2021年04月30日

Greece Temple-canola flower

Greece Temple-canola flower



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japanese letter KANA -canola flower

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菜の花の俳句(外国でも菜の花が咲いていた)


菜の花の俳句(外国でも菜の花が咲いていた)

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ギリシャのドルフィ神殿



菜の花や油乏しき小家がち 安永2(1773)

なの花や昼一しきり海の音 安永3(1774)

なのはなや筍見ゆる小風呂敷

蕪村


菜の花に かこち顔なる 蛙哉

菜の花の 向ふに見ゆる 都かな

菜の花の 盛りに一夜 啼く田螺(たにし)

菜の花に かこち顔なる 蛙哉

(一茶)


寺ありて 菜種咲くなり 西の京 

菜の花の 野末に低し 天王寺

寺ありて 菜種咲くなり 西の京

菜の花の 向ふに見ゆる 都かな

(正岡子規)



中には「油成金」のような人も居たかもしれない。その人たちにとって菜の花は単にその景観ばかりでなく、実質的にも富をもたらす特別な存在として意識されていたはずであるhttp://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/buson/NanohanaBuson3.html

郷土史家若林泰氏はその著書の中で、

……紀州出身の田林勝右衛門が享保15年(1730年)に油水車12輌の取立てを許され、同享保20年(1735年)に菟原郡五毛村・治助、原田村・善十郎によって油水車5輌の完成をみたのが、「水車稼一業の村方」水車新田の始まりである……

と記述している。つまり水車専業の稼ぎをした農民のことである
https://ameblo.jp/motoyamakitamachi/entry-12550326894.html


菜の花に遺跡うもれてギリシャかな

菜の花やギリシャの島にロバ休む

菜の花や小舟に豚運ぶ運河かな

菜の花や運河の長く尽きじかな

船行くや菜の花うもる島一つ(瀬戸内海)


菜の花のイメージは何か庶民的なことではないか?
ただ菜の花の種が菜種油として利用されて大阪の方で財を成した人がいてそれで蕪村は
その成金に受けるように菜の花の俳句を作ったというのは違うだろう
菜の花でうもれていて油がとれてもそこに住む農民は油が不足していたからである
当時の油は相当に貴重だったからである、爪に火を点すとかもそうである
パトロンが金持ちになっても蕪村は小家に注目していた、商人の邸宅とは違う貧しい小家である、それもそれだけ菜の花に囲まれていてもそこに住む農民は大方貧しかった,筍を大事に小風呂敷につつんでもってゆく姿もそうである
ただ菜の花は今のように無用のものではない、暮らしの中で金になるし生活があった
ただ鑑賞しているのとは違っていた
人間の生活が生業として菜の花でも実用となっているとき見方が違ってくる

菜の花という時、何か庶民的な花なのである、なぜなら一面に黄色にそめるからである
一つ一つではない、薔薇だと高貴な花とかなるが菜の花は庶民のように平民のように大地をそめる、そこに一つ一つの花として見ないからである
この菜の花は外国でも咲いている
それをギリシャで見たのは意外だった、ドルフィの遺跡とかでも菜の花にうまっていた平地でも菜の花に埋まっていた、それは何かギリシャだと文明発祥の地として見ていたから意外だった、それだけ自分は外国には疎かったのである
学問の発祥地でもあるギリシャが本当に田舎だったことの不思議である
羊とかロバがいてあとは遺跡だけでありそこに先進的な文明はなくなっていた
ギリシャでは工業製品など作れない、売り物となっているのは遺跡であり観光だけなのである、現代の発展からは取り残された国でありそれがかえって牧歌的ともなっていたのである

菜の花の思い出では中国に行った時、運河を豚をのせた小舟が行く、農民がのっていた、それも奇妙な光景だった、そしてもう大地一面が菜の花だったのであるそれはスケールが違っていたとなる
それで阿武隈川の岸辺に菜の花が咲いていたのでその中国の光景を思い出したのである


足立惣蔵作、漢詩「野沢菜の花(のざわなのはな)」

(書き下し文)
長江の沿岸 漸く春装       ちょうこうのえんがん ようやくしゅんそう
忽ち菜花開いて 純黄に輝く    たちまちさいかひらいて じゅんこうにかがやく
美を競う花中 異彩を呈す     びをきそふかちゅう いさいをていす
鮮なり 色沢の 斜陽に映ずるは せんなり しきたくの しゃようにえいずるは

ここの長江は千曲川である、私が出した阿武隈川の岸辺の写真のような風景である
ただもっと菜の花でうめられいたのだろう
今は菜の花は実用ではないから一面に菜の花の風景は見ない


謂れある古き桜に菜の花の段々畑や筆甫の里

菜の花はどこでも咲いているが一部である、それは実用ではなくなったからである

寺ありて 菜種咲くなり 西の京

菜の花の 向ふに見ゆる 都かな

正岡子規


菜の花にタニシとか蛙が鳴くとか西の京とか都を離れた土地に菜の花が映える、そういうのが菜の花である、庶民的であうり平民の花だとなる
つまり平民の花であり人間は大方貴族でもない、平民であり菜の花に埋もれるというとき平民の世界なのである、ただ平民でも庶民でも群衆とは違う、群衆とか大衆は何か人間ではない、異様な集団であり今までにない集団の表象なのである
何か異様なものであり異常なものでありそれがナチスとかイメージするようになった
それは現代文明から生まれた異様な異常な集団である
江戸時代とかなると菜の花があっていた時代である、侍の時代でも周りは庶民と平民と農民の社会だったからである
ただほんの一部が財を成した商人だったともなる
菜の花にうまり小家の中に人は住んでいたからである

いづれにしろ時代が変わるとその風景でも見方が感じ方が違ってくる
だから時代を読むことが必要なのだがそれが一番むずかしいのである
同じ風景を見ても時代により感じ方が違ってくるからだ
でも江戸時代でその時代を知ることは容易ではない、やはりそこに明治のような大きな変化がないからである、だから江戸時代は何か時代の変化もなく同じように見えるのである
菜の花に変化少なき江戸時代

やはり菜の花の光景がありそれは変わらなかった
現代はもう変わりすぎる、津波や原発事故で風景まで変わった
松原は消失したり村自体がいくつも消失したり変わりすぎたのである
だから菜の花といっても江戸時代に見ていた菜の花とは余りにも違うのである
まず車社会になると菜の花でもあわない、馬車でも行けば菜の花がにおいあっているとなる
つまり現代は自然の風景にとけこむような生活をしていないからそうなる
それで人は疲れているのである、何かなごむ風景がないのである

菜の花の 向ふに見ゆる 都かな

都の都会の喧騒を離れて群衆を離れて菜の花を見る、まさにこれは現代に通じている
ただ当時の都は今とは全然違う、むしろ都の方にあこがれる
都こそ必要なものだったともなる、ともかく菜の花は何か心いやすものがある
心をやわらげるものがある、大河がゆうゆうと流れその広い岸辺に咲いているのがふさわしかったとなる

インタ−ネットではこうして編集して自分なりに読む必要がある
編集は今まで出版社でしていた
これから個々人の個性でインタ−ネットを読む、編集して読むことになる
検索するとそれなりのものが出て来るからアレンジしやすいのである
「菜の花」というキーワードで探せるからである

菜の花や蔵王の映えて川広し

菜の花や阿武隈川のとうとうと流れてその岸広く映えしも

あの光景が印象に残る、電車からいつも見ていたがやはり川の側に来て見るべきだった
電車からでも車からでも見る感じが違ってくるからだ
川の広さをその流れを感じるには川の側に立たないとわからないのである
川と一体化するにはやはりその川岸を歩いたりしないとわからないのである

いづれにしろ人間の最後は記憶したものが生きたことになる
だから旅でもいかに記憶に残る旅をができるかが問題になる
ただ記憶と記録は違っている、記憶は部分ではなく全体の雰囲気とかを記憶することである、写真をとったとしてもそれは部分なのである
こうして私が書けるのも記憶をたどり書いている、インタ−ネットで調べて自分の記憶とつなぐ、そういう回想する旅になる、でも記憶していないと書けないのである


見渡す限りの菜の花のじゅうたんと上海・蘇州・無錫 の旅
https://4travel.jp/travelogue/10662020



2021年04月29日

阿武隈川船運の論文を読む (石巻の寒風沢から船を代えて江戸に運ぶ)


阿武隈川船運の論文を読む

(石巻の寒風沢から船を代えて江戸に運ぶ)

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それによると'阿武隈川水系には亘理( 現宮城県亘理郡( 7 艘)
丸森町) 、川張( 同)( =高野壱岐守分)に五艘、ある程度利用されていたことが確かめられるのである。
慶長五年の時点で既に仙台藩領内の藩米輸送に阿武隈川舟運があった
慶長五年の時点で既に仙台藩領内の藩米輸送に阿武隈川舟運が開始されていた

天和二( 一 六八二)年八月'江戸の商人で福島に店を持つ 商人上総屋
荒浜の武者宗三とが伊具郡耕野村( 現宮城県伊具郡丸森町)の改修しなければならなかっ たのであろう。
 旦水害が起こると'再び通航不可能となってその都度改修しな
修を行っている。藩境付近の難所は'一 応友以らによって開整されたち

阿武隈川の下流と上流それぞれの舟運の性格の相違は、ほぽこの二点
こうした地域的特性によるところが大きいのは事実である。
各々の舟運発展における格差は、は米不足に悩む幕府が信連両郡を天領とすることにより、その産米を城れたからであろうし、寛文年間、下流において舟運が急速に発展したの
は、滝や急流等の航路障害の為に領主米廻漕には利用できないと考えら
二百年以上の開きがあるが、上流で近世初期に舟運が行われなかったのに集約されるであろう。

又、 城米を江戸へ 廻漕する際の積み換えについては' 「 文化十二年御廻( 6 3 )れられた米は'小廻船( 一 五浜の蔵に入れられる。ここでは出役の浦役人が受け止める。更に蔵に入た米は、水沢・ 沼ノ上で 肺船に積み換えられ'肺船で荒浜迄運ばれ'荒する詳細な説明がある。まず'信連地方の諸河岸から小鵜飼船に積まれ米拘仕方」に、水沢・ 荒浜・ 寒風沢での積み換えの際の請払の手順に関
〇 0二三〇石程度を積む)に積まれ'寒風沢(さぶさわ)溜所があり'ここで俵検査を外海用の元船に積まれるのである

安永八年「 風土記御用書出」によれば'阿武隈川沿岸には'藩の穀蔵( 6 7 )( 6 8 )( 6 9 )が岩沼郷藤場に五棟'荒浜に十三棟'雑穀蔵が伊具郡尾山村に五棟、同( 7 0 )( 7 1 )
館山村に五棟'城米蔵が同耕野村に一 棟あっ た。
れは'正徳元年十二月'伊具郡金山郷の領主中島氏の迄の間、藤場穀蔵を1 時借り受けたいと願い出たものである。
蔵で引渡されるという取引であり'大文字屋の指配で江戸へ 出荷される 

近世舟運の研究
-阿武隈川舟運の開始と展開ー斎藤賢之

(リンクできないがこの題でインタ−ネットで読める)


阿武隈川に船運があった、それも慶長5年とかから始まったとすると古い
江戸時代の前だからである、福島市の板倉藩に属してそこに蔵があり船着き場があった
ただ二本松の方へは船で通れない難所があった
そこは東和町に行った時見た、滝になっていて段差がありとても船は通れない
だから船運は福島市から下流に向かう地域、丸森とか岩沼とかに港があった
特に岩沼に船を扱う人たちが集中していたのも地理からわかる
阿武隈川は丸森までくると川幅が広くなり海に向かっていることがイメージできる
海が近いのである、岩沼になれば特にそうである

ただ荒浜から直接荷物が米でも運ばれたのではない、一旦塩釜の寒風沢(さべさわ)によってそこで外洋に行ける船に変えて荷物を積みこんだ
江戸まで行く大きな船がなかったからそうなった、でも荒浜から塩釜までは遠いともなる運河があったにしてもそれを利用したより小型の船で塩釜まで行ったとなる
塩釜とか石巻からは伊達藩が江戸に大量に米を送っていたからだ
そして太平洋をわたりメキシコ経由で欧州にまで伊達政宗は派遣していたからだ
それだけの造船技術があった、それはスペインのキリスト教徒がいて技術を伝播したからできたともされる

船運でも川をそのまま日本では行けない、途中に難所があり通れないとなり工事が必要になる、外国だったら川は運河と同じであり急流とかないし船運が発達して都市間の交通網ができて商人のハンザ同盟とかできた、それは川が運河の役割りを果たしたからである
日本ではそうした川がない、海が交通路になってもその海は大平洋だと荒いから発達しなかったのである、日本海だと北前船の交通路ができた、冬をのぞいて穏やかだからである
何か私はこれだけ旅しているのだから交通に興味をもつようになった
寒風沢にも行った、塩釜の入江の入り口にある島である
たいがい日本なら実地に行ってからイメージできるのである
でも一旦塩釜の方に行くのは難儀である、でも造船技術がなかったらそこまで行くほかないとなる、だから船運というのは交通は大きな役割を担うのである
金山城がある所からも

伊具郡金山郷の領主中島氏の迄の間、藤場穀蔵(岩沼)を一時借り受けたいと願い出たものである。

中島氏というのは筆甫にも墓があり有力な氏族でありそれが船運にかかわっていたとなる船運にかかわることはそこで農業以外でも仕事ができて収入になる
それは経済的にも重要なことである、なぜなら農業だけの収入では限られているからである、積み荷も最初は米だったがそのあとは米以外の商品になった
つまりそこで商品として売れるものを作り収入でも増えるとなる
つまりか船運が発達すれば商品化する作物でも作ることになる
もともと伊達藩では江戸に米を送るために石巻に大きな港を作り伊達藩の米は商品化していたのである、そきために米がとれない飢饉になったとき他の作物がとれなくなったのが飢饉の要因だったとしている
それはグロ−バル経済の中で起きている、コーヒーばかり作っている国では他の作物がとれない、するとコーヒーが売れなくなると値段が下がったりすると影響が大きくなる
地元ではコーヒーしか作っていないからである
そういうふうにグロ−バル経済の危険はその土地土地でとれるものをもっていないとそうなる

それで大張とか耕野とかに迷って今回入ったがそこでも船をもっていて船運に関係していた、ということはなんらか山仕事農業だけではない仕事がもてたともなる
川張でも一掃船を所有していたとか書いてあるからだ
どうしても川が長いと中継地点が必要になる、それが川の港なのである
最上川でもそういう川の駅のような所があった、ただそこは秋で虫が鳴いているだけで
何もなかった
川張りとか阿武隈沿いに兜の渡しとかあった、そういえば阿武隈川のように川幅が広いと橋をかけることができない、そこで渡しが生まれた
そして橋は頑丈なものが作れないので流されやすいのである
そこで八島屋という店がありそこは結構高い場所だが去年の台風で被害があった
水がその店の高い所まで来ていたのである 

それで一部被害があったがインタ−ネットで寄付を集めて修復したとある
あれだけこ高くても水があふれて入ってきた
そこはやはり川幅が狭い場所だったからあふれたのである
丸森の街の方では川幅が広くなるからあふれることはなかった
あふれたのは山の方からの支流だったのである
ともかく去年の台風の被害は思った以上大きかった
いたるところ相馬地域でも道が崩れて未だに直されていない、交通止めになったままなのである、ただ阿武隈沿いの道は直していた、でも新しい道はトンネルが多かった
ずいぶん前に通ったが記憶がないが何か細い道がつづいてトンネルはなかったように記憶する,道も絶えず変化しているからわからなくなる
大型のトラックも通れたのかとも見た、やはり道は改善している 

私は地理とか交通に興味をもったのはこれだけ旅したからである、当然旅は地理とか交通と一番深く関係しているからだ
地理はやはり地図見ただけではわからない、実地にそこに行かない限りわからないのである
だから外国もある程度旅したから地理をわかる範囲が増えた
それがいいのは外国と日本を比べたりできるからである、それで日本を知る人は実は外国で実際に住んでいた人たちなのである
つまりそういう経験は日本を比較して良く見えるようになるからだ
それは地理でもそうである、外国の河と日本の河はまるで違っているからだ
第一世界の四大文明の発祥地が大河の側で生まれたというときもそうである
その大河が日本にはないから根本的に外国を理解できないものにしている




                                                                    

2021年04月28日

角田から丸森へ阿武隈川を行き大張村から梁川へ (新緑と残雪の蔵王と阿武隈川―短歌連作)


角田から丸森へ阿武隈川を行き大張村から梁川へ

(新緑と残雪の蔵王と阿武隈川―短歌連作)

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迷った道

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大張村

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この二つの石が良かった、石も人間に見えるからだ
夫婦石とかなんか二つの石だとそうなる
丸森には何か多様な石がある、それが魅力だともしている


梁川へ

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クリック拡大で鮮明に見える


八重桜電車に映し通うかな

普通車や各駅とまり八重桜

通学や夕べ電車や八重桜

赤味帯び春の満月山に出る


(岩沼)

阿武隈川流れゆるやか残雪の蔵王堂々とゆるがざるかも

春日さし水面光りぬ大河かな岸辺広々と菜の花咲きぬ

阿武隈川広々と流れ春の朝鴎一羽の飛びきたれるかも

残雪の蔵王の映えて電車来る音のひびくや新緑の朝

阿武隈川岸辺広々菜の花や朝の光りに水面きらめく

阿武隈川流れは遠く広々と海にそそぐや春野拓けぬ

(角田市)

阿武隈川岸辺の広くうぐいすの鳴く声ひびき水面光りぬ

残雪の蔵王の迫り悠々と阿武隈川や朝雲雀鳴く

雲雀鳴く声のひびきて川広く蔵王の威厳ここにますかな

阿武隈川その土手長く広々とつばめ飛びかい走り行くかな

渡り鳥調べる人や北へにとつくつぐみ帰ると教えられるかな

(迷った山の道)

春の日や分るる道のいくつかな八重桜咲き案内(あない)されけり

延々と坂を上りてさえづりのひびき閉ざさる山の家かな

一本の細道つなぐ山中の家々や我がたどり春の日たずぬ

山中に深く分け入り家一軒石のかたえにシャガの花咲く

名もしれぬ人の墓かなたずぬもあわれ山に閉ざさる

先みえず迫れる山や家数軒ここに閉ざされ畑耕しぬ

山間のわずかなる畑春なれば耕す人ありさえづりひびく

(大張村)

一本の山間ぬいし道たどりたどりつく大張村や春のくれかな

一本の八重桜咲き山の径一軒の家になごみけるかな

山中に我が奥深く分け入りて木の根元に石二つかな

石二つここに並びて離れじと木の根元や大張村かな

迷いしも春の夕暮れ大張村道をたずねて帰りけるかな

大張に古き碑ありぬ小学校ありて春の日我がたずねけり

大張の皮張り石とその昔暮らしのあれや春にたずねぬ


(梁川町)

広々と阿武隈川のたぎちつつ新緑映えて吾妻峰も見ゆ

吾妻嶺見えて梁川春の日や拓けし平野我は望みぬ

丸森の山間いでて梁川や春野拓けて街のにぎあう

阿武隈川水面きらめき春の陽の山に没り梁川に来る

梁川に柳青々と夕べかな街のともしび桜咲き暮る

梁川に城の跡かな桜散る相馬の方へ我は去り行く

丸森へ電車に帰る学生の吾とのりあわす春の夕暮れ

丸森へ電車に帰る夕暮れや八重桜のほのぼのと咲く



折り畳み自転車で今回は岩沼から阿武隈川沿いを丸森までそして梁川まで行った
途中道が途絶えて大張村の方に迷ってついた
かえってそれが良かった、思わぬ出会いがあったからだ
山は地理がわかりにくくなる、方向もわからなくなる、それでいつも難儀する

最初で出会ったのは阿武隈川沿いで大きな望遠鏡を設置して観察している人だった
土浦ナンバーであり遠くから来て何しているのか思った
渡り鳥を観察しているという、ツグミを見ているという、ツグミは近くでも良く見かけるツグミも渡り鳥であり渡り鳥を観察しているという
ツグミは北へ帰る渡り鳥だという、これは別に街の郊外で普通に見られる鳥である
でもわざわざ阿武隈川で見ているのか、渡り鳥だからどこにでもいる
そんな仕事をしているのが不思議だった

民間会社が政府から委託して調査させているという、大学もそういう関係の学部を出ているから自分にあった仕事をしているからいいと思った
なかなか自分にあった仕事につけない、私は大学を卒業してから職についていない
なぜこんなに旅するようになったのか?
それは20代の仕事が関係していた、流れ作業ばかりさせられて仕事が嫌になったのだ
だから仕事にひどく嫌悪感をいだくようになり仕事しなくなった
仕事しなくても自由になんでもできる家庭環境にありそれで旅が面白いからそればかりするようになったのである
ただ面白い自分にあった仕事が与えられれば仕事に没頭したともなる
そういうことはなかなかできないのが現実社会である

その阿武隈川沿いを行くとトンネルとかあり一回通った
トンネルは自転車にとって鬼門である、車の音がすごく怖いのである
そして脇の狭い歩道を行くのがめんどうなのである
だからトンネルをさけて脇の道を行ったらゆきどまりになった
すると一軒の家がありその家の人だろう、その家の前に道がありそこを上ってゆくといいと教えてくれた
その道が延々と坂だったのである、それもかなり急な坂がつづいていた
そこは歩くほかなかった、今回の折り畳み自転車はBD1はいい自転車である
でも電動でないから坂は上れないから歩くほかなかった
自転車は坂には弱い、だから電動自転車は坂も上れるからいいがこの坂は急であり電動
自転車でもきつい坂だった
こんな所に住んでいた人がいたのも不思議だったとなる
丸森は相当に奥深く山中に人が住んでいる

そうして迷って出た場所が大張村だったのである、そこはそれなりに家があり一部落を形成している、小学校もあった、子供数人みかけた、でも小学校に何人いるかはわからないそこで暮らすにしてもおそらく梁川とか白石の方に勤めに出でいるかもしれない
みんな今は車をもっているからだ
阿武隈急行に夕方乗っていたのは高校生である
それは自分の住んでいる常磐線の沿線でもそうである
そこで鹿島駅が無人駅になりそきあと高校生の見守りとして南相馬市でNPOの人を配置した、最近は障害者の学校もできたから利用している

特に阿武隈急行の駅はさびれていた、梁川希望の公園から乗ったがそこは猫の巣になっていた、がらんとした駅があってもほとんど人がのらない
だからそもそもそうした民間の鉄道を維持すること自体むずかしいと見た

