エンゲル係数から歴史をふりかえり考える)

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戦後の焼野原から何が変わったのか?
それをエンゲル係数で見た時、食費の割合が戦後十年とかは極端に大きい
70パーセントくらいになる、でもどんどん食費の割合が低くくなって25パーセントとになっている
戦後十年の暮らしのは不思議は子供の時の体験であり大人としては体験していない
確かに食費に70パーセントを使っていたというのが実感である
家にあったのは飯台一つでありそれはどこでも同じだったからだ
もしかしたら燃料代はやはり炭だから高くついていたのかもしれない
今でもガス、電気代が払えないとかなるからだ
ただ風呂は木材の廃材とかを使っていた
それを新聞紙でたきつけるのが自分の仕事だった
大きなエネルギーとなると石炭だった、蒸気機関車が走っていたからである
そもそも鉄道は石炭を運ぶために作られていた、それは北海道をみればわかる
この辺でも常磐炭田がありそこから東京へ石炭を運んでいたのである

今日本全体が貧困化しているというとき貧困とは何か?
それが問われる、私が団塊の世代か経験した貧困と今の貧困は違うからである
まず街では水道がないのだから井戸水を使っていた
でも自分の家とか他でも井戸がない家があったがそれは無料でもらっていたのである
それで子供の時、近くの井戸から風呂の水をバケツで運んでいたのである
それを自分もしたからわかる、ふりかえれば風呂の水をバケツで一杯にするのは結構な量が必要であった、でもバケツで運んでいたのである

その時、水道もなければいろいろな物もなかった、その時の生活は食べることが第一でありその他に金をかけられなかったのだ、だからその時、電気はあったにしても裸電球一つであり外の道は舗装もされないない、土埃りのたつ道だった
そしてやはりまだ農業中心の社会だった
それで近くの農家の人が汲み取りにきていた、便所は外にあり肥料として糞尿はくみとられていたのだ、だから農家の仕事は汚い仕事にもなっていた
でもそれを汚いとは言えないものだった、なぜなら肥料となるものは貴重だったからである

要するに貧困の問題を考える時やはり歴史をふりかえる、貧困とはどういうものなのか、それを歴史的に比べてみる、それは自分自身の経験からすると70パーセントは食費に費やされあとは何も物は家にもない、本も一冊もない、それから新聞紙は風呂のたきつけとか便所紙として利用価値があった、紙は貴重なものだったのである
戦前になると鉛筆は貴重であり短くなって書くことができないくらいまで使っていた
大正生まれでは学校に通えないで小説読んで字を覚えたとかいう人もいた
つまりまともに学校にも通えない人がいたのである
ネパールとかなるとボールペンもないからくれとなっていた、書くものがないからそうなる

そもそも貧困とは何なのか?最悪の貧困は食べるものがないことだろう
まず食べるものにしても戦前だと私の母は原町紡績で糸取りをしていた
その時のオカズはタクワンとと味噌汁くらいである、そんなもので良く働けたと思う
今いくら貧困でもそこまでにはならない、何かしらのオカズは食べている
貧困を歴史的に比較すると食べることに費やされる、だからエンゲル係数でも70パーセントがその時食費に消える、現代では25パーセントになるというときその差が歴然としている

また私の家では家を貸していた、部屋を何人かにアパートのように貸していた、それで毎日家賃をとりにまわっていたと聞いた、それは戦前のことである
毎日家賃とりにゆくのはその日暮らしだったからなのか?
それも手間である、そは江戸時代の長屋暮らしのかともなる
貧乏な時代は酒でも計り売りであり酒樽から必要な分を買っていたのである
御菓子とかでも計り売りでありバラ売りだったのである
袋は新聞紙で作っていたのである、新聞紙にはこういう別な用途があった
情報を得るというだけではない用途があったのである
それは新聞紙でも紙が貴重だったからである

それでどういう状態が貧困なのか?

