2021年01月05日

地理で基本になるのは方角である (地図でで方角を知る方法)


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地理で基本になるのは方角である

(地図でで方角を知る方法)

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地図上で方角がわかる

●東と西の方向

日の沈む国。日本の西にある国の意で、中国をさす。推古天皇15年(607)遣隋使小野妹子の携えた国書にある「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」による

「東北」という方角の表し方は東洋風(漢字圏)の表し方で、「北東」という方角の表し方は西洋風の表し方です。

そもそも東北というとき北東のことである、北海道は北である
韓国から見て日本海は東海である、東であり日本海から太陽が昇る
日本だと日本海であり太陽は日本海に沈む、この差は本当に大きい
そこで韓国では東海だとして争うことになる
日本と対抗しているから余計にそうなる、日本の海だというのが気にくわないのである
だからこの方角は地理にとって基本である
旅をして一番感じるのが太陽が昇り太陽が沈む方向なのである
それは海を航海するときも太陽が昇り沈む方向で方角を知る

それで旅をして一番不思議に思ったのは太陽が沈む方向だった
それを感じたのは琵琶湖の湖西という地域である、そこは西であり太陽が沈む方向であるでも太陽が昇る方向が東になりそれが関ケ原でありそこを境に東西に分かれるのが日本である
それは歴史的にもそうである、壬申の乱でも東西が分れて争った
その境目が関ケ原にもなる、それで東(あづま)というときそこから東の地域に入るということになる、琵琶湖の滋賀県までは西であり関ケ原を越えると東である
戦国時代だと信長の名古屋城がある、そして琵琶湖の岸に安土城を築いた
それは東(あづま)から西へと京都へとし支配するためである

世界史でも世界の地理でも肝心なのは方角である、なぜなら東西文明に分かれるからである、西洋文明と東洋文明というときそうである、それは基本に方角があり世界史でも分かれる
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」とか小野妹子が国書に記したのはまず方角でもって世界の地理を意識して示したのである
それだけ方角が地理の基本だからそうなった、方角でその国の位置を確認していたのである

玉骨はたとえ南山の苔に埋るとも、魂魄は常に北闕の天を望んと思ふ (後醍醐天皇)

太平記の世界から、後醍醐天皇の遺言です。南北朝の戦いで足利尊氏に敗れ、京都から奈良県の吉野へ撤退した後醍醐天皇は、吉野で失意のうちに崩御します。その時の遺言がこれです。「私の身体は南の吉野で白骨になるけど、魂は常に北の京都奪還の執念を持ち続ける」といった大意です

それで南北朝の争いでも方角が意識される、北闕に北に京都があり御所があるからであるそしてイスラム教ではメッカのある地点に向かって礼拝する、方角が大事なのである
偶像を否定しても方角は否定していない、世界のどこにいてもメッカの方角に向かって礼拝している、方角が大事なのは砂漠とか草原の民の遊牧民である
そこでは方向は星で決める、だから三日月と星の旗になる
北斗七星が信仰にもなる、北極星が目印となるからだ
相馬氏の妙見信仰はこの北斗七星なのである、だからこの信仰は大陸から伝わったものである 

●太陽の沈む方向の地名

ともかくこの方角から地理を知ることである、それは実際にその場に立って太陽が昇る方向とまた沈む方向を知ることである、実感することである
それを知るにはいつも住んでいる同じ場所では実感できないのである
だから大坂でも不思議なのは日下とあるとき太陽の沈む方向だとしている
大坂に太陽が沈むというとき普通は山に沈むからイメージできない
でもそこは太陽の沈む方向になっていた  

「長谷(ながたに)の泊瀬(はつせ)」……「春日(はるひ)の滓鹿(かすが)」……「飛鳥(とぶとり)の明日香(あすか)」……の如く、枕詞的に用ひられた修辞句……「日下(ひのした)の草香(くさか)」……があつて、それが地名の訓を獲得してしまったと見るのである。……当地からすれば太陽の出を山麓から仰ぐのであり、大和からすれば……太陽の下る所に当るのである
大坂の日下は大和から見て太陽の沈む方向にあったからその地名がついた
どこを基点にしているかが重要なのである、それで方角が変わってくるからである
だから韓国から見た時、日本海は東海なのである
東の海であり太陽の昇る方向なのである、それで争いにもなる
日本海だと日本の海なのかとなってしまうからである
でもこれは歴史的に日本海なのでありその呼称を変えることはできないのである
ただ世界を知ることでも方角が重要なのである  

明石城があるところに春の太陽が沈み城を赤く染めたのは忘れられない光景であった

明石城夕日に染まり行き来する船の絶えじも難波の栄ゆ(自作)

