2021年11月30日

宇多川の上流の岩と石の謎 (川はみんな違った表情を持っている)


宇多川の上流の岩と石の謎

(川はみんな違った表情を持っている)

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岩盤のくぼみや裂け目などに、岩石表面そのものが徐々に風化して得られたり、風雨によって運ばれた砂礫が堆積し、土壌を形成する。この土壌の形成の有無が一次遷移と二次遷移の最大の違いである。土壌のないところは保水力がないため、植物は生育できない。よって、この土壌の形成が最初の大きな変化である。

次に、コケ類や地衣類の胞子が風雨によって運ばれると考えられる。コケ類は岩のくぼみのようなところを中心にはえてくる。やがて、風や雨によって岩の表面は風化して砂礫が生じ、また、苔や地衣類の生育による有機物の蓄積により少しずつ土壌が成熟される。土壌には土壌動物や土壌微生物も当然出現する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B7%E7%A7%BB_
(%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6)

松の根は岩をくだいて生きて行く

こんな歌もあった

岩と石の相違が何か?動かせるものが石で地盤にくっついているもの動かせないものが岩だという、石は比較的小さいのである、でも動かせないような大きな石でも河原にある
とても動かせないようになっている
ただ石というものは確かに苔が生えた石があってもそこに木のようなものが根付かない
石は鉱物とにている、硬いからである

岩はというと何か雨に打たれて割れ目ができたり石のように割れ目ができたりしない
だから石には木は根付かないのである、また石から栄養分をとることはできない
それは鉱物と似ているからである
だから石に根付いている木はありえないとなる、たいがい岩に根付いている木である
その木は確かに地盤と結びついている、露出している岩だとなる
岩から土ができたという時、岩に土になり植物を育てる栄養分をもつからである
もともと地球は岩盤でありその岩盤が風化作用で土となっていったからである

すると宇多川のこの岩でも何か栄養分がありそれを吸収して木が根付き成長している
でもこの岩は岩盤と一体となっていない、孤立しているのである
だからこの岩からだけ栄養を吸収して成長したのかとなる
ただその表面にはなんらか栄養分があって吸収しているのかとなる
それにしても木の数が一つの岩に根づくには多いのである
すると相当に一つの岩でも栄養分があって木が根付いたのかとなる
石だったらこういうふうに木は根付かないのである
苔などが生えることはあるが木は根付かない、ともかく科学となると弱いから私には解説できない、ただ理系文系でも共通していることは常に疑問をもち何故かを解明することは共通しているのである

自然を見てなぜなんだろう?

学問とは学び(まねる)問うことなのである、この問うことがなぜかと問うことが学校には欠けているのである

いづれにしろこの二つの石は面白い、宇多川の上流は石が多い、荒れた川のようになっている、ここも石がごろごろしているのだ、さらに玉野村の方に行くと滝もある
だから宇多川はそれなりに小さいようで大きい川にも見える
ただこの辺で大きな川は真野川である、新田川になると川が深く流れている所がないのである、浅い瀬音のする川である、だから川としては大きくないのである
とにかく川にもいろいろあり表情が違うのである
川を知る場合は下流から上流まで知る必要がある、川の一部分をみてもわからないのである

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中に台になった所がありそこに花を置く、神秘の花をこの石で守るのである
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抽象化するとこの形になる
この形が安定化する、正三角形ではない、長方形の組み合わせになる
ビラミッドでもその形は正立方体とかではない
その形が不思議であり神秘的なのである



岩でも石でもいろいろな形のものがあり表情がある、この石はどうしてできたのか?
これも不思議である、この形はピラミッド石と名付けられる
本当に不思議な形の石である、この石の価値はもし売ったりしたら何億ともるなかもしれない、ただこれは勝手に売れるものではない、自然の一部だからである
ただ公共空間に飾ったら面白いと思う、庭園に飾ったら面白いとなる
何か身近な自然でも注目されていないことがある、これは最近注目したのである

2021年11月29日

グローバル経済はウィルスに弱かった (これは神意なのかもしれない・・オミクロン、変異株の恐怖)


グローバル経済はウィルスに弱かった

(これは神意なのかもしれない・・オミクロン、変異株の恐怖)

グロ−バル経済とはいいものだと世界で思っていた、だからこれだけグロ−バル化した
それも頂点に達したような時にコロナウィルスが蔓延してまた南アフリカからオミクロンという変異した株が現れた
それはすでにヨ−ロッパに拡散された、それはなぜかというとヨ−ロッパの植民地がアフリカでありそこで人との交流もある、また移民が来るという時もともとイギリスの植民地だった所は英語とかが話せる、またフランスの植民地でもフランス語が話せる
それでネパールのガイドが英語を話せることに驚いた

グルカ兵はイギリス軍に正式雇用されることになり、20世紀になればイギリス軍と共に世界各地の戦場を巡るようになります。
世界最新鋭の大英帝国軍式の武装を使いこなす、最高の狙撃手たちによる傭兵部隊の誕生です。
1911年にはイギリス軍における最高勲章である、ロイヤルビクトリアクロスを受賞できるようになります。
グルカ兵はビルマ、アフガニスタン、インド戦線、キプロス、ロシアとの紛争、中国との紛争、チベットの紛争を戦い抜いたのです。

第一次世界大戦では20万人以上のグルカ兵が従軍し、2万人の戦死者、そして2000を超える優秀狙撃手勲章を授与されます。
第二次世界大戦では25万人の従軍、32000人の死者、2734もの勲章受章者は輩出したのです。
なお、日本軍ともグルカ兵部隊は衝突しており、日本側がほぼ全滅する「史上最悪の作戦」として名高いインパール作戦でも戦っています。

インパール作戦においては、タル・バハダ・パンというグルカ兵が自分の部隊がほぼ全滅状態となりながらも孤軍奮闘して暴れまわったのです。

このグルカ兵はイギリスと一体となり傭兵として戦った、イギリスと一体というとき英語がしゃべれる人がいたとういことである
なぜこんなに強かったのか?それは山岳民族であり不便な所で粗末な食でも生活する環境にあったからだともなる、そしてネパールでは今でも出稼ぎ者が多い、今はネパールの女性が私の田舎でも働いていた
まともに食べられない所だから金が欲しいとなり出稼ぎ者になりその一つとして傭兵になったのである、兵隊になるという時、アメリカだと黒人とか移民が率先して兵隊になる
そこでのしあがるために危険でもなっているのと同じである
仕事がない金がないという時軍隊に入るというのが仕事になるからだ

