退職してすべきことはボランティアではない
(消費することであるが金がないとできないー駅のボランティアの経験から)
(消費することであるが金がないとできないー駅のボランティアの経験から)
週間ポストー5月21日号
人間はいくら善意の行為でも受け入れられない、私は駅で案内したりしたのは別にボランティアとしてしたわけではない、たまたま買い物にして駅によったら無人駅なので
切符をどうするのかと聞かれたことから案内したのである
それは無人駅になったばかりであり地元の人でもわからない人がいたからである
でもそこにいるだけで何んだこいつとはなる、例えば上がり下がりの電車の行く先のホームが意外とわからないのである
それで聞かれたので行く先を示す表示をしてくださいと言ったらしてくれたのである
無人駅だと何か自動化しても何かすることが案内することがあったのである
なぜそれが駅長からもまたJRからも周辺の住人からも否定されたのか?
それは一部であったが何かうるさいのである、なぜあなたはここで案内しているのか?
JRにしてみれば許可もないのになぜしているのか?
それがうるさいのである、監視カメラで見ていたのである
ホームに入ったからと高校生の見守り役に注意された
なぜホームに入ったかというとこれまでホームにゴミ箱が置いてありゴミ箱がないかと乗客に聞かれたから見に行ったのである
そしたら高校生の見守り役に入るなと言われたのである
ともかくボランティアは一人ではできないしすべきではない、この週刊誌の記事のようになる
怒られ、脅され、訴えられ....
これが大げさとかではない、自分自身が周りの人から警察に怪しい奴がいると訴えられたからである、そしてみんなの前で職務質問された、その時エベントがあり人が大勢いたときである、公衆の面前でこいつは怪しい奴だとされただけだった
今は高校生の見守りがいる、その人たちはJRにも認められているし市で金も払って見守り役をしている
ただ駅の業務はしないとかなにかJRと約束してしている
それでそのことについて市民が文句を市に言った、そしたら駅の業務を多少するようになったとか言っていた
ともかくボランティアはかえってめんどうである、この週刊誌の通りなのである
何かかえってもめごとに巻き込まれる、いくらボランティアでもそれがそのまま善意の人として認められるわけでもない、それよりなにやかにやとクレームが来たり訴えられて裁判までなる、これは嘘ではない笑い事でもこれが退職後のボランティアの現実なのであるだから何もするなというのは退職して安易にボランティアをすることの警告なのである
では一体何をすべきなのか?これは私にもわからないが退職した老人のすべきことは
消費ではないか、消費というと何か社会の役にたたないとみるが現代では消費者は神様だとか言われた時代である
消費することは店でもどこでも喜ばれる、小さな店屋で物を買えば喜ばれる
例えば自転車屋でも高い電動自転車を買えば喜ばれる、お菓子屋でお菓子を買えば喜ばれる、今時コロナウィルスで客が来ない観光地に泊まればこれも喜ばれる
県内とかだったらそうである、そうして消費することは歓迎されるし歓迎される方が気分がいいとなるそれは社会のためにもなっているのである
それで原発事故で避難して来た人が仮設に入っていたが私はここで金を使っているから
この土地の人を助けているのよと言っていた
実際に問題があったにしろ各地に避難した人はそこで消費したから店では金になったということはあるからだ
この辺でも自転車屋に聞いたら店に来る人は知らない人が多いと言っていた
それだけ外部から移住した人が多いからそうなったのである、別にそれは悪いことではない
なぜなら消費してくれるから金を使ってくれるからだ!