それは必ず電気、ガス、水道が月末に止められる人が貧困になる、なぜならその時料理すらできない状態に追い込まれるからだ
昔でも炭を使っていたから炭がないと料理もできないとなるが後は水は無料であり洗濯でも裏の堀の川でしていたのである
金がかかるのは炭代だったとなる
その時だったら電気,ガス、水道代が払えないと追い込まれることはなかったとなる

現代の貧困は電気、ガス、水道代とかあとは携帯も必需品でありその金が払えなくなる
そして田舎だと車が必需品でありこの出費が大きい、それは相当に家計の負担になっている、それが田舎の出費で大きいとなる
別に車がなくても暮らせる、自分は暮らせているからだ、ただ仕事とかなると車が必需品になる 

現代の貧困は電気、ガス、水道代や携帯や車代、冬にるなと暖房の石油代とか・・・食費意外のエンゲル係数が大きくなっている、それが負担になった貧困だとなる
それを払う金がない貧困になる、月末になるとこれらが払えない所帯が70万とかいるとなりそこが最低の貧困者だとなる
それで近くの人が電気を消して暮らしているとなる、風呂にも入らないとかなる
昔は銭湯があり自宅に風呂がなかった家も多かった

いづれにしろ何か現代の貧困の矛盾は例えば大学生が学費を払えないで奨学金とか風俗とかで稼いで学校に行っているというのも何か変である
苦学生が昔からいたにしろそれとも違う、風俗とかで楽して金を得て大学に通う
そんなことまでして大学に通うというのも疑問になる
親の生活苦とか借金で娘を身売りしたという追い詰められたものでもない
それほどまでして大学で学びたいのかともみる
そもそも大学などは戦前ではほんの一握りの人しか入っていない
今五割も大学に行っているというのも時代である
だから大学生が特別な価値をもっているものでもないのである
一部の有名大学をのぞいてはそうなる

ともかく貧困とは何か、それが問われている、高度成長時代から日本では貧困がわからなくなった、でもその貧困に大勢が直面するからとまどうとなる
それは豊かな暮らしの中で豊かに暮らすものが負担になってきたのである
電気、ガス、水道代とか携帯代とか大学の学費とか・・・食費意外のものに払う金が枯渇してきたのである
それは確かにエンゲル係数のグラフを見れば一目瞭然だとなる

posted by 老鶯 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年12月03日

The art of transformation


The art of transformation

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fruit

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space river

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Inner ring meeting

Looking at the original picture is a copyright violation
Is this also a creation?


小高の趣味でしている陶芸の店 (小高の復興はむずかしい?ソーラーパネルの町になるのか)


小高の趣味でしている陶芸の店  

(小高の復興はむずかしい?ソーラーパネルの町になるのか)

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この緑はみんな色合い違ってる、同じではない、陶器は焼き方などで
一個一個違ているから価値がある
ただ相馬焼の緑は陰気くさい、仏壇に飾るものだかといのもわかる
相馬焼の特徴はひび割れだという

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私も緑の茶碗を集めていた

それはこの緑から草をイメージして草深いという田舎をみる
まさにわび住まいの茶室にふさわしいとなる
その辺は通じなかった、なにかバイクとか車とかの絵も描ける、でもアンバランスなのである


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これはヘルメットなのだが洞窟の感じにもなる、そこに座禅する人を配置すると面白い
いろいろ能力があるだアンバランスなのである

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座禅草に似ている




織部釉の基本は、長石と草木灰をベースにした灰釉です。そこに酸化銅を加えることで緑に発色します。灰立ての釉薬の中に、緑の銅が流れているのが分かります。
緑の濃淡で表情が柔らかくなり、色彩に味わいがありますね。


小高の通りでいろいろ陶芸の器を飾っている店があった
入ってみたらそこは主人が趣味でしているものだった
でもかなり手のこんだものを作っているから相当に年期が入っているとも見た
これは相当器用でないとできないと見た    
その人が織部釉のことをしきり言っていた、織部焼というと文様が有名だからそのことかと思ったら違っていた

