2021年03月06日

震災から10年―復興できない避難区域 (住民を帰還させることは無理?)


震災から10年―復興できない避難区域

(住民を帰還させることは無理?)

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飯館村は建物は立派でも人は住んでいない
(人が住まない村では復興はない・・・・)
http://musubu.sblo.jp/article/187349335.html


どうみても双葉とか浪江町とか大熊とか富岡とか飯館村とか原発事故の避難区域は復興できないとみる
なぜなら高齢者が多かったが10年過ぎてさらに高齢化進んだことである
双葉町の牛を飼っていた人は67才とかであり夫も事故後に死んでいたのである
生き残っていた牛はその飼い主を覚えていた
でも家は取り壊すほかなくなっていた、10年間洗濯物が干されていたのも不思議だとなる
飯館村では長泥でも避難区域で未だに解除されていない地区である
そこへの思いがあってももう帰ることは不可能だとみた
もう一つの原因が高齢化なのである
60過ぎたら農業するのは苦しくなる、農業は結構な重労働にもなる
それで70才になるの女性は畑をやっていたがやめた
腰が悪く病院通いが仕事なのである

もともとこうして地方の田舎は少子高齢化で後継ぐ人が減っていて維持することがむずかしくなっていたのだ、それに追い打ちをかけたのが津波とか原発事故だったのである
だから本当に津波で死んだ人の慰霊碑に刻まれた人でも高齢者が多いのである
それは漁業でも同じであり第一次産業の割合が一割とかに下がってきたのが日本の経済である
農業ではやっていけない、漁業ではやっていけない、林業もないとかなって地方の農山村は衰退して限界集落化するところが増えてくる
つまり跡継ぎもそういう場所では育たない、それが原発事故で極端な過疎化から無人化した町村になった
ただ老人は長年生きた場所に愛着があり帰りたいとなるが若い世代はそういうこともないのである
すると多額の補償金をもらって都会にでも出た方がいいとなる
実際にすでに家を建てて移った場所で仕事を持ち子供はその都会の学校に通っているともなる、だからその子供たちにとって飯館村でも故郷ではなくなる

でも飯館村とかなると愛着があるから福島市であれ外に家を建ててもなつかしいからと家は残している、その古い家があったところにこじんまりした家を建てている
それは新しいしゃれた家でありそれは別荘でありたまに畑の野菜をなどを見に来ると言っている
これも不思議なの光景である、軽井沢の金持ちになったのかともみる
別荘となればそうなる
ただ長泥は放射性物質に汚染された土を利用する工場を作っている
それでまた農業を再生させようと努力している

いづれにしろ10年過ぎて避難区域に帰ることはもう無理に見える
何か人のつながりも希薄化したとか人のつながりがなくなったという
その人のつながりは場所を共有して仕事をしていることでありえた
田舎だととくに農業している人は人のつながりは濃密なのである
だからその土地から離れて十年とかなり仕事を通じたつながりもなくなるとそうなる

それで外人の文化人類学者の人が墓地がつながりをもつ場所だと言っていた
何か不思議なのは津波の被害地域でも高台に墓地が残っているのである
でも人が住まなくなると他に移りすむとその墓も移動するのである
子供が移り住んだ場所に移動するからである
そうなるとその場所とのつながりも消失してゆく
でも飯館村だと別荘としてたまに昔をなつかしむ場所として行く
ただそんなことがこれからも成り立つのかとも思う
軽井沢のような地域ではないからだ

10年過ぎてむしろ元の状態の復興はかえって遠のいた、そしてもうあきらめる他ないとまでみる、政府では全地区避難解除してもどすというけどそれは今の現実をみたらその政策は合わない、ただそうしないと政府で補償金を払い続けることがありそうしようとしているのかともみる
でも現実的に元の状態にもどすことは無理だとみる
現実は他に家を建て子供たちはその土地の学校に通い十年もすぎたからである
この十年の時間の重みがありそれで元の状態の復興はもうできないとまでみる
それをしようとすると何かかえって徒労だともみる
金をつぎこんで立派な施設を作ってもそこに肝心の人が住まないし活きないのである

学者がふるさとは場所と人間があるが人間があって場所があるのであり人間がいなくなれば人のつながりも消える
歴史も場所と密接につながっているのだが人間が住まなくなるとその歴史も途絶える
神社とか古碑とかも埋もれてゆく、しばらくは廃墟として残るがいづれ草に森に埋もれてしまうのである
そして新しい歴史が移った場所ではじまる、そうして先祖は忘れられる

要するに時間は貴重なものであり十年一昔になる、それは昔のことだとなり関心もうすれてゆく、何か地元でも津波の被害を語っても関心がなくなる
ただ原発事故は依然として継続したものとしてあるがこれも忘れられてゆく
今の関心はコロナウィルスになり津浪とか原発事故でもそれは昔のことだとなってしまうそして今に生きることで精一杯になっているのが人間なのである

だから政府のいうように避難解除して元の町や村にもどすことは不可能だともみる
その政策自体が間違いである、となればどうするのか?
一つの解答が飯館村の別荘化だったともなる、そこで場所とのつながりを依然として一応持ち続けるとういことである
ただ将来的にそういうことがつづくのかはわからない、それがいいともならないがそれも一つの解答だとなる、ただ村でも人が住んで暮らしがあって村だとなる
それで風力発電を見えない場所にしろと隣の川俣町から言われた
川俣町は避難区域ではないから人が住んでいるから景観を気にしてそう言ったのである
人が住んでいると毎日そこから見えるものが気になるのである
人が住まなければ気にならなくなり放射性廃棄物の処理場になろうがソーラーパネル工場になっても抗議する人もいなくなるのである
むしろ土地を持っている人は金にしようとするから余計に景観のことなど考えなくなる
こうして人が住まないと荒廃してゆくのである

