2021年08月06日

オリッピックは観てても面白くない (記録には限界があり意義も見いだせなくなった)


オリッピックは観てても面白くない

(記録には限界があり意義も見いだせなくなった)


オリッピックが日本でやるにしては見ててもたいしてつまらない、また意義も見いだせない、例えば百メートルでももう記録は限界である、ホーガン投げでも世界記録が出たとしてもわずかに伸びたとしかない、いづれ世界記録は出なくなる、限界なのである
そもそも人間の体力には限界がある、いくらスーパースターが出ても限度がある
そしてその世界記録が人類にとって何か意味があるのかとなると見いだせないのである

日本のどこの神社にも力石とかある、比べ石とかあるのはその石を持ち上げる力持ち男が人気になり女性にもてる、農業社会となると力ある人が強い人が必要であり社会にとってもそうだからもてるとなる、戦国時代だったら強い人間がもてる、それより強い人間が武力が支配者になる
そういう社会では力の強い者が社会にとって選ばれた人でありエリートになる
スポーツがそもそも戦争を起源にして生まれている
円盤投げであり槍投げであれ砲丸投げであり敵を殺すものとして始まったのがスポーツとなった
だからアレキサンダーがインドに攻め入り戦象に苦戦した時、槍を投げて象を操る人も殺した、また長槍で戦いを有利にしたとかある
つまりスポーツの起源は戦争だったのである、戦争という命がけの戦いがスポーツになった、それは日本の武道でも同じである
ただ命がけの戦いとなれば真剣勝負となれば今の様なゲームとして観るのとは違ったものになる、それで観る方からするともっと激しく戦いとかなる
それでローマになると剣闘士の命がけの戦いになりそれが見世物になったのである

これは観る方でそういう刺激的なものを求めたからである、やはりこういうオリッピックでもスポーツでも時代が繁栄している、時代の影響をまねがれないのである
その時代の社会がどういう価値観があるのかということである
明治時代になれば侍はいなくなり刀も無用化する、武の時代ではなくなる
それは戦国時代が終わるとすでにそうなっていたのである
明治時代になれば侍がいなくなり侍は官僚になり事務能力にたけたものが必要になる

現代ではどうしても未だに槍投げとか砲丸投げとか円盤投げとかしているのか?
それもわからないのである、そんなことをつづけてどうなるのだとなる
それはギリシャで紀元前7世紀にはじまったことでありそれをつづける意味があるかともなる
そして筋肉むきむきの力持ちなど現代では価値がないのだ、何かそういう人はかえって野蛮にも見える、現代が要求されているのは知性であり知識である
だからこそ知性の競争になっているのが世界である、知性は技術の競争にも現れている
どれだけ科学技術で優勢になるかの知性の頭脳の世界的競争なのである
そして人間の体力にはもう限度があるオリッピックでもでも世界記録は限界に来ている
でも知性とか頭脳の開発はきりないのである、技術でもやはり限界はまだないとなる
様々な分野で技術開発はされているから人間の体力に限界があっても技術にはないとなる

コンピュターなどは本当に人間の頭脳の代わりになり知識を知性を拡大したのである
インタ−ネットでも駆使すればたいして能力がなくても何か専門的なことにも通じて素人学者になったりする、私の場合は絵の才能などゼロなのにコンピュターのソフトの操作で抽象画を切りなく作りだしていることもそうである
ただ無数の写真があり絵がありそれをソフトで変化させているだけでも創作になっているのでやめられないとなる、つまりコンピュターがもともと才能がなくてもその才能を付け加える役割をしているのである
何か文章を書くにしても一つのキーワードから関連するものをつなぎあわせるとそれが一つの論文のようにもなるのである、要するに知の分野ではコンピュターは相当に寄与しているのである

だからインタ−ネットになると知のオリッピックのようになっているのだ
10人くらい私の抽象画を外国の人が見ているというときもそうだし様々な知の分野で世界の人たちが競うというものもオリッピックと似ているのである
体力を競うオリッピックには限度がある、今や人間の体力を評価する人はいない
比べ石とか力石とかで競ってもそんなものに関心がないのである
そんなもの機械で持ち上げればいいとなるからだ、すると機械を作る方が優秀であり注目されるのである

もうオリッピックをすることに意義を見出せない、結局一部の利権者の金儲けのためだったということが明らかにされたのが今回のオリッピックである
でもそのショーにしてもつまらないとなった、観る方でもつまらないのである
こんなことに莫大な金をかけていることが馬鹿らしいとも見る
世界の平和の祭典とかにもなっていないのである
するスポーツなら別にそれぞれが熱中して励むことはいい、また別にスポーツは観るスポーツでないなら必要なのである、心身を鍛えるものとして必要なのである

でも観るスポーツは必要なくなったのである、そこに意義も見いだせないのである
だから世界的祭典として観るスポーツとしてはもう何か見ていても面白くないとなり
その意義も見いだせなくなり今回の東京オリッピックを境に世界でも関心がなくなる
オリッピックはもう終わるのではないか?
そもそもコロナウィルスで苦しんでいるときオリッピックをやるべきではなかったとなるギリシャのオリッピックはその時代に意義があった、でも現代ではそうした意義は見いだせないのである、世界平和に貢献するということもないのである
オリッピックは観るスポーツになると魅力がなくなったのである

今娯楽として面白いのは歴史に興味があるから世界の歴史の時代劇である
最近見た、ポロス 古代インド英雄伝 とかオスマン帝国外伝 愛と欲望のハレム 
は面白かった、勉強にもなった、なかなか外国というのがわかりくいけどこうして連続ドラマ化すると興味をもつ、日本でもNHKの大河ドラマが人気になったようにである
ただ今のNHKの大河ドラマはマンネリ化してつまらないから見ない
それは脚色が多くて歴史の真実を示していないからである

「力石と文化財ー4(茨城県常総市,一言主神社))」  日本歴史と雑事記録


posted by 天華 at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層