2021年08月31日

雲の峰、晩夏、羊草,ソバナ(右田の津浪の跡ー川子の溜池)


雲の峰、晩夏、羊草,ソバナ(右田の津浪の跡ー川子の溜池)

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津浪から十年過ぎて残っていた木の根っこ
他は当時の面影となるものはなくなった
高い防波堤になり松も全部なくなったからだ

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右田浜から離れた家の庭
ここはそれなりに海から離れていたけど新しい家も近くに建ったが
ここは庭だけを記念のように残している
石は流されなかったのである


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小山田への小径


川子の坂を上る脇の溜池


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燕あまた飛びかい増えぬ晩夏かな

波の音海面光り朝の蝉

雲の峰頭上に高し見上げけり

雲の峰巨人の顔や真上かな


木の根っこ右田の浜になお残る十年過ぎしも津波の跡かな

この家の石に亀置く津波にて庭のみ残り今日も暮れゆく

燕飛び流れの早し鮎跳ねて朝一回り走り来るかも

この小径行く人もなし影なして夕べ涼しく蝶の舞いさる

溜池に羊草咲き影映し波紋ひそかにソバナあまた咲く

虫の声夜にかすかに我が母の台所にありその日の長しも

石を積む庭を作りし誇りかな病にあれど家にあるかな


時期的には晩夏である、今日は涼しいから助かる、夏の雲というのも出ていない
雲の峰というのはいい季語である
頭上に高く雲の峰がもくもくと見えたときそこに人間を見たともなる
神話の巨人が見上げる感じになった、それが真上にあったからだ

海の方では海老浜に蝉が鳴いていた、朝にひびく、そこは津波で村が流された
でも後ろに森があるから蝉が鳴いている、海面が朝の光りでまぶしい

右田の浜の海より離れた場所の家では庭だけが記念のように残っていた
いい石の庭だった、そこに亀が置いてあった
津浪から十年過ぎると何か津波を思い出すものもなくなるからここは記念なのだろうかとなる、津波で石すらかなり流された、ここでは石はそのままに残っていた

京は涼しいので川子の坂を上った、そこの小さな溜池によった
ソバナの花が咲いているから秋ではある、羊草がここには咲く
近くでもいい場所がある、小山田の方に出る小径はいい所である
ほとんど人が通らない、一日一人くらいとかなっている
そういう道が近くにあるといい、みんなコンクリートの道になったからである
とにかく暑くて原町に行くかと思ったら行けなかった

近くの知人の庭は大きな石が積まれたいい庭である、私は石に興味があるから石をながめるのである、その庭は石をまるで石垣のように積まれている
それは自慢になる、そして糖尿病で半年くらい入院していた
それが嫌で今は在宅で治療している、病院より在宅の方がいいし家で死にたいとなるのはやはり家には長く住んでいたしそこが城のようにもなっている
病院だと何か自慢するものがない、そこにいれば自分自身の存在感がある
この庭は私が苦労して作ったのだと言わなくても実感するからである

私の姉も常に家のことを自慢していたからである、家はやはり単なる箱ものではない
何か存在感を示すものであり精神的なものも付与されている
記憶の家ともなっているのである、家から離れた病院とかなるとそういう精神的なものが喪失する、ただあわれな病人となるだけである

ともかく夏も終わりに向かっている、やはり暑いと体に答える
涼しくなると頭も働くが暑いとぐったりして働かないのである


30年前40年前のドラマが面白い(サスペンス名作選 地方記者立花陽介) (ドラマも一つの歴史の記録となっていた)


30年前40年前のドラマが面白い(サスペンス名作選 地方記者立花陽介)

(ドラマも一つの歴史の記録となっていた)

新聞記者が事件を調べるドラマである、それがすでに30年前から40年前のことである
だからなにか画面もぼやけている、はっきりしないとなる
それだけテレビの技術が進化していない、デジタル化していないからである
その時ワープロを記者が使っていた、パソコンは使っていない、ワープロを自分自身も使っていた、そしてワープロに通信機がついているのを買った結果としてパソコンをするようになった
私は理系でもないし機械マニアでもない、悪筆なのでワープロをするようになりたまたま通信機能がついていて始めたのである
そのためにパソコンも買ったがその時40万くらいしていたようだ
また通信は今のように世界規模とかになっていない、小グループでパソコンマニアがしていたのである,その時富士通がシステムを作ってしていたのである
そもそもパソコンで文字で対話するというのがパソコン通信から始まったのである
私は引きこもりだからそんなことをする時間があり家に籠ってしていたのである

1986年11月21日 伊豆大島 三原山噴火

こういうこともあったなとふりかえる、ドラマではこの時殺人事件が起きた
ただ過去をふりかえるといつそれが起きたのか定かでなくなる、10年くらいずれて見る時がある、正確には34年前のことである,テレビで見たあれだけ火柱が上がったのは驚きだった、でもそういうことも忘れていてドラマを見て思い出したのである
過去というのは常にあいまいなものとなってゆく、だから何かの方法で思い出さないと忘れてしまう、津浪とか原発事故でも地元の人は簡単に忘れられないが外部になると忘れるのである、人間ほど忘れやすいものはいない、第一自分の書いたプログとかでも十五年とか書いていてもそれがこんなこと自分で書いていたのと忘れているから変なのだけど自分自身で読み直していいこと書いているなと感心している

何か常に人間は記録していないと忘れてしまうのである、次々に新たな事件が起こり過去の事件でも忘れてしまうのである
30年40年前は遠い過去でありそんなことがあったのかも忘れている
その時大騒ぎしたニュースでも忘れているのである
人間がその時どうであったのか、どう感じたのかとか日記のようなものに記録しているとその記録を読んで思い出すことがある、また写真を見て思い出すことがある
それでプログとかはその記録としても価値があるとなる
とにかく人間の起きることは次々に流れてゆく変わってゆく
一個人にしてもそうである、絶え間ない変遷なのである、あの人と逢ったなとふりかえるがそれもあいまいなものとなりそんな人いたのかなともなる
第一家族すら私の場合全部死んだ、その家族の記憶もあいまいなものとなる
なぜか一緒に暮らした家が家族の記憶になる、家があるからそこで過去を思い出すのである、これも家がなくなると思い出すこともむずかしくなるのである

人間の弱点は忘れやすい、だから記録とか記憶することが大事になる
それでエジプトの神聖文字とかありそこに刻まれた文字から3000年前のことでもわかるようになる、でも文字でも未だ解読されないものがりインダス文明とかマヤ文明が何であったのか不明になりジャングルに埋もれたとなる
人間にとって文字の発明は大きかった、文字があれば文明となる、文明の文も文字のことだからである、文字がない国は文明国とはならない、日本は漢字を取り入れて文字をもったから文明国である、文字がないと過去を歴史を記録できないから不明になる
柳田国男は文字に伝えられるものより語り継がれたものこそ真実があり歴史だとした
それで口碑を重んじたのである、でも語られることはなにかかえって尾ひれがついて真実が見えなくなる、語り継ぐとしてもそこでいろいろに変えられるからである
そして言葉がない民族はいない、文字がない民族はいる、アイヌなどは文字がなかったし文字がない民族はいる、そういう民族の歴史は消えやすいとなる
千年と二千年とか過ぎると語り継ぐこと自体不可能にもなる
実際に経験した人は死ぬしまた親から祖父母から聞いたとしてもそれもあいまいなものになるからだ

それで相馬地域で400年前に津波があったことがわからなかった、この辺ではそれで津波が来ないと確信して逃げない人がいたのである
でも相馬藩政記に700人生波(いくなみ)で溺死と二行だけ記されていたのである
生波とは津波のことであり津波という言葉は慶長津波で津波という言葉が定着したのである
これほど貴重な記録はなかった、それも学者すら知らなかったのである、この辺で起きた津波でそれがわかったのである、だから記録はこれほど大事なのものなのである
なぜ津波の被害が記録されなかったかというとその時戦国時代であり民が700人死ぬことより戦争に勝つことが優先されたからその記録が詳細に記録されていた
でも津波の被害のことはたった二行しか記録しなかったのである
つまり記録するにも時の権力者の都合でそうなるのである

何か記録できるものも権力がないとできないとなる、ニュースであれマスコミであれ重大なことでも取り上げない、知らせない、原発事故でもそうだった
「原子力村」が絶大な権力をんているのだからその危険性は伝えないのである
出版とかは簡単にできない、これも権力がないとできないのである
出版社とか取次とかを経ないとできない、するとそのハードルは高くてで普通はできない、でもインタ−ネットだと気軽にできる
プログのようなものでも写真も出せるし結構表現力があると思った
そしてこれは一庶民でも出せるから記録ともなる、ただこれも電子空間で消えやすいということが難点なのである
でも自分自身やってみていかに一個人がプログをもつことが権力をもつことにも通じていたことがわかった
それはyoutubeでもそうである、一個人がテレビ局となることは大きな権力をもったことになっていたのである

いづれにしろこうして重大な過去も忘れられる、それが忘れていいものがあるがどうしても忘れてならないものもある、それが津波とかでありそれはまた起きてくるから記録されるべきであり思い出すべきだったとなる
そきために忘れた頃に災害はやってくるとなる、カルマとして繰り返すとなる
自然災害も周期的に起きていたからである、ただ400年の周期となるともう何代にもなるから忘れられるのである

このドラマではそうした殺人事件の犯人が地元の人だったと記者が追及すると地元の人が地元の悪い所を書くなと近所の女性が見張っていた
これもまた田舎だと理解できる、田舎では自分達のわるいことを言うなとなる
狭い範囲で生活しているからそうなる、当り障りなくしていないと暮らしにくい
そこに田舎の閉塞感が生まれ嫌だとなるのである
現実に慶長津浪より500年前の岩松氏の一家皆殺しの悲劇が今もその子孫か現実に生きているからそれを語ればその子孫が嫌だとなる、それで郷土史はつまらないというときただ地元を美化することであり悪人のことは語らないとなるからだとしている
語りにくいということである、現実に近くに生活しているからである
外部のことだったらいくらでも追求して語れるが地元となると語れないのである
だから地方の新聞記者は記事にすることでも制約がかかる
でもいいのは新聞記者も常に転勤するからそれで重荷にならないということがある
嫌なことがあってもまた別な地域に移り忘れるとなるからだ

ともかくドラマは事実を基にしている、それで30年、40年前のドラマとなるとすでに歴史的な記録にもなる、それで貴重だとも見た、今それをBSで見れるから貴重なのである
テレビは今やインタ−ネットとかのyoutubeとか出てきてあまり見ない
でもこうした過去の記録となっているドラマとなると貴重だと見たのである
大げさに言えば歴史的価値あるとも見たのである

2021年08月30日

幕末、「後進国」なのに列強を退けた日本に学ぶ現代安全保障論 (弱肉強食のこの世と国際政治ーマキャベリズムの世界)


幕末、「後進国」なのに列強を退けた日本に学ぶ現代安全保障論

(弱肉強食のこの世と国際政治ーマキャベリズムの世界)


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九州ー奄美諸島ー沖縄ー与那国島ー台湾は一連のものとしてつながる防衛線

中国はこの防衛線を突破しようとしている


愛されてかつ恐れられることが理想だが、両方できないときは、君主は「恐れられる」ほうがいい。鷹揚な態度を見せると相手は甘く見て、たまに必要な厳しさを発揮すると反発される。一方、日ごろ恐れられている君主は、稀に鷹揚さを見せると人は慕うもの。愛されないのであれば、恨みを買わずに恐れられることが最上である。

尊敬されるために白黒ハッキリした方針を示すこと

「加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦汁をなめさせなければ、それだけ人の恨みを買わずにすむ。これに引きかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない」(共に池田廉訳『新訳 君主論』より)

この記事はいい点をついていた、日本は後進国なのに外国勢力でも薩摩藩でも長州でも果敢に攻撃して戦った、例え負けたとしてもそこに教訓を得て藩を強化した
つまりなぜ薩摩藩とか長州藩が江戸幕府を倒すことができたのか?

それは外国勢と幕府が戦う前に一戦交えてその力を知っていた

この相違が大きいのとやはり地の利があった、薩摩とか長州は関東とか東北と違い外国勢がまず入る入り口になっていたからである、そういう地の利があった
常に地の利が影響している、地政学が大事なのである
中国が大国化するときなぜは台湾が日本にとって大事なのか、それを中国側から見ればわかる奄美諸島から沖縄諸島から台湾の隣の与那国島まで数珠つなぎように連なっている
台湾まで実際はつながっている、だから台湾が中国領になるとその大きな輪が失い結果的に数珠つなぎの主体になるものが失われドミノ倒しのように次々に日本の防衛線が失いやがては日本列島も危機的状態になる

ということはこの防衛線は九州とか中国地方とかに連鎖的に影響して日本列島全体に影響する,ドミノ倒しになって日本列島に中国の脅威が及んでくる
逆行に中国がなぜ台湾にこだわるのか?それも台湾は日本と一体ともアメリカとも一体の主軸となっているからである、そこを攻略すれば日本の防衛線は崩れるとなるからだ
アメリカでも台湾に肩入れするのはやはり日本に基地があってもそこを奪わさると防衛線が崩れ危機となるからだ、アフガニスタンでもそうだったがいかに地理を見ないと理解できないのが政治でもあった
与那国島にも行ったがそこはそれほど大きな島ではない、簡単に一周できる島である
その隣が与那国島であり対岸は中国大陸になるのである
だから今自衛隊の基地が作られて監視するようになった
地の利からするとこうして与那国島から沖縄から奄美大島とつづいて九州薩摩につながるだから江戸時代でも薩摩藩は外国とつながり外国の情勢に機敏だったとなる
それが明治維新の主役になった原因だったともなる、薩摩藩が優秀というのではなく地の利からそうなったのである、地の利が人間を作りまたその国を藩を作るともなるからだ

ともかく国際政治は弱肉強食である、国が弱体化すると攻めてくる、それは戦国時代と同じである、相手が弱体化すると攻めてくる、この記事で日本が経済力があった時代はそれが日本を守っていたというのもわかる、経済力も国の基本的な力だからである
それで中国が経済力がついたとき強国化して日本の脅威となったことでもわかる
中国が戦前でも弱体化していたときは西欧列強とか日本でも食い物にされるだけだったからである、それが逆の立場になったのである

世界の歴史でも結局弱肉強食でありマキャベリズムである、それで菅首相の愛著が「君主論」だというのもわかる、政治家はそうなるから実感としてわかるから学ぶとなる
特にこれが国内ではなく国際政治になると全くこれがあてはまる
相手国が弱る時、攻める支配する好機だとなり攻勢をかけてくる
なぜならその言う風地相手が弱る時弱みをもつときその弱みを攻撃することが一番効果的になるからだ
そういうことを自分の介護で嫌とういほど経験した、そして借金している人かゆすられたり弱者になると攻められるだけである、助けるからといってもそれも交渉であり金をくれたら助けるとかなる、また大金を盗まれたりがたがたになったのである
人間とは相手が弱る時チャンスとなる、国の関係でなく普通の人間関係でもそうなのである、だからこの世では愛だとか情だとか言っても実際はない、現実は弱肉強食なのであるそれでこの世はいつの世も地獄を生きているとなる
動物の世界でも弱肉強食でりあり弱った子供が餌食になっているからだ

現実問題として相手が弱いとみれば個々人でも襲いかかってくるということがある
でも強いとなればそうはしない、それが人間なのである
君主は恐れさせよというのもそうである、またなぜ日本でアメリカに原爆を落とされて
それで全面降伏してアメリカに従ったのか?これは謎だとなるのが

「加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦汁をなめさせなければ、それだけ人の恨みを買わずにすむ。

このことでそうなったのかとなる、不思議に原爆で日本人はそれほどアメリカを恨まずに降伏して従ったからである
日本が弱体化すると中国やロシアの餌食になる、また大国の草刈り場になる不安がある
代理戦争の場になり日本は地獄と化する、アフガニスタンのようにもなる
現実に国際政治は弱肉強食だからである、アフガニスタンで後ろ盾のアメリカがいなくなるとすぐさまタリバンが支配したからである
日本の恐怖もアメリカが撤退したらすかさず中国がロシアが日本をとりにくる、せめてくる、ロシアとかも虎視眈々と狙っているからである
プーチンとかはマキャベリのような顔に見える、蛇のような顔に見えないか?

とにかく日本の弱体化はそれ自体が非常に危険なものになっている
なぜ日本が外国の植民地にならなかったのか?
戦国時代の時外国人がやはり来た時、軍事力が圧倒的に上であっても宣教師が日本には侍がいて武の国だから植民地化することは無理だと伝えたことでもわかる
じかに見た侍は実際は怖いものだったのである、明治維新の西郷とかの写真をみるとドラマとは全然違う怖い顔なのである、鬼気迫る顔だったのである
つまり明治維新は庶民とは関係ない侍がいてできたのであり外国とも渡り合うことができたとなる

日本はアメリカに負けてからもう物質的にも精神的にもアメリカ化したのである
本来の日本人とかいうのはなくなったともみる、平和の上に軟弱化した
もちろんそれがすべて悪いとはならない、人間はやはり平和で過ごすのがいいからであるアフガニスタンのような国にいたらまともに安眠もできない、いつ爆弾が落とさるからわからないからだ、だから平和が悪い訳ではない、自分自身も平和の方がいいのである
また老人はもうそうした戦意すらなくなっいるのが現実である
また日本の青年でも平和になれているし何かそうして戦うという気力もないとみる
平和と繁栄が軟弱化をもたらしやがて必ず強国も衰退したのが歴史が示している
ローマ帝国も贅沢になり内部から頽廃して衰退してゲルマン民族とか強力な民族が入ってきてその大国も分裂して終わったとなる

こうして日本は外部的にも危機であり内部的にも危機である、そこにいろいろな自然災害とかコロナウィルスなどで政府の指導力もなく混乱する
日本は相当に劣化している、大衆社会でもありそれは烏合の衆でもあるから頼りにならない、ただ混乱するだけだとなる
やはり国となるとその国を導く一定数の人がいないと守れないのかともなる
烏合の衆がいても守れない、日本は侍の国であれそれで守れたのかともなる
ただ武力だけで兵器だけで戦いに勝つとはならない、アフガニスタンでは政府軍が全く志気がなく簡単に敗れたからである、やはりタリバン側が土着的であり民衆の支持を得ていたからなのかとなるからだ
必ずしも軍事力とか武力だけではない、それが国を守るとはならない、そこに様々な要素が加わるからである、おそらくそこに神の意志も加わる
全部が人間の意志では決まらないのがまたこの世である
なぜベトナムにアメリカが負けたのかでもそうである、大国でひねりづぶすことができたのにできなかったのである

人間は力だけでは支配できない

力で強行して強制しても支配できないものがある、それに抵抗するものがありゲリラとなったりテロとなったりして大国でも支配できないとなるからだ
ただ日本でも少子高齢化であり国自体が老人が多いとなると老人は戦いない
また中国も一人っ子政策でこれから高齢化社会になるとき老大国になり戦争はしたくないとなる、その時奇妙だが他国を侵略したりしないともなる
何かそれで平和になるというのも奇妙である、血気盛んだとどうしても戦争でもしろともなるからだ
とにかく日本は弱体化している、それが高度成長時代の時は見えなかった
それがなくなると国際政治でも弱い立場になり攻め入られやすい国になったことである

posted by 天華 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年08月29日

関ケ原ー近江の地理と歴史をたどる(短歌十首)


関ケ原ー近江の地理と歴史をたどる(短歌十首)

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蓮華に菜の花に近江富士(三上山)となる旗

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ここに陸奥弘前藩がある




近江なれ菜の花畑に蓮華かな

波音や大津京跡朧月

皇子山いわれを語れ春の月



関ケ原越えて行きなむ残る雪近江拓けて蓮華野を見る

関ケ原越えて望みぬ近江かな春の光りや京も近しも

京近く瀬戸の唐橋長きかな今宵泊まらむ大津の宿に

東海道中山道と近江にそ交わり京へ向かう要なるかな

奈良想い京都を想い近江かな越に東に通じる道かな

湖西にそ夕日沈むやあわれかな高島の古墳我はたずねぬ

東より昇る陽見なむ秋の日や近江平野に銅鐸残る

東西の雌雄を決す関ケ原陣を張りにし跡を訪ねる

さざなみの都の跡や心しむ波の音ひびく秋の夕ぐれ

みちのくゆ大津京跡さざなみの波音しみぬ秋に偲びぬ

東西に分かれ争そう関ケ原古代よりしも近江にい出ぬ

大津京奈良の都や古の跡を訪ねて秋の日暮れぬ


近江を知る時もまず地理なのである、近江が交通の要衝となったとのは琵琶湖があるからだある、この琵琶湖は地中海と似ている

近江は、もともと「ちかつあふみ」と読み、「近淡海」と書かれていた。「淡海」は湖のことで、読み方は「あはうみ」が「あふみ」となり、「おうみ」となった

湖を海としたのは海のように広いからそう言った、地中海が交通の海としてあったように近江もそうだったのである、この琵琶湖が風土としてその国の精神性を育み歴史を育んだのでてある、東海道があり中山道もここで交わる、そして古代から敦賀とも越の国への通路でありしがらき宮とか大津京とか古代からすでに要衝の地としてあったから栄えたのは地理的な条件として備えられていたからである
つまり地理が国を造るのであり地理を知らずして歴史も知りえないのである

近江国は宇宙(あめのした)に名有る地なり、地広く人は衆(おおく)して国富み家給(そな)わる

このように言われたのはまさにそういう地理であり交通の要所だからである
アフガニスタンでもなぜ世界が問題にするのか?それはそこが交通の要衝だからである
周辺国の通過点になるからそこが争いの場ともなる
奈良や大阪や京都や日本海側から古くは朝鮮系の帰化人が住みつきオンドルの遺跡まで発見している、それがあることは朝鮮系の帰化人が住みついたからである
これは実感として韓国でオンドルの部屋に泊まったから感じるのである
その時滋賀県の大津の人と一緒に泊まったことは宿縁があったともなる

ツノガノアラシトのことをこの辺の古代史関連で大分追及して書いたけど古代から近江はそうした渡来人が入り住みついた場所なのである
それでみちのくとも関係していた、粟田郡で鉄生産の技術を習うために直接工人がみちのくの真野郷からも往き来していたことがわかったのである
つまり近江は古代から東とも深く関係していたのである
それでみちのくの真野の草原(かやはら)の万葉集の歌の作者の笠女郎が近江出身者という説を出した学者もいることも納得する
また三上山の麓に銅鐸で有名な場所がある、つまり近江まで銅鐸文化があった、東になるとないのである
ここが東西の文化的分かれ目ともなっていた

近江というとき例えば関ケ原が東西を別れ地なのである、地理的に近江に出ると何か山間から出て心和むとなる、電車でも関ケ原は高地であり春でも雪が残っている
まだ寒いと感じる、これが歩いてみればさらに明確になる
関ケ原を出て近江に入ると景色が変わる、平野が開け琵琶湖を見える、この風景は中山道の山間を出てもそうである、その景色に安堵するほっとするのである
それで「行く春を近江の人と惜しみける」とか芭蕉がみちのくから北陸を旅してこういう俳句を残したのは別に人というのではなくその風土がまず心和むものとしてあったからである
琵琶湖は荒いというのもでもない、海とは別物だからである
そして平野も広くありそこに蓮華畑とか菜の花が似合っているということを感じたのである

人間とは人間そのものが作るものではない、作れない、地理とか風土とかから歴史が作られてきたのである、なぜ近江商人が生まれたのかとなるとまさに近江が交通の要衝だったからである、それでみちのくまで近江から渡来人であれ近江商人でもやってきたのである葛尾村の鉄生産で財を成した葛尾大尽屋敷跡になぜ近江八景を模した庭を作ったのか?そして妻まで近江からもらったのか?これも近江商人との関係があったからだともみる
妻がそこで近江を偲ぶために近江八景の庭を作らせたとなる

大津城に全国の蔵屋敷があったということでもそうである
そこに弘前とかもありこれは北前船で日本海から関係して蔵を作ったともみる
日本海側の越とかとは大伴家持が赴任したように関係が深かかったのである
それは何より琵琶湖に八十港があったように琵琶湖が交通の湖だったからである
琵琶湖があることで近江が作られたのである、人も作られたのである
世界でもなぜイスラエルがあの場所になるのか?それは神が定めた場所である
それでアブラハムは神の命令でその地に向かったのである
イスラエルは地中海にでてヨ−ロッパに向かう港にもなっていたからである
地理的に神が定めた地だともなっていたのである
だから世界を知るとしてもまず地理がわからないと何も理解できないとなる
ただこの地理を知ることは実地にその場に行かないと実感できないのである
そこで誤解が生まれてくるのである、世界だと行く場所が限られているから余計にそうなる、なぜネパールとかで3000、4000メートルの所に住んでいるのかとなるからだどうしてそんな所で生活できるのかとなるからだ

