2021年03月20日

春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌) (今日全部オープンの行事)


春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌)

(今日全部オープンの行事)

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ここで充電できるのは便利


真ん中に飾った花は失敗だった、真ん中にはもっと派手なものが必要だった
かえって脇の方に贈られた花が見映えしていた
花の仕事は芸術性が要求されている
だからこうした飾りつけにも芸術性が求められている

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津波の跡地に木立が残り椿が咲いていたのも不思議
なぜここに木立が残ったのか?
これは松ではないからだ、松は津波に弱かったのである

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請戸小学校の時計は3時40分でとまったままだ

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倒れたままの墓地

詳細は別のページで

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葵の紋の蔵―立派な蔵である

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ここには家が建っていた、その庭に蕗の薹がでていた
もともとここにはなかった、種が飛んできたのだろう
なぜなら10年もすぎているからだ

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空き地にレンゲが咲いていた






春光やいわきの方へ走るかな

雲雀鳴き六号線をひた走り

六号線ひたはしり行く芽吹きかな

春の日に星神社をたずねけり

坂越えて走り行くかな春の山

いわきへと春の山脈つづくかな

街の方へ春の日飛びぬ鴎かな    

前畑に古き蔵かな春の暮

人去りて残せし庭に蕗の薹  

浪江なる空地にレンゲ夕暮れぬ

紅梅の夕べ赤しも店新し

夕映えを映して春の請戸川


浪江なる土地の広しも荒野かな春の日させど実りなく哀し

墓あまた倒れしままや十年すぎ津波の傷痕ここに残りぬ

天明の墓の残りて浪江にそなほ住む人あれや春の日暮れぬ

津浪跡木立残りて椿咲く人は住まじも何か伝えむ

蔵に紋葵の紋や古き家住みつづけなむ春の夕暮れ
  

      

昼間から六号線を自転車で走って新しくできた浪江町の道の駅まで行った
遠いと思ったが意外と近かった、旧街道を行くと時間がかかるが六号線だと早い
ただ昔を偲ぶことはできない、鹿島までは原発のある双葉町から30キロだった
原町だと二十二、三キロくらいだろう、だからそれほど遠い距離ではなかった
飯館村に行く方がかなり遠く感じる

いわきの方向かう時気持も違ってくる、仙台市とか北に向かうのとは違う気持ちになる
春光の中を浪江までひた走る、I go to Namie at a strech となる
雲雀が鳴き芽吹きの季節だから気持ちいい、ヤマハのYPJ-XCこれだけいつも言っているが感心する、楽に走れる、だから遠くでも気にならないということがある
また道が悪くてもタイヤが太く自転車が頑丈なので安全なのである
まずロードなど危険で走れない、それで買ったのが大損だった
ほとんど痞えなくて終ったからである、それも25万以上したのである

小高から浪江に行く途中に星神社というのがあった、おそらく小高である
星という姓の人を知っているのでめずらしいと思った、ここに星の由来があるのか?

浪江の海の方に行ったら津波で家が流されてその跡が残っていた、そこに木立が残っていて椿が咲いていたのも不思議である、海にかなり近く木立が残り椿が咲いていることは不思議だった、でもここに住む人はもういないのである
海の方は荒地になっている、請戸港に行ったが様変わりしていた、当時の感じはなかった周りの家は全部なくなっていた、ただ請戸小学校だけが残っていた
その時計は3時40分で止まったままである
請戸の被害は大きかった、何もなくなったからである
ただ相馬市の病院に請戸の人が入院していたけど特等室に入り新しい家を建てると豪語していた、その人は船主だったのである、だからいかに船主だと金が入っていたのか証明していた、でも請戸の町はなくなってしまったのである

あの辺で一番印象に残ったのは墓地である、墓が無惨に倒れたままであり放置されているそこに寺にあったものなのかまた古い石碑が置いてあった
墓なのか碑を見たら「天明」ともあり古いものだった
この辺では天明時代は天明の飢饉があり相馬藩では三分の一の人が流出した
それで越中などからの移民が来て支えた歴史があるので重要な時代なのである
とにかくあの墓地は10年過ぎても津波か原発事故の悲惨さを語っている
回りは荒野になったままだからである

街の方へもどると立派な蔵があり前畑がある、蔵ある家は古い、この蔵は立派である
とにかく空家が多い、その近くの家は空き地になっていた
そこに蕗の薹がでていた、でももう家はないのである
また空地にレンゲが咲いていた、そして夕暮れになってきたのも不思議である

道の駅は今日全部オープンする、昨日までは全部はしていなかった
あそこはとにかく広くて大きいのである、複合施設になっているからである
あれだけの道の駅はこの辺ではない、それだけ広いのである
だからあそこは復興のシンボルになると見た
今の社会は車社会でありだからどうしても交通の要になる道の駅とかが栄える
鉄道は交通の要となっていないのである
それで常磐高速のサービスエリアの鹿島区はそこが一番人の交流がある場所なのである
街にはないのである

