2021年03月24日

沈丁花、エゾムラサキ、春の鳥(八沢浦の森の径)


沈丁花、エゾムラサキ、春の鳥(八沢浦の森の径

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姉と母の真ん中に自分がいる、その真ん中の花が自分なのである

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八沢浦の耕作放棄地ー屋形の裏





初蝶や沈丁花匂う庭に来る


春なれや一輪大なりガーベラを真中にさして他も映えにき

我が庭にスノーフレークかそか咲く誰が目にとむ我の眼にとむ

我が庭にエゾムラサキの今年また咲きにけるかな虫の飛び来る

裏山の森にさえづる春の鳥一羽ひびきてしずまりけるかな

ふるさとの隠されし道や我が来れば梅のにおうや生業の跡

白椿庭の裏にそ隠されて人に知られず咲き増えしかな


今日庭に初蝶を見た、この蝶の紋様がいい、これを庭で見るのはめずらしい
沈丁花が匂いそこにとまっていた、それでうまく写真がとれた
蝶とか鳥は写真にとりにくいすぐ飛んで消えるからである
鳥は一番写真をとるのがむずかしい
だから庭でこの写真をとれたのは貴重だとなる

それからエゾムラサキも咲いた、この花は毎年咲く、花は肥料でもやらないと咲かなくなるのがこの花が毎年咲いている,エゾとつくように北海道の花である

八沢浦の高台の山を歩いた、そしたらそこにも田んぼがあった、でも耕作されない田んぼとなっている、何か震災以後はこうして不便な場所にある田んぼとか畑とかは放置されるようになった、小さな田んぼでもそうである
もともとたいした収入にもならないからやめる人が多かった
特に高齢化で田畑を続けることだ出来なくなっている、それで全国的に耕作放棄地が増えたのである、日本の不思議は本当に田んぼが高台でも狭い土地でも田んぼにしていた
それだけ食料として欠かせないからそうなった

八沢浦となれば干拓して広い土地が田圃になったのだがもともとこうした狭い高台などでも田んぼにしていたのである
八沢浦とは八つの沢の浦であり今広く田んぼになっている所は海だったのである
入江となっていた、それが津波で入江になったときほど驚いことはなかった

ともかくふるさとでもまだ通らない道がある、これだけ隈なく行っていてもそうである
そこははじめて行った場所だったからである、細い道がいくらでもありそれがわからないからそうなる
やはり春になるとこうして自転車で回るのがいい、その自転車でもヤマハのYPJ=XCはタイヤも太いして悪路でも行けるマウンテンバイクだからいいのである
これだけは本当に役立っている

今日は飯館村の方に塩の道を通って行った、次は飯館村の春である


農業から考える資本主義 (現代で重要になったのは何でもノウハウである)


農業から考える資本主義

(現代で重要になったのは何でもノウハウである)

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資本主義とは何かとなるとこれも複雑だから理解することは難しい
これを農業を例にずると図のようになる
資本主義というからには資本が最も問題になる、資本がなければ何も始まらないからだ
でも資本という時いろいろある、土地はもちろん体が資本だよということもある
体が丈夫でないと資本にならない、それで農業では老人が多くなり継続できなくなる
その女性は土地を借りて農業をはじめた、まず土地という資本がなかったからだ
ただその借り賃は無料に近かった、今はいくらでも土地が余っている、耕作放棄地が膨大なものとなっているからだ、特にこの辺では震災以後、原発事故以後耕作放棄地が他より増えたからである

とにかく農業は土地がまず資本になる、土地がないと始められないのである
だから土地というものの価値が大きかった、戦前とかはそれで土地をもっている地主と土地を借りて働く小作がありその差が大きかった、土地をもたないものは資本がない者は
裕福にはなれなかった
農業が中心の社会では土地が大きな価値をもっていた、それでなぜ相馬藩で飢饉になり
越中の方から移民が来たのか?
三分の一の人口が減った、そこでやはり耕作放棄地とか荒地が増えた
そこにまた藩から出ることは禁止されていたのでもう命がけで脱出して相馬藩に入ってきた

その理由は何だったのか?