近江で不思議だったのは高島町がある湖西から見て東の方から太陽が昇ることである
湖西とは西だから太陽が沈む場所なのである、太陽が沈む西は何か淋しい感覚になるのである、でも関ケ原辺りから陽が昇るということが不思議になるのである
方角が旅するとわからなくなるからである、

近江国滋賀郡小野村(現在の大津市小野)の豪族で、天足彦国押人命を氏祖とする小野氏の出身

小野妹子が陽が昇る国から陽の沈む国へと中国に行って言ったのはやはり人間は方角が旅すると一番気になるからだともなる
とにかく方角がわからなくなり意外な方向から陽が昇ったり沈んだりするからである
だから地名の基本は方角地名なのである、ただ海があると太平洋側は東がわかりやすい
でも近くの飯館村ですら意外な方向から陽が昇り陽が沈むとなり方角がわからなくなったのである、この人も近江の出身である、もともと国際性がある場所だった

鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国に 高山(たかやま)は・・・

鶏が鳴く東壮士の妻別れ悲しくありけむ年の緒長み

鶏が鳴くということは朝が明けると鶏が朝を告げて鳴くからである、東壮士(あづまおとこ)であり東とは吾が妻のことである、東に分かれた妻を偲ぶことで東となった
普通は東(ひがし)なのになぜここだけが東となり福島市に吾妻山があるのかとなる
方角地名に人間的なものが入るのはやはり東西を境にして人間が分れることかそうなったのか?壬申の乱でも東西の勢力が争った場所であり関ケ原でもそうだったからである

古代からも近江が要衝の地であり戦国時代でもそうだった、信長が天下布武を宣言して近江に安土城を築いたかのもそうである、そこがやはり日本の地理の交通の要衝の地としてあったからである、ただ大阪とか京都と違うのは意外と広い平野があり田舎という感覚になる、大阪とか京都とは今見るとビルとか家とか人が密集しているから心が和まないのである、でも近江は平野が広く田んぼもあり琵琶湖があるから心なごむのである
そこにまだ自然があるということで心なごむのである
名古屋でも大都会であり伊勢湾があるにしてもやはり大都会だから違っている
やはり自然が消失するとそこはいくら歴史があっても魅力がなくなる
そこで芭蕉も近江で氏に朝日将軍と言われた木曽義仲も義忠寺に眠っているのも合っているとなる、中山道からも近江に出てくると安堵するほっとするとなるからだ

日本はそもそも山が多いから山からでて平野を見るときほっとするということがある
山には山のいい点かあるが心を狭くする、閉ざされた感覚になる
でも広々とした平野に出ると心も拓けるとなる、つまり地理とかそもそも心に影響してそうなるのである
私の住んでいる場所は太平洋側にあるにしても阿武隈山脈高原に中通りとか会津はさらに見えない、その見えないことが一体感を感じなくさせているのだ
猪苗代湖だって見えないからだ、ただ原町区からでも高台から金華山と牡鹿半島が見えたのである、だからそこで宮城県の方と一体感を感じるし蔵王でも八沢浦からも見えたのでそこで地理的一体感を感じる、見えないと感じないのである
琵琶湖だったら近江として一体感をもてるのである、だから地理的一体感があると人間もその影響を受ける、平地があるとまとまりやすいとなる
山々にさえぎられるとアフガニスタンのようにまとまらないともなる
統治しにくいともなる、一体感をもちにくいからである


近江粟田郡の鉄生産地と陸奥行方郡真野郷の密接なつながり
(直接鉄生産の工人が行き来していた)
http://musubu2.sblo.jp/article/186269461.html




2021年08月28日

なぜアフガニスタンでアメリかはまた負けたのか? (ベトナムと同じようにタリバンの愛郷心と土着する民に敗れた)


 なぜアフガニスタンでアメリかはまた負けたのか?

 (ベトナムと同じようにタリバンの愛郷心と土着する民に敗れた)

 アメリかがなぜ圧倒的兵力と近代的武器と経済力でもアフガニスタンを支配できなかった、それはなぜなのか?
 それはベトナムでもアメリカは負けた、その原因の主要なものが地の利にあった
ベトナムはジャングルがありその生まれた土地を知り尽くしていた
そこも複雑な土地でありそこに踏み入ったらもう出れなくなるとか迷路になる
でもベトナム人はその土地を知り尽くしている、だからアメリカ人がいくら爆撃を繰り返しても負けたのである、物量でも圧倒していても負けた
南ベトナムを支配して南ベトナム人を応援しても今回と同じように負けた
北のベトナムを支配できなかった、それは冷戦時代だからソビエトとか共産国の応援があったとしてもやはり土着的な愛郷心がありそれに勝てなかった
だからその敗戦の利用は共通している

天の時、地の利、人の和

地の利と人の和がベトナムにありアメリカがそれを崩せなかった
アフガニスタンでもそうである、そこは3000、4000メートルの山々が遮り隠れて戦うし
タリバンは地元の人の応援もあったとされると地の利があり人の和があるから強力だったとなる
そしてアメリカ軍側についてアフガニスタン人はそのトップがいち早く大金をもって外国に逃亡した、それでわかるように戦うモチベーションがなかった
ただアメリカについていい暮らしができればいいとなり賄賂も横行していた
またタリバンに武器を売ってもうけていたともいう、つまり人の和がアメリカについた
アフガニスタン人にはなかったのである
だから莫大な金をつぎこんでもアメリカは支配できなかった、徒労だったとなる

そこには信仰心もあった、このイスラムの信仰心は外部からはわかりにくい、確かなことはアメリカに対する反発するものとしての信仰心であり明治維新なら攘夷派になるのだろう、アフガニスタンはそもそもイギリスでもソビエト連邦でも支配できなかったのであるそもそも命を賭けて戦うとなると簡単にはできないだろう
つまりその強い動機が必要になる、その動機がタリバン側にあったということである
それはベトナムでもそうだった、ベトナムの土着民にあったので負けた
自分たちの国を必死で守ろうとした動機があり負けた
ベトナムでもアメリカが物量でも武器でも格段の差があった、でも支配できなかった
そしてベトナムの独特の地の迷路に入り「地獄の黙示禄」になったのである

これを比べるとなぜ日本はアメリカに負けたのか?

もし日本だけを守ろうとしたらアメリカがいくら日本に攻め込んでもゲリラ戦になりやはり同じことが起きただろうかとなる、日本が負けたのは中国でもアジアでも広範囲な戦争となったからである、アジアの人が植民地支配から解放されるものとして日本の戦争にみんな同調して共同戦線を張れば勝ったとなるがそうではなかった
特に中国はアメリカが味方であり日本は敵だったからである

ベトナムでもアフガニスタンでも江戸時代なのではなかろうかともみる、タリバン兵が空港で書類検査するのに字が読めない兵士が多いというときそうである
それは江戸時代なのである、でも江戸時代というとき日本でも地域的に藩が支配していて日本全体が国家として統合されているというわけでもなかった
すると地域の連帯の中で人々は生活していたしまた農業主体だから村が強固な共同体となる
みんなが回りが農民の時代は何か一体感が持ちやすい、生活自体がみんな同じでありまた稲作でも田植えでも共同でするとか一体感を持ちやすいのである
だからそこで強固な一体感をもつ、そういう社会がベトナムでもアフガニスタンでもあったとなる

だから近代化した生活となるもう田舎でも一割くらいしか農民ではない、中国に行ったら何か知らないけど「ノンミン」ですとか言って物を売りつける女性がいた
つまり農民ということを強調して買ってくれということだったのか、その頃中国も農業主体だからそうなっていた、私は会社員とかなかったともなる、私は貧乏な農民だから買ってくれとなっていたのかもしれない、その時代は十数年前では中国は貧困者が多かったからである、今はまるで違った国ようになってしまった
ノンミンは少数者になっているからだ

いづれにしろ日本の戦争はまた逆に中国とか東南アジアに戦線を拡大化して逆に地の利が知らず負けたのである、インパール作戦とかでもそうである、大きな河がありジャングルがあり山々がさえぎり死体の山を築いたのである
だから必ず戦争でも地の利が影響しているのである、これはベトナムでもアフガニスタンでもそうだったからやはり普遍的な真理としてある
それは戦争だけではない、あらゆることに地の利が影響しているのである
人間はその住む場所はアイディンティティを築く場所である、それは歴史的にもそうなっていたから地歴になったのである

そして逆に近代的生活というのはみんなもうノンミンではない、都市生活者が主体の社会である、そういう生活は土着的愛郷心などない、そもそも戦後は農民社会でないからもう土着的愛郷心も希薄化した、地方で田舎で求めるのはやはり金しかないのである
だから原発は金になるからといって積極的に誘致された、漁業者は漁業権を売り補償金が事故前も入っていて贅沢していたし事故後もなんら生活に困ることなく津波で家が流されても立派な家をすぐに建てたのである
つまり東電の社員ともなっていたのである、それは自治体自体が東電の社員化していたのである、それで事故になったとき自治体は簡単に解体してゴーストタウンになったのである

それで不思議だったのは浪江の人でその人は全然事故になって浪江町に一割くらいしか人が住まず回りは田んぼもなく荒地になっているのに何も嘆いていないのである
かえって補償金みんなもらって老後も安泰だとか言っていたのが理解てきなかった
でもその人にとって農業など関係ないのである、金さえあれば別にみんな物は米でもいくらでも入ってくるからである、そもそも農業は軽んじられていたからである
だからこそ金になる原発がいいとなり現実にそこで働いていて金にあれば東電でも会社員であれば会社が大事になる、その土地のことより郷土のことより会社が大事になる
すると農業のことなど関心がないともなる、田舎だと周りは田畑でも農業に関心がないのである、こんなことは戦前とか農業主体の生活だったらありえないのである

だから意外と日本とかでも近代化資本主義化した社会というのはもう連帯などない
金を求めることしかない、土着的愛郷心も全体的にはない、だから多額の補償金をもらったら簡単に故郷を捨てて仙台市であれ都会に出たとなる
身近では小高の人は避難区になったが豪邸に住んでいた人も原町区に移りすんだ
息子夫婦は仙台市に移り住んだのである
要するに土着的愛郷心は農業社会ではあったが今はない、すると意外と他国が攻めてきたとき日本では外国に中国でも簡単に降伏して売りわたすとなる
土着的愛郷心がないのだからベトナムやアフガニスタンのようにはならないとなる

右翼の主張があってもそれに同調しないのは土着的愛郷心がある農民の時代は共鳴する
強調するがそれがなくなったからだともなる
天皇はもともと農民を土台にして綿々とつづいてきた象徴だったからである
それで皇居で田植えをして蚕を飼っているのである、でも工業社会になったときそれもあわないのである、皇居から東京の大都会を見渡してみればわかる、そこには田畑など全くないからである
ただ世界の大都市は共通しているから世界では土着的愛郷心などなくなっている
そうして土着的に歴史的に培われて来たものが失われた、家族の紐帯さえ失われて拠り所もなくなってみんな故郷喪失者にもなっているのである

そういうことで意外と愛国心をどうのこうのと言っても共鳴しない、愛国心の基は愛郷心だからである、それが近代的資本主義になると利益中心になり金を追い求めるだけとなるそしたら他国が攻めてきてもベトナムやアメリカのように戦いえない、武器があるにしても戦えない、その戦う動機がないから戦えない、それも逆説である
戦争とは必ずしも物量とか武器だけで勝つともならない、いろいろな要素があり作用するからである
日本がなぜ負けたかというときその動機が必ずしも国土防衛ではなくアジアに侵略したということもありアジアとの連帯が得られなかった、確かに植民地解放戦争だったといっても地元の人達はそうとも思っていなかった
そして日本兵が連帯があったようでなかった、上官と下士官が憎みあい連帯しなかった
アメリカがかえって上官と下士官が連帯していたのである、つまり人の和がなかったのである、日本は人の和があるようでなかったのである
そうはいっても日本本土の防衛戦となったらなんとか国を守ろうとするから違っていた
そこでやはりベトナムやアフガニスタンとのように土着的愛郷心で戦うことが依然としてあったとなる

posted by 天華 at 07:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年08月26日

セルフロックダウンで感染を防げ (自分は自分で守れーグロ−バル化世界の変化)


セルフロックダウンで感染を防げ

(自分は自分で守れーグロ−バル化世界の変化)

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週刊朝日 9月3日号

都市のロックダウンは日本ではできない、でも感染症は人から人へうつる、するとなるべく人と接しないことが防ぐことになる
ただ現実は仕事していたら人と人の接触をとめることはできない、現代ほど交通が発達して人と人が接触する時代はない、自給自足の江戸時代の様な村社会だったら隣の村とさえ交わらないことが可能だし現実に隣の村さえ遠い村だったのである
というのは歩くか馬とかで行くほかないから隣村でも遠く感じるのである
なぜ現代では江戸時代とか戦前のことがわからなくなったかというと車がない社会をイメージできなくなったのである
確かに汽車とかあっても汽車賃が高くて一般人は乗るのはまれだったのである
汽車は主に荷物を運ぶものだったのである

そういう社会では自給自足で生活するほかないのである、最低限でもそうして生活ができていたのである、燃料は炭であり薪であり近くの山からとってくる、水は井戸水とか清水である、洗濯は川でしていたのである
だから今になると信じられない、私の家のすぐ裏に堀があり堀の水で洗濯していたのである、燃料は炭でありまた材木屋の木材の切れ端を無料でもらって手作りの風呂で鉄砲風呂で使った、水は近くの家の井戸水をもらっていたのである
そんな生活があったこと自体今になると不思議になる
そういう生活はもう遠くに行くことは相当に難儀なことでありめったに行けないのである車がなければどうして行くのか歩いて行くほかない
葛尾村まで歩いた話を姉から良く聞いたのである
要するにそんな所まで歩くほか手段がない時代だからとても外との交流は限られている
すると外から人は来ないしまた外にも出れない生活だったのである

そういう生活だと外から人も来ないし村内で生活するほかない、自給自足するほかないのである、そういう生活は感染症には強いとなる、でも江戸時代にコレラがやはり長崎から入り北前船で新潟から会津若松に入ってきて増えたのである
江戸時代でもそうして感染症が広がった、全国に広がった
ということは江戸時代の人流規模でも広がるとなるとその何千何万倍の物流と人流がある今ならもう防ぎようがないのである
だからこそワクチンとか手洗いとマスクとかで自己防衛する
都市だったらロックダウンするとなるがそれができないとしたら自己防衛でセルフロックダウンしろとなる
私の場合はもともと引きこもりだからセルフロックダウンしている
接しているのは一人だけである
でもその一人の老女がワクチンをうって副作用がでて体中が痛くなり立つのやっとであり入院したり寝ていたとなる、やはり副作用がある、もう三週間くらい痛くて立てないとかなった、ただもともと腰が悪いとか言って何もできない人だった
でもワクチンは明らかに副作用がありそれが結構重くなる場合がある

いづれにしろコロナウィルスから自己防衛するほかないというといそれがみんなできるかとしたら自分の様なもともと引きこもりはできても他の人は不可能だともなる
仕事でどうしても人に接する広域社会だから物流をとめることもできないからだ
でも全体で国家の命令でロックダウンも簡単にできない、なぜならそれを補償するとなるとその金が膨大になるし予算的にもできなとなる
自民党は財政緊縮でありしないのである

都会になるとスーパーでもこむ、田舎だと空いた時間に行くとか勤め人でなければできるスーパーは意外と危険なのかもしれない、というのは品物に触るからである
そこから感染するということがある
ただ自分の様な引きこもり生活はコロナウィルスを自ずと防ぐことになる
仙台市にも行かないし最近原町にすら行っていないからである
もともと人と接触しないのがさらに接触しないからである
でも仕事している人はこういうことは一番むずかしい、そうなると生活もできなくなる

確かに江戸時代のコレラの流行は会津若松中心に広がった
ても桧枝岐(ひのえまた)とかなるとそこはほとんど人の行き来しない本物の秘境だったそんなところに良く人が住んでいたとも思う
平家落人の村としてあったからだ、そういう場所ならコレラにもかからなかったのであるつまり人間社会はプラスと思えるのがマイナスにもなる
人間自体も性格でもマイナスと思えるものが実はプラスにもなる
人と接触しないと外交的でない内向的な人は一般的には社会では嫌われる
てもこういうとき引きこもりが有利だというのも不思議だとなる
だから人間とは何が良く作用したりするか悪く作用するのかもわからなん
万事塞翁が馬になってしまうのである

ともかく現代生活は逆に異常に人が交わり三密を減らすことが不可能に近い、交通が発達して車社会であり車ならどんなところでも辺鄙な所でも行ける、すると人流をどこでもとめられないのである、そうして便利な生活と思えたものが実は感染症には弱かったのである、弱点となっていたのである
東京とかの大都市とかに異常に人が集中することはそもそも不自然なのである
そんな生活を改めないからコロナウィルスでその弱点が露わにされたのである
東京遷都もいつのまにか消えた、それをするに大災害とか今回のようなコロナウィルスとか感染症とかでひどい目に合わない限り決断できない
多少テレワークとか東京周辺に移住するようになったのはいいことである

つまりコロナウィルスは新しい生活形態をうながしたのである
ただそれも極一部であり全体的には変わらない、もっと死者が増えたりしたら変わらざるをえない、だからコロナウィルスもか易姓革命であり自然の作用でありそれが社会を変えるとなる、東京など一極集中する社会は異常なのである
人流をとめることは不可能なのである、セルフロックダウンもなかなかできない
自分のように特殊な人間だとできるが普通の社会人が会社員は簡単にできない
でも方法がないからこういうことを言うのもわかる
私自身はセルフロックダウンの生活だったから今までの生活の継続で防げるともなる
それでワクチンもしていないのである、ここでも一人とか二人とか毎日増えているから
怖いことは怖い、でもこういう生活は田舎であり人流もないとか安全だと思ってしまうのである

コロナウィルスはまだ5年くらいつづくと専門家が言う時、これは簡単に終息しない種類のウィルスなのかもしれない、するとこれは長いと見た
つまり何らか社会を大きく変えてしまうものともなる
すぐに元に戻らないものだともみる、するとどうなるのか?
いろいろコロナ後の社会を言われたが広域社会とかグロ−バル社会の変化が起きる
グロ−バル化社会はもう頂点に達したのである
グロ−バル化社会は世界大航海時代からヨ−ロッパのアフリカアジアの支配ということで起きて来た、イギリスで紅茶の習慣が生まれたのはスリランカなどで紅茶を栽培させてそれを輸入してそうしした贅沢な習慣が文化が生まれた
イギリスは寒い国であり実際は食でも貧しい国だった、ヨ−ロッパ自体南国のアジアのように様々なものがとれないのである、花にしてもともしいから植民地化した南国から
とりよせてガーデンを作ったとなる、アジアからでも富を収奪して豊かになったのがイギリスだったのである

グロ−バル化社会かはこうしてヨ−ロッパの支配でありアフリカからは奴隷をアジアからは様々な産物を輸入して豊かになった、中国では売る物がなく阿片をりつけたとかなる
このイギリスが覇権国になってその後を受け継いだのがアメリカなのである
ただアメリカはもともと自国でなんでもまかなえる資源が豊かな国であり世界一の農業国であり食料を輸出できる国なのである、だからイギリスとは違って別に外国から食料品でもなんでも輸入する必要はないのである、石油さえ今では輸入する必要がないのである
アメリカが覇権国になったのは必ずしも経済的動機だけだったとは見えないのである

ともかく大航海時代からグロ−バル化がはじまりそれが20世紀で頂点に達したのであるその結果は最悪としては世界大戦が二回あり何千万の人間が死んだことである
その負の面も巨大なものだったのである、グロ−バル化すべていいものとして作用しなかったのである
コロナウィルスでも交通が発達して交通の発達で距離が縮小されたとき世界が同時進行するようになりコロナウィルスも同時進行でたちまち世界に広まったことでもわかる
そこには時間差がなくなったのである、コロナウィルスはグロ−バル化の結果としてマイナスのものとして作用したのである
だからコロナウィルスはこうした世界を変えるというときグロ−バル化自体見直すものとなる

結局グロ−バル化とは一面共存ではない、国同士でも様々な文化をもった人達でもグロ−バルに交わることは対立と軋轢をもたらしてそれが戦争になり何千万人も死んだのであるグロ−バル化でも共存する、助け合うとかならいい実際はそこで衝突して戦争になり何千万人も死ぬことになった
格差社会でも生まれグロ−バル化で世界の富はアメリカに集中して吸い上げられまたアメリカでも極一部の特権階級に富が集中した、それがロスチャイルドとかなんとか陰謀論になる、そしてもともと江戸時代なら朝鮮と中国と争うことなどなかった
ヨ−ロッパの世界支配の結果として日本も世界大戦に巻き込まれたともなる
マクロ的にはそうなる、だからグロ−バル化を見直す時期にすでになっていた
その時コロナウィルスが世界的に蔓延してグロ−バル化に歯止めがかかったのである

だから何かこれからは拡大拡散する世界より内向きの世界になる、それでヨ−ロッパのような中世世界と日本の江戸時代への回帰現象のようなものが起きて来る
時代のサイクルとしてそうなる、交通の発達でも極限を追求している
リニアでもそうだけどそういうものが本当に必要なのかどうか?それも疑問になったのである、また空飛ぶ自動車などでもそうである
そんなものが空をぶんぶん飛んでいたら落ち着かないしいいものとは全部ならないのである、技術でもなんでもいいものとはならない、作用しないのである
必ず負の面が技(わざ)から災いが生まれるからだ、それが原発事故だったのである

セルフロックダウンというときそれは本当に内向きの生活である、私自身がセルフロックダウンの引きこもりになる、もともとそうだった、でも今は仙台市にも行かないとか近間を回るだけである、こうして巣籠り生活というのも鬱屈した状態をもたらす
でも私自身はそういう生活をしてきたからそれほど苦しいとはならない
ただ中世というのは何か変わった動物とか動物の人間とか合体した仮想のものをイメージしたりと内向きの生活で生まれた
それと同じようなことを私は抽象画でしていると思った、これだけ絵の才能が全くないのに作り出しているのはインタ−ネットがありAIのようなソフトの使用でできたとなるからだ
また巣籠り生活だと家が広くないとできない、プライベートな空間が必要になるからだ
でも今空家が膨大でありそれを利用するとかまた地方に移住するというのも奨められる
すると人口のバランスがとれるともなる、そういう社会の変化が生まれることは悪いことでないのである
ただ何でも必ずいい面と悪い面が生まれるのが人間なのである
posted by 天華 at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

many abstract ways


many abstract ways

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Roman Empire Road

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spanish road

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shadow of trees

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chinese road

2021年08月24日

NHK「戦火のホトトギス」 ▽17文字に託した若き将兵の戦争 (その感想の短歌十首―三陸会のことなど)


NHK「戦火のホトトギス」 ▽17文字に託した若き将兵の戦争

(その感想の短歌十首―三陸会のことなど)

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従軍看護婦でも相当に死んだ人がいる
直接人を殺したりしなくても伝染病とかでも死んだ
姉も腸チフスになったというから過酷なものだったのである




見送りし夫は戦地に帰らざれ山吹の色妻に濃しかな

誰が思ふ戦地に果てぬその俳句色あせし紙に記され残りぬ

戦地より病に帰りぬ傷痍兵看護婦迎えしばし慰む

義足つけなお戦わむやあわれかなその痛み思う戦争のむごさ

戦争も遠くなりぬれ紙も古り写真をも古りぬ伝ゆ文字かな

戦いぬ従軍看護婦の姉も死ぬ戦地の夢にうなされ死にぬ

古ぼけし写真は語りぬ戦争も遠くなりぬれ誰かたずねむその痛み知れ

青春を戦地に費やし何思う日本のために共に戦ふ

戦争を語れる人も消えゆかむその深き痛みは忘るべからじ

親に聞く戦争の話し伝えむもその子も死なむ過ぎる時早し

三陸会記録残りぬ誰が読むや大方は死に忘れられゆく

姉語る戦友のこと常にして今は死にしも記録のみ残る

戦いて異国に埋もる哀しきや故国は遠く帰れざるかな


NHKのこの戦争をふりかえる放送は俳句を中心にしたものであり私も俳句を作っているから関心をもった、ただ戦争となると俳句とか短歌になりにくい、血なまぐさいし人を殺すとういこともありそういうことを語りたくないから口をつぐんで死ぬ人も多い
何か18歳で志願兵になった人はどうも中国人を殺したらしい、ただ途中で口を噤んだ
つまり人を殺したことなど簡単に言えないからそうなったとみる