とにかく自転車だと丸森に行くには山を越えてゆく、でも今回は途中電車であり楽ではあった、でも峠を越えて行く、それが旅になる
この先に何がある未知の世界が開ける、そのためには車とか電車でもそういう感覚がもてない、自転車だとなんとかもてる、つまり道は未知であり未知を旅する人となることができる、それで旅に魅せられて遂にはもう人生も尽きるとなってしまったのである

今回は桃の花を見よとしたが終わっていた、意外と早いと思った、今年は春がはやかったせいだったろう、それが残念だった
電車と自転車の旅もいい、両方を楽しむことができるからだ
これなら一日でも結構旅した感じになった、ただこういう旅は遠くなると無理だろう
その場所まで電車に行くにしても遠いからだ
ここ十年とか介護で旅をしなかったから旅を思い出してまた旅したのである
ドイツ製のBD1は作りがしっかりしているから乗り安い、15万したがそれだけの価値はあったとなる
ただ坂は上れない、歩くほかなかったからこれだけでは本当の旅はできないと思った

日本は山が多い、四国の祖谷(いや)を旅したとき相当な山奥から平地に下ってきたときほっとした
そこからは春野が拓けて城もあった、それと丸森の大張とか耕野から出て来たときも同じ感じになった

祖谷(いや)をいで春野拓けて城もあり電車に見てそ過ぎ去りにけり

こんな感じでありとにかく日本は山が多いから平地に出てきたとき何かほっとするともなる、外国だったらどこまでも平坦な土地だからこういう感覚はもてない
日本は山国だから山国特有の感覚になるのである
国のまほろばでも山々の間に隠された地域になる、そういう村も多いということである
それは小国ともなる、そういう地形が多いからそういう地名も多いとなる
小さな閉鎖された一つの国だともなる














2021年04月26日

八重桜、牡丹、赤い百合(庭と家の花)


八重桜、牡丹、赤い百合(庭と家の花)

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母と子と八重桜見るその道を今日も我行く心あたたむ

桜散るあとにほのぼの八重桜母と子の連れ立ち見るかな

今朝見れば牡丹は散りぬ早きかな栄一時風のうなりぬ

散る牡丹残る花びら今朝見えてまもなく散らむ風の唸れる

我が庭に輝き映えしは一時や牡丹は散りぬ夢のごとくに

五六輪赤き百合咲く我が居間に匂いは満ちて家を継ぐかも

飛び交いぬ燕にあれや小さなる街の行き来や我は忙し

庭に咲くタンポポやはや綿毛飛びまた他にそ種を運びぬ


母の思い出の赤い百合
https://ameblo.jp/teddypapa/entry-12441751163.html

ここではこの赤い百合から母を偲んでいる
こうして死んだ人でも偲ばれる時、何かその人はなお生きている
ところが肉親だろうがなんだろうが全く偲ばれない人がいるのだ
それは肉親でもそうなのである、迷惑ばかりかけたとか親を恨んでいる人がいるからだ
そういう人は肉親でも死んだ偲ばれないのである
そうなると死者も浮かばれないとなるがそれは自己責任だったとなる
何か後世に後のものに何も残さなかった、というより不快なものとしてあり思い出したくないとなっている

百合というと白だと見ていた、こんな赤い百合があるとは思わなかった
これは匂わないと言うが結構匂っている
こういう大きな花にはやはり大きな家が広間があると映える

庭の牡丹は今朝見たら散った、花びらが残っていたが散った
そして今日も風が朝から唸り吹いている
この家を作ったのは父であり次に継いだのが姉ともなっていた
姉は気丈夫でこの家をもりたてたとなる、だからその時輝いていたのだ
それも80年とか戦前から家にいても死んだら呆気なかった
でもこの家に姉は輝いていたのだ
つまり人間は栄えるのも一時である、女性でも輝いているのは一時なのである

タンポポでも庭に咲いたが綿毛となり飛び他に移って咲く、常にこのように自然でもとどまらない、移ってゆく、ある所が栄えてもそれも一時であり他に移るのである

ともかく今日はまた朝から風が強い、そして結構寒くなっている
季節は移っている、桜が散り八重桜が咲きそこに母と子がいた
八重桜を母が示して幼子がいた、何がそこに平和を感じた
こういう光景が原発避難区域にない、子供がいないからだ、いるのは老人だけだとなる



2021年04月25日

金の流れで具体的に悪が可視化される (原発マネーの流れやその他でも・・・)

金の流れで具体的に悪が可視化される

(原発マネーの流れやその他でも・・・)

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社会を見る時、いろいろ方法があっても金の流れからみるのがわかりやすいのである
それで犯罪の操作でも金の流れをつかめとなる、どうしてその金を得て銀行にあづけたのかとかなる、それで強制的に銀行でも警察は調べることができる
ただ大金持ちになるとタックスヘイブンとかで金の流れをつかませない方法がある
そういう明るみに出したくない金がスイスの銀行とかに預けられいるというのもそうである
ただ普通は金というのはどういう金なのかわからないのである
ただ金がどういうふに入ってどういうふうに使われたかを知ると何か見えて来る
だから金の流れの可視化が必要になる、それは感染症を防ぐ時、感染した人が誰と接触したかを知るのと似ている
感染経路を追って感染しないように注意するとなる

相双リテックを例にすると

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こんなふうになる、清水建設を経由して相双リテックに流れた、その収入は主に社長とか幹部に流れた、それも億単位というから驚く
その金が今度は野球関係に流れた、タニマチとかありそこで銀座とかで遊興費として使われたとかある

そもそもなぜ野球と除染費用が関係あるのかと週刊誌で問うのもわかる
それでこれは何かオリンピックとも似ている
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なぜオリンピックがやめられないのか?

それには利権が深くかかわっている

何百億とかすでに施設でも関係者でも金を払っている、投資している
電通など介して巨額の金をすでにオリンピックに投資している
するとその投資費用を回収しなければならない、オリッピックを中止したら回収できない丸損になる、そんなことできない、だから政府に圧力をかけてやめないようにしている
なぜオリッピックがやめられないのかというとき何千億というまた巨額の金を投資している、そういう人達がいて会社も存在するからやめられない、オリッピックの意義とかなんとかはすでに関係ない、金の問題だけなのである

メルケル首相の脱原発宣言が出された直後、フランクフルトにある原発製造元,スウェーデンのバッテンフォール社がISDN条項を使ってドイツ政府を訴えたのだ
ドイツ政府の脱原発政策によってうちの原発が稼働停止されたら我々が投資した資金や
そこから得られたはずいの利益がパーになってしまうじゃないか

ISDNとは自由な貿易とか政府の干渉させないとかの条項なのだろう
これもオリッピックとにている、せっかく投資しても金を使ってもその見返りもなく利益がゼロとなるとどうしてくれるんだとなりドイツ政府まで訴えるとなる
会社にとって都合のいい法律だともなる

このように金の流れをみるとわかりやすいのである

福島民報でもそうである、創価から聖教新聞をたのまれて刷り金は創価から出る
すると何かそこで創価の批判はできない口止め料になっている
他の大新聞でも毎日新聞とかでもそうである、それは大企業の悪口を言わせないようにするのとにている、そういう大きな権力を持つ組織団体はそうしてマスコミに批判させないように抑える
それで相双リテックでも東北政経の雑誌の裏表紙に堂々と会社を知らしめている
このようにマスコミはもともと会社の宣伝費用で成り立っているとするとそういうものでありプロパガンダの役割りをしていた
だから東電を批判などしない、危険を知らせたりもしない、福島民報では県の出資が50%にも及ぶとしたらもう報道の自主性は奪われてしまっていたのだ
原発は県主導で行われていたからだ、だからその福島民報を所有している株主に逆らうことなどできないのである
そういうことが原発事故をまねいた一因にもなっていたのである

とにかくアメリカの政治は金で買われている、アメリカで金で買えないものがないというときそういう社会がアメリカであった
ウオール街の金が湯水のように政界に流れその見返りが確実にあるからそれをつづける
金で当選できるのがアメリカである、日本も戦後アメリカをまねたのだから当然金がすべての社会になっているということは同じなのである
多少アメリカのように極端ではないというだけかもしれないのだ

マスコミとかは既得権をもった権力ある集団組織と同じである、仲間である
だから批判しないのである、マスコミ同士でも批判しあわないのである
他社を批判しない、そこに何か暗黙の了解があり仲間意識がある
だから朝日新聞までが原発事故が起きた時東電から中国に招待されていたのである
それは報道するには巨大な装置が必要であり金が必要になるからだ
ただ報道というのを自分がしてみてわかることは意外は小規模でも実際できるのだと思った
だから個人がテレビ局になったyoutubeが生まれたのもわかる
それはそんなに金がかかるものではないからだ、でも手間は省けない、それで暇な人しかできないということはある

また取材も手間と金がかかることがあり簡単にできない、だからどうしてもそこにプロが必要になる、でも今までのマスコミ中心ではなく、個人的にも取材できるようになれば
報道の自由が促進する、ただ何かを知るにはまた権力が必要なのである
一個人だと相手にもされないからだ
三権分立があっても報道の分立はない、報道が民主主義になると需要になる
知らされなければ判断しようがない、しかし報道ということでは自由がない
NHKは権力をもっているがそこでも公正な報道をしていない、つまり報道の面では民主主義が機能していないのである
特に日本の報道の自由度は先進国と思えないほど低いのである
そこから今回のような原発事故の大きな原因にもなっていたのである

相双リテックの除染マネーの悪
もともと心が腐敗して福島県と地元が起こしたのが原発事故だった)
http://musubu.sblo.jp/article/188495224.html
posted by 老鶯 at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年04月24日

原発反対が被害があった地元の人が先頭に立てない矛盾 (補償金増額交渉になり外部と協力できないーはだかの福島ータクキヨシミツを読む)


原発反対が被害があった地元の人が先頭に立てない矛盾

(補償金増額交渉になり外部と協力できないーはだかの福島ータクキヨシミツを読む)
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不思議なのは肝心の原発事故で一番被害にあったその場所で原発反対運動ができない
別にしているのではないかともみる
でも具体的に原発反対運動でも地元では必ず補償金をもらうための反対運動であり具体的に金を東電であれ政府に要求しているのである
それで南相馬市の鹿島地区で原町区と合同で原発反対の集会があった
それが協同できなかったのは原町区は鹿島区の三倍の補償金をもらっている
それで協同するにもできない、30キロ圏内補償金の差が大きかったからである
もし同じ補償金を求めて増額を求めてならできるがそもそもこの金の問題で協同できないつまり肝心の原発事故の一番の被害者が証人が原発反対ができないのである

それは再三言っている漁業組合でもそうである
事故前も多額の補償金をもらっていて事故後もさらに相当な増額されて浪江の請戸では
10億円もらった人がいるというときそれが嘘でも浪江の人たちでも補償金の差が大きいからそういう噂がでてくる、それだけ金が飛びかうのがこの辺だったのである
大熊町長の金庫が津波で流されて探してくれとか噂になった
そこには5億円が入っていたという、それもまんざら噂ではない
それだけの金が事故前でも事故後でもさらに金がとびかう場所だったからである

その後除染で地元の業者の幹部に何億円の報酬があったとかなる
それが不正で警察に逮捕までされた
このようにこの辺は常にそうした金の話題になった場所なのである
原発というのはそれだけ金のなる木だったのだである
まるで金にむらがる巣窟ともなった
第一天下りというのも官僚も多い、検察から警察から海上保安庁とか自衛隊でもそうである、原発はこうして金をうみだすものでありそこにあらゆる人が群がったのだ

だからいくら原発反対とか言っても肝心の被害者は先頭に立てない
あいつらは金が欲しくて運動している、俺たちは金と関係なく原発に反対している
だから金が欲しい被害者と一緒には運動できない

こうなってしまう、だからこの本を書いた本人は一緒に原発反対運動をしない
大内村に住んでいたのだから補償金をもらえたのにもらわなかった
つまり補償金を欲しいというだけの人とは一緒に行動できないとなった
「獏原人」というヒッピー集団はそもそも山尾三省とかの思想に共鳴する人たちだったろう、ただ山尾三省のように明確に原発に反対して自ら行動として農業をしていたのとは違うみたいだ

原発事故以後山尾三省が見直された、なぜなら明確に原発に反対するものとして農業を屋久島ではじめたからである
だから説得力がある、それは飯館村ではじめた「までいな村」のさらに極端化したものだろう、だから半裸で生活していたというからだ
ただそれは変人集団であり周りでは必ずしも歓迎されないしそれに共鳴ひる人たちは村でもいなかったろう

むしろ山尾三省のようにもっといい暮らしをうまいパンをいい車をいい家がほしい・・・その欲望がかえってこの辺では強かったのである
パンが贅沢だとなんたら誰もそんな生活についていかない、でもその極端化したことが
地元の人でも故郷に住めなくなってロウソクでもいいから家族一緒に住みたいとなったのである
それは原発事故の結果住めなくなったからそこまで言うようになったのである
ただここでも農業や漁業も林業でも衰退して跡を継ぐ人がいず困っていた
むしろそういう一次産業では豊かになれないとして原発を積極的に誘致したのである
それは地元の要請でありまたそれに応じた県の政策にもなっていたのである
それで「「原子力明るい未来のエネルギー」がスローガンになっていた
しかし原発は致命的な結果をもたらした、空気と水と土と森の木材まで汚染したから住めなくなったからである
だからこそこういう極端な状態になるとなんとか住めればいいとなる
住めることが幸せだとなってしまう、そういう極端なものにもなったのである


ただ事故後もここに住む人たちの意識は生活態度は変わらなかった
今度は補償金闘争となりどれだけ補償金をもらうかで協同することになった
その額がまた大きいのである、ある人は大熊の牧場主は5億円もらったとか飯館村でも一億円は軽くもらったとかその噂が絶えないのである
請戸の船主が十億円もらったというのもそうである、漁業組合とか特に船主は手厚かったからである
それがまるっきり嘘とはならない、現実にもらった人はいるのである
それだけ手厚い補償金だったのである

だから矛盾しているのは海にトリチウムを流すなというとき必ずそこに金が関係してくるしないとしてもこれまで金をもらっていたのだからまた金が欲しくて海を汚すなと言っているのかとなる
だから韓国とか中国でトリチウムを海に流すなというときそれが嫌がらせともなるが
海はみんなものだからそう言っているのである
だからいちがいに否定はできない、ここで矛盾しているのは中国でも韓国でも原発をもっていて韓国ではトリチウムをすでに海に流している
その量も多いとしている、これも矛盾なのである
そもそも原発自体を廃止する作らないことこそが世界でも協同すべきことなのである
それが肝心の原発事故の地元で先頭に立てないのである
地元では金のための運動となり外部では金は関係ない、むしろ自腹を切っての運動ともなるからである
その差が大きいために協同できないのである

そして事故後も依然として事故前とこの辺では変わっていない、事故前は豊かな暮らしをしたいとして原発を積極的に誘致した、事故後は今度はより多くの補償金をもらう運動に変化しただけである
そこに共通しているのは金がもっともらいうまいパンをいい車をいい家が欲しい・・・・限りない欲望の拡充なのである
だから何かその補償金は別に復興のために使われていない、かえって豊かな暮らしができない、放射性物質で汚染されたからもう住めないと若い人たちは補償金をもらい外に出て行き新しい家を建てて帰ってこないのである

要するにもともと郷土愛とか何か地元に執着するものがなかった
ただ老人は思い出に生きるから故郷に執着して帰りたい住みたいとなったのである
それは現代ではここだけではない、金があればどこに住んでもいいし移住でもできるからである
そして地元の人でも放射性物質に汚染された場所に住めないとなればそれまでだからである、子供たちに悪いとなれば何も言えないからである

とにかく原発というのは最初の段階でその是非をよくよく議論して決めるべきものだったのだろう、ただ金になるからと安易に決めたことが問題だった
第一賛否両論などない圧倒的に地元の人たちも賛成してはじめられたのが原発だったのである、それだけ農業や漁業や林業だけではもう成り立たない社会になっていたこともあるでも逆に何かその農業や漁業や林業が一番被害が放射性物質に汚染されたのである
土や水や森林でも人間のベースとして必要なものが生態系が汚染されて住めなくなったのである

でもそれはもともと衰退産業でありそれより金になる原発だとなり景気良くなると歓迎されていたのである
それで小高ではすでに東北電力の原発が開始されるところだったが事故で停止されていたのである、そこでも小高の人が景気良くなると言っていた
それも今考えると事故になったら今度は南相馬市全体がまた相馬市まで影響して住めなくなったということがあったから恐怖だった
それもまた知らないともなっていた、地元の新聞でもテレビでも雑誌でも取り上げなかったのか、一応報道するにしてもその危険性を警告はしていなかったろう
だから知らないうちに重大なことが決められていてそれが気づいたら大災害になったともなる、だから無知は恐ろしいとなる
自分自身はとうかというと30キロぎりぎりだから何か他人事にもなっていた
遠いから関係ないと見ていた、でも小高に東北電力の原発ができたらそうはならない
もうすぐ近くという感覚になるからだ、それすら知らなかったのだ
まず直感的にそれだけ近いと何か不安になる、それは理屈ではない、直感的にそうみる

「現地調査を行った東電社員に大熊町長が宿舎に突然四斗樽をもって現れ「陣中見舞いに酒をもってきました、私は東電原子力発電所に街の発展を祈念して生命がけ誘致している本当に発電所を東電は作ってくれるのですか
私の車を使ってください、新車のデポネア、(三菱の最上級車)翌日回してきたという話も紹介されている」

大熊町長という5億円金庫が流されて話題になった、その町長とは違っていても何かこうして実際は双葉町でもそうだが積極的に誘致されたものだったのである
町民全体でその良し悪しを議論すらしていないのである
原発ありきではじまっていたのである、確かに立地場所で反対があったが金をやったら簡単に許可したということもそうである
一億円もらったとかなれば誰でも売りたいとなるからだ
ただこの問題はそうしたわずかの土地所有者とかの問題ではない、福島県全体にそれより日本全体にも世界にも影響するものとして見なかったのである

だから今になって中国とか韓国からトリチウムのことで批判されるのである
それはここだけではない、日本政府の指導のもとで原発のプロパガンダが行われてマスコミにも莫大な金が流れて洗脳されていたから何か探ることもできないものになっていた
それはアメリカの後押しがありアメリカで古い型の原子炉のマーク1を売りつけたのである、それは後進国にはお古が武器でも売りつけられるのと似ていた
でもこの原発は危険なものだから日本政府もずさんであり責任があった
東電だけの責任ではなかった、政府指導で行われたものだからである
政府に責任があるというとき政府は議員が国民が選ぶのだから国民にも責任があったとなる、それは戦争とも同じだったのである、軍部に責任があったことは確かでも国民も熱狂していたというからである
ともかく原発に関しては本当は国論を二分するようにな論争が必要だったともなる
そういうこともなく一方的に決められあとは「安全神話」が強力な権力で作られて終わったのである、その安全神話には明確な根拠などなかったのである
ただ反対されるのが嫌だから権力でおしつけただけだったのである

このことをふりかえると金でふりまわされていた、その金が実は具体的なカルマとなっていた、東電であれ政府であれ金をもらった時点で具体的に了解したとなる
だからお前たちは事故にあっても何も言えない、金をもらったからだとなる
それでヤクザの仁義でも金をもらったからヤクザの闘争に参加して人を殺したともなる
それはドラマでも金をもらったらそうまでなる、地元の人たちは金をもらった、受け取った、その時点で例え今回の様な大事故になっても何も言えないとまでなる
お前らは共犯者だともなる、確かにそうだともなる
なぜなら自治体の一員というよりは東電の社員と同じになっていたからである
東電がヤクザではないにしろそういう立場になっていたということである


あとがき


原発事故津波関連の本はもう百冊くらいででいるかもしれない、だから読み切れない
でも今回の本はやはり事故前から大内村に住んでいたことで説得力があった
それが他と違っていたのだ、やはりそこに住んでいる人が命にかかわるのだから切迫した状況を伝えられるのである
内部の人が批判するのはむずかしい、実際に補償金をもらっている
ただ自分が批判できたのは30キロ圏外であったからだ、それもぎりぎりだった
補償金でも一人70万はもらったのである、でも30キロ内だと3倍もらったから違っていた
そうなればお前も補償金もらったとか欲しいとかなり外部の人と一緒に批判できない、協同して反対できない
この著者は大内村に住んでていも補償金を拒否したのである
だから筋が通っているとなり説得力があったとなる



posted by 老鶯 at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年04月23日

山桜、芽吹き、庭の花の蕾、さえずり


山桜、芽吹き、庭の花の蕾、さえずり

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この鳥が何の鳥かわからない、山雀なのだろうか?
黒く見えるのは光りの関係なのか?鳴き方はそうかもしれない
前から写真をとればわかった、後ろからだったのでわからなくなった
ただ街の中で山雀を見たことはない


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ペチュニア


峠二つ越えてかむや春の風


巌打つ流れのひびき高きにそ朝日にほふ山桜かな

風吹くに遠くまで行く山桜映えて美しもはや散りなむ

つぼみなれ開くを待ちつ我が庭にそを見守りつ時をすごしぬ

ゆくりなく朝鳥の来てさえずりぬ芽吹き新たな庭に見るかな

ゆくりなく鳥のさえずり去りにけりいづこにまたやさえずりしかな

いくつもの薔薇の蕾や我が庭に咲くは楽しみ朝の一時

ペチュニアの藍色深き一輪を我が庭に置き部屋にこもりぬ


山桜はまだ咲いている、ただもう散るだろう、にほふというのが映えるという意味もあるただ今の感覚ではもうにほうは匂いということが頭の中で週間化しているから合わないとなる

鳥がさえづっていた、電線に止まりさえづっていた、何鳥なのか?
写真をとったがわからない、ただその鳴き声は良く聞く、でも鳥はすぐに飛び立つので
写真にとりにくい、芽吹きがあり薔薇もいくつも蕾が出て来た
薔薇だけは何か咲く、それでもう一つ黄色の薔薇を買ったきて植えた

狭い庭だからいろいろな花を植えられない、そして必ずしも咲くとは限らない
それが問題である、でも庭を手入れするとなるとまた時間がかかるのである
料理から何から時間がかかってできないのである
その合間を見てプログを書いている

ペチュニアの花は百円だった、でも藍色が深く気にいった
花は結構高い場合がある、百円だったら今回限り楽しんでも損にはならない

今日は気候的には快晴であり外に出るのに最適だった
月末になると熱中症の警告を出すとか自転車で外にでにくい、何か自分は熱中症になりやすくなったからだ
でも福島市の方の桃の花を見たいということがある
それで出かけた方がいいとはなる、でも遠いので困る