その人は何かいろいろなことができることに驚いた
若い時は最近でもバイクが趣味だった、だからバイクの陶芸作品を作っている
でもバイクが趣味な人が陶芸ができるのかという疑問だった
その人は高校の時、陸上の選手でもあった
今でも体が細いが柔軟で体がきくみたいだ
ただ癌の手術をしたとか末期ガンになっていたとも言っていた
だけど元気なのが本当に不思議である
もともと陽気な人で話がうまいとはなる
ただ近くでも癌の人がいるが普通に仕事しているのが不思議なのである
もう5年とかではないそれ以上普通に仕事しているのである
その人も手術から8年過ぎても元気なのである、野球もやっているというからスポーツマンなのである
今ではガンではすぐに死なない、医学がすすんだからである

その人と現在の状況を話しした、ここでもそうだが老人ばかりでどうにもならないと言っていた、その人の息子も遠くに行って帰ってこないという、もともと理髪店していたらしくその道具はあったが帰ってこないという
他にもこういう人は多い、息子娘たちは外に出て帰ってこないのである
もう十年も過ぎると生活も別になり孫でも移り住んだ場所が故郷になってしまう
そして老いてゆく不安を語るのもわかる
つまり老人ばかりの町や村が継続できるのかという問題である

やがて介護にとかなったら誰が世話するのか?
介護士とか若い人がいないからこの辺では青森に介護になった人を送っているのである
青森では仕事がないからそうなっている
外から若い人が入ってきても一時的でなじめないから帰ってしまったとか言っていた
一時的にはボランティアで来ているがここに住むということはなかなかできない
仕事を持つということもむずかしいからだ   
今の時代は戦後の引揚者のように山村に開墾に入るようなことはしないしできない
その時は仕事がないからやむなくそうなったのである

そしてコロナウィルス騒動で原発事故とか津浪でも関心がうすれてゆく、第一地元ですら津波のことを語っても関心がなくなる、だから十年一昔になってしまったのである
ただ地元にすれば南相馬市の一員なのだから関心がないですまされない
直接行政でもひびいているからだ、税金をどう使う

とか配分の問題もありそれは鹿島と原町と小高が合併したのだから当然なのである
同じ南相馬市民として無関心にはなりえないのである
だから耳ざわりなこともあえて言わざるを得ないのである
いろいろ補償金などでももめたがこれからはやはり小高でも復興してもらいたいとなるからだ

ただ小高は老人だけでもう何か負担だけになるのではないかという不安はある
もう荒地が膨大でありそこで農業する人もいない、結果的に堤谷のところの丘がびっしりソーラーパネルがしきつめられたようにそうなってしまうのか?
なぜなら利用しない土地をもっていても何もならないからだ
そこはソーラーパネルにするのには抵抗がないからいいとなってしまうからだ
誰も住んでいないければそうなる、放射性廃棄物の処理場とかにもされる
そこに住んでいる人がいないから反対しないからである 

ともかく通りを車が通らない、通りでも今は人は通らなくても車がひっきりなしに通る
鹿島区だと今まで通らなかった道をひっきりなしに車が通る
それは学校があり子供をのせて通学させているからである
原町と鹿島は移り住んだ人が多く子供も一緒になって移り住んだからそうなったのであるこの差は相当に大きい、人の出入りが小高は非常に少ないということである
ただ前よりは食堂とかレストランとか喫茶店でも増えた、喫茶店でも三つくらいあり多いと思った、それを運営しているのは外から来た人だという
私は喫茶店が好きだからそこで休めるといい、どういうわけか原町には喫茶店が少ないのである、いい喫茶店が少ない、相馬市にはいい喫茶店がある、松川浦でも喫茶店はある
また一軒ながめのいい場所で再開したというニュースがあったからだ