天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ 柿本人麻呂

あそこから淡路島も見えるから淡路島が古事記の神話の国造りの中心になったのも地理的に感じる 

二上山に秋の夕日の映えつ没る姉と弟の山と並びぬ

これもやはり方角が太陽の没る方向に映えた、それは飛鳥の方向から見えたのである

●相馬市の日下石(にっけし)の地名の不思議   

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地理と歴史は一体化している、それで地歴となった、この地理を知ることは容易ではない地図を見てもたとえ旅しても電車とか車だと必ずしもわからない、坂があっても簡単に越えるしただ早く早く通り過ぎることが多いから印象に残らないのである
本当は歩けば地理を実感できる、でも歩くとなると労力がかかりすぎる
だから私自身は歩く旅はしていない、自転車の旅だったのである

太陽(日)が昇る方向だからということだそうです。
沖縄のほうはもっとダイレクトですよね。太陽が上がる方向だから「アガリ」

日向かしが東(ひがし)の由来だとすれば、
同じ字の地名「日向(ひゅうが)」も同様ですよね。 

日本語のニシは、「去方」(イニシ)の約であろうという。イニが去(イ)
ヌという動詞の名詞形で、シは方向を示すので「日没の方向」の意で西を捉え
た語というわけである。

そして津波で判明したことは日下石が西の方向のことだった
なぜならそれは海から見た時西になっていたのである
私は津浪になったとき海になった所を見た、確かに日下石は海から見れば西なのである
それは海洋民族の感覚である、どうしてもそこが西にはならないからである
船で海を渡ってきた渡来人が名付けた地名だともなる
なぜなら相馬地域に綿津見神社が本当に多いからである、飯館村の山中にもある
それが主な社でありそれは先住民が入ってきた証拠なのである
それは安曇族などの海洋民族なのである、それがこの辺の基礎にある

でも海から見れば海の岸に太陽が沈んでいたから不思議だった
東とは確かに日に向かうということから来ている、でも日の岸ともなり海の岸辺に太陽が昇るともなる、ただそれは今度は山側とか西から見た時そうなる
だから方角地名はどこを基点にするか問題になる
北京から見て南だから南京となり南京から見れば北京なのかとなる
東京は東の京だからである  






大衆は誰かの言っていることを言っているだけ (自分で判断できないーマスコミ、専門家、武田邦彦氏に従うとかなる)


大衆は誰かの言っていることを言っているだけ

(自分で判断できないーマスコミ、専門家、武田邦彦氏に従うとかなる)

小池百合子東京都知事らから再発令の検討を要請された2日後に表明する展開となったことに対し、自民党幹部は「小池氏のパフォーマンスに押し切られたように見える」と指摘

日本人はなぜ野蛮になったのか?──警察権力と女帝・小池都知事の政治【武田邦彦】

このことは武田邦彦氏が盛んに小池百合子氏を批判していた、小池氏の政治はパフォーマンスの政治だとして批判している、常に独断的に禁煙しろとか服装まで口をだしてクールビズだとか恰好いいことを言って命令して実施する
コロナウィルスでも新宿の歓楽街を標的にしたのもそうだという
そこを嫌っているからそうしたとしている
このパフォーマンスは大衆にわかりやすいから受けた、それで知事にもなったし一時緑の党を作り国政を左右しようともした
それは小泉首相もそうだったのである、大衆にわかりやすいように何かフレーズを短いコメントをテレビの前で言い受ける
その内容を深く考える大衆はいないのである
大衆の支持をどうしたら受けるかを常に考えてそうしている

それで国民は馬鹿と指導者は見ているとか言われる、それはマスコミでもテレビでもそうである、馬鹿な大衆を相手にして視聴率をとり自分たちが支配するのだとなる
だからNHKでもこう言ったとかテレビでこう言っているとかが大衆になる
その人は何か意見を言うのだけど主張するのだけどテレビしか見ていないからテレビでこう言っているということをしきりに言うのである
特にNHKがこう言っていることは国民がみんなそう思っているとまでなっている
世論とはマスコミが作り一番影響力があるのがNHKなのである

そもそもなぜそうなるのか?例えば原発にしても科学がわからないからである
それは専門家しかわからないものとなっているからそうなる
科学の時代になるとき科学を知らない者は発言もできない、だから常にその本人の意見などないのである、誰かがどういったとかテレビでこう言っているとかNHKでこう言っている、専門家がこう言っているというこを鵜呑みにしてオウムのように言っているだけである
要するに大衆に何らか独自に意見を言う知識も何もないからそうなる

私自身も原発事故で発言して来たのでもそうだった、科学知識がないし文系だから核についてわからないから追求できないのである
ただ地元だからもう10年間も追求してきたからそれで何か玄人並みになったなと自分自身で意識するようになった、科学の知識がなくても地元の問題だからその原因とかが見えてきたのである、ただ正直他で起きることは理解できないことが多いのである
だから実際はマスコミでテレビでこう言っているNHKでこう言っているとかをオウムのように繰り返ししているだけである、その本人の独自の見識をもって言える人はまれなのである、特にこれだけ複雑で科学の時代になるとそうなる

それでなぜ武田邦彦氏がオピニオンリーダーになっているのか?

