2021年07月15日

田園の小径(詩) (自然から学ばなくなった人間、田舎でも同じ―科学技術優先社会の危険)


田園の小径(詩)

(自然から学ばなくなった人間、田舎でも同じ―科学技術優先社会の危険)

あちらこちらと気ままに蝶の飛ぶ
白鷺が忍び足に歩み狙いを定め
辺りを乱さず餌を的確に獲る
草叢深く藪甘草の点々と咲く
情厚き田舎の人のように
田舎のともしびのように
梅雨はまだ明けぬ夏の夕暮れ
でで虫は急がす歩み
森の中に鳥が鳴き塒に眠る
道の辺に所を得て石は黙し
自然は自ずと調和する
神知らしめる世界にあれ
老いて残り少なき日を楽しめ
我が家は豊かに恵まれぬ
神に祝福されし者よ
その富は分け与えむ
しかし老いと病と貧に苦しむ者
その嘆きは尽きることなし
ただ田園にたりぬを言わじ
神のその日の糧をそれぞれに与えしを
平和なる田園にあれ
田園の荒れれば悲し
山鳩の葉陰にとまり平和なれ
少なきもまた良しとすべしかな
人の欲の限りなければなり
その土地土地に与えるものあり
そこに実りのありて幸いのあり
外にのみ幸いを求めて得られず
その足元に幸いのあるを知るべし


ブラウニング「春の朝」

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


神しろしめすというときそれは自然の中にあり自然の営みのなかにある
ただ自然という時意外とそれを知ることがない、自然がどういうものかわからない、とにかく自然を知るには時間がかかるのである、木が成長するのに50年かかるように人間も自然を知るには同じようにかかるのである
自然で一番不思議なのはなぜいろいろな生物が動物がいて餌を得ているのか?
それが一番不思議なのである、なぜなら人間ほど毎日の糧を得るために汲汲している者はない、そのために食糧でもなんでも貯蔵している、ため込んでいる
自然にはそういうことはない、でも日々の糧は与えられているのである

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか

これは自然を観れば実感する、日々なぜその食料が与えられている
貯えることはしないでも日々与えられている、人間はもういくら食料があっても金があっても明日食べ物が得られないと不安なのである
そういう不安が消えることがないのである
だから自然を観察しているとそういうことがないことが一番不思議だとなる
今なら米にしてもありあまっている、そしたら食べ物がなくなるということは考えられない、でもなくなるという不安がなくならないのである

確かに石油とか電気がなくなることはありえる、それは魔法のようにして産みだされたものではない、電気も実際は石油が基で作り出されている、何か燃料となるものが必要なのである、原発も魔法となるのがそれは余りにも危険なものだったのである
でも人類は戦後でも炭を燃料としていたのである
電気など裸電球一つであり使っていないのである
ここ1世紀くらいが電気を使っているでありそれまでは使っていないのである
つまり人間は電気無しでもこれまで生きていたとなる
電気がなく死ぬことはないのである、でももう今や電気がないと生活できないとなったし車がないと生活できないとかなったのである
でもそれで死ぬことも人類が滅亡することもないのである
むしろ原発で滅亡することがありうる

今や人間は自然から学んでいない、田舎に暮らしていても農民でも1割にもならないし
自然を学んでいない、そして不満ばかりを言うのである
自然を学ぶというときこれは田舎に住み相当な時間が必要になる
なぜなら山であり木であれ長い時間のなかに成長するものでありそれと同じように長い時間をかけないとその意味するものが何か知りえないからだ

自然を観察しているとそれは単純なことでも知りえないのである
キリストは自然を観察してそのことを語ったのである、なぜ人間だけが毎日不安と心配が消えることがないのか?それはいくら貯えてもいてもそうなのである
でも日本でも今や米なら余っている、貯えられている、なくなることはないのである

とにかく自然を観察しているとそこに平和がある、調和がある、でもこの辺は津波と原発事故で乱れた、田園は荒らされた、田畑は原野化したのである
その原野化したとしてもそこに自然に美があり原始的な湿原が生まれたのである
それも不思議なの光景だった、津波では無惨なものしかなかったと見ているが奥深く入江が生まれて波が朝日に光りきらきらと寄せた、それは八沢浦とかでそうでありまた他でもそういうことがあった、それで驚嘆したのである
他にも釧路湿原のような原初の自然が甦ったのである
確かにそこでは赤子が死んで津波の中から発見されたということなど悲惨があった
ただ自然が甦ったということに驚いたのである

