2021年01月19日

カルマの法則 (楽した人は後で苦しむー苦しんだ人は楽になる)


カルマの法則

(楽した人は後で苦しむー苦しんだ人は楽になる)

カルマとは実例がありそれでカルマが法則ともなっていることを知る

子供を捨てた親は子供に捨てられる

これも法則の一つである、その人は5歳まで子供を育てていた、でも子供置いて嫁ぎ先から出た、それは理由がありそこは同情する
姑があまりにもきつい人でありそれで出て行ったのである
その後に来た人も出て行った、異常なほど強気の人であり耐えられないとなっていたからだ
でも子供を置いて嫁ぎ先を出たとしても本人は金持ちの家の後妻に入った
だから生活は楽であった、苦労することもなかった
でもその楽したことが何かかえってカルマになったともなる

なぜなら認知症になり頼る人がなく5歳まで育てた娘に頼ったからである
その娘のことは信じられない非情な異常化した人間になっていたことを書いた
その娘がその親をどう思っているかというと金を得るだけのものでしかない
親とか思っていないのである
ただそれが本人にわからない、認知症になっていてわからない
金があってもその金をどうにもならない、その金を目当てに後妻に入った家の跡継ぎと争っている
これも悲惨だと見た、娘と思っていても娘は親と思っていない、ただ金が欲しいだけである、施設に入れていてもそんなふうにしか思っていないのである

なぜそうなったのか?

確かに家をでるというのはやむをえなかったかもしれない、でも子供と一緒に出れば良かったのかもしれない、それができなかった、そして楽な道を選んだのである
つまり楽なことが必ずしもいいとはならない、でも人間は楽な道を選ぶのである
これとはどうにもならない、でも苦しいことを選ぶ選択もある
それが後に楽になるということもある、苦しいけどその苦しさに耐えてのりきれば楽になる

楽は苦の種、苦は楽の種

これなのである、それで若いうちは望んで苦しんでおけとなる、なぜなら人間に生まれたことは苦から逃れられないからである、そもそも生まれたこと自体が苦しむためだともなる、業(カルマ)の故に生まれてそのカルマを解消するために生まれたともなる
だから人間は必ず苦しむようにできている

そして楽なことは苦しむことにもなる、楽なこともカルマを積んでいるのである
この女性の場合は楽な道を選らび老人になって苦しみを受けるようになったのである
意外と金持ちの親は施設にあづけられて子供はかまわないのである
でも子供が親が苦しんで育てとかなるとその親の背を見て育つから孝行するともなる
だから必ずしも金持ちの親がいいともかぎらないのである
つまり金持ちの人は子供を苦労して育てるということがないからである

他人のことをあれこれ言うが私自身も若い時は望んで苦しんだがその後は楽していたのである
その楽が苦に変わった、介護となり苦しむ結果となったからである
だから楽していることも必ずカルマになってくる、人間は何をするにしろカルマを積んでいる、それが自覚できない、でも60以降とかなると必ず自覚させられる
苦しみとなって現れるからである
だから苦しんだ人は後でかえって楽になる

人生も長いスパンで時間でみると違ったものになる、結果がわからないからである
苦しい道を選んでもそれが一生苦しいとはならない、後で楽になる
楽な道を選んだらそれが苦しみとなって後年現れる
だから何か選ぶ時はむずかしい、結婚するにも女性なら金持ちとかとしたとなりともかく楽に生活できる人を選ぶ、でも結果的にそれが楽になるとはかぎらない
女性もどこかで苦しむようになっている、だから苦しい道を選んでも後で楽になることがある

この辺でも農業をするなと親に殴られた人がいた、農業は金にならないとかなり苦労ばかり多いとなりそうなった、でも原発事故以後その子供は親になりその子供が故郷を捨てて帰らなくなった、何かこれもカルマだったとなる
農業を軽んじたせいだったともなる、それは漁業でもいえる
だから東電に漁業権を売り楽な暮らしをしていたのである、補償金で楽な暮らしをしていた、それが事故で故郷に住めなくなったのである

しかし人は長い目ではみない、今良ければいいとか今が楽で贅沢すればいいとしかならないのである
ただ結果的には長い目でみれば「楽は苦の種、苦は楽の種」になる
それは長い目で見てそうなるのである、人間は長い目で見るこがなかなかできない
今が良ければいいとしかならないからである
そして人生の選択でも楽な方を選ぶのである
ただそれがみんな楽になるとは限らないのである、だからカルマの法則がある
いろいな実例を人生で見てゆくとこれもカルマだなと気づくのである

息子の介護殺人が増える (男は家事ができない相談する人がいない)


息子の介護殺人が増える

(男は家事ができない相談する人がいない)

carekill1.jpg

2020年4月、福島・南相馬市で、自宅で介護をしていた70歳の母親の顔に、折りたたんだ布団をかぶせ窒息死させるという事件が起きた。

逮捕されたのは、47歳の息子。犯行後、自ら消防に通報し、事件が発覚した。

「担当弁護士によると、介護を優先してアルバイトの勤務を調整していたという。状況を聞き取りに来た市役所の職員にも支援を求めることはなく、少なくとも10年以上1人で介護を続けていたとみられる。」