ただその店の人が言うのには工事の人が減り食堂でもレストランでも利用する人が減ったという、相当に工事関係者が減ったらしい、だから食堂でも喫茶店でも増えてやっていけるのかと言っていた、これからも減ってゆくから客が来るのかとなる
どう見ても何か明るいものがない、マルシェなどの建物とか集会場のようなものができても肝心の人が住まない、若い世代が住まないから子供もみかけない
高校生は通ってくるとしてもそれだけでは活気がもどらない

その人の話を聞いていたらこんな多趣味の人がいたのかと驚く
どうしてもバイクと陶芸が結びつかないからだ、ただ小高には器用な人がいると思った
知っている大工さんも本当に器用なのである
大工だけではない庭作りもできるし壁塗りまでしていた、そんなに一人でできるのかと驚いた、ここの店の主人もいろいろ器用なのである
まずあれだけのものを作るには相当に手がこんでいるから器用でないとできないのであるだから小高には器用な人がいる、多彩な趣味の人がいると思った
その町や村によって実際はいろいろな人がいる、でもただ知らないだけなのである
そういう店でも出していれば活気にはなる、何もしないよりはいいとなる

小高でもそうだが飯館もそうだし浪江でもそうである、問題は人が住むことなのである
若い世代が住んでそこで暮らすことなのである
飯館村でも50億円かけて立派な建物をたてても肝心のそれを利用する人が小学校なら5人とかしかいない、それも外から通学している人なのである
飯館村には住んでいない、そして別荘として新しいこじんまりした家があるがこれも人が住んでいないのである、だから人が住まない町や村に活気はないしさびれたものとなってしまうのである
そして老人だけが取り残され介護状態になったら誰が世話するのか?
若い世代は外に出て行って介護士はいないとなって青森の施設に送られるのかとなる
住み慣れた所から離れて最期を迎えるのかとなる

要するに南相馬市全体から見れば小高は負担だけが増えてくるのではないか?
そこで生産活動する人は少ない、若い世代がいない、シルバータウンのようになる
それが負担になってくる、また浪江町とかも隣にありそれも影響してくる
避難区域になった所から移住している人が多いからである
だから原発事故が広域的に被害があったようにその復興も広域的になる
いづれにしろ小高は荒地があれだけあるのだから何か有効利用するとなるソーラーパネルにするにはいいとなってしまう
でもそういう所に人間が住めるのだろうかともなる

冬景色心にしみて住み古りぬ

なんかこんな風景ではない、人は住まず営みはなくソーラーパネルの工場地帯のようになる、これも一部はやむをえないにしても町全体がそうなったらどうなるのか?
ただ別に人が住まないとそういうことに反対する人もいないからさらにやりやすくなるのである、人が住まなければ元の自然にもどるわけではない、かえって放射性廃棄物の処理場とかにしやすいのである、反対する人が住んでいないからである
だから人が少ない過疎地が選ばれるのである、そこでは生活が苦しいとかありそうなる
土地の有効利用ができないためにそうなるのである

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堤谷の廃屋

この前がびっしりとソーラーパネルがしきつめれてい

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posted by 老鶯 at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2020年12月02日

冬景色、冬紅葉、冬桜、冬の菊(小高まで俳句十句)


冬景色、冬紅葉、冬桜、冬の菊(小高まで俳句十句)

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この時風が吹いて薔薇がゆれていた
それが表現されていない、ただこの写真はうまくとれた
遠くをとるレンズではないらだ

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冬桜

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冬桜が咲いていた場所


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浜街道の冬紅葉

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小高神社


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冬景色心に染みて古り住みぬ

家一軒色合い深く冬の菊 

十数輪風に吹かれて冬薔薇

奥の家知られずここに冬桜

蔵残し空家となりぬ冬の暮

社一つ落葉に埋もれ捨てられぬ

閑散と小高神社に冬紅葉

みちのくの街道暮れぬ冬紅葉  

みちのくに冬夕焼けやともに老ゆ

冬日没る余韻の深く黙す山   


今日は小高の方まで自転車で行った、冬景色がいい、それほど寒くもなく風もないので良かった、冬景色でありそれが心に染みるというとき人間はある場所に冬も住まないとその土地のことがわからないだろう、会津とかなると雪に埋もれた冬を知らなければ会津をまた雪国を知ることができない、冬景色が心に染みる、それはそこに住んでみてわかることなのである、それは厳しい冬でありそこで耐える日々であり籠る日々になるからだ
                                                        