とにかく戦争という時、私は姉から千回くらい毎日聞かされたのだ、姉はシンガポールの向かい側のマレー半島のジョホールバルの赤十字病院で四年間地獄の苦しみのなかで看護婦として働いた、一時は腸チフスとかになってひどかったらしい、そういう話を延々と聞かされた、それはひどい認知症になって余計にそのことを延々としゃべるので嫌になった同じ事を何度も話すからである、そして遂に死ぬまで戦争のことを話しして病院で死んだのである、おそらく病院でも戦争のことを忘れずにうなされていたのかもしれない

青春時代のことは覚えている人が多い、若い時のことは覚えている
そして島根県の人の戦友のことを何度も言って死んだ
もらったバックを大事にしていたのである、それは思い出の品だったからである
でもそれ自体は粗末なものだったのである
でも戦友からもらったということで大事にしていたのである
そういう映画をもがりの森とかで見たから認知症は同じ症状がある、それも不思議なのである、本当に認知症は不可解な病気なのである

ケガをして戦地から帰り傷痍病院がありそこで義足をつけた人がまた戦地に行くために戦う訓練していたのを見て酷いと見た、義足でも飛行機にも乗れるとか言っていた
その時日本は戦う兵士が不足していてそうなった、40才でも招集された人がいてそのことを書いた、それは松川浦の人だった
戦争がどれだけ悲しさ苦しさと無惨さを悲劇をもたらしたかそれはきりがないだろう
人が殺し合うのだから当然だとなる、たからこそ戦後は子供に孫にも何も語らなったと放送された人がいたがそういうことはある
姉の場合は従軍看護婦であり人を殺したりしないから語ったのである

三陸会という戦友の雑誌を出していた、そこにも膨大な記録は残っている、戦争の記録は膨大である、それをいちいちふりかえることも手間になる
ただ戦争を忘れないためにはそういう記録を見直すということも必要である

ひたぶるに故国こがれつつ逝きし戦友の涙の如くスコール激しき

大いなるゴムの木のもと掘り返し還らぬ戦友の屍を埋む

何かこういうことがあり痛切なものとして後にふりかえる、戦争の是非はともかくそこに痛ましい人間の情がせつせつと短歌にしている
俳句を話題にしたがここでは短歌が上手な人が結構いるのである
姉の島根の戦友も短歌が上手であり三陸会に結構のせている
俳句でも短歌でも何か切実なものがあるとき歌われるときその背景を読み込まないと鑑賞できないのである、今のような平和な時とは違うからである
戦場で友が死にその死体を葬るというときそうである、それも異国なのである
だからそういうことは経験した人でないと分らないとなってしまうのである

posted by 天華 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

アフガニスタン政府の崩壊から得るべき教訓


アフガニスタン政府の崩壊から得るべき教訓

国家がどうして成立っているのか?(資金がない、財源がない)


アフガニスタン国家がどうして成立ちタリバンが政権奪取したとしてもその後国家を運営できるのか?
今度はこのことが問われる、それでこの記事が興味深いとなる
アフガニスタンでは財政破綻で国家が破綻するとしているからだ
その理由は国家運営のための資金が調達できないということである
その資金調達がアメリカが握っているからだと分析している

例えば海外旅行してカンボジアやベトナムやネパールなどの後進国の紙幣を日本にもってかえっても何にもならなかった、交換するにもそれは紙きれである
でもドルだったら依然として使えるのである、円に交換して価値あるものなのである
世界でドルが通用する時、金融で世界を支配しているのはアメリカだとわかる
中国が強大化してもやはり基軸通貨はアメリカのドルなのである
それはアフリカの果てまで通用する
エジプトでナイルの上流の方、スーダンに近い方でロバに乗った少年がワンドーラ―くれと叫んでいるのはそのためである

エジプトはイギリスに支配されていたときはエジプトポンドが国家の紙幣だった
ボンドがその時世界の基軸通貨ともなっていたからだ
基軸通貨という時、世界で英語が共通語のようにして普及したのはイギリスが支配したからである、だから東南アジアでは別にエリートだけではない英語をしゃべる人が多いのである、それはイギリスが支配したからであり別に英語が特別優れた言葉だからではないのである、言葉というのも支配、被支配の関係で国のネティブな言語が代えられる
一時は日本が明治維新の時フランス語にしろとか言う人もいたしまた今でも国際化しているから楽天とかでは英語を共通語にしろとまで言う
それは現代はグロ−バル化しているから会社でそうしないと不便だからそうなる

グロ−バル化した社会というのを理解することはむずかしい、それは株式が理解できないのと同じなのである、天文学的な巨額の金が流れている、それは金とともに物資が世界に流通していることなのである、もし物資でも流通していなかったら金も通用しない
また物資でも運送できなかったら金も通用しない、その運送できる、交通が発達すると貨幣でも紙幣でも世界的に流通する、それでモンゴル帝国では広大な領域を支配したからそこでその支配範囲内で紙幣のようなものが流通できるようになったのである
それはやはり一つの大きな帝国ができて政治的に支配できたとき紙幣でも貨幣でも流通するとなる
日本だと江戸時代は仙台銭とか藩札が作れとしても一部の範囲内でしか流通できないとなる

とにかくなぜグロ−バル化すると金融というのが重要になるのか?

それは誰でも日々金なしでは生活できない、あらゆる物資が世界から運ばれているからだ人間は何かやと言ってもグロ−バル化した世界では金が重要になる
この辺で原発事故で避難区域になったところでは別にそこでは米を野菜を食糧をとれなくても生活できているのである、それは金があれば外部から物資でも食料でも買えるから不便でも一応生活できているのである
だから郷土を愛すとかなるよりまず金を愛すとなっている、別に故郷から出て行っても
金さえあればかえって都会に出れば便利な生活ができる、だから仙台市に移住した人も多いとなる、億の金をもらった人が結構いるからである
ただそこで喪失した故郷のアイディンティティはありそれを私は追求して来た
でも現実問題として故郷を愛すという精神的な問題と現実問題とは別である
要するにそれだけでは飯は食えないということである
だからどこでも世界の果てまでワンドーラ―くれとなっているのである

アフガニスタンが注目されるのは様々な問題がそこから噴出してきているからである
それは津浪や原発事故でこの辺が様々な問題が噴出してきて私が追及してきたのと同じである、コロナウィルスでもそうである、それに共通しているのは世界がグロ−バル化しているからである、コロナウィルスも結局グロ−バル化したということがありあっという間に世界に感染者が広がった、同時間的に広がった、時間差がなくな広がったのは飛行機とかで世界が時間差がなく行けるからである、8時間くらいで世界中行けるからそうなる
ウィルスは人から人へうつる、もし船でしか行き来できない江戸時代ならそんな簡単に世界へ広がらないと思う

でも現実は江戸時代のコレラは長崎から入ってきて北前船で新潟県に入り阿賀野川を通じてシロのる会津若松に入ってきて広がったのである
だから江戸時代でも感染症のウィルスは広まっていたことが意外だともなる
長崎の出島から外国人が入ってきて広まったことに驚く、今なら何万倍なのかとてつもないヒト、モノの交流があり移動している、つまり現代のグロ−バル化は移動の文明でもある、そうしたらその移動を止めることは不可能にもなる
交通とか移動を決めたら社会が機能しなくなり麻痺して生活もできなくなる、物資も入らなくなり社会生活の機能が停止して身動き取れず死ぬこともありうる
だからグロ−バル化した世界は感染症には一番弱かったのである

金融の問題もこうしてグロ−バル化しているから複雑であり理解しにくいのである
ただアフガニスタンの問題でわかることは金になるものが自国で産みだせないとういことで国家運営が可能なのかということである
自国で生産しているものはアヘンが主要産業のような国で国家運営が成り立つのか、その資金をどうするのかということである、それが今タリバンが政権奪取しても簡単に国家運営ができないとなる

不思議なのは江戸時代の様々な村が中心の自給自足の生活では村に入れないようにしても一応生活はできるようになっていたのである、自給自足が基本だからである
外から物資が入らなくても自給自足だから一応死ぬようなことはなかったのである
だからロックダウンとかしきりに言うが江戸時代だったら可能である
ただ江戸とかなると外から食料が入らないと苦しいとはなっていた
江戸でも米は外部から伊達藩とからでも相当数入ってきて生活できていたからである
都会は自給自足ではないからもし閉鎖して人流をとめたらもう死ぬようにもなる
都会には実際はまた災害に弱いとかあり危険もある
石巻だったか外部から物が入らなくなったとき裏山の木を燃料として清水をくんで米はあったので近隣で集まり自活していたのである

都会だと外から物資が入らないとお手あげになるので危険なのである
この辺では二週間くらい物が入らず危機的状態になった
石油もなくなり車だと移動できなくなったのである、それは危機的状態だった
私は米が二週間くらいありノリとかオカズがありしのいだ、その時電気は通じていたからできたのである、そして米が尽きたとき古米がここでは配給された、それで助かったのである、こういうことで緊急事態のとき食糧でも貯えがないと危機的なものになる
逆になぜ江戸時代に飢饉が度々あったのか?
それは逆に遠くから物資が運べないということもあった、藩ごとに国が違うともなり物資が隣の藩からでも入ってこないのである、今のようにグロ−バル化しているとどこかの国から援助されて物資が入るということがあり飢饉はなくなったともなる
そういう危機的状態では外から物資が入らない時、金があってもモノが買えない、コンビニですらたちまち商品がなくなり買えなくなったからである
それで私は自転車で隣の市までスーパーが開いているということで自転車で行ったのである、その時車はガソリンがないので使えなくなっていた
車が便利でもこれも使えなくなる、ガソリンが外部から入らないと使えなくなるのである

いづれにしろアフガニスタンの政府崩壊はよそ事ではなかった
なぜならアメリカも日本を見捨てて撤退することがありうることなのである
それをまざまざと見せられたからである、その時日本はどうするのかということが目に見えて示されたからである
とにかくアフガニスタンは食料でも何でも自給自足などできない、ベトナムは地下にもぐりベトコンとなりイモを食べてしのぎアメリカ軍と戦い勝った
でもアフガニスタンにはアヘンがあってもそれを食料とすることもできない
だからタリバンが政権を奪取してもこれから国家を運営できるのかとなる
つまり軍事力だけでは国家を運営できない、一時的に制圧しても今度は経済的問題がのしかかってくるからである
ただ外部から見るものとしてはただ様々な点で興味深い、それは日本でもアメリカ軍が支配しているのだからよそ事ではないからである

posted by 天華 at 06:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年08月23日

死者を愛することは無償の愛 (墓は死者と生者を結ぶ物ー墓の短歌十首)


死者を愛することは無償の愛

(墓は死者と生者を結ぶ物ー墓の短歌十首)


名もしれず草に覆われ墓一つ悲しくもあわれここに眠りぬ

正直な女(ひと)にしあれや人知れずここに眠るを我は知るかな

街中の墓地にしあれや常に行き死者を想うや秋の蝉鳴く

正直なる女(ひと)にしあれや人知れずここに眠るを我は知るかな

秋の蝉一つひびきて墓あれや逝きにし人は遠くなるかな

人はみな死すれば忘らるあわれかな誰か問うなれ時はめぐりぬ

我が兄とここに一基の墓建てぬ参るはあわれ我のみなるかな

この町に生きて死す人あわれかな死者は語らず我は語りぬ

人は死し何を残さむ財なしもその心しも良ければ残らむ

この町にあわれ涙し生きる女(ひと)安らかに今ここにし眠りけるかな

雨しとと石の濡れにき街の墓地秋の蝉鳴き夕暮るるかも

虫一つ夜更けて鳴きぬ雨しとと我は思いぬ死者にしあるかも


わたしたちが愛において死者を想うことは最も無私な愛の行為である
もし人が愛が全く無私であるということを確信しようとするなら報いについてのあらゆる可能性を遠ざけなければならない、しかしこの可能性は死者とのかかわりにおいては完全に脱落する、にもかかわらず愛が持続するならば、その愛は真実に無私なのである
(わたしたちは愛においていかに死者を想うかーキケルゴール)

私は何か墓に興味を持ちそこから郷土史に興味をもった、郷土史というとき歴史でもただ本とか文書とかから学ぶとそこに活きた人間がいないという感覚になる
でも墓には人が埋まっているとういことで違っている、例えそうでなくても墓は江戸時代でも人が死んでうまっているという感覚になる
ただ江戸時代になるとそれはただ記録したものともなってしまう、でも江戸時代となる
そこが古い場所であり貴重だとみる
明治以降になると私の父親が明治生まれのようにおじいさんとかにもなっている人が多く知らない人の遠い過去ではないから依然として情が通じるともなる

墓などいらないというのもら昨今の時代感覚でわかる、灰を海に流せとかそういう感覚は私にもある

でも人間は墓がなっかたらをどうして死者を意識するのだろうか?

人間は死ぬともう姿形もないから意識しにくくなる、死んだ時点で人間は極端に変わる
どんなにしてもたちまち見えなくなるのだから忘れやすくなる
そして日々の生活に忘却されるのである、10年くらい過ぎると一昔になり遠い過去の人ともなってしまう、そのスピードが早いのである
だからそもそも死者を愛しつづけるということが相当に困難がともなう
そして死者は存在ししているのかしていないのかもわからない
供物をあげても応答は全くない、すると供養することとか対象がないものを愛し続けるということもむずかしくなるからだ

それでも死者を愛することができるのか?そういう疑問にもなる
死者を愛するように生者を愛しなさいということも言うのは死者は愛することは無償の愛である、でも生きている人を愛することはなかなか無償になりえない、だから死者を愛するように生きている人も無償で愛しなさいとキケルゴールが言う
つまり見返りを要求しないのが愛だとなる、生きている人を相手にするとき必ず見返りを要求して来る、もうまず金をいくばくもらわなければ何もしないとなっているからだ
苦しんでいる時もそうなのである、まず金を払い後からではない、今払ったら助けてやるとかしかないのである、無償で助けるとか愛することはおそらく親子関係でも恋人関係でも夫婦でもない、何か見返りを要求しているからである
親子関係でも幼児の時は別として親のエゴが必ず入ってきて無償とはならないのである
成長するにつれて子供に必ず見返りを要求してくるのである

とにかく死者を愛することは本当にむずかしいと思う
だから彼岸の入りとかお盆とかに定期的に死者を想う時を作る、それで義務のようにして死者を忘れないようにする、その時だけは死者を思うようにするというのがお盆なのである
つまり墓がいらないというときこうして常になぜ人間は墓を作ったのか?
それを歴史的にふりかえらなければならない、でも家族とかの墓が作られたのは明治以降であり新しいの手ある、それまでは個人墓であり家族墓などなかったのである
これもだから不思議だとなる、家族墓が当たり前と思っていても実際は違っていたのである、江戸時代まで家族墓はないし庶民の墓もないのである
…家とあるがそもそもそうした一家の墓は江戸時代にない、侍でも個人墓であり家族墓ではなかったのである
では庶民は死んだらどうなったのか、それは仏方、ホトケッポとか村の共同墓地に埋められていたのである、だからそこには家族墓とか個々人の墓はないのである

人間はとにかく忘れやすい、死ぬとすぐに人は忘れられる、だからこそ死者を意識するために墓という具体的な物体を作りそこを通じて死者をあらしてめ死者と交流しつづける
そのために墓を作ったとなる、そうしなければ死者はどこにいるのかわからなくなるからだ、海に流したとか灰をどこかにばらまいたとかなるとわからなくなる
祈る対象がなくなるからこれも困るしまたそうなると死者は余計に忘れられる

ここでは小さな街の中に墓地がありそこをいつも私は通っている、すると必ず墓を意識して死者を意識する、つまり墓が身近にあるとまた死者を意識しやすいとなる
家だと遺影がありそれで意識するがやがて家はなくなるとしても墓はその後も残る
それで死者を意識する場所として墓地があるとなる
墓地も街と一体となり生活がつづいているともなる
それで墓町とかの地名もある、

それにしても雨がつづくから秋雨なのだろうか、これも感覚的におかしいともなる
ただ何か石がしとしと雨に濡れて蝉が鳴き、虫もなく、それが墓地にふさわしいともなる雨に濡れているという時庭の石のことである
ただ私の墓の側には私が置いた石くれの墓があり草に埋もれている、それは世話になった正直な女性の墓なのである、その女は死んだ、その不肖の息子も最近死んだ
奇妙なのは息子はその家の墓に名前も記されていないのである
息子は金もないので墓に母親の名前も記さなかったのである、6万くらいの金もなかったのである、そして自分が死んでも墓に埋まっている、そこに自分の名まえか記されているのか?それも疑問だとなる

人間にとって墓は人間だから必然的に墓を作るようになった、だから一概に墓はいらないとはならない、ただ寺に管理されてそれで金を払うとかはもう時代に合わないとなる
宗教では仏教ではそもそも死者をそんなに祭り上げることはなかった
出家があるときまさに家を出ることであり家を重んじないということがあったからだ
いづれにしろ墓がないと死者と通じる媒介するものがなくなり死者と生者が結ばれないともなる、それでも墓を維持することが今や核家族化とか家族の希薄化でむずかしくなり
墓じまいが多くなるのもわかる、これまで長男が重んじられ長男が家を代々継いできたがそれもなくなると墓を維持できなくなっているのである

2021年08月22日

金を残しても死ぬと価値がない (金は実際は紙きれにすぎない-人生の意味と価値)


金を残しても死ぬと価値がない

(金は実際は紙きれにすぎない-人生の意味と価値)

この世の中すべて金になり金で判断する、収入でも金で計算されて価値が判断される
生きている時はみんなそうである、でも死んだ時その人の価値は何で判断されるのか?
一億円残したからこの人の価値は一億円になるのか?
それをもらう人は子供の世代はその一億円は相当な価値になる
なぜならまだこの世を生きるから価値があり親の価値も金の価値にもなる

でも死んだ時不思議なのはあの人は一億円残したから価値ある人だったとなるだろうか?その金をもらえない人はその金で人の価値を判断するだろうか?
死ぬとその人が生前に残した物でその人の価値を判断する
例えば古い特別な家を遺したものを放送する番組がある
するとその金持ちの残した家が文化財のようにもなる
それはあくまでも金ではその人が残した家がその価値だとなる
それは別に家族でなくても文化財のようになれば他の人も見ることはできる
立派な庭でもそうである、その価値は家と庭にあったとなる
金持ちでもその金をどう使ったかで評価される
多額の金をもっていてもそれを子供たちに遺産として残したとしても評価するのは子供たちだけだとなるからだ

人間はすべて金に換算される時代である
でも死んでしまうと何で価値が判断されるのか?

ここのことを思って生きている人は意外とまれだろう、死んでしまったらその人の人生が何であったのか問われる、歴史的にでもその人の価値が何であったのか問われる
なぜ陸軍二等兵とか他でも墓に戦死したのか、位が記されているのが多い
でも今になるとそんな位に何の意味が価値があるのだろうか?
何か軍人であることが価値があるとされた、でも今になるとその墓を見て位を見てこの人は偉い人だったとみんな見ているだろうか?
ただ戦死者か無益だったとかではない、でもそうして今でも墓に記された軍人でありその位に何の意味があるのかともなる
それを墓に記したのは当時だったら社会的意味があり社会でも注目しいたからだとなる
軍人は威張っていたというときそうである、それはミャンマーとかの軍事政権となると軍人が一番威張っている、中国だと共産党が一番威張っている

でも必ずこれも時代によって変わる、共産党でも永続しないからである
それはあくまでも集団として組織としての価値なのである
個々人の価値なら例えば科学に尽くしたとか芸術で貢献したとかいろいろありそれは人類的普遍的価値ともなる、だからそれらは長く残ることがある
でも実際百年後に残るものがどれだけあるのかとなるとほとんどなくなってしまうのが人間社会なのである
時代によって価値は激変することがある、それが戦後に起きたのである
国民全員が鬼畜米英になっていたのにまるでアメリカ様様になった、それを経験した人は何んなのだろと理解できなくる、あまりの変わりようだったからである
白だったものを黒にしてしまったからである

ともかく死ぬとその人の人生は何だったのと問う、歴史的になれば戦争で三百万人も死んだのは何だったのだろうとなる、その意味が問われるのである
第一三百万人を死んだのを無駄死にだった、犬死だったとは言えないからである
それなりの意味と価値をもたせなければ浮かばれないとなってしまうからである
でもどうしても陸軍二等兵という墓があったとしてそれに敬意をもていないのである
他の人でも敬意をもっていないだろう、それだけもう価値観が変わったからである

何か家のことに私はこだわるのは結局残されたものが家だからである
もちろん金も遺されたとしても具体的に残されたのは家なのである
それでこの家は広くていいなとかここに家族が寝ていたなとかふりかえる
また台所に母がいて料理してくれたな、それも60年とか長い時間だったなと
つくづく私は今度は自分で料理したり台所で働くからそのことを一層感じたのである
意外はそんなこと当たり前のことだと思っていた、でも全部自分で家事をするとなると大変だなつくづく思った
料理するにも種類が多すぎるのでいちいち冷蔵庫をチェックしているのも手間で忘れてしまうのである
それからプログとか毎日書いたり本を読んだりするから手が回らないのである
それでありあわせのもので食事はすましているのである

虫の声夜にかすかに我が母の台所にありその日の長しも

私の母親は嫁いできても女中と同じだったのである、働き詰めで終わったのである
そして今自分がその台所にいるのもカルマだとなる
そして死んでから感謝して供養してごくろうさんという、ただ死ぬ前に5年くらい介護したことで喜ばれたので恩返しが多少できたとして救われたのである
そうでないと何か一方的になり母も不満のうちに死んだからである
そこで介護の問題が苦しいけど何か死後にも人間は関係がつづくからむずかしいのである現実に子供を恨んで死んだ人もいるし結構そういう親はいる
せっかく苦労して育てたのに子供に冷たくされたとか普通にあるだろう

ともかしく親が死んで一番感じたのは確かに金を遺してくれたからありがたいともある
でも一番感じるのは残された家なのである、それで家のことを延々と語っているのである家にいるとやはり親のありがたみがわかり家に感謝するのである
他に具体的には残したもので感じないからである
だから家には依然として家族がいるという感覚になるのである
この家を支えて来たという時、家という建物だけではない、家族がいて私は支えられていたとなるからだ、そこで家に感謝しているである

ただその他で残したものはない、庭は狭いしそこに何か感じるものはない、むしろ死んだ後に自分が頼み作ったものだともなるからだ
こうして具体的なものとしては家が残されたものとして意識する
他にその人によるそれぞれの人生がありその人生を振りかえりそこに価値を見出す
その人生をふりかえることは価値があったとてももう金にはならないものである
死ねば人間はやはりHistory-story(物語)になる
ものー語りとなるがやはり死ぬと遺された物を通じて死者を想うからそうなる

それが具体的だからわかりやすいのである、画家だったら残された絵を見てその人を偲ぶとか価値づける、芸術家の場合は残した作品から価値をみる判断するとなる
でも別に普通の人でも生きた一生があり判断される
でもカルト宗教団体とか党派の団体とか会社とかの組織団体に属して生きた人はそれが一生なのだけどその団体組織が消失したときその価値も消えるとなる
百万人会員がいたとしてもその価値は百万分の一なのである
その組織はやがて消滅する、それは生きている間にも起こる、退職すると大企業に属していても価値がなくなるからだその人の価値はすべて会社に属している価値だったからである

とにかく人間の生きる意味とか価値とかは意外と死んでみないとわからないのである
死んだ時純粋にその人の生きた価値とか意味が問われるからである
つまり金をいくら残したとかではない、他者にとってはそれはもらえないのだから関係なくなる、ただその人自身の純粋な意味とか価値が問われるのである
この人はこういうことをして一生を終えたとかになりストリーとなりその価値が判断されるその女性は何か自分にはわからなかったけど大正生れて本当に馬鹿正直な人だったのである、それで私の家族が認知症になったときその女性だけが相手にしてくれたのである
認知症になると親しい人でも相手にしなくなるのにしてくれていたのである

でも別にその人に私の家族が良くしたとはならない、むしろ冷たかったかもしれないのである、でも認知症の介護に苦しんだからその人に感謝することになったのである
この人いい人だったなとつくづく感謝するようになった
つまり自分自身がこの女性の価値を認めてそうなった、それは金とは関係ないことだったのである
他の人は介護になってかえって金を奪うとう金をよこせとか脅迫するような人達ばかりだったから余計にその人を思うようになったのである
だからこうして金だけで価値は計れないである
また何かその男性には世話になったことがありそれを恩に思ってその人が病気になったと世話している女性がいる、それもまた金のことは関係ないのである
むしろいくら金をやっても人間はそれを恩とも思わないし感謝もしないのである
だから人間はすべて金で計るわけでもないのである
それで「金の切れ目が縁の切れ目」になるのが普通なのである