2020年11月16日、判決が言い渡されると、息子は静かに前を向き、裁判長の話に耳を傾けていた。

「おむつ交換の時に泣き叫ぶ母の声を聞きたくなかった」、「母に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と、被告人質問で反省の言葉を繰り返した息子

熊本県警宇城署は2021年19日、自宅で同居する母親(90)の首を絞め殺害したとして殺人の疑いで同県宇城市不知火町御領、長男で無職の内山正光容疑者(67)を逮捕した。容疑を認め「親に対するうっぷんがたまっていた」と話している。


2019年10月、郡山市・63歳の夫が、長年1人で介護していた25歳年上の88歳の妻の首を絞めて殺害。

2019年11月、川俣町・68歳の息子が92歳の認知症の母殺害後、自殺。

熊本県で起きた介護殺人は親が90以上で二人を介護しなければならないことで起きた
二人というのは辛い、一人でも辛いのに二人となるとさらに辛くなる
自分自身も二人の親ともなるのでそのことに恐怖していた

私の場合一人がまずひどい認知症になっていた、その介護で二年半が費やされた
二人の親がいて一緒に住めなくなり自分一人で一人の親を介護していた
認知症だから肉体的介護はしていない、認知症は精神的介護なのでそれでまいってしまうのである
そのことを延々とプログで書いてきた
もしこれが十年もつづいたら確実に自分も殺人までにもなる可能性があった
すでにうつ病にもなっていたからである
ただ救われたのは脳卒中になり入院して死んだことである
二年間は苦しかったが意外と早く死んだので助かった
次にもう一人の親の介護になった、これは主に身体的介護であり寝たきりにもなり認知症になったが精神的には楽だった

そしておむつの交換などはしていない、というのは母は入院して死ぬ一週間前までポータブルトイレに立って行っていたのである
だからおむつ交換となるのと自力でトイレに行けるのとでは相当な差がある
介護する者にとってその差は大きい
だからおむつ交換のとき騒がれて殺すまでになった
市職員の支援を求めるというが認知症の場合はない、私は最初民間の認知症の相談にのる所にいったが何の援助にもならなかった
そもそも認知症に関しては相談するにしてもその場すらない
たいがい身体的介護であり認知症の介護はその中に入ってないないのである
市役所の職員に支援を求めて対応してくれない、認知症は普通の身体的介護とは別だからである

そもそも認知症とは何かを知っている人は少ない、医者すらわからない人がいる
なぜなら直接認知症の人を介護しなかぎりわからないからである
私は介護していてこれがどういう病気か理解するようになって楽になったのである
一時は狂気になったと思い自分自身も恐怖した
でもこの病気は狂気とも違うときづくようになった
確かに物忘れでそれが狂気化するのだが人間として何かわかっていることがある
そして認知症の不思議は正気にもどることがある
だから愛情もって世話すればそれが通じる、でもそれをしないと恨まれる
最後は私が世話してきたことをわかってくれて死んだから救われた
それは自分自身は特別良くされたからできたことである
特に男は介護することが向いていない、家事とかができないし相談する人もなく孤立しやすいのである

熊本の人は二人の90を越えた親でも介護するようになったみたいだ
それで両親を殺す悲惨な結果になった
二人を一人の息子が介護することはあまりにも負担が大きすぎる、それと同じことが自分に起きるところだったし現実にそうなる寸前であった
一人が早く死んでくれて助かったのである 

いづれにしろ介護殺人はこれからも増えてくる、その加害者になるのが息子が多いのである、男は相談する人もなく孤立するからだ
女性だと相談する人がいる、そういうコミニケーションができるのが女性だからである
男性の場合はしにくい、そして孤立する結果としてどうにもならなくり親を殺す悲劇になる
私の場合は自分自身が病気になったことでも苦しかった
そして自分の所に来た人たちは金を無心しようとする人たちだけだった
自分の窮状を察してくれる人はいなかった、むしろ田舎だとそうして人が苦しんでいるのを楽しく見ているのである、それはおそらくそういう目に田舎であっているから他者が苦しんでもそれが楽しみともなっているのである
ただ傍観しているだけでありそれより楽しみともなるのである
ただこれも自分が楽したことによるカルマでもあった
カルマは必ず60以降に苦しみとなって現れるからだ 

これからこうして介護殺人が増える、90以上の親など普通であり当たり前にいる時代である、そして介護になる、だから親二人を一人の息子が介護することもある
その負担に耐えられなくなる、裁判でも情状酌量になっているのもわかる
もう限界になりやむをえずそうなったとなるからだ
だから介護で死んでくれないかなと思うのは普通のことである
自分自身もそう思っていたからである、でも私の場合は一人が早く死んでそのあともう一人介護になったから助かったのである

二人同時に介護することになったらどうにもならなくなった
そういう恐怖があった、そして最後は介護したことで感謝して死んでくれたので心やすらかだった、死んだあとも心安らかに供養できている
もしこれが苦しい介護でも恨んで死ぬようなことがあるとあとあとまで悔やむことにもなる、認知症でもそういうことがわかるからだ
いくら苦しくても恨んで死なれると後味が悪くなるし後悔になるから苦しいのである
ただ自分の場合は他の人と違って特別良くされたことでできる
みんながそうではないからそういう人は本当に介護することができなくなる
男の場合は家事にもなれていないし女性のように援助を求めににくいしと不利なのであるそれで男が介護で親を殺しているのが多いのである