2021年01月26日

インタ−ネットで情報摂取の変化 (マスコミニケーションから専門化、個人化、地域化)


インタ−ネットで情報摂取の変化

(マスコミニケーションから専門化、個人化、地域化)

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情報は積み上げられたものがあり理解する
それは個人の経験であり地域に住んでいることであり専門化である
マスコミはこの三つを無視した情報なのである


情報の変化がインタ−ネットで変わった、情報というとき新聞とかテレビとかマスコミ中心だった、マスコミニケーションとはまさにマスを大衆を相手にして情報を与えていた
何百万人のさらに千万とかの大衆を相手にしていた
だからそこでは芸能人とかスポーツとかさまざまな個々の事件でもそれは娯楽の一つにもなっていた、別に自分に危険がふりかからなければ個々の事件でも娯楽になる
それで田舎で他人の不幸は蜜の味となる、楽しんでいるのである
ただそうなるのはかつてそうして苦しんでいる時同じことをしていたということもあるからだ、だから今度はあなたの番だと楽しむことになる

ともかくテレビの影響は本当に大きかった、テレビがでてきたときテレビがある理髪店とか電器店でも人が集まった、その時テレビがなかったからだ
テレビの影響がどれだけ大きいものだったか?
それはお茶の間にテレビがありテレビが家族の中心になっていたということでもわかる
そしてテレビとは家族みんなで見るものとしてあった、その影響が余りにも大きいものだった、だからテレビで有名になると参議院とかで選挙運動しなくても当選できた
青島なんとかという東京都知事などでもそうである
つまり政治家としての資質とかなんとか関係ない、名前が売れているから票になる
政治でもそれだけテレビの影響が大きかったのである

そもそもNHKが生まれたのはテレビを国民に普及させるためでありそれで受信料を強制的にとっていたのである、テレビ放送にはその装置のために莫大な金がかかるからである
そして娯楽もテレビ中心になったのである
テレビの影響はあらゆる面で大きかった、その影響が人間の精神まで影響して変えるものだった、それで林秀彦のテレビ批判があった、その人はテレビのドラマを作る方でありその体験からあれだけ批判した、一時は一億総白痴化とも言われたのである
新聞だとまだ考えることがあるがテレビは一方的になる
考えることをさせないのである、それは映像が中心だからである
映像のインパクトは大きいし映像は信じやすいのである

でもそのテレビの映像も真実を映して現していない、それでやらせとかでもだまされたのである、イラクの油まみれの映像で世界中がイラクに怒ったからである
テレビはエモーショナルなものになりやすい、即座に映像に反応するからである
NHKで地球温暖化で島が水没するような映像を流していたがそれはその一部分であり全体ではないのである、でもあたかも島全体が水没するような映像をとして流していた
それを見とていると本当にそう見えるのである
テレビの映像は一部分を切り取ったものであり全体を知るのはむずかしいのである
そこに錯覚が必ず生まれて誤解してしまうのである
なぜそうしてNHKが放送するかというとまず地球温暖化をしきりに言う、前提として地球温暖化ありでそれでそれにのっとって番組を編集するのである

この辺で原発推進で補償金問題で仮設住宅に入った人たちでもめていた
津波の被害者は補償金がもらえないので多額の補償金がもらえた原発避難者と争いとなった、仮設では口もきかなかったという
でもNHKではまず編集会議を開き原発避難者側につくことを決めてテレビ放送したのである、それで相馬市のトマト業者に津波被害者を優先的に採用して飯館村の人はしなかったのかと暗にテレビで批判していたのである
するとなんでそのトマト業者は飯館村の人を雇わないのかと怒りにもなる
自分自身でもなっていたのである、でも飯館村の人は補償金をかなりもらっていたから当面は困らない、でも津波被害者は補償金はなかったのである
だからそれは当然だったのである、別に飯館村の人が悪いというのではない
ほかでもいわき市でも原発避難者と津波被害者がいて争いにもなったが仲間に入れてくれないとか津波被害者を批判させる番組になっていたのである
ただそれがなかなか巧妙にできていて普通は外部の人がわからないのである
でも地元だからあれおかしいなと自分は気づいたのである

つまりテレビは別にありのままを事実を放送するとは限らない、テレビ局の意向にそって編集して放送している、まずテレビに出す人もテレビ局の意向に沿ったヒトでありそれに反する人は出さないのである、NHKはNHKの意志をもっていて民報でもそうである
メデアとは仲介するものであるとしても意志をもった存在なのである
だからトランプ大統領でも発言が永久に停止されたということでもわかる
何でも勝手に発言できるものではないのである、その影響は非常に大きい
現役大統領たるものでも発言を停止できるからである
それだけマスコミの影響はメデアは影響は大きいものだったのである
それで世論とはマスコミによって作られていた、マスコミが選挙でも左右する力をもっていた、ただテレビで名前を売った芸能人が議員になれたからである

それがインタ−ネットになり何が変わったのか?