ただ道の駅を見ると街中にあると街と一体化するから便利だとなる
原町区はそうである、相馬市の道の駅は田んぼの中にあり孤立しているのである
だから立地としては失敗したかもしれない、それはそれでいいともなるが街の中心とはならなかった
車社会では街の中心は道の駅とかになりやすいのである
あそこで感心したのは電源があり自由に使えることである、あれば便利である
他にはあまりないかである、充電するものがありそれで困っているからである

街作りを考える時やはりいろいろなものが集中した場があると便利なのである
道の駅の周りにはホテルができてまた食堂とかもできたしそこが一つの街となる
それでまた一番印象に残ったのだ道の駅から見た紅梅が咲いていたことである
その隣に新しい食堂ができていた
するとその紅梅が夕暮れになお赤々と映えていた、祖さもなんともなくほのぼのとしたものを感じた、結局そうして自然でも人が住まないと活きてこないということがある
春の灯がともり何かほっとする、人間が住まないと自然も死んでいるとかなる
一旦人が住んだ場所はそうなるのである

ただ浪江がどうなるのか、帰っている人は少ない、新しいものというとこの辺ではホテルができことである、原町区でも新しいホテルが多いのである
鹿島区の小池にも山の方にもホテルができたりしている
つまり工事関係者がまだ来るからそのためにホテルが多くなる
浪江では隣が原発なのだから余計に需要が多いからその廃炉のための仕事はこれから30年とかつづくというからそれで仕事があるとなる
ただ街としてはそんな仕事だけになるのかともなる
原発で浪江は発展して2万の人口を養っていたとしている
あれだけ近いのだからそうなる、知っている人でも原発の下請け会社で働いていたのである、だから結構裕福になっていたとはなる、他の人でもそうなのである
ただこれからどうなるのか前途多難である、まず人が住まない帰らないからである
5000人規模の廃炉事業の街とか成り立つのかともなるからだ
それを提案した町長も病気で死んでしまったのである

帰りは浪江の請戸川に春の夕映えが写っていた、浜通りは海があり阿武隈山脈があり似た景色である、帰りは暗くなっていた、暗いと自転車は危険である
ともかく浪江は十年すぎて電車も開通して道の駅もできて交通面では復興してきた
ただ全体としては復興はしていない、その前途は多難である

ともかくいくら津波が残酷でも原発の被害が大きくても依然として美が残っていることは救いである
蕗の薹がでて春の盛りとなり梅が咲いてこれからも桜も咲くからである
ただ人が住まないと自然も活きないということがある
それで紅梅が夕暮れのなかで赤々と咲き脇に新しい食堂ができていたことが印象に残ったのである

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春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌) (今日全部オープンの行事)


春の日六号線を浪江の道の駅まで走る(俳句短歌)

(今日全部オープンの行事)

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真ん中に飾った花は失敗だった、真ん中にはもっと派手なものが必要だった
かえって脇の方に贈られた花が見映えしていた
花の仕事は芸術性が要求されている
だからこうした飾りつけにも芸術性が求められている

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津波の跡地に木立が残り椿が咲いていたのも不思議
なぜここに木立が残ったのか?
これは松ではないからだ、松は津波に弱かったのである

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請戸小学校の時計は3時40分でとまったままだ

namietoom77.jpg
倒れたままの墓地

詳細は別のページで

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ここには家が建っていた、その庭に蕗の薹がでていた
もともとここにはなかった、種が飛んできたのだろう
なぜなら10年もすぎているからだ

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空き地にレンゲが咲いていた






春光やいわきの方へ走るかな

雲雀鳴き六号線をひた走り

六号線ひたはしり行く芽吹きかな

春の日に星神社をたずねけり

坂越えて走り行くかな春の山

いわきへと春の山脈つづくかな

街の方へ春の日飛びぬ鴎かな

前畑に古き蔵かな春の暮

人去りて残せし庭に蕗の薹

浪江なる空地にレンゲ夕暮れぬ

紅梅の夕べ赤しも店新し

夕映えを映して春の請戸川


浪江なる土地の広しも荒野かな春の日させど実りなく哀し

墓あまた倒れしままや十年すぎ津波の傷痕ここに残りぬ

天明の墓の残りて浪江にそなほ住む人あれや春の日暮れぬ

津浪跡木立残りて椿咲く人は住まじも何か伝えむ

蔵に紋葵の紋や古き家住みつづけなむ春の夕暮れ




昼間から六号線を自転車で走って新しくできた浪江町の道の駅まで行った
遠いと思ったが意外と近かった、旧街道を行くと時間がかかるが六号線だと早い
ただ昔を偲ぶことはできない、鹿島までは原発のある双葉町から30キロだった
原町だと二十二、三キロくらいだろう、だからそれほど遠い距離ではなかった
飯館村に行く方がかなり遠く感じる

いわきの方向かう時気持も違ってくる、仙台市とか北に向かうのとは違う気持ちになる
春光の中を浪江までひた走る、I go to Namie at a strech となる
雲雀が鳴き芽吹きの季節だから気持ちいい、ヤマハのYPJ-XCこれだけいつも言っているが感心する、楽に走れる、だから遠くでも気にならないということがある
また道が悪くてもタイヤが太く自転車が頑丈なので安全なのである
まずロードなど危険で走れない、それで買ったのが大損だった
ほとんど痞えなくて終ったからである、それも25万以上したのである

小高から浪江に行く途中に星神社というのがあった、おそらく小高である
星という姓の人を知っているのでめずらしいと思った、ここに星の由来があるのか?

