2021年03月30日

霞む山に桜は満開 (今年の桜は早く咲き散るー真野川の岸の桜)


霞む山に桜は満開

(今年の桜は早く咲き散る―真野川の岸の桜)

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万葉ふれあいセンター

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みちのくや桜満開霞むかな

みちのくの山の霞みて籠もるかな

春霞山のかなたに隠さる村

我が町やたずぬ人あれ霞むかな

我が町のなべかんむり山霞むかな

東風吹いて山は霞みぬ浜通り

蕗の薹あまたや街見ゆ丘の上

タンポポの隙間いで咲く力かな

家の主春ゆうたりと一人かな

人は逢い人は別れぬ霞かな


我が町の丘を染めにし桜かな山の霞て遠く連なる

今年はや満開の桜映えにしも散るも早しも霞けるかな

月満ちて桜満開早きかな散れる花びらここに見ゆかな

人の世の時の過ぎゆく早しかな花の咲きしも霞てはや散る

面影の霞て消ゆや時すぎぬ人ははかなく逝きて帰らじ


今年は桜が咲くのが早かった、すでに満開であり夜見たら花びらが散っていた
桜が満開になったらもう散るを予感する
それが桜なのである、だから今年は桜が散るのが早い、だいたい普通はみちのくだと10日頃に咲いていた、10日も早いと相当早く感じる
その速さがまた時間が早くすぎて老人だと何かさらに時間が過ぎてゆくのが早いと感じてしまうのである

桜の咲く季節でも毎年違った天候になる、今年は霞む、まさに春の季節で水蒸気が多くなり霞む、桜の時期はこれまで私はほとんど旅していたのである
だから桜前線を稚内まで旅していた、そこでは6月でも桜が咲いていたのである
それは北限の地だった、また桜の季節は青春18切符で瀬戸内海まで行き韓国の慶州にも渡って桜を見たのである、韓国の古都の慶州には桜が咲いていたのである
そういう旅をしてきたのが自分だった、でも遂に介護になり十年間は旅していない
旅ができなくなった、今でもしていない、旅もいつか終わるということである

でもこれだけ旅したら満足だとなる、それでもヒマラヤとかをもっと見たいと思ったができなくなった、だから見るべきものを見てないなと損である
ヒマラヤに十回も昇った人を知っているからだ、それだけ魅力がある場所だったのである
今年の桜は霞のなかでみる桜である、家族もみんな死んで何か家族すら遠い存在となってゆく、霞んでゆくとなる、それだけ人が逢うとか一緒に60年暮らしても死んでしまえばその面影も思い出も定かでなくなる
つまり霞んでゆくのである、それだけ人間も年以上一緒にいても忘れやすいとうことである、人間ほど忘れやすいものはいない、時間が忘れるためにあるとも思う
津波の被害が生々しくてもそれすら時間の経過の中で夢の様な出来事として忘れられてゆくのである、ただ原発事故だと放射線の被害がありそれが残っているから忘れられないとなる

ただ人間は霞むとき何か醜いものが隠される、飯館村などは山脈のかなたにあるとか隠されていたとき美しい村だったとなる
何か人間は必ず醜いものがある、でも霞の中に隠されるとそれが見えないからいいのである、要するに人間は醜いから隠されるべきだとなる
第一大都会など東京など見るのも嫌だとなる、隠されて見えない方がいいとなる

浜通りは海から春になると東風(こち)が吹く、そして阿武隈山脈は霞んでいる
この東風が飯館村から福島市に吹いて放射線の被害を大きくしたのである
もし時期がはせずれていたら北風が吹いて海に放射性物質は流れてそれほどの被害にならなかったかもしれない、これも不運だったのである

この町のなべかんむりやまは本当に鍋の形をしている
この名前にしても不思議なのである、これは古代からつけられた名前なのか?
なぜなら近江の方になべかんむり祭りとかあるからだ、これも不思議なのである
鉄生産とかかわって近江から実際に工人がきて往き来していたことがあるからそこから名付けられたのとなる、そんな古い由来があるのかというもの謎である
あの山はこの辺を象徴する山である
ただ山としてはこの辺は高い山がないのでものたりないのである