それは科学の知識があるそれもかなりの高度な知識があるからなのである
科学全般に対して一流の知識があるから他の科学者でも医者でも対等に話せる
そういう人はなかなかいない、文系の知識もあるから総合的に判断できる

すると今度は武田邦彦氏がこう言っているからこうだとなる、科学的に無知な自分もそうである、科学的なことがわからないからである
でも専門家でも同じ意見ではない、二つに分かれることがある、コロナウィルスは危険だとそうでもない、インフレインザと比べればたいしたことがないとかなる
過度に恐れることはかえって経済を止めて自殺者が出るからやめるべきだとなる
それは放射線の被害でもそうだった、どこまで恐れていいのかわからなかったのである
ただ80才くらいの老人はどうせ死ぬんだからと飯館村でも汚染されたキノコを食べていたし海産物を食べていた人もいたのである
老人には関係ないとして食べていたのである
だからコロナウィルスでも60才以下とかなるとか重症化しない、例外的にいてもそうである、基礎疾患がなければ恐れることはないとなる
すると自粛とかするのはかえって経済を止めるからその影響の方が大きいとなるからやめるべきだとなる 

大衆は誰かがこう言っているからこうすべきだとしかない、科学の専門知識がないからである,放射線被害でもそうだったがコロナウィルスでもはそうである
いろいろ専門家が言ってもわからないし専門家自体も今はわからないものだからである
するとどうして判断するのか?
小池百合子東京都知事を危険をあおりパフォーマンス政治家で大衆を引きつける
それで経済的打撃を受けても知らないとまでなる
でも小池百合子の主導で自民党の菅首相が自粛をさせることにした
それが自民党主導でないのでまずかったと反省もしている

ただ素人でも何にもわからないのか?そこが問題になる
私自身は科学の知識もない、文系だからわからない、でも地元で原発事故が起きたことであり十年を追及して来た結果、その原因が見えてきたとなる
それは地元だからであり時間をかけて追及して来たからである
だからコロナウィルスはまた別なの問題だから違ったものとなる
確かなことはコロナウィルスでも必ず誰かが言っているからこうだとしかないのである
そして自分自身でも何を根拠にしているかとなる武田邦彦氏がこう言っているからとかしかなくなる
でもそうは言ってもいろいろな意見を見識を参考にして考えるようになると違うのであるそこに徐々に研究者のようになり独自の見解を生みそれで独自のものを出すようにもなるのである  
それで編集という作業が創造的なものがあるということにもなる
多様な見識や意見を総合的にみて編集すると何か見えてくるものがある

民主主義社会ではあらゆる人が何かを言うことができる、ところがほんどんどは誰かが言ったことを言っているだけなのである
その人独自のものはないのである、だから最終的に民主主義でもヒットラーのようにナチスとなり全体主義となりファシズムになる、要するに独自の意見見識など関係ない
数がすべてだとなる、それが大衆社会の実体なのである
そこでまともな見識意見をもっていても通じないのである
だからこそ中味のない政治家でも通用する

「小池氏のパフォーマンスに押し切られたように見える」

まさにこれである、小泉首相の時もそうだっから二三言フレーズを言い人気になったからである、それは大衆社会だからこそそうなっている
大衆は独自の見識意見などないからである
それでカルト教団でも数を集めればいいしかない、一票になればいいしかないのである
それはナチスと同じなのである、それはどうにもならないともなる
なぜなら大衆の勢力が圧倒的でありそれに従わせられる、数に従わさせられる
いくら高度な正しい意見でも通らないのである
そしてマスコミではテレビではこうした大衆を相手にして視聴率を稼ぐ、その大衆に合わせるからさらに悪い方向に向かいファシズムにもなる 
多数こそが見識も意見もなくても正義なのである
そしてまともな人間は異端児となりアウトサイダーとなり排斥されるということになる

大衆が一番理解するのは利益になること金になることである、それだったらすぐに理解する、だから原発が金になることで地元でも熱狂したのである
むずかしいことはどうでもいい、金になればいいしかなかったのである
それが大惨事になったのである
大衆は御利益を追求しているだけである、真実を追求したり真理を追求したりしないのである、そこにこそ最大の問題がある、でもそれは変えられない、それでギリシャで哲人が支配する国家を目指したのである
でも理想の社会とか国家はこの世に作れない、それは神が作るものであり天国にしかないとなっているのである
この世は常にバベルの塔の崩壊と混乱で終わっているのである
原発事故でもコロナウィルスでも同じだったのである



posted by 天華 at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層