東南アデアはイギリスの植民地化されていた、私の姉はマレー半島のシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院で四年間従軍看護婦として働いていた
その病院もイギリスの所属のものだったのである

こうして南アフリカももともとイギリスの植民地であるから英語が話せる黒人がいてイギリスに入ってくる、植民地化した所から宗主国に入ってくる
それもカルマだったともなる、大英帝国がありそれがアフリカでもアジアでも植民地化したことで英語は普及したのである
そういうふうにグロ−バル化とはすでに明治時代以降その前に大航海時代から始まっていたのである、その結果としてウィルスも蔓延したのである
たたその時代は船で世界を移動していたときがあった、すると世界同時にウィルスが拡散されることはなかった
今や飛行機の時代になると世界が同時間に結ばれてウィルスは同時間に拡散されるのである、だからグロ−バル化はウィルスにつくづく弱かったのである

何かこれもカルマなのかと思う、モンゴルはヨ−ロッパまで攻めてネズミを通してペストをばらまいてモンゴル兵自体もペストに感染して撤退した
ウィルスはグロ−バル化して世界が民族が交わる時拡散されるのである
それと交通の発達によって加速されるのである
現代は過剰にグロ−バル化した、その弊害がそちこちに現れているのだ
その最たるものがコロナウィルスでありまた新種のオミクロン株だとなる
現代だとグロ−バル化と交通の発達で世界同時間に拡散されてしまうのである
ヨ−ロッパのドイツの例を書いたが回りが外国にいくつもの国に囲まれている
だからその国境線も長いから防ぎようがないのである

私が電車に乗ってヨ−ロッパを旅していたら

いつの間に国境を越えていた!

車掌が切符みせろというとき国境を越えていたのである
その時まだユーロ―の時代ではない、そのように知らないうちに国境を越えているような社会がヨ−ロッパなのである
それで他国からドイツに通勤している人がいる、そうしたらウィルスの拡散を防ぎようがない、それでドイツはあんなに増えている大きな原因だとなる
島国は日本でも水際作戦ができるがドイツとかではできないのである

岸田首相が世界中の人の入国を拒否した、閉鎖したのは評価する人が多い
それは江戸時代の鎖国にもどれとか外国人はこの際追い出せとか入れるなとか言う
鎖国となるとあまり評価されないが鎖国がすべて悪く作用したとはならない
なぜならその時朝鮮とも中国とも友好的だったからである
それがヨ−ロッパ人が白人がアジアに入って植民地化したとき世界戦争となり分断されてしまったからである

何かグロ−バル化というのはすべていいものとして作用しないことがわかったのである
グロ−バル化とは世界戦争になったことであり衝突が激化することでもある
むしろ鎖国の時は日本は戦争に負けて三百万人も死ぬというようなことがなくてすんだ
グロ−バル化は常に世界が交わりいいことのように思われて推進された
でもそこでも必ず対立が生まれて戦争にもなり多大な犠牲を強いられたのである
確かにグロ−バル化のいい面はあった、貿易とか否定するわけではない
でもそれが度を越したものとなり負の面が増大したのである

そういうことから老子の小国寡民の思想がこうしたグロ−バル化のアンチテーゼとしてすでに二千年前に生まれていたのである、そこに深い示唆があったのである
ただその時中国人の人口は一億人くらいだった、今や十四億にもるなとき二千年前とは比べようがない、一億というとき日本の今の人口である
中国大陸のような広い国でもそこに一億人ということは小国寡民だったのである
だから今の世界はもう人間でもなんでも限界なのである
もうこれ以上経済発展とか人口とか増やせないのである、地球環境が破壊され SDGs(接続可能な社会)になれないのである
グロ−バル化の弊害の方が大きくなってきたのである

そういう時にコロナウィルスが現れたのはもしかしたら神意でありまた易姓革命をうながしているのかもしれない、津波にしても原発が破壊されたのも神意かもしれない
なぜならこのまま原発を作り続けていたら日本自体が崩壊することもありえたからである現実に吉田所長は東北には人が住めなくなると言ったからである
日本に人が住めなくなるということもありえたのである

人間は科学技術で何でもわかったように見える、でも実際はわからないこと未知なことがまだまだある、ウィルスの専門学者が全く何もわかっていないことに驚いた
なぜコロナウィルスが急激に増えてまた減ったのかもその原因も全くわからない
そしたら素人並みだとなる、それは地震学者とも同じだったのである
また経済予測でも株でもわからない、それはグロ−バル化の結果余りにも巨大化してもう全体がどうなっているかなどわかる人がいないからである
それで突然株が暴落したりするのは天災と同じなのである

人間は認識できる範囲は実際は相当に狭い範囲しかできない、自然でも福島県ですらできない、浜通りとかはなんとかできる、相馬藩くらいの規模なら地理でも自然でも一体化できる、アイディンティティ化できる、でも福島県でも広いから会津とは山国であり浜通りとは全然違った風土とり地理にあるから理解できないとなる
いくら一回くらい世界旅行しても世界の地理など知りえようがないのである
人間は現実に実感として理解できるのは狭い範囲なのである、だからどうしてもアメリカとか中国とかは広すぎて理解できないのである本当にグランドキャニオンなどを見たらここが地球なのか別な惑星に来た感じになったからである

いくらグロ−バル化しても世界が情報化しても世界を理解できない
そこに必ず誤解が生まれそこで対立が生まれる、だからグロ−バル化したら世界の人々が理解しあう世界的平和の社会が生まれるということはないのである
むしろ対立が激化して戦争になるしなったのである
例えばこの辺では飯館村の大倉村と佐須村はその距離にしても数キロとかなる、6,7キロくらいしか離れていないかもしれない、それでも民情が違うとして合併しなかったのであるつまり隣村ですら合併することがむずかしいとなる、世界になったらいかに理解しあうことが至難なのかわかるのである、その理解しえないことから戦争が絶え間なく起きてきたのが人間社会だったのである