飯館村の方へ高い峠を越えてもう一つ低い峠を越えて福島市の方へ二本松の方へ行こうとしたがその時バッテリがきれたので引き返した、坂を上ると電気をくうから困る
ただ今出かけないと、暑くなると出かけられなくなる
夏になると自転車は危険になるからだ





2021年04月22日

人間は急激に起きることに対処できない (認知症、津波、原発事故,コロナウィルスで経験したこと)

                      
人間は急激に起きることに対処できない

(認知症、津波、原発事故,コロナウィルスで経験したこと)


人間は急激に突然起きることに対処できない、また未知なことに対処できない
それが時分に起きた、最初は家族が認知症になったことであり次に津波に原発事故でありそして次はコロナウィルスである
認知症に家族なったとき、何が起きたのか理解できなかった
狂気になったのかと思った時恐怖である、それが最も親しい人に起きたら恐怖でありどう対処していいかわからなくなる
つまり人間は未知なことに対処できないのである
経験しないことに対処できない、でもその時やはり多少でも知識があると役には立つと思った
瞬間的に認知症のことをインタ−ネットで調べた、すると相手が混乱して激情的になっているときまずはお茶を飲ませてとか落ち着かせろと書いてありそれを即実行した
それは正しい方法だった、認知症という病気がどういう病気か知っている人はだからそう言えた、今したことを忘れる、するとここにあったものがなくなっている、その時認知症の人は混乱して怒る、その起る時が普通に怒るのと違っていて怖いのである
何か狂気的になるからだ
だからとにかく落ち着かせろということでお茶をのませたりしろとなっていたのだ
ただそういうことでも急激に起るから対処できないのである

津浪でもそうである、これも急激に起きた、すぐに逃げなければ助からないものだった
でもたいしたことがないと逃げない人は死んだ、それも老人が多かった
老人は津波のことを経験していない、するとこの辺では津波は来ないという確信にもなっていたから余計にすぐに逃げなかったのである
だから老人で死んだ人が多いのである
ただ正直そういう時とっさに対応するのは本当にむずかしい、考える時間すらないからである、一刻を争うからである、議論している暇もないのである
それで大川小学校では子供が裏山に逃げれば助かったのに先生がそうさせなかったから
死んだともされる、子供の方が敏感に反応したということである
そういうとき何か大人も頼りにならない、分別があるとかなる緊急事態では役に立たないむしろ人間的動物的感の方が役に立つともなる

天使がソドムに派遣され、ヤハウェがソドムとゴモラを滅ぼすことを決定したことをロトに伝える。逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」と指示されていたが、妻は後ろを振り返ってしまい、「塩の柱」となってしまった。

ふりかえるな・・とういときふりかえると恐怖して動けなくなっていたかもしれない
津浪でも逃げていてその津波を見たら恐ろしくて動けなくなるようにもなる
それほど恐ろしいものだったからである、ふりかえらないで一目散に逃げる必要かあったのだ、つまりロトの妻は恐怖のあまりその光景を見た結果、塩の柱になってしまったのである、それは何か緊急事態で身動きがとれず凍てついてしまってそうなることがありうるありえない恐怖の光景を見たらそうなる
だからふりえり見てはならなかったのである

とにかく人間は未知なことに急激に起きることに経験しないことに対処するのがむずかしい、だから社会経験がないニートとか引きこもりが親が死んだときどうしていいかもわからなくなり親の死体といつまでもいたとかなる
どう対処していいかわからなくなってそうなる
そういうことはコロナウィルスでも起きている、このウィルスの正体がわからないからだ専門家ですらわからないのである、すると素人がどう対処していいかわからない
指導者だって政府でもどう対処していいかわからないのだ
そこで恐怖を過度にあおる人もでてくるしマスコミではそうである
恐怖をあおるとテレビに釘付けになり視聴率が上がるからである
毎日感染者の数を報告する、それが日課になりその数で一喜一憂する
ただその数字が恐怖する全部ではないが数字に左右される
原発事故の放射線量でも数字で判断していたから同じだった
ただ数字の本当の実体はわからない、中味はわからないが数字が恐怖になる

でも人間は何か緊急に起きることのすべてに対処できない
ただ台風とかの洪水は毎年起きているから川幅を広くした堤防を強化したりすると防げる現実に自分の家は近くの川が氾濫して二回床上浸水になっている
私の家は街で一番低い土地にあったからだ
去年も台風で水が下水からあふれ床下浸水になったからだ
でも河川改修してからは川からは水があふれていないのである
だから安全になったとなる
それでも津波が川をまずさかのぼってきた、それがわからなかった、急なことで何が起きたかわからなかった、でもこれもすぐ下の方で水があふれて流れ出していたのである
だからこれだって怖いものだったがわからなかったのである
そういうときとっさに判断しなければならないから対処できなくなる
逃げようか逃げまいかとか考える時間もないからだ

ともかくこの辺で起きたことはそういうことでとっさに判断できずに判断を誤り失敗したとなる
ただそういうとき導く人がいると命まで助かる
浪江では町長は政府から東電からも指示がないので自分で判断して津島の方に町民を避難させた、そこは一番放射線量が高かった場所だったのである
それで東電の社員がいて街の方に逃げた方がいいとしてそれに従った人がいた
それが正しかったのである
砂漠を旅した日本人の団体で水がなくなり水を求めた、その時経験していた人が水がある所に導いた、それで命拾いしたとある、導く人が正しい方向に導いた結果助かったとなる聖書ではモーゼに従った民は神に導かれて助かったとしている
そういう緊急事態ではみんなで話し合っていても即決で判断しなければ死ぬのだからできない、すると誰かの判断にすぐ従わないと助からないのである

聖書では危機をいかに脱するかを記したものである
大洪水が来ると言ってノワの箱舟で逃れたこともそうである
それは誰も信じないでノワを笑っていたのである
でもこの世には信じられないことが起きるということを経験したのである
第一これまでも戦争で3百万人も死んだということも信じられないことである
だからやはりこれからも信じられないことが起きる
今まで経験しないようなことが起きる、だからいくら備えてもやはり備えがすべて無駄とはならないがそれでも必ずそれだけはたりなくなり死者も増える

それで阿武隈山地でヒッピーの集団がいて獏原人とかいてその人たちは水道も使わない
電気も使わない、半裸とかで生活していた、原発事故では水道もとまり電気もとまった
でもその人たちはそういう原始的生活していたから井戸水を使いとかでしのいだという
でもその井戸水にしても放射性物質に汚染されていたから本当は原発事故には対処できないものだった、それは津浪より恐ろしいものだったともなる
津波の被害ではやはり水道も電気もつかえなくなり裏山の清水を利用して薪とか木材を使い米をたいたりしてしのいだ人たちがいた、それで何週間かしのいで救援を待って助かったとなる

でもこういうことは東京とか大都市ではできない、水道が利用できなかったらもう水はない、確かに貯えがあったとしても限られている、燃料でも電気がない
そしてお手あげになり死ぬことにもなる
不思議なのは文明的便利な生活は意外とこうした自然災害であれ文明的災禍になると弱いことを知った、車だって使えなくなりガソリンがこの辺では入らなくなり利用できなくなる

すると徒歩とか自転車を利用することになる、自転車でも電気がなかったら電動自転車は使えないのである
ただ電動自転車は一応電気がなくても走れるからいいのである
でも自転車による、バッテリーが切れてもそれなりに走るいい自転車もある
一方で電池がきれると急に重くなって走るのが苦しくなるのもある
そうなるとこの両方の備えがなるのがいいとなる、電池がなくなっても一応走れる
それが結局緊急事態の備えだとなる、なぜなら人力で走れるということはそれで最後に逃れられるということである
車はガソリンがなくなったら使えないからである

だから緊急事態に備えるという時、文明の利器だけで備えることではない、かえって原始的と思えるものが役に立つともなる、ところが都会だとそうしたことができない
それでもう壊滅的被害にもなる、一見無駄と思えることが災害に役に立つことがある
大都会でも空き地があるとそこで延焼がくいんとめられる
江戸時代では大火がありそこで延焼をとめるために空き地を作ったからである
まず都会のように密集していたらどうしても延焼を止められないからだ
つまり空き地は無駄だとなるがそれも無用の用があり人間にとって必要なものだったとなる、何かこれは逆説的である
無用と思えるものでも実際は有用になる、そこに人間社会の問題がある
結局何が有用で無用なのかも人間だけでは判断できないからである
そこに人間の限界がある

posted by 老鶯 at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係

2021年04月21日

エコノミーの原点は家政 (人間は家を中心にして世界をみる)


エコノミーの原点は家政

(人間は家を中心にして世界をみる)

オイコノミアは「オイコス」(Oikos)と「ノモイ」(Nemu)という2つの言葉が一つになった言葉です。オイコスは家庭、ノモイは法律やルール、規則といった意味があります。そこから、オイコノミアは家の管理や家政を指すようになりました。後年にはエコノミーに、国家を意味する「ポリティカル」(Political)という言葉を加えたポリティカルエコノミーという言葉が登場します。

経済の語源がエコノミーが家政だった、いかに家をきりもりするかが経済の原点だった
人間の生活はいろいろあるが基本的に家とか家族とかから波及したものとしてある
人間の原点は家にあり家族にありだからエコノミーでも家政だとなる

とにかく家を切り盛りすることが一仕事でありそれを上手にこなすことは相当なスキルも必要になる
自分のそれを具体的に感じたのは家族を介護するようになってからである
全部家のことをやることを強いられたからである
これまで家族が三人だったが二人は女性で自分の世話をしてくれたし家事もしないし家のこともしていない、だから楽だったのである
それが全部一手に一人でやるようになり家事にはいろいろあるし労力もかかると思った
それは介護を終わってもそうなのである

家があり庭がある、それが家庭だとなるが庭でも花を見たりして水をやるだけでも手間になる、花というのは庭に植えたりすると水をやったり肥料をやったりそのままに放っておけないのである、ただ牡丹だけは放っておいても何十年も同じ場所に咲いているのは不思議である
こうなっていると楽である、一旦今までの花は枯れて切った
でも同じ場所に種が落ちてまた咲いたのである、こんなに継続して咲く理由がわからない他の花は咲かなくなっているのが多いからである
ただ地中に深く根をはったものはやはり咲いている、それは木の花なのである

家を維持するには常に家でも庭でも目配りしている必要がある
あそこに一つの花が咲きまた他にも花が咲いている、それに肥料などやらなくても目配りしている、そこに花が咲いてることを確認することが必要である
だからそうして何もしないで花を見ているだけでも時間をとられるのである
家全体でも特に地震で傷んだ場所がありそれもまだ直していない、十年前の震災のまま壊れたままなのである、その修理を頼んだ今はそういう大工さんはいないから困る
金にならないからやめたとも言っているからである
それで今度は自分自身で日曜大工のようにやれることをしなければならない、これも手間なのである、ただこれは電器製品のように全く何もできないとはならない
それなりに自分自身でもできるものなのである

いづれにしろ家を一人で切り盛りすることは手間だと思った
家が大きいこともある、すると掃除も大変になり汚れたままになっている
そして家はこうしてなにかかにかすることがあり目配りしていなければならない
だからなんか家に使われている感じにもなる
アパートのようだと狭いから一時的な仮住まいのようになるが大きな家は住んでいい面もあるが負担にもなる
ただ人間と家は一体化する、家を活かすのは人間であり人間が住まない家は荒廃してゆくそして空家は幽霊屋敷のようになる、そういう家が増えている、全国で800万軒も空家となる時代である

家は常に目配りして活きてくる、そして人間が目配りできるのは家と庭くらいでその外になるとなかなか目配りできない、内と外があり家が内であり外になると目配りもできない何か人間というのは本質的にそういう生き物なのかもしれない
自分の家だったら目配りして気を使うが家の外になると無関心になってしまう
人間の関心がもてる範囲は狭い、隣すら目配りしない、関心をもつのは狭い家の中だけだとなる、人間はそういう利己的な存在だからエコノミーが実は家政だったとなる

それでグロ−バル化した広域化した経済というのは人間から離れたものとなる
家の外すら目配りできないのに世界となればもう自分自身の関心事とはならない
ただ何か外国と問題が起きたとき関心をもつ、また物でも何か物が入らなくなったら関心をもつ、バナナが入らなくなって困ったとかなる
それ意外は日常的には関心をもてないのである
それは全く自分の手の及ばない世界だとなってしまう、だからグロ−バル経済というのは家の範囲くらいしかじかに目配りできないのだからもうどうなっているのか理解できないのである、株でも何でももう理解できない、だから株でもギャンブルになる
それは機関投資家でもそうなのである、ただ当たりはずれがありそれはギャンブルになっているのだ
もしエコノミーが家政からはじまったときそんなことありえないからである

目配りできる範囲が家と庭くらいである、そこで自分自身が直接目配りできる範囲であり直接愛情をそそぐことができる世界である
それだけ人間の目配りできる直接関与できる範囲が狭いとなる
その他は何か抽象的なものになる、out of sightになってしまうのである
家にしても自分が住んでいる家だからこそ愛着があり所有する意味がある
でも他人の家となると何か無関係になる
そういうふうに人間は本来利己的であり目配りできる愛情をそそぐにしても狭い範囲でしかできないのである
だからグロ−バル経済とはエコノミーからすると全く想像も絶する経済規模でありもうそこには人間の心を通わせることは不可能なのである
そもそも自分の家と庭くらいしか目配りして愛情をそそぐ範囲だからである
その他は抽象的なになってしまうのである
だからこそ人間は家族単位が基本にある、そこで愛情でも培われる
広い範囲だとまた多人数だと愛情をはぐくむことができないからである

経済とはエコノミーのはじまりは家であり家計だったのである
家族単位のものでありそこが経済の原点だったのである
本当に家をやりくりすることは金銭的にもあるし家を維持するためにすることがいろいろあるからそうなる
それで自分自身が家族の介護からそのあとでも家政に追われているのである  

夫である里長は行政上の役割を負って郡衙に出向くことが多く、それに対して妻である里刀自は家を支配する主婦の尊称であったと同様に、里を統率する里長の妻は里刀自と尊称された」とみる
女性が農業労働力として大きな比重を占めたこと、農業経営・管理に従事していたことを認めながらも、 

家は人間関係としての家族、 「ヤケ」は経営拠点を意味する日本語である。 「イヘ」という語で表された古代の家族
吉田孝氏が解明したように、古代日本語の「イヘ」と「ヤケ」の双方を表記する文字として採用された。 

「刀自」からみた日本古代社会のジェンダー
――村と宮廷における婚姻・経営・政治的地位――
義江明子

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家刀自と里刀自かあり刀自とはとりしまるとか戸主とかからきている、とじるというときとりしきるが語源かもしれない、この刀自は単なる一家の妻ではなく共同経営者でもあり自立的女性の経営者とも考察している
そもそも日本の天皇の基が天照大神であり女性なのである
日本では女性が大きな力をもっていた、それは経済的にも夫に従属する社会と違っていたからである
だから刀自というのは何か家から発したとしても里刀自とかなり里をとりしきる役目となる、村の中で人を統率する大きな力をもった女性だったとなる

真木柱(まけはしら)頌めて造れる殿のごといませ母刀自(ははとじ)面(おめ)変りせず(坂田部首麻呂)

家と母か一体化した歌である、家というのはそれだけ人間と一体化するのである
だから前にも書いたが死者は家にいるともなる
母刀自こそが真木柱のように家を支えていたとなる
人間と家は一体化してアイディンティティ化してそうなる、嫁が女+家なのである
それで嫁とならない女性に何か存在感がないのである
アパートとかに住んでいると何か存在感がないのである

ともかく人間の目配りできるは狭い範囲である、その基本となるのが家なのである、その延長として公ュオやけょとなったり拡大してゆく、だから家刀自と里刀自となる、里と言ってもそれは家の延長した拡大したものてある
公(おおやけ)とは大きな家のことからである、一つの家が拡大したものが公となったことでもわかる
その範囲は目配りできる範囲なのである、それがグロ−バル経済とかなる目配りどころではない
それは全く視界の外になり抽象的なものとなりそこではもう人間の心は通じない世界になっているのである
物と心が完全に分離した世界である、ものというときモノが憑くとかにり心と一体化したもが物だったがそれが全く心と分離した物となることが問題のである、そこで異常化した経済となる、世界市場とかなるともう誰もそれを知ることはできない
そこで突然の経済破綻が起きたりする、もう統制できない、目配りもできないあまりにも広い範囲になったからである


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2021年04月20日

各人各様の異常性はなぜ生れたか? (家庭環境の影響が大きい―社会も異常化する)


各人各様の異常性はなぜ生れたか?

(家庭環境の影響が大きい―社会も異常化する)

何か自分自身が異常性に気づいたのは家族が認知症になってからである
姉は看護婦として勤めていたし役所にも長く勤めていた
だから社会人でも正常であり異常とはとても思えなかった
ただ認知症になったのは病気のためだったと見ていた
でも今ふりかえると精神の異常というより何か偏った性格があった
常に自分は優秀だと言い、他者を馬鹿にする傾向があった
その異常性に気づいたのは認知症になってからだが実際はその前に偏った性格があった
自分は常に優秀だといいそれが死ぬ間際まで「俺は優秀だ」こう言って息をひきとった
認知症になって馬鹿になったのだがそういう言って死んだから悲惨だった
姉は何か普通のしとやかな女性とは違う、まず男で相手をにらみ堂々と向き合う
そして全然男でも恐れないのである、男の方が恐れていたのである
もの凄く勝気な女性だったとなる
それはいい面に働けば男のように家を切り盛りできたとなる
やり手の社長とかにもなれたと思う
それで父が十代で死んだとき父親のようになっていたのである
だからその異常性に気づかなかったのである
ただ人間の性格は必ずかたよる、その偏ることが異常性となる

母はおとなしい内気の性格だった、それは自分と似ている、ただそれも異常なものがあった、確かに前の夫も結婚しているし社会生活を普通にしている
でも何か社会性に欠けていた、社会のことが人間の交際がどういうものかわからない
ただ店をしていてそこでずっと仕事をしていた
だから母と遊んだ記憶がない、一日中仕事に追われていたからだ
そうさせたのは家の事情があってそうなった、そもそもそういうふうに仕事に追われていたのは今のように電化されていないから家事でも忙しいからである
洗濯するにもごしごし石鹸で洗ったりご飯をたくにも竈だったとか江戸時代の生活でもあったからだ、たから当時の女性は暇なく働いていたのである  
それで花などいらないとしていたからこれも異常化していた
ただ何か社会性がなく内気でありとても家を切り盛りできる人ではなかった
金持ちだったら深窓の娘とかなっていただろう
一時はそうなっていた、家が裕福だったからである、でもそれは幼児の時でありすぐに会社経営に失敗して一家離散になった
それで苦労の連続となった

悲惨だったのは継母が入ってきていじめられたことである
弁当を作って残したら俺が本当の母親ではないから食べられないのかと言われて投げられた、そして泣いていた、その継母も異常なほど気の強い女性だったのである
その人もなんらか性格の偏りがあり異常性があった
そして最後は大学病院で解剖されて骨だけが帰ってきた
それを引き取ったの母である
その前に養老院に入っていたが何か異常化した、同室の人に嫌われていて妄想となった
眼が見えなくなり何か助けを求めた、そこで母が見に行っていたのである
そして「悪かったな」と母に言って死んだのである
最後は骨となり帰ってきたときそこに人間の厳粛なものを感じた
いくらそうして後悔しても過去はもどらないからだ 
母にしても花いらないというとき貧乏生活が長く何かそうして花をめでる余裕がないことでそういう偏屈な性格になったのは同情できる

もう一人は母親が三人変わった女性である、その変わった理由が継母がきてその息子の嫁とうまくいかない、あまりにも気丈夫なので嫁と合わない、それで息子の嫁は外に出たのである、それは5歳の時である、5歳までは育てられたのである
でもその妻は家を出て他の人と再婚した、その人は裕福だった
だから楽だった、ところが認知症になり世話するものがいず再婚した息子がいて財産争いになった、5歳の時娘を放置して出て行った母親であるが実の母親であり財産をもらう権利があった、ただ本人は認知症になっていたから悲惨である
金を欲しいだけでありなんら母とも見ていないからである

これも最後は悲惨な結果になった
育ての親は「ひどい娘だわ」と自分に言い残して死んだ、幸い介護されることもなくあっけなく死んだから良かった
第一その娘には介護などできなからである、病気の時でも捨てたのだからできない
ただなぜそうなったのかそのことが理解できない、何か貧乏で苦しんだこともない、三人母親がいても良くされたからである
その娘はまた異常化していた、それもは信じられない異常な人に変わっていた
なんら情ももたない、冷酷な人になっていた
ただその娘は別に結婚しているし子供も二人も成長している、大学も出ている
だから外から見たらいい家族だとなる
でもその異常性に気づいたのは私の家にきて「おばちゃんは金があるだから金でめんどうみてもらへ」と血相変えて去ったことである
何もしてくれとも言わないのにそうだった

つまりその女性は冷酷な情もない人に変わっていたのである
ただ私の家とか自分自身のカルマでそうなった面もあるからいちがいに批判はできない
でもなぜそんな信じられない人間になったのかそれが理解できない
その育った環境がそうしたのだろうか?
夫が何かやさ男でやけににたにたしてふがいないものを感じたからその夫の影響でそうなったのか?
何か女性は嫁いだりするとその夫とか家の影響を大きく受けるからなのかとなる
この人はもうとても正常の感覚から相当にはずれている
ただ本人はそういうことに気づいていない
概してどんな人であれ自分の異常性に気づかないのである
でもどこかでその異常性は現れて苦しめられるとなる

そういう自分自身もそうだった、第一30年間も引きこもりとして生活していたことが異常だったのである、またそういうことができたことも異常だったのである
普通だったら家族で許さないだろう、でも自分は何かそのことで責められることなかっただから仕事もせずしたいことをしていたのである
そのことで社会性がなくなり自分も異常化していたのである
そのことに気づかせられたのは家族を介護するようになってからである
介護では引きこもりでも社会とかかわるからである
つまり人間は各人各様に異常が生まれる、ただ異常と正常の差が何なのかもわからないのである
意外と自分の異常性に気づかないのである

その人は技術者として勤めていたときと優秀だった、でも自分で事業を起こして経営者になったときおかしくなった
その家庭自体を事業主になるとまきこむ、またその人は何か養子ではないがそれと似たような感じになっていた、娘と母親の家でありその家風に染まったのかとなる
まずその家はケチなのである、何か絶対に損したくないという感覚である
せこいのである、その原因はあまりにも貧乏を経験した結果そうなった
そこには同情すべきものがある、自分の母親も貧乏だったからとにかく無駄をしたくないのである、だから花などいらないとなったのである
そこの家は何かケチでこりかたまっている、別に損しろときいうまでもなく他人のために箱一つでも持ちあけたくないのである
その前に金をくれとなる、金をもらってからでないと何もしないとなる

そういうケチくさい人が商売するとどうなるのか?

