2021年01月23日

女性の人口が減っている―独身社会 (福島県は原発事故で一番減っている?)


女性の人口が減っている―独身社会

(福島県は原発事故で一番減っている?)

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世相のうっぷん晴らしチャンネル

女性の人口の減り方が福島県が一番多い、男性も減っている、それは原発事故とかで若い女性でも流出しからだろう、全体的に減っているとしてもなぜ福島県だけが一番減っているのか理解できないからだ

日本全国では女性でも男性でも増えているのは千葉県とか神奈川県とか埼玉県とか東京周辺である、それ意外はほとんど減っている、ただ大阪が減らないにしても増えていない
東京周辺にそれだけ人口が集中しているということなのか

ここのyoutubeでは結婚したいなら東京周辺の都市に行けというのはそのためである
若い女性がそれだけ少ないからであり男余りになっているからだ
そしてもう結婚しない人が増えて独身社会になる 

女性にとっては地方は田舎は魅力がないとなっている
ただ福島県が一番減ったのは原発事故の影響である
ただ全般的に女性が減るとさらに結婚しにくい

なぜ独身者になるのかというと結婚というのがわずらしい、そして負担が大きいとなるからである
隣に人がいるだけでストレスになるというのもそうである
だから今一人暮らしが多いのはそのためである
そして一人暮らしがしやすい社会に変わっている、別に家事は機械化して買い物でもできる、多少めんどうにしても一人でできることが大きい

昔は結婚するという時、家事が女性の仕事でありそれがないと男性は生活できない
家事をしてもらって何とか仕事ができるとなるからだ
それで普通の中産階級でも女性二人を女中に雇っていたという時代があったからだ
それだけ家事が大変だったのである、
そうなると女性でも一緒にいても男性にとって必ずしも不可欠ののでなくなる
かえっていろいろとストレスになるというのもわかる 

そういう社会に変わったのである、団塊の世代はまず子供部屋とか個室がなかった
だから子供部屋おじさんは存在しないのである
今は個室の時代であり個で過ごす時代になったからである
結婚のメリットが少なくなったのである
結婚すると子供でも負担が増大してゆく、今は日本が貧乏なるときその負担を負いきれないとなる

だから日本がから日本人がいなくなるというのも笑い事ではない
ただ世界的にも女性の人口は減っている、男性余り社会にもなっている
女性の人口が減っていることは子供を産む数が少なくなる
それで世界的に人口が減少してゆく、それが天の采配だというとき
やはりもう地球の人口は限度になった、それでコロナウィルスなどが生れて世界全体の人口を減らす作用をしているのかともなる

ただ日本の人口の減り方は極端でありその影響が大きすぎるのである
いろいろなものが継承できなくなる、膨大な耕作放棄地とか空家とかの問題もある
拡大増産する社会から縮小する社会というのは経験していない
江戸時代から明治から戦後でも人口は増えてきて成長しつづけてきたからである
そのショックは相当なものになる
posted by 天華 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

真野の草原は気候の境目 (石巻説は気候からみると無理)


真野の草原は気候の境目

(石巻説は気候からみると無理)

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陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを 笠女郎

天気予報を見ていると何か必ず真野の草原と万葉集に歌われた地点が境界になっている
この図では仙台辺りにもなるかもしれないがやはり真野の草原という地点にもなる

第一石巻説だと遠すぎるというのが他の人の意見でもある
そんな遠くとなると無理なのである、どうしても歴史的にも地理的にも天候でも合わないのである
雪降るにしても東京が降ったときここも雪がふる、かえって東北の北から雪がふるようで降らない
関東の方が雪るとここもふりやすいのである
それが気候のパタ―ンとなっている、それは変わらないとなる

確かに地名からするとそれに符号したものがありそれなりのものとして証明されることはある
でもやはりみちのくの真野の草原は奈良から大和朝廷が進出したみちのくの最果ての境目になる
地理と天候と歴史的なものから南相馬市の鹿島町が有力だとなる

それでも縄文時代の天候がどうだったかとなるとまた違っている
なぜなら縄文海進の時代であり海は奥深く入っていた
それで南相馬市の鹿島区の塩崎が入江となり海となっていた
塩崎という地名自体が海だったからついた
船が入ってきたので船着という地名が残っている
そのすぐ近くまで津波が来ていたことに驚いたのである
そこは低い場所だから津波か奥まで来たのである

そこには市庭とかの地名もあり市が開かれていた
それは今東北電子力の火力発電所のある所で鉄を生産していた、砂鉄をとり生産していてそれを船で運んだようである
そのために大内村に曽我船という地名が残っている、曽我(そが)とは遡るという意味である、そこを頻繁に往き来した船があり名付けられた

そして坂上田村麻呂が建てたという薬師堂が残っている、それは800年とあり古いのである、大内村はそれだけ古い場所だったのである 

ともかくもともと海だった所が今回の津波で本当に海になったのである
ただ意外だったのは海老村は高い場所にあり避難場所にも指定されていたのに村が消滅したことである、そこには最近古墳が二つ発見されたのである
だから相当に古くから人が住んでいたのである

すると大きな津波がそこにあったとも推測できるがその証拠はない
その伝説もない、ただ八沢浦の奥の方に津波が来たという伝説は残っていた
だから津波の経験を語っていたのだがそれを注目している人はいなかった

津浪によって歴史が解明されたことがあった、地史も歴史でありその間隔が数百年とか長いから記録もなく忘れていたのである  

笠女郎の歌は錯覚しやすいのである、真野の草原はやはり萱原ではなく地名だと思う
大伴家持を慕ったとしてもそこに萱原をイメージすることはない
ただ遠い果てまで行っても慕っています、面影に見えますよという解釈になる
どうしても草原が萱原に思えないのである
現実に大伴家持は多賀城に赴任した説があり本当にみちのくに来たということがあるともなるからだ、大伴氏一族がみちのくに来て跡を残しているからである

その証拠となるがここが気候的な境目になっていることである
マルハシャリンバイの南限の地となっていたのもそうである
比較的暖かい土地だからである、今でもその気候は変わっていないからである
気候は確かに変わるが代わるにしてもその期間は数千年単位とかにもなる、万年単位にもなるし億年単位にもなる
ただ地形とかは変わらないのである、だから縄文海進状態が津波で再現されたのである