情報が専門化、個人化、地域化したことである、テレビとか新聞でもマスコミでも専門性に欠けている、なぜなら専門化するとそんな人材がマスコミにはいない
それで専門家を呼び話させる、でもそうなるとマスコミのテレビ局の意向に沿ったことしか主張できないのである
それで武田邦彦氏などの科学者は常にテレビ局に司会者に怒っている
それは自分の主張ができないからである、司会者がそれをさえぎったり邪魔する
司会者中心になり編集されているともなるからだ、そして専門的になるとちょっと話ししてもコメントしても誤解されやすいのである
でも専門的なことはめんどうだし大衆は理解しないから適当にちょっとコメントさせるだけだとなる

何か物事というのは簡単に理解できない、事件でもそうである、何でそうなったのかその背景が複雑であり他者から簡単には理解できない、それが外国になるとさらにそうであるただ映像だとそれが誤解しやすいのである
アメリカで議会に侵入した映像は衝撃的だけどその真実はなかなかわかりにくいのであるただそれが刺激的であり暴力を起こした人が反発を受ける、それでかえってトランプ派が不利になったともなる
でもそもそも普通の人はアメリカがどうなっているのかその背景を知ることはむずかしいのである

だから人間は簡単に判断してはいけないとなる
でもテレビはマスコミは裁判官のようになっている、マスコミは何かあればまるで裁判官のように善悪を判定してこいつは悪い奴だとしてバッシングする
それで大衆はそれがわかりやすいから誤解して感情的になり責めるとなる
つまりリンチ的な機能がマスコミにありテレビにある、それが危険なのである
というのは何でもその背景が複雑でありわかりにくいからである
それで私自身がおかしいなと原発避難者と津波被害者のことで気づいたのである
それは地元に暮らしていたからわかったことであり外部からわかりにくいからである

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする
(場所の現象学ーエドワード・レルフ)

情報と情報の発信する場とは密接な関係がある、その場を理解しないと情報も理解できない

マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする

この指摘は重要である、イラクの油まみれの映像とか島が水没したとかの映像にだまされていることでもわかる、その場のことはわからないからである
テレビの映像だけからその場のことは理解することは不可能だからである
偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとするのがテレビなのである

ともかくインタ−ネットの情報はパーソナル化、個人化している
個人の経験を基に語る、個人化、地域化する、それがマスコミケーションとは相当に違っている、ただこれは大衆化しなから影響力が弱い、でもその人なりの地域とか個人の経験から語ることはマスコミケーションとはまるで違ったものなのである
でもそうして万人が情報発信すると今度は何を読んでいいのか見ていいのかわからなくなる、情報が細分化される、だから統一的なものとキー局が必要になる
それでヤホーのニュースが選ばれているから毎日読んでいる
でもこれも実はマスコミなのである、インタ−ネットでマスコミ化している
このニュースに選ぶのはやはりマスコミと同じようにヤホーで選んでいるからである
でもここに選ばれれば飛躍的にアクセスが増えることがある

私のプログは一時津波や原発事故のことでかなり読まれた、それが半分に最近になった
つまり津波や原発事故の関心が薄れためだと思う、その他の記事はあまり関心がなかったとなる
やはり大衆の大勢の関心はその時々のものであり今はコロナウィルス一色になったからである、そっちの方に関心が移ったからである
ただこうしてプログのようなものでも写真でも図でものせられるから結構な発信力があると思った、youtubeが見られるのはやはり映像でわかりやすいからである
でももっと深く考察するとなると文章だとなる
でもは長い文章はネットでは嫌われるとかでも大衆向きになると結局視聴率を上げることは無理なのである、本当に高度なものは少数者のものである

大衆向きになるとどうしても低俗化する、それがインタ−ネットでも利益中心になり芸能人とか参入してそうなってきた
百万とかの視聴者を得ているのはやはりテレビとマスコミと同じものとなっているからだただそれも一時的泡沫のように消えてゆく
本当に価値あるものは百年後にも読まれるのもである
私のプログでも何がここに起きたのか津波や原発事故を後世の人が探るとき参考になる
つまり歴史的価値あるものを残すということである
だから今だけに焦点をあてるのではなく長い目で価値をあるものを作ることである
視聴率だけに目を向けることではないのである 

問題としてプログにしてもワードプレスとかができればもっといいとなる
それが技術的についていけなくなっている、それで全体で膨大な量になるから調べにくいとかある、でも相馬地域を知るときその全体からわかるということがある
それだけのボリュームがある、自分自身でさえこんなにいろいろ書いていたのかと読み返して感心しているのも不思議なのである、自分の書いたことを忘れているからである
だから記録としての価値があるともなる