それ相応の金は払う、でもその前にその人は他人のために何かしたくない
ただ成功した経営者と優秀だとして認められることでありそれを目的として事業をはじめたのである
第一自分が苦しんでいる時、借金していたのだから相手の苦しみなど考える余裕もないのである
つまりそういう人に仕事を頼むだろうか?
商売でもただ自分だけが得しようとすることは成り立たないし失敗する
そもそも人が困っている時何もしたくない人が事業などできるものだろうか?
何か人のためにやるのが事業だろう、そういう気持ちが全くない人が事業ができるのか?事業がわからないにしてもそういう家族が成功するのだろうかとなる
それで事業する人は商売人の娘を嫁にしろというときそういう家庭で育つ人だと商売のことが暮らしの中でわかるからだろうとなる

ともかくその人は人に与えたくない、与えてもらいたいとなる人だったのである
だから介護で苦しんでいても金にならないからしないとなる
でも金は自分は払ったのである
いづれにしろこうして家族にも他から来た人にも苦しめられたのが自分であった
そこで人間の悪質性を嫌というほど知ったのである
ただそれも自分自身のカルマだったとなるから相手を批判ばかりはしていられないということも確かだったのである
この人も異常化したのは事業に手を出したからである、会社に勤めていたら別に優秀な技術者として終わっていたのある

ある大工さんも異常に優秀なことにこだわる、本当に他の大工さんより腕はいいし優秀なのである、それがわかるにしても俺はお前より優秀だとマウントして気分よくしている
何か俺が勝ったとか自慢している、それは大工さんとしてまた庭作りもできるから優秀なのことはわかる、でもそれでも一部分で優秀なのである
だからこうして異常に優秀さにこだわる人がいる、それも問題と思う

ただこの異常性を追求ててゆくとそれが個々人でも家族だけの問題ではない、社会自体の異常性がある、現代社会は複雑であり社会自体が異常化する
ナチスも精神病理学の対象であり社会の異常性が作り出したのである
カルト教団とかでもそうである、オウムでもそうだし何らか宗教団体は本来の宗教とは関係ない、精神病理として現れた現象なのである
創価などでもそうである、そこも精神病理学の対象でありナチスとかとも共通したものがある、精神病理学というとき現代社会が病んでいるということである
個々人でも個々の家族でもそうだが社会自体が狂気と異常をはらんでいる
それが爆発したのがナチスでありオウムとかなる、またカルト教団でもそうである
何ら本来の宗教とは関係ない、精神病理学の対象なのである
それが病的なものだからいつかナチスのように社会を席巻して狂気に向かわせることが怖いのである
それが怖いのは個々人なら家族ならそこでとどめられる
そういう狂気の団体は社会をまきこみ大混乱におとしいれられる、現代の戦争は集団的狂気ともなるからだ

ともかく人間はかたより異常化する、第一あることに優秀だとしてもそれは一部分のことである、でもその一部分で優秀でも異常に優秀さにこだわる
そういう専門的なことで優秀なことはある、現代は専門家の時代である
その専門家とは偏った人のことである、だから異常性が社会の中で現れる
40万人がコロナウィルスで死ぬと言った学者もそうである
何か突飛なことを真面目に言うのである、こういうことは専門家時代になるとその専門意外のことは関係なく専門にこだわりすぎてそうなる

それで武田邦彦氏は機械とか物を研究する人間は頭が冷たくなると言っている
それは何か人間の情的なものが失われてしまいあたたかみが失われるからだろう
科学者にはそういう人が多いかもしれない、理系だとそうなりやすいかもしれない
その対象が物であり機械だからそうなりやすいとなる
でも牛馬でも相手にしているとそこに情が生まれる、相手が血の通った動物だからであるそれで馬と結婚した娘の伝説とか語られる、動物でも人間化する
でも機械だとそうはならないのである、ロボットだと情は通わない
知、情、意というとき情が喪失してしまったのが現代にもなる

結局社会が狂っているという時、この現代文明社会を全部理解できる人などいないからである、いくらある部分に専門家になっても社会全体ではそれはほんの一部だから偏るからそうなる、人間は文明社会で全体を生きることができなくなっている
そこでこうした偏った人が生まれてくる、法律を駆使する弁護士でもそうである
そうして理論にこだわると何か異常化している、専門馬鹿にもなる
つまり現代は全人格として成長して形成することが不可能なのである
だから部分化して専門化してかたよったものになりそれが異常性を産むのである


posted by 老鶯 at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2021年04月19日

AI,コンピュター革命で変化すること (対応できないと失業して仕事がなくなる)


AI,コンピュター革命で変化すること

(対応できないと失業して仕事がなくなる)

AI社会でコンピュター化する社会で起きていることが実際にまだまだ実感する人は少ないだろう、これは相当な変化である
社会が大きく変化するとき技術の進歩がある、

捉老 7年の三世一身法から天平15年の墾田永世私有法まで,一般百姓が独力で土地を開墾した例が発見できないことを述べ,これを一般百姓の貧困に帰し,労役が多かったことが百姓困窮の原因であったとする。これに反し,鉄製牒具を豊富に所有していた勢力ある家では,貧弱な農具を不足勝ちにしか所有していなかった一般百姓をかくまい,思うままに躯使しうる好条件におかれていたので,農具の所有関係において貧しい一般百姓は墾田私有の制により一層貧窮に駆り立てられ,自活することさえ困難となって荘園化が進んだと述べている。

[書評] 鋳方貞亮著『農具の歴史』

これはその一例であり農業と農具の関係は密接である、なぜなら稲荷神社というとき稲荷とは鋳成りであり鉄の道具と関係しているからだ
つまり稲荷神社とは鉄の道具を祭ったからだともなる、それだけ鉄の道具は農業の進歩をもたらしたからそうなる

技術の進歩が社会を変えることは歴史を見る時わかりやすいのである、それはいろいろな方面にありわかりやすいのは鉄砲が外国から入ってきて信長が鉄砲を利用することにたけていて全国統一したとなる
最近では中国では麦を鎌で刈り取っていた、人力だった、刈り入れの時は出稼ぎ者きてしていた、でもコンバインが麦をかりとるようになるとそうした人力は必要なくなる
コンバインだと人力の百倍とか千倍との効率で麦を刈り取るからである
その差は歴然としている

このように技術の進歩は社会を変える、コンバインで人力がいらなくなる、するとその人力で働いていた人たちはどうてるのか、出稼ぎの麦刈りはいらないとなれば失業する
おそらくそういう農民は工業化したとき都会への出稼ぎ者となる
20年前には中国では出稼ぎ者の数が膨大に増えた、都会に仕事があるから地方から都会に人は流れた、それが流民ともなった
ある時中国では人の流れが怒涛のごとく起りそれが革命ともなる

その時私は中国を旅したが人間は家畜のように貨車につめこまれるように乗せられて移動していたのだ、実際に鞭で打たれて車輌につめこまれていたのである
それだけの人が移動していた時代があった
その時からすでに中国は高度成長時代へと向かっていたのだ

大きく時代が変わる時、技術も進歩して変わる
それが今はIT革命、コンピュター革命になっている、ただこれは頭脳と関係しているからみんな簡単に理解できないのである
なぜなら蒸気機関車とか飛行機とか車とかこういう道具は庶民でもすぐにどういうものか理解できる、でもコンピュターとかITはみんなすぐに理解できるものではない
おそらくそのためにこの革命はそれを使いこなせるものとこなせないもの、それに触れられないものとの差が大きな格差をうむ
でもスマホは誰でもしているからもうコモデティ化しているから普及したからみんなIT社会の中に組み入れられたとなる
ただ老人はついていけないとなっている

何かこのIT革命で大きな変化が情報分野で起きている
銀行すら実はメデアでありメデアは仲介するものという意味でありそうした仲介するものはいらなくなるのが現代のIT情報革命である
仲介するというときマスコミであれテレビであれそれも仲介するものでありその単に仲介するものが大きな力をもっていた、テレビで報道するのは六局した許可されなかったからである
でも今になるとyoutubeとかでテレビ放送している、無数のチャンネルがプログもあり生まれたのである
それはメデアを通さないで仲介者を通さないで直接報道している
仲介するものというとき出版社とかもそうである、本を出すには個人ではできない
出版社がなければできい、何か意見を言うにも新聞社とかテレビを通さないと言えなかったのである
するとその仲介するものが大きな権力をもつことになったのである

それは今でもグーグルとかがプラットフォームとなり巨大な世界の主要な企業となって利益を手中にしていることでわかる
これも明らかに新しく仲介するものである、だからトランプ大統領の発言まで禁止することができたからである
メデアをもつことは巨大な権力を持つことになっていたのである
それは今までは新聞とかテレビだったのである
テレビに出してくれるとなればそれでたちまち中味はどうであれ有名になったからであるそれで政治家はテレビに出たいとなる、また中味がない俳優でも議員になれた
それはメデアの力であり本人の実力とは関係なかったのである
東京都知事すら何かふざけたお笑い芸人がなったことでもわかる
私は選挙運動はしないとしても当選していたのである
それはメデアを通して知られていたからである 

いづれにしろ日本がこのIT革命に遅れをとったのはこれが何か理解できていなかったからだろう、ただ物造りだけではなくなった世界の変化をつかめなかったのである
私自身がこのIT革命で感心したのは翻訳である
80%くらい正確であることに驚く、英語力がない自分より優れている
英訳することはもっとも日本人にとってむずかしいからである
それが安易に自動翻訳する、それも詩だって80パーセントくらい正確に翻訳しているのである
するとAIの方が人間より優秀だなと思ってしまうのである
そういうことはいろいろな分野で起きて来る
そして人間は失業してしまう、人間の仕事はAIに変わるからだ

人間の仕事は機械化しAI化してコンピュター化すると人間のすることがなくなる
そういう社会になるということに備えねばならないともなる
現実に近くのスーパーのレジも自動化している、意外としてみると簡単なのである
つまりレジの女性はそうなると失業するのである
そういうことがこれからもいろんな分野で起きて来る
銀行がだめになったのはそれがメデアであり仲介するものだったからだというのもそうかとなる、金を集めてその金をためて貸す仲介業者だった
でもそれが機能しなくなったのはクラウドファンディングとかインタ−ネットで直接投資する投資形態が生まれたからである
それで百キロ走れる折り畳みの自転車が欲しいとなりそれに応募すれば開発して売っているそういうことは銀行がしていたともなる
何か有力な事業に金を貸してその利益を得るとなる、でもその仲介業は必要なくなったとなり銀行の役割りが問われる、銀行とはただ金を集めて利子もつけない
むしろ通帳を作ったら手数料をとるとか投資信託とかを売りつけるとかなる
何か地銀としての役割がなくなったのである

こういうとき時代の変化に取り残されるものが出てくる
馬車が鉄道ができて仕事がなくなったとかになる、銀行もそういうものになる
ただこのIT革命とかがわかりにくいのは頭脳と関係しているからだと思う
何か鉄道とか飛行機とか具体的なものとしてつかめないからである
情報社会とは何か直接かかわらないとわからないのである
たまたま自分はワープロ時代がありそこに通信機がついていて通信をしていた
それでその延長としてホームページを作りまたプログをするようになった
ただスマホはしていないから遅れてしまったとはなる

ともかくこれからの時代は教育でも何でも見直すことがせまられる
ITをコンピュターを使いこなすことが必要になる
それは文系でもそうである、図書館でいちいち調べると手間になる
福島県だと福島市に大きな図書館があっても離れていれば利用できない
でも電子化したらどこでも利用できる、図書館は別に場所と関係なくなる
中央電子図書館が一つに情報を集積すればいいとなる
すると専門家でもなくても学者の論文でも自由に利用できればそれなたのものを書けるとなるからだ

ただこのIT革命に日本が遅れをとったのは日本の文化と関係しているかもしれない
日本はもともと村社会がアイディンティティの場であり狭いのである
そこでは対面的に腹でわかるとか話せばわかるとかの社会でありじかに合わないと社会生活が成り立たない、そういう社会だと人と対面で合わないというのは苦手になる
ただ本当のことは心からわかりあえるにはじかに合わないと信頼関係も築けないとなる
自分自身でも何かある場で話しすると話しがはずむし理解が深まる
それで丸森の筆甫で枝垂れ桜がきれいなのを見てそこのばあちゃんにたまたま聞いたら50年過ぎてこうなったのですよと聞いて納得した

その場でじかに立って話する時、本当に理解するのである
それをテレビの画面とか写真とかだけでは理解できない、その場の雰囲気はその場に立たないと実感できないからである
だから情報というのはその場に立たないと実感できないことかある
だから何か起きることはtake placeであり場と関係していたのである
だから「かんながらの道」という場を重視した取り組みには共感するのである
警察の事件の操作でも現場に行けというときもそうである
人から聞くとかしてもその事件の起きた現場に行くことで実感するものがあるからだ
それは歴史でもそうである、その場に立たないと深く理解できないのである
地理は特にそうである、地図を見てもわからない、その場に立たない限りわからないのである

いづれにしろこのIT革命、情報革命は何かわかりにくい、でもそれが現実社会を変えることが起きてくるとき実感する、銀行がだめになったのは明らかに銀行もメデアだったからだとなるからだ、仲介するものであったからだ
その仲介するものメデアが今一番影響を具体的に受けているからである

花は散る―その後に八重桜咲く


花は散る―その後に八重桜咲く

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あやめ咲き顔見せぬ女(ひと)庭に石


花はみな散りにけらしも風うなり時の移りのはやかりしかも

しばしの間残れる花見ゆたちまちに風吹き散らし消えてなしかも

夢なれや一夜の嵐に花の散るなほうなり吹く風の音聴く

ほのぼのと桜散る後八重桜心温かき女(ひと)のあれかし

同じ場に牡丹の種落ちて咲く我が庭に見て栄受け継ぐ

白椿奥にひそけく隠れ咲く心静かに我のみ見ゆかな


二日三日風が強く吹く、嵐もあった、そしてたちまちに桜は散った
桜は散るのが早い、だからどうしても死を連想する
それで特攻隊は桜散るごとく死んだということで死を美化されたと批判がある
本当に夢のように桜は咲いて散る、人間でも60年一緒に暮らして死んでしまいば
一場の夢になってしまう、そんな人いたのかともまでなる
それは家族ですらそうなのである
今年は桜は早く咲きそして風がうなり吹き散った

その後に八重桜がほのぼのと咲く、その赤さが映える
庭には牡丹が咲き朝の光りを受けてまばゆい、この牡丹の不思議は何十年も咲き続けていることである、何か自分の家の庭では花が咲かなくなる、栄養分がたりないのか咲かなくなる、牡丹は大きい花だからこうして咲き続けているのが不思議である
一旦は去年は5輪くらい咲いたがそれが途絶えて種が同じ場所に落ちて別に新しいのが咲いたようである、だから二輪しか咲かないのである

あとは白椿が咲いている、それは奥の方で見えない、何か女性でも目立たない人がいる
性格的に家にこもり顔も見せない、隣とかにもいる、性格的にそういう人は男女でもいるそういう内向きの人は損である、自分もそうだから何か好まれない
でもそういう性格を変えることはできない、見方によれば奥ゆかしいとなる

自分はとにかく人間が苦手である、人と会うのが苦手である、だから引きこもりになったそういう性格の人はいる、それを無理やり外交的にするのはかえって悪い方向に向かわせる、内向的でもその性格にあったことをしていればいいとなる
厥か社会ではしにくいのである、だから自分は学校とか会社とか集団生活するところがあわないのである
一人することがあっている、芸術とか何か一人でできること、創作することがあっているとなる、ただそういう生活を許す与えてくれる場がない、そういう人は引きこもりになるのである
でももしそういう人でも内向的でも才能を開発することはできる
それが自分にはできた、そういうことが許された家庭環境だったからである
普通はこういうことはありえないのである

自分は人間は交際は苦手というより人間嫌いなのである、だから常にイメージしているのは自然であり木とか石とか花とか山と自然の事物とアイディンティティ化することであるそういう詩を書き続けているのである
そこには自然があっても人間がいないのである、人間は自分にとって嫌なものとして何か常に歪んだものとして見える、それで人間と接したくないとなった
ただこれも問題であった、でも性格的にどうしてもそうなるのである、これだ極端化すると異常化することが問題なのである




2021年04月17日

郷土史の問題―岩松氏の悲劇 (郷土の悪いことが語れない、田舎では何代も悪行した子孫が生きている)


郷土史の問題―岩松氏の悲劇

(郷土の悪いことが語れない、田舎では何代も悪行した子孫が生きている)

田舎だと二代三代くらいでも死んだ親とか祖父母とかのことが身近に語られる
あの人はあそこの家の子どもでどうだとか語られる
いい面としてはその親に世話になったとかつづきその子が見られることである
悪い面は一旦悪いことをしたりするとその子孫がやはり同じ場所に生きているから
その子供がその家の人を恨むとなる
恨みがその子孫に残されて継続されるのである

私自身の家がそうだった、わずかな土地だが奪われた、それほど問題でもないとなるが
私の家族はそのことをひどく恨みに思っていていつも言っていたのである
その人は同じ組でもある、その家は今でも評判が悪いのである
だから私自身もそのことがありその家を良く思っていない、でももう当事者は死んだのだからそんなのにこだわるのはどうかとなるがやはり身近にその子孫がいれば恨みが継続される、そういうことで田舎では悪いことをしにくいということがある
村のような狭い場所でみんなが知り合いのような場所とかまるで村自体が同じ姓であり親戚になっているような村もある
そういう村では悪いことはしにくいのである
日本人が比較的悪いことをしない、治安がいいというのはそういう村で生活して来たからだと思う

例えば外国で大陸となるととんでもない広い地域で生活していて領土でも奪い合い、戦争が多い、そこでどうしても戦争に勝った者が支配者になる、階級制が生まれる
奴隷が普通にいるのは異民族同士の戦いで負けた者が奴隷になるからである
そういう社会では厳格な階級制が生まれる、それは歴史として今でも継続されている
本当に民族皆殺しのようなことが行われるのが異民族同士の戦争だった
だから奴隷として活かされるのは人道的な進歩だったというのは意外なのである
なぜなら戦争に負ければみな殺しにされたからである
日本のように戦争でも敵味方塚とか両方を供養することなどありえないのである
それで中国人は敵の墓を暴いてもまで死人まで罰している、刑罰を与える

日本人のアイディンティティというのは500人くらいの村で形成されたのである
だから話せばわかるとか腹でわかるとか複雑な法律などなくても仲裁して平和を保ち生活していた、つまり狭い村とかなるとみんな親戚のようになり争いはできない
親がそうして悪いことをするとその子孫も恨む、その家系が残っているとそうなる
大陸では移動が激しいからその土地から別な土地に移るから忘れられるとなる
そういうことはアメリカとかでもあれだけ広い土地だと移動すればいいとなる
今でもアメリカ人は一定の土地にいつまでも住み続けることがなく移動する
つまり遊牧民的な生活形態になる

具体的な例としてこの辺で有名なの岩松氏の悲劇である、一族がその家臣によってみな殺しにされた、稚児まで殺された、それは余りにも残虐なので歴史に残った
語られつづけた、外部の人たちもそのことをひどいとして知られたのである

ところが鎌倉時代の500年前に起きたことでもその子孫が生きている

その姓を見ればわかる、ある人の家臣の姓は何か祟りがあるとかで変えたのである
それは明確に歴史に残っている、文書として残っている
だからその子孫が生きているということはその残虐に主君を殺したということが今でもわかる、その四人の家臣の子孫はこの土地に生き続けているからだ
ところが相馬地域全体でも岩松という姓はたたれない、つまりそれが歴史の事実を証明しているのだ、その子孫はみな殺された途絶えたからである
だから実際はその子孫がいないのだからここで恨むということはないが歴史的にあまりに人いということで伝説ともなり文書にも記され継続されている
その菩提も墓も寺にある

500年も田舎で生々しいものとしてそうした事実が残るということである
それで田舎では何か歴史の真実が語りににくいとなる、なぜならその子孫が現に生きているとなるとそういうことはなかったことにしてもらいたいとその子孫は500年も過ぎたら思うからである、でもその歴史の現実を消すことはできないのである
ただ津波でこの辺で400人溺死したいうことは相馬藩政記に二行だけ記されていたがそれが知られたのは津波の被害があってからだった
岩松氏の悲劇はその百年前でもあった、その悲劇も伝えられるべきだったが二行しか記されず忘れられていたのである
だからこの事実がいかに重いものとして語られたかわかる

何かこういうことで狭い村とか田舎では田舎の悪いことは語りにくい、郷土史がつまらないのは悪人がいないからだという人もいた
郷土史ではそういう事実があってもいいことしか語られない、田舎の人はみんないい人であり悪い面は語りにくい、それで現実が反映されないものとなりただ田舎はいい人しかいない、悪い人もいるのに語られないのである
それで郷土史というのはただきれいごとであり人間の現実の生々しことが語られないのでつまらないという指摘している人がいた

確かに自分の経験でもそうである、郷土史はきれいごとで終わり生々しい現実が反映されない、また今回の地元の悪いことを自分は書いてきた
でもこれでも地元の人たちにとってはいい感じはしないのである
たいがい地元の悪いことを書いたのは外部の人たちだったからである
補償金のこととか漁業組合だけが原発前も事故後も多額の補償金をもらっていたのであるそれからいかに補償金をもらうためだけで団結するかしかなくあとはその補償金でギャンブルとかで遊んでいたことなどを書かない、書いていたのは外部の人だった
内部の人は書きにくいのである、私はあえて書いたのである
それは自分は30キロ圏外でありそれほど補償金をもらっていないから書けたとなる
でも30キロ内になると三倍もらっているから黙認したともなる

何か人間は悪に興味をもっている、みんな善人ですよとなると物語としてつまらないとなることも確かである、悪人がいて善人がいるから面白いとなる
それでテレビドラマの必殺仕事人はその悪人が征伐することで快感を覚えるのである
郷土史には何かそういう生々しい悪は語りにくい、でも人間だから田舎でもそういう悪人でもいた、でも語りにくいのである
だからきれいごとで終わり真実がないから郷土史はつまらないというのもわかるのである

岩松氏の悲劇の伝説(姓の意味するもの)

2021年04月16日

トリチウムの海への放出問題 (海は誰のものなのか?―漁業組合だけのものではない)


トリチウムの海への放出問題

(海は誰のものなのか?―漁業組合だけのものではない)

漁業権の問題で福島県の漁業組合が事故前も事故後過分な補償金をもらっていた
そのことで地元でも不満な人が多いのである
港に住んでいても全部が船主でもないし漁師でもない、だからなぜ近くの人はそんなに金が入るのかとなる、原発御殿が建つほど金が入るのか?
それが不満だったのである

つまり漁業組合が漁師だけが海は俺たちのものだ!