いづれにしろ今年の桜は早い、そして早く散る、たちまち桜の時期は終わることになる

若菜つむ 野邊の霞ぞ あはれなる 昔を遠く 隔つと思へば 西行

若菜つむとは春が来て新しく出てきた若菜をつむ、しかし野辺は霞んでいる
それは時が移り若菜とは何かすでに新しい生活が始まっている
死んだ人も遠くなり新しい人との生活が始まっている
すると死んだ人は遠くなり忘れられてゆく、それが人生である、人の世である

これに通じているのが

草の戸も住みかはる代ぞ雛 (ひな) の家 芭蕉

となる、何か老人になると若い人とか少年とかみると不思議になる
そんな若い人がいるのかとなる、孫でもそうなる、人の世とは常にこうして変転してゆく常なきものなのである、無常の世なのである
変わらないものはないのだ、日々変わっているし年々変わっている
それが世の中である、とにかくこの辺は津波と原発事故で本当にがらりと変わってしまった、風景まで喪失して変わってしまったのである
だから逆に石とか木とか山とか変わらないものを求めるということがある
変わらないことで心の安定を得るのである
桜もまたすぐに散るから不安定だからである、静心なく花の散るらむ・・となるからだ

桜咲き六号線を走る(原町の街の新旧)


桜咲き六号線を走る(原町の街の新旧)

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朝桜六号線を走り来ぬ

次々に芽吹く樹々かな六号線

走り来る蕗の薹あまた六号線

公園に婦人と話す花の影

窓によりそ朧月見ゆ思案かな

雲いでて満月光る桜かな

原町に昔をかたる花の影樹々も古りにし公園なるかな

昨日は原町に行った、そこで原町の道の駅の公園で休んだ
あそこは道の駅があり人も来るから休む場所としていい
婦人がいて昔を語った、無線塔があるところが花時計になっている
でもあそこにあったというのがもうイメージできない
それほど変わってしまったのである
ただその女性はここで子供の頃遠足に来たとか無線塔があったことを知っている
そもそも無線塔自体知っている人は相当な年になっているのだ
航行に通っていたとき確かにあった、でも40年以上前に壊された
何かあの無線塔はその時大正時代に最新式の技術で建てられたものである
それは関東大震災をアメリカに伝えたとういことで有名になった
私の母は関東大震災を揺れを感じて知っていた

信じられないのは高校に通った時、原町だったがまだ蒸気機関車だった
それが信じられないのである、そんなものが走っていて乗っていたということが信じられないのである、私は学校が苦手であり思い出したくない、今は自由に電車に乗って楽しみだからいいが学校に通うのが嫌だったのである
とにかく何かこうしてもう遠い昔になることが不思議なのである
本当にそんなことがあったのかということになる
そうして世の中はあまりにも変わってしまうことである

最初は原町は旧街道の宿場町だった、そこで原町村があった、でも今の様な街はなく
雲雀が原があり原っぱであり原町になった
それで一騎だけ野馬追に出ていたのである、宿場町がありあとは田畑だったとなる
それから原ノ町駅ができて駅前通りになり今の街ができた
駅前通りは街になった、でも今度は車社会になると道の駅が中心になり駅前通りから六号線の方が新しい街になった
こうして常に町の新旧が生まれる、だから狭い地域でも常に古町と新町が生まれる
今は道の駅から新しい街が生まれる、それで復興でも飯館村だと道の駅から復興した
浪江町だと新しく先日できた道の駅から復興してゆく
鉄道の駅ではないのである、鉄道は今や交通の要ではないからである

昨日は窓を見たら朧月であり満月だった、何かこの時期雲がでて霞みやすいから朧月になる、今日も本当に春霞だった

ともかく六号線が主要な交通になるとき道の駅が中心に新しい街が形成される
私は一週間に一回は原町に必ず買い物とかで行っている
原町は8キロくらいだかさら近いから行きやすい、相馬市はその倍あるのでなかなか行けない、そしてあそこの公園がいいのである
つまり公園でも街なかにある公園は行きやすいから活きているとなる
夜の森公園になると場所がいいにしても離れていて孤立している感じになる
だから人の往来がないと公園でも利用しないとなるのだ

今日は真野川沿いを桜の写真をとった、何か早い桜の開花だった、すでに満開であり花もわずかだが散ったから今年の桜は早く咲き散る
次はその写真と俳句短歌を出すことになる