いづれにしろ国境にしろ関所にしろそういうものが邪魔だとして廃止しろとなっていたがグロ−バル化の邪魔だとなっていたがそれも人間社会にとって有効なものとしてコロナウィルス騒動で認識されたのである、どうしても何か必ず悪いものも入ってくる
そのために福は内、鬼は外になっていたのである、必ず鬼でも入ってくる、それが今回はコロナウィルスだったのである、ただこの鬼は他にもある、中国人であれ今度は日本を侵略するこめに入ってくる、支配するために入ってくる鬼に化するのである
グロ−バル化とはそういう怖い面があったことを認識した、だからコロナウィルスの不思議は神意なのかとも見たのである
神からグロ−バル化を制御する作用だったのかともみたのである

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冬薔薇、霜、山茶花(冠雪の蔵王がはっきり見えたー空家の庭)


冬薔薇、霜、山茶花(冠雪の蔵王がはっきり見えたー空家の庭)

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空家の庭 前の大きな石がいい、大きいので重量感を感じる

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冬薔薇




冬薔薇老女籠もりて田舎に住む


冠雪の蔵王の見ゆや朝晴れて引き締まるかな三県思ふ

冬の朝汽笛の音の遠くよりひびきて霜のおおいけるかな

冬の薔薇数輪咲きて静かにも心ゆくまで我が見ゆるかな

石のみそ残りて空家の庭たずね垣根に椿冬の朝かな

山茶花の石により咲き冬なれや朝の静かに空家の庭見ゆ

駅に待つ一人のあわれ秋の薔薇咲き我が見ゆるかな


蔵王は南相馬市の鹿島区からまで見える、でも海岸の高い所から見えたが別に平地からでも今日ははっきりと見えた、何かこの蔵王は不思議である
蔵王が見えるのがわからない人もいるだろう、今日は冠雪の蔵王がはっきりと朝に見えたでも原町区になると見えないのである
蔵王の見える範囲は確かに山形県と宮城県と福島県から見える
でも福島県でも浜通りでも南相馬市でも鹿島区までであり宮城県でも一部からしか見えない、でも確かに三県から見えるのである
この辺でものたりないのは高い山がない、見えないことなのである
でも蔵王は確かに見えるである

陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

この歌はみちのく全体のことではない、二つに分けるとしたら宮城県と福島県である
でも二つに分けるというものでもない、そんなに大きな山ではない
ただ福島県の一部から宮城県の一部からも見えることである
第一福島県でも吾妻山連峰は見えないからである
だからここから蔵王が見えることは貴重なのである

何か隣の庭も空家でありその庭に入って石の庭を見るのも奇妙である
何かいい庭も人が住んでいないから活きていない、だからもったいないと思う
何か地域の集会所のようにしたらいいかもしれない、とにかく空家が多すぎるのである
ただ所有者がいるから勝手にはできないのも困る

ただその空家でも近くの人が出入りすると活きてくるともなる
ただそれも不法侵入ともなり奇妙なのである、ただ人が住まないとこうして誰かが勝手に入ってくるし利用する人だってでてくる
飯館村などでも空家だらけであり放置しているとそれが誰のものもかわからなくなる
空地でも空家でもそこに放っておくと勝手に利用されても仕方ないとまでなる
なぜならそこが所有者が活かしていないからである
そうなると所有者に権利があるのかとまでなる
ただ将来利用するためにあるのか?そういう空家もあり時々来ては見ている人もいる
でも空家は本当に増えるからその利用をどうするかは所有者だけの問題ではない
実際はみんなの問題にもなるのである

駅に女性が一人電車を待っている、前は話しかけたりしたが今はしない
何か煩いのである、監視カメラで見ていないようで駅の人が見ているからだ
ただこの待つということで駅が人間的空間をかもしだしているのである
高速道路のSAでは何か待つということがない、待つ時間がないのである
だから待つということは人間的な時間を作りだこしていたのである








2021年11月27日

親ガチャでも責任は親はとらない (自分の人生は自分でとらされる−人生を後悔しないために)


親ガチャでも責任は親はとらない

(自分の人生は自分でとらされる−人生を後悔しないために)

親ガチャというとき親によって人生でも決められる、それから逃れることができない
親によって人生の行路が決められる、いい親に生れたらそれだけで人生は楽勝だともなる確かにそういうことは多い、親によって大きな差が生まれる
でもそういうことを言っても人生の責任は自分でとらされる
親に不満であっても親を何やかにやといっても親は子供の人生に責任をとらない
個々の人生の責任は何であれどんな親にもかかわらず自分自身とらされるのである
親の言う通りにして失敗だった、自分の道は他にあったとなっても最後はどうにもならない、ただ後悔だけになる、そういう人も多いだろう

また会社でもこういう会社に勤めているべきでなかったとしてもそうである
それは会社の責任でもないし会社は一切責任などとらないのである
人生の責任は最後は自分でとらされるのである
「あなたの責任でそうなったのです」となる、親どうのこうの会社がどうのうこうの組織団体がどうのこうのと言ってもそうなのである
その人たちは組織でも団体でも個々の人生など考慮していないからである
ただその人の人生など見ていない、人材を見ているのであり材とは全体ではなく何か役立つものとして材になるものとして採用しているだけである
その人の人生がどうのこうのなど関係ないのである

組織団体というとき国家さえそうなのである、国家は個々人の人生に責任をとらない
戦争でわかるように人生を国家のために捧げても地獄の様な苦しみを受けて死んでも国家は責任はとらない、ただ英霊として祀ることはしたがそのことで死んだ人が報えられたかとなるとそれもわからない、20代とか30代で死んだらどんな人でも無念が残るからである、結局国家のために犠牲にされたともなる、別な見方があるにしろとてもその人なり人生があったとしても国家のために犠牲にされたとなる
でもその責任を国家はとらないのである

組織団体というときカルト教団などでもそうである、そういう組織団体に所属して生まれた人がいたとして親がその幹部とかなっているとその人の人生は組織団体を生きるのであり個々人の人生は生きない、そういう人を創価とかで知っている
親が幹部だしそれで議員とかなっていて大学まで出たとかなるからもう経済的にも利益でもあらゆることが一体化しているからその組織団体と身も心も一体化して人生の行路がすでに決められていてそれ意外の道が見えなくなっていたのである
疑問をもつことすらない、宗教を求めることでもない、宗教団体でも宗教を求めないのである、ただ組織団体の権益利益と権力追求しかないのである
ただ親でも家族でももうそこに身も心も捧げているからその外のことは何も見えないのである