ここに根本的な問題があったのだ、海が俺たちのものだというときそれは漁業資源の保護のためにとかでありそれを東電に売り渡して補償金をもらうために与えられていないのである

そんな権限が漁業組合にない

むしろ漁業資源の保護なら原発は危険なもので海を汚染するのだから最初から原発を作らせないことが理にかなっている
でも事故前から多額の補償金を東電からもらっていたのである
そして意外とみんな金をもらえればなんでもいいと考える
しかし人間は金の恐ろしさを感じないのである

その金がどういう金なのか?

ただ金は金でありそれがどんな金なのか、どうして得た金なのかを考えない
別に金に色がついているわけではない、でももし紙幣が血にぬられていたとか、人を殺して得た金でそうなっていたとしたら誰も不気味だからいらないとなる
現実にそういう金が相当にあることも確かなのである
グロ−バル化して何かその金が不正で得たようなものが流れある所に蓄積される
それがグロ−バル化経済で目に見えないから余計にそうなる
するとその金がカルマとなり災いとなる、だから今そうした金がアメリカの極一部の人たちに蓄積されている、アメリカの富の50パーセントが数パーセントの人たちに集まっている、それは世界から搾取された金でもある、そういうことでアメリカは大きなカルマを積んでいて自壊してゆくともなる

そもそも海は誰の者なのかとなれば世界中の人たちみんなのものだとなる
それで海を日本で汚染するから中国とか韓国では反対している
でもこれもおかしいのである、中国でも韓国でも原発をもっている、韓国ではすでにトリチウムを日本より海に流しているという、そういう国がどうして日本だけを責めるのか?中国でも原発をもっている、だから一旦事故があれば海だけでない、大気を汚染する
それが黄砂のように日本にも影響する
その時空は誰のものかともなる、つまり自然は一体であり地球は海でも大地でも空でも繋がっているからだ

そこで飯館村が放射性物質で汚染されてそれをつめたフレコンバックが破れ流れ出した
それは川伝い南相馬市にも流れて来るのである
大量の放射性物質は真野川の真野ダムにも蓄積されたのである
だから飯館村は飯館村だけの問題として処理できないのである、回りにも影響しているからだ
このように公害とは地球環境の問題であり一市町村とか一国だけの問題ではないのであるそこに世界的に対応して共通の法律すら必要になる
そさは世界各国で協議する問題であり国連のような場でする問題なのである

だからそもそも原発自体が禁止すべきものだったのである
それが一旦事故になればチェルノブエリとかフクシマのようになる
それが海は汚す、世界的な影響になる、でも日本だけが事故を起こしたからと責めるのは理にかなわない、他の国でも事故は起きるからである
だから原発そのものもを作らないことなのである
それは核兵器とも似ている、アメリカが最大の核保有国でありそれで他の国は核を持つなというのも理に合わないのである
勝手すぎるかち誰も同調しないとなる

いづれにしろ海は世界中の人のものであり漁業組合とか漁師とかの占有するものではないプライベートなものではない、プライベートとは奪うとうい意味があるからだ
一部のものに奪われるたとなる、それは土地でも実際はみんなつながっているから一部の人に奪われて所有されことになじまないのである
共有性と公共性が高いものだからである
地球か狭くなったときどうしても世界的視野で共通のものを志向するようになる
環境問題はそうなる、環境に空や海や大地に国境はもともとないからである
二酸化炭素を減らすとか環境問題が世界のテーマとなっているとき原発の禁止運動が起きないのは理に合わないのである

でも東電は漁業組合に補償すればいいとして終る
本当は海を汚したら世界中の人たちに国に補償を強いられるのである
そんなことはできないからただ一部の漁業組合にだけして終わりとなる
それでも自治体でも風評被害とかいろいろ被害がある
漁業にたずさわる人たちだけのも問題ではない、でも何か漁業組合だけが被害だとされているのである、そこを補償して終わりだとしている
結局世界の人たちに補償金を与えることなどできないしそれで漁業組合だけに補償金を与えて終わりにしようとしている、それも問題なのである
それは世界の被害であり日本だけの国の被害ではないからそうなる

だから中国でも韓国でも日本全体の漁業組合でも自治体でもかかわるべきものなのであるそれで大阪でトリチウムを流してもいいというのは評価されている
つまり福島だけの問題ではない、日本全体の問題として引き受けるとういことである
でも瀬戸内海の漁師からすると反対だとなるから勇気ある発言とされたのである
どうしても風評被害がでてくるしいい感じがしなくなるからである
トリチウムでも他の放射性物質も交じっていて危険だと言う人もいるからである


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2021年04月15日

朝桜、春の草、里の春、牛と春草 (春の日に原町を自転車で回る―俳句十句)


朝桜、春の草、里の春、牛と春草

(春の日に原町を自転車で回る―俳句十句)

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雨しとと残る花散る常の道

朝桜車行き交い六号線

朝桜映えて海見ゆ鳥の飛ぶ

蝶一つ紋あざやかに目の前に

チューリップ原町の通り店多し

山桜そちこち映えて風の鳴る

(牛)

牛のいて春の草食(は)う木の根っこ

タンポポや牛草を食(は)うゆっくりと

菜の花や外に放ちぬ牛二頭

草を食む牛の二頭や春深む


春耕や街の郊外広しかな

春草や家新しく畑かな

牛のいてニワトリも鳴く里の春

昨日はちょっと雨だった、すでに近くの桜はほぼ散った、それで余花になる
川子の坂で山鳩が猫に襲われていた、その時自分が来たので猫は逃げた
山鳩は血を流していた、猫は結構鳥を襲う、鳥もねらわれているのがわからない
これも残酷だともなる、ただ鳩をなぜかエジプトで食べている
日本人が好物だというのも不思議だった
外国通の人が増えたからそうなる
鳥は飛べなくなったらもう死ぬほかない、敵から逃げることもできないし餌をとることもできない
人間も実際は人間としての機能を発揮できなくなったら死ぬほかないともなる
ただ人間の場合は簡単に動物のように見れないから問題なのである

原町というと何か何度言っているけど相馬市とは違う感じなのである
モダンな近代的都市となる、ただ今日チューリップの写真をとった通りは昔の浜街道なのである、現代の通りは六号線の方に移っている
でもそれなりに店はある、でもやはり六号線に道の駅がありそこに行くとなる
原町にはどうしても買い物に行く

前に写真にとった、牛二頭がいた、郊外であり前は寝そべっていた
今回は草を食んでいた、何か牛を見るとどっしりとして安定した感じになる
何か自分の牛の詩がずいぶん読まれていることが不思議である
光太郎の牛の詩として読んでいたのである

牛二頭寝そべり静か秋深む

こんな句を作ったと思う

何か動物でも身近にいるとそれが精神に影響する、牛を見ていると人間自体もどっしりとしたものになる、だから動物と身近に接していた時代は人間は動物化した
動物の面をかぶんたり動作をまねたり踊ったりして動物と一体化するのである
だからニワトリでも籠に飼われて卵を産むロボットにされるときそれはまた人間もロボット化されるのである
そこに自然な生はなく動物はそれぞれの天性をもったものを活かせないとなる

とにかく原町の郊外は広い、だから街も広いが田畑も広いとなる
それで前は5万くらいの人口があった、土地にそれだけ余裕があるからだ
原町くらいだと一人暮らしでも楽である、便利なものが一通りそろっているからだ
ここでは弁当屋もなくなったから食事を作るのがめんどうなのである
ただ原町まで自転車で近いからいいのである
今はみんな車で行くけど自分は車がないから困るのである
ただ自転車者は自然ととけこむのである
まず車だと風を感じない、春風でも感じない、すると自然を感じないのである
その差も大きい、ただ目的地に行くのには車がいいとなる

丸森まで行ってなにか今回異常に疲れた、4,5日過ぎても筋肉が痛く疲れていた
だから年齢的にかなり自転車で行くのが苦しくなったともなる
運動した後に二三日過ぎてからでも筋肉が痛くなったり疲れるのである

Japanese cherry blossom abstract painting

Japanese cherry blossom abstract painting


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Nara is the ancient capital of Japan, older than Kyoto, Heijo Palace.

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2021年04月13日

桜の短歌連作(思い出す旅の短歌)


桜の短歌連作(思い出す旅の短歌)



今朝見れば風の荒しも花は散り残れる花をなおゆすりけり

桜花一時映えて散り惜しきうなれる風や無常なるかな

星いくつ夜の桜にきらめきて清しも一時散りにけらしも

美しくきらめき星のいつくかな花のにおうや若き日にあれ

世の中のうつろい早し風あらく散りにし花や命かえらじ  

朝明けて沖に船見ゆ桜花新地の山に映えて美し


散る花のなおも尽きじも大阪城夕陽の赤く栄短し

霊山城一時夢や落ち延びし武者や夕べに花の吹き散る

丸森の桜やあわれ夕暮れて峠を越えむ相馬に去りぬ

阿武隈川流れ渦巻きそのたもと満開の桜吾妻峰も見ゆ

青葉城石垣反りて燕飛び川のひびきて桜咲くかな

筆甫なる奥深きかな謂れある桜の古りてたずぬ人かな


(千本桜)

千本の桜の散りぬそのあとに訪ねてあわれ虚しく帰りぬ

この世とは夢にしあれや千本の桜も散りぬ何を残さむ

優艶に枝垂れ桜や池映し御所も近きに今日の日暮れぬ

瀬戸内や桜の中を電車行き海そ映えにき船も行くかな

海に向き椿の赤し瀬戸内の島々めぐり沖に船行く

春の日や海峡狭く大船の汽笛を鳴らし迫りて去りぬ

韓国へ渡りてなおも慶州に桜咲くかなともに栄えむ


瀬戸内や常夜灯に落椿

瀬戸内に海田とあれや桜咲く 



桜前線の短歌(北から南へ)

桜前線の短歌―鑑賞



今日桜を見たら散っていた、風が荒く吹き付け散っていた、残れる花があり風がしきりにゆすっていた、桜もこの辺では終わりとなるのがまだまだ北の方では桜が咲いている
稚内では6月でも咲いていたからだ
ただ桜という時、やはりこれは山桜だと自然の桜であり万葉集で歌われたのは山桜である桜が本当に愛でられたのは江戸時代からでありそれはソメイヨシノとかであり山桜とは違っていた、山桜とソメイヨシノとかではかなり違ったものになる
ただ色合い的にはソメイヨシノとかが色が濃くきれいである
山桜は白いので色は単純だからである

大阪城の桜が一番印象に残ったが次に京都の桜も印象に残った
枝垂れ桜が優艶に池に映していた、そこが御所の近くだったのである
まさに京都らしいとなる
次に青春18切符で瀬戸内海を行き韓国まで行った、そのとき延々と桜が咲いていた
それは韓国までつづいていたのである
古都の慶州にも桜が咲いていたからである

東北の桜というとき霊山から相馬市の方へ下る、その桜が印象的だった
霊山が炎上して南朝の落武者が逃れた道である、だからこれも何か桜という時歴史と関係している、その時逃れた落武者がこの辺の先祖となっている


ここで桜前線の短歌を出していた、桜の短歌は相当に作ってきた、それらをまとめれば一つの歌集になる、でもそれをまとめること整理することが大変な作業になっている
そういうことで整理することが今は仕事になっている

桜という時、旅して思い出すのである、一番印象に残ったのは大阪城跡の桜である
あれだけは忘れることができない、あの大きな大阪城跡に桜が尽きず散っていた
その時夕陽が赤々とかがやき沈もうとしていた、それが何とも言えぬものだった
それは単に自然の中で見た夕陽とも桜とも違っている
大阪城に西の栄が集中していて歴史がありそれで自然の中の夕陽とは違っていたのであるそこには秀吉の栄華があり人間的なものが反映しているから違って見えたのである
あのように見えることは他ではない、東北とかなるとそれだけ栄えたということがないからである、そういう歴史が東北にはないからである
城にしても小規模でありあれだけの大規模な城はないからである

それから桜で見ごたえのあるのは白石の千本桜である、ここの桜は見ごたえがある
桜の木も相当に古いものだからである、東北と言えばここの桜である
それでそこまで自転車で行ったことがある
ところがその時千本桜にたどりついたときみんな散っていたのである
せっかく遠くに来たのに散ってしまったことが残念だった
でも何かそのことがかえって印象に残っていたのである
あれだけの桜を見にはるばる来たが散ってしまったなとなり印象に残ったのである

今回は丸森の筆甫の桜が印象に残った、奥深い所に南朝ゆかりのウバヒガン桜が咲いていたからだ、それは南朝ゆかりのもので親王桜という名がつけられていたからだ
それから金山城の桜を見て帰ったのである

もう一つ絶景ポイントとして阿武隈川をさかのぼり梁川の方面に行く所に満開の桜が咲いていた、そこで川が曲がり流れがたぎる場所である、そしてそこから残雪の吾妻峰が見える、そういう絶景ポイントがある
そこは桃の花も咲くからいい場所なのである
この絶景ポイントを知っておくべきである
車をもっていたらそこに楽に行けるからである、自転車だとなかなかむずかしい
今回は何か体力が衰えて体中が痛くなったからである

桜という時どうしても散り安いから特攻隊のようにいさぎよく散る象徴になったのであるそれは戦争のためにそうなった、それを批判する人がいる、桜が戦争のために利用されたとなるからである、そんなふうにして桜のようにいさぎよく若くして散るのが美しいと死が奨励されたからである
でも若いならそういうことはない、生きたいと思うのが普通である
ただ桜はそういうふうになりやすいのである、咲いた時からもう散ることを予感する
だから静心なしというのが桜なのである

とにかく日本は桜の国である、桜はどこでも咲き日本の美となる
それでもこれだけ旅しても桜が見れないのは見る時期が限られているからだ
二週間くらいで散ってしまうとなると全国に咲いても桜は見れないからだ
私はいくら旅したとしても桜を見るのは限られている
でも西の桜を見て西の桜が散ったら東北に帰って咲く桜を見たのである
桜前線をたどれば一か月くらい桜は咲いているのである
桜はやはり車があると全国の桜を見やすい、そういう人にあったからである
退職して夫婦で桜を見て回る人が井田からである








2021年04月12日

トリチウムを海に流すなという漁業組合の矛盾 (補償金を上積みさせるために言っているのか)


トリチウムを海に流すなという漁業組合の矛盾

(補償金を上積みさせるために言っているのか)


まず漁業組合のことを批判してきたけどいくらトリチウムを海に流すなといってもそれが説得力がないのである
なぜなら何度も指摘してたように事故前からも補償金として多額な金をもらっているし事故後もまた補償金が上積みされる

またトリチウムの海の放出で東電と交渉して補償金を上積みさせるのか?

何かそう漁業組合では思っていないにしろ現実問題としてそうなっているのだ
もともと漁業だけではやっていけないとか農業だけではやっていけないとかなっていた
そこに原発を誘致して補償金をもらえばいいとかしかなくなっていた
でも港でもみんなが補償金をもらえるわけではなかったのである
それで
周りの人は船主に不満だったのである、それから浪江の復興住宅にいる人が請戸の漁師とかの人たちが10億円もらったとか言っていた、その人も結構もらっているにしても漁業組合とはそれだけ多額の金が入る団体となっていたのである
海を漁業組合のものとして他は関係ないとして多額の補償金をもらっていたのである
原発御殿も建っていたとか地元の人が陰でみんな言っている
実際に請戸の人が病院に入院してきたとき特等室に入り家を建てる、それも豪邸を建てるとか豪語していた、それだけ漁業組合とかには補償金が事故前も流れていたのである

要するになぜこうしたことが起きてきたのか、それはまず金をもらったということなのである、何か金というのは責任なのである、具体的な責任でありカルマとなっている
でもみんな金をもらえれば何でもいいとなっている
金になるとなればみんな目の色を変える、それがどんな金でもいいとなる
ただ今になって何か変だなと気づかされたのである
普通だったらトリチウムを流すな魚が汚染されるからとなる
そうしたら俺たちの飯の食い上げだとなり反対するのが当然であり回りでも認める
それに何か批判する人はいないのである

それがなぜ矛盾して来たのか、そんなことを漁業組合で言えるのかとなった
それはすでに多額の補償金をもらっていたことにある
つまり金をもらったことが責任となっていたのである
もし事故前に金をもらっていなかったら事故後ならそういうことが主張できたかもしれない、でもあなたたちはすでに補償金をもらっている
トリチウムを海に流すなといってまた補償金を上積みさせるのか、そのために反対して交渉するのかと見られるようになったのである
ただこれももし自治体全体でその補償金でも分配すればなにもいわない
なぜ漁業組合だけが船主が破格の補償金をもらえのか、今頃魚が汚染されたからと言って騒ぎまた交渉して補償金が漁業組合だけに船主だけには過分に与えられるのである

だから海とは誰のものなのか?そのことが法律でも明確ではないのである
資源の保存のために乱獲しないように漁業組合で調節するという趣旨からはずれてしまったのである
その海が自分たちものでありそれでもって東電とか国と交渉する
そうして補償金をさちに上積みされるのだから何も困らないともなる
原発はこうして様々な利権のための装置となったのである
除染にしても6兆円とかの金を使いそれは別に地元に回ったのではなくゼネコンに回ったり暴力団に回ったりした
何か原発とは湯水のように金がでてくる装置だったのである
それは国がかかわっているからまたそうなっていたのである
国ならいくらでも金がでる、でもそれは国民の税金でありそれで原発乞食とか言われるようにもなる、ただ補償金をもらうために福島はあるとかまで見られる
福島県のイメージが悪くなったのである

原発とはあくことなき人間の欲を刺激するものになっていた、そもそも原発など必ずしも電気が必要でもなくても電気は作れるものだったのである
ただここにはアメリカとか国の圧力があり核兵器の準備として作ったということがあり
日本だけの問題でもなかった
これは漁業組合だけではない、除染を請け負った地元の会社でも億単位の金が会社の幹部に回っていたのである、それで警察に除染費用を不正使用で調べられ逮捕された人もいた

でも不思議なのはその会社の宣伝をしていたのが「政経東北」である
これもわからないのである、その除染費用でおおもうけした会社から宣伝費として金が「政経東北」に流れていたとなる
政経東北は福島県の不正を追求してきた、だからそういうことはないと思っていた
でもこれは理解できないのである
つまりこれも金が欲しいとなり矛盾してくるのである
第一マスコミでも何か偉そうなことを言って上から目線でまるで国民をこうすべきだと指導するように放送する、それは必ずメデアは装置が巨大で金がかかるから宣伝費で成り立つ、するとそうした宣伝費を出す会社でも何でも金を出す方が優位になるのだ
ただインタ−ネットとかなると別に金をもらえなくても無料でもやれるから自分でも追及しているとなる
その影響力は微弱でも報道でも批判でも一応できるからである

ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることだ
それ以外のものは広報にすぎないージョージ、オーウェル

何か不正を封じれば報じられた会社でも人でも打撃になる
でもそれをマスコミでもメデアにさせないようにする
そのために宣伝費を払う、その金で金を出す会社の批判させない、報道させないようにする、それが今までもマスコミであった
でもインタ−ネットになると誰でも報道できるから抑えることができなくなったのである第一福島民報などでも確実に広報なのである
何か報じなければならないことを報じない、原発で10メートル以上の津波が来るといことを
科学者が警告したことも報道したのかどうかわからない
福島民報は本当に県の広報である、何故なら県で半分の資金を出資している株をもっているからである、また創価の聖教新聞をすっているからである
他でもそういうことはある

原発を拒んだ町―巻町の民意を追う 単行本   1997/10/17
新潟日報報道部 (著)

ここでは違っていたのである、ただこれはまれなことでありメデアはマスコミは肝心なことでも報道しない、NHKでもそうなのである
NHKの問題は宣伝費で成り立たない、国民から金をもらって報道しているのだから別に会社に忖度しなくてもいいが実際はそうでない、こうして肝心なことが報道されないと
原発事故でも大被害になり国民が地獄の苦しみを受けることなるから問題なのである
福島県でももし10メートル以上の津波が来るから備えろということを大々的に報道していたら危険を事前に知っているから逃げて命が助かった人もいたかもしれない
まず相馬地域だと津波が来ないと確信する場所になっていたからである
そうなったとき東電はありがたい、東電に命が救われたとまでなっていたのである
だから正しい事実の報道することは必須なのである
でも現実にはそれが報道機関でなされていないのである

要するに今の社会はすべてこうして金で歪められるのである
いくら正論を言い批判しても金をくれるところには忖度して批判しないのである
実際に自治体が漁業権をもっていてみんなに補償金でも分配する、そうなると自治体の全員が責任者になり何も言えないとなるのである
今回は漁業組合とか船主が破格の補償金をもらっていたから批判されるようになった

烏崎の港などは零細である、でも二回補償金をもらっている
最初は東北電力の火力発電所が建てられたときだった、そこで補償金をもらった
そのためにハワイであれヨ−ロッパまで旅行していた人がいたのである
その頃はまだ海外旅行は航空運賃が高くてできない、50万とかしていたので自分はできないと思っていた
それで貧乏人はロシアのシベリア鉄道回りでウラジオストックからヨ−ロッパに行っていたのである、そういう人と外国で出会ったからである
またその時近くの呉服店では高い着物が売れていた、それで団体旅行に招待されていたのである、それだけ火力発電所でも金が入る場所だったのである
それも漁業関係者は特別に多額の補償金が入っていたのである
次に原発ができてさらにまた補償金が入っていたのである
でもその人は父親が船に乗って遭難して死んだと言っていた
漁業というのはそれだけ危険なものであり今でも遭難して死んでいる人がいる

まだ農業でもそうだが漁業でも別に地元の魚がとれなくても困らないのである
地元の魚だと新鮮でうまいからありがたいとなるが魚は今や全国から世界からでも入ってくる、輸入品が多くなり地元の魚ではないのである
だから別に地元で汚染された魚を食べるより他からの外国からの魚でもいいとなるのである、そういうことがグロ−バル広域経済がまた大きく社会を変えてしまったのである
もし外から食料が入らなかったら昔は飢饉となり餓死していたからである
今はそういうことはない、でもそうなると地元のありがたみとか感じなくなる
この魚は地元の人が命がけでとってきたものですよ、だからありがたく食べなさいということでも納得する、今はそういうことを感じないのである

