2020年12月04日

大坂で看護師80人募集 (でも集まらない、緊急事態に対応できない日本の危機) 大阪府 吉村知事「医療非常事態宣言」で看護師80人募集 (でも集まらない理由)


大阪府 吉村知事「医療非常事態宣言」で看護師80人募集

(でも集まらない理由)



医療崩壊の瀬戸際」大阪で何が?吉村知事に高まる批判。コロナ重症センターの看護師が集まらない?!維新の会の無策。作家今一生さんと一月万冊清水


日本は緊急事態に対処できない国になった (医療崩壊は起きないー医者、看護師は十分にいる)



一月万冊で言っていること指摘したことは共感する
大坂でコロナウィルスの重症患者が増えて重症者センターを設置してそこに80人の看護師を募集している、月給は50万だという

でもそこは野戦病院であり特攻だ!

まさにそうである、すでに対応している看護師はうつ病的になっているとかありそんな場所にわざわざ危険を犯して他から看護師が来るのかとなるのも当然である
つまりその動機がないからである            

誰のためにそんな危険な仕事を引き受けるのか

金のためなのか

その患者は60とか70とか80以上の老人であり80以上なら寿命じゃないの

そんなところで働く意味があるの、うつされてコロナにかかりたくない

要するにそれだけの危険を犯す動機がない、戦争の時、姉が従軍看護婦となり戦地に赴いて地獄の苦しみを味わったのは国のためにという大きな動機があった
それは従軍看護師だけではない、国民全部が兵士が命をかけて国のために戦っていたのだからである、それが赤紙一枚で招集されても行かざるをえなかった

でも現代の働く動機は何なのか?

国家は関係ない、みんな私的動機で働いている、金になるかならないかまず考える
医者でも看護師でもそうである、ただやはり他人の命にかかわるから他の仕事とは違っている、医者は特別尊敬されている、それは金銭的にも恵まれている
それだけ医者は現代では日本では尊敬されている職業である
あとは今社会で尊敬される職業はないくらいである
それだけ尊敬され待遇もいい、でもコロナウィルスでそうしした場で働きたくないとなる特に看護師は別にもともと給料もいいわけではないしそれほど尊敬されるというものでもない、医者とは待遇が違うからである
となるとそんな危険な場所には行かないとなる

現代とはそうして日本では特に戦争に負けて国家とか意識できなくなっていたのである
みんな私的なもの金のためにしか働かない、金が万能になっていた
なんでそんな危険な場所で働かなければならないのか、給料50万でも安いとかなる
それよりその動機がもてないのである
命を助けるためだコロナウィルスと戦うためだとしてもそれで犠牲になる動機もないのである
戦争の時は国民一眼となって戦っていたのだから強烈な動機がありそれで一体となり戦っていた
戦争に負けてからそういうふうに国民が一体となり協同して危機に立ち向かうという経験をしていない、そんな危険な場所では働きたくないとなる

こういう国家的危機になったら広く言えば人類的危機となれば何かしら金銭的なものだけで解決しない、人類一体となり危機に立ち向かうとかの連帯が必要になる
それは個々人がそれぞれの国々が利益を追求するのとは違った動機になるのである
それでも国でも会社でもワクチンを作り大儲けしようとかにもなる
純粋にコロナウィルスと戦いそして人類を救うとかにはならないのである
どこまでも利益が付きまとっているのが現代なのである

現代は個々の利益追求の社会である、家族のためとか個々人の利益のために働く
でも国家の危機の時は赤紙一枚で招集されて戦地に送られたのである
今なら国家が大阪の重症者センターに地方からでも看護師を募集して強制的に送るとなるそれはもはやできない、国家の強制力もないし常に国家を否定してきたからである
だから日本は中国でも侵略したら国民が一体となって戦うということもありえないとなるなんで国家のために犠牲になり死ぬんだとなるからだ
コロナウィルスは国家的危機なのである、でもそれに対して強制して看護師を働かせることもできない、それでもうコロナウィルスにかかっても病院には行けない
自宅療養するほかないとしている、病院はもう受け付けないからである