そこで宗教に対しての求道心など何もないのである
これも親によって人生の進路が決められていた、でもその人生の責任を親はとらないのである、親は子供を産む、育てる、でも人生の責任は負わないのである
それは別に金持ちの親でも同じなのである
医者の家に生まれたら医者になれとなる、家業を継げとなるが自分は医者に向かない、別な人生を生きたいとしてもできない、でも自分は医者には向いていない別な人生を生きるべきだったとしても後悔しても誰も責任をとらない、自分がとらされるだけなのである

結局人間はなんらか常に責任を負わされている、でも責任はとらないのである
原発事故でも「安全神話」を作った政治家でも官僚でも東電でも何ら責任をとらない
官僚に天下りした検事でも海上自衛隊でも警察官僚でも責任はとらない
ただ法外な金だけをもらっていて返すこともないのである

でも必ず誰かが責任はとらされる

この辺では故郷に住めなくなったということで大きな責任をとらされたのである
戦争では三百万人の国民が死んだのである
戦争責任は誰にあったのか?これもはっきりしないがやはり戦争を決行した人達上層部の人達がいたがその人達の責任ははっきりしないのである
終には天皇に責任があるとして問われたこともあったのである
天皇が戦争を決行することを命令したとされてそうなった

ともかく20代で方向が決まってしまう、20代でいろいろ悩む、でも親がどうのこうのと言っても親が責任をとらない、だから親が悪いとしてもいくらそうだったとしても責任をとるのは自分自身なのである
確かに親は一応飯を食わせていろいろめんどうはみる、でも子どもの人生の責任を全部とることなどないのである、だから親の言いなりにされて自分はそうすべきではなかったとしても親は子供の人生の責任をとらない、とるのは自分自身なのである
だから親ガチャであり自分の一回限りの人生を無駄にしても親は責任をとらない
とらされるのは自分自身なのである、俺は親の言う通りにして失敗だったとしても親は責任をとらない、とらされるのは子供自身なのである

ともかく親ですら確かに一応いろいろ世話はするが子供の人生は親とは別であり子供子供の人生を生きる、親がどういおうと自分の人生は自分自身が決めるとしないと後で後悔する、つまり誰も個々人の人生の責任などとらないからである
とらされるのは自分自身だけである、こうして自分は生きて良かったとなればいいがただ誰かのために親のためにとか組織団体とか会社のためとかに生きて自分自身の無駄にしたとなると後悔する、ただそういう人は多いだろう
だから自分自身の人生を生きることは容易ではないとなる
親に反対されたとかいろいろあってむずかしくなる
生活が第一だとなったりするから親の影響が大きいからそうなる

ただ本当に怖いのは20代で30まで人生の行路が決まってしまうことである
20代で引きこもりになると一生引きこもりになるのも怖いのである
北朝鮮に全日空の飛行機をハイジャックして北朝鮮に渡った赤軍のメンバーは日本に帰ってこれなくなった、そして子供が成人にまでなっていたのである
北朝鮮はその時楽園だとか宣伝されていたのである
そこは実際は地獄だったのである、でも北朝鮮で子供が成人するまで生活して日本には帰れなくなったのである、つまり20代で人生の方向が決まるということが怖いと思った
すでに親によって決められる人生も怖い、そうしてその責任は誰もとらない、親もとらない、自分自身がとらされるだけなのである

そういう自分は特別に親に恵まれて好きなことをしていた、会社に勤めるのもあっていないし引きこもりで自由に好きなことをしていたのである、だから今でも死んでも親に感謝しているのである
このマイナス面も大きかったが好きなことを追求で来たから自分にとって自分の人生を生きたとなるのである
親との確執が何か必ずあっていいのである、それが全くないということ自体問題なのである、それは全く親の言いなりであり親は子供の人生全体まで責任など持たないのである
医者が子供に医者になってもらいたいというのは継いでもらいたいというのは親のエゴであり子供のためではない、子供には子供の人生があるからである
だから親の言いなりになって自分の人生を失うことは後悔するとなる
人間の問題は二回人生を生きられない、一回失敗したからまたやり直すことができないのである、だから30までに人生の方向が決まりほぼ確定してしまうことが怖いのである
それもあっというまに過ぎてしまったとなるからである


2021年11月26日

ヨ−ロッパで感染が増大しているのはなぜか? (国境が長く人が入るのが止められないから・・地理と風土と生態系が関係している)


ヨ−ロッパで感染が増大しているのはなぜか?

(国境が長く人が入るのが止められないから・・地理と風土と生態系が関係している)

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新型コロナワクチン接種が進むドイツで1日5万人の感染発生 
5つの原因と日本人が知っておくこと
https://www.youtube.com/watch?v=89bWaba8VDY

近隣国で感染者増えるとその人達が国境を越えて入ってくるから増える
また近隣国でワクチンをしない人が多いから増えるともなる
つまり一国だけでは国境線はいくつも接していて長いから入国することを防げないのである、そこに大陸の国の問題がある、管理しきれないとういことである




なぜヨ−ロッパとかでコロナウィルスの感染者が増加して死者も増えているのか?
この理由は何なのか?それは一つではない、複合的理由がある
ただその一つとして大陸のヨ−ロッパの国境線が長いことである
それを指摘している医者のyoutubeは納得がいく
なぜなら国境線が長いから必ずどこからか別な国から入りやすいからである
それを止めることができない、日本のように台湾でもニュージランドでも水際作戦で入国者をとめるようにできない、そこで日本がこんなに感染者をおさえられたのかとなる

疫病は必ず人から人へうつる、するとどうしても人が密集して移動する都市部は感染者がふえる、それはまた交通と関係していた
日本だと長崎から入り北前船で新潟に入り阿賀野川が交通となって今の会津の城のある
会津若松に感染が広がったからである
そして桧枝岐は交通で隔離されて秘境となり感染者はなかったのである

大陸だと国境線があってもないと同じである、それで異民族の遊牧民のモンゴルとか侵入しないように万里長城を作った、都市は城壁で囲んでいた、国という時そうした城壁で囲んだ中が国であった、そこから出ると安全は保障できなかったのである
大陸では国境線があったとしても破られる、異民族が侵入してくる
それが戦争ともなり時代が変わる、様々な民族が常に移動して興亡を繰り返しているのはそのためである、つまり国境線がないに等しいし移動することが戦争にもなる
今でも大量の移民がおしよせるとそういう状態になる、もう侵入を防ぐために殺すほかないとなる、いくら人道が人権を重んじろとういっても移民によって国家が成り立たなくなり破壊されてしまう