でも本当にこの辺が放射性物質で汚染されたとき外から物資が入らなくなったのである
これは危機であり南相馬市長が外部に世界に訴えたことでもわかる
つまり外部から食糧でも物でも入らなくなったらもう生きられないのである
それで二週間くらいはありあわせのものでしのいだ
でも米もなくなったとき地元で古米を配ったのである、その時命をつないだとなりありがたいと思ったのである
だからグロ−バル広域社会になると外から物資が入らなくなることが一番怖いのである

結局トリチウムでも海に流すほかないのかもしれない、別に地元の魚を食べる必要はない新鮮な魚を食べられればいいが外からいくらでも入ってくる
もし江戸時代のように昔のように地元の魚しか食べられないとなるとそうはいかない
なんとか魚を食べたいとなるとき切実なものになりそうはならないのである
だから別に漁師でも魚をとらずに東電から国からでも補償金で暮らせばいいとなる
その時漁師がなぜ私はここにいるのかと自問した
それもまた矛盾だったのである、漁師はすでに漁師ではない、東電に雇われた社員の一人となっていたのである
また自治体でも東電の力を大きくなりそれに所属するにうにさえなる
それだけ東電とかは巨大な企業でありその影響は事故になって判明したのである

いづれにしろトリチウムをどうするのか?その答えを出すのは今でも漁業組合と東電だけになっていた、でも最近は全国の漁業組合が関係してトリチウムを流すなとなる
それは海は広いからどこでも影響するからである、全国の漁業組合となると別に補償金はもらっていないからそう主張することは誰も批判しない
でも多額の金をもらっていた地元の漁業組合はトリチウムを流すなというのは誰もそのことを容認する人はいない、また補償金を上積みさせるために交渉しているのかとみるからである
だから金というのは責任でありカルマとなるのだがたいがいそうはみない
金をもらえればいいとしかないのである
そういうことは別に漁業組合だけではなく全般的に言えたことなのである






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2021年04月11日

歴史とは家を基本として伝えられたもの (家々に歴史がありそこから地域でも探る)


歴史とは家を基本として伝えられたもの

(家々に歴史がありそこから地域でも探る)

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丸森の筆甫の家ーばあちゃんが語った家



歴史という時何なのか?基本的には家から歴史が始まったという時、なぜそうなるのか?親がいて祖父母がいてそれで何か受け継がれるものがあり歴史が生まれる
その基本は家族だとなる、家族が歴史になり家が歴史になる
そもそも家が歴史だというとき国家自体が家族が一族となり拡大したものである
日本だったら天皇の歴史となるときそれは天皇の家族の歴史が日本の歴史とまでなっている、これは特殊でも家族が中心となって歴史がったということになる
平氏とか源氏でも一つの家が拡大化したものである
江戸時代の御家中といったのも家が拡大したのが藩になった、相馬氏とかでもそうである聖書でもアダムの子孫というとき代々ある人を神が選び家族となったがその家族が代々伝えた者でありそれが歴史となった
神が現存したことをその家族が伝えたものである
だから神がアブラハムを祝福したということでそれが信仰の基となったのである

人間はその生まれた家族とか家とかに一番関心をもつ、そこが人間として育つ原点だからである、だからそれぞれの家な成り立つことが歴史である
地域でも一軒の家がどうして成立ったのかということが歴史である
そこにはみんな違った事情があり歴史がある
だから丸森の筆甫で最初に出会ったばあちゃんが枝垂れ桜のことを語った
それは50年過ぎた木だったのである
50年前に植えた木が50年過ぎてあのような美しい枝垂れ桜になったのである
木がこのように育つには50年はかかるのである
それで古い家だと庭に古い木がある、その木は50年とか普通であり百年とかありさらに長いともなる、そういう家は古いとなるのである

ただ筆甫のばあちゃんの家は丸森が木材が豊富でも古い家の木材を利用していた
50年前以上となるとその頃外材ではなくまだ国内の材木を利用していたこともある
丸森というと江戸時代に伊達藩、米沢藩、相馬藩で三つどもえで木材資源を得るために熾烈に争っていた
だからさそれだけ木材資源が豊富なのになぜ古い家の木材を利用したのかとなる
それだけの金がなかったからだとなる、いくら木材が豊富でも山持ちでもなかったとかなる、ただその家が50年前に家を建てたのかわからない
でもそれだけ豊富な木材があるのに古い家の木材を使って家を建てることしかできなかった、つまり金がなかったからだみる

なぜなら自分の家は50年前でも地元の木材を利用して二階だての家を作ったからである
その柱は地元の木材であり柱もそうでありそれで姉はいつもそれを自慢していたのであるまさに大黒柱だったのである、大黒柱というときまさに家を象徴しているのである
私の家は古いとはならないにしても戦前からこの地に来ていた
もともとは葛尾村出身であり次に双葉の新山で酒屋に勤めていて暖簾分けしたのである
だから戦前からの歴史があるがそれでも農家だと江戸時代からつづいているから新しいとはなる
ただそれでも三代くらいつづいたとはなる

そしてなぜ自分の家がここに建ったのか?この土地は実際はいい土地ではなかった
町内で一番低い場所にあり二回も川が氾濫して床上浸水していたからである
前の家はトタン屋根のみすぼらしいものだった、それで二階建ての家を建てたのである
それは川が氾濫したとき逃げるためにまず二階建てにしたのである
最初の台風の被害のときは逃げる場所がなくて近くの二階建ての家に逃れたからである
九死に一生を得たからである
つまりそういう歴史がありそれで姉はいつもその地元でとれた木材で柱をにしたのを自慢していたのである

天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

こんなふうになっていたのである、そういう歴史が家々にありそれが歴史の原点だというとき歴史は実際は身近なものである、何も特別有名な歴史的人物のことではない
個々の平凡な庶民の中にも歴史はある、そもそも人間ならみんな歴史がある
親がいて子供がいるというときそこで二代でも歴史が生まれているからだ
いづれにしろその土地の歴史を知るという時、個々の家の歴史を知ることが何か実感する歴史になる
原発事故では町や村から若い世代が流出したとき町や村の歴史が消失する危機になった
なぜなら老人だけが取り残されたからである
するとその家だけではない土地の歴史すら失われるという危機になったのである
もう流出した人たちは故郷の歴史より自分たちが生きる場で歴史を作ることになる
第一孫にあたる人たちも別な土地で生きるから故郷は移り住んだ場所の方になるからだ
そこで歴史が断絶することも大きな問題になったのである

そうなるとじいちゃんでもばあちゃんでもこの家は苦労して建てたんだ、そういうことを何度も言って自慢することもできない、つまり祖父母の存在感ももてないのである
第一孫も別なの土地に移り住んで祖父母の家に住まないからである
ただそうして歴史の継続がなくなることは別に原発事故の周辺だけではない
膨大な空家化する日本で起きていることである
大原のS氏の家は代々の農家でも死ぬ前にすでに息子は市内に住んで農業を継がなかったからである、そこは今は空家になって誰も住まないからである
何かこうして歴史が継続しなくなったのが現代である

でも古い家には古い木があるというとき人間の実りとなるとやはり50年とか代を重ねないと実り生まれないとなる、とても一代では実りにならない、つまり実りをもたらすのにはこの枝垂れ桜の木のように最低でも50年はかかるのである
それで老人になると何か木を植えて花を咲かせようとするが10年先だとなるとしたくなくなる、だから老人には復興できない、海岸の松が津波で流されたがまた松の苗を植えた
それが大きくなるのは50年後だとかなるともう見れないのである
何か復興というときそれだけ長い時間がかかるということである
それだけの大被害だったからである

ともかく郷土史でも一軒一軒の家が実は郷土史なのである、どうしてその家が成立ったのかを知るとそこからその地域の歴史がわかってくることがある
ただ家でも古い家の歴史を知ることがその地域の歴史を知ることになる
ただ二代三代の家の歴史がないにしろそれでも歴史になる
動物は一代で終わりでありただ種として生きて終わりである
でも人間は歴史的存在であり代々伝えられるものの中で生きる
その歴史が失われるとき何か重大なことが失われるともなる
家にもこうしてそれぞれ歴史がありそこで伝えられものがありそれが消失するとどうなるのか?
今だけを生きることになり何かとても積み重ねられたものとして実りがなくなる
一代では何でも芸術とか学問でもそうである、一代では木が成長するのに50年かかるように昔だったらそういう生業にたずさわっていたから気が長いし家を継ぐことが第一とされたこともわかる、家を継ぐ長男が大事にされたこともわかる
50年で木が育つとなればとても一代だけではその木を利用することもできないからであるすると次の代のものがその実りを得るとなるからである

家の歴史は二代だけでも百年とかなる、それに比べると会社でも団体でも組織でもなかなか百年つづくものがないのである、会社だったらもう20年30年で終るとかなる
50年もつづくということは大会社でもなかなかなくなるとういことになる
時代の変化で技術が急速に代わりグロ−バル経済の中で高度成長の日本の電器産業が衰退したようになる
歴史とは継続であり積み重ねなのである、人間は一代ではとても何かを達成することができない、代々努力を積み重ねて実りが生まれるからである
だから農業でも新しく始める人は相当に苦労する、親が残した田畑だとそこにはすでに土も作られていて豊かな実りをもたらすように備わっているということがあるからだ
農業でも一から始めるのは相当な苦労を強いられるからである
それは何でもそうである、技術でも必ず積み重ねがありその上に新しいものが作られるからである

この家は百五十年ぐらいたつと思います、天保年間にここから三軒目から火事がその時
焼けて、その年は危機が流行って父親を亡くしたんだって、そしてその時ここの門吉っていう養子が家を建てられなくなくて、浜にニシンのカスをとるための大きな小屋があったのをここにもってきて、仮にこの家を建て替えたんだそうです
だからこの家は本当の家ではなくて屋根も小屋作りなんで、屋根屋さんが上さあがってみさばわかるんだって、その門吉というっていう人がそれこそ大変な苦労して建てた家だしおじいちゃまや主人が大事にしてきた家だから、大事にしねばまいねえと思っているんです
(大黒柱に刻まれた―家族の百年ー塩野米松)

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何かこうした苦労話しが必ず家々にある、だから祖父母でもまた親からもそれを延々と聞かされる、それだけ言うのは苦労したからである
何にも苦労しないで家を建てたとしたらそういうことはないからである
そうした苦労があってその家にも価値が生まれているのである
だから歴史を受け継ぐということはそういう先人の苦労を知るということでもある
それが歴史が断絶すると失われるのである
何か重大なことでも伝えられずそれが後の災いにもなる、津波などがそうだった
400年まえに相馬藩でも津浪で700人死んだけどそれが伝えられなかったからだ
ただ文書に二行だけ記されているだけだった、忘れられていたからだ
そういう先人の苦労を知るべきだとなる、疫病でもこれも実際は絶えず被害があり恐れられていたのである、だから八坂神社とか何か神社は疫病を防ぐものとしても祈っていたのである

2021年04月09日

丸森の春の金山城ー人間と山が一体化する山城の魅力


丸森の春の金山城ー人間と山が一体化する山城の魅力

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茶室が城にはある

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引地氏の墓か

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パノラマ写真
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金山城上り来たりて侍の茶を飲み絆強めにしかも

我が上る金山城へと上る道延齢草とカタクリの咲ぬ

金山城絆の強く守りかな岩に根を張る木のごとしかも

金山城すみれあまたに巌かなここの守りの堅くもあるかな

人と人ここに面して金山城契りを交わして戦いいどむ

夕風に花は散りにき藪椿赤くも映えて金山城かな

重々し蔵王迫りて威厳かな金山城にそ春に望みぬ

藪椿蔵王に向きて赤々と咲きて暮るるや金山城かな

伊達の領望む山々広々と平野拓けぬ春に望めり

侍の厳つき面や金山城ここを守るとその構えかな

金山城刀に兜武具そろえ侍の意地ここに残りぬ

もののふの城は命や石垣の残りて堅く桜散るかな

夕日さし桜映えにき金山城我は去りゆく相馬の方へ

鶯の警戒音のみひびきつつ山深く入り他に聞こえじ



伊達政宗が初陣を飾った城として知られ、江戸時代には伊達21要害の一つとなった城。
戦国時代、陸奥伊具郡は伊達氏と相馬氏との激しい争奪戦の舞台となり、陸奥金山城は相馬氏の境目の城として永禄9年(1566年)頃に相馬家臣・井戸川将監と藤橋紀伊によって築かれたとされる。
天正9年(1581年)からの伊達輝宗による侵攻の際には伊達政宗が陸奥金山城攻めで初陣を飾り、輝宗は天正11年(1583年)に丸森城を攻略、その翌年に陸奥金山城を落として伊具郡は伊達氏の領有となった。
輝宗は陸奥金山城攻めで功のあった中島宗求を2,000石で城主に任じ、以後陸奥金山城は代々中島氏が城主を務めることとなる。

中島宗求
https://michinoku-ja.blogspot.com/2014/08/blog-post_14.html


最初に城を築いたのは相馬氏でありその後伊達市が城主となった
ここで城をめぐってせめぎあいがあり後で和睦した
ただとういう戦いがここで成されたのかわからないがここで確かに戦闘があった
山城の魅力は山自体が一つの城となっていたことである
私は何か自然と一体化することで詩で追求してきた
山でもそうである、樹とか石でもそうである、人間の精神と一体化するアイディンティティ化することである
それが山城に惹かれる所以である、ただ山城はなかなか見れない、隠されてあるし目立たないからである、山城を実際に見ても当時のことをイメージしにくい、というのは本当は全体としても防御の体制が山全体に及んでいた、でも見るのは一部だけになる
何か歴史という時、本当は全体を見なければわからないのに部分化して見るからその全容がつかめない、歴史的に残された遺物もそれも一部分のものでありそれからでもわからない、つまり時代が変わると過去の歴史とか遺物でも部分化して断片化するのである

だから山城があったというときそれはその時代の全体の中にあり庶民が暮らした人々とも深く関係している、だからその周りに住んでいた人たちもその山城に安全を求めて逃れたとかある、ヨ−ロッパの中世の都市とかなると城壁で囲まれていて市民と一体化していた日本のように城と庶民の住居が分離していることはなかったのである

そもそも侍の国の日本がという時、一体どうして侍が日本で生まれたのか?
どうして武士道と侍スピリットが作られたのか、これが今になると謎となる
それは歴史とは常に時代を反映して作られるからその時代全体が一時代が過ぎるとわからなくなるからである
ヨ−ロッパでも建築とか絵画と音楽がバッハのオルガンの教会音楽がある
それは実は一体化したものであり分離していない、でも現代だと絵画は絵画でみる
音楽も分離して聞いている、中世ではすべて教会があり祈りとしてささげられていたのである

戦国時代でもどうして強固な侍の強い絆が主従関係まれたのか、...その絆は戦乱の中で命がけで戦う中で醸成されたのである、命をかけて共に戦ったということで一体化したのである山城となるとその地形とか山とも一体化したのである
日本はもともと山の国であり大和(やまと)となったのだから山城が歴史の中で作られてきたことは自然の理に従ってそうなったとなる
そういう厳しい歴史的実践経験の中から武士道が生まれた、そういう時代背景があり生まれたのである
ただ日本は山が多いから当然山と一体化することが実際の生活でもそうだし精神形成でもそうなる
でも福島県でも浜通りには山城はないので欠けている、むしろ相馬胤は瀬戸内海辺りの海と直結した城を見て歩きそれを参考にしたというから山城という視点はなかったのである
山の精神とは安定と防御である、defence and stabilityになる
海は安定しない、だから津波の様な恐ろしいことが起きる、そういうことは山にはない
山が確かに山崩れとかあっても全体が壊れるなどありえないからである
山は安定であり持続なのである、それは木でも石でもそうなのである
海とか水は流動であり変化の象徴なのである
ただ山については浜通りになると高い山がないのでそういう精神性が備わられないのである
会津辺りだったら2000メートル級の山がひしめいているから山と自ずとアイディンティティ化されてくる

金山城は何かこんな小さい城とかに見える、でも山城であり本丸に行くのには結構きつい坂を上るのである、つまり登山にもなるである、それでその細い旧坂の道の脇にカタクリと延齢草が咲いていたのはまさに山城にふさわしいとなる、延齢草は山の中に咲くからだそしてここの金山城がいいのは眺望が最高なのである
蔵王が見えて連峰が見えて広々と春の野が開けて阿武隈川がくねりゆうゆうと流れているここは最高のビューポイントなのである
丸森はもう一つの絶景をみれる場がある、そこからは海が見えるし平野も山も一望できるのである、ただ問題はそこがソーラーパネルが敷き詰められているということで景観が乱されてはいる
丸森はあのように広大な平野が開けまた筆甫のような山に閉ざされた奥深い地域があり
地形的に魅力がある
飯館村にはこうした地形の変化はないからだ、それで魅了されるのである

ただそういう場所でどいう人物が生きていたのか人物の物語がわからない
それは自分は作家ではないから小説家ではないからイメージできないともなる
地形とか景観とか自然と一体化してものとして山城を見るがそこに生きた人物像が浮かばないのである
ただ当時の人間となるとface to faceの濃密な人間関係があり主従関係がありそれがどうして築かれたのか?それはやはり山とか自然とも関係していた、山とは信頼を象徴している
不動であり不変であり信義に篤いとかなる、それは石や木でもそうなのである
山と山が向き合う、石と石が向き合う、木は大地に深く根を張り動かない、そういうことが人間の生活にも反映してくる、またそういう人間の濃密な関係があり精神が形成されたそれが侍スピリットであっり武士道ともなった
そういうことはその時代を生きてみないかぎりわからないと思う
何か常に歴史だと今の感覚で見るから誤解しているのである

第一その当時のような濃密な人間関係を作れることは今からみるとありえないからである現代はただすべて金の切れ目が縁の切れ目でありただ人間は商品化しているからである
そこで一番大事なのは金だけになってしまったからである
そこに当時のような主従関係などありえないし理解できないのである
原発事故で多額の補償金もらったら故郷でもすぐに捨てて便利な所に移住した
人間の絆を言われたがそれは外部から言われたのであり内部では絆は消失していたのである


平氏が何故に源氏に先んじて政権を得たかということは平氏が源氏よりも公卿に近かった平氏は武士的な主従関係を形成する点において源氏より劣っていた
しかし庄園の経営と富の蓄積には優っていたらしい
その原因は源氏が東国より富裕な武士団体、特に海上に威をふるう武士団体と結合したことである

なぜ平氏が源氏に倒されたのか?強固な主従関係の方が勝ったのである
平氏はその時に全国に家人をもったがその主従関係は源氏ほど緊密ではなかった
東国においての武士団体と艱難をともにしつつ作ったのであるが
平氏の武将にはそういう機会は少なくむしろ公卿たちと同様な仕方で家人を支配する場合が多かった(日本倫理思想史ー和辻哲郎)


なにこれが侍とは何であったのか?侍とは西と東では関東武者とではこのように違っていたのだ、このことはかなり示唆的なことである
平氏は瀬戸内海を通じて中国の宋と貿易していたことでもわかる、その時大量の宋銭が日本に入ってきたのである、つまり平氏は商人的性格を帯びた武士だったということであるこの相違は興味深い、なぜなら現代社会はグロ−バル化してみんな商人国家になっているし人間も商人化している、そこに介在するのは金しかないからだ
主君のために親をかえりみず命を捨てるなどありえない、常に金の計算をして得になるか損になるかしか考えない社会だからである
それはグロ−バル化して日本でもアメリカでも中国でも同じなのである

ただここで注意しなければならないのは主従関係が強い方が勝ったということである
日本人は古来人の和を重んじてきた、戦争でも一億総火の玉とかなる国である
ただそれも太平洋戦争では実際は上官と下士官は対立して対立していた
でもアメリカの方が上官と下士官は一致して協力していたとされているのである
日本の上官は質が悪くアメリカの方が優れていたのである
つまり指揮官はアメリカの方が優れていた、日本は上下関係が厳しく下士官は上官を恨んでいたのである、つまり実際は日本の方に人の和がなかったのである

すると日本が負けたのは必ずしも武器がないとか経済力がていとかでもなかったかもしれない、日本が和の国というけど別に武士道などなくなっていたし侍などいなくなっていたのである、侍とは何かわからなくなっていたのである
それはどうして侍が形成されたかわからなくなったからである
ただ現代はどこの国でも経済優先であり商人国家になっている
だからそれは日本だけに言えることではない、でも戦争でも必ずしも武器の優位とかだけでは計れないものがある
秀吉が家康に負けたのはも西軍が負けたのも東軍には家康の徳川の主従関係の強固さがあったからかもしれないとなる

ともかく山城から見えてくるものはこうした信頼を象徴する山と人間が一体化して形成されたのかともなる、武田信玄だとそうである、ただ信長でも家康の城でも東海側にあり海側にあったのだ、山国の武田信玄は海側に出てきて敗れたともなる
ただその時まだ海を自由に往き来する船がそれほど発達していない、だから山側の山城を根城にした武士が力をもったともいえる
山城というとき二本松城はそういう山城としての古い形態を残した城なので興味がある
やはり大と一体化しているからだ、井戸も多く山の城で籠城できるともなる
確かに山城は多いのだが規模が小さいし何かそういう場所に行くこと自体わかりにくいのである
それでも山城には平地の城より魅力を感じるのは自然と一体化しているからである
その自然と一体化して人間の精神も形成されたということがある
平城となるとあまり魅力を感じない、会津の城はあれだけ歴史があっても何か新しくして博物館のように見えるのである、歴史をあまり感じないのである
ただもし会津が山が多いのだから山城があれば魅力を感じるのである

そこでその山城の物語として次のようなものが津川に残っている


その昔、津川城主が病になった時、治療のために、山の麓にある温泉をくんで、城内で湯治をすることとなった。
 この温泉の運搬を命じられたのは蔦丸という小姓だった。
 蔦丸は毎日、城主のために麓から城まで、湯を運んだ。そのおかげか、城主の身体はよくなっていった。
 ある日蔦丸が湯をくんでいると、同じように湯をくむ美しい娘がいることに気づいた。 娘の名前はお鶴。母の病気を直すために、毎日お湯をくみにくるのだった。
 二人は、毎日顔を合わせ話しているうちに恋仲となった。それが理由で蔦丸の帰りが遅れがちになった。
 このことが城内に知られ、起こった城主は蔦丸を、頂上近くの石牢に監禁した。
 それを知らぬお鶴は、湯をくみにきては蔦丸を待っていたが、蔦丸の姿は見えない。湯をくみに城からやってきた武士に、そのことを聞くと、蔦丸が石牢に監禁されているということを知った。

