2020年12月01日

冬の鳥(ジョウビタキの写真)


冬の鳥(ジョウビタキの写真)
   
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冬の鳥来たりてうれし朝の庭
                                                                      

冬の鳥としてはこれは良くみかける、今日の朝に来たので写真をとった
これはメスだった、でもオスの方が色がきれいである
わかりやすいのは羽根に白い斑点があることだった

今度のレンズは接写して背景をぼかすのにはいい、花をとるにはいいがちょっと離れるとうまくとれない、鳥はどうしても遠くからとるから望遠になっていないととれない
何か写真はレンズの方が大事なのかもしれない、多様なレンズが本当に多いからだ
この鳥をとれたのは庭に来たからであり外てとるのはむずかしい
なぜなら鳥はすぐ飛んで消えるからである
だから鳥をとるのはむずかしいのである

鳥とか来るのはいいが人間が来るといろいろと嫌なことがある、だから自分は人嫌いで引きこもりになったのである、ただ自然とは接していたのである
不思議なのは意外と身近でも写真になるものがあることだった
最近は遠くに行っていない、どうも何か足が悪くなったり体が痛んでくる
自転車でも遠くに行くと足とか何か痛んでくる、そうなるとますます近間しか行けないともなる      

車がないから余計にそうなる、とにかくカメラを趣味とする人は多い
その理由もわかった、いい写真をとるということで自然を見る目が違ってくるからだ
そして写真は本当にとる場所とか構図になるポイントを見つけることも大事である
だから常に行ける身近な場所だとそれを発見する
遠くに行くと旅行するといい写真をとれるかと思うと簡単にできない
どういう構図でとるかを常に見ていないと試さないととれないからである
すると旅すると通り過ぎることがそういうポイントを探すのに時間がかかったりする
そこに住んでいればだんだんわかるのだが旅しているとわからないということがある

ともかく庭でもこうして鳥が来て変化をもたらす、それを写真にとるとそれが記憶となる写真の魅力が大きいとなる

なぜ山村の人口が減っていったのか? (石炭から炭焼きから石油へ、電気製品への変化)


なぜ山村の人口が減っていったのか?

(石炭から炭焼きから石油へ、電気製品への変化)

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飯館村の人口をみると戦争が終わりそこで引揚者などが開墾に入り人口が増えた
6000人の人口が倍にも増えたのである
不思議なのはどうしてそれだけの人口を養うものが飯館村にあったのかとなる
それは飯館村だけではない、日本全国で同じなのである
戦後は団塊の世代が生まれ人口が急激に増えたのである
でもその時は日本は戦争が終わり焼野原であり戦地から帰って来た人の働く場所もない
だから困難でも開墾に入ったのである
飯館村の木戸木となると峠を越えてさらに飯館村の中心地の草野までまた七曲の峠を越えねばならない、そんな不便な所になぜ住んだのか?
そういう土地しか住む場所がなかったということである
そこは無人の地だから開墾に入ることができたのである
でもそこをみるとわずかな田畑があるだけである、平地が少ないからである
だからそこでどうして暮らせたのかというと不思議になるが農業だけではない林業があったからだとも思う、その頃まだ炭焼きなどをしていたから木材を利用していたからである燃料は炭だったからである

木材だけではない、石材とか資源が山にあり鉄道が全国に伸びてさらに伸びた
鉄道はもともと石炭を運ぶものとして全国にできた、常磐炭田でもそうである
北海道でも石油をエネルギーとする前は石炭だったのである
石炭を運ぶために鉄道が作られたのである、だから北海道の市町村は石炭をとるために作られた所が多い、でも石炭から石油に変わった時、廃れたのである
つまり戦後まもなくは日本は日本がの資源を利用していた
石油を輸入したとしても石炭が主なエネルギー源だったのである
それで原町機関区から森林鉄道があり浪江だと高瀬川から葛尾村の落合まで森林鉄道が伸びていたのである、全国的に網の目のように森林鉄道が張りめぐらされた山の資源を石材でも木材でも運んだのである
それが東京に運ばれたのである、また戦前になると原町紡績がありそこにも鉄道がひかれていて引き込み線があり横浜に生糸が運ばれていたのである

だから飯館村でも6000人の倍の人口を養えたのかとなる、それだけの数があるいうことは山村でも相当ににぎわっていたということである
それは日本全国で団塊の世代の子どもたちが増大して子供の遊ぶ声がいたるところに木霊していたのである、それはうるさいくらいだった
不思議なのはその時はみんな貧乏だったのである、電気製品も一つもない、家にあるのは飯台一つだったとなる、それはみんな同じだったのである
だからそんなに貧乏なのに良く子供が育てられたと思う、私の父親がミルクをもらうために並んでいたとかあり子供にまともに食料を用意されてもいなかったのである