ただなぜヨ−ロッパであんなにまだコロナウィルスが増えて死者も増えているのか?
その理由も明確にはわからない、国境はやはりどうしても越えられる、そこで人から人へうつるのだからとめられないとなっているのか?
だからEUでは国境をなくして自由に出入りするようにしたがそれが裏目に出た
人間にとって関所とか国境とかは必要だったともなる
それは疫病に対しては有効だった、江戸時代が関所だらけだったというときそれがすべて悪いものではなく疫病に対しては有効だったとなる
だから一見モノでも人でも事由に行き来するのがいいというグロ−バル化も裏目になった最近ではグロ−バル化の負の面が大きくなっていたのである
要するに人間社会では必ず何事いい面と悪い面プラスとマイナスが生れる
全部いい方向に働かないのである

人間が住むということもそれぞれの地理とか風土にあったものとして長い時間をかけて作っている、第一ウィルスはもともとそうして人間が交流しなければある一地域に閉じ込められていて広がらなかった
なぜならモンゴル帝国がネズミを媒介としてペストをヨ−ロッパに広めたとかありモンゴル自体疫病が流行してもうヨ−ロッパから撤退したとされる
それぞれの風土とか生態系が必ず影響している
その生態系を無視すると災いが生まれる、原発もそうだった、アメリカでは西海岸には地震が多いから作らなかった、そして東側に作ったのだがそこで竜巻があり地下に電源を置いた、でもそれを日本でまねて地下に電源を置いて津波で電源喪失になり大惨事になったつまり生態系とか風土を考慮しないからそうなったのである
なんらか技術も生態系と融合しないと危険だとなっていたのである
つまり数学の公式のようなものが世界に通用するとはならない、生態系風土が違っているからそうなる

国境線というのは何か人為的な人工的なものもあるが地理的な境界線にもなっている
福島県でも阿武隈山脈高原で中通りとさえぎられている、その壁は太古から変わらないのである、そのために中通りと福島市とかと一体感をもちにくいのである
むしろ仙台市の方が一体感を地理的にはもつのである
だから選挙区でも福島市と一体になっていても一体感を感じないのである

ともかくコロナウィルスは疫病として医学の問題でもあったがいろいろな問題を提起した地理とかも深く関係していた、この世に起きることは総合的なものとして起きる
原発事故だって放射線だけではないありとあらゆることが問題になったのである
そのことを私は追求してきたのである、理系が主なのものではなく文系でも深く関係していたのである、文系の力も必要だったのである
コロナウィルスでもそうだった、第一専門家が何か感染者がなぜ増えたのかとかなぜ急激に減ったのかとか皆目わからなかったというのもそうである
こんなに専門家がわからないのかと現代の科学がそんなものだったのかとも見た
だから専門家でも頼りないらないものだとつくづく思った
地震の予知でもそうである、それはただ素人とたいして変わらないものだったのである
何でもわかっているように見えてもわからないことが未だに多いというこ

地理とか風土とかに私が関心があり原発事故でもコロナウィルスでも深く関係していた
この世に起きることは総合的なものであり理系だけでは解決しないということである
まず地理とか地形とか風土とか天候が境界線になる
それは自然の定めたものであり変えることはできない、大陸だと川が境界線になった
ライン河がそうである、そこを渡ることが簡単ではないから境界線になって別の国として発展したのである、自然条件によって境界線ができるのは地理と風土が影響するからである

何か古代史でも地理とか風土が境界線になる、それでこの辺を歌った万葉集の真野の草原(かやはら)の歌がどうも風土的天候的境界線だったからだと思うようになった
なぜなら車輪梅の自生地となっている南限の地としてあったて天気でも地形でもそういう地理と風土がありここが大和王権から見ると南限の地でありその奥は未開の地とされたということもあるからだ、それはローマ帝国にとってライン河が境界線となりそこを越えることができなかった、ゲルマン人の住んでいる地域でありそこに強固な国がすでに作られていたからである

とにかく世界には何か国ができるとき地理とか風土とか深く関係している
それを無視することはできない、でもグロ−バル化ではそうした生態系とか風土とかを無視する傾向がある、経済的なものを利益を優先して無視する、そこに問題が起きる
だから日本でも中国人がはじめて日本に来たとき注目したのが魏志倭人伝で牛馬羊がいないということだったのである、まさにここに日本の風土と地理の特徴があったとなる
日本は海産物を食料とする特殊な地理と風土にあったからである
走して海に囲まれて縄文時代から一万とか暮らしてきた民族でありアイディンティティを形成して来た国なのである

だからそういうふうに長い年月で地理と風土から形成されたものがありそれが文化でありそれを無視して人間はありえないのである
だからこそグロ−バル化すること経済的に世界を均一に見ること均一にすることは問題なのである、文化は多様性だからである、ウィルスにしても風土と地理と関係していて
生態系と関係していてある一地域に限定されて発生する
それが交通が発達したりすると伝染してゆくとなる
グロ−バル化すると余計にそうなる、そうしてアメリカ大陸でも南アメリカでインカでもマヤでも伝染病で多数しんだとかある、インディアンでもそうである
それで地理とか風土とか生態系と境界線とかを無視することは危険なのである
それが閉鎖的だともなるがその利点もあった
グロ−バル化の負の面が増大してコロナウィルスで歯止がかかったということはやはりそこに自然の作用がありそうしたとなるのである




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2021年11月25日

家を継ぐことの意味 (家が継がれずに失われるものー代を重ねて豊かになる)


家を継ぐことの意味

(家が継がれずに失われるものー代を重ねて豊かになる)

継いでほしいと思う具体物(不動産、家業)については、以前より廃れていっているかもしれないが、抽象物つまり家名や想いというものは、決して廃れてはいない。むしろ、以前よりも比重が置かれ、重要になってきていると考えられる。不動産や家業といった具体物が継ぎにくくなる中で、唯一先祖からの「つながり」を感じられるものだからではないだろうか。また、何も継いでもらえなかった人びとも、最期を迎える場所を故郷に選ぶということで、子に「気持ち」を託し、「継いでもらった」実感を得ようとしているのではないかとも考えられる。