 それを知らぬお鶴は、湯をくみにきては蔦丸を待っていたが、蔦丸の姿は見えない。湯をくみに城からやってきた武士に、そのことを聞くと、蔦丸が石牢に監禁されているということを知った。
 その悲しみに不幸はさらに重なり、お鶴の母親が看病の甲斐なく亡くなった。
 お鶴は母を失い、恋人が監禁されていることを悲しんでいたが、ある日、蔦丸を助けようと、断崖をよじ登り、蔦丸のいる石牢を目指した。
 しかし、願いは叶わず、落石とともに転落して命を落とした。 
 石牢で、この悲鳴をきいた蔦丸は、絶望し、お鶴の後を追って死んだ。
  この二人の死に、神様も悲しんだのか、大洪水が起こった。
  このため、常浪川の流れが変わり、わずかに川底が沼になって残った。人々は、その沼を「お鶴ヶ沼」と呼ぶようになり、今に残っている。
 

湯を運ぶというとき山城だから坂をのぼる、食料でも運ぶのに上る
それが苦しい労働にもなる、温泉の湯は薬ともなるからわざわざ運んだとなる
これは伝説でも事実があり語られた、何かしら事実があって伝説がある
これは山城だから起きた伝説だともなる、平城だったら起きないだろう
侍同士の主従関係の絆はあったがこうしてその下々の者を手荒く扱うの一面としてあっただから会津では明治維新で会津の城が燃えていても関与せずかえってこれまでの不満が爆発してヤーヤー一揆が起きた
ただ山城でも城に積極的に食糧を運んで庶民でも危険な時城に逃げたとかあり一様ではない
この金山城は戦国時代が終わっても一国一城になっても残っていて住んでいた侍がいた
それで庶民と侍はここで一体化して協力していたからだという人もいる
何か人間的つながりがありそうなったとみている

金山城には何かこうした伝説でも残っているのか?その辺がものたりないとなるが相馬氏が最初に作った城であり次に伊達藩の城となった、それが境の城だからそうなったのである

2021年04月08日

丸森の筆甫(ひっぼ)の桜 (宇多川をさかのぼり丸森町の筆甫を回る)


丸森の筆甫(ひっぼ)の桜   

(宇多川をさかのぼり丸森町の筆甫を回る)

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宇多川上流の滝

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山全体がソーラーパネルに

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古田口

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ここでばあちゃんに家の由来を聞いたーその桜


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筆甫の古い家

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この家は山に囲まれ閉ざされていた

ここも幽霊屋敷になる




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辛うじて御堂が残った




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台石

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朝静かこの道一人花の影

花また花において遠くへ走るかな

山桜高きに映えて朝の滝

朝桜映えてとどろく滝の音

(丸森の橋の台石)

散る花を台石とめて鎮まりぬ

台石に椿の赤く花の散る
                 


塩手にそ佐藤氏の由来我が聴きて霊山の方へ春に行くかも

(筆甫)

南朝のいわれを語る桜かな丸森の奥隠され咲きぬ

筆甫なるウバヒガン桜をたずねきし名古屋の人のほめて帰りぬ

筆甫なれ坂上り下り山桜高きに映えて家々のあり

あざやかに枝垂れ桜や五十年すぐと語りけるかな

古材を活かして建てぬ家なれや黒くもあれば古しと見しも

分け入りぬ古田口の一軒の家に桜やなお住みにけり

山深く誰か住みにし隠されて空家に咲きぬ枝垂桜かな

筆甫なに墓所をたずねてその姓やここの歴史の謂れを知らむ

山深く碑は何語る伊達の領春の日たずね由来しるべし

塩釜の碑の多しは伊達の領春の日めぐる丸森町を

筆甫なる道の高きに山桜映えて時にし風のゆすりぬ

山々に閉ざれ筆甫住む人や暮らしを思い春の日たずぬ

(橋のたもとの台石)

重々し台石ここに丸森や川はゆうゆうと春の日暮れぬ

阿武隈川流れゆるやかその岸に桜の映えて丸森暮れぬ

春の日や阿武隈川のかなたへと道はつづくや我は行きなむ


丸森町南西部、内川支流の流域にあたる。北で字不動・字石倉・字薄平・字四重麦五・字四重麦四・字四重麦三・字四重麦二・字四重踏石・字峠橋元・字峠野上・字峠向・字峠革踏石、東で字上滝西・字上滝東・大字大内および福島県相馬市山上、南で相馬市東玉野・玉野、西で福島県伊達市霊山町大石・梁川町白根・梁川町山舟生と接する

丸森に宇多川をさかのぼって松が房ダムから入った
途中工事していて自転車で行けないと思ったが工事している人が通したくれて助かった
今でも去年の台風の被害がありいたるところで被害があり道が壊れて通れないのである
まず車だともう通れない、自転車だとなんとか通れる場合がある
それでこういうときは自転車が便利だか前が突然陥没していたりして危険でもある
この工事は長くつづくから困るのである

松が房ダムを出て古田口とりパス停の表示がある、でもバスは通っていない、でもこのバス停の表示は地名がわかるので貴重なのである
古田とあれば新田ができて古田となる、古町も新町ができて古町ができる
だからそれなりに古いともなるがこの辺には家も見当たらないのである
その一軒だけが目立つ、なぜここに家が残っているのか感心したのは山村は過疎化になり空家化しているからだ、ここも山に閉ざされているから空家が目立ったのである

最初に逢ったのは道で何かしている、そこの枝垂れ桜がきれいだったので聞いてみた

「この桜は古いですね」
「これは50年前に植えたものですよ」
「そうですか、50年でこんなふうになりますか」
「私は古い家からその土地のことを調べているんです」
「それでこの家が古いかどうか聞いたんです」
「そうですか、私の家は古くありませんよ」
「でも家の柱とか何か黒くて古く見えます」
「これは古い家の木材をとりよせて使ってからです」
「そうですか2、もともと古いものだから余計に古く見えるですね」
「こちらは後から継ぎ足したんです」

何かこの家が建ってこの枝垂れ桜を植えたのは50年前というとき私の家と同じころである、オリンピックのことを言っていたから東京オリッピックの頃である
それも昔になってしまった、ここの家は別に古い家ではない、農家でもない、だから新しいのである、新しいと言っても50年過ぎるとやはりそれでも古くなるのである
50年過ぎればこのように枝垂れ桜でもきれいに咲くということである

ただこの家は古くないので歴史を知るのはむずかしい、すぐ近くに寺がありそこに行ってみた、というのは私は必ず墓地によりその土地の歴史を探っているからである
こういう辺鄙な所が姓が限られていて一族が住んでいることが多い
引地とかはそうである、なぜなら金山城にも引地館とかあったからだ
引地一族がかなり力をもった地域である

宮城県白石市沢端町では福島県の会津の塩ノ松にあった引地舘に戦国時代に居住して称したと伝える。福島県二本松市上長折・下長折付近(旧:塩松)が比定地。塩松はシオノマツ。南北朝時代に記録のある地名。地名は「四本松」とも呼称した。宮城県仙台市青葉区川内が藩庁の仙台藩士に江戸時代にあった。

丸森でもそうだが中通り方面とつながる歴史がある、第一霊山は中通りの豪族が集まった地域である、郡山の多田野村は有名である、それが只野氏の由来なのである
南朝が炎上したとき落ち延びた武士の一団が南相馬市の鹿島区の真野に逃れた
それで只野氏は鹿島区に只野という姓が50人くらいもいるのである
それから相馬市の山上の方の塩手山のあるところは実は古い家があった
佐藤一族が南北争いで逃れてここに住みついたらしい
その佐藤氏の由来は医王寺にある佐藤一族らしい、義経と深く関係した佐藤氏である
それから磯部館の佐藤氏であり今の相馬市の道の駅の鬼越館に移った佐藤氏である
この佐藤氏は伊達市が先に支配していた昔の中村、今の相馬市にも勢力があり相馬氏が進出したとき争ったのである
ただ佐藤氏はこれは多すぎるからまぎらわしいのである、ただ医王寺と関係していてそこの佐藤氏一族系統である

それでうばひがん桜の由来がその霊山の南北朝の争そいにも由来していたのだ

高さ約30m、根元の幹周り10mの古木で、樹齢500年以上と推定され、4月の下旬にはひがんざくら特有の淡く小さな花をひっそりと咲かせます。
丸森町指定文化財(天然記念物)。

近くには南北朝時代、北畠顕家が霊山城を築いた際、鬼門であるとして薬師如来を祀ったといわれている薬師堂の小祠があります。

これは親王桜とも言われているからだ、つまりこの筆甫の地名由来自体、筆のはじめというとき伊達政宗と関係して名付けられた、ここは伊達と相馬の境の玉野村に近い
そこに境の桜がある、

伊達と相馬の境の桜
花は相馬にみは伊達に

筆甫は相馬氏との境目でありそこで筆の始めというときここが伊達藩の領地と記したことになる、現実に金山城は相馬氏の井戸川将監が最初に城主となっていたからだ

 

歴史が交差する場所は注目すべきである
何かその土地のことを知るにはその土地の人と他愛のないことでもちょっとでも話すとわかることがある、でも古い家だからといって訪ねて聞くわけにもいかない
ただそこに住んでいる人はその土地のことをどんな人でも外から来た人よりは知っているのだ、第一道自体がわからないからである
たまたま塩手では旧家の人とあって話しできたから良かったのである
そういう人とはなかなか出会いないからである

それから四重麦(よえむぎ)という方向へ向かう案内板があった
この地名は気にかかっていた、ここから入るとそこに行くのかと見た
ただこの由来が良くわからない、麦と関係していることは確かである
麦を作っていたのかとみる、ただ麦といってもいろいろあるからむずかしい
それで子供の時麦御飯を食べていたから思い出す、その麦御飯がうまくなかったのであるでも麦には栄養があり江戸患い(えどわずらい)という脚気にかからない効用があったのだ、白米はうまいにしても栄養がかたより脚気になった
ビタミンB1欠乏症です。 胚芽部分に含まれるビタミンB1をそぎ落としてしまう白米中心の食事が原因だったからである
食べ物は何か偏ると良くないのである、いろいろなものをまぜるといいのである

ただここでどうして四重麦となっているのがわからない、南相馬市の片倉村の坂をおりる所に八重米坂とある、この米は長野県の八重米原と関係あるのかもしれない、なぜなら
そこに初発神社がありそれが長野県と由来しているみたいだからだ
ただこの地名の由来がわからない、こういうことはなぜわからなくなったのか?
それは山村であれ農村であれ何か昔からの暮らしが生活が消失しているからである
今山村でも昔の様な山の暮らしをしている人はいないからである
だから不思議に思うことはどうしてこんな山に閉ざされた所で生活できたのかということである

丸森で有名なのは木材資源を相馬藩と米沢藩と伊達藩で争ったことである
それだけ木材が今の石油のように大事なものだったからである
電気もガスもない時代だと燃料は炭であり炭すら高価なものでありそんなに使いなかったただ山村は炭を売っていたから豊かになった家もあった
丸森はそれだけ木材が豊富だから争いの地になったのである
それで迷って森を抜け出れない恐怖を経験したのである、それだけ森が深いのである
ただその山がソーラーパネルの山になっていたことには驚いた
結局森の木材が外材になったりして利用されないからソーラーパネルになってしまう
電気が昔の炭の燃料に変わったからである、それか景観を壊すしまた台風などきたら住民にも被害がでてくる、そして十年くらいしかもたないとか廃棄物が公害になるとかいろいろ負の部分がある、でも山の木材を利用できないことがそうする
収入がなければ暮らしていけていからである
だから狭い田畑はこの辺でも原発事故以後利用する人がいなくなりソーラーパネルにもなっている、土地を活かせない、小規模の田畑でも労力が相当にかかり老人がふえて跡継ぎもなく耕作放棄地が膨大になっているからだ
だからどうして山村で暮らしが成り立ち過疎化してきたかを知るべしだとなる

私の子どもの頃は水は近くの井戸水をもらっていたし燃料は炭でありまた風呂は外風呂であり鉄砲風呂で木材の端材をもらって新聞紙と一緒にして燃やしていたのである
それが自分の仕事だった
つまり今日本が貧困化しているとき必ず電気水道ガスを止められて困る人が多いのであるそこに具体的に貧困化が見えるものとなっているのだ
今着ているものを見ても貧乏なことはわからないからである
だからなぜそんな辺鄙な場所で生活できたのかという時、人間最低限その住んでいる場で食糧があり燃料がありとかして生活できていたのである
それがわからないということはイメージできないのはそういう生活があったことを経験していないからである

ただ空家が多いというのはまたそういう最低限の生活もしにくいということで住まなくなる
現実になぜ飯館村とかでも原発事故で多額の補償金をもらったときみんな一斉に流出したのか?それはもうそうした山村生活より便利な街へ移った方がいいとなったからである
それで筆甫とかでももし補償金をもらった飯館村のようになったとみる
なぜならやはり空家が多くなっているからだ、それは全国でそうなのである
山村とか過疎地域は暮らしにくくなったからだ
そういう場所で電気水道ガス代を払うことは負担になるからである

麦に関してはいろいろあり私の裏の畑は麦畑があり桑畑があった、桑は養蚕のために必要だった、麦畑もどこにでもあった、ただどういうわけか麦という地名はあまりにも少ないのは何故だろうかともなる、米が主食であり田の地名が多いのはそのためである

『会津農書』にみる麦の栽培と民俗  PDF  佐 々 木 長 生
https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp :  ...

この人は同じ町の出身だった、麦についてこれだけ調べるというとき学者だとなる
米については素人でも研究するが麦についてはわからない、ただ麦は米と同じく重要なものである、大陸では米より麦を生産してきたからである
それでエジプトは今でも麦畑でありビールを作っていたのである、ピラミッドの時代から麦を作りビールを作って飲んでいたのだ、だから米よりも歴史が古いともなる
でも麦の歴史については日本では麦御飯でも食べなくなりわからなくなったのである

丸森は多様な石がある、丸森の阿武隈川をわたる橋のたもとの石は大きい
うば石ではなく台石となっている、台となる石である、そこに盛んに桜が散っていた
そして帰る時は必ず丸森だと夕暮れになっているのだ
朝に出発して夕暮れになる、それで夕桜が心にしみるとなる

ともかく私が興味を持っているのは歴史もあるが自然景観なのである
その点丸森は自然景観が山もあり平地もあり阿武隈川もあり蔵王も身近に見えるから魅力がある
ただ自転車だと紫外線とかを受けたり暑くなると春でも熱中症になるようになったから
前のようには行けない、でも今回とそれほど暑くもないから行けた
筆甫に行ったのは初めてだったのである
それだけ山深いところだった、高い所の道を上り下りしたから疲れる、でも電動自転車だからとか行けたのである、何度も行っているけどヤマハのYPJ-XCは優れものだからである
次は「金山城」について書くのでご期待!



2021年04月06日

山桜咲く大原から高倉を回る (生業もなく活気がなく空家が増える山村)


山桜咲く大原から高倉を回る

(生業もなく活気がなく空家が増える山村)

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双子山とかなる

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山桜が結構咲いている

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春来るも前田に空家ここに住む人は死ににき墓はあれども

病院に空家となりし家のことしきりに言いし人は死ににき

山桜錦となすも大原や前田に後継ぐ人なし淋し

清らかに山より水の流れ来て二輪草ここに咲きしも奥の道行く


大原の前田に私立病院で同室だった人がいた、それはS氏である、その病室からは大原の方が見えた、一か月暇でありその大原のことをその人は語った
ただその人は一人で住んでいたのである、息子夫婦はいても住んでいなかったのである
市内に移り住んだからである、それで死んだ後のことはなにかやと話ししていたみたいである
そして心配していたのは飼っていた猫のことだったのである

前田という地名はそこに草分けの人が住みそこから大原村の中心になった
なぜなら現実に大原からさらに橲原の方に上る道の脇に田が隠されるようにありそこが遠田となっているからだ、だからS氏の住んでいた前田は村の中心だったともなる

病院で知り合った人は大原の墓地に眠っている、その通りに空家がまたある
それが煉瓦の風呂があり何かそこは不気味である、幽霊屋敷のようになって残っているからだ、ただ煉瓦の風呂を作っているということはそれは自慢できるものだった
その風呂は家の中にはない、外風呂である、便所も外である
水道もなく水洗トイレがないときはみんな外風呂だったり外の便所であった

そして自分の家でも風呂は父親が手造りしたものだったのである
外風呂であり桶の様な風呂だった、鉄砲風呂であり上から材木屋でのいらなくなった木材の切れ端をもらって新聞紙で燃やしていた
それが自分の仕事だったのである
現実に自分自身がそういう暮らしをしていたのである、ただ子供の時だから記憶が薄れてしまった、炭を使い囲炉裏もあった、それは街中で暮らしていてもそうだった
だからそういう暮らしがあったということが不思議になる
山村でも農村の生活でもそれと同じだったのである
そういう生活は貧しくても金はかからない、金をかけることもできないからそれで生活が一応なりたち飯館村だって一万人も住んでいたときがあった
だからそういうことが信じられないとなる
人間はそういう場所でも実際に今より多くの人が生活していたのである

何か空家が目立つ、ここだけではない、街からちょっとはずれた所でも空家が目立つ
おそらく農業していたのだけどやめた家かもしれない、というのは家の隣に御堂があたりするからだ、御堂は実は縁側があり中でもみんな集まる場所であり公会堂のようになっていた、それは農村社会ではそこが中心となり共同するものとしてあった
ただ農村社会でもそれが壊れて過疎化すると捨てられて廃墟化してゆく
それが大規模になったのが原発事故の避難区域である、空家だらけだからである
ただ農村とか山村の過疎化がありそれが日本では進行してゆく
ここでも原発事故以降山の小規模の農家は田畑を放棄して草ぼうぼうになっている
そこにソーラーパネルを置かれる

大原村の隣の大谷村でも八坂神社があり薬師堂があるがそこでちょっと話した人の家は壊されていた、その人はすでに市内に移り住んでいたのである
何か八坂神社もまた多い、これは疫病を防ぐものとして建てられたとかともいう
その隣に薬師堂があったからだ、ただ薬師堂が村の中心になっているのは病気を治すめたに祈る場所としてあったからである、病気になったらこうして祈るほかなかったからである

それから山間の道を行き高倉のハートランドはらまちに行った、そこは閉鎖状態であり一部バンガローが壊れていた、あそこはあまり利用されずじまいだったのか
震災以後は放置されてしまったのか、一人何かそこに外部から来た人がいた
その人と駅であった、そしたら詳しく南相馬市の神社のことを研究していたのである
その人が今住んでいるかどうかもわからない、第一ハートランド原町は長らく休園しているからだ
こうして何か山村には活気がなく生業(なりわい)も廃れている
そもそも農業だけをしている人は少なくなっていた
でも今の状態より田んぼで田植えしたり稲刈りしたり生業があって一応農村の形があったそれが震災以後は荒地化してしまったのである

南相馬市農業農村活性化施設に係る対応方針
https://www.city.minamisoma.lg.jp/material/files/group/34/7644-3.pdf

高倉に関してはあそこはあまり場所がいいとはいえない、高倉ダムがあり行きどまりになっている、広い土地もない、飯館村だと広い土地がありそこだと山村の空気に今でもふれることができる、ただそこも震災以降は荒地となり人は住んでいない、時々そこに住んでいた人がなつかしんで新しく建てたこじんまりとして家を別荘として利用しているだけなのである、そこにはもう生業(なりわい)がない、何か生業が形だけでもあればやはり活きた村となる、でも人も住んでいない生業もないというときそこは死んだ村になってしまったのである、ただ家があり住んでいる人は大原とかにもいるから原発避難区域とは違っている

とにかくあのように山桜が身近に咲いている、それが山に暮らす人の錦だけども人が住んでいないとなると生業もないとすると村自体が何か活気がないとなる
それから鹿島区の川子の原町火力発電所石炭灰埋立場への道を下るところで知っている人がゼンマイをとっていたのである、そんなところでゼンマイをとれるのかと意外だった、かなりの量をとっていた、ゼンマイは山の方にあると思っていた
そこはゼンマイが集中してあったのである、その人はもともと仕事しないニートである
自転車にのっているから合っていたのである、何か自転車に乗る人は仲間になりやすいのである
奇妙なのはその仕事もしないニートが山菜とりをしている、それがまさに生業だとなる
他にもコゴミとか山に入ってとっている、これも料理するのがめんどうだけどその人はしている、田舎ではセリとか野草でもとる人が女性ではいた、ただ放射性物質で汚染されてからとらなくなったのである、それが飯館村では一番打撃だった
つまり山菜料理が定番になっていたからである、その暮らしが奪われたことも大きな損失だったのである

2021年04月05日

菅首相の家族のカルマ (それは国家にも反映されるから問題)


菅首相の家族のカルマ

(それは国家にも反映されるから問題)

日本人が全然知らなかった菅義偉「家の事情」…決して姿を見せない妻と突如浮上した“問題長男”

叩き上げを謳い、「底辺」から「頂点」へ成り上がるには、他人を蹴落とすだけでなく、家族をも犠牲にしなければならなかった。

 その「因果」が、いま巡り巡って菅自身にはね返って来ている―。そして総理の抱える業は、最後は国民が引き受けることになる。(文中一部敬称略)

 『週刊現代』2021年4月3日号より

菅義偉の家のカルマがありこうなった、そのカルマが菅義偉が首相になったことで公となり国家にまで影響した、それが個々の家のカルマと違っていた
国家にまで影響したから国民にも影響したとなる
それだけ首相ともなると大きな責任が生じるからである
それで秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんの結婚が問題になった
小室圭という家系のカルマが天皇家に影響してくるからだ
好き同士でいいとかならなない問題があった、それ真子様の父親は今の妻と結婚する時自由恋愛を言っていた、それがまたカルマとなっていたのだ
父親が自由恋愛で結婚したのにその娘が自由恋愛で結婚するなということができないからだ、つまりそれも身から出た錆でありカルマだったとなる

何か人間はカルマを軽くみている、でもカルマは相当に怖いものなのである
ただカルマというときどんな家にもカルマがある、プラスとマイナスのカルマがある
自分自身でもなぜこんなに介護で苦しんだとなれば家のマイナスのカルマの結果としてそうなったと思う
家のカルマは長男と長女が一身にそのカルマを負うことになるからだ

家にはまた家風がありクセがあるというのもそうだろう
何かその家はケチな家風なのである、そのケチさはどうして生まれたのか?
それはやはり極端な貧困を親が経験してもうケチが極端になり何か人に与えることでもケチであり計算してする
そんな人が自分の介護している時に来たから最悪だったのである
それもやはり自分のカルマともなっていた、そんな家が商売して成功するだろうか?
もう一円でも損したくない人に与えたくないという家族だからである
ただその家に婿入りのようになったので夫はもともとそういう性質ではなくその家風に悪いクセを受け継いだともなる