外から移った人でも自転車でも買ってくれるからいいとなる、歓迎されるとなる
学校でも転校したとしても生徒が増えたからいいとなる、なぜなら今子供の数が減っているからだ
意外と消費することが経済を活性化するのである
でも老人の問題は消費できなくなることである、私はヤマハのYPG-XCを35万以上で買ったこゃは本当にいいものだった、マウテンバイクだから若者向きだと思っていた
全然違っていた、かえって老人向きだったのである
なぜなら楽に走れる優れものだったからである、これは体力が弱った老人向きとしても
ヨ−ロッパで開発されたものだからである
ただ荷物が載せられないとかで困った
それで荷台がついたものを同じユニットドライブのものを買おうとした
長距離にはいいなと思ったからである、でも体が弱って長距離には行けないと思った
体中が疲れて何か一週間くらい遠くに行ってそうなったからだ
若い時ならその自転車を買っていた、でもそれを買っても使えないとなり消費できないとなったのである
何か老人になると最新の技術のものを使えないということがある
そして老人向きのもので消費できるものがないというのは確かにそうだと思った
老人向きに売れるものは作られていないというのもわかる
つまりまた老人は金をもっていても消費できないという問題が生まれていたのである
また老人がみんな金をもっているわけではない、だからこれもうまくいかないともなる
人間はいくら善意の行為でも受け入れられない、私は駅で案内したりしたのは別にボランティアとしてしたわけではない、たまたま買い物にして駅によったら無人駅なので
切符をどうするのかと聞かれたことから案内したのである
それは無人駅になったばかりであり地元の人でもわからない人がいたからである
でもそこにいるだけで何んだこいつとはなる、例えば上がり下がりの電車の行く先のホームが意外とわからないのである
それで聞かれたので行く先を示す表示をしてくださいと言ったらしてくれたのである
無人駅だと何か自動化しても何かすることが案内することがあったのである
なぜそれが駅長からもまたJRからも周辺の住人からも否定されたのか?
それは一部であったが何かうるさいのである、なぜあなたはここで案内しているのか?
JRにしてみれば許可もないのになぜしているのか?
それがうるさいのである、監視カメラで見ていたのである
ホームに入ったからと高校生の見守り役に注意された
なぜホームに入ったかというとこれまでホームにゴミ箱が置いてありゴミ箱がないかと乗客に聞かれたから見に行ったのである
そしたら高校生の見守り役に入るなと言われたのである
ともかくボランティアは一人ではできないしすべきではない、この週刊誌の記事のようになる
怒られ、脅され、訴えられ....
これが大げさとかではない、自分自身が周りの人から警察に怪しい奴がいると訴えられたからである、そしてみんなの前で職務質問された、その時エベントがあり人が大勢いたときである、公衆の面前でこいつは怪しい奴だとされただけだった
今は高校生の見守りがいる、その人たちはJRにも認められているし市で金も払って見守り役をしている
ただ駅の業務はしないとかなにかJRと約束してしている
それでそのことについて市民が文句を市に言った、そしたら駅の業務を多少するようになったとか言っていた
ともかくボランティアはかえってめんどうである、この週刊誌の通りなのである
何かかえってもめごとに巻き込まれる、いくらボランティアでもそれがそのまま善意の人として認められるわけでもない、それよりなにやかにやとクレームが来たり訴えられて裁判までなる、これは嘘ではない笑い事でもこれが退職後のボランティアの現実なのであるだから何もするなというのは退職して安易にボランティアをすることの警告なのである
では一体何をすべきなのか?これは私にもわからないが退職した老人のすべきことは
消費ではないか、消費というと何か社会の役にたたないとみるが現代では消費者は神様だとか言われた時代である
消費することは店でもどこでも喜ばれる、小さな店屋で物を買えば喜ばれる
例えば自転車屋でも高い電動自転車を買えば喜ばれる、お菓子屋でお菓子を買えば喜ばれる、今時コロナウィルスで客が来ない観光地に泊まればこれも喜ばれる
県内とかだったらそうである、そうして消費することは歓迎されるし歓迎される方が気分がいいとなるそれは社会のためにもなっているのである
それで原発事故で避難して来た人が仮設に入っていたが私はここで金を使っているから
この土地の人を助けているのよと言っていた
実際に問題があったにしろ各地に避難した人はそこで消費したから店では金になったということはあるからだ
この辺でも自転車屋に聞いたら店に来る人は知らない人が多いと言っていた
それだけ外部から移住した人が多いからそうなったのである、別にそれは悪いことではない
なぜなら消費してくれるから金を使ってくれるからだ!
