2021年04月19日

AI,コンピュター革命で変化すること (対応できないと失業して仕事がなくなる)


AI,コンピュター革命で変化すること

(対応できないと失業して仕事がなくなる)

AI社会でコンピュター化する社会で起きていることが実際にまだまだ実感する人は少ないだろう、これは相当な変化である
社会が大きく変化するとき技術の進歩がある、

捉老 7年の三世一身法から天平15年の墾田永世私有法まで,一般百姓が独力で土地を開墾した例が発見できないことを述べ,これを一般百姓の貧困に帰し,労役が多かったことが百姓困窮の原因であったとする。これに反し,鉄製牒具を豊富に所有していた勢力ある家では,貧弱な農具を不足勝ちにしか所有していなかった一般百姓をかくまい,思うままに躯使しうる好条件におかれていたので,農具の所有関係において貧しい一般百姓は墾田私有の制により一層貧窮に駆り立てられ,自活することさえ困難となって荘園化が進んだと述べている。

[書評] 鋳方貞亮著『農具の歴史』

これはその一例であり農業と農具の関係は密接である、なぜなら稲荷神社というとき稲荷とは鋳成りであり鉄の道具と関係しているからだ
つまり稲荷神社とは鉄の道具を祭ったからだともなる、それだけ鉄の道具は農業の進歩をもたらしたからそうなる

技術の進歩が社会を変えることは歴史を見る時わかりやすいのである、それはいろいろな方面にありわかりやすいのは鉄砲が外国から入ってきて信長が鉄砲を利用することにたけていて全国統一したとなる
最近では中国では麦を鎌で刈り取っていた、人力だった、刈り入れの時は出稼ぎ者きてしていた、でもコンバインが麦をかりとるようになるとそうした人力は必要なくなる
コンバインだと人力の百倍とか千倍との効率で麦を刈り取るからである
その差は歴然としている

このように技術の進歩は社会を変える、コンバインで人力がいらなくなる、するとその人力で働いていた人たちはどうてるのか、出稼ぎの麦刈りはいらないとなれば失業する
おそらくそういう農民は工業化したとき都会への出稼ぎ者となる
20年前には中国では出稼ぎ者の数が膨大に増えた、都会に仕事があるから地方から都会に人は流れた、それが流民ともなった
ある時中国では人の流れが怒涛のごとく起りそれが革命ともなる

その時私は中国を旅したが人間は家畜のように貨車につめこまれるように乗せられて移動していたのだ、実際に鞭で打たれて車輌につめこまれていたのである
それだけの人が移動していた時代があった
その時からすでに中国は高度成長時代へと向かっていたのだ

大きく時代が変わる時、技術も進歩して変わる
それが今はIT革命、コンピュター革命になっている、ただこれは頭脳と関係しているからみんな簡単に理解できないのである
なぜなら蒸気機関車とか飛行機とか車とかこういう道具は庶民でもすぐにどういうものか理解できる、でもコンピュターとかITはみんなすぐに理解できるものではない
おそらくそのためにこの革命はそれを使いこなせるものとこなせないもの、それに触れられないものとの差が大きな格差をうむ
でもスマホは誰でもしているからもうコモデティ化しているから普及したからみんなIT社会の中に組み入れられたとなる
ただ老人はついていけないとなっている

何かこのIT革命で大きな変化が情報分野で起きている
銀行すら実はメデアでありメデアは仲介するものという意味でありそうした仲介するものはいらなくなるのが現代のIT情報革命である
仲介するというときマスコミであれテレビであれそれも仲介するものでありその単に仲介するものが大きな力をもっていた、テレビで報道するのは六局した許可されなかったからである
でも今になるとyoutubeとかでテレビ放送している、無数のチャンネルがプログもあり生まれたのである
それはメデアを通さないで仲介者を通さないで直接報道している
仲介するものというとき出版社とかもそうである、本を出すには個人ではできない
出版社がなければできい、何か意見を言うにも新聞社とかテレビを通さないと言えなかったのである
するとその仲介するものが大きな権力をもつことになったのである