そういう私の母の実家は不和分裂の家だった、だからその後に残された人も付き合いもなかったが簡単に分裂して絶交にもなった、それはすでにそうなっていたのだから当然だったともなる
何かそうしたカルマがあって簡単に切れたりしたのである
なにかしらこうして家でもカルマを背負っていてそれがいつか表面化する
なかなか表に現れないとわからないが60以降になると確実に現れる
苦しみとなって現れる、その清算が強いられるのである
そこにカルマの怖さがあるが苦しみとならない限り意識できないのである

カルマとは親とか先祖の借金なのかもしれない、借金だと具体的にカルマを意識しやすいのである、金は具体的カルマとなって示されるからである
ただ天皇でも王様とかは権力争いとかで血にぬらさた歴史をもっている
だからそのカルマは大きなのもともなり呪いともなる、何か必ずその権力を得るには人を殺したり犠牲が出るからである
毛沢東が文化大革命で敵対者を千万も殺したとかなりその呪いが支配者には必ずあった
だから地位ある者は大きなカルマを背負うことになる

人間は個々の家でもそうだが歴史とはこのカルマを積むことでありそのカルマを次代のものが背負わされることにもなる、ただそこにマイナスとプラスのカルマがある
日本の戦争で三百万人も死んだとしても戦後焼野原になっても日本はかえって高度成長したというのもそうである、かえって旧体制が既得権者が一掃されて焼野原から一から出直すことができたからそうなった
革命とは必ず既得権者を一掃することになるからだ、ビルマでもやはり軍人が大きな既得権者となっていたからその既得権者を倒すためには相当な血を流すことになる

歴史にもカルマの法則があてはまる、アメリカが衰退するというとき国には必ず栄枯盛衰がありアメリカという国にもカルマがありそれが苦しみとなって現れる
国が分裂して内乱状態になるとかなり衰退してゆく
アメリカは確かに日本に勝ったとしてもそれもカルマとなっていたのである
原爆を落とすようなことをしたことは本当に大きな人類的カルマを背負うことなになったのである
だから一番核に怯えているのはアメリカなのである、カルマとなれば本当にアメリカに核が撃ち込まれかもしれないからだ
それで小国の北朝鮮でも中国でもロシアでも恐れるのである
原爆を日本に落としたことでそれがカルマとなり現実化することを恐れているのである
カルマとは自分のしたことが自分にはねかえることだからである

首相ともなればそうした私的なことでも問題になる
それが国民全体にも影響する、不肖の息子がいてそこから電波利権の不正が起きていたからである、私的な家の問題が公的なものに影響してそうなった
ただどんな家でもそうしたカルマを背負っている、だからなかなか批判することもできない、ただ家のカルマが国のカルマともなることが問題なのである
ただこの世の権力ある地位につくこと自体が常に闇となるものがある
権力を得るために何か後ろめたいことをしているともなる
だから政治家という職業自体が何か胡散臭いものになる
そこはどこの国でも同じであり権力をめぐる争いが歴史でもあったからである
そこに必ず血が流され犠牲者がいて権力を得ているからそうなる
そういうカルマをくりかえしてきたのが人間だかららである
歴史もまたカルマをいるからである

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チャンスを逃す人生 (チャンスは時間は取り戻すことはできない)


チャンスを逃す人生

(チャンスは時間は取り戻すことはできない)

人間は常にチャンスがある、何かをする時間がある、でもそのチャンスも時間もたちまち消失してゆく

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、コヘレトの言葉


神を知るべき時がある
結婚するべき時がある
学ぶべき時がある 
仕事を覚える時がある 
成功するにも時がある
体を鍛える時がある
善を成すべき時がある
苦しむ時がある
楽しむ時がある
出会うべき時がある
旅をする時がある
・・・・・・

こうして様々なことするべきとか学ぶべきとかある、でもそのチャンスを逃しているのだだから老人になるとあの時こうしていれば良かった、あの時学んでいれば良かったとか後悔だけになる
それはチャンスとか時間がいくらでもあると見ているからである
でも何かをすべきチャンスが思った以上ないしまた時間もないのである
だから貴重な時間を逃しているのだ、若き時神を知れというときもそうである
神を知るのは経験を積んだ老人が知るのかと思っている
でも最も血気盛んな時神を知れと言っている
これも意外なのである、そしてその時期を過ぎるともう神を知ることが不可能だともなるのだ、これは怖いことだったとふりかえる
神を知るチャンスとか時期は極めて限られているのである

ともかく結婚でも常に親でも娘とかでも婚期を遅れないようにうるさく言うことがわかった、それは婚期もたちまち過ぎる、そうなると女性としての魅力がなくなり結婚できなくなるということを親は経験しているからそういうのである
男でもやはり婚期があり時期がありそれを逃すともう結婚するのはむずかしくなる
今は何かニートとかまた結婚しない人が氷河期世代とかあり多くなった
その人たちは40とかすぎてゆくと結婚はむずかしくなる
男性でも二十代から30代までが限度だとなるからだ
つまり時間が過ぎてゆくのが思った以上早いのである

人間は何か良いことを善を積もうとしてもその時間がなくなる、ささいなことでも何か善いことをして他者のためにしてみる、そういう時間もなくなる
結局何もせず善を積まずに終わる
何か駅で案内のボランティアをしたけどこれもたまたま駅が無人化して頼まれてしていたそれもまたできなくなった、コロナウィルスで接触しにくくなったからである
だからその時認められなくても何か駅のことで経験したから良かったとなる

つまり何かささいなことでも人はチャンスを逃している
何かすべきことをしないで終わっている
親のことでも親はいつか死ぬ、別れる、すると介護でも苦しいのだけど十分にしていたらなと死んでからふりかえる人がまた多いのである
なぜそうなるのか?それは二度と親でも死んで逢えなくなるからである
それで冷たくしたりすると後悔することになるので介護の問題は難しいのである
この世に出会うということそれは親ですら短いものとなり遂には永遠に合わないともなるすると逢っていた一緒に暮らした時間が貴重だったとなる
たたこれはあらゆることに言える、人間はチャンスも時間でも限られたものしか与えられていないのである

だからこの世で一番無駄にしているのはチャンスと時間である
誰にでもチャンスがある、ただそれを逃しているだけなのである
第一それがチャンスだともわからないことも多いのである
もしこれはかけがえのない人生には二度とないチャンスだと思ったら後悔などないからである
今勉強しなければ後は時間がなくなるとかも思わないのである
こうしてチャンスでも時間でも消失してゆく
そして老人になり誰でも後悔しているのである
それはチャンスとか時間がいくらでもあると思うからである
でも青春などはたちまち夢のように過ぎてしまうのである
そうしてみんな愕然としているのである

一番の後悔は時間を活用しなかった、チャンスを活かせなかったことなのである
そして時間は平等に与えられている、そこに差別はない、ただ貧富の差でチャンスがある人とない人がある、留学となると金がかかるから金持ちしかそのチャンスが与えられないということはある
でも留学だけが人生ではない、他にもいくらでも経験すること学ぶことがあるからその方でもチャンスは与えられている、時間も与えられている
ただなんでもそれを活かすことができないのである
何かを常に活かそうとしていればそうはならないのである
人間は必ず時間を無駄にしている、活かしていないからである

不思議なのは泥棒であれ悪を成すにもチャンスがある、悪事を働くチャンスをうかがう
それも偶然ではなく目的があってする場合、虎視眈々とねらっているとなる
また動物だと獲物を常に虎視眈々と狙っている、それは真剣そのものである
しかし人間そのように虎視眈々とチャンスをねらっていない
何か平々凡々としまりなく時間がただ無意味に過ぎてゆくのである

そこでチャンスがあってもチャンスを逃すのである、動物は獲物を得るチャンスを逃すと餓えて死ぬことがある、だから真剣だとなる
そうなるのは獲物を貯えることができないからである
日々の獲物をねらって食べるほかない、すると日々虎視眈々と獲物をねらうことになる
そこにチャンスを逃すまえという緊張感が生まれている
人間は何かそういうふうに日々生きていない、別に食べるものがすぐなくなったりしないからである、そして日々緊張感もなく生きているとなる
ただ動物のようになっていたら何かまた絶えず獲物をとるために追われて疲れるともなる
とにかく動物はこうして日々獲物をとるチャンスをうかがっている
でも人間はそんなふうにしてチャンスをとらえようとはしていない

要するに千載一遇のチャンスがあってもそのチャンスを逃す、それはチャンスと見ないからである、そして二度とそのチャンスはなくなる
つまり明日またチャンスがあるとして逃しているのである
でもその明日は遂にこなくなるのもまた早いのである
だから求道でも早い時期からしないとできない、老人になって悟るとかは別である
それで若きうち神を知れとなる、でも若いうちは飲めや歌いやとか享楽に走る
また性欲のために費やされる、そのうちたちまちに老いてしまうのである
40になったら白髪がでてきておっさんとか言われるのである
女性でもその美貌もまた衰えてゆくのが早いのである  

例えば料理でもこれが経験していれば家族が失ってもできる
でも全然経験しないとできない、第一買い物が結構むずかしいのである
十年くらい一人でしていても買い物がわからないのである
何を買っていいのかわからない、そして料理もできないとなる
それだけ料理できるようになるには時間がかかるのである
そういう経験をしていればこうはならなかったのである
ただこうしてパソコンで文章を書けるのは親指シフトを経験しているからできる
パソコンだってこれを使いこなすにはそれだけの時間が必要になる
結局何でもある程度経験していれば身につくから一から始めたらできない
老人になればもう何か新しいことができても苦しいとなるのである

世間的なことでも株などは若い時にするべきものだったのである、額は少額でも訓練していれば良かったのである、それが60以上とか70以上になってやるというのはリスクになる、株は十年単位で見れば必ず下がっていてもあがる、また上がっても必ず下がるという規則のようなものがあるからだ、すると10年くらい放っておいてもいいやとかなり様子を見ていると上がるのである、だから本当にリーマンショックの時半分に下落した株をもっていたら二倍のもうけになった
それと最近でも株が下がった時買わないかと来た時買っていればこれもこんなに高くなるとは思わなかったから失敗だった
それは自分自身で株の経験がないから銀行の営業の人にまかせたから失敗だったとなる

もし若い時株をしていたら経験しているからもうけられるということがあったからだ
ただそういう経験していないから銀行でも他人まかせになったから失敗したとなる
こうして何か経験していないことをすることはリスクになる
他人まかせでは成功しないのである、株でも経験する時があったとなる
何かする時があったが逃していたともなる、それはあらゆることに言えるのである
その最たるものが神を知ることを逃していることでわかる

こうして人間は何か成すべき時に成さない、それが後で失敗の元となる
結局何かを成すべき時が限られている、チャンスも限られている
だから様々なこと時間でも無駄にしてチャンスもものにできないのである
日々緊張感をもってチャンスでもものにしようとして時間を有益に使うという心構えがあったらこうはならなかったのである、それはただみんな最後は後悔しない人は一人もいない、そのことがわかるのは遂に死ぬときだとなる
それが否が応でも思い知らされるのである 

死ぬことを老人になってから考えて遅いのである、若き時に死は何なのか知らねばならない、人間はいくらでも親でも他人でも死に接している、すると死のことを一番恐怖するからである、もう老人になると同世代でも日常的に死んでゆく
そして永遠に逢わなくなってしまうのである
死ぬにも時があるというとき人間は死ぬべき時でもだらだらと生き続ける
それが何かいいようでかえって苦しみをもたらしている
人間は死ぬべき時に死なない、現代は長生きになりそうなりやすい、死ねない時代だとなる、それはかえって無益に生かされているから若い人に早く死ねとか言われる
ただ百才まで生きても意味ある生はある、ただ無用化して廃人のようになっても生きている人がいる、それは迷惑だとなってしまう
だから婚期を逃すと同じく死期を逃したともなる、それは本人にとっても周りの者にとってもいいものではない、それぞれの人生が立場があり一概には言えないがやはり死期というのもある、その時を逃すとまたかえって苦しむだけだとなる


2021年04月04日

故郷の桜


故郷の桜



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ふるさとも花に染まりぬ朝(あした)かな

遠くより近くも桜の錦かな

我が家より真野の中館の桜かな

朝桜風のうなりてちりそめぬ

花の影行く人わずか今日も暮る

霊山の岩黒々と夕桜


残雪の吾妻嶺光り阿武隈川たぎち流れて花盛りかな


桜は日本がだったらどこにでも咲いている、意外と注目していないが南相馬市の鹿島区が桜が映える場所がある、全体的にも大きな通りもないし街もない農村風景だからそこに桜が咲き映えている
でも何か原町とか相馬市では桜がそれほど映える場がない、確かに相馬市だと城跡に桜並木があり桜が咲いている、ても市全体となると何か桜が映えるとも見えないのである
ただそれぞれの場所に桜は咲いているからそうして近くでも発見されていないのである
あまりにも日々見慣れた景色は感動しないのである
だから人は旅にでるのである、遠くに向かうのである

ひごろ憎き烏も雪の朝哉 (松尾芭蕉)

何かこれがわかる、田舎だと醜いものが目立つのである、でも朝が明けたら一面に雪におおわれていたとなる、それが桜にも言える、一面が桜におおわれ花の雲となっている
それは日本だったらどこでも見られる景色なのである
それが日本がの良さだとなる、だから桜の名所は無数にあるとなる
名所と言われるところだけが名所とはならないのである
鹿島区だと万葉ふれあいセンターも桜の名所となっている
ただ桜田山の方は桜が枯れてしまっているの名所が変わったともなる

それから自分の家から真野の中館の桜が見える、ここは南朝の武士が霊山から落ち延びた一族が住んだ只野氏はその時落ち延びた侍だったのである
それがこの土地の先祖ともなった、なぜなら只野という姓が50人とか南相馬市に多いからである

桜で圧巻だったのは残雪の吾妻嶺が見えて梁川から阿武隈川を下った時である
桜と桃の花が一緒に咲いて美しい光景になる、阿武隈川が蛇行してたぎつ流れる
それが雄大な景色となっていた
そして丸森を去るときに峠を越える

峠越え丸森去るや夕桜

こんなふうにして自転車で回っていたのが自分だったのである
何か丸森は夕桜として印象に残る場所だったのである
こういうことはまず車だと印象に残らないのである、過ぎるのが早いからである
峠を上ったな越えたなとかの感覚がもてないのである

峠越ゆ人の姿や春の暮

何かそこに人の姿が見える、でも今は車しか見えないのである
それで広重のような絵にならないのである
車が峠を越えて行くとかそれが絵にも詩にもならないのである
私はそうして自転車で坂をあるときは歩いて上っていたからそれが体に残る
車ではそうして記憶に残らない、ある地点から次の地点まで早く到達するかだけになってしまうのである
つまりどこでも今や人の姿がないのである

今日は花曇りになった、桜の時期でも天候は変化する、明日は雨となりもう桜は散るという、花の時期はそれだけ短いのである
この辺の問題はやはり小高とか浪江とか双葉でも人が流出したことである
家はあるのだが人は住んでいないのである
そういう町とか村でも桜は咲いても映えないとなる

さまざまのこと思ひ出す桜かな

命二つの中にいきたる桜かな 芭蕉

奇妙なのは小高でも浪江でも双葉でも桜並木がある、そこを去った人が多い
でも帰ってその桜を見る人がいる、浪江の桜は手入れしていた、でも帰る人は一割もないのである
だから人が住まないと桜も活きてこないのである
命二つとはまさにそこに住んでいた人たちのことである、一つの命ではない、みんなの命がそこの市町村で生きていたからである
そしてその故郷の桜をみると様々なことを思い出すともなる

何かこの辺は本当に不思議である、浪江の復興住宅に住んでいる人と話をする
その人も一か所ではない転々として住んだ、そして今ここに住んで自分と話ししていることも不思議だとなる、そんな運命がありうるのかとなる
第一故郷に住めなくなるとはいうことなど予想もしなかったことである

我が町の浪江の人や帰らざる故郷思ふ桜咲けども

何か流転の人生ともなった、普通はこんなことはありえないことだったのである













2021年04月03日

奈良の桜の俳句(奈良が語る歴史−京都との相違)


奈良の桜の俳句(奈良が語る歴史−京都との相違)



三重塔雀や奈良に蓮華かな

桜咲き奈良の夕暮れ古き壺

築地塀古りて門あり落椿

大仏に春の恨みや蝦夷鎮む

堂塔の跡の礎石や花の影

奈良なれば掘れば遺物や春の暮

(西の京)

夕桜奈良の昔や西の京

朝たずぬ唐招提寺や燕来る

春日没る薬師寺の塔古きかな


奈良めぐる近鉄の駅春の暮

秋日和猫の眠れる奈良の駅


奈良俳句集
http://musubu.sblo.jp/article/8619460.html



奈良を旅したのもずいぶん前である、30年とかそれ以上過ぎている
そうなると記憶もあいまいになる、だから今になると記憶することが大事なのである
なぜなら記憶が蘇らなければもうそこに行ったという旅したということもわからなくなるそこにいたということすらわからなくなる
でもこれだけ時間がたつとどうしても記憶があいまいとなる
それが意外と大きな問題だった、結局人間は何を記憶したが人生となる
だから一番印象に残ったことを延々と老人は語る、認知症になると戦争経験したことを千回も聞かされたとなり聞く方もうんざりしたとなる
でもそれが一番印象に残ったことだから語りつづけたのである

ともかく奈良とか京都とか大阪でも歴史が古い、その歴史があって桜が咲く、するとその歴史を知らないと感じないと何も感じないとなってしまうのである
外国から来た人は日本の歴史がわからない、するとなぜ大仏があるのかとその由来もわからない、大仏は鎮護国家のために作られたのである
奈良とは大和が興った場所であり日本国家の起源の場所でありそれが違っている
ローマだったらまさにローマがローマ帝国の起源の場所だったのと同じである

唐招提寺というときこれも名前のごとく唐を招くであり鑑真和尚が中國から海を渡ってきて仏教を伝えたからこの名がある、そういう簡単なことを見逃していた
人間は歴史的なことがつくづく簡単なことでもわからないことがあるのだ
そして大仏には蝦夷制服で殺された人々の魂を鎮めるものだったのである
靖国神社でも戦争で死んだ人の魂を鎮める場所だったようにである
そういうふうに歴史を知らないと何か今だけ見たら感じるものがないのである
ただこれだけ時間がすぎると奈良自体も変わる、朱雀門とかが再現されたりしているからである、平城宮も私が行った時は枯野だった、芒がなびいて何もなかったのである
だからそこがどうしても平城宮があったということが感じられなかったのである

月の出て平城宮跡枯野かな

こんなふうになっていた、だから今度訪ねて見れば感覚的相当に違ったものになる
当時の華やかさが多少再現されるとはなる
奈良とは何か印象として違っていたのは田舎だったということである
回りが田畑であり田舎の風景があった、そこが意外だったのである
それがまた京都との大きな相違だった、京都は千年都とてしつづいた
今にも継続している都である、でも奈良は日本の国家の起源となった奈良時代で日本の歴史の最初のページを飾ったがあとは京都が中心となり平安京となり次に鎌倉時代があり
さらに戦国時代には大阪が商都となりまた秀吉の大阪城が中心となった
その継続として大阪と京都が交通的にも新幹線でも走り奈良ははずれた地域となり実際に関西では田舎になったのである
だから奈良は田舎だよなと関西の人は言っている、実際に奈良から京都はそれなりに距離がある、一時間くらい電車でかかったような気がする
つまりそれなりに離れているのである

だから田舎だという時、奈良のはずれの方に三重塔がありそこは野原であり田畑があり
すずめが三重塔に群れてとまりレンゲが咲いていたのである
レンゲとなると何か田舎的だからである、桜と梅は奈良でも京都でも咲くがレンゲとなる田んぼとか畑が似合うとなるからだ
そもそも万葉集とは奈良時代の遺産だがそれはまさに都会ではない、田舎の暮らしを歌ったものである、奈良の山とか自然を歌ったものである
自然で暮らす人々の歌なのである、平城宮があったとしてもそれは一部の貴族のものである、その貴族にしても平安京の京都とも違う、それはローマの貴族がもともと農民でありその名前に野菜の名が多いというときそうである

もともと農民だから質実剛健でありローマ帝国の兵士となり大帝国を築いたのである
それと似ていて奈良の貴族は平安京の貴族とも違う素朴なものを原始性をもっていたとなる、だからこそ万葉集と古今集がなぜあれほど違うのかそれを示している
古今集の短歌は何か貴族の遊戯と化しているからである
宮中とか御殿の中での生活である、枕草子とか源氏物語の世界になる
万葉集の主なものはほとんど野に生活する人々を歌っているから本質的に違っていたのだそこに万葉集の価値がある

第一飛鳥でも藤原京でもそこは田畑になっている、藤原京の跡は田んぼであり秋にたずねたときは刈田になっていた、それでここが藤原京なのか都跡なのかそう思えなかったのである、それとにて奈良でもそういうことがあったが奈良はやはり都会であり平城宮跡があった、でもそこはただの空地とあれ荒野になっていたのである

ローマとか昔の外国の遺跡だとその跡が石の建築だから残っている
それで今でもローマでは地下であれいたるところにそのローマ時代の石の建築を利用して建物がある、日本ではそうした古い遺跡は消えてしまうのである
だから奈良の都にしても何もなくなってしまっていたのである
ただ大仏殿は日本国家形成の起源の記念として残ったとなる

いづれにしろ人間にとって記憶がいかに大事か、最後に残るのは記憶したものである
奈良でも京都でもローマでもたずねたから何か比べることができる
それでも記憶があいまいとなりわからなくなる、それが問題になる
歴史を知るというときやはり何度もその場をたずねないとわからないとういこともある
関西に住んでいればそれができるが東北だと遠いからできない
つまり人間の記憶は歴史は場所に刻まれているからである
だからその場所に立たないと記憶が蘇られないのである
奈良と言えばいまでもともかく発掘がつづけられて何かしら新しい発見がある場所である

土うもれ欠片(かけら)の語る昔なれ平城宮(ならのみやこ)の春のくれかな

日本は桜前線とか桜の国だけど桜は一二週間で散ってしまう、するといくら桜の名所が日本中にあっても桜は見れないのである、その見る場所が限られてくる
これだけ日本全国を旅しても桜を見たのは自分でも限られてくるからである
narakyotosakura.jpg

奈良から京都の色合いはこんなふうになる、京都となるとその色合いが濃くなる
そもそも万葉集には桜の歌は少ないのである、ただ今見ている桜はソメイヨシノでありこれは江戸時代のものであり
もともと桜は野生種であり今見ている桜とは違っていたのである
そこが誤解しやすいのである