2020年12月11日

引きこもり、ニート、アウトサイダー (文明社会の脱落者なのか?)


引きこもり、ニート、アウトサイダー

(文明社会の脱落者なのか?)

<レールから外れたうちの子が悪いのだけど、今の世の中、一度脱線してしまったら、もう修復は無理。私みたいな弱い人間がいたら、家族の人生まで狂ってしまう。壊れた母親は、これから、どうして生きていけばいいのだろう>


今の世の中、一度脱線してしまったら、もう修復は無理


人生は二度ない、若い時は感じない、人生はとてつも長く感じる、時間感覚が老人とまるで違う、老人になると人生はあっという間に終わる、たったこれだけかとなるのに驚く
これは老人になってみないとわからないのである
だから本当に20代で人生は決まるとなる、そこでレールをはずれたものは一生レールからはずれるのである

また逆にレールに乗ったとしてもそのレールに乗って終着駅まで運ばれることになる
一生社畜だとか言って会社人間となり終わる
どっちにしろ20代でその進路が方向が決まる
だから赤軍のメンバーは日本航空をハイジャックして北朝鮮に行ったがそのまま日本に帰ることなく北朝鮮で子供は成人していたのである
その時決断した結果として一生の方向が決まってしまったのである
それを後悔しても元に戻ることはできなくなっていたのである

カルト教団などでもオウムとかでもそうだし他のカルト教団でも創価でも・・・いろいろあるが同じなのである、そこに入ったものは一生呪縛されたものとして終わる
脱出しないと一生そこに囚われたままになる
だから20代で進路が方向が決まるから怖いのである
そして失敗したとしても方向が間違ったとしても引き返すことができないのである
それが赤軍が北朝鮮に日本航空をハイジャックしてそのまま日本に帰れなくななったことに現れている

ニートとか引きこもりは正規のルートを脱線した結果そうなった
その数が60万とかなんとか多いのはなぜなのか?
それだけ親とかに経済的余裕があり寄生できているということになる
だから経済的豊かさがもたらした現代的現象だともなる
貧乏だったらなんらか働かなければ食べていけいないからである
それで団塊の世代ではニートとか引きこもりはほとんどいなかった
ただいたとしても気づかないし問題にもならなかった
みんな企業戦士となり高度成長時代を築いたのである
だからその時、引きこもりとかニートがいたとしても例外的存在であり誰も注意もしなかったしそんな人がいるのかともなっていたのである

アウトサイダーというときそれは天才的な芸術家などで社会から脱線してもかえって凡人とは違って優れた人だったのである
ただそういう人は狂気となった人が多い、ニーチェとかヘルダーリンでも社会から離脱して狂気化した、ゴッホとかでもそうである
でも今のニートとか引きこもりはそうしたあまりに優れていたからそうなったのとは違うでも何か似ているのである、そういう人と私は逢う、同類なのか何かふてぶてしい
でも社会からはずれた人間として異常だともみる
ただその数がこれだけ多いということはそれが普通になり何らか対策しなければならないとなったのである、少なければほうっておかれだけだからである
数が多くなるとそれが社会的現象となり社会で問題視する
カルト教団も実際は異常集団なのだけど数が多いということで認められるのと同じであるその異常集団がナチスとかファシズムとなってゆくけど数が多いということで容認されるのである

ただ20代とかで脱線したら一生脱線した道を行くことになる
特に日本は集団組織の中で生きるから集団組織から離れた人間は見放す、落伍者ともされるのである
私自身が30年間引きこもったのも20代から正規のレールからはずれたからである
その後はそのままはずれた道を行くことになったのである
ただ自分の場合は家族に恵まれたから何か働けとも言わないし旅とが費やしたり自由に勉強したりしていたのである
だから自分の場合は特殊だったとなる、ただ介護になったとき本当に死ぬような苦しみを味わった、それを延々とプログに書いた
現実に引きこもりとかニートとか社会性がないから介護とかなると苦しむ
また頼りになる人もいないから一身に親の介護になり苦しむのである
それで事件になることが多くなる、それは金の問題だけではない、介護でも協力してもらえる人がいないということで苦しむ
そして親子で共倒れになる、私自身もそういう一歩手前までなっていたからである

ただ人間というのは長く生きていると時代が変わる、それが本当に解せないとなる
小野田少尉がジャングルで戦後も戦争状態にあったが日本に帰ってきたらまるで違った時代になっていた、あれほど日本国民が一眼になって戦争していたのに全く違った世界になっていたことに驚き戸惑うことになる
そういうことが戦後70年で起きている、終身雇用の会社人間の時代は終わったとかAIで人間のやることはなくなる、みんなアーチストになれというのもそうである
ベーシックインカムでやりたいことをやれとかいうのは本当に団塊の企業戦士とうし生きた人たちには理解できないとなるのだ
自分自身はそうしていたからそれに違和感を感じないのである 

いづれにしろ人間社会をみるとき人間が労力を費やしたものに価値が本当にあるのか?
それを一番感じるのは東京とか大都会を見た時である
そこに何の価値があるのか、美があるのか、ここが人間の住む場所なのかという疑問になる、そんな世界で人間が生きるのかとなると絶望になる
そこで人間はもう人間ではない、経済的単位であり数として数えられるだけでありただ消耗されていくだけだとなる
何かそうこに人間の作った荘厳なものでもあればいいがそういうものもない
巨大な高層ビルを見上げている蟻のようになっているだけである 

そもそも一千万の人間が密集して住んでいること自体生物としてありえないことである
そういう大都市があること自体が回りに影響する、東電が福島に原発を作ったのもそれだけの人口に供給する電力が必要だったから危険でも福島に作ったとういことがある
もちろん経済的効果があったとしてももうそこは人間の住む場所ではない
密集していることはコロナウィルスでも伝染しやすいとなり、東京から人が出るのを抑えられない、東京の影響が周りに波及して来る
福島県はそういう位置にもあったとなり原発事故になったのである
つまり茨城県だと東京に近すぎる、福島県だと遠からず近からずになり地理的なものから原発が作られたのである、そこに恩恵があっても災いももたらした原因があった

結局極論になるが人間はいくら働いても理想の国とか天国とか絶対に生まれない、作れないのである、人間の労働はむしろ自然破壊にもなり原発事故にもなったりいい結果をもたらすとは限らない、そこに人間の限界がある
つまり天国は人間の労働の結果としてもたらすことできない、天国は労せずして神から与えられるのである、ギフトなのである、恩寵なのである
なぜなら人間の成す業(わざ)には災い(わざわい)となるものがあり呪われているものがあり原発事故のようにもなるからである