それは今でもグーグルとかがプラットフォームとなり巨大な世界の主要な企業となって利益を手中にしていることでわかる
これも明らかに新しく仲介するものである、だからトランプ大統領の発言まで禁止することができたからである
メデアをもつことは巨大な権力を持つことになっていたのである
それは今までは新聞とかテレビだったのである
テレビに出してくれるとなればそれでたちまち中味はどうであれ有名になったからであるそれで政治家はテレビに出たいとなる、また中味がない俳優でも議員になれた
それはメデアの力であり本人の実力とは関係なかったのである
東京都知事すら何かふざけたお笑い芸人がなったことでもわかる
私は選挙運動はしないとしても当選していたのである
それはメデアを通して知られていたからである 

いづれにしろ日本がこのIT革命に遅れをとったのはこれが何か理解できていなかったからだろう、ただ物造りだけではなくなった世界の変化をつかめなかったのである
私自身がこのIT革命で感心したのは翻訳である
80%くらい正確であることに驚く、英語力がない自分より優れている
英訳することはもっとも日本人にとってむずかしいからである
それが安易に自動翻訳する、それも詩だって80パーセントくらい正確に翻訳しているのである
するとAIの方が人間より優秀だなと思ってしまうのである
そういうことはいろいろな分野で起きて来る
そして人間は失業してしまう、人間の仕事はAIに変わるからだ

人間の仕事は機械化しAI化してコンピュター化すると人間のすることがなくなる
そういう社会になるということに備えねばならないともなる
現実に近くのスーパーのレジも自動化している、意外としてみると簡単なのである
つまりレジの女性はそうなると失業するのである
そういうことがこれからもいろんな分野で起きて来る
銀行がだめになったのはそれがメデアであり仲介するものだったからだというのもそうかとなる、金を集めてその金をためて貸す仲介業者だった
でもそれが機能しなくなったのはクラウドファンディングとかインタ−ネットで直接投資する投資形態が生まれたからである
それで百キロ走れる折り畳みの自転車が欲しいとなりそれに応募すれば開発して売っているそういうことは銀行がしていたともなる
何か有力な事業に金を貸してその利益を得るとなる、でもその仲介業は必要なくなったとなり銀行の役割りが問われる、銀行とはただ金を集めて利子もつけない
むしろ通帳を作ったら手数料をとるとか投資信託とかを売りつけるとかなる
何か地銀としての役割がなくなったのである

こういうとき時代の変化に取り残されるものが出てくる
馬車が鉄道ができて仕事がなくなったとかになる、銀行もそういうものになる
ただこのIT革命とかがわかりにくいのは頭脳と関係しているからだと思う
何か鉄道とか飛行機とか具体的なものとしてつかめないからである
情報社会とは何か直接かかわらないとわからないのである
たまたま自分はワープロ時代がありそこに通信機がついていて通信をしていた
それでその延長としてホームページを作りまたプログをするようになった
ただスマホはしていないから遅れてしまったとはなる

ともかくこれからの時代は教育でも何でも見直すことがせまられる
ITをコンピュターを使いこなすことが必要になる
それは文系でもそうである、図書館でいちいち調べると手間になる
福島県だと福島市に大きな図書館があっても離れていれば利用できない
でも電子化したらどこでも利用できる、図書館は別に場所と関係なくなる
中央電子図書館が一つに情報を集積すればいいとなる
すると専門家でもなくても学者の論文でも自由に利用できればそれなたのものを書けるとなるからだ

ただこのIT革命に日本が遅れをとったのは日本の文化と関係しているかもしれない
日本はもともと村社会がアイディンティティの場であり狭いのである
そこでは対面的に腹でわかるとか話せばわかるとかの社会でありじかに合わないと社会生活が成り立たない、そういう社会だと人と対面で合わないというのは苦手になる
ただ本当のことは心からわかりあえるにはじかに合わないと信頼関係も築けないとなる
自分自身でも何かある場で話しすると話しがはずむし理解が深まる
それで丸森の筆甫で枝垂れ桜がきれいなのを見てそこのばあちゃんにたまたま聞いたら50年過ぎてこうなったのですよと聞いて納得した