もう工業化した現代文明は自然に学ぶということがなくなった、自然より科学技術一辺倒なのである、だからこそ原発に頼り科学技術者を神のようにも崇めたとなる
それで確かに豊かになったのである、ただその豊かさは原発事故でだいなしにされたのである、第一故郷に住めなくなったらもともこうもない、住めないということが最大の被害だったのである、貧乏でも住めるならいいとなり蝋燭でも家族とともに故郷に住みたいというようになったのもそのためである
そもそもそうして人は電気無しでも住んできたのであり死ぬことはないからである

神しろしめす世界とは自然のことである、それは田園にある、都会にはないのである
ましてや東京のような一千万の都会にはもう自然はないのである
ただて田舎に住んでいる人が自然を知っているかというと知らない
むしろ金にならないとか不満の方が多いのである、だから原発が金になるということで積極的に誘致したのである
なぜなら農業でも漁業でも林業でも衰退産業であり1割にも満たない、それはもう常に金にならないとなり拒否されてきたのである
親も跡を継ぐなと子供を殴ったりした、その子供は原発で働くようになったのである
そうして故郷に住めなくなったのである

お前の言うことは現実を知らない、甘いというのもわかる
どれだけ農民が苦しんできたか知らないというのもわかる
だから農業とか漁業でも林業でもすべていいものとはならない、自分の場合は自然から糧を得るということはしていないからである
それがどれだけの苦労かわからないとなる、私の場合はただ自然を観察しているだけだとなる、だから楽だなと見られる、農民の苦労を知ったらそんなことにはならないというのもわかる
だから別に農業とかが全部いいとはならない、農業でも工業的なもの道具が不可欠であり稲荷神社とは鋳成りであり鉄で作られる道具を祭っていたとなるからだ
農業文明にしても工業文明があり溜池を作る土木事業もあったからだ
農業とはそうしてやはり総合的なものなのである

問題は田舎でも自然のことを知らない、学ばないということである
キリストがナザレの田舎から生まれたのであり都会ではない
だから自然を観察していてそういう言葉が生まれたのである
そしてどうしても反都会であり反文明になる
なぜなら大都会から東京でもそこから災いがもたらされた
東電は東京だからである、コロナウィルスでもそうである、この辺では東京のライブハウスに行った人が陽性になったからである

奇妙なのは例えばエジプト文明の方が自然を学んでいた、だからこそあらゆるものが生物でも人間と同格の神になったのである,アニミズムとなるにしろやはり自然を深く観察して生まれた文明だとなる
現代文明は自然と遊離した文明であり自然を遮断するのである
卑近な例では車は便利でも風とか光りでも遮断する、鋼鉄で遮断する
だから自転車で行くように自然と一体化しないのである
この自分の詩でもまさに自転車で回っているから感じたことなのである
自然と自転車が一体化している、小径を行くには自転車がいいのである
また燕のように風を切り飛ばすこともある、こうして鳥ともなり蝶ともなり自然と一体化するのである
人間の五感が脳がおかしくなっているというとき自然を感じなくなっているというとき
車ばかりに乗っていたらそうなるのである
だから車がいらないというのではなく人間の五感を車では遮断されるということである

いづれにしろ自然を観察して自然を知らなければ神も知りえようがない
東京とか大都会にいたら自然はわからないからである、そこで人間はうつ病とかなる
宗教などもそうである、都会から生まれたカルト団体の宗教はもう病的なものであり
ナチスのようになる、そこでは自然とかけ離れた世界だからである
当然そこでは本来の生物の平和などないのである、全体が病的異常な社会なのである
その文明から異様なものがカルト宗教団体とか病んだものが生まれてくるのである
ただ田舎では自然を学んだり知っているかとなるとそれもないのである
結局田舎の人間が今や素朴などどない、やはり金しかなくなっている

ただ人間の生活を隠したということで人間が自然の中で隠されたとき良かったのである
だから私自身は田舎にいても人間とは付き合わなかったのである、その時平和だったのである
もともと人間嫌いであったからもある、田舎の人間も醜悪なのである
そうできたのは家族がいたからだとなる
これも異常だったとなるが文明人も異常だったのである
異常性は比較すると見えるのである、自分自身が異常な人間だとしるのは比較するときなのである、その本人もわからないのである
私の所にきたのは介護になったときそういう異常な人たちだった
人のことなど省みない異常化した人間たちであり地獄だった
ただそういう人達は自分が異常だということを自覚していないのである
これと同じように自然界から観察して見た時人間社会が都会でも異常なのかわかるのである