2021年09月29日

遊牧民から世界史を見る (遊牧民が航海民になる―陸の民と海の民)


遊牧民から世界史を見る

(遊牧民が航海民になる―陸の民と海の民)

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遊牧民は中央アジアから移動して地中海に至りレバノンからフェニキア人になりアルファベットを発明して商業の民となる
その前にアブラハムか神の命でメソポタミアとかの地域からイスラエルに向かった
遊牧民は移動する民であり商業民族になる、だからフェニキア人のように航海の民となっても不思議ではない、シルクロードは陸の道でありオワシス都市が海であれば港なのである、当時の国家とは都市国家であり城塞に囲まれた中に都市民が住んでいた
城壁とその外に生活する者は別だった、つまり城壁の外にいる者には安全は保証されていないのである
だから当時の国家とは今の国家とは違う、城壁に囲まれて安全を保証された場所が国家なのである

そして砂漠地帯であれ平原であれオワシスがありそこに都市が生まれる
そのオワシスの都市を結んで物が運ばれる、一旦城壁の外に出ると危険になる
商業になるとその安全を保証されることが大事になる
その保証をするのは大きな帝国でありその軍隊だとなる
モンゴル帝国に紙幣が通用したのはモンゴル帝国という権力があり軍隊があり保証されていたとなる
今いろいろな国家があるのとは違ったものである
だから砂漠の民はもともと国境があいまいであり遊牧民は自由に往き来していたとなる

遊牧民は広大な砂漠であれ平原であれ移動するのだから方向が大事になる
それでたいがい国旗は星印になる、特に北斗七星の北極は方向をしるの大事だから信仰とまでなる、日本にその文化が韓国経由で入り妙見信仰になったのである
日本の場合何でも韓国経由になり大陸の文化が入ってきたのである
ただ朝鮮半島の先端は照葉樹林帯であり日本と生活形態が残っている
でも朝鮮半島の大部分は遊牧民の影響を受けているのである

日本にはレンガの技術とか石の技術が入らなかった、石窟庵の石仏は見物である、石塔もまた多いのが特徴である
韓国の武寧王とか日本の王でもあったシマオウの墓はレンガ作りでありアーチにもなっていて銀製の(さじ)も使っていた
これはと中国の南朝から入ってきたし中国には大陸の文化が入っていたからレンガの技術も入ってきていた、日本にはレンガの技術は入っていないのである
ただ明治になってからレンガの技術が入り建築でも普及したのである
日本でもモンゴルが日本本土を侵略していたら確実に遊牧民とか大陸の文化が入って歴史的なものとして残された

遊牧民自体の国家というのは形成されない、エジプトは巨大な農業国家であり中国でもそうでありインドでも農業国家であり国家が形成される
国家とは広い領土を有するものであり都市国家とは違うからである
つまり大地に根付くものが国家である、そういう農業国家は定着文明であり巨大な建築物を残すことになる、ピラミッドとかそうでありメソポタミアのジグラッドとかもそうである,マヤとかインカの文明でもピラミッドと似た建築物を作ったのは農業文明だったからである
遊牧民はオワシス都市は作ってももともと大きな領土を支配する国家は作りにくかった
移動する民だからそうなる、ただ巨大な帝国は作ってもその盛衰も激しく継続しないとなる、農業国家のエジプトは三千年とか継続しているし中国の漢民族国家も農業国家であり現在まで継続しているとなる
ローマ帝国でももともとは農業を基にして興ったものであり農民国家だった
そしてこの農民国家は定着文明であり継続するのである
オワシス都市だと本当に楼蘭(ローラン)のように砂漠の砂に埋もれて消えてしまうこともある

農業国家は陸の民であり遊牧民は陸の民であってもやがて移動するから海の民、航海の民となる、遊牧民が地中海に出て航海の民となったということは納得する
そこは丁度航海するには太平洋とは違い人間が航海しやすい海だったのである
それげてまずフェニキア人が航海の民となり貿易の民となったのである
最初はギリシャが島々を渡り船で行き来した、多島海であり島を港のようにして航海しやすいからである
トロイはマルメル海の入り口にあり戦いの伝説を残した
ギリシャは多島海で航海していたから海の民となっていたのである
ペルシャは陸の民でありそれでギリシャの戦争で船の戦いで敗れたとなる

