2021年05月25日

除染専門会社へ県で土木事業を請け負わせた問題 (トリチウム放出には県民投票を!日本には民主主義がなかった)


除染専門会社へ県で土木事業を請け負わせた問題

(トリチウム放出には県民投票を!日本には民主主義がなかった)

seikeicolona1111.jpg

政経東北5月号

koronakouji1.jpg



このことで除染専門会社が普通の土木事業に参加した、でもその技術はないのにそうした除染のために作られた会社であり入札させるのはおかしいとしている

ではどうして自治体で技術力もない除染専門会社に受注させているのか?

これは自治体の問題であり責任ではないか、技術力もないのになぜ受注させているのか
そこが疑問なのである
誰かが政治家でも力があって受注させているのかともなる
第一そんな技術力がない会社に受注させないだろう
それで後で地元の業者にしりぬぐいさせている、そんなことをわざわさして手間をかける必要がないとしている
地元の業者に受注させればいいとなる
でもそこに除染専門会社が入れるのはなぜなのか、何か安くできるからだとしたらそれは自治体の責任になり行政の責任になる、問われるべきは行政だとなる
議会で議員が追及すべき問題だともなる、そこで議員も問われているとなる
なぜ追及しないのかとなるからだ

それで相双リテックは除染専門会社であり清水建設の下請けになった、何の技術力もないのになった、そして幹部に何億も金が支払われた、それは陰で大物の政治家が働いたからだと追求している記事があった
その相双リテックの宣伝が政経東北の裏表紙を全面的に飾っていた
つまり政経東北はこういうことがわかっているのだから相双リテックの不正を追求できるがしていないのである、それは宣伝費が相双リテックから得ているからだとみられてもしょうがない、宣伝費をもらった会社は追求できないとなる

ただ政経東北では知事をトリチウムの海の放出で批判している

処理水海洋放出は県民投票で決める

まず内堀知事は県民投票を行い、その中で議論を尽くすべきである
漁業関係者のみうがステークホルダー(利害関係者)のように扱われているが様々な形で影響を受けるとすると県民すべてがステークホルダーとなる

ステークホルダーは、極めて広い範囲の人・団体が対象となるが、大きく分けて「直接的ステークホルダー」と、「間接的ステークホルダー」とに分類できる。直接的ステークホルダーとは、主にユーザーや顧客、株主、従業員、取引先、金融機関などを指す。企業やグループに直接関わりがあり、影響を与える又は受ける人・団体を指す。間接的ステークホルダーとは、従業員の家族、労働組合、公的機関、地域社会などの、間接的に影響を受けるステークホルダーを指す。

このことは私自身が追及して述べていたことである
漁業組合とか船主が事故前も多額の補償金をもらっていた、漁業権を盾にしてもらっていた、そして漁業組合と東電の交渉だけで決められて
ここで言うステークホルダーの範囲はそこに住む住民にもかかわり福島県民にもかかわり広くなれば海全体を汚染するのだから世界の人にもかかわるとなっていたのである
それが漁業組合と船主とかだけの交渉となったことに問題があった
それで海は誰のものかとういことで追及して来た

そもそも内堀知事は政府の言いなりといっているのもそうである
要するに政府の下僕として遣わされた人だともなる、だから県民の意向は考慮しない
ただなにか県民投票というのもなじみがない、県民意識もそれほどない
第一いろいろあっても議論の場もない、すると報道するのは福島民報とか民友とかでありテレビでも報道しても一方的であり関心をもたないのである
民主主義でも本当は県民でも市民でも町民でもまず地元の問題を議論する場すらない
また重大なことを知らされることもない、それで重大なこともあずかり知らないところで決められていたのである
つまりそういうふうに民主主義が機能していないから上の人のやりほうだいとなっていたその象徴が安全神話の形成だったのである
どうせ原子力のことなど地元の人は知らない、関心があるのは利益だけだ、だから金を与えればいいのだとなっていた、それを受け入れたのも地元住民なのである

何かそもそも市政でもさらに県政とかなると一庶民など発言する場すらないのである
私が今こうして発言できるのはインタ−ネットができたからである
政経東北は確かに今の問題をわかりやすく切り込んでいることは言える
でもまたそれでも一方的になる、そこにも矛盾と利害関係があり
相双リテックの法外な除染の利権を報道せずに裏表紙に会社の宣伝をしているのである
だから何かそうなるとそうした悪を追求できるのかとなる
宣伝費をくれるなら追求しないとなるからだ、それは他の新聞でもテレビでも同じなのである、もう大きな組織集団として権力をもっているものは追求できない
相双リテックなど小さな会社でも宣伝費をもらえば追求しない、だからとても巨大な権力組織団体は追求できないとなる
その時悪は増長してそれが大きな被害となってゆく、悪は常にそれを指摘しないと増長してゆく、そして止められなくなり大事故とか大被害となったとき気づくのである
それが原発事故で判明したことなのである

だから私自身もインタ−ネットで発言できることによってジャーナリストの端くれとなり目覚めたのである、まずこうして発言できなかったら目覚めることもないしただ上からの言いなりだったとなる
まず本など普通出版できないしマスコミで発言などできないからである
私の本は個人というだけで地元の図書館に置くことすら断られたことがあった
ただその本は重に郷土史でも個人は取り扱ないとして拒否されたのである
こうして一個人など何も発言できなかったのである

日本には民主主義はなかった!