浪江の海の方に行ったら津波で家が流されてその跡が残っていた、そこに木立が残っていて椿が咲いていたのも不思議である、海にかなり近く木立が残り椿が咲いていることは不思議だった、でもここに住む人はもういないのである
海の方は荒地になっている、請戸港に行ったが様変わりしていた、当時の感じはなかった周りの家は全部なくなっていた、ただ請戸小学校だけが残っていた
その時計は3時40分で止まったままである
請戸の被害は大きかった、何もなくなったからである
ただ相馬市の病院に請戸の人が入院していたけど特等室に入り新しい家を建てると豪語していた、その人は船主だったのである、だからいかに船主だと金が入っていたのか証明していた、でも請戸の町はなくなってしまったのである

あの辺で一番印象に残ったのは墓地である、墓が無惨に倒れたままであり放置されているそこに寺にあったものなのかまた古い石碑が置いてあった
墓なのか碑を見たら「天明」ともあり古いものだった
この辺では天明時代は天明の飢饉があり相馬藩では三分の一の人が流出した
それで越中などからの移民が来て支えた歴史があるので重要な時代なのである
とにかくあの墓地は10年過ぎても津波か原発事故の悲惨さを語っている
回りは荒野になったままだからである

街の方へもどると立派な蔵があり前畑がある、蔵ある家は古い、この蔵は立派である
とにかく空家が多い、その近くの家は空き地になっていた
そこに蕗の薹がでていた、でももう家はないのである
また空地にレンゲが咲いていた、そして夕暮れになってきたのも不思議である

道の駅は今日全部オープンする、昨日までは全部はしていなかった
あそこはとにかく広くて大きいのである、複合施設になっているからである
あれだけの道の駅はこの辺ではない、それだけ広いのである
だからあそこは復興のシンボルになると見た
今の社会は車社会でありだからどうしても交通の要になる道の駅とかが栄える
鉄道は交通の要となっていないのである
それで常磐高速のサービスエリアの鹿島区はそこが一番人の交流がある場所なのである
街にはないのである

ただ道の駅を見ると街中にあると街と一体化するから便利だとなる
原町区はそうである、相馬市の道の駅は田んぼの中にあり孤立しているのである
だから立地としては失敗したかもしれない、それはそれでいいともなるが街の中心とはならなかった
車社会では街の中心は道の駅とかになりやすいのである
あそこで感心したのは電源があり自由に使えることである、あれば便利である
他にはあまりないかである、充電するものがありそれで困っているからである

街作りを考える時やはりいろいろなものが集中した場があると便利なのである
道の駅の周りにはホテルができてまた食堂とかもできたしそこが一つの街となる
それでまた一番印象に残ったのだ道の駅から見た紅梅が咲いていたことである
その隣に新しい食堂ができていた
するとその紅梅が夕暮れになお赤々と映えていた、祖さもなんともなくほのぼのとしたものを感じた、結局そうして自然でも人が住まないと活きてこないということがある
春の灯がともり何かほっとする、人間が住まないと自然も死んでいるとかなる
一旦人が住んだ場所はそうなるのである

ただ浪江がどうなるのか、帰っている人は少ない、新しいものというとこの辺ではホテルができことである、原町区でも新しいホテルが多いのである
鹿島区の小池にも山の方にもホテルができたりしている
つまり工事関係者がまだ来るからそのためにホテルが多くなる
浪江では隣が原発なのだから余計に需要が多いからその廃炉のための仕事はこれから30年とかつづくというからそれで仕事があるとなる
ただ街としてはそんな仕事だけになるのかともなる
原発で浪江は発展して2万の人口を養っていたとしている
あれだけ近いのだからそうなる、知っている人でも原発の下請け会社で働いていたのである、だから結構裕福になっていたとはなる、他の人でもそうなのである
ただこれからどうなるのか前途多難である、まず人が住まない帰らないからである
5000人規模の廃炉事業の街とか成り立つのかともなるからだ
それを提案した町長も病気で死んでしまったのである

帰りは浪江の請戸川に春の夕映えが写っていた、浜通りは海があり阿武隈山脈があり似た景色である、帰りは暗くなっていた、暗いと自転車は危険である
ともかく浪江は十年すぎて電車も開通して道の駅もできて交通面では復興してきた
ただ全体としては復興はしていない、その前途は多難である

ともかくいくら津波が残酷でも原発の被害が大きくても依然として美が残っていることは救いである
蕗の薹がでて春の盛りとなり梅が咲いてこれからも桜も咲くからである
ただ人が住まないと自然も活きないということがある
それで紅梅が夕暮れのなかで赤々と咲き脇に新しい食堂ができていたことが印象に残ったのである

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