ただいやいやながら金をもらうからしているというとき本心が必ず現れる
絶対に人間は無償の行為はつづかないからである
必ず見返りを要求するようになるからだ
最初から見返りを要求する人もいる、いくらくれるなら助けてやるとかまでなる
でもここに倒れた人がいればお前俺にいくらくれんるんだとか言っていくらなら助けてやるとかなるとそれは脅迫なのである
私は介護でそうして金で脅迫されてきたからである
それは後で世話になったからと金をやるということもある、でも窮地にあるとき金を払うから助けてくれとはなれないのである
それでまず救急車は無料で運び後で金を要求するとなっているのである

いづれにしろ人間はすべて金で価値は計れない、それが死んだ時それがわかる
その人の価値がわかる、この人はこういう人だったなとわかる
それは家族でもわからない、親のことでもわからない、子供なら親が尽くすのが当たり前だと思っているからである、それが自分が親になったり死んでから親の苦労がわかったりして親に感謝するとなる、ただ親でもいろいろり毒親も多いからみんなそうなるわけではないのである
ただすべてを金で計ることはできないし、金は紙きれでありそれが実際の価値とはならないのである、それが死んだ時はっきりするのである




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2021年08月21日

アフガニスタンで副大統領が北部で反撃 (地理がわからないと世界はわからない―要衝の地としての歴史)


アフガニスタンで副大統領が北部で反撃

(地理がわからないと世界はわからない―要衝の地としての歴史)

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古代ならペルシャ、今はイラン、インドがあり中国が迫る
その影響を受けてここは支配が変わったのである
インドの王朝の一部にもなったことがあるからだ

アフガニスタンの山の高さ

 3000−4000mがほとんどである

ここの地図がわかりやすい



アフガン副大統領が唯一タリバン支配の及んでいないパンジシール州で挙兵

ヒンドゥークシュ山脈(ヒンドゥークシュさんみゃく、パシュトー語/ペルシア語: セF/HゥO4)とは、主にアフガニスタン国内を北東から南西に1200kmにわたって延びる山脈。一部はパキスタン西部にも広がる。

急峻な地形ゆえ、山脈周辺では土砂災害も発生する。1971年7月下旬にはケンジャン峠付近で発生した地すべりが集落を押しつぶし、1000人以上が死亡している[2]。

ヒンドゥークシュ山脈は古来から東西南北の交通の障害となってきた。このため重要な峠が点在する。中央アジアとインドを結ぶ峠道が多数あり、ハワク峠(英語版) (3548m)はアレクサンドロス3世(大王)やティムールが通過している。シバル峠(英語版)(2978m)、サラン峠(3363m) はカーブルと中央アジアのマザーリシャリーフを結ぶ重要な道路が通る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%
82%AF%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%B1%B1%E8%84%88

アフガニスタンの主要作物であり、主食の小麦の生産量が今年は440万トンから370万トンに減少。7月25日には緊急援助委員会の委員長を務めるモハマド・カリム・カリリ副大統領が、250万人が深刻な食料不足に苦しんでいると明らかにした。

水不足、干ばつ、自然災害が問題の根源にはあるが、農地の3分の2が灌漑用水に頼っているアフガニスタンにとって、ダムの建設や配水システムの整備が緊急課題である。


このおっさんは単にタジキスタン系なんでは
タリバンはイスラム主義ではあるがパシュトゥーン人主義でもある
だからこんな難しい国の統一を武力でないと維持できない
イスラム帝国でアラビア史上初めて部族の枠を超えた一致を見たのに
それはクライシュ族至上主義の上には立っていたけど
今のイスラムは原理主義でもそうでなくても結局部族単位で行動してるから
いつまで経っても一つになれない

北側も東側も標高7000m級のパミールの高山が続くから包囲なんて出来ないのよ
南側も6000m級の山岳地帯なので実質西側から攻めて来る敵だけ対処してれば良い
それでも山脈の間抜けて騾馬や航空機でタジキスタンと繋ぐ補給路はあったりする



国際政治を理解するには地理が基本にある、地政学が大事になる
アフガニスタンの地理でも理解するのが容易ではない、6000メートル級の山岳地帯ということが理解できない、地理は地図を見てもわからない、地理はまた意外と交通機関が発達するとわかりにくくなる、峠があっても電車でトンネルで行くと地理を実感しないのである
だから私は常に飯館村まで自転車で坂を上って行っていたからそこが高原地帯になって別世界のように感じたのである、標高400メートルとかなれば結構高いからである
八木沢峠でも車で行っても相当な七曲の坂だからである
ただなぜそこが古くから相馬地域の鎌倉から来た岩松氏の支配下にもなっていた
それを受け継いで相馬氏の支配地域となった、確かに山にさえぎられているのだがやはり一体化する地理にあったともなる
また木材資源がありそれを得たいとなり塩の道ができたことも関係しているかもしれない
とにかくアフガニスタンは山岳民族が跋扈する中世の時代だとも言われる
部族が蟠踞して高い山にこもる、となると自然が障壁となり攻めにくい、ゲリラ戦には向いている、だからなかなかロシアでも手を焼いて撤退したりして支配できない
またアフガニスタンでも統一がむずかしい

例えばペルシャとかモンゴルとか平原と草原とかつづいていると大帝国ができやすい
なぜなら遮るものがなくその領土は拡大できるからである
それでモンゴル帝国がヨ−ロッパまでも進出できた所以である
確かに日本でも山が多いからヤマトともなった、でも6000メートルとか7000メートルの山ではない、それなりに越えられる高さなのである
そういう高い山は日本にはないからイメージできなくなる

ナンは現在のイランを起源とし、その後メソポタミア、古代エジプト、インド亜大陸に伝わったと考えられる。語源はペルシア語。

主食としてのナンがペルシャ起源で古い、古代エジプトに広まったというのも驚きであるナン文化圏は広いのである、食べ物から世界を観るとわかりやすい、でもこんな古い時代からあったとなると意外である
アフガニスタンは農業の占める割わい一割にも満たないとかあり盛んではない
平坦な地がなく山岳地帯だからである、そしてその山岳地帯には木がない
一般的に日本のように木に覆われた山はまれである、日本の山は世界から見れば例外なのである、エジプトのシナイ山でも一本の木もなかった、荒涼とした風景だった
岩山であえ砂山である
そして木がないから土砂災害で千人も死んだというときその規模が大きくなる
木は水を貯えるからである、保水能力があるから日本では常に山から水が供給されて田んぼがありうる、アフガニスタンとか砂漠地方だと木がない森がないから雨が急激にふると鉄砲水になり川がたちまち洪水のようになる、砂漠の川はそういうものである
灌漑が水を供給することが大事になる、例えばイスラエルとかも半分砂漠だけど水を供給するシステムを作り果実などがとれるようになった
水をどうして供給するかが問題になりそれが文明を産んだとなる
アフガニスタンの耕地向きが12パーセントでその一パーセントしか利用されていない
だからアヘンの栽培が主たる産業にもなってしまうのである
中村哲氏が灌漑事業の手伝いをしたのはそのためである

そして回りの国々との関係もわかりにくい、実際はアフガニスタンというまとまった国はなく部族がそれぞれの地域で支配している、統一国家となっていないのである
だから北部同盟がありそこに副大統領は逃げてこもりタリバンに抵抗するとなった
これだけ山が高く多いとそれぞれが独立していて統一することはむずかしくなっていた
だから外国勢力でも支配できなかった、ゲリラ戦になると強いということである
ベトナムでもべトコンは地下にもぐりゲリラ戦になりアメリカに負けなかった
ジャングルがありそれで阻まれたこともある、また食料はイモでありこれは意外と早く成長するから食料は供給できたことも勝利の原因だった
結局地の利があり土着愛郷精神がありそこにずかぶかと踏み入ったアメリカは敗れたとなる
アフガニスタンもそれと似たものがあった、地の利があり抵抗がありゲリラ戦に向いていたので支配できなかった

またここは地理的要衝であり中国でも一帯一路でここを通過してパキスタンから海に出れるということでタリバン政府をいち早く承認した
ペルシャとインドを分けるヒンド―山脈やカルバル峠は有名である
ここは玄奘三蔵も越えてインドに向かった、アレキサンダーもここを越えてインドに向かったでもインドではさはに広い国があり引き返したとなる

そしてアメリカの問題はアメリカ本土は日本でもそうだしヨ−ロッパでも離れている
アメリカの本土自体が戦場にならないことが有利になるしそれで本気にならないということもある、もし地続きだったら本土が攻められて侵略されるから恐怖となり戦い方が違ってくる、常にはるか後方にあって安全地帯にあるから戦い方も違ってくる
別に不利になったら戦闘をやめて本土に引き上げればいいとなるからだ
それがまた問題になる、中国とかロシアは陸の大国であり陸続きで隣国と接するから
常に責めて来る恐怖となり万里の長城が築かれたのである
アメリカは遠い島国でありそういう本土が攻められるという恐怖はない
ただミサイルとなる核ミサイルで攻撃されることを一番恐怖している

つまり今回のアフガニスタンは常に自分の国が直接陸伝いで攻められる恐怖がないということで戦い方が違ってくる、真剣にもならないともなる
それで中国が脅威となるときアメリカは果たして対抗できるのかするのか疑問になった
つまり日本の基地でも引き上げるということが見えたからである
アメリカは別に本土にいつでも避難できなるからである
ところが陸続きだったらもうそこから避難できない、そこで戦い死ぬほかないとなる
だからアメリカは簡単に撤退するということが見えたので日本でも自主防衛しなければ中国でもロシアでも簡単に支配されるとなる
つまりいつでも逃げられるから無責任にもなる、でも日本でも他でも逃げる場所がないのである、すると本土決戦とか一億総玉砕とか悲愴な決断になるのもわかる
そういう集団はいくら軍事力が経済力などがあっても戦うとなると相手は死にもの狂いなのだから怖いとなる
そのため本土決戦になるとアメリカ軍の被害が死者も増えるから原爆を落としたのだともされる

ともかくアメリカ軍は同盟軍のヨ−ロッパの人達も助けないとなった
アメリカの信用が失ったともなる、アメリカはあんな簡単に撤退するのだという事実を見てしまったからだ、ともかく陸と海との戦いがありアフガニスタンは陸の孤島のようになっていたのである、だからそこを侵略することは古来から手こずっていたのである
だから世界でも世界史でも地理がわからないと基本的に理解できないのである
この地理を理解することがともかくむずかしいのである
アメリカに一回くらい行ってもその広さをまず理解することは不可能である
そこからすでに理解できないとなるのである
中国でも同じである、あまりにも広すぎてわからないとなるからだ
世界を知るには本とか地図見たりしてもわからない、実地に路査して見聞した方がイメージできるようになる
それで50歳になってやっと世界旅行したバックパッカーになってしたことが今になると活きてくる、ただ遅かったとはなる

アフガニスタンの詩

その谷間は深く雪解け水が流れ
峠のかなた万年雪の高峰が連なり迫る
その山々に閉ざれて侵入者を拒む
独立の気風が養われて古来よりよせつけぬ
ロシアは去りアメリカも去る
唯一の神、アラーの声がひびきわたる
純白の雪に閉ざされた高峰のように
・・・・・・・・

山は独立の気風を養う、平地には人が交流して都市が生まれるけど山は閉ざされて独立する、高い山を見ていると自ずと精神的にそうなるのである
ただこの辺には海があるけど高い山がないからものたりないのである
何か精神を涵養するものがないのである

 山国の欠点にして、国を山間に立つるもの民は狭隘にして遠大ならざる理由なり
 山国の民の特徴として激烈な愛国心を有するにと同時に、嫉妬憎悪の念深く、
 針小子細の過失は百世にわたる怨恨の基となり,郡は郡と争い、村は村に抗して
 外に強敵の犯すなき時は..紛擾の中に日を送るをもって常とす
 
 (内村鑑三ー地人論)
 
 これがまさにアフガニスタンである、このように山岳地帯は個々に山に遮られて独立しているから融和しないのである
紛擾とは乱れるさまでありまさにアフガニスタンはまとまらず分裂するのを常としている
モンゴルは平原だからまとまりやすくモンゴルの大帝国が生まれた原因である
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2021年08月20日

日本の戦争はなぜ起きたのか (アメリカの戦争の理由もわからない―意味が問われる時代)


日本の戦争はなぜ起きたのか

(アメリカの戦争の理由もわからない―意味が問われる時代)



日本の戦争はなぜ起きたのか

ベトナム戦争はなぜ起きたのか

イラク戦争はなぜ起きたのか

アフガニスタン戦争はなぜ起きたのか


これらの戦争に共通性はあるのか?それはあるとしたらアメリカの被害妄想意識とかかもしれない、太平洋戦争でも真珠湾攻撃がありそれを契機として恨みとしてアメリカが日本を徹底的に総攻撃でうちのめして最後は原爆を落とした
一見日本側から見ればそれだけのことをしたのだから当然だとアメリカではなる
でもふりかえるとアメリカとはそういう国なのだともみる

ベトナム戦争でも泥沼になった、この戦争の理由は共産主義に対抗するためであり米ソ冷戦があり自由主義陣営と共産主義陣営の戦いだともなっていた
でもこれもまた最後の方になるとなんのための戦争なのかわからなくなっていた
それで(地獄の黙示禄)という映画ができた、ただそこは人を殺す狂気の世界ともなっていたのである

そもそもそんな地獄を作りだしたのは誰なのか、アメリカだったとなる
ベトナムにアメリカが侵攻したときベトナム人は土着精神の愛郷精神でベトコンとなり耐えて勝利を治めた、それはアフガニスタンとも似ている
タリバンはベトコンなのかもしれないからだ、土着している土地を踏みにじったということで戦ったからだ、今でも土を盛っただけのベトコンの墓がそちこち見られる
また負傷した人が傷痍軍人が回って物乞いしていたりした
それは日本の戦後とも似ている

イラク戦争ではアメリカが化学兵器があると難癖つけて戦争になり攻撃した
実際は化学兵器はなかった、ヨ−ロッパとか多国籍軍を編成してイラクに突入した
日本は金だけを払いアメリカから責められた
同盟軍なのだから参加しろと強制されていたからである
この戦争の原因は9・11のニュヨークのビルの爆破で三千人くらい死んだことである
日本人も20人くらい死んだ
これに激怒してイラク戦争になったのである
それは真珠湾攻撃で日本にアメリカが激怒して原爆まで落としたのと似ているのである
そこに正義などないし戦争にそもそも正義などないのである
アメリカは2の被害があったら十倍にしても報復する
それは報復する力があるからその力を乱用する

それでなぜアフガニスタンでもベトナムのように勝てなかったのか?
強大な軍事力をもっていても勝てなかった、タリバンもベトコンなのか地元に土着しているしやはり地元の支援があるからアメリカでも勝てなかった
アメリカに空爆して殺されている住民もいるからである
つまり強いとその強さのためにわずかでも被害があると十倍になってもはねほかえってくる、アメリカを攻撃するものは絶対に許されないとなる

でもアメリカの戦争をみるとそれが正義とかないのである
アメリカの強さを誇示するものでありアメリカに逆らうものは許さないということなのである
確かに真珠湾でも三千人くらい死んだから被害が大きかったし日本は馬鹿だったとなる
アメリカという国がどういう国かわからなかったのである
その強大な軍事力であれ経済力を知らなかったのである
ただ日本側にすれば経済封鎖で石油が入らないとか窮迫していてやむをえず真珠湾を攻撃した、つまり追い詰めれていた結果なのである
そうして追い詰めたのはアメリカだったとなる

何かやはりアメリカは強大な力をもっているからそれが力の乱用になる
それが行き過ぎた結果となる
原爆まで落とす必要があったのか?それが疑問なのだけど日本はそれで完全に降伏した
日本側の問題は戦線を拡大しすぎたことである
日本側でも何の目的でアメリカと戦争になったのか明確はない
アジアの国々の植民地解放といってもそんなことを国民が意識していたのかという疑問である、戦争が終わって結果的にそうなったからそれを盛んに言う、戦争の理由にしているとなる

戦争にしてもそれが何千万人も死ぬ、するとそれ相応の戦争の理由があってもいいのだがそれがはっきりしないのである、ドイツのナチスにしてもそうである
その戦争の理由が明確ではない、ただドイツでも失業者が増大して国民の不満がありそれが戦争に結びついた、ただその理由は何なのかとなる不可解だとなってしまうのである
理由なき反抗とかの映画があったがそれとも似ている

そして戦争が終わって必ずその意味が問われる、なぜ日本は戦争したのだ

それは三百万人も日本でも死んでいるからである、そしたら犬死だった、その死は無意味だったとできないからである、もし明確な意味ある目的ある戦いとして始めていればこういうことはないのである
戦争が終わり莫大な犠牲者が出て一体この戦争は何のために戦争だったとなる
その犠牲が余りにも大きすぎたからである
最初から意味と目的がはっきりしていればそんなことはないのである

ただあらゆることが何かその意味とか目的が明確ではない、江戸時代辺りまでの戦争はただ権益争いであり強い者が勝利してその権益を得たとかわかりやすい、それはヨ−ロッパとかでも同じである、戦争は権力闘争であり権益を得るためだとということでわかりやすいのである
ただ現代文明の戦争はその理由がわかりにくいのである
そして今になるとあらゆることで意味とか意義とかが問われる
オリッピックでもその意義が問われた、高校野球でさえ今その意義が問われる
それはあらゆる方面で問われる時代になったのである
なぜなら日本でも三百万人死んだように犠牲があまりにも大きいからその意味が問われるその意味は戦争が始まる前によくよく考えるべきだったとなる
そうすればみんなその意味に納得して後で後悔することはないからである

アメリカがなぜこれほど強行に戦争するのか、そさは強大な力をもっていて少しでも傷つけられるとその十倍にも百倍にでも報復する
そして原爆まで落としたのである、そういう国だということである
だからいづれそれが大きなカルマとなる、アメリカは戦場になったことはない
日本のようにベトナムのようにイラクのようにアフガニスタンのように戦場になったことはない、だから一回戦場になったみたらその苦しみがわかるはずである
9・11のニューヨークのテロでは戦場になったような気分になった
だからあれほどのイラクとかテロ国家への攻撃となったのである
でも日本であれベトナムであれアフガニスタンであれどれだけの被害があったかみればわかる、その規模があまりにも違いすぎるのである
それで9・11のテロは日本のパールハーバーになったのである

とにかくこうして戦争でもその戦争中はあまり意味を問うこともない
でも終わった後に意味が問われる、なんためにこんなに死んだのかと問われるのが人間であり歴史である
近代の戦争は何かその戦争の意味が明確ではないのである
ただ近代兵器が生まれて犠牲が莫大になったのである
そして古代から戦争があったが近代の戦争では英雄というのは生まれない、日本の戦争でも3百万人死んでも何か英雄として語られる人がいないのである
ただ莫大な消耗戦のようになっている、だからこれも何なのだろうとなる

他にもあらゆる分野で意味が問われる時代になった
オウムとかカルト教団にしてもその時優秀な理系の大学を出た人が革命のために仏教の教義で逆らうものはポアしていい殺してもいいということを信じてサリンをまいた
ただその時こんなことしていいのだろうかと疑問をもったはずである
それもなく死刑にされるときひどく後悔したのである、麻原にだまされたとか無念の内に優秀な人が死んだのである、これも何か意味を問わないではじめた
またカルトだから宗教だったら殺傷は禁止なのにそれも正当化されたのである

創価などでも何のために宗教を看板にしているのかわからない、政治権力を得て権力を掌握することが目的なことは確かである
そうしたら宗教とは相反する、でも日蓮の教義では矛盾しないがそれだって中世のものであり適応されないのである
タリバンでも中世時代の宗教の価値観だから問題がある、おそらく江戸時代でありイスラム原理主義の政教一致なのである


共産主義にしても文化革命で一千万人死んだとかカンボジアで二百万人が死んだとか頭蓋骨が積まれて博物館になっている
この犠牲も何だったのだろうとなる、共産主義の暗黒がまざまざと示された
一応民主主義国家ではそういうことはありえない、反対勢力を一応認めるからである
でも共産主義は反対勢力は抹殺する意外ないからこれほどの被害がでる
それで欧米の民主主義とか法の支配とかが政治として理想でなくてもいいとなった
民主主義はまどろこしいというか手続きとかにこだわり話し合いになると簡単に物事を決められない、だからコロナウィルスでも緊急時には弱いとなった
強力にコロナウィルスに対処できずに感染者を広めたということがある

ただ共産主義にも問題がありそれは反対を認めない、抹殺することである
権力をもったものはどうしても反対勢力を嫌う、すると権力があるからそれで抹殺できるその権力の乱用が怖いのである、権力を監視するものがないからである
だからどうしたら反対勢力でも存在させる仕組みが必要になる
タリバンなどにはないから反対する者は許さない戸なり暴力で排除してしまう
そこで反対するとなる死者が出てそれも多くの死者が出て犠牲が大きくなる
それも大問題なのである

結局こうして社会の大きなことでも何のためにするのか、その意味と意義が問われる
それはあらゆる方面でそうなのである、だから哲学の時代でありどこでもなぜなのか
何のためにするのか、あるのかが問われるのである
それは別に哲学という学問をする一部のものではない、あらゆる方面に庶民でもかかわり問われているのである

とにかく人間個々人でも死ぬと必ずこの人の人生は何だったのか、何の意味があったのかとか問われる、例えは巨額の財産を金を残したからと必ずしもそれが意味あるものとして評価されないこともある、でも財産を残さなくてもその意味や価値が問われてそれが価値あるものとして認められることもある、歴史的価値あるものとして認められることもある何か死んだ後の価値は必ずしも財産ではなくなる
組織団体でも意味が問われ個々人でも死ぬと必ず意味と価値が問われる
それが人間である、動物にはそんなことはないからである
人間の人間たる所以はこうして何のために生きるのかとか何のために生きたのかと意味を問うことにある、だから莫大な犠牲を死者を出してもそれに何の意味があったのかと戦争が終わった後に問われるのである

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高校野球もコロナと雨にたたれ転換期に (あらゆることで意味が問われる哲学の時代に)


高校野球もコロナと雨にたたれ転換期に

(あらゆることで意味が問われる哲学の時代に)

高校野球もコロナウィルスの陽性者がでて東北学院と宮崎商業が辞退した
特に東北学院は新顔でありこれまでは育英とか東北高校が定番であり新鮮だった
だから注目していた、そしたら強豪の愛工大名電に買ったので余計に期待していた
つまり高校野球はプロ化していて勝つ高校はたいがい試合する前から決まっている
第一大阪桐蔭とかはまず大阪だけで勝つのが甲子園で勝つよりむずかしい
それだけすでに大阪で勝つことがもう甲子園で勝つともなっている
もう普通の高校では勝てない、プロを選抜する大会とまでなっている

実際に東北でも北海道でも甲子園に出たくて野球のために有力高校に入る
それが大阪出身が多いのである、そしたら地元の生徒ではないのだからそれは高校野球の目的に趣旨に反するものになる
だから高校野球自体今や高校のプロ化したものでありとても普通の高校では勝てない
北海道とかで優秀した高校でも9割くらいがそうして野球留学した人達であり大阪出身が多いのである
それはまず大阪で甲子園に出るとなると最もそっちの方がむずかしいとなるからそうなるそこにもう高校野球の趣旨とは違ったものになっていたのである

そして戦国時代でも勝敗には天候が関係して勝敗が決まったりする
信長の桶狭間の戦いでも嵐になってその時攻撃して勝ったとかある、関ケ原の戦いでも天候が左右したとかある、だから勝敗というのは必ずしも実力だけも決まるものではなかった、天候は人間の力で操作できない、左右できないからである

こうしてコロナウィルスなのに朝日新聞が強行させたとか批判がある、五輪は反対したのに高校野球はすすめた、その危険性を無視したとして批判がある
ともかく五輪でも高校野球でも天候がマラソンなどでも30人が途中でやめたとか天候の影響がある、だから東京ドームでやれとかも言われる
また暑すぎるから夏の盛りにやるのは問題だともなる
そして高校野球は本来の趣旨とは違ったものになっている
もはや大阪桐蔭のような一種の高校野球のプロ集団に勝つことができないからである
つまり始める前から勝敗は決まっているともなる
そうなると見る方でもつまらないとなる
でも東北学院が  に勝ったのは注目して期待したがコロナウィルスの陽性者が一人出て辞退したのである

五輪もそうだったがなぜ高校野球でもその是非すら問われるようになったのか?
オリッピックでもそれが一部の特権者の金儲けのためだと判明してIOCの会長がぼったくり会長として批判された、コロナウィルスの最中にオリッピックを強行することはありえないということもあった、でも菅首相はオリッピックで劣勢を挽回しようとした
でもそれもコロナウィルスの感染者が増加して裏目に出た
政治でも自然災害でも天候でもいろいろなことが影響してくる
特に今は本当にあらゆることでそんなことをする意味があるのか?
莫大な金をかけてする意味があるのかとかが問われる

何か宗教とか哲学の時代なのである、ただ盲目的に信じるカルト宗教団体すらなぜ存在しているのか問われる、それは本来の宗教ではないかとなる
それは創価の様な大きな団体だけではないのである
檀家でも跡継ぎがいないから墓じまいしたいからと言ったら200万の金を払いと要求されたとか訴える、寺は檀家は維持できなくなっているともなる
それは地域社会で農民社会でコミニュティがありその要にあり機能していた
でもそういう農民社会でもつながりが希薄化すると寺の存在理由が問われる
それは他の宗教団体でもその存在理由が問われているのである
なんのためにあるのか?となるからだ、ただ墓の管理のためにあるとなると別に市営の墓地でもいいとかなる、それはその存在理由がわからなくなったからである

他に銀行とか地銀でもそうである、投資信託とか詐欺まがいのものを売りつける
それはゆうちょでもしていて批判があった、これも高度成長時代が終わり利子がつかないことで金をあづけていて何になるのだとなっているからだ
貸金庫なのかとなる、それなら誰でもできるとなる、銀行はもともと起業して成功した人が資金を貯えてまたあらたな事業をするために生まれた
だから起業する会社をはじめる能力が必要にもなっていたのである
ただ金をあつめて借りに来る人を待っているだけの商売はできなくなったのである
そうなるとなぜ地銀でも銀行でもゆうちょでも存在するのかと問われることになった
これは社会全般に起きていることである、教育でもIT化や人工知能化で教師の役割も変わる、すると教育はなんのためにあるのかともなる

奇妙なことは引きこもりとかニートとかが増えたけどそれは機械化してAI化するなど
人間の仕事が減る、すると当然そういう仕事しない人も職を持てない人も増えて来る
それでそういう人のためにベーシックインカムが必要だとなる
つまり働かなくても最低限の収入を与えるという制度である
これもまるでユートピアにもなる、なぜなら働かないで暮らせるとなれば遊んで暮らせるとなればそうなる

でもここでもやはり意味が問われる

あなたはなんのために存在するのか?