堤谷の奥に桜が咲いていた、冬桜だろう、めずらしいと見て写真をとった

日本書紀の巻第十二「履中記(りちゅうき)」で、402年に履中天皇が磐余市磯池(いわれのいちしのいけ)で11月に船遊びをしていたとき、季節外れの桜を見つけたことにちなんで、宮を磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)と名付けた、というエピソードが記載されています。

今は磐余池(磐余市磯池)は残っていませんが、跡地とされるところが橿原市東池尻町に残っています。
宮である磐余稚桜宮の跡地と伝わるところは、現在桜井市谷の若桜神社(わかさじんじゃ)です。
若桜神社の境内にある「桜の井」が桜井の地名の由来でもあります

百(もも)伝ふ、磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を、今日のみ見てや、雲(くも)隠( かく)りなむ. 大津皇子(おおつのみこ).

この磐余の池なのである

とにかくこうして桜でもその磐余(いわれ)が古い、それだけの歴史が奈良にはある
その頃から季節外れの桜に注目していたのである
桜井の地名の由来だというのも驚きである、第一402年となればその古さに驚く
やはりみちのくとなればそんな古い記録が残らないからである 

堤谷の方で草が枯れた道をたどると家があった、その時ここには住んでいないと見た
やはり住んでいなかった、新しい蔵が残っていた、人はいなくなった
雰囲気で人がいないということを感じるのも不思議である
小高地区には歯がぬけたように空家になっているのが多い
堤谷の地区はソーラーパネルがびっしりと敷き詰められていた
あの光景も嫌だなと見たが結局土地を放置していても一銭にもならない、だから小高地区は土地があっても農業もやるのも大変だから簡単に金にソーラーパネルになりやすい
原発事故で荒地化した土地はソーラーパネルとか風力発電になりやすいのである

社一つがあった、石段を上ったがここにはお参りする人もないみたいだ、雷神社とかあった、何か捨てられる神社がある、人が住まないとそうなる
特に飯館村では人が住まないからそうなっている

なんか小高神社でも閑散としてわびしい、老人夫婦の店があった、何か陶芸を趣味でしていた、その子供世代は小高を出て帰ってこないという
他にも若い世代が小高を出て帰ってこないで老人だけが取り残されている
小高の街は車が通らない、人を街を通らないが車は通っているからだ
このことは次に書いてみよう

小高までそれほど遠くはない、今まで行かない山の道を行った、自転車でもそれほど遠くとは感じない、浪江となると遠くなる
帰りはすでに4時ころで薄暗くなっていた、つまり暮れつつあった
日が相当に短くなっている、冬至になるまで相当に日が短くなるから早めに帰らないとまずいと思った

冬の灯、冬薔薇、冬ごもり(俳句十句)


冬の灯、冬薔薇、冬ごもり(俳句十句)

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この薔薇は実際はこういう色していない、だから写真の方がきれいに見える場合がある
カメラで調節できるのである、だからカメラの技術をみがけばいいものがとれる
ただレンズとかがいろいろありめんどうになる
このレンズは安くても意外と花をとるにいいものだった
背景がぼけるようになるからだ