人びとが「継ぐべき」と考える対象が変化しても、子に「継いでほしい」という気持ち
「見えないもの」は「ないもの」ではない。「家」の継承が法律で規定されなくなっても自分の育ってきたイエに対する「気持ち」は、なくなるわけではないのである。「イエ」を継ぐということは即ち、イエを代々継いできた人々の連なりを後世にも伝えていこうとすることであり、その想いを投影する手段として家屋や土地、家業を継続させようとしているのではないだろうか
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家族が全部死んで死者のことを思うようになり毎日家に向かって見ている
でも死後十年とかなると抽象的なものになる
あれほど親しく毎日食事てもしていたのにそれも何か遠いものになってしまうことに驚く自分の場合特殊な家族環境でそうなった
60歳までも親二人と一緒に生活していたからである
そして親には自由に生かされたので感謝している、30年引きこもりでも何も言われなかった、自由に生きなさいとなっていただけであったからだ
引きこもりだと親に殺されることも事件としてあったからだ

家に対して強い思いを持っているのは長男であり長女になる、特に長男は家の跡継ぎとして特別待遇されていた、それは農業だと土地を受け継ぐことや生業を受け継ぐことでそうなっていた、誰かがその土地を受け継ぎ生業を受け継ぐ生活をしていたからである
江戸時代なら侍は家を継がないと生活できなかった
跡継ぎがいないと禄をもらえなかったからである
すると長男が大事になる、ただ家を継ぐことは生活を維持することだから養子をもらって受け継ぐことでも良かったのである
だから侍でも養子になっている人が結構いるのである、かえって養子が優秀な人がいて
商家でもそう優秀な人と娘がいたら結婚させたり養子をもらっていたのである

ただ天皇家となると養子はもらえない万世一系となり今でもそれにこだわっている
でもそんなに血縁としてつづくとは思えないのである
だから明治天皇は血縁と関係なく作られたものだというのも信じられるのである
別に天皇の血が継続されることではせない、天皇というのは日本を家としたとき必要だからつづいているのである、養子でもいいともなる
これには反対する人がいるけど侍でも養子をもらって家を継続していたのだからかまわないとも考える
ユダヤ人でなければ信仰を受け継げないというのはキリストが生まれてから万民のものとなった、天皇というのは何かというとき二千年とか皇統がつづいたことであり血縁がつづいたということではないと思う

そもそも歴史とは何かというとき家の歴史なのである
聖書でも家の歴史でありその家を通じて神のことがエホバのことが伝えられたのである
代々の家の歴史なのである、祖先から受け継がれた歴史なのである
だから人間が歴史を意識するのは家なのである
それが古い家だと歴史を意識しやすいとなる、ヨ−ロッパを支配したのがハウスブルク家というときもそうである、ハウス(家)と城だからである
城という時具体的なものでありそこで家を受け継ぐ城を受け継ぐといことで歴史を意識するのである
私の家でも再三言っているが父親と姉と母が作った家が残っているからその具体的なものから歴史を意識する
父親は酒屋の丁稚であり双葉の新山で酒屋に勤めて暖簾分けしてここに住んだ
その土地はいい土地ではなかった、それで二回も洪水にあり被害が大きかったのである
この街で一番低い土地だったのである、でも苦労してやっとこの土地を手に入れたとなるつまりそういう苦労の上に家が建てられ自分が住んでいるということなのである
今でも低い土地だから道路から水があふれて家の中に二回も入ってきたのである

歴史を実感する時、まず家のことなのである、だから古い家は何代も続いている家は歴史を意識しやすいのである、天皇家に生まれたらその家そのものが日本の歴史になっているからだ
家が代々続くことはやはり何かその家に家運がありとか継がれるべきものがあり残っているともなる
母親の実家がなぜあのように墓があってももう墓参りしている人は一人しかいない
その人も異常な人であり常識すらもない人間なのかと思う人になっていた
ただその家を継ぐ人が3百万もらって墓参りしているだけなのである
母親の実家のことをいろいろ書いたがそれは後妻が入ってきて乱れてしまった
母は継母が来ていじめられたとか家自体が乱れ一人は別に墓を作った
何か墓自体が分離するように生前から争い分離していた不和分裂の家でありそれが子孫にも受け継がれていたのである

だからその子孫でもばらばらになったともなる
だから家もなくなったし墓だけが残ったがそれも一人だけでありその一人もここに住んでいない、だからいづれは墓は捨てられる、無縁化することは見えている
そもそも受け継いだ人が普通の人ではないからである
それもやはり母親の実家は様々に乱れた結果だと思う
私の家は一見確かに普通ではないし乱れているように見えてもそうではなかった
女性二人でも父が死んだあと二人は協力して家を守って来たからである
確かに常に争っていたにしろ家を守るということで争いながらも協力していたのである
母親の実家は家は守れずばらばらになってしまったのである

とにかく一軒一軒の家に歴史がある、でも現代は家を継ぐことがむずかしくなっている
いろいろ事情で江戸時代のように土地を受け継いだり生業を受け継いだりできない
でもそうなると何か代々伝わるものが伝えられないということがある
人間は歴史が大事だというとき長い年月で積み重ねられたものがありそれは知識でも知恵でもそうであり徳でもそうであり目に見えないものも精神的なものも受け継がれている
それが家訓だったりする、信仰でもそうである
受け継ぐべきものがありそれがなくなると人間は軽薄なものとなってしまうだろう
歴史に重みがあるのはそうして代々受け継がれたものがありそれが文化ともなっているからだ

先祖が今も生きるというとき何か受け継ぐものがあって生きるとなる
ただ人間は家族であっても死んで十年もすぎると何か抽象的存在となり忘れる
でも具体的に家でも残っているとそこで家を意識しやすいのである
歴史でもヨ−ロッパなどは石として残っているから二千年前のローマ帝国でも何か具体的なものとして歴史を意識して継承しやすいのである
でも日本では木の家だから歴史を意識しにくい、木だともう30年とかで古くなり使えなくなるとかなり30年ごとに伊勢神宮では神の社を建て替えるからである

人間はとても一代では栄えない、また一代では何か重みあるものは作れない、知恵も生れない、何か常に歴史から学び継承するものがあって人間は生きる
その具体的なものとして家があり家を継ぐということで先祖でも意識するのである
ただそういうことができたのはやはり江戸時代とか戦前でも農業中心だったからだともなる、農業は代々土地を受け継ぐ生業があったからである
それで原発事故では生業を奪ったということで返せとなり裁判になったのである
でも現代では農業中心の社会ではないからそれも何かぴんと来なくなっていたのである