あなたは何か価値ある存在なのか?

このことがかえって強く問われるのである
例えばこの辺で原発事故が起り漁業者は魚がとれなくなった、でも漁業組合は漁業権をもっていてそれを東電に売り渡したとかで強い権利があって事故前も手厚い補償金をもらって生活に困ることがなかったのである
でも事故後はそのことが問われた、なんでそんなにもらう権利があるのかと周りの人からも言われるようになったのである
そして仕事をしない漁師は何で俺はここにいるのか?
自ら自問したのである、それは別にその漁師が哲学などわからない、でもそう問うようになった、だからこうなるのは一部のインテリだけではないのである
あらゆるところで起きている現象なのである

マスコミだって今までは放送を独占して世論を作っていた、その権力も巨大なものだったのである、なぜなら六局しか放送する権利がなかったからである
それでマスコミに取り上げられて顔が写るだけでも有名人になり選挙でも有利になる
でもyoutubeのように個々人が放送局にもなれる、そうなると芸能人でも自らyoutubeで
芸を披露するともなる、youtubeですでに極わずかでもマスコミに出れず有名人となり
億の金を稼いだ人がいる、それはマスコミで有名になった人と似ているのである
そうなるとまたマスコミに何か存在意義かあるのかと問われる
マスコミとは何であったのかと問われる、今までは独占状態だったからそんなこと問われないのである

これはあらゆる方面で起きているのである

何の意味と意義とか価値があって存在しているのか?

あなたは何のために働き何のために存在しているのか?

それはあらゆる方面で起きているから一部ではないから現代の潮流であり大きく時代が変わる変わり目に起きている現象なのである
これは別にむずかしい専門的な哲学を学ぶことではない、それぞれの職場で日常の中で一般人でも問われているのである
また易姓革命があったように自然災害とか天候でもその変化をうながしているのというのが不思議なのである
とにかく高校野球はコロナウィルスに天候にたたられてさんざんだった
ただこれも高校野球も変わらざるを得ないものとして自覚させられたということである

オリッピックもそうだが意味と価値が問われる時代 
(何のためにするのかー哲学、思想の時代に)

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2021年08月19日

夏野、夏の月、雲の峰  キツネノカミソリ(小山田村)


夏野、夏の月、雲の峰  キツネノカミソリ(小山田村)

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キツネノカミソリの名の由来
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街の中朝よりひびく蝉の声

夕日さし競いて険し雲の峰

古墳にそ赤き花咲く夏の夕

烏群れ夏野に夕月安らぎぬ

一村や小山田村の実りかな


ひそかなる小径に一羽黒き蝶舞いさリ消えて行く人もなし

影なして庭石涼し籠もりつつ今日も暮れにき逢う人もなし


昨日も晴れて夏だった、それで雲の峰が夕べ見えた、しかし今日も晴れたが雲の峰が見えない、やはり季節が変わり見えないのか?
お盆が過ぎたのだから秋にはなっている、ただ夏は残暑がありまだまだであるのが普通である
今日は暑かった、暑いとぐったりして昼間に眠る、暑いというき下の部屋の前が広くコンクリートになっている、これが道のコンクリートからと重なって部屋が暑くなる
クーラーがあるからその部屋にいる

でも天気予報を見ると朝は曇りとかまた雨になっている、温度も下がる
夏はもしかしたら今日で終わりなのか?
何か天候が今年は変である、夏なのか秋なのかわからなくなる
晩夏という季語もあるがこれもなにかしっくりしない、夏と秋が混在したようになっているからだ

暑いから今日は6時過ぎて自転車で一回りした、小山田の方に行く小径は一日一人も通らない、そこを一羽の小さい黒い蝶が飛んでゆき消えた
小山田村は意外と遅く開拓された地域でもある
あの辺をまわるのは気持ちがいい、何か昔だったら一村一村が一つにまとまっていて
暮らしがあった、というのはみんな農家だったからまとまるのである

今はそういうことはない、また米をとるにしても米でもどこからでも入ってくるとなると貴重に見えない、現実自分自身がスーパーで外から入ってくるブランド米を食べているからだ、ここでとれた米を食べていないのである
すると何かつながりが感じられなくなる、それが現代のグロ−バルな広域社会なのであるでも津浪とか原発事故で外から食料が入らなくなったとき古米を配った
これは助かった、やはり外から米でも入らなくなると困るのである
それは日本自体がそうである、外国から食料でもいつも入ると限らないからである
中国と対立したりすると食料でも安いものでも入ってこなくなるからだ

私は巣籠り生活だと人に会わない、ここ一週間逢っていない、ただスーパーには行っている、遠くには行かない、仙台市にも行かない、こういう生活はコロナウィルスには強いかもしれない、相馬地域でも一人二人とか感染者が出ている、一人でも田舎では警戒する
ただ仕事している人は人と接触するから強制的にに職域としてワクチンをする

烏が群れて夏野に夕月がでている、ここで夏野としてたのはこの辺では田んぼが荒地になり夏野化している所が結構あるから田んぼではなく夏野となる
昔だったら荒地にしたりはしない、農業中心の社会だったらわずかの土地でも活かしていかないと暮らしていけなかったからである
今はそういうことがない、とにかく夕べは涼しいから気持ち良かったとなる




2021年08月18日

日本製紙の釧路工場が廃業へ (日本の今を象徴している北海道‐郷土の歴史と重ね合わせて)


日本製紙の釧路工場が廃業へ

(日本の今を象徴している北海道‐郷土の歴史と重ね合わせて)


「日本製紙」釧路工場は大正9年に操業を開始し、およそ100年にわたって新聞用紙などの生産を続けてきました。
しかし、デジタル化の進展や新型コロナウイルスの影響などで紙の需要が落ち込み、去年11月、紙・パルプ事業から撤退する方針を決めました。
そして、16日午前、紙を作る「抄紙機」2台を止めて、生産を終えました。

釧路は釧路湿原である、でも日本製紙の工場がある、大正9年だから早い
北海道に十回くらい行っていたから思い入れがある
ただ釧路湿原を見に行くのであり釧路市には注目していなかった
でもここが意外と今の日本を象徴していた
紙の需要が減ったのは電子化したためである、これが相当にひびいているのも現代を象徴している、新聞紙の需要があっても新聞自体が消滅してゆく状態になる
本でもそうである、雑誌でも電子化して読んでいるから紙を使わない、また紙の材料の木材も外材にしていた、値段が安いから外材にしていた
すると北海道にある木材も利用されず地元にとっては経済の活性化にはならない
農業がいいとみるが釧路は農業に向いていないというのも意外である
いい土ではないとある

酪農家数は釧路町を除く4市町村で50%以上の割合を占めており、これは北海道の平均(16%)と比較すると突出しています。

畑作より酪農中心である、北海道というとき一面のジャガイモ畑の風景である
十勝平野とかでも一面のジャガイモ畑を見た、その広い畑があり小さな社があったが何か本州の風景とは違いそぐわないと思った
北海道には開拓で移住した人が神社をもたらしたが何かその風土に似合わないのである
釧路地方はやはり寒いということもあり畑作に向いていない
酪農でも牛乳余りで捨てていたとか見た、なかなか農業でも厳しいから北海道の人口は4割くらい札幌に集まる

1995年、569万2321人)に比べ約30万人減り、旭川市に匹敵する人口規模が消えた。道内179市町村の9割超の171市町村で減少。一方で札幌市は2.1%増の195万3784人と、一極集中が一段と進んでいる

これは人口としては偏っている、札幌市では農業をしていない、広大な地域があっても札幌市ではしていない、すると農業にたづさわる人は意外と少ない
何か地方だと田舎だと田んぼとか畑とか広がる、北海道だと牧場があり牛がいるから農業に従事して農業で成立っているように見える
でも現実はこの辺でも農業にたずさわる人は一割りくらいなのである
前は農業にたずさわる人は六割とかありそれが田舎だったのである

中国から船で帰るときモンゴルで羊飼いを習い北海道で羊を飼うという人に出会った
その人は農学部とか出た人である、何でも冬になると体が一回り小さくなると言っていたモンゴルは冬が厳しいのである、ただモンゴルと北海道の風土は似ているともなる
草原ではないにしろ広さでは似ている

とにかく釧路でも他の都市でもシャッター通りとかで釧路は特にさびれいてるというときやはり北の果てだからそうなる、観光だけでは経済的に苦しい、でもニセコのスキー場が外国資本に買われて外国人の別荘ができたりしてそこが外国の特区みたくなった
そして中国とかが北海道の土地を買っているというとき危機感を訴えるのもわかる
広大な土地が利用されずそのままにしては金にもならない、そこでやはりソーラーパネルが多いというのもわかる、土地が広いから向いている、山だと自然災害の危険があり問題があるからだ

北海道もやはり今の日本を象徴している場になっている、鉄道も私が行ったとき20年前以上で半分の線がなくなっているからだ、一両の電車もある、それで高倉健のぽっぽ屋という鉄道に生涯を過ごした鉄道員の映画が話題になった
鉄道はそもそも北海道でも石炭を運ぶために作られていたのが多い、常磐線でも常磐炭田の石炭を東京に運ぶために最初はあったとなる、乗客ではないのである

大正生まれの母が言うには松川浦の親戚に汽車に乗ったがそれはめずらしいことであった汽車賃が高かったからあまり地元でも利用しなかったのである
子供の思い出として長い貨物列車が行くの見ていたから鉄道は物を運ぶものとしてもともとあった、それで日本のいたる所に森林鉄道がある、その時外国から物は入ってこないから石材でも木材でも日本国内を利用したからそうなっていた
浪江の高瀬川から葛尾村の落合までも森林鉄道があったようだ
そこで山をくりぬいて森林鉄道の線路をひいた跡がありそれほど森林鉄道は全国にあった
北海道の現状は日本を象徴していた、日本製紙が廃業になるもの電子化の影響であり
また大きな問題が広大な無用化した土地が外資に特に中国に買われていることは重大な問題である、日本の防衛として重大なのである

日本が経済的に衰退するときそれに乗じて中国が静かな侵略を開始している
ロシアでも北方四島は返さない、そこをアメリカの基地にされると困るからである
でもアメリカ自体がアフガニスタンから撤退したようにいづれ日本から撤退することが予想される、そういうことを示したものでもあったのだ,アメリカに守られる時代は終わり
日本は日本で守らざるを得なくなることをそこで現実として見たのである

こうして北海道は日本の今を象徴した場所でもあった、福島も原発事故で日本の技術力がいかに信頼できない者かを示した、日本がいろいろな方面で衰退してゆくのである
コロナウィルスの対応でもそうである、政府は指導力を発揮できない、日本の劣化は相当に大きいものとなっている、それは一部ではなく全体的なものとして現れているのである政治であれ科学技術であれ教育であれ経済であれあらゆる所で衰退して劣化している
そういうとき中国が静かな侵略をすすめる、そしていつのまにか中国の配下にされていたともなる、アフガニスタンでわかったことはアメリカの衰退でありアメリカが意外と頼りにならなくなっいることなのである

製紙工場というと南相馬市の原町の丸三製紙は有名である、この辺では大きな工場となっている、私の叔父も課長として勤めていたとかあり道の駅の公園で休むと煙が出てくるのですぐわかる、街中にあるのでそうなる、鉄道の駅のすぐそばにある
不思議なのは戦前の原町紡績(はらぼう)から駅から引き込み線があり生糸を横浜の方に出していたのである、鉄道は物を運ぶものとしてあった
原ノ町駅は今のいわき市の平と同じように機関区になっていて大きい駅だったのである
だからここから相当な物が東京に運ばれていたのである
そして無線塔が見えてそれが原町の象徴だったのである

このたび竣工したライナ用8号新抄紙機は、環境面からニーズの高まる段ボール原紙の薄物化に対応するとともに、さらなる品質向上と、徹底した省エネ・省資源化が図られています。
今般新設備の竣工により、当社グループの東日本地域における段ボール原紙供給体制がさらに充実し、製紙・段ボールの一貫生産体制が強化されることとなります。
丸三製紙(株)は、当設備更新により今後とも立地する福島県南相馬市経済の一翼を担い、継続的な産業振興と雇用の場の安定確保を通じ、地域の復興、再生にも大きく貢献してまいります。

今はダンボールが紙より主な生産物となっている、やはり紙の需要が減ったからである
だから将来的に丸三製紙でも危ないかもしれない、そうなるとここも経済的に相当落ち込むとはなる、この辺は原発事故で落ち込んだからこれ以上落ち込むと悲惨になる
いづれにしろ北海道は自分にとって親しい場所であり興味がある
北海道はやはり東北とつづきの地としてある、ただ北海道は日本では大陸的でありそれが魅力なのである、外国人が北海道にひかれるのもわかる
ただもうすでに二十年以上を行っていないのである

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コロナウィルスの基本的対策が間違っていた (人流をとめることをまずするべきだった)


コロナウィルスの基本的対策が間違っていた

(人流をとめることをまずするべきだった)

現代社会で一番むずかしいのは人の行き来を人流をとめることである
そしてウィルスから守るのには人流を抑えるしかない、確かにワクチンも必要である
でも感染症の基本的対策は人流をとめることなのである
県境を越えて出るなとかなるべく人と交わるなとかになる
でも現代社会はそれが一番苦手なのである
江戸時代だったら関所がありなかなか藩の外に出れないのである
それで関所も有効なものがあったと認識したのも不思議である
国境もまた必要なものだと認識した
そこで水際作戦を行えるからである、だから相馬藩の玉野村には若木神社とかあり感染症を防ぐ神を祭っていたのである

何か政府のコロナウィルスの対策自体これに反したものだったのである
GO TO トラベルとかかえって旅行することを奨めた、それもまたコロナウィルスより生活がかかっているからそっちが大事となりそうなった
それもわかるしそれをネットで大学教授とか科学者がコロナウィルスはインフレインザインザより怖くないということも言うしそれも説得力があったからそうなのかとも考える
正直自分にはわからない、専門家自体もまだコロナウィルスについてはわからない

でも確かなことは最初から感染症に対処する基本的なものが欠けていた
それは最初からそうでありその後もずっと同じなのである
GO TO トラベルとかでもありえないことである、またオリッピックで世界中から人が来るのにそれも止められない、今度高校野球で感染者がでてせっかく東北学院が出たのに
出場辞退でがっかりした、なぜならやはり高校野球はいつも常連しかでないから新鮮だったからである、高校野球はもううプロ化していているからもう本来の素人の野球でもないとも見る、だからもう今までのように持続じてきない時期に来ているというのもわかる

とにかくこうして感染症の基本的対策を実行していない、五輪とか高校野球はとめることができたが政府でもしない、結果的にデルタ株なのかどうか外国から入ってきて広がる
怖いのはメキシコなど南アメリカで流行している変異株がもたらされることだとしているそれで死んでいる人が多いからである
でも五輪は強行したし高校野球も強行した、そして雨とコロナウィルスでさんざんなものになった、とても楽しめないともなった

要するに感染症の対策はそもそも過去でも歴史をみればわかっている、人から人へうつるのだから人流を減らすことなのである、それを人流を増加させる方の対策をしたというのが現代社会のやむにやまれぬ事情があったとなる
ヒトでもモノでも自由に流通することは全面的にいいことだとされ世界的にヒト、モノが流通するグロ−バル化が促進された
しかしコロナウィルスではそれが負の面として意識されたのである
ただ一旦ヒトでもモノでも自由に地域を越えて流通する世界になったときそれを止めることができなくなったのである
それを止めると生活ができなくなるとかなっていた

でもオリッピックなどでも高校野球でもしょせんそれが中止されても飢え死にすることはない、遊びにすぎないのではないかともなる
だから中止してもいいともみる
緊急事態なのだからしょうがないともなる
しかしそれふらできなかったのである、変異株が入るとかわかっていたのにく中止しなかったのである、それは今の政権の責任だったとなる

ただ正直江戸時代のような隣村さえ交わらない異国のようになっていた時代とはあまりにも違っている、それが常態化した社会で人流をとめることはほとんど不可能になっていた江戸時代なら貧乏でもその土地でとれるもので基本的に生活していた
燃料でも食料でもそうである、すると外と交わらなくても一応貧乏でも生活はできたとなる、現代ではそれができなくなった
つまり長所と見えるものが短所ともなるのが人間社会なのである
江戸時代にもどることはできないにしろグロ−バル化世界というのは異常に過度になっていた、そこで失われたものもあり大きいものがあった
ただそれに気づかされることがなかった、コロナウィルスで気づかされたとういことである

グロ−バル化というときなぜ近代では世界大戦で何千万も死んだのかという問題もある
まずこんなに戦争で死んだことは経験していない、世界的に人が交わることはいいこととして全面的に肯定されていたからである
もっと世界を見ろと世界に出ろというのが共通の合言葉だったのである
それは一面ではそうでありそれも必要だった、でもその負の面がコロナウィルスで露わにされたのである
G TO トラベルにしても五輪の開催にしても高校野球にしてもこんなき感染を広めるようなことをすることはありえないともなるからだ
ただそういう社会だからありえたとなる
観光に打撃でありどうにかしてくれとなり政府でも動かざるを得ない事情があった
ただ感染症に対処する基本ができなかったことである

県境をまたいで往き来するなとかなるべく人と接するなとかなると現代社会では一番むずかしいことである、それは江戸時代にももどることである
その江戸時代ですらコレラとかの流行をおさえられなかった、長崎から北前船とかで新潟に入り阿賀野川から会津若松に広まったからである
結局安全だったのは桧枝岐とか交流のない秘境だけだったとなる
最近福島県より宮城県の感染者がまた増えたのはやはり仙台市となると東京からでも人が来る
するとどうしても仙台市から広がる、青森とかで広まったのも仙台市の人が移動して広まったのである
だから今になると仙台市に行くのは危険だとなり行っていないのである

また個人的には引きこもりが安全だともなるのは皮肉である
遠くに行かず外に出るのもはばかり家に籠っていることは感染症にはいいからである
だから現代では禅宗のような寺に籠もり座禅を組んで黙想するとかして人と交わらない
世界に変わるのかともなる、そもそも東京とかは異常な超過密な世界である
とても人流をとめられない、三密をとめられないのである
だから都市的超過密の社会を変えねばならない、その契機にコロナウィルスがなるかのかもしれない、するといい方面にコロナウィルスでも作用したとなる
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2021年08月17日

月見草、秋の蝉、雨の日(巣籠り生活と家のこと)


月見草、秋の蝉、雨の日(巣籠り生活と家のこと)


雨ぬれて買物に行く夏燕

霧雨にぬれて草深く月見草

雨の日や外に出られじ秋の蝉

雨しとと石を濡らして秋の蝉

八畳の間に姉の寝るかな我も寝る悠々として心地良しかな

この天気は変である、秋雨にしては早いけどそんな感じにもなる
ここは十年以上変な天候がつづいている、北海道が本州より暑かったりとか気候の異変がある、ただ都会だとアスファルトとかクーラーの熱で暑くなっている
田舎でも街中だとやはり暑いのである
それでこれまで農家の土間があったが土は冷房装置でもあった
熱をさましたりまた冬はあたたかくしたりする自然の冷房装置としてあった
それが自然な生活だった、だから意外と茅葺屋根でもそうした自然の作用が住みやすいということもあったかもしれない、現代は何でも機械化して人工化するからそれが作用して都会だと異常に暑くなることはある
ただ北海道がなぜあんなに暑くなるのだろうとなる
それは梅雨の時いつも北海道に行っていたからありえないと思ったからである

草深くというとき月見草があっている、それが霧雨に濡れている
庭の石が雨に濡れている、今は下の部屋にいる、蝉が一匹鳴く声がひびいてくる
何かこの蝉の声も季節的におかしい、夏の季語なのに夏はあまり蝉の声が聞こえなかった今年は蝉の声があまり聞こえないとも見る
確かにお盆過ぎれば秋なのだがまだまだ夏のはずである
だからこれもおかしい、季節感がおかしくなると俳句などを作るのに困る
ただ短歌ならそれほどではないだろう、別に季語を入れる決まりなどないからである

八畳の間は姉が寝ていた、広い部屋である、そこに今自分が寝ている
何かこれも不思議である、そこにをとしても姉がいるという感覚になる
姉は子供の時から一つ屋根の下にいて最も親しい人になっていたのも不思議である
母はそういうふうにならなかった
だからそこに姉がいてあたたかく死んでも感じるのである
だから家というのは家族が死んでもやはりそこに依然としている感覚になる
その部屋に60年とか寝ていたからである、そこにまた温かみが残されているともなる
ただ姉が死んでもう十年も過ぎたのである、でも依然として家には死者がいる感じなのである、ただその感じ方は人によって違うのである
親でも全然感じない人もいるからだ

何か巣籠り生活というとまさに雨にもなりこの頃ずっと遠くに行かない、庭の石が雨にしとしと濡れてまるで梅雨である、そして秋の蝉の声がひびいてくる

外は雨茶室に籠もり秋の蝉

こんな風流の感覚になる、ただ巣籠り生活だと広い家が必要になる
家の影響が精神に与えるものは意外と大きい、だから老後は広い家が必要だと思った
ただ二階となると上り下りでめんどうになるし体が弱ると平屋がいいが平屋でも広い部屋が必要だと思った
とにかく家は単なる箱ものではない、そこに長く住んでいたということで何か死んだ人でもそこに依然としている感覚になるとつくづく感じたのである
ただ母の場合は自分の部屋もなく何か女中のようになっていたのである
それはまた問題であったがそうなったことを今や変えることはできない、だから死後も
この家での居場所はどこだったのだろうかともなる
でもそういう事実をもう変えることはできない、そういう変わった家族でも変えることはもうできないのである、それが自分にとって悪いとはなっていなかった
家には何か語り尽くせないものがある、それは単なる箱ものではなく家族の思い出とか
何か精神的な目に見えないものが家には残っているためだと思う





2021年08月16日

墓はなんであるのか?(墓の効用-恨みを残し死んだ人の墓)


墓はなんであるのか?(墓の効用-恨みを残し死んだ人の墓)

我が墓に誰か知らぬも花を挿す人のありしもありがたきかな

お盆ならみんな墓参りする、だから必ず墓を意識する、墓を意識するということは死んだ人を意識することにもなる
一年に一回か二回死んだ人を意識する、死んだ人を偲ぶ、そのために具体的なものとして墓がある、ただ別に墓がなくても死んだ人を偲ぶということはある
家で遺影が飾ってあるからいつも見ていて死者を偲ぶことは普通にしている

自分の家の墓に誰か花を挿していた、それはいつも挿す人がいる、今日見たら枯れた花をとりはらっていた、でも誰がこんな心使いをしているのだろうか?
それは一人は知っている、私が花を挿していると自分に言ったからである
でもその女性は私の家とそれほど深い関係もないし世話した人でもない
何でそうしているのか不思議だったとはなる
そもそも私の死んだ家族は必ずしも他者に尽くしたという人ではない、ただ自分だけに本当に良くした尽くしてくれたのである
無条件で尽くしてくれたのである、だから普通の親とは全く違っていたのである
でも他者に冷たいことがあり何か意外と病気になっても思う人もなく死後もないと思った
たたで考えたことは墓はなんであるのか?