その場でじかに立って話する時、本当に理解するのである
それをテレビの画面とか写真とかだけでは理解できない、その場の雰囲気はその場に立たないと実感できないからである
だから情報というのはその場に立たないと実感できないことかある
だから何か起きることはtake placeであり場と関係していたのである
だから「かんながらの道」という場を重視した取り組みには共感するのである
警察の事件の操作でも現場に行けというときもそうである
人から聞くとかしてもその事件の起きた現場に行くことで実感するものがあるからだ
それは歴史でもそうである、その場に立たないと深く理解できないのである
地理は特にそうである、地図を見てもわからない、その場に立たない限りわからないのである

いづれにしろこのIT革命、情報革命は何かわかりにくい、でもそれが現実社会を変えることが起きてくるとき実感する、銀行がだめになったのは明らかに銀行もメデアだったからだとなるからだ、仲介するものであったからだ
その仲介するものメデアが今一番影響を具体的に受けているからである

花は散る―その後に八重桜咲く


花は散る―その後に八重桜咲く

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あやめ咲き顔見せぬ女(ひと)庭に石


花はみな散りにけらしも風うなり時の移りのはやかりしかも

しばしの間残れる花見ゆたちまちに風吹き散らし消えてなしかも

夢なれや一夜の嵐に花の散るなほうなり吹く風の音聴く

ほのぼのと桜散る後八重桜心温かき女(ひと)のあれかし

同じ場に牡丹の種落ちて咲く我が庭に見て栄受け継ぐ

白椿奥にひそけく隠れ咲く心静かに我のみ見ゆかな


二日三日風が強く吹く、嵐もあった、そしてたちまちに桜は散った
桜は散るのが早い、だからどうしても死を連想する
それで特攻隊は桜散るごとく死んだということで死を美化されたと批判がある
本当に夢のように桜は咲いて散る、人間でも60年一緒に暮らして死んでしまいば
一場の夢になってしまう、そんな人いたのかともまでなる
それは家族ですらそうなのである
今年は桜は早く咲きそして風がうなり吹き散った

その後に八重桜がほのぼのと咲く、その赤さが映える
庭には牡丹が咲き朝の光りを受けてまばゆい、この牡丹の不思議は何十年も咲き続けていることである、何か自分の家の庭では花が咲かなくなる、栄養分がたりないのか咲かなくなる、牡丹は大きい花だからこうして咲き続けているのが不思議である
一旦は去年は5輪くらい咲いたがそれが途絶えて種が同じ場所に落ちて別に新しいのが咲いたようである、だから二輪しか咲かないのである

あとは白椿が咲いている、それは奥の方で見えない、何か女性でも目立たない人がいる
性格的に家にこもり顔も見せない、隣とかにもいる、性格的にそういう人は男女でもいるそういう内向きの人は損である、自分もそうだから何か好まれない
でもそういう性格を変えることはできない、見方によれば奥ゆかしいとなる

自分はとにかく人間が苦手である、人と会うのが苦手である、だから引きこもりになったそういう性格の人はいる、それを無理やり外交的にするのはかえって悪い方向に向かわせる、内向的でもその性格にあったことをしていればいいとなる
厥か社会ではしにくいのである、だから自分は学校とか会社とか集団生活するところがあわないのである
一人することがあっている、芸術とか何か一人でできること、創作することがあっているとなる、ただそういう生活を許す与えてくれる場がない、そういう人は引きこもりになるのである
でももしそういう人でも内向的でも才能を開発することはできる
それが自分にはできた、そういうことが許された家庭環境だったからである
普通はこういうことはありえないのである

自分は人間は交際は苦手というより人間嫌いなのである、だから常にイメージしているのは自然であり木とか石とか花とか山と自然の事物とアイディンティティ化することであるそういう詩を書き続けているのである
そこには自然があっても人間がいないのである、人間は自分にとって嫌なものとして何か常に歪んだものとして見える、それで人間と接したくないとなった
ただこれも問題であった、でも性格的にどうしてもそうなるのである、これだ極端化すると異常化することが問題なのである