2020年12月24日

本の整理に追われる (読んでいても忘れていたーでも本は集めておく必要があった)


本の整理に追われる

(読んでいても忘れていたーでも本は集めておく必要があった)

本の整理していたけどありすぎると読んだことさえ忘れている
線は無数にひいてあっても読んだ記憶もなくなる
それより自分の書いた文も忘れる、最近書いたのでも忘れる
プログで読み返してこんなんことを書いていたのかは自分自身が感心しているのも不思議である、それでまた読み直して書き加えたり新たに自分の文に答えるようにして書く
するとそれは終わりなき文章ともなってゆく

本もそうだった、本は読んでも活かされない、忘れている、こんなこと書いてあったのかと新鮮になる、一度読んでいてもほとんど忘れていた
本は整理しにくい、だから本を電子化して辞書のように引くことができればいいとなる
そうすると関連したものをまとめるとそこで一つの新たな文が書けるからである
本では関連したものを探すのがめんどうなのである
でも本の一部と他の本の一部とかが関連していてそれを結び合わせるとまた別なものとなって表現できるのである

とにかく年の暮だから掃除とか整理でありまた家の修理があり大工さんを頼んだ
家も50年過ぎていたんでいたし地震でこわれた所をまだ直していなかった
家は前から何回も直している、その度に相当な金がかかっている
今は大きな家に一人だけで利用している

知的生活をするには書庫が必要である

知的生活とか知的創作とかなるとそういう場が必要になる、画家ならどうしてもアトリエが必要になるし工芸でも創作する場作りが必要になる
書庫が私設図書館が必要になるのは引用するためである、また参考にするためである
だからプロの作家になると私設図書館をもっているのである
必ず何かを参考にして引用するからである
インタ−ネットでそれがしやすくなったのだがインタ−ネットにはまだプロの情報が蓄積されているのが少ないのである
だから本を利用するとプロの情報が蓄積されているからいいものに当たる
でも本はキーワードとかで探すことができないので一冊一冊になっているので面倒なのである、インタ−ネットのように全文検索して編集したらそれは新たな創作品となっている
とにかくもうこの年になると情報すら新しいものを吸収できない
でも古いものでも読んだ本でも忘れているのである
その努力が活かせていない、それは結局アウトプットしていなったからである
それができなかった、アウトプットしない限り情報でも本を読んでも活かせない
だからプログとか記録するという点でもいいツールなのである

まずこの年になるとあらゆるものが整理するとかなる、人生を整理するとかにもなる
自分のしてきたこと吸収した知識とか経験を表現することになる
それで表現するにしてもやはり経験が基になる、外国で15年も暮らしてそれで商売までしていたとなるとその経験を語れば訴えるものがある
それだけの経験は簡単にできない、留学はしたとしてもビジネスをしていたとなると別である
その経験というのは本を読むとかのレベルではなく実感として知る、肌で知るということである

今日も一日追われて終わる、家事とかも全部していると本当に追われる、それでプログのコメントもできない状態である
まずプログに書くことで追われる、それから家事で追われる、今回は家の修理がありそれで追われる
これも年の瀬だからともなる

我が家には私設図書館くらいの本がある、大規模ではいなにしろある、でも本があるというだけでその本の内容を消化していない、自分なりに消化していなかったのである
でも本は例え読まなくてもそろえておく必要がある、なぜなら自分なりの文章を書くとき自分の文脈で他人の文を活かすためなのである
それで時々インタ−ネットだけではなく本を読み返す必要がある
また図説とか写真とか絵も参考になる、そういうものを集めることが自分なりの情報発信に役立つのである

ただ正直人間一生でできることは限られている、あっというまに人生の時間が尽きる
もう詩文に残された時間はわずかになった、つくづくたいしたこともできなかったなと思う、ただ旅したことでも財産になる
何かしら経験は財産になる、読書もその一つだけでこれも忘れやすいのである

人生百年時代になると知的な仕事する人にはいいとなる、何しろ知識とかは膨大であり本の一部しか知ることもできないし経験もわずかのことしか経験できない
時間はたちまち過ぎる、30過ぎるとまだ若いとなるのが40になるとすでに白髪がでてきたりおっさんだとかなり氷河期世代が絶望を語るようになる
40才が分かれ目になる、それ以後はもう何か新しいことができない、追いつけないともなる   

焼き捨てて日記の灰のこれだけか 山頭火

こんなものになる、膨大な記録ともなるはずだが燃やしてみればわずかの灰となっているだけである、人生はみんなそんなものだともなる
そもそも普通の人は記録さえなくかえりみられず終わるだけである
歴史となれば名前とか一行でも何か残っていればその人の生きた証となるが実際はほとんどの人の記録は失われる、その人が何を生きたのか墓を見てもわからない、戒名を見てもわからない、記録がないからである
それで文章で記録を残すことは意外と大事だとなる、なぜならそこから死者を偲ぶことができるからである、語ったことは忘れやすい、消えやすいからである
エジプトの神聖文字とか粘土板の文字とかが二千後にでも残ればそこから過去をしることができるからだ、そこに文字の貴重さがある、記録することは文字が生れてできたことなのである

短日に仕事せかされはや暮れぬ

本あまた積まれて忘る年の暮