土地が無料で与えられるということだった

それだけ土地には価値があった、またなぜ満州とか寒い地域に日本は進出したのか?
それも広大な土地があるということでそこで農業をするためだったのである
そこで寒いのに北海道以上に寒い所で米まで作ろうとしていたのである
その時日本でも農民が多く農民は土地がないとできないからそうなった
資本主義が農本主義にもなっていたからである 

農業というのはまず土地という資本がないと始められない、でもそれだけではない、農業は労働力が必要である、その労働が農業の場合過酷であった、牛馬を使ったりしたがその労働はかなりきついから体が丈夫でないとできない、そこで価値あるものは力持ちだとなる、それで一人前に認められるのは力石とかありそれをもちあげることができる人とか一俵をかつげる人とかになる、それは女性でも力持ちが価値ある者と認められていた
この辺にある一石坂は一石の米を運べる女性がいて名付けられた
何か伝説でも力持ちはたたえられる者だったのである

また道具が農業に大きな影響があった、石の道具とか木の鍬とかと鉄の道具とでは大きな差があったからだ、それで鉄の道具になったとき鍬でも鎌でも生産力が格段に上がったのである、それで稲荷神社とは鋳成りのことであり鉄のことである
それだけ鉄は農業でも重宝されたのである
そして現代になると農業でも労働力が依然として必要でも重要でも機械とか道具が重要なものとなる、力仕事でも機械がすれば力かなくてもやれるからである
それより農業はノウハウが大事になってきた、どうしても育てる智慧が必要になる
肥料も必要になる、そうしたノウハウは農家だと代々伝えられるから有利である
もともと土地という資本もありノウハウも伝えられているから有利なのである

現代ではノウハウの方が大事になる、農業はノウハウがないとできない
それで市民農園でもノウハウを農業を教える人がいて成功したというのはそのためである土地が与えられても簡単にできないからである
資本主義というのは土地が資本とかあってもそれを活かすノウハウが技術がないとできない、そしてそのノウハウの比率が高くなったのが現代である
労働力があってもノウハウの方が大事になる、労働力は機械に道具にまかせる
でもノウハウは簡単に伝えられない、それで代々の農家の方が有利となる

ノウハウというとき私がしている抽象画がそうである
これは全く能力がなくてもしている、それはソフトの作用でできている
その使い方を知れば誰でもできるとなる
だから大量の抽象画を能力ではなく機械的に生産しているから大量生産できるのである
それは絵画の能力とあまり関係ないからである
現代では土地という資本をもっいるよりノウハウはか機械とか道具の方が大事になっている、それができれば商品化して売れるとなるからだ

いづれにしろ資本主義とは何なのか?
資本が基本だという時、資本とは土地でありまた労働力も資本である、あらゆるものが資本となる、その比重が機械道具とかノウハウに移行している
何かそれは成熟した資本主義になると今までのように土地だけ持っていてもそれで大地主とかなり裕福になれない、それを活かすものがないとなれない
ただ道路ができたとか土地が売れるとき金になる
では農業で利益になるかとなるとむずかしいのである
それで小農は成り立たなくなり大農であり今では企業が農業に参入して外国に売るとかなる、農業が今かえって有望な産業となり大企業とか商社とかがかかわってきている
農業がだめだというとき今までの小規模農業が駄目なのであり全体的に見た時農業は有望な産業となりつつある
日本ではそうした農業のノウハウの蓄積があり外国に売れる農産物を作れるとなっているからである 

現代で重要になったのはノウハウである、地銀でも役割りがなくなったというときでは新たなビジネスモデルを作るにしてもノウハウの蓄積がないからできないのである
これまでは金を集めれば借りる人が会社がいくらでもいて利子をつけてもうけることができた、今やそれができない、どうしたら会社を成長させて利子をもうけるのかとなると
相当にむずかしい仕事となりノウハウが必要になるからだ
現代の資本主義は土地とかの資本より労働力よりノウハウなのである
知識であり智慧が重要なものとなっている、それが今までの資本主義とは違ったものとなっている、それは土地とか具体的なものとしての資本とは違ってるし簡単にミニつかないからである

posted by 天華 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題