それで私はイスラエルからギリシャまで船で旅した
途中6時間くらいキプロスによったのである、それが気持良かった、春でアーモンドの花が咲いていた、そこに春の地中海が開けていた
キプロスは歴史が古い、エジプト人もここにきていてその跡が発掘されたりする
ここは後悔の中継地点になるからそうなる
一時はイギリスが支配したりしている


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キプロスの歴史

紀元前1450年頃には、古代エジプトの支配下に入り
    紀元前1400年頃には、アカイア人(ギリシャ系)が
    入植してきました。その後、アカイア人はキプロス人
    のルーツの一つになりました。

    紀元前800年もには、地中海全域を舞台に活躍した、
    フェニキア人が入植し、さらに、紀元前709〜670年
    には、メソポタミアを支配した、アッシリアによる
    支配も受けたそうです。

    紀元前560年頃には、エジプト王国に、紀元前525年頃
    には、アケメネス朝ペルシャ帝国、そして、紀元前
    300年頃には、プトレマイオス朝エジプト王国、さらに
     紀元前333〜325年頃には、マケドニアのアレクサンダー
    大王、紀元前76年には、ローマに支配されました。

    ローマ帝国による支配の下でキリスト教が伝えられ、
    島にはキリスト教文化が繁栄しました。ローマ帝国の
    分裂後、395年に、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)
    の支配下に入り、1192年まで支配が続いたそうです。

    この間、488年には、教会による自治が認められ、また
    650年頃には、アラブ・イスラム勢力が侵攻しました。

    1191年には、十字軍の途上にこの島に立ち寄った、
    イングランド(イギリス)の王で、獅子心王として
    知られる、リチャード1世によって征服されました。
  

  

ここが交通の要衝だからこういうふうに支配する国が変わったのである

陸の民と海の民の争いは世界史に基本的にある、地中海の覇権を握る争いがつづけられるオスマン帝国が地中海の覇権を握ったことでもわかる
ローマ帝国も陸の民であるがカルタゴとの戦いでも地中海での海戦となり地中海で争うことにある
海の民と陸の民のせめぎ合いその後も舞台を大西洋とか太平洋とかに代えて継続される
イギリスが覇権国となったのは七つの海を制したからである
次に日本の戦争も太平洋戦争となり太平洋を制覇する戦いだった
そしてアメリカが今度は陸の道の要衝であるアフガニスタンを捨てて太平洋にその兵力を集中して中国との覇権争いに備えるのも陸の民と海の民の争いが続いているからである
中国は典型的な陸の民であり海の民でなかった
でもその海へ進出してきたて世界の覇権国になろうとしているのである
つまり太平洋をめぐる争いとなっている、

いづれにしろ歴史は地政学である、地理がわかれば世界史でも大雑把に理解できる
それで世界旅行したことが今になると貴重だったとなる
大学生で中国からカザフスタンとかに行った人もいる、十数年前は世界旅行するのに向いていたのである、日本の円が高かかったからである
中国だったら十分の一で旅行できた、そして日本人は金持ちとして世界で歓迎されていたのである
自分自身はバックパッカーで安宿めぐりだった、まともなものを食べていない
実は世界のことがわからないのでそうなっていたのである

アジアだったらもっと金を使っても良かったのである、でも日本での貧乏暮らしでその金の差がわからなかったのである、それで失敗したのである
実際一ドル80円とかのときがありそれだと外国で価値が馬鹿高くなっていたのである
今になると日本は物価が安い国であり東南アジアより安い国になっている
タイなどだと日本の方が物価が安いとしている、それでめっきり日本人が減ったと報告がある,アメリカとかヨ−ロッパでも中国でも物価が二倍以上になっいるからもう貧乏人は世界旅行がむずかしくなる、その時は貧乏人でも日本人は世界に出ると金持気分を味わいたのである

こうして人間は時代によって経験することが相当に違ってくる
それもまだ十数年前のことである、そうしてたちまち時間が過ぎてそれは過去の物語になってしまったのである
中国に今行ったら日本人は貧乏人だとなり肩身が狭くなる、威張っていられないのであるそれもカルマだった、日本人はその時何か威張っていて傲慢だったとなるからだ
そして今や外国人をアジア人でも中国人でもおもてなしとか言って歓迎してへつらう金をもらうほかなくなったのである
これもつくづくカルマだったのである、なぜなら外国ではそういうことを日本人が見下して威張っていたからである、それが逆になったのはカルマだったのである


キプロスに寄港した一時(詩)

(6時間ほど船で寄港した思い出)