墓は死者のためにあるとは限らない、なぜなら死者は墓にいるのかどうかも本人でもわからないだろう、死んだら後のことがどうなっているかなどわからないだろう
でも死者に対しては偽れないということはある
何か冷徹に生者を見ている、そういうことで死者が全くいないとういことでもない
何かいるということを感じるからそうなる
例えば生前親でも死者に冷たくした人は墓参りができるだろうか?
墓参りは実際はみんなに見せびらかすものでもない、誰も見ていない所で墓参りする
でも死者は見ているのだ!
すると生前冷たくしたとき恨みを残した人の親でもできるだろうか?

その親戚は育ての親にひどいことをした、それは自分はかかわらないから知らなかった
そんなに実の親ともめたことも知らなかった、第一付き合いがなくほとんど自分の家では交際しないし争っていたともなるからだ
でも最後に「ひどい娘だわ」と自分に電話してきたのである
それもなにか付き合いがないからわからなかった
それがわかったのは自分の家にきて母親が病気で寝ているとき、「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」と血相変えて去って行ったことである
そのこと以来私もそんなひどい娘がいるのかと恨みとか怒りとなり消えなくなったのである、もしそういうことがなかったら何も思わなかったのである
その人は何にも自分の家に来てしていないのである
ただ別に付き合いがないのだからしかたがないとなりる何も頼んでもいないのである

それから母の実家の長男が死んで墓を守ってくれと3百万もらった、それはいいとして
これもなかなか大変な責任があると今では思う、もちろんそういう人だから墓でも捨ててもいい、実際捨てるだろう、何かその実家の墓に埋まっている人など思う人ではないからだ
しかしその人には別に実家から分かれてもう一つ墓がありそこに父親と育ての親が埋まっている、だから二つの墓参りをすることになる
でも「ひどい娘だわ」と一言言って死んだ育ての親の墓参りができるのだろうか?
別にそれは墓参りしようがしまいが誰も見ていないしそんなこと詮索する人もいない
でもその恨みは相当に深いことが自分の家族に対してした異常なことで自分自身も自覚したのである、本当にあれほどひどい娘はいない
何もしないのに母が苦しい時、百万くれたのである
でもその女性は何もしないのである、ただ母が苦しいからそうしたのである
第一近くに住んでいないから何もできないのである
それを私が返してくれと言ったら夫の方で返してくれた
実際何もしていないのに受け取ることは普通できない
断るのが普通なのである

その女性は人非人だった!

にん‐ぴにん【人非人】 の解説

1 人道に外れた行いをする者。ひとでなし。

2 インドの俗神、緊那羅 (きんなら) の通称。その姿が人に似て人ではないのでいう。

もう人間ではないと思った、どうしてそうなったのかわからない、たてだ金では苦労していないしそんなに悪い境遇ではない、ただ三人母親が変わったということでそうなったのか?それにしてもそんな苦労はしていない、むしろ三人の母親に良くされたからである
とにかくどうしてそんな人非人になったのか不可解だとなる

その娘はまた5歳まで暮らした実の親を認知症になった親を施設にあずけている
それも全く金のためなのである、その実の親は金をもっているからだ
でも認知症になっているのだからわからない、金しかその女性は眼中にないから最後に悲惨な結果になったとなる
何か母親の実家は警察署長していたとしても不和分裂の家でありそれは死後もつづいていて自分にもふりかかったのである、カルマとなったのである
だから今は恐ろしいから母親の実家とはかかわらない、墓参りもしないのである
ただ兄が埋まっていたので自分の家族の墓の脇に墓標を作った、交通事故で40才で死んだからである

墓とはななんのためにあるのか?それは遺された人のためにあるともなる
死んだ人はもう無意識でありわからないからだ
ただ残された人が死者を想う時墓参りしたりする、そこで死者と通じ合うとなる
その媒介として墓があるとなる、何もなくなれば海に灰をまくとかなれば何も残らなくなるから墓参りもできないので残された人が困るとなるからだ
ただなんか誰か知らない人が墓に花を挿してくれているというのはうれしいとなる
それは無償の行為だからである、墓参りは実際無償の行為である
何かそれで利益になるということもないからだ

でも偽りの心で死者を想わないのに墓参りで装うことはできない
なぜなら死者はその人を冷徹に見ているからである
だから「ひとい娘だわ」と言って死んだ人の墓参りなどできるのか?
ただ別にそのことはわからない
いづれにしろ恨みを残して死なれると後が怖い、それが自分にその恨みがのりうつりあるインドの哲学者はそういう恨みの念が他人にうつりその人が殺人まで起こすと説いていたそういうこともその一言で自分も感じたから怖いと思った
念は一人にとどまらないのである、怨念でも誰かにその念が移ってゆくから怖いとなる
念の力は意外と目に見えないとしても人間にとっては大きいものなのである

それで介護にもいろいろ問題があるが何か恨まれてしなれると嫌だなとなるのだ
私の場合は一応懸命になって介護したから最後にわかってくれたことで救われた
そうして死後も供養できるのである
ただ自分の場合は特別良くされたことでそうなったのである
それを他者には要求できない、みんな親に兄弟でも良くされないからである

ともかく墓がなんであるのかとなると残された者へ死者を偲ぶためにある
ただ墓があってもそうして怨念となっているとき墓参りができるのかともなる
死者はいないようで冷徹に見ているからだ、それは見えなくても感じる
そうしたら怖くて墓参りもできなくなるのではないか?
「あんたはひどい娘だ、見殺しにもした、私はあなたを永遠に恨む」
こうなって死んだ人の墓参りできるだろうか?
それももう他者にはわからないにしろ偽ることができなくなる

いづれにしろ墓はやはり残された人のためにあり何かひっそりと墓参りする時、誰も知らない見ていないのに墓参りするとき、その人には何かそうした墓参りしなければならないものがある、死者に対して懺悔する人もいるかもしれない、だから墓は具体的なものとして死者のいる場所となり遺された人がかかわる場所になる
そういうことで墓の効用があり簡単に墓がいらないともならないのである

とにかくこうして人間は罪深い者である、ただそれを自覚している人はいない、その信の姿を見たら恐怖になるだろう
動物の霊が憑依したような姿になっている、ただ本人にはわからないのである、自覚できないのである
そんな人がいるというのも子供の時一回くらいしか逢っていないからショックだった
ただ大人になれば遺産をめぐって骨肉の争いになるから同じことがある
人間は金をめぐり修羅となり悪魔ともなる、それがこの世の実相だったとういことに引きこもりの自分は驚き唖然としたとなる
だから自分は人とつきあわないとき幸せだったとなるし人間嫌いなのである
あまにも恐ろしい醜い人間に恐怖するとなったからである

ネパールの原生林に住む原住民の不思議 (照葉樹林帯文化の共通性‐NHKの二つの放送)


ネパールの原生林に住む原住民の不思議

(照葉樹林帯文化の共通性‐NHKの二つの放送)


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遊戯や祭りやショーで使用される。そのほか、沼地や渡河を渡ったり、洪水時、羊飼いが羊の群れを観るため、果物の採取や屋根の修理などの高所作業に使用される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E9%A6%AC

羊飼いも使っていたということでギリシャやスペインまでもあるのか
ただ川をわたるときなどは便利である、湿地帯となると竹馬だとぬめりこむからどうなのか、ただこれが世界共通だということで意外なのである

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女性も裸足である、ネパールはまだ裸足で歩いている人が山中でもいる

緑の魔境 ネパール大密林  新世界紀行 
https://www.youtube.com/watch?v=UuCdkgUKG_8



この取材はかなり貴重なものだろう、ネパールの森の中に原住民が住んでいるのを取材している
その文化が何か照葉樹林帯の文化として日本と共通している、雲南地方と共通しているとして注目されている




雲南・チベットから華南(揚子江流域)、台湾を経て日本の南西部に広がる照葉樹林帯の人々は、その文化を同じくすると謂われているが、とりわけ、水稲耕作を主とする倭人と中国揚子江の中・下流地方の人々が、水稲耕作に伴う文化複合体としての、たとえば高床式住居・そこに取り付けられたいわゆるネズミ返し、千木、カツオ木、羽子板での羽根つき、竹馬、げた、チマキ、もち、おこわ、納豆、新嘗祭・田植えの際の儀式などの共通の民俗がもたらされるのはごく自然のことである。

下駄を見たけどそれは下駄の原始的なものだった、下駄は田下駄とあるように湿地帯で田植えするとか稲作のために作られていた、下駄は長い間、戦前まで作られていた
下駄屋が子供の時に近くにあったからだ
子供の遊びにしても世界で共通のものがあるのも不思議である
とういうことは世界は広いようでも狭く共通なものがあることはどこからから人間は世界に移り住んだからそれを伝えている
それでギリシャの壺に竹馬の絵があることに驚いた
ギリシャとなると何か関係ない遠い世界と思えるがやはり共通なものがある
例えばエジプト文明など関係ないようでもそれが最古の文明だから意外と世界に広がっている、最近のNHKの放送でも航海を船で渡って貿易していた、その船を再現して実際に航海したのは興味深いものだった

それが意外と単純であり思った以上に操作もむずかしいものではなくできていた
ただそれは紅海であり外洋とも違うが結構波が荒いところでもある
なぜ航海を船で渡ったのかというとスーダンの方と貿易するためだったのである
エジプトというとナイル河は中心で外洋には出ないと見ていたが聖書でもタルシンの船のことが記されていて商船があり有名でありキプロスにもエジプトが進出していたから
古いのである、キプロスは紅海の中継地点として要衝だからそうなっていた
なぜか自衛隊の人がキプロスで訓練していたというのもそうなのだろう
だからキプロスには地中海の歴史が地層のように積み重なっているのである

ネパールの不思議は8000メートル級の山々があるのに熱帯のジャングルがあることが理解できないことだった、インドがありそのつづきとして自然がつながっているから熱帯だともなる、そこには象がいて虎がいて犀もいるしワニもいる、そこを観光したときは驚いた
鮮やかな大きな熱帯の鳥がいたことにも驚いた、なぜこんなところにジャングルがあるのだということが理解できなかった,高地だから寒いと思っていたからである
つくづく世界はまだ広いと思った、とても世界を知ることはむずかしい
ただ十年くらい世界を旅行したことがいい経験だった、ただ50過ぎてからだから苦しかった、でもヒマラヤでも3000メートル級でもトレッキングができるし意外と観光ルート化しているから体力がなくてもできるのだと思った
そこで一人でトレッキングしている人がいたが十回も来ているというのも驚きである
私は早く来ていれば良かったとなる、なぜなら春でありヒマラヤの山が見えなかったからだ、10月だと見えるから季節的には見えにくい時だったのである
ただ3000メートルからさらに8000メートルの山を望むとなるとそれは日本ではとても経験しえないものだから貴重だったのである

youtubeで見たNHKのそのジャングルの原住民の映像は貴重である
女性でも入れ墨していたり照葉樹林文化の風習とか日本と共通している、団子も作っている、ただ馬をトーテムとしているのはやはり遊牧民系の文化が入ってきているからかもしれない、照葉樹林帯文化では馬を祭るということはあまりないと見るからだ
ただ稲作文化とかではインドでも共通した文化が見られる、顔立ちはインド系に見える
ドラビダ族とかとも共通しているのかもしれない、それでインドから追われた王族の末裔だというのも平家落人伝説と似ている、ただ山岳民族は戦乱がありそれで負けて難民化して逃れたというのは中国では多い、だからなにかしらの事実がありそういう伝説が生まれた
政治的には王政だがインドのヒンズー教が主体であり文化的にはインドである、でも最近毛沢東の影響があり王政に反対派も活動する、それでインドと中国がカシミールの国境で争いインド人が二十人死んだとかある
インドと中国のせめぎ合いの場ともなっている

ネパールは魅力的な国だった、原始的なものがまだ残っているし未開の地が残っているからだとなる、文明化するとそういう場所がかえって魅力的に見える
そこの村は数十人であり家族同様にロングハウスに一軒の長い家に同居している
そして食事でも一軒の家で作り配布する共同生活である
つまりそこはみんな家族なのである、だからそこには貧富の差がない
すると争うこともないとなる、ただ外の世界を知った若い世代は出で行っているという
また森も開発されて虎とかでも人家に来て家畜を襲ったりするから自然保護区にするとか時代が変わってきている
そこはマラリヤとかで苦しんできた、だからそのために森の精霊に祈りをささげている
熱帯となると伝染病が恐怖である、ただそういう場所がまだあるということが世界の広さである

ネパールの高きに積もる雪踏みてラリーグラスの鮮やかに散る

ヒマラヤの雪解け水の清しかもラリーグラスの咲きて上りぬ

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ラリーグラスとはネパールの国花のシャクナゲの花であり真紅のシャクナゲである
いかにもこれがふさわしい花だとなる
それを積もった雪に散るのがいかにもネパールらしい、そこから8000メートルの山が見えるだから異次元の世界だった
もう一度行きたいが体力もなく行けないとなる、つまり金があっても遂に体力もなくなり行けなくなる、金があっても行けなくなる、だから体力ある内に厳しいことをしておけとなる、自分の場合は何でも遅かったのである、早めにしていればもっと見聞を広められたのである、それが失敗だったとなる、今やコロナウィルスもあるが家からすぐ近くしか出ない、巣籠り生活である、これも今になれば自分にとって苦痛でもないのである

2021年08月15日

10代からの介護の過酷 (親戚でも回りでも誰も助けない―一人に押し付けられる介護))


10代からの介護の過酷

(親戚でも回りでも誰も助けない―一人に押し付けられる介護))

「10代から親の介護で"人生が棒"」定職につけず、恋人に捨てられた30男を鬱病にした身近な真犯人

30歳独身の男性は高校時代から13年間も父親の介護をひとりでしている。父親は脳梗塞の後遺症や糖尿病網膜症などを患い、要介護4。ギャンブル狂の母親は父親と離婚し、パチンコで知り合った男性と再婚。男性は、昼夜を問わない介護で消耗するだけでなく、底意地の悪い親戚や自分の陰口をたたく職場同僚などにも悩まされ、心を病んでしまう――(後編/全2回)。

他者のことは理解しにくい、でも10代からこれだけ介護に苦労するとなるとうつ病にもなる、たいがい認知症の介護はうつ病になる、自分自身もなったからだ
ヤングケアラーというのは大問題である
なぜなら若い時に人生そのものを奪われてしまうことにもなる
何か私も親戚の人が叔父が輸血してくれというときしなかった
30くらいの時だった、その人は恨んで死んだかもしれない、ただその時登山した後で死ぬほど疲れていて死んだように寝ていたのでしたくなかったのである
その後その娘がめい子になる人が自分が介護になったときひどいことをしたのもカルマかともなる、でもその娘は育ての親にもひどいことをしたのだからその娘自体に問題がありその娘はなぜか非情化した異常な人間だったのである

何か介護となると必ず誰か一人にまかせられ後の人はかかわらない、ここでも親戚がかえって責めてきていたのである、自分の場合もそもそも兄弟もいないし親戚というものもいなから余計そうだった
金のことしか頭にないのである、苦しい時金を要求することしかなかったのである
人間はそんなものだと知った、回りではその苦しみを楽しんでいるだけだとなる
この人は若いしプロレスラー希望となると体力もあった、でもうつ病にもなる
私は病気になり四苦八苦して介護していた、でもそこに同情する人は一人もいなかった
私の場合は他に誰も介護する人はいなかった

ただ私の場合は介護する強い動機が強制されなくてもあった、とにかく特別良くされたからである、60まで身の回りでも食事の用意でもしてくれた、引きこもりでもしてくれたそれで自由に旅をしたり勉強したりとできたのである
こういうことは普通はないから特別であり介護になっても認知症になっても必死になって介護したのである
だから若い時から最も貴重な時に介護を強いられるのは過酷だとなる
ただ自分自身も青春時代にしても底辺労働しかしていない、それが悪いともならなかったなぜなら苦労していないのにその時相当に苦労したからである
だからその親の過酷な介護でもすべてが悪い方に働くとも限らない、一つのいい経験だともなる
でも介護は何か実りにならない、介護したからとしてそこで何か時間を有効に使う、仕事のスキルを身につけるとかにもならない、それがのちのち大損失だったということになり親を恨むとまでなる
私は介護は過酷でもそれまで特別良くされたから恨んでいないし今でも親を供養して感謝しているのである
ただこういうことはなかなか他ではありえないのである

いづれにしろ介護は2025年問題があり大問題になる、団塊の世代が介護される側になるからだ、何か近くでも同世代でも脳梗塞になった人を三人知っている
一人は口がきけなくなったとか足が悪くなったとか救急車で一命をとりとめたとかまたガンになった人もいる、60以降病気になる人が多い、自分自身も病気になったからであるその女性は70にしろ息子が三人いても一人は障害者であり一人はまともなのだけど完全に絶縁して捨てている、だから母親が苦しくても関係しないのである
それも身勝手だと思う、なぜなら家族を捨てても誰かめんどうみざるをえないともなるからだ
それが福祉になったりする、捨てることは楽である、でも誰かが他人がめんどうみざるをえなくなることがあるからだ
捨て子の場合は将来かあるからめんどうみるとなるが老人の場合はただ貴重な時間と労力を奪われるだけだともなる
だからもうそうなると家族も家族ではない、他人以下である、何か新しき車を買ったとか言っても親には一銭の金も払わないのである、そして他人にめんどうをみさせようとしているのも腹正しいともなる
そして一人独身の息子がいたとしても金銭的に困っていても援助もできないのである
その母親は他の人より体が弱っている、もし介護状態になったらどうなるのか?
今でも父親は青森の施設にいて備品などの金銭的援助を強いられている
そしてまともな息子は親を捨てているから何もしないのである
家族遺棄社会の現実の例に成っているのだ

ともかく高齢化社会でもみんな健康ならいい、病気になる人が実際は多い、介護になる人も多くなる、その重圧がものすごいのである、それが下の世代にのしかかる
そしてその息子とか娘だけではない孫まで介護に費やされるという状態になる
それから医療費もまたもう限界状態になっている、病気になる人が増えつづけてもう健康保険でも維持できないとなる、だから延命治療自体しないようにもなっている
それよりできないのである、もう治療しているときりないからである
そして医療費は薬でもなんでも高くつくのである、その負担がまた膨大なのである

これからさらに介護地獄がやってくる、そしてもうめんどうみれないと家族遺棄社会にもなる、その金銭的余裕もなくなっているからだ、今の団塊の世代の子どは氷河期世代などであり金銭的余裕がないのである
だからこの人も働かざるを得ない、そして働いたけど介護もしなければならないと両立できなくなり苦しみのどん底になったのである
私ももう苦しみのどん底になっていた、それも一人しかないないからそうなっていた
ただ兄弟とか親戚がいても助けるとはかぎらない、この人はかえって親戚に苦しめられたとかある、親戚でも金しか求めない人も多いからである
何か人間は弱者化するとそこにつけこまれる、というのは相手も借金しているとから余裕がないからそうなる、余裕がない人は助けられないからである
そういう人は自分自身が生きるために必死であり相手が困った時チャンスだとなっていたのである

ともかく親の介護で若い人が自分のしたいこともしないとなる悲劇である
人生が奪われたとなりあとで親を恨むようになる、そして死んでも供養もしないともなるそういう人を知っているからだ、さんざん苦労させられたから親に感謝したりしないのである、そういう人も増えてくる
私の場合は特殊な事情で親に良くされたから必死になって介護したのである
でも普通はそんなに親に良くされないのである
だから普通の親では介護することは苦痛になるだけだとなる

いづれにしろ日本の経済の衰退と少子高齢化社会でをとなるのか、そして中国とロシアが虎視眈々と日本を狙い侵略してくるとかなり内憂外患になる
日本のコロナウィルスもどうなるかわからない、収まりそうにもない
日本は危機的状態でありとてもオリッピックとか高校野球でも東北学院が注目されたが陽性者が出たとかもう中止しろともなる
五輪とか野球とかしている時ではないともなる

ともかくこの人は両親に恵まれなかった、やはり親の影響は大きい、親がその人の進路を決めるともなる、ただ介護で人生まで奪われるとなると深刻である
たいだい親が子供の犠牲になるというのが順序だからである
でも後進国の貧乏な社会では子供は親のために働かされるのが普通である
江戸時代だと親のために娘が身売りされるとかある
だから大正生まれの私の母親は親のために働かされたとかで相当に不満だった
でも自分自身が自由にしたいことができたのは別に実の母親がそうしたのではない
もう一人母親がいてそうできたのである、だからここがなかなか外から理解できない
事情があってそうなった、それで二人の親に自分は介護して今も感謝しているのである

2021年08月14日

福島県でなぜいわき市で特別増えたのか? (東京からの人流が原因か?)


福島県でなぜいわき市で特別増えたのか?

(東京からの人流が原因か?)

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南相馬市でも少ないが二人だとしても増えている

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宮城県はやはり仙台市で増えてから全体的に増える
あとは大都市の周辺が増えるのは人流のためである
宮城県が増えるのは仙台市があるからだとなる


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  大都市周辺が多いのがわかる



特急 2時間33分 6,170円
普通電車 4時間5分 3,670円
高速バス 3時間3分 3,450円
車 2時間43分 8,770円

いわき市となると東京圏に近くなる、スーパーヒタチだと2時間30分だとなる
普通電車だと4時間である、高速バスは3時間である
車で高速で2時間40分となる、高速料金は特急より高いのに驚いた
車をもっていないから感覚的にわからないからだ

金の節約のために上野からいわきま市まで乗ったことがある、長椅子でありこれは遠く感じた、でも通勤電車が上野からいわき市まで出でいるのは意外だった
途中で終わるものがあるがいわき市が終点になっているのだ
だから相当に長い区間なのである、ただこれは上野からいわき市までで使う人はいないだろう、でも使うことはできるのである
だから意外といわき市と上野は近く結ばれているとなる
でもいわき市から相馬とか仙台市へ行くとなるとやはり遠く感じるのである

なぜこんなことに注目したかというと自分はとにかく電車の旅が長く交通に興味がある
電車だとと全国でまあ80パーセントくらい乗った感じになるからだ
それで鉄道好きなのである、ただ車がないからここで交通を知るには相当に欠けたものになる
そもそもなぜいわき市が増えたのか?その理由は何なのだとなる
郡山市はわかる、ここは新幹線も通っているし会津へ向かう磐越西線もあるからだ
ここは前から多かった、福島市も多かった、そして郡山市と福島市にはさまれた本宮市も増えた、やはり交通と関係して人流が増えるから増えるとなる

意外と南相馬市も最初の内、すぐ近くで東京のライブハウスに行った人が感染して増えて警戒したがその後南相馬市でもそれほど増えていない
相双地域だと津浪とか原発事故の関係で一時東京などから工事関係で人流があった
その後も除染関係で東京からの人流が増えた、でもそれも一応収まった
ただ原発事故関係の仕事で東京から来る人はある
でもプレハブの工事関係者の宿舎はあちこち建てられたが減っている
だから東京から来てそれで感染しているとも言えない、どちからかというと相馬地域は仙台市との交流が多く人流がある、工事関係者でも他でも仙台や宮城ナンバーが六号線を見ていると多いからである
それで仙台市から増えてこっちも増えるのかと危惧した
でも亘理とか名取とか山下が仙台の通勤圏でも増えていないのである
その理由は良くわからない、相馬市もそれほど増えていないのである

コロナウィルスは人流と深く関係しているという時、いわき市が増えるということは不思議ではない、ただ施設でクラスターが発生して増えた、それは東京とは関係あるともみえない、第一東京から来た人から感染したのかそれを知ることはむずかしい
ただいわき市には上野から通勤列車の終点になっていることは東京圏に近いとなる
それで茨城県も増えたのである、とにかく東京圏の増え方は尋常でなくなったからであるあれだけ増えるとどうしてもその周りでも福島県でも増えてゆく
現代は交通が発達しているから人流をおさえられないのである
だからつくづく都会の密集した生活とか交通の発達とか文明的生活が感染症には弱かったのである
第一江戸時代のコレラでも北前船で新潟に来て阿賀野川が交通となり城のある会津若松中心に広まったからだ、江戸時代のような交通が不便な時でもウィルスは広がるのである

そうなると今はその何百倍なのか何千倍なのか何万倍なのか人流がある
そしたら防ぎようがないとなる、もしその交通を人流をとめると経済も成り立たなくなるそれでかえって自殺したりするとかその方が増えるともなって困るとなる
ただ感染症を防ぐには人から人へうつるのは変わりないのだから人流をおさえるほかないとなる

