2021年03月09日

いぬふぐり、梅、椿 (原町の道の駅公園から上高平の綿津見神社を回る)


いぬふぐり、梅、椿

(原町の道の駅公園から上高平の綿津見神社を回る)

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(原町の道の駅の公園)


春日さすベンチあたたかいぬふぐり

公園に雀群れ来ていぬふぐり

春の日や母と子遊び木の根あり

(上高平)

山鳩の来たりてにおう庭の梅

また一つ綿津見神社や椿咲く

古碑並び大木の下に落椿

元文の碑我が目にとめて落椿


原町の道の駅の公園に休み上高平の方を回った
道の駅には良く行く、あそこで買い物したり食事したりする、また高見ホテルの食堂にも行く、原町というとき駅前通りとかには行かない、道の駅周辺で買い物をして駅前の方には行かない、イオンには時々行くけど遠い、イオンは離れすぎている
今の時代でわかることは街中には行かない、そこか古町のようになっている
原町だと街道があった所が最初に栄えて次に駅前通りが栄えて次に六号線の道の駅周辺が栄える、このように常に街は変わる、それは昔からそうだった
つまりこれは浜街道があり次に駅前通りがあり次に車社会になったとき六号線の道の駅周辺が新しい街になったのである
交通によって街が変化したのである、だから交通の影響が本当に大きいのが人間社会なのである

あそこの公園には良く行く、それも地の利があり便利だからである
あの辺で買い物して道の駅で食事して休むのに便利になっているからである
街というときいろいろなものが一か所に集まると人も集まり安いのである
そういう所に公園があると利用される、夜の森の公園となるとそういう場所ではない
公園として孤立しているのである

あの公園で目に留まるのが木の根っこなのである
それで木の根公園とかなる、公園にも特徴があるのかもしれない、何でも特徴はある
ベンチに座ると下に犬ふぐりが咲いていた
雀が群れてくる、母と子が遊び平和な光景である   

それから桜井古墳の方に行きそこは運動場であるが公園でもあり新田川沿いを必ず散歩している人がいる
そこで木の写真を撮った、あの木はなんでもない木のように見ていたが写真を撮ってみて一列に並んでいる、それが神殿の柱のように見えた、列柱のように見えた
何でもないものでも発見がある、それでカメラは欠かせないのである  


春の樹々

大地に根づきし樹々の
ここを離れずさらに
強く根を張り動かじ
春の光の柔らかくさし
樹々はここにあることの
冬を耐えて喜びに満ちる
十羽ほどの山鳩の群れ飛びきて
平和の日はもどりぬ
鳥は自由にそちこちの樹に
飛びて止まり飛びまわる
梅の香は馥郁と流れ
樹々はここに深き契りを交わす
その誠は変わらず
この地に根を降ろして動かじ
ここは安らぎの地なり
ここに人は離れず
ともにありしを喜ぶ

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それから上高平の方を回ると綿津見神社がある、相馬地域ではとにかく綿津見神社が多いのである、神社の半分くらいが綿津見神社に思える
後は八坂神社が多い、この綿津見神社は海人族の安曇氏などが移住してきたことに由来している、縄文時代があり弥生時代がありその弥生時代のものだと思う
だから相当に古いしここの先住民が残した神社ともなる
ただそのことについてまだ深く考察した人はないようである
ただ西殿とかは殿とあるごとく古い場所である、すぐ近くに南北朝時代の五輪塔があるからだ

そしてこの綿津見神社の古い碑があるが元文というのは相当に古い


元禄げんろく    1688.9.30    〜    1704.3.12     
宝永ほうえい    1704.3.13    〜    1711.4.24     
正徳しょうとく    1711.4.25    〜    1716.6.21     
享保きょうほう    1716.6.22    〜    1736.4.27     享保の改革
元文げんぶん    1736.4.28    〜    1741.2.26     
寛保かんぽう    1741.2.27    〜    1744.2.20     
延享えんきょう    1744.2.21    〜    1748.7.11     
寛延かんえん    1748.7.12    〜    1751.10.26     
宝暦ほうれき    1751.10.27    〜    1764.6.1     宝暦事件
明和めいわ    1764.6.2    〜    1772.11.15     
安永あんえい    1772.11.16    〜    1781.4.1     
天明てんめい    1781.4.2    〜    1789.1.24     天明の大飢饉


元禄まだはいかないにしても相当に古い、つまりこの神社は古い
ただ古い碑にしても江戸時代のものである、弥生時代とかではない
ただ神社自体は弥生時代にさかのぼる由来がある
とにかくこの辺は歴史が古く考察する必要がある