日本は20年から1つ順位を下げて67位となった。慣習や経済的利益に阻まれて記者が権力監視機関としての役割を十分に果たせていないなどとした。

つまり日本にはお上の言いなりであり有権者でも個々人は発言もできなかったのである
マスコミで発言できるのは極一部のマスコミのお気に入りでありマスコミの言いなりになる人だけである、NHKでもそうである、NHKが指導するのでありNHKの言いなりになる人が発言できるだけなのである、NHKが報道はとりしきるとなる
NHKの意向に反する者は拒否される、そして何も起きないならいいがそこで大きな被害が
国民に及ぶことがある、それが戦争の被害だったり原発事故の被害だったりまたコロナウィルスでもマスコミがとりしきるとやたら危険をあおるだけであり真実が見えなくさせられるのである、第一統計が出ていない,データーがないということで優秀な学者も判断できないとしている、隠蔽されたりしているからそうなる
日本には本当に報道の自由がない国だったのである、一応見かけは自由なようで自由がない、厳しい規制の社会なのである
ただインタ−ネットがそれを打ち破る強力なツールとはなるがそれもわからない
なんらかまたここでも規制がかかったり脆弱なものがあり一個人だと発言が制限されるとなるからだ



posted by 天華 at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

「生活困窮」の原発避難者が急増 今になり原発事故の責任の重さが住民に問われている


「生活困窮」の原発避難者が急増

今になり原発事故の責任の重さが住民に問われている

sekei55.jpg
政経東北5月号


この辺でシシドスーパーの隣に復興住宅がある、そこに主に浪江の人たちが住んでいる
そこで良く出会う人がいる、大工をしていたという、でもやめたという
だから暇でいつも川を見ている
家とか土地があり補償金はそれなりにもらったから困らない
でもその額が例えば5000万としても多いかどうかはわからない
なぜなら土地と家で5千万も前のような家を建たればかかるともなる
建売住宅だと2500万である
とにかくその補償金でも高いとも言えないかもしれない
ただ一億円くらいもうらとそれなりに補償されたとなる
それだだけの財物補償された人は少ないともなる

そして意外と今原発避難者の生活困窮者が増えたのはなぜなのか?

●補償金をぜいたくで使ってしまった

●思った以上補償金がもらえなかった

こういうことが理由となる、その人は小高の人でありもともと金使いが荒い
でもそれだけの仕事ができる稼ぐ人だからとやかく言うことはできない
補償金で贅沢したという時、やはり高い車を買ったとかはそうである
一時レクサスを買ったとかで話題になった
だから金使い荒くなって金がなくなったという人もいるのである
そして移住先で仕事がてきないとかもある、また仕事をしないということもある
つまり何かこの辺ではすべて原発事故が原因であり東電や政府の責任としているが
住民の責任もあったことが見逃されている
何か全く住民には責任がないともなっている
住民の責任が自覚されていないのである

そもそも原発は受け入れた時、大きな責任が住民に生まれていた!

大きなリスクを負う、責任を負うことになった!

ここが見逃されているし自覚されていなかった、それが事故で否応なく自覚されたのである、住民の責任もいかに大きく重いものだったか自覚させられた

人間はつくづくいい面と悪い面をもたらすことがほとんどである
いいと思うものが悪いものに変化する
そのことは自分自身の介護で苦しんでわかった
自分は親に一番良くされたのである、だから親は自分にとって一番いいものだったのである、でも認知症になったとか二人の親を介護するために死ぬほどの苦しみを味わったのである
ここでもいい面が悪いものとして作用するようになったのである
でも結果的にこの場合は総合的にはやはり自分にとって親は他の人たちと違って特別いいものだったのである、だから今でも感謝して供養している

原発でもそういうことがあった、原発は地元の住民にとって悪いものではなかった
それで経済的にはうるおったしそこで働いて豊かになったからである
だから誰も反対する者はいなかった、今でも東電を責められないというのはそういうことがあるからだ
ただ事故になった結果それが反転したのである、そして住民もその責任の重大さを否応なく自覚させられたのである

そこには大きなリスクがあった!