今や家を継ぐ人がいない、墓も継ぐ人がいない、結婚するにしても遠くの人と結婚して娘が出て行く、田舎でも外国人と結婚していた人が二人いたとか地元に残る人は少ない
少子高齢化でますます跡を継ぐ人がいなくなっているのだ
だから空家が膨大に増えるのである、将来は二千万軒になるというのもそうである
すると家を継ぐということはめずらしいことにもなる
そこで失われるものも大きいとなる、現実に原発事故では故郷自体住めなくなる空家だらけでありゴーストタウンになったからである
町や村自体は受け継ぐ人がなく廃墟と化したのである
一軒の家のことではない町や村自体が受け継ぐ者がなく廃墟化したのである
このことは本当に大損失だったとなる、何か伝えられた貴重なものが失われたということである

自分の場合特殊な家庭環境で家にひきこもりで30年間いた、だから奇妙になるが家に就職して郷土に就職したともなる、それで家のことを語り郷土のことを語り歴史を語るとなる、ただ家の重みは三代以上くらいつづかないとないかもしれない
というのは農家では三代つづかないと農家として認められないとかなるのもそうである
農家は江戸時代からつづいている家もあるからだ、農業中心の時代だったらそうなるのである、今は農業中心ではないからそういうこともなくなったのである
何か一代くらいで家業でも終わり継続しないからである
そうなると家の重みもなくなる、歴史も感じにくくなる、それも問題となる

SDGs(持続可能な開発目標)というのもそうである、継続することが重んじられる社会となるとやはり家でも代々つづくことが望まれるとなる
これはストックを重んじる社会である、ストックというと農業的第一次産業の社会である大地があり自然があり実りがあり継続されてストックされる、一方フローになる社会がある、現代はフローになる社会だとなる、グロ−バル化で世界的フロー物流でも情報でもフローになったからである
ただこれからはストック的社会になる、もちろんフローにもなるがストックを基本とした社会に変化する、なるべく地域的にストックしてゆく社会である
人間とは常に何かをストックしてゆく、それが次の代に受け継がれてゆくのである
だから家でも代々つづかないとストックされない、そこで何か積み重なられたものがないから豊かになりにくいのである、そのストックする最小の基本の単位が家なのである
そのストックしたものを活かして次代が豊になるということである


家を継ぐ者

人生七〇数余年
家を継ぎて二代目や
何か受け継ぐ我が一人
遺影に向かいて今日もあり
代を重ねて栄あれ
受け継ぐもののあるべし
陸奥に死になむ命かな
故郷の土ともならむ命かな
菊を挿しし墓を守りぬ
庭の石に散りにし木の葉や
石こそ重く礎なりしも
冬の日静穏に我が家に籠もり
死者を想いて代を継ぐなれ
そもただ一人なりしも

電動自転車の修理は簡単にできない (都会と田舎の差があった-都会と田舎の差)


電動自転車の修理は簡単にできない

(都会と田舎の差があった-都会と田舎の差)

ヤマハの高価な電動自転車でチェーンがはずれた、それを直そうとしたができない
何か簡単に直せない所にうまい具合に入ってしまったのである
前は自力で直せていたからである、それで自転車屋に頼んだが今度は工具がないとか
それが入るために二週間以上かかるとなった
何か簡単に直せないものになった

電動自転車と電気系統とかなると簡単に直せない、でも幸い近くでそうなったから良かった、8キロ歩いて帰ることができたからである
もし遠くだったらどうにもならなくなった、それをイメージしたとき怖かった
第一マウンテンバイクだったらチェーンとかはずれたら困る
悪路を行くのだから本当は簡単にチェーンをはずれるように作ってならない
そこで動けなくなったらどうにもならなくなる

前にもエンジン部分をそっくり取り換えることがあった、電動自転車は簡単に直せない
だから通販はできない、必ず何か故障があるからだ
普通の自転車なら大丈夫である、なんとか直せるからである
ただ困ったのは通販だと自転車屋では受け付けない、金にならないから受け付けないのも困る、それで折り畳みの電動自転車を買おうとしてもヤマハでは売っていない
外国製でいいものが出ていても通販で買えても後のアフターサービスがない
すると怖くて買えないとなる、仙台市ですら売ってなかったからである
ここに田舎と東京とかの差がある
第一隣の街まで行って直してもらったりできないから困る
自分の住んでいる街では一軒しか自転車屋がないからだ、それはヤマハの専門店である
だからヤマハは今回のように故障しても連絡して直せることができる
他はできないのである

とにかく一軒しか自転車屋がないとしたら貴重になる
その一軒がなくなったら本当に困ったことになる、でもいづれなくなるかもしれない
跡継ぎがいないからである、普通の自転車だとさほど困らないが電動自転車だとなると簡単に直せないから困る
まず電気系統が壊れたら直せない、すると高いものだから損失が大きい
一万くらいの町だと足りないものがある
弁当屋がないことが苦しい、スーパーだけだと足りないからだ

都会と田舎の格差はある、でもかなり解消した、インタ−ネットでどんな本でも買える
情報でもいろいろアクセスできる、youtubeで無料で大学の講義すら受けられる
すると田舎でも知識的には格差がなくなった
でも依然としてこうした技術的な面になるとまだ格差がある
特に外国製のものは買えない、自転車は買えない、アフターサービスがないからである
それが安ければいいが高くなると大きな損失になるから買えないのである

最近はチェーンがない自転車とかパンクしないタイヤとかがでている
こういう最先端のものが入らないのも困る
どうしても田舎だと技術的な面では遅れるのである
そして田舎で困るのは移住するにもその人にあった仕事がないというのもわかる
多様な仕事がないし知識的な仕事もまれである、それで仕事が無いから移住しにくい
ただテレワークになりスキルをもった人は移住しやすくなったとはなる
でも田舎だと自転車は景色のいいところをいつでもサイクリングできる
街だって混んでいないから事故になりにくいのである
それで移住してきた若い女性が飯館村の方に行くとかサイクリングを楽しんでいたのである
私はまさに自転車人生であり自転車で好きなように走り回っていたのである
そして今度のヤマハのYPJ-XCは優れものであり楽だから遠く行けるのである
そうでないと倍の力が必要であり年取ると行けない、これだとまだ遠く行けるのである
ただチェーンがはずれたら簡単に直せないというのが弱点だった
どうも作り方でそうなることがあったということである