そうした生活が戦後十年くらいで急速に変わった、日本は工業化して電気製品を輸出するようになった、その時山村の生活も変わった、人手は工業製品、電気製品を作るために必要となり中卒が金の卵として集団就職で東京に流れた
その時、下町の中小企業でも人手を必要としていたからである
その時から炭焼きの時代は終わり三種の神器の電気製品が人気になりもつようになった
白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫 この時から電気の時代になり炭の時代は終わったのである
そこで山村でも人手が必要とされなくなり人口が減っていった
産業構造ががらりと変わった、養蚕も消失していった
それとだんだん農業も機械化した結果が余計に人手がいらなくなったのである

何かこれまでの農村風景は村総出で田植えしたり稲刈りした風景が見られた
それは江戸時代からの光景である、それが機械化すると消えていった
何かそれでも人の活気が感じられなくなった 

稲作の国、日本の神事。住吉大社の「御田植神事」の田楽

村人の総出で田植え赤々とツツジの映えてにぎわう時かな

田植え自体が村人総出の祭りのようになっていたのである、そこで民謡が生まれた、共同で仕事することでそうなった、それで村には活気があった、早乙女が田植えの中心になるということはまさに若い人が中心であり活気があるとなった
今やそういう風景が消えてしまった、田があったとしてもそこに祭りはない、ただ米をとる場所としてある、村の共同は消失したのである
そこで文化も消失していたのである

とにかく飯館村とかどこの山村でも人口が今の倍とかありにぎわっていた
それだけの人口を養えていたのである、もちろん貧乏ではあるけどそれだけの人口があれば活気がでてくる、それも子供が多いから余計に山村でも活気があったとなる
それは産業構造とか機械化とかグロ−バル化による外材とか石油の利用とかがあり山村が衰退した

日本がなぜ衰退しているのか?また山村とか地方が衰退しているのか?
産業構造の変化でそうなった、そもそもなぜ原発事故でこの辺が住めなくなったのか?
それも産業構造の変化だった、電気社会になれば電気が一番重要な産業となるからだ
現実に事故になったと原発で千人の電気関係者が働いていたというのもそうである
つまりそのことが産業構造の変化を示していたのである
今度はロボット化とかAI化とかで人手がいらなくなり人手不足も言われたが人手を極力省くとなり失業者がふえるとなる
第一銀行などは相当に無駄でありAI化しやすいものだった
営業の人がプロだと思ってまかしたがまずAIに頼んだ方が良かったともなる
AIの方が人間より優秀なのである、翻訳でもAIの能力には驚いたからである

ただ山村とか地方に活気をとりもどすにはどうしたらいいのか?
やはり早乙女踊りのように何か若い人中心となった祭りとがあり子どもが多いとなれば活気がでる、今や少子高齢化でありもう原発事故周辺の避難区域になったところでは老人しか残っていないのである、それで町や村が維持できなるのかとなる
飯館村でも貧しくても人が倍以上いたしそれも若い人たちが多かった
すると村自体に活気が生まれていたのである
何か変だけどネパールに行ったら山の上でも若い人が多いなとみた
何かそこに仕事する若い女性がいて万葉時代のようにすら思えたのである
第一靴もなく裸足で歩いているのだからそういう時代がつづいているともなる
ただそういう場所でも若い人が多いということは活気があるとなるのだ

老人だととにかく病気の人が多い、その治療代とか薬代とかそういう費用がかかる
それが負担になる、仕事もできない、あとは介護してくれとかなる
自分自身も何か最近足が痛くなったり不自由になった、そんな人ばかり増えたら何であれ活気もなくなるし衰退するのは当然なのである
ベトナムなどはまだ若い人が多い、だからそういう国は伸びるのである
日本では東京すら今や老いる社会なのである、集団就職で集中した人たちも今や老人になっているからだ、日本全体が於いてく、老大国になってしまうのである
このこと自体が最大の問題でありいくらいろいろ言ってもここが解決しないと日本は衰退するばかりだとなる
ただ飯館村が1920年(大正9年)に6000人であり原発事故前も6000人だった
そもそも日本全国でも日本の国土の適正人口は6000万から8000万くらいなのかもしれない大正時代は東京でも三百万とかだったからである
つまり今からすると相当に閑散としていたが何か空間的には人工的にも余裕がある社会だったともなる、日本は狭い国土に密集しすぎたとなるからだ





posted by 老鶯 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題