医者も看護師ももうこれ以上コロナ患者は受け付けません、医者も看護師ももうこれ以上危険を犯すことはできなません、家族もいるし子供もいるし子供も保育所でコロナにうつると差別されているという
むしろ励まされる立場の人が差別されているのである
ご苦労様と言われて感謝されるべき人が差別されているのである
こうなれば指揮があがらない、そもそも国家のために働くとかないから指揮が上がらないのである、国家のために無料で働くのか、犠牲にされるのか、そんなことしたくないとなる

何か社会はすべてが金のためであり私的利益のためであり公益のためにとかの動機がなくなった、ナイチンゲールなら敵であっても看護したというときそこに崇高な看護師の姿があり模範になった、でも今はそんなことないのである
すべては我が身大切であり金のためにしか働かないのである
別に普通ならいいが緊急事態のときはそうしていたらもう危機に対応できない
そうして伝染も防げないとかなり敵が攻めてきても戦うこともしない、犠牲になるのは嫌だとなるからだ、そうして国も滅びてしまうとなる
緊急事態にどうすればいいのか政府でも国民でもその最前線に立つ医者でも看護師でも
ただめいめいの思惑とかあり一体化しないのである

ただ日本は外国と比べればまだまだ感染者でも死者でも極端に少ない、なのにもう医療崩壊だとしうている、それ自体が何かおかしい、医療がそれほど脆弱だったのかとなる
それより政府にしても国民にしても医療関係者でも一体となり戦う体制が作れない
経済活動をとめることはできないというのもわかる
そのために自殺者が増えているというのも危機である、でも何かちぐはぐでありそれぞれの保身にばかり目が向いている

要するにどういう方針でやるのか定まらないとなる
こういうときいろいろな要求がありまた医療関係者でも犠牲になりたくないとかありそういうふうにそれぞれが勝手にすれば治められない
そこで強力なトップダウンの支持が必要にもなる
みんな銘々言いたいことを言っていたらまとまらないからである
確かなことは日本は緊急事態に対応する経験を戦後70年はしていない、そういう対応を否定してきたのである、だから危機に対応できないのである
原発事故でも全く対応できなかった、どこに逃げるべきなのか指示もできなかった
なんかそれとも似てるのある、みんな右往左往しているだけだともなる


posted by 老鶯 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

貧困とは何なのか? (エンゲル係数から歴史をふりかえり考える)


貧困とは何なのか?

(エンゲル係数から歴史をふりかえり考える)

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戦後の焼野原から何が変わったのか?
それをエンゲル係数で見た時、食費の割合が戦後十年とかは極端に大きい
70パーセントくらいになる、でもどんどん食費の割合が低くくなって25パーセントとになっている
戦後十年の暮らしのは不思議は子供の時の体験であり大人としては体験していない
確かに食費に70パーセントを使っていたというのが実感である
家にあったのは飯台一つでありそれはどこでも同じだったからだ
もしかしたら燃料代はやはり炭だから高くついていたのかもしれない
今でもガス、電気代が払えないとかなるからだ
ただ風呂は木材の廃材とかを使っていた
それを新聞紙でたきつけるのが自分の仕事だった
大きなエネルギーとなると石炭だった、蒸気機関車が走っていたからである
そもそも鉄道は石炭を運ぶために作られていた、それは北海道をみればわかる
この辺でも常磐炭田がありそこから東京へ石炭を運んでいたのである

今日本全体が貧困化しているというとき貧困とは何か?
それが問われる、私が団塊の世代か経験した貧困と今の貧困は違うからである
まず街では水道がないのだから井戸水を使っていた
でも自分の家とか他でも井戸がない家があったがそれは無料でもらっていたのである
それで子供の時、近くの井戸から風呂の水をバケツで運んでいたのである
それを自分もしたからわかる、ふりかえれば風呂の水をバケツで一杯にするのは結構な量が必要であった、でもバケツで運んでいたのである

その時、水道もなければいろいろな物もなかった、その時の生活は食べることが第一でありその他に金をかけられなかったのだ、だからその時、電気はあったにしても裸電球一つであり外の道は舗装もされないない、土埃りのたつ道だった
そしてやはりまだ農業中心の社会だった
それで近くの農家の人が汲み取りにきていた、便所は外にあり肥料として糞尿はくみとられていたのだ、だから農家の仕事は汚い仕事にもなっていた
でもそれを汚いとは言えないものだった、なぜなら肥料となるものは貴重だったからである