外から移った人でも自転車でも買ってくれるからいいとなる、歓迎されるとなる
学校でも転校したとしても生徒が増えたからいいとなる、なぜなら今子供の数が減っているからだ
意外と消費することが経済を活性化するのである
でも老人の問題は消費できなくなることである、私はヤマハのYPG-XCを35万以上で買ったこゃは本当にいいものだった、マウテンバイクだから若者向きだと思っていた
全然違っていた、かえって老人向きだったのである
なぜなら楽に走れる優れものだったからである、これは体力が弱った老人向きとしても
ヨ−ロッパで開発されたものだからである
ただ荷物が載せられないとかで困った
それで荷台がついたものを同じユニットドライブのものを買おうとした
長距離にはいいなと思ったからである、でも体が弱って長距離には行けないと思った
体中が疲れて何か一週間くらい遠くに行ってそうなったからだ
若い時ならその自転車を買っていた、でもそれを買っても使えないとなり消費できないとなったのである
何か老人になると最新の技術のものを使えないということがある
そして老人向きのもので消費できるものがないというのは確かにそうだと思った
老人向きに売れるものは作られていないというのもわかる
つまりまた老人は金をもっていても消費できないという問題が生まれていたのである
また老人がみんな金をもっているわけではない、だからこれもうまくいかないともなる
コロナウィルスで巣籠り需要が増えたという時、庭作りとかが向いているとはなる
ただこれも金がかかるから金がないと消費できないともなる
実際今回玄関の方に木を植えたからである
では老人は何をすべきなのか?
要するに老人は社会の邪魔であるとか何もするなとなる、かえってボランティアなど迷惑になるからするなともなる
でも高齢化社会で長生きする、すると一体老人は何をすべきなのかとなる
社会に役立つにもできない、自分自身はプログを書いてそれを仕事にもしている
退職して何か蒸気機関車の再生のために退職したベテランの技術を若い人に教えていたとかはある
でも会社とも退職すればほとんど関係なくなる
それで旅行したりするのはいい、宿に泊まれば歓迎される、金を使えば歓迎される
結局こうして何か消費することなのである、それが社会貢献になる
ただそれが浪費ではなく、趣味でも高価なカメラを買っていい写真をとるとかその人によっていろいろある、資本主義社会では消費者が王様だとされたように金を使う人間はどこでも歓迎されるのである
だから金のない老人は悲惨だともなる、誰も子供すら相手にしないともなるからだ
ただ老人でもすべてを金だけでは判断できない、若い人に教えるということがある
そういう人は別に金を使うというだけではない消費するだけではない、有用て人間として社会でもみるとなる
ただ手っ取り早いのは消費することである、でもそれは一部の金をもっている人だけともなるから問題なのである
では老人は何をすべきなのか?
要するに老人は社会の邪魔であるとか何もするなとなる、かえってボランティアなど迷惑になるからするなともなる
でも高齢化社会で長生きする、すると一体老人は何をすべきなのかとなる
社会に役立つにもできない、自分自身はプログを書いてそれを仕事にもしている
退職して何か蒸気機関車の再生のために退職したベテランの技術を若い人に教えていたとかはある
でも会社とも退職すればほとんど関係なくなる
それで旅行したりするのはいい、宿に泊まれば歓迎される、金を使えば歓迎される
結局こうして何か消費することなのである、それが社会貢献になる
ただそれが浪費ではなく、趣味でも高価なカメラを買っていい写真をとるとかその人によっていろいろある、資本主義社会では消費者が王様だとされたように金を使う人間はどこでも歓迎されるのである
だから金のない老人は悲惨だともなる、誰も子供すら相手にしないともなるからだ
ただ老人でもすべてを金だけでは判断できない、若い人に教えるということがある
そういう人は別に金を使うというだけではない消費するだけではない、有用て人間として社会でもみるとなる
ただ手っ取り早いのは消費することである、でもそれは一部の金をもっている人だけともなるから問題なのである