そのリスクによって大損失となった、その重大な責任が自覚させられて負うことになったその責任は「安全神話」作った東電とか政府にもあった
リスクがあるとういことを説明しなかったからである、ただ安全神話をおしつけるだけだったのである、そうして安全をかえって備えなかったのである

そのことは銀行の投資信託とか株を営業の人にまかせて買わされて損して失敗したのと似ていた

確かなことは銀行は絶対に損しない!

手数料だけが確実に取る、その額が3パーセントとか大きい

銀行は全くリスクをとらないおいしい商売なのである

そして地銀は投資信託とか株式のことを専門ではないので知らないのである
でもすすめるのは手数料が高いし絶対に銀行が損しないからである
ではまかせた客に責任がないかとなればある

あるないにかかわらず責任はまかせたにしろ知らないにしろ自己責任だとなる

つまり知らないではすまされないのである、自分の金が勝手に奪われのは自己責任だともなっていた

原発でも同じである、そこに住んでいる人が原発のことを知る必要があった
でも「安全神話」で知らされなかった、少なくとも銀行の場合はリスクは言っていたのである、原発の場合はリスクは言わない、絶対安全だとしか言わなかったのである
言わせなかったのである、マスコミでもなんでも権力で口封じしていたからである
そして政府とか東電では責任はとらない、それは銀行とも似ている
その幹部でも責任はとらない、誰か刑罰になったとかいうとならない
何か幹部の財産でも没収されたかとなるとならない
これも本当におかしいのである、というのは例えば司法関係の人も東電に天下りしているしそれで告発もできない、裁判もできないともなったのかとなる
誰一人として重い責任を自覚した人はいない、というのは自殺した人が政府で東電の幹部でも一人もいないからである、会社でも政治家でも何か賄賂とかあると秘書が自殺したりする、でもそういうことも起きなかった
これだけの大事故でもそうだったのである、誰も重い責任を自覚しなかったいうことである

今原発避難者が生活が困窮しているというとき原発を受け入れた責任を身をもって受けているともなる、それが全部政府とか東電の責任ではないからだ
地元の住民にも広くみれば原発を受け入れた日本国民の責任だったともなる
例えは戦争で三百万人も死んだ、その責任は誰にあるのか?
全部が政府とかマスコミとかいろいろあってもその責任は国民全部にあるとなり300万人が死ぬことにもなったのである

そういう自分自身にも責任がなっかとなるとあった
ただ30キロ外だから責任がそれほど課せられなかったとはなる
でももっと関心を持つべきだったと反省する、それだけ重大なものだったからである
とにかく人間は意外と責任を自覚しないのである
ではどうしたら責任を自覚するのかというと苦しむ時なのである
それはカルマでも同じである、カルマを意識するのは苦しむ時なのである
苦しんでカルマが清算されるからである
だから補償金で贅沢したというのは一面おかしなことだった
酷ではあるがもっと苦しめばその責任の重さをカルマを自覚したとなるのだ
その苦しみによって原発がどれほど危険なものだったかを自覚できたのである

それでもっと苦しんで原発の恐ろしさを知るべきであり知らせるべきだともなる
一旦原発事故になったらあのように悲惨なものになり責任を負わされるとういう証人になるからだ
それが補償金が何億をもらったとかかえっていい暮らしができるとなれば原発はただいいものだったとなるだけであり誰もその責任を自覚できなくなる
それで何か補償金で贅沢してまた苦しいから補償しろとかいうのも勝手だともみる
ただ飯館村は原発の恩恵を受けていないから例外だとはなる
ても飯館村の人でも原発で働いていた人がいたのである

要するに人間は何であれ必ず責任が課せられている、それがカルマなのである
何か行った行為にカルマを産みだしてカルマは責任として負わされそれが苦しみとなってはじめて自覚されるのである、もし苦しみがなかった自覚できないからである
ただ得をすればいいというだけ決めるとこうして重い責任がカルマが課せられていることを自覚できない、でものちのちそのカルマが苦しみとなって現れる
私の場合は親の介護でその苦しみが現れた、でもトータルでは親の恩恵の方が大きかったから感謝して供養しているとなる

でも原発の場合は恩恵より苦しみの方が大きくなったとみる
それが今生活困窮として現れている
現実に復興住宅に住んでいる人で金がなくて夜電気を消しているとか金がなく苦しんでいる人がいる、財物保証が少ない人だったからだろう
双葉町の人がコンビニに強盗に入っというのも理解できないことだったが何か補償金を
遊びに使ってなくなったのかもしれない、そこまですることがありえないからだ
やはり十年もすぎると貯えもなくなる、補償金も打ち切られとかなってそうなった
そして苦しむことでその責任を自覚させられているともなる


posted by 天華 at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連