要するに貧困の問題を考える時やはり歴史をふりかえる、貧困とはどういうものなのか、それを歴史的に比べてみる、それは自分自身の経験からすると70パーセントは食費に費やされあとは何も物は家にもない、本も一冊もない、それから新聞紙は風呂のたきつけとか便所紙として利用価値があった、紙は貴重なものだったのである
戦前になると鉛筆は貴重であり短くなって書くことができないくらいまで使っていた
大正生まれでは学校に通えないで小説読んで字を覚えたとかいう人もいた
つまりまともに学校にも通えない人がいたのである
ネパールとかなるとボールペンもないからくれとなっていた、書くものがないからそうなる

そもそも貧困とは何なのか?最悪の貧困は食べるものがないことだろう
まず食べるものにしても戦前だと私の母は原町紡績で糸取りをしていた
その時のオカズはタクワンとと味噌汁くらいである、そんなもので良く働けたと思う
今いくら貧困でもそこまでにはならない、何かしらのオカズは食べている
貧困を歴史的に比較すると食べることに費やされる、だからエンゲル係数でも70パーセントがその時食費に消える、現代では25パーセントになるというときその差が歴然としている

また私の家では家を貸していた、部屋を何人かにアパートのように貸していた、それで毎日家賃をとりにまわっていたと聞いた、それは戦前のことである
毎日家賃とりにゆくのはその日暮らしだったからなのか?
それも手間である、そは江戸時代の長屋暮らしのかともなる
貧乏な時代は酒でも計り売りであり酒樽から必要な分を買っていたのである
御菓子とかでも計り売りでありバラ売りだったのである
袋は新聞紙で作っていたのである、新聞紙にはこういう別な用途があった
情報を得るというだけではない用途があったのである
それは新聞紙でも紙が貴重だったからである

それでどういう状態が貧困なのか?

それは必ず電気、ガス、水道が月末に止められる人が貧困になる、なぜならその時料理すらできない状態に追い込まれるからだ
昔でも炭を使っていたから炭がないと料理もできないとなるが後は水は無料であり洗濯でも裏の堀の川でしていたのである
金がかかるのは炭代だったとなる
その時だったら電気,ガス、水道代が払えないと追い込まれることはなかったとなる

現代の貧困は電気、ガス、水道代とかあとは携帯も必需品でありその金が払えなくなる
そして田舎だと車が必需品でありこの出費が大きい、それは相当に家計の負担になっている、それが田舎の出費で大きいとなる
別に車がなくても暮らせる、自分は暮らせているからだ、ただ仕事とかなると車が必需品になる 

現代の貧困は電気、ガス、水道代や携帯や車代、冬にるなと暖房の石油代とか・・・食費意外のエンゲル係数が大きくなっている、それが負担になった貧困だとなる
それを払う金がない貧困になる、月末になるとこれらが払えない所帯が70万とかいるとなりそこが最低の貧困者だとなる
それで近くの人が電気を消して暮らしているとなる、風呂にも入らないとかなる
昔は銭湯があり自宅に風呂がなかった家も多かった

いづれにしろ何か現代の貧困の矛盾は例えば大学生が学費を払えないで奨学金とか風俗とかで稼いで学校に行っているというのも何か変である
苦学生が昔からいたにしろそれとも違う、風俗とかで楽して金を得て大学に通う
そんなことまでして大学に通うというのも疑問になる
親の生活苦とか借金で娘を身売りしたという追い詰められたものでもない
それほどまでして大学で学びたいのかともみる
そもそも大学などは戦前ではほんの一握りの人しか入っていない
今五割も大学に行っているというのも時代である
だから大学生が特別な価値をもっているものでもないのである
一部の有名大学をのぞいてはそうなる

ともかく貧困とは何か、それが問われている、高度成長時代から日本では貧困がわからなくなった、でもその貧困に大勢が直面するからとまどうとなる
それは豊かな暮らしの中で豊かに暮らすものが負担になってきたのである
電気、ガス、水道代とか携帯代とか大学の学費とか・・・食費意外のものに払う金が枯渇してきたのである
それは確かにエンゲル係数のグラフを見れば一目瞭然だとなる

posted by 老鶯 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題