災害で村人が助け合った江戸時代の話に共鳴
(原発避難民は補償金で町も村も家族もばらばらに分断された)
http://musubu.sblo.jp/article/187785463.html


3月6日のTBS 報道特集を参考にしました

posted by 天華 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も (原発事故の補償金でも同じ事が起きていた)


1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も

(原発事故の補償金でも同じ事が起きていた)

元の商店街関係者からは、飲食店には手厚い補償がなされるのに、衣料品店や雑貨店への補償がないのはおかしいと声が上がり、にわかにバブルに湧く飲食店経営者に「商店街の運営費用を渡せ」という主張する人もいる。飲食店主とそれ以外の商店主の間に軋轢が発生し、長く続いてきた人間関係が崩壊したという例もある

飲食店は良い思いをしてきたと攻撃される可能性もあるし、商店街では白い目で見られるかもしれない。以前のように堂々と元気に営業できるのか、

1日6万円をもたらした「協力金バブル」の闇 商店街に軋轢発生も

これも原発事故でこの辺が補償金でもめたのと同じだった
本当に30キロ以内は政府の補償が手厚かったのである
10年間医療費無料、高速無料だった、でも同じ相馬市でも鹿島区は30キロからはずれた地域では半年で医療費無料はなくなり高速はもともと無料でなかった
そして10年過ぎても医療費無料が延長されるとか聞いた
このために南相馬市は分断された、ただ補償金ではどこでももめたのである
必ず多くもらえる人たちとそうでない人たちがいるからだ
それで親戚同士でも口を利かなくなったというのも聞いた

つまりコロナウィルスでもこうして補償金によって商店街でも一体感がなくなり分断されるのである
飲食店だけが被害ではない、それに関連する業者も被害を受けている
なせ飲食店にだけ手厚いのかとなる
そのあとでも心が分断されて協力できないとまでなっている
原発事故の補償金ではそうなった、市町村が分断されてしまったのである

そして必ずしも補償金がいい方向に働かないのである

飲食店はいい思いした

こういうことがその後の生活にかなり影響する、一日6万もらった人と全然もらえない人の差が大きすぎるからである、この辺でも30キロ内は手厚い、でもそれ意外わずかでありもう同じ放射線量でも全然もらえない地域もある
そのために一体感が消失する、だから人間社会はなんでも金で解決できるとはならない

何かとにかくこのコロナウィルスの不思議は原発事故と同じようなことが起きていることである

放射能がうつるから来るな!

こういういじめが原発事故の避難者にあった、今回も東京からコロナウィルスがうつるから来るなとなった
これもカルマなのかとなる、カルマとは人にした行為がまた同じ行為となって返ってくるということである
人を苦しめたものはやはり同じ苦しみを受ける、それがコロナウィルスでも起きている
特に東京中心に起きている

だから個々人にもカルマがあり社会自体にもカルマの法則があてはまる
人間は繰り返し感染症では苦しんできた歴史があり津浪でもそうである
それで昔の人の苦しみを身をもって知るようになる
そして補償金でももらえる人はもらえない人のことを思わないのである
何かその補償金でレクサスを買ってまた家族で旅行とか遊んでいるというのもそうであるそれはこの辺でも補償金でそういうことが起きたからである
それで車を傷つけられたとか聞いたからである
周りの人がどう思っているか考慮しないのである

そして原発避難者は外部からかわいそうだと援助がつづいたのである
仮設住宅には毎日ボランティアが来ていた、でも周りの人は関係ないのである
原発避難者様になってしまったのである
すると俺たちは被害者であり援助されるべきだとなる、同じ市内でも特別なものとして扱われる、つまり俺たちは何もしなくても助けられるべきだとなり自助努力をしなくなるということもあった、ただ遊んでいた人いたからである

とにかくコロナウィルスが終息してもその後遺症はこうして残る
何かみんな苦しんだから一致協力するということもないのである
かえって協力できなくなさせたのが補償金でもあった
だからこの世の中のことがすべて金で解決するということはない
かえって金によって人の心は分断される、兄弟でも遺産争いとなり骨肉の争いとなる
だからもしかしたら安易に金を与えるということは問題なのかもしれない
実際に原発避難区域では多額の補償金をもらった結果若い世代はみんな外にでて家を建て帰ってこなくなったからである
それはそれだけの補償金をもらったためにそうなったからである
そうしてしそれはもう修復できなくなったからである

いづれにしろ人間公平に対処することはできない、必ず不平等になり不満な人がでてくるそれで一体感が消失して心でも分断される、すべて金で解決しようとしてもできない
そこに人間の心の問題がありできない

ただみんなで商店街で協力して助け合い乗り切ろう

こういう気持ちになるとまた違ったものになっていた
それは原発事故の被害地域でもそうだったのである、補償金でかえって人間の心はばらばらになり家族もばらばらになった、それでインフラとかは整備したが肝心の人間の心は分断されてずたずたにされて復興できなくなったのである

posted by 天華 at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層