2021年11月24日

運が決める成功、財産も金運も運 (松下幸之助は「人間90%は運命」と考えていた)


運が決める成功、財産も金運も運

(松下幸之助は「人間90%は運命」と考えていた)

fortune 運、幸運にもこと、幸運、果報、繁栄、成功、出世、運勢、(将来の)運命、富

わしは運命が100%とは言っておらん。90%やと。実は、残りの10%が人間にとっては大切だということや

電気屋の仕事をやるにしても、わしがもし大阪でない別のところにいたらどうであったか。電車を見ることもなかったから、電気の仕事をやろうと、ひらめくこともなかったやろうな。たまたま大阪の街におった。特にとりたてて力のない平凡なわしが、一応仕事だけでも成功したということを思えば、なおさらのことやな。

松下幸之助というとき特別な優秀な人で成功したとみるのが普通である
でも違っていた、こういうことを言い残したのは自分は運が良かったなと一生をふりかえり思ったからである
成功した人と金持ちになっている人を見るといい、どうして金持ちになったのか?
そこに運が大きく作用しているのである
第一生まれた家とか場所とか才能とかでも親から受け継がれる、すると親とか生まれた場所とかで相当な差が生まれる
教育格差は都会に生まれた人と田舎に生まれた人ですでに相当な差がある
田舎だともう学校で公立しかないし決められている、洗濯の余地はないからだ
その後でも知識習得の格差があった

田舎だとまず専門的な本など置いていない、図書館にしてもたいしたものではない
まず田舎だと本すら買えなかったのである、そしたらどうして勉強するのかとなる
それで一週間に一回とか仙台市に行って本を買うほかなかった
でも仙台市でも本は限られたものしかなかった
インタ−ネットでこんなに本があることに古本をふくめてあることに驚いた
書店に置いてある本は都会でも何万分の一でもない、百万分の一くらいしか置いていないかったのかと見る、それほど本は多かったのである
もしそうして自由に本を選び読んでいたら専門家になれていたとなる
ここからして格差があったから都会に住む者と田舎に住む者では住む場所で差が生まれていた

ただだからといって田舎がすべて損になるとはならない、田舎では自然と日々接するから感性が磨かれる、例えば俳句などでも四季があり季語を感覚的に実感的に覚えるには田舎の方がいいのである、私の場合はそうしてたいして才能もないのに時間があり家に恵まれて自由に生かされるたからできた、引きこもりであったが家族に責められることもなく30年間過ごした、このマイナス面も大きかったがプラスの面も大きかったのである

何か運が作用している時具体的な例になると誰かが死ぬと誰かに運が回ってくる
これは確かなことなのである、ある人が親しい男性の妻が死んだ結果として嫌だった夫と離婚した、そして親しい男性の妻が死んだのでその家に自由に出入りしたのである
また自分の家に来たのも私の家族が全部死んだからである
もし家族がいたらその人と付き合う必要もなかったのである
そもそも私が生まれたのは母親が前の夫が事故で死んで後妻に来たためである
その時子供がいたけど連れ子になり自分の家でいい待遇をしなかったのである
その後集団就職して結婚したがそこでうまくいかず交通事故で死んだのである
そのことで私は悪いと兄の墓を墓を作り墓参りしているのである

誰かの不幸が幸福になり誰かが死ぬと誰かの運が良くなるというのも確かである
それを猫を飼ってわかった、最初飼った猫はどこかに帰えて帰らない、死んだのである
一か月くらい帰らないで尻尾をいたずらして焼かれた不運があった
でも帰ってきて世話していたのである、その猫はなれていた、でも死んだのである
次になぜ今の猫に餌をやっているのか?
それは前も来ていた、でも餌は飼っている猫にしかやらなかった
でも飼っている猫のを餌を奪いとりにきていたのである
それで追い出していたのである、そのたなのか、その黒い猫はずっと餌をやっいるがなれないのである

でも自分としてもなぜ餌をやっているのか?

その猫がかわいいということでもない、何か一人になって淋しいということがあり餌をやっている、でも家にはあげないから飼っているとはいえない
汚れるので家の中には入れないのである、でも窓から顔を出すので餌をやっている
今日は安かったカツオのさしみまで与えた、それは特別安いものだったからである
でもぜいたくだと思った、前の猫にもそうして少しは分けていたのである

こういうことは自分自身で何か同情するとかでもない、たまたま来ていて自分が淋しいとかあり猫が来たなとなり与えている、その猫は今まで家に来た時は追い出していたのである、だからなれないのかと思う
要するにこれも全く運なのである
運はめぐってゆく、恵みはめぐるであり回ってゆくのである
金は天下の回り物というときもそうである、金は必ず一か所にとどまらない、めぐってゆく恵みとなるのである、ある地域で金持ちが豊かな人がいるときその土地になんらかもたらす恵みがありそれが地域にめぐってゆくのである
最初は一家族でも全体に及んでくるのである
何か特産物が作りだすというとき最初は篤農家がいてその土地にあったものを作りだす
それを回りの者もまねて豊かになるということがあるからだ

それはあくまでも運なのである、だから成功した人自体が松下幸之助ですらそう思ったというので運がいかに作用しているかわかる
高度成長時代は誰でも成功する率が高かった、私の家で商売を始めたとき何もない、店でもただ品物を並べるだけであり品物を置くだけで売れた、物がない時代だったからであるそしてたまたま角にあって場所が良くて売れたのである
その頃近間にしか店がない時代だったからである
私の家では別に商才などなかった、むしろ母親などは商売に向いていない、内向的な人だったからである、だから一時的でも栄えたのは時代と運だったのである
今になるとこんな商売などできないし小さな店はスーパーなどができてみんななくなったからである
何か成功することは時代と運だとなる

結婚にしても運が作用する、その女性は二人と結婚して離婚した、相手が悪かったから貧乏だった、それは運が回ってこなかっただけだともなる
容姿が悪いということもある、でも美人が不幸になっているというときか必ずしも生まれつきですべてが決まる訳でもないのである
何か結婚でもめぐりあわせがあり運がつきまとっているのである
何