江戸時代辺りだと隣の村でも交流をあまりしない、隣村から麦つきに来た若い男が蛇だったかと伝説にあり見知らぬ人が交わらない社会だった
そうして隣村すら異国になっていたのである、そこで飯館村の大倉村と佐須村が明治になって合併しようとしたとき民情が違うからできなかった
民情とは何かということもわかりにくいが何か村々で打ち解け逢えないものがあったのである

それができたのは自給自足が基本の生活としてあったからである
これも今と比べると想像できないのである、なぜなら今ならグロ−バル化であらゆるもの食糧でも入ってくるからである、どうして自給自足できたのか不思議だとなるからだ
そういう生活は感染症には強いはずである、それでもコレラが長崎から入り全国に広まったのである

とにかく世界でも中国でもまた増える傾向があるとかなかなかおさえられない
変異株の問題もあるが今回はなかなかおさえこめない、そして人流を抑えられない
すると東京のような異常密集で生活すること自体が問題になる
また交通の発達がいいと見ていてもそれもマイナスに働いたのである
こうして何か人間社会というのはいいと思えるものが悪いものとなる
また逆に悪いと思ったものがいいともなるのである
日本の鎖国が悪いようでも実際はその時朝鮮使節とかきて朝鮮と友好的だったのである
もちろん中国とは関係しないから今のように侵略されるとかの脅威も感じなかったのである、第一世界大戦でも第二次世界大戦でもグロ−バル化した結果として起きたのである

だから老子の小国寡民の思想とか文明否定の思想もいいともなる
それはグロ−バル化世界の反対の思想である
おそらく現代は交通でも流通でも人流でも限界に来ていたともなる
そういう時にコロナウィルスが蔓延して社会を見直す契機になったとはなる
狭い範囲で自給自足が日本の自然的な生活であり世界の果てからでも食糧でも物でも運ぶことは異常だったともなる、その運ぶ労力も大きな負担となるからである
貿易でも江戸時代だったら長崎の出島に限定されていた、それでもウィルスはそこからでも入ってきていたのである
感染症は防げないやっかいなものだったとなる
人間社会の長所と思えるものが短所となる、短所と思えるものがかえって有利になったりする、それは人間自身でもそうである、長所も短所になり短所も長所になる
ということで東京のような超過密の社会は異常でありこれを見直さないと感染症は防げないとなる

皮肉なことは感染症に強いのは隔絶した交通も不便な場所である、江戸時代なら桧枝岐のような秘境である
人流がほとんどないからである、そこではソバとか主食であり本当に自給自足だったからである
第一物も運べないからである、そしたら人流もないのである
江戸時代ではそうだったが今ならそうした秘境にも物流があり車も通うから防げないのである
あとは奇妙なのは引きこもりになると感染症には強い、人と接しなのだから強い
自分でも家にこもり一人としか接していない、だから引きこもりの悪い点ばかり言われるが実は引きこもりにも効用がある
この世で何がいいとか悪いとかならないのも不思議である、悪いとみられるものでも良く作用する場合があるからだ


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カルマは苦しみとなって自覚する (コロナウィルスも同じである)


カルマは苦しみとなって自覚する

(コロナウィルスも同じである)

カルマは個々人でもあり家族にあり地域にあり国家にもある
でも何もないと意識しないのである、感染症とかは常に周期的に人類で起きてきた
でも現実に経験しないとその苦しみも解からない、自覚しないのである
人間はつくづくそうして過去のことを忘れている
でも過去にあったことでもそれが今苦しみとなって現れた時自覚するのである
過去の苦しみを自覚する自覚させられるのである、それがカルマなのである
第一苦しみがなければそんなことがあったのとかで終わる
それで歴史の勉強でも真剣にならないのである、自分のことではない、遠い過去のことであり過ぎ去ったことであり関係ないとなってしまうのである

ただ忘れた頃に災害がやってくるというときそれはカルマを否が応でも自覚させられることなのである
そのことは津波でもそうだった、津波などこの辺では400年も来なかったから津波は来ないという確信までなっていた、それで逃げないで死んだ人がいる、それは老人に多かった、老人でもせいぜい百年生きてもそれだけの期間しかしらない、400年前に津波があったことなどこの辺で知っている人は一人もいなかったのである
学者すら知らなかった、津波が来て文献を調べて相馬藩政期を調べてたった二行生波(いくなみ)で津波で700人溺死と記されていた記事を発見したのである
その二行の記録に注目する人は一人もいなかったのである

ではなぜそうなったかというとその時相馬藩政記とかで記録するのは当時の支配者の相馬氏である、その時まだ相馬地域を支配するために争っていた
だからその争いのことを事こまかに書いている、津波の被害よりその権力闘争の方が大事だったのである、他でも津浪があってかえって敵対する勢力の力がそがれて有利になったとかもある
何かそういうことは現代にも通用している、時の政権にとって権力を得るための戦いこそ大事なのである、だから今でもコロナウィルスでも民衆のことを思うより政権維持とか権力維持のために力を尽くし民衆の苦しみのことはなおざりにされる
ただその当時は民主主義の時代ではない、強い者が支配する時代であり民衆より権力闘争の方が優先される、ただこれも現代でも同じものがある
民衆のことはさておき権力闘争に勝って政権を維持して支配者となることが優先される

なぜこのことを言うかというともしその時津波の被害のことが相馬藩政記に詳しく記録していたらみんなが注目して備えることがあったからである
でも津波のことは二行しか記されていず学者すらわからなかったのである
そのことが後々の大問題となる、津波の大被害にもなったとなる
そしてその時この地域で津波で苦しんだ人がいたということを思うようになる
つまりカルマは苦しみとなって現れた時に自覚させられるのである

カルマが怖いのは必ずいつかそのカルマがきて苦しみとなって現れることである
それは400年後かもしれない、例えば戦争で日本人が三百万人も死んだ
でもそれだっけ過去のこととなり忘れられる、でももし戦争になったらそこで苦しみ死んだりするとその戦争の悲惨さを自覚するのである
いくら悲惨なことでも自分自身が経験しないかぎり苦しまない限り実感できないからである
だから例えば日本に原爆を落としたアメリカでもそうである、原爆を落とされた方の苦しみをアメリカでは自覚できない、でもアメリカ本土に原爆を落とされたら必ずその恐ろしさを自覚させられる、それはいつかカルマとなってアメリカ人が塗炭の苦しみを味わうともなる、その時自ら原爆を落としたことの罪深さを自覚させられるのである
そういうカルマは必ずいつかめぐってくるから怖いのである

コロナウィルスでも感染症でも歴史をみれば繰り返し起きてきてそれはいくらでも様々なに記されている、でも忘れていたとなる
そして実際に苦しみとなって現れる時、その過去にあったことを自覚する自覚させられるのである
そもそも人間の罪深さなど自覚できない、ただ苦しみとなって自覚させられる

なぜ自分はこんな苦しみにあうのだろう?

そういう深刻な疑問につきあたりそれがカルマだったということを自覚する
それは個々人でもそうなのである、因果応報というのが必ずあるからだ
それから人間は逃れられないのである
感染症でも定期的に人類を襲うカルマである、どうしても自然災害であり感染症でも他の戦争ですらカルマとなって繰り返すのが宿命としてある
そき宿命は苦しみとなって現れてはじめて自覚させられるのである
人間は何か過去にあった苦しみなど今が恵まれていれば自覚しない、飢饉があったとしてもそれも自ら苦しまないと実感できないのである

でもそういうこともカルマとなって苦しみとなって現れた時自覚するのである
後残されたカルマは飢饉と戦争だとなる、それがカルマとなって近々現れるかもしれないそういう時が来ているともなる
最終戦争ハルマゲドンでも起きて来る、そして人類は絶滅する
でも神に選ばれたものは絶滅することはない、神が救い上げて救出してまた新たな神の意にかなった国を創る
要するに一旦人類は絶滅しないかぎり新たな神の国は実現しない
その積もり積もった罪(カルマ)を払拭しないかぎり新たな神の国は作れないからであるそれだけ人間のカルマ(罪)は重いからそうなる

アダムの犯したカルマ(罪)で楽園から追放された原罪は延々と人類にのしかかっているプロメテウスがゼウスから火を盗んで罰せられた罪は過酷でありそのことが原爆で現れ
原発事故でこの辺では住めなくなった、プルトニウムの毒が二万年消えないとかなる空恐ろしいものとなった、それはカルマとなってまた苦しみとなって現れたのである
技術がすべていいものとはならない、それもまた技術は技(わざ)はわざわいをうむのである、だからそれはすでに予定されていたことでありそれが苦しみとなって現実化したとなる
科学技術だとバラ色の未来を見るがそこにも決してバラ色ではない闇黒が待っているのだつまり人間の成すことに必ず暗黒面がつきまとっているからである
神に逆らうものがありそれがカルマとなり苦しみとなって現れるのである

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2021年08月12日

abstract Paris and Haiku (Haiku is Japanese poem)


abstract Paris and Haiku

(Haiku is Japanese poem)

parisnotredom11.jpg

嵐後千年の威厳や光る月

after the storm
a thousand years
The dignity
shining moon
the sharpness
at Notre-Dame in autumn


parisway11.jpg

遠くにそエッフェル塔や冬の空
Eiffel Tower in the distance
the sky in winter

parispark.jpg

abstractparis111.jpg

parisssss111.jpg

parisstreet1.jpg


gohostreet11.jpg




春のパリ石によりにつ暮るるかな

I depends on the stone
at Paris
in thinking on
and come to close

stonedleaves1.jpg


バリ古りぬ石にしみつき木の葉散る

histrical aged stone
sticked dead leaves
in paris


2021年08月11日

公明党議員に検察の捜査が入る (米中対立の激化で創価公明をアメリカが牽制か?)


公明党議員に検察の捜査が入る

(米中対立の激化で創価公明をアメリカが牽制か?)

koumeitou11.jpg

真相はこうだ!桜便り】公明党議員家宅捜索と小泉元首相の闇[8/11]
https://www.youtube.com/watch?v=_SmEuzfT38Q&t=22s

なぜ自公政権なのに例え公明党が方にふれても権力があるのだから隠せる
そういう権力をもっている、ではなぜ公明党がたたかれているのか?
その裏はアメリカの圧力でありデーブステートの圧力のためだという
官僚を検察を動かせるのが官僚であり検察でも動かせる、アメリカに従わせる

ロッキード事件は、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による主に同社の旅客機の受注をめぐって、1976年(昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件である。

または中国と急接近していた田中元首相を快く思っていなかったアメリカ政府が田中元首相を排除する意味があったとする説が田原総一朗の書いた記事などで当時から有力だが、田中元首相による中国との国交成立に反発していた右翼や自民党福田派、その他、田中元首相の政治手法を良しとしない者達が警察と絡んで仕組んだ陰謀説もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E4%BA%8B
%E4%BB%B6

この詳しい事情はわからなにしろ中国と国交回復することにアメリカは反対でありそれを阻止するものとしてロッキードを利用したという見方もある
要するに首相とか時の権力者になると検察でも簡単に逮捕などできないからである

ただ前から言っているように創価公明の問題は宗教団体などではない、権力奪取が本来の組織の目的である、教理的に日蓮宗は王仏冥合だから矛盾しないのである
つまり王は権力であり仏は宗教になる、それは中世のものであり現代に適合させるのが無理なのである
それより大衆を導き洗脳させるために宗教を利用しているにすぎない
だから権力を得るためなら御利益になる金になるなら何でもする、そのために毎日題目を唱えているのである、それを矛盾と思わないのはそれこそカルトだからである
大衆にむずかしいことを言っても無駄である

拝めば何でも手に入れられとか金になるとかあらゆる現世の欲がかなえられるとしているそれに敵対するものは今度は罰あたるとか地獄に落ちるとかおどしている
この脅しも大衆にきくから退会するのおさえられるのである
こういうことは免罪符を売っていたカトリックと変わりなくそれでルターの宗教改革が起きたのである
では創価にそうした改革が起きるのかとなるとない、なぜならそこに入った動機はみんな御利益を得たいためでありそれに疑問感じる人は一人もいないからである
第一法華経などを実行できるのかとなると一人できない、完全な無所有とか無欲にならないと実行できないからである、信仰心などなにもないのである
大衆は御利益を与える、そして宗教は脅してとして利用するだけである

また政治家というと必ず利権とからんでくる、それがソーラーパネルの会社であった
そのソーラーパネルとなると中国が背後でからんでいたのかとなる
そしてキャバクラで国民が自粛しているとき遊んでいたというのもあきれたとなる
おそらく創価にはそういう場所で働く人がいてそのためにそうなったのかもしれない
御利益を配分するのが政治だからそれが信仰の目的だから別に何か悪いこととも感じないのである
創価とかを信仰する人とかみるのは間違いである、かえって一般の人より欲望が深い人が多くその欲望を実現するために入っている人が多いのである
人がいいというとき利用されているだけだとなる
ただ底辺層なるとすがる所がないから創価であれ共産党に頼る

そして創価と共産党は支持者がそうした底辺層になり票の取り合いになるから争うのである、だから一見対立しているようで似ているのである
共産主義なども中国でもみればわかる、平等などない、共産主義の名のもとに一部の特権者が権力を得て民衆を支配しているだけだとなる
そこに宗教とかイデオロギーを看板するからわかりにくくなるのが人間社会なのである
それは偽装なのである、第一宗教というのは創始者を見ればわかる、キリストであれシャカであれ無一物であり寝る所さえなかった、つまり何の権力をもっていなかった
そんな人を模範にしていても人間は結局できないのである
だから言っていることと矛盾してくるのである

ただ公明党議員が自民党と一体となったのはこれも常に御利益から判断するからである
得な方に御利益がある方につくだけが目的だからそうなる
でもその親分の自民党が権力をもっているのに検察に逮捕されたのかというのが疑問なのである、そこに不正があったとしても政権をもっている自公に検察が踏み込むことができるのか?
それでその検察を動かしているのが中国派の二階堂とか公明を牽制する
そこにデーブステートがかかわっているのもわかりやすい構図なのである
なにしろ日本は依然として戦争に負けてから実質はアメリカの統治下にある
アメリカが日本の本当の政府だともなる、それを証明しているのがなぜ日本にアメリカの基地があるのか、そのことが日本は戦争に負けて以来アメリカに従属していることなのである、たから日本の本当の独立はアメリカの基地がなくなるときにそうなる
てもそうなると今度は日本一国で中国に対抗するようになり今度は中国の支配下に入る
ようになる

この公明党議員などの検察の関与は背後にアメリカの圧力が命令がありそうなったというのもわかる、米中対立激化の影響もある
創価公明はとにかく中国様様だからである、それをアメリカは苦々しく思い日本の検察に命じて公明議員のガサ入れになったともなる
つまり米中対立の激化によって日本は政権でも中国派とアメリカ派に分断されるのであるそれは田中首相逮捕の時もそうでありその繰り返しなのである
日本の中でアメリカと中国の綱引きが行われてそれが激しくなる
その一つの現れとして公明議員の検察のガサ入れがあったとなる
ただもともと創価公明はそうして権力争奪を目的にしているのだから権力とじかに対立すようになる宿命にある、だから中国の日本の一部隊のようになっているから今度はアメリカの権力によってつぶされるともなる
それは宗教とかとは関係ない、中国の一部隊となり日本の権力をのっとりその下で御利益を得るということしかない、常に頭は御利益で動く、日本をどうするとかなにもない
日本自体を中国に簡単に売りわたす、そして御利益を権力を得ればいいとしかないからである

とにかく日本は米中対立で分断される、どららにつくのかと迫られる、二階派とか創価公明は完全に中国の一部隊と化している、だからこそアメリカは検察を動かして牽制したのである、背後にアメリカがあり中国があると見ないとその真実はわからないとなる
デーブステートとなるとわかりにくくなるが明らかに米中対立が激化すると日本は分断される、要するに日本はアメリカに負けて以来独立国ではない、日本にアメリカの基地があることがそれを示している、また原発にしても事故の時いち早く知らせたのは日本政府ではなかった、放射線量を計るスピーディを知らせたのはアメリカだったのである
日本では事故に対応することもできない、準備もしていない、アメリカ頼りだったのである、つまり日本が危険なのはアメリカ頼みであり原発でもアメリカのお古のマーク1の原子炉を買わされたり福島県議員の渡部恒三がGEの手下となり利益を得ていた
その息子はGEに就職していたからである,アメリカと結びついていた売国者だったともなる

日本はこうしてアメリカの支配下にあり独立国でないから原発事故になったとかその処置もできなかったとなる
原発でも自国の安全は自国で守らなければできない、他人頼みではできない
日本は戦争に負けてから独立国ではない、そこからやはり大きな問題が起きてくるのである
結局この世界にどこの国であれ仏国土とか神の国など実現しない
むしろこの世は欲で滅びるというのが現実なのである
そしてこの世とは火宅の世であり災いの世界でいつか神により滅ぼされるのが現実なのである、だから聖書はこの世からの脱出がテーマとなっているのである
出エジプトでもそうだしソドムゴモラが神によって滅ぼされたとき神の命でロトか危機一髪脱出したようにである
それはなぜこんなに災いがつづくのか?津波の大災害から原発事故から今度はコロナウィルスとかこれはこの世の終わりではないかともみる
災難が限りなく起きて来る、文明が発達したからといって災難から逃れることはできない今回のコロナウィルスでも予想もしない災難が起きて来る
その災難を人間の力ではなくすこともできないのである
posted by 天華 at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年08月10日

お盆に人は死者を思い供養する (神道の神とは死んだ祖(おや)のことである-死者の二柱(母と姉))


お盆に人は死者を思い供養する

(神道の神とは死んだ祖(おや)のことである-死者の二柱(母と姉)

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姉と母死すとも我を支えなむ祀り尊ぶ二柱かな




死者の二柱(母と姉)

人は確かに骨となり灰となり消える
しかし人間は動物とは違う
人は死んでも容易に消えない
その生はなお継続する
我が親なる二人の女性は死んだ
しかしかくも長くも我を支えた二人の女性
今も二本の木となりて支える
その木は長くもこの地に立っていた
その木は切られなくなったとしても
その根っこはやはり残っていた
二本の木は二本の柱のように残りぬ
その木の間にありてなお我は支えられぬ
我が右と左にいつもありぬ
まことに人は見えなくなっても
その生は継続されて消えぬ
我はその二柱に支えられぬ
今もの言わずとも力強くも支えられる
そこに充実あり我は一人ではない
死者一つの柱となり社となる
かくして後の人を支え続ける
我は見えぬ死者の二人の手をにぎる
その時なおも愛は通いあい
さらに強くも結ばれしことをしる





お盆には死者を想う、死者も死んで十年くらいすぎるとどうしても不確かなものになり忘れやすい、現実にいないなのだから去る者は日々に疎しと死者はなりやすい
でも死者を偲ぶというとき実は生前どうであったのか、生前の関係であり生前のことで
死者を想っているのだ、だから実の親子でも親にひどい目にあったとか毒親になると
死者のことは思わないのである
ただひどい目にあったという記憶しかないからである
そうして墓などに全然関心がなくなり放置される場合がある

やたら死ぬときにこだわる人もいる、カルト団体とか仏教関係だと成仏するというとき
死ぬときの相とかにこだわる、そもそも人間はどうして人間を見ているのか?
偉人になった人はやはり生前に功績を残した人でありでたらめに生きた人を評価しない
だから近くの人は誰からも嫌われていた、息子は毒親のために自殺させられたとか言われる
でもその人は死ぬときは簡単にあっけなく死んだ、介護されることなく死んだ
介護する人もいなかったが死ぬとき簡単に死んだのである
人にめいわくもかけず死んだのである、その死にざまは死んだ時の相はわからないにしろさほど苦しまずに死んだように推測するのである
だから死ぬときの相とかが問題ではなくどのように生きたかの方が大事なのである

それは偉人だからというのではない、普通の人でも親子がいたとして家族内で親を大事にするとき何か子供にとって親はいいものだったとなる、親は子供に尽くしたとなり評価して死後も手厚く供養して墓参りするともなる
ただ供養とかは義務だという人もいる、死んでも関係を継続させるためである
ただやはり死者を想うことは供養することは生前の関係で決まる
そもそも死んだら何もできないのだから当然そうなるのである

だから死んだら子供にすぐ忘れられる親もいる、意外とそういうことも多いとなる
つまり親だけでは子供うんだだけでは普通に育てただけでは親を思うことはないともなる何か親でも特別な親でないと供養がつづく死後も思われることはないとなる
実際人間は血縁であってもそれが人間関係を決めないのである
むしろ血縁ではない子供を養子にもらって愛情をそそぎ育てるとその子供は親を血縁の親より大事にする、逆に血縁でも親を嫌い親を親とも思わない子供も普通にいる
だから子供産み普通に飯を与えて育てても子供が必ずしもそれだけで親のことに感謝することもないのである
親でも親のエゴとか見栄がありそのために子供出しにすることが普通にある
親でも子供に無償の愛を注ぐわけではないとなる

私の場合は特殊なことで親を思っているのである、二人の母親がいたともなるからだ
それで私は無条件に愛されたのである、これもだから他者から理解しにくい
それは60歳までつづいた、引きこもりでも何も言われない、好きなことをしていいよとなっていたのである、結局それは特殊な家族でありそうなったのである
だから私は二人の親に支えられたし死んでからも支えられている
生前の関係が継続されて死後も二人の親のことを思いつづけているのである
ただそのために介護とかでは他の人より一人で苦しんだのである
すべてがいいものともならなかったのである

ただ死後のことは生前のことで決まるのであり死んだからと言って特別変わることはない生前の継続して死後もある、だから依然として二人の親は自分を支えているとなるし今度は自分が親を供養して支えるともなる
親でも死んだからすべて尊ばれるとかないのである、それは生前の関係で決まるのである私が親を思う時はそうして無条件に自分を支えてくれたことによっているのである
ただこのマイナス面もあったからすべていいものとはならない
でも二人の親は自分を60までも支えてくれたなとなりそれが理屈ではない、現実として実体として継続されているのである
それがこの詩になる、親でも死者が一柱とか二柱とか表現する
まさに二柱となって自分を支えてくれたから死後もやはり支え続けていると観るのである
こうして親を思うのは私の場合一緒にいた時間が長かったためである
娘でも結婚すると親から離れたり子供でも一緒に暮らさないと疎くなる
親でも子供でも忘れるようになる、結婚したら妻が大事であり子供が生まれたら子供が大事になり親のことより自分の家族が大事になる
すると親であっても家族は別であり離れて暮らすと余計に疎くなるのである
人間はやはり一緒に暮らすことで愛情が生まれる、それが不思議なのは例え憎んでいても一緒に暮らしていることが愛情をはぐくむ
一緒に暮らすことは助け合わないと生きていけないからである、何らか協力することになるからである
結局憎んでいることも愛していることだったとさえなる、愛がないというとき本当は無関心になることであり憎むということでもないということがある
憎むということは愛の反面だったともなる、それは片方が死んでみるとそれがわかるのである、60年とか一緒に暮らしていれば憎んでいても愛していたのだとなってしまうのである

『日本の助数詞に親しむ』中の、「神様の数え方 柱(はしら)」の項目に、「「柱」という字は「木」と「主」からできています。「主」は「そこにじっと立っている、支える」という意味です。
古く『古事記』や『万葉集』の時代から、日本では樹木に神様が宿ると考えていました。さらに、人間は土の中から植物のように生まれ育ったと考えられていて、「人間一人」の別称に「ひとつぎ木」という表現を用いて歌を詠んだりしていました。そこから、樹木が敬意を払う対象となり、ご神体、神像などを「柱」で数えることにつながりました。」と記載されています。

神なびにひもろき立てて斎へどもいはへども人の心はまもりあへぬもの
(二六五七・寄物陳思)

神奈備山に、ひもろきを立てて、大切にするようにしてはいても、人のと言うものは
守ることが出来ないものです。

    巻11−2657

神奈備山→神の降臨する山や森

ひもろき→神の降り代として立てる木

日本神話の天孫降臨において、高御産巣日神(高木神(たかぎのかみ)とも呼ばれる樹神)は、天児屋根命と太玉命(祭祀を行う忌部氏の祖とされる)に、「天津神籬と天津磐境を起こし樹(た)てて、常にわが天孫のために斎(いわ)い祭りなさい」と命じたとされる[1]。

伊勢神宮において

神が依り憑く神籬 (ひもろぎ)として、心御柱(しんのみはしら)を、伊勢神宮の正殿、床下中央部分に建てている

木をたてる時、その木とは死者のことである、神とは日本では死んだ人、親であれまた先祖なのである、つまり死者が一柱二柱というのはそのためである
ここに神道の深い意味があることを知った
こういうことは実感として知りえない、愛する人が死んだりしないと実感できない
神道とはわからないにしても神とは死んだ人であり死者を祭ることに由来している
死者はどうしても神になりやすいからである
死んでから十年もすると何か定かなものにならずまさに守られない、つまり墓でも守れないとなるのがこの世だからである
だからここには神道でも深いものがある、つまり人間は千年であれ古代からこうして死ぬ人がいて死者にどう対処したかが宗教ともなる
日本では先祖が神となるというときもそうである、たいがい死者は神になりやすいのである、八百万の神がいるとしてその神は死んだ人でありその死者を祭ることが信仰にもなっていたのである