寂けさや庭に二色の冬薔薇

庭の石黙して静か冬薔薇

寂けさや塵もつかずや冬薔薇

開かじや蕾一輪冬薔薇

冬の鳥一羽来たりて去りにけり

狭き庭木の葉二枚の散りにけり

猫一匹我が家にともに冬ごもり

明るしや家居ともしく冬の月

冬の灯や障害者ここに住むを知る

猫一匹我が家にともに冬ごもり

家事追わる男やもめや師走かな

自分の性格は何かじっと見ていることに向いていた、まず人と付き合うことが苦手であり学校とか会社とか集団生活に向いていない、ただ若い時それではだめだと思い必死になり集団にとけこもうと努力していた、それで大学では一時体育会とか入ったりカルト教団に入ったりしていた
20代の時はむしろ集団生活に溶けこもうと努力していた
でも30代からは旅ばかりしていた、それも一人旅でありそこには人付き合いはなかった
そして引きこもりになった、家族が二人いてその二人とは親しくしていた
その二人は自分のために食事の用意から何でもしてくれたのである
それが60までつづいたのだから異常だった

引きこもりという時、繊細な性格で傷つきやすいとかある、そういう人は一定数いる
だからそういう人の向いているのは芸術とか宗教とか内面を追及するものである
ただ宗教となるとこれも実際は宗派によって相当に違うのである
キリスト教でもそうである、アメリカ流とかなるともうビジネスであり集団行動である
それは日本でもカルト教団があり同じである、そこは人付き合いができない人は入れないのである、第一毎日勧誘を奨励される、会員を増やすためにそうなる
そして日蓮宗きか念仏宗は一心に題目を唱えるから集団的でありうるさいのである
それで自分にあっていたのは禅宗なのである
デスタンスをとり座禅して話しもしないからである
だからコロナウィルスではデスタンスをとれというとき禅宗の時代だと書いた

三つ子の魂百までというとき何か自分は子供の時、じっとしてなにか催し物があってもじっと見ていたという、おとなしい性格だったのだろう、それは母親に似ていた
何かじっと見ている、それが性格的にあっていた
だから写生俳句というのが自分の性格にあっていたのである
芸術家とか向いていた、引きこもりはやはり性格的には芸術家が向いている
無理やり向かいなことをしてもかえって苦しくなるだけである
ただ芸術家では生活できないから回りがうるさくなるのである
自分にはそういうことはなかったので自分の性格にあったことを追及できたのである
ただ社会性が欠落して介護でさんざんな目にあったのである

冬ごもりの季節である、ここでは雪はふらない、それほど寒くもないから気候的にはいいのである、ただ家事に追われる、まず料理だけは手間がかかってできないのだ
それが一人暮らしの一番の問題である
ともかく冬ごもりは引きこもりである、今は猫一匹とあとは一人の老人の女性としか付き合わない、そういう生活が自分にあっているのである
何か犬と猫がいるとき自分は猫の性格なのである、今飼っている猫は触らせない、じゃれつかないとかかまわるが嫌なのである、そっけないのである
猫はそもそもなれなれしくない、とくにこの猫はそうである、だから自分もこの猫とあっている
あとはつきあっていてもしょがなくてしているだけなのである





2020年12月01日

冬の鳥(ジョウビタキの写真)


冬の鳥(ジョウビタキの写真)
   
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冬の鳥来たりてうれし朝の庭
                                                                      

冬の鳥としてはこれは良くみかける、今日の朝に来たので写真をとった
これはメスだった、でもオスの方が色がきれいである
わかりやすいのは羽根に白い斑点があることだった

今度のレンズは接写して背景をぼかすのにはいい、花をとるにはいいがちょっと離れるとうまくとれない、鳥はどうしても遠くからとるから望遠になっていないととれない
何か写真はレンズの方が大事なのかもしれない、多様なレンズが本当に多いからだ
この鳥をとれたのは庭に来たからであり外てとるのはむずかしい
なぜなら鳥はすぐ飛んで消えるからである
だから鳥をとるのはむずかしいのである

鳥とか来るのはいいが人間が来るといろいろと嫌なことがある、だから自分は人嫌いで引きこもりになったのである、ただ自然とは接していたのである
不思議なのは意外と身近でも写真になるものがあることだった
最近は遠くに行っていない、どうも何か足が悪くなったり体が痛んでくる
自転車でも遠くに行くと足とか何か痛んでくる、そうなるとますます近間しか行けないともなる      