常に言う家の柱さしこの家は我が建てにしと誇りけらしも

姉は家の柱は同級生の橲原(じさばら)のキコリだった人から提供されて建てたと常に自慢していたのである、まさに家の柱だったのである
何かやはり神道であれ深いものがあるのは人間として代々生きてきた歳月が長くそこで培われたものがありそれが伝統ともなり受け継がれたからである
ただその意味もわからなくなるし「心はまもりあへぬもの」ものとなる
日本に無数の神社があってもその由来がわからないものが多いからだ
それは千年もすぎれば伝えられないし何のために祭ったのかもわからなくなっているからだ
だから人間は伝統的なものに深い意味がありそれをたずねることでありそして今を観ることである、人間は別に親が死ぬとかは誰でも経験する、でもそうしたことは千年でもつづいたことなのである、そして人間は必ず親でも死ぬのだからその繰り返しでありその時思うことは大昔でも同じようにありそこに残されたものを知り理解を深めるのである

連理木。(れんりぼく・れんりぎ)
http://www.higashiyama.city.nagoya.jp/blog/2020/04/post-4025.html

この木の写真はいい、まさに二つの木が結ばれている木である


2021年08月09日

日本人の満州進出は米を作るため (アメリカがなぜ日本と戦争したのかーその理由こそ問題である)


日本人の満州進出は米を作るため

(アメリカがなぜ日本と戦争したのかーその理由こそ問題である)

戦争についてはいろいろな見方がある、満州が問題になる、太平洋戦争の発火点になったそれはその当時農民が多かったからである、日本は農民社会であり農民が一番求めるのは土地なのである、日本にはもう開墾する広大な土地がない、となると大陸の広大な土地は魅力でありそこで農業したいとなった
土地を与えられることで満州に移住したとなる、今なら第一土地を無料でやるからと言っても誰もそこで農業したいと思わないだろう
その時は農民が8割とかであり農業中心の社会だった、
養蚕も農業の拡大化したものでありそれが生糸となり絹織物となり輸出品になった
それも基本的には農家で養蚕をしていたのである、今でも二階が兜作りで養蚕していた家が本当に多いのである、農家だったら軒ごめしていたとなる
その時地方では養蚕が産業となり土地に根付いた暮らしをしていたのである
それで川俣町に蒸気機関車が通るということで農民が煙で桑の葉が汚れて蚕の餌にならなくなるとして反対したのである

その当時の価値観が農民だと土地が一番価値あるものだった、土地無くして養蚕だって桑を作りその葉を蚕に食べさせるから土地が必要なのである
そして景気が悪るく失業者であふれていた、特に東北はひどかった、それが満州で一山あてるとか渡った
それでどうして相馬藩で飢饉で三分の一が欠落して荒地になったとき越中とかから移民が法を破ってまで命がけで相馬藩に移住したのか?
それはやはり欠落した土地があり三分の一がいなくなったからその土地が与えられるということで移住したのである
それでもやはり農業することは相当に厳しかった、加賀泣きというとき加賀から移住してきた人たちが泣いていてそれが伝えられた
戦後だって日本が焼野原になり働く場所がないから開墾に戦地の引揚者は開墾に入ったのである、それは全国いたるところにある、辺鄙な所にあるから古い場所と勘違いするがその人達は戦後に住みついたのである

満州は土地は広大でも寒い地域である、北海道より寒いのである、冬はマイナス20度くらいになる、だからいくら土地を与えられるからと言ってもそこで農業をすることはかなり厳しかった、第一農業は何でも簡単にできない、厳しいのである
そんな寒い場所で日本人は米を作っていたのである、北海道より寒い場所で米を作っていた、米を食べたいからそうなった
1930年代から(中国)東北地方には大量の日本人が移民したと紹介。続けて、「東北地方における米作りは日本人が主導することになった」、「日本は水利施設の建設や適した品種の導入を行行った。東北地方の米生産力は極めて大きく向上した」と説明した。

 中国ではたとえ特定の分野に限ったとしてもメディアが旧満州における日本の「行状」を手放しで称賛することは珍しい。また「新僑報」掲載の記事は、中国で旧満州を指す時に決まって使う「偽満洲国」の語を用いなかった。
 http://news.searchina.net/id/1572325?page=1

 l913年には、満洲各地において水田開発熱が沸騰し、奉天以外の地域においても本格的に水田開発に参入する朝鮮人が登場した。のちに朝鮮総督府は、満洲水稲作の発展が「愈々確実」であると判明す
ると、「満洲の沃野」を憧‘|景する朝鮮人が奉天.吉林省のみならず東部内蒙古に移住し、開墾に従事したと回顧している

間島における「小田代」の普及が水稲栽培の振興に結び付いた34.1915〜17年にかけて
間島総領事館は、朝鮮の水原模範農場から取り寄せた「小田代」を改良し、朝鮮人に無償で配布した。
小田代は、短期間のうちに間島各地に急速に拡大し、1919年には栽培品種の3割、翌20年には6割を
占めるようになり、間島を代表する品種となった

東部満州地域における農業振興と米作
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/13669.pdf

日本人の農家の米作りが満州に伝えられてそれに朝鮮人がその米作りのために入ってきた技術指導したのは日本人の農民だったとなる、意外と古代でも実は日本の前方後円墳があり日本人が入ってきていたのである
満州の日本人の進出は米を作る、農業指導者の役割があった
それこに朝鮮人が従い増えたのである、ともかく寒い地域であり米をとることは容易ではない、でも米を食べられることは食生活を豊かにした
今でも満州はどこまで行ってもとうもこし畑でありまた粟がもっともとれて後は大豆とか麦だったのである
何か車窓から馬車に乗った農民がトウモロコシ畑の中に消えた、トウモロコシは米代わりであり主食にもなる

満州に関東軍がいてそれが中央の指導部に連絡せず暴発して満州事変になった
そこから中国全土へと戦線が拡大した、西安(長安)まで日本軍が行っていたことには驚く、そんな果てまで日本軍が行ったのかとなる

ここでなぜアメリカが満州の権益で文句を言い日本を中国を支配しようとした
なぜ太平洋を越えてまてアジアにかかわったのか?
それは権益とか経済的理由でもない、なぜならアメリカは資源も豊かだ他国に頼る必要がないからである
とにかくアメリカは正義をふりかざし一方的に力にまかせて他国に侵略もする
そもそも西欧列強が明治になり進出して植民地化したこと自体が横暴でありそれに対抗したのがアジアでは日本だけだったのである

別にアジアを植民地化する日本を植民地にする権利もなかった、ただ力があり従わせただけであり正義などなかったのである
そもそも正義の戦争など世界の歴史でもなかったろう、戦争は正義を実行するためのものではない、世界を支配するためにであり覇権国になるためである
そうすると覇権国には通貨もドルのように基軸通貨となりアメリカに富が集中するようになるからだ

ともかく日本が満州に進出したのはこうして米を作るとかのためであり日本人が指導的役割を果たしたとなる、そこには広大な土地があり日本人が先導して豊かな平野にしたともなる、インフラも朝鮮でも鉄道を作り満鉄を作り発展させたのである
ただ満州が発火点になったのはアメリカなど゜かかかわってきたからである
権益を得ようとしてかかわったから日本人を排斥して欧米が中国でも支配しようとしたからだとなる
欧米とかアメリカがかかわりまたロシアがかかわる、その原因は実は中国にあったのだ
中国が孫文の国民軍と毛沢東の共産党に別れて分裂して戦いそこに日本軍も加担した
複雑な構図になった、そうしして内乱状態になったとき他国が欧米が干渉して中国はずたずたにされたのである、イギリスはアヘンを売ったりしたのである
日本は米作りしたのだからそれは朝鮮人でも助けたともなる
アジアの中華の中心の中国のふがいなさが衰退が混乱が日本がの進出を許した
何か世界史は国が弱体化すると強力な民族が侵入してくる
ローマにゲルマン人が移動してくるよにである

それで今日本が弱体化すると中国であれロシアであれ日本をねらって侵略してくる恐怖がある,アメリカ軍が撤退すれば日本は危険な状態になる、巨大化した中国がたちまち日本を占領してしまうかもしれない、そういう危機になっている
アメリカ人は米中戦争になったら耐えられない、アメリカ人が死ぬとアメリカは民主主義の国であり騒ぐからだ、日本がの戦争でもアメリカ人一人の命と日本人の命の重さは全然違う、アメリカ人の一人の命は日本人百人の命にもなる
それは日本の戦争の後にそうだったからである
アメリカ軍が九州に上陸しようとしたとき死者が犠牲が多くなるとして躊躇した
アメリカ人を死なせたくないから原爆落としたとNHKの果てなき殲滅戦 日本本土本土上陸作戦に迫る(NHK、BSスペシャル)で分析している
その時日本人総玉砕として日本を守るために備えたからである
そうなるとアメリカ軍が上陸すればアメリカ人が多数命を落とすということでためらったとしている

いづれにしろ今問題になっているのはむしろなぜアメリカが日本と戦争する気になったのか、その理由がわからないのである、真珠湾が理由としても日本と戦争して何か利益になるかとなればならない、アメリカは一国でも豊かであるから資源もない日本から得るものがないからだ、そしたらアメリカが何が目的で日本とそれなりに犠牲を出して戦争したのかとなるい今になるとアメリカの戦争した理由がわからないとなる
黄色人種の人種差別もあった、ドイツには原爆を落とさなかったことでもわかる
何か同じ人種であり白人でありできなかった、でも人種差別というけど今やアメリカの貧富の差が大きく白人も貧困化しているのである、だから白人同士でも分裂して大統領選挙でトランプ陣営の人たちが議会に乱入したのである

また西部開拓から西への進出があったがアジアでとまり、今度は後退してゆく
アメリカ軍も撤退してゆく、アメリカと中国が戦争したらアメリカが負けるとしているからいづれは撤退する、その時今度は日本は中国の属国になる
その時また日本は危機になる、後ろ盾もなくなるからである
米ソ対立も恐怖だった、核戦争一歩手前ににもなったから恐怖である
現代の戦争は一発核のミサイルをうちこめばそれで終わりとなる
それ以上とても戦争できない、人類破滅になるからだ

とにかくアメリカの日本への戦争を言う時、原爆のことを言う時責める時、歯切れが悪い、戦争をやめさせる為だったとかなんとかそれがいい訳に聞こえる、何か内心では良心の呵責を感じている、それで言い訳しているのである
原爆投下という人類的罪はカルマはおそらく未来永劫消えないともなる
時間によっても消えないのである、人間の罪が時間によって消えるのか、そう見るけど罪自体は消えない
そこに神の裁きがあって償いがあってようやく消えるとなる、その償はなものにも過酷となる
プロメテウスの罰のように過酷になる、この辺の原発事故でも二万年プルトニウムの毒が消えないとなり住めなくなったからである、それは神からの罰だったのである
アメリカに原爆を落とされてそのカルマを知り苦しみそしてようやく解消するともなる
だからアメリカ人は一番核を恐れているのである
posted by 天華 at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

オリッピックもそうだが意味と価値が問われる時代 (何のためにするのかー哲学、思想の時代に)


オリッピックもそうだが意味と価値が問われる時代

(何のためにするのかー哲学、思想の時代に)

オリッピックも終わったけど今回のオリッピックほど何でコロナウィルスに苦しんでいてやるのか、何のためなのだと問われたことはない
アスリートの日本がの金メダルラッシュでも素直に喜べない
みんな苦しんでいる時、アスリートだけが喜んでいるがみんなは喜ばない
だからアスリートにとっても不幸なオリッピックだった
オリッピックが何のためにしているのか問われたことはこれまであまりない
反対があっても一部であり無視できた、今回はそうはいかなかった
IOC会長のバッハがぼったくり会長だとかあからさまにメデアから言われた

つまりオリッピックは一部のIOCとかのための金儲けのためだった
それでアメリカのNBCのテレビ局が一兆円なのか放映権を払っていた
そのために真夏でもその時他のプロスポーツ番組がないので視聴率が高くなるとふんでそうした、でも結果的には視聴率は高くならなかった、これも誤算だった
次回のパリオリッピックからは見方が相当に変わる
オリッピックとは一部の利権者の金儲けのためだったことが明確にされたからである

オリッピックは様々な弊害が露骨に現れたのが今回のオリッピックだった

新国立競技場「歴史的空間を破壊する」「ありえない」取り壊し目前、建築家らが怒り

国立競技場の再開発とアパート住民の立ち退き

新国立競技場で失われたものが犠牲になったものがあった、これもまたどうしてオリッピックをするのかということを問うのである
つまりそれでけの金、三兆円もかけてする意味があるのかとなる
ただその経済的効果が無観客とかで得られないとなり余計にオリッピックの是非が問われるようになった、人間社会は利益になるとき他の負の面を無視するからである
原発は危険だとしても金になるから地元でも容認されたからである
でも利益にもならないとなったら余計に何でするんだとなる
そんなこと莫大な無駄使いではないかとなってしまうのである

何今は何かというとその意味とか価値が問われる時代になった

オリッピックに何の意味があるのか?

それは美名のもとに無視されていたのである
それは結局一部の利権者の金儲けのためでありそのためにオリッピックでもアスリートも利用されていただけだったとなる

何か意味が問われるという時、人間はまず利益になるか金になるかで判断する
その仕事に意味があるのかなどあまり問わない、

でも最初にどうして必要なのかこれを作ることに成すことに意味があるのか?

何かこういうことが問われるとき、オリッピックの起源をたずねる
どうしてオリッピックがギリシャで始まったのか?
戦争が絶えずありオリッピックの期間は戦争は中止になりゼウス神殿が建てられ神への奉納として行われた、宗教的儀式ともなっていた
つまり意味を問う時どうしてそれが行われたのか作られたのかと問うことになる
何か必ずそれが行われた作られた理由があるからだ
ただ時間たつにつれて不明になり現代オリッピックはギリシャのオリッピックとは別物であり変質して一部の者の金儲けのためになったのである
ただオリッピックは何か美名の元に行われていたからわからなかったが今回のオリッピックはそれが暴かれたのでオリッピックに露骨に反対する人もでてきたのである

人間は何か利益になる、金になるから行うというのがわかりやすい、そのことに何の意味があるのかとかまた安全なのかとか負の面を利益になると無視しやすいのである
それが原発が証明している、これも莫大な金が投入されるからそうなる
それで利益を得ようとする人達が利権者がIOCだったのである
そしてアスリートはその巨大なショーの見世物だったということである
ローマの剣闘士となると極端だがそれとも似ていたのである
世界的な商業的なショーにもなっていたからである

ではなぜそうったかというとテレビが生まれた時自宅でテレビを見ることができるらうになったからである、観るスポーツがメデアの発達で生まれたからである
戦後まもなくはテレビがなかった、ところがテレビが発明されて売られると観るスポーツの全盛期となったのである
その時野球でも相撲でも観るスポーツとなり長嶋とか王とか大鵬とかスターが生まれたのである、それはメデアの発達でそうなったのである
とにかくテレビの影響は本当に大きかった、テレビに出るだけでたちまち全国に知られてスターになった、中味がなくてもテレビに出ればスターになったのである
それで東京都知事の青島知事とかは中味がないふざけた人でも東京都知事になれた
選挙の時もどこかに遊びに行っていても当選していたのである
中味がなくてもそうしてテレビに出れば名が売れて議員になれたのである
芸能人で議員になる人が増えたのはテレビというメデアの影響だったのである

オリッピックでもそうである、アメリカのNBCが莫大な放映権を払うからその開催時期も決められる、酷暑のなかでもあえてするのはNBCの都合だったのである
その時期はアメリカのプロスポーツ番組がないからである
スポーツが観るスポーツになったのはテレビとメデアの発達があったからである
相撲でも有名な相撲取りは江戸にいても地方の人は見ることかできない、芸人でもそうである、それで地方巡業があり本物を見れるとなっていた
だからテレビがいかに大きな影響があったか計り知れないのである

そのテレビの時代も終わりつつある、youtubeとかで個人がテレビ局にもなる時代になった、人間個人がメデアを持つということは大きいと自分で毎日プログでも書いて実感したメデアそのものが権力だったということが理解できた
メデアが権力だというとき今までなら新聞社であれ雑誌社であれテレビであれ取捨選択するのはメデアでありそこを通らないとその人の意見でも知識でも伝えることはできなかったからである、つまりメデアがマスコミが取捨選択の権力がありそこに選ばれなければ何も言えないとなっていたのである
そのメデアをマスコミを通さないで意見でも知識でも他の作品でも伝えられることは大きな変化だったのである
だからマスコミの時代は終わりつつある、常にマスコミ自体が批判の対象になってしまったのである

こうして時代は新しい技術が生れてまた変化する、そして今の時代はあらゆることで意味を問う時代になったのである、哲学の時代になったのである
確かに利益になればいいとして現代もある、でも何のために会社でもあらゆるものがあるのか問われる、銀行が投資信託とか株とか地域の客に売るとなればそこは証券会社であり現実に証券会社の子会社化しているのである
すると銀行が地銀でも何のためにあるのか、地域の発展のためにあるとなってももはや証券会社であり株の売買でありそれは地銀とかすることではなかったからだ
すると地銀でも何で地域にあるのかわからなくなるのである
そこで地銀のオリジンを銀行は何のためにできたのか問うことになる

銀行はそもそも企業家が大きな利益を得てその余剰金で作った、それは新たな起業するためでもある、だから銀行とは起業できるもの新たな投資をして起業してもうけることができる人がしていたのである、でも今の銀行には地銀となるとそういうノウハウもないのである、ただ金を集めて利子をとるしかなかった、それが高度成長時代は借りる人がいくらでもいたから問題なかったのである
今と銀行が地銀でも地域で起業することが強いられる、それができないとなるつぶれるほかないとなってしまうのである

まず利益になればやる、その他は二の次だ!

高度成長時代は何のためにやるのかとか問わない、道がなければ道を作る、橋がなければ橋を作る、いろいろ整備されていないからそれが必要かどうかなど問わないのである
でもインフラでも整備されると今度は何のために作るのかとか何のためにするのかとか問われる
オリッピックでも莫大な金をかけてやるべき意味があるのかとなる
そこでもうけるのは一部の利権関係者だけだとなるからだ
国家予算が使われその穴埋めを国民がする、税金で払わされる
それより優先すべきはコロナウィルス対策だとか他の困窮者のために使いとなってしまうのである

posted by 天華 at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年08月08日

マラソンと人生 (最後に二位集団に追いつけなかった大迫選手)


マラソンと人生

(最後に二位集団に追いつけなかった大迫選手)

大迫が二位集団に迫っても追いつけなかった、何かもう少しで追いつけるようにも見えたでも実際は相当に厳しい距離だった、というのは最後でありそんなに力が残されていないみんな最後の力をふりしぼって走っている
大迫もぎりぎりで走っていたから追いつけるようで追いつけない

何か人間をマラソンに例えるともう最後になったら老人になったら力を出すことができなくなる、勝負は決まったとなる
ただ人生はマラソンにも似ている、特に高齢化社会になると長寿社会になると人生百才となるとマラソンである、長距離を走ることが要請される
人生50年とか60年となれば退職してぶらぶらしていたら後は死んでいたとかなる
でも退職してらか先が30年とかあるとなると人生は長距離でありマラソンになったのである

それで成果を出すのはあせる必要はない、60からでも70からでもいい
そして長寿になるということは学問とか芸術の分野だと有利である
「少年老い易く学成りがたし」というとき学問にしてもその分野が広範囲にあるからだ
第一中味のある一冊の本を理解すること自体が一生かかるとまでなる
人間それだけ一分野でも理解するのに時間がかかるのである
例えばギリシャを理解するとき実地を踏んで本を読んでとかして理解する努力をつづけないかぎりできない、知的な分野だと理解するのに時間がかかるのである

老人になると評論に向いているのは何でも理解力が深まるからである
そういう点で長寿社会はプラスなのである、特にグロ−バル化社会になると外国のことについて理解を強いられる、外国のこととなると本当に言葉の障害もあり理解することが困難になる、でも持続して時間をかけるとそれなりに理解力が深まるのである
ただ正直本を読むより一回でも外国の土地を実地に踏むことが第一となる
それで私は50歳で海外旅行したのが理解力を深めた
もしその時行かなかったら親の介護とかなっていけなかったからもう外国について語ることもできなかったのである

スポーツだと盛りの期間は短い、大迫選手でも今回で終わりだというときそうである
30歳でもう終わりになる、でもその人の人生はこれから百才までもつづくのである
ただマラソンでも最後の方になるともう簡単に前に追いつけない、すでに差が開きその差を埋めることができなくなる、もう前でも後ろでも限界に達しているからだ
ただ見ていれば前の集団に追いついてもらいたいとしても本人にすれば限界なのである
ただ知的な分野だとたいして才能がなくても積み重ねであり集積が効果を発するのである継続していればやはり素人でも専門家になれる
でも正直人間は深いをことは簡単に理解できない、私自身むずかしい本を買って読んでいた、重要な所に線をびっしりひいていた、でも今読みかをしてみるとその線を引いたところでもほとんど忘れているし理解していなかったのである
本も積読(つんどく)になりやいのである

現代は長寿社会になると百才を走りきらなければないとなる
でもすでに同級の人でも死んでいるしまた病気になった人が多いのである
つまりすでに70越えたら二三割は脱落しているかもしれない、だから老後は健康が大事になる、最後はマラソンのようにサバイバルゲームになる
健康でない者と病気になった人の差があまりにも大きすぎるからだ
私の場合は汗が出なくなったり熱中症になりやい、熱がこもりそうなる
すると今までのように外に自由に自転車でも出歩けないのである
それで今まで経験したことを回想して作品化することが仕事になっている
いづれにしろ最後は前を走っている人を簡単にぬくことはできない、相当に自分自身をも疲れているからだ、その順位をくつがえすことは簡単にできない
老人になると何かを身につけようにもできないのである
ただこれまでしてきた積み重ねたものが力を発揮するだけなのである

人生は短距離ではない、百メートル競走だといくら努力しても資質がないものは勝てないそれは生まれつきにもなっている、でもマラソンとなるとこれも資質であるにしろ訓練したりして才能がなくても伸ばすことができる競技かとも見る
ただアフリカ勢が常に勝つのはやはり資質がありそうなっている
人生になれば短距離ではない、長距離でありマラソンなのである
でも最後になるとわずかの距離でも縮めることは至難になる

だからマラソンはひたすら走りつづけるのだがもうある程度差がつくとその差を埋められないのである、人間でも何かこうしてひたすら走りづつけて何か積み重ねてきたものと
何もしないで時間を無駄にしたものの差が大きくなり埋め合わすことができなくなるのだ天才でないかぎり積み重ねが大事だとなる
とにかく例えば身近なことでも郷土のことですら理解するのに時間がかかるのである
すると多様な世界をグロ−バル化して世界を理解することはさらに時間がかかる
例えば江戸時代辺りだと500人くらいの村で暮らして顔見知りの人たちの中で一生終える、でもグロ−バル化した世界となる外国を理解することとなると何百倍もの時間がかかるとなる、だから空間が拡大したときまたそれに応じて時間も増えないと理解ができないのである

それにしても北海道大学の広い、あのような所で学ぶならいいとなる
北海道大学は農学校でありクラーク博士は農学校の教師だった
そこで内村鑑三などがキリスト教を教えられたのである
何か北海道は広いから清新な空気があり明治にはフロンティアにもなっていた
そこで優秀な侍だった師弟が学んだのである、そもそも優秀な青年たちが学んだからこそクラークの教えも伝わったとなっていたのである
ただ本当にキャンパスが広い、白樺の木もあり煉瓦の校舎にも伝統の重みが感じられる
エリート養成の学校にはふさわしいとなりうらやましいともなる
東京の大学にはそうしたものは感じられないのである

今回のマラソンで印象に残ったのは大迫選手が最後に二位集団に追いつけなかった
もう少しで追いつけたとか見たがその差がマラソンになると大きい
もう疲れ切っていて差を縮めることができなかったのである
人生も最後になるともうそうして知識の差でも経験の差でも縮めることができない
これまで積み重ねた経験したことの差を縮めることができないのである
そこに突然力が出て奇跡的に追い抜くことはできないのである
人間も老人になると何か突然前の人を追い抜くようなことはできない
二位集団はいいとしてその後方との差はさらに大きいのである、差のつき方が激しいのである、人生でも老人になるとこうして大きな差がついて縮めることができなくなる
何か理解するにも積み重ねでありあることについてすぐに理解するということは不可能なのである
posted by 天華 at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層