車がないから余計にそうなる、とにかくカメラを趣味とする人は多い
その理由もわかった、いい写真をとるということで自然を見る目が違ってくるからだ
そして写真は本当にとる場所とか構図になるポイントを見つけることも大事である
だから常に行ける身近な場所だとそれを発見する
遠くに行くと旅行するといい写真をとれるかと思うと簡単にできない
どういう構図でとるかを常に見ていないと試さないととれないからである
すると旅すると通り過ぎることがそういうポイントを探すのに時間がかかったりする
そこに住んでいればだんだんわかるのだが旅しているとわからないということがある

ともかく庭でもこうして鳥が来て変化をもたらす、それを写真にとるとそれが記憶となる写真の魅力が大きいとなる

なぜ山村の人口が減っていったのか? (石炭から炭焼きから石油へ、電気製品への変化)


なぜ山村の人口が減っていったのか?

(石炭から炭焼きから石油へ、電気製品への変化)

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飯館村の人口をみると戦争が終わりそこで引揚者などが開墾に入り人口が増えた
6000人の人口が倍にも増えたのである
不思議なのはどうしてそれだけの人口を養うものが飯館村にあったのかとなる
それは飯館村だけではない、日本全国で同じなのである
戦後は団塊の世代が生まれ人口が急激に増えたのである
でもその時は日本は戦争が終わり焼野原であり戦地から帰って来た人の働く場所もない
だから困難でも開墾に入ったのである
飯館村の木戸木となると峠を越えてさらに飯館村の中心地の草野までまた七曲の峠を越えねばならない、そんな不便な所になぜ住んだのか?
そういう土地しか住む場所がなかったということである
そこは無人の地だから開墾に入ることができたのである
でもそこをみるとわずかな田畑があるだけである、平地が少ないからである
だからそこでどうして暮らせたのかというと不思議になるが農業だけではない林業があったからだとも思う、その頃まだ炭焼きなどをしていたから木材を利用していたからである燃料は炭だったからである

木材だけではない、石材とか資源が山にあり鉄道が全国に伸びてさらに伸びた
鉄道はもともと石炭を運ぶものとして全国にできた、常磐炭田でもそうである
北海道でも石油をエネルギーとする前は石炭だったのである
石炭を運ぶために鉄道が作られたのである、だから北海道の市町村は石炭をとるために作られた所が多い、でも石炭から石油に変わった時、廃れたのである
つまり戦後まもなくは日本は日本がの資源を利用していた
石油を輸入したとしても石炭が主なエネルギー源だったのである
それで原町機関区から森林鉄道があり浪江だと高瀬川から葛尾村の落合まで森林鉄道が伸びていたのである、全国的に網の目のように森林鉄道が張りめぐらされた山の資源を石材でも木材でも運んだのである
それが東京に運ばれたのである、また戦前になると原町紡績がありそこにも鉄道がひかれていて引き込み線があり横浜に生糸が運ばれていたのである

だから飯館村でも6000人の倍の人口を養えたのかとなる、それだけの数があるいうことは山村でも相当ににぎわっていたということである
それは日本全国で団塊の世代の子どもたちが増大して子供の遊ぶ声がいたるところに木霊していたのである、それはうるさいくらいだった
不思議なのはその時はみんな貧乏だったのである、電気製品も一つもない、家にあるのは飯台一つだったとなる、それはみんな同じだったのである
だからそんなに貧乏なのに良く子供が育てられたと思う、私の父親がミルクをもらうために並んでいたとかあり子供にまともに食料を用意されてもいなかったのである

そうした生活が戦後十年くらいで急速に変わった、日本は工業化して電気製品を輸出するようになった、その時山村の生活も変わった、人手は工業製品、電気製品を作るために必要となり中卒が金の卵として集団就職で東京に流れた
その時、下町の中小企業でも人手を必要としていたからである
その時から炭焼きの時代は終わり三種の神器の電気製品が人気になりもつようになった
白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫 この時から電気の時代になり炭の時代は終わったのである
そこで山村でも人手が必要とされなくなり人口が減っていった
産業構造ががらりと変わった、養蚕も消失していった
それとだんだん農業も機械化した結果が余計に人手がいらなくなったのである

何かこれまでの農村風景は村総出で田植えしたり稲刈りした風景が見られた
それは江戸時代からの光景である、それが機械化すると消えていった
何かそれでも人の活気が感じられなくなった 

稲作の国、日本の神事。住吉大社の「御田植神事」の田楽

村人の総出で田植え赤々とツツジの映えてにぎわう時かな

田植え自体が村人総出の祭りのようになっていたのである、そこで民謡が生まれた、共同で仕事することでそうなった、それで村には活気があった、早乙女が田植えの中心になるということはまさに若い人が中心であり活気があるとなった
今やそういう風景が消えてしまった、田があったとしてもそこに祭りはない、ただ米をとる場所としてある、村の共同は消失したのである
そこで文化も消失していたのである

とにかく飯館村とかどこの山村でも人口が今の倍とかありにぎわっていた
それだけの人口を養えていたのである、もちろん貧乏ではあるけどそれだけの人口があれば活気がでてくる、それも子供が多いから余計に山村でも活気があったとなる
それは産業構造とか機械化とかグロ−バル化による外材とか石油の利用とかがあり山村が衰退した

日本がなぜ衰退しているのか?また山村とか地方が衰退しているのか?
産業構造の変化でそうなった、そもそもなぜ原発事故でこの辺が住めなくなったのか?
それも産業構造の変化だった、電気社会になれば電気が一番重要な産業となるからだ
現実に事故になったと原発で千人の電気関係者が働いていたというのもそうである
つまりそのことが産業構造の変化を示していたのである
今度はロボット化とかAI化とかで人手がいらなくなり人手不足も言われたが人手を極力省くとなり失業者がふえるとなる
第一銀行などは相当に無駄でありAI化しやすいものだった
営業の人がプロだと思ってまかしたがまずAIに頼んだ方が良かったともなる
AIの方が人間より優秀なのである、翻訳でもAIの能力には驚いたからである

ただ山村とか地方に活気をとりもどすにはどうしたらいいのか?
やはり早乙女踊りのように何か若い人中心となった祭りとがあり子どもが多いとなれば活気がでる、今や少子高齢化でありもう原発事故周辺の避難区域になったところでは老人しか残っていないのである、それで町や村が維持できなるのかとなる
飯館村でも貧しくても人が倍以上いたしそれも若い人たちが多かった
すると村自体に活気が生まれていたのである
何か変だけどネパールに行ったら山の上でも若い人が多いなとみた
何かそこに仕事する若い女性がいて万葉時代のようにすら思えたのである
第一靴もなく裸足で歩いているのだからそういう時代がつづいているともなる
ただそういう場所でも若い人が多いということは活気があるとなるのだ

老人だととにかく病気の人が多い、その治療代とか薬代とかそういう費用がかかる
それが負担になる、仕事もできない、あとは介護してくれとかなる
自分自身も何か最近足が痛くなったり不自由になった、そんな人ばかり増えたら何であれ活気もなくなるし衰退するのは当然なのである
ベトナムなどはまだ若い人が多い、だからそういう国は伸びるのである
日本では東京すら今や老いる社会なのである、集団就職で集中した人たちも今や老人になっているからだ、日本全体が於いてく、老大国になってしまうのである
このこと自体が最大の問題でありいくらいろいろ言ってもここが解決しないと日本は衰退するばかりだとなる
ただ飯館村が1920年(大正9年)に6000人であり原発事故前も6000人だった
そもそも日本全国でも日本の国土の適正人口は6000万から8000万くらいなのかもしれない大正時代は東京でも三百万とかだったからである
つまり今からすると相当に閑散としていたが何か空間的には人工的にも余裕がある社会だったともなる、日本は狭い国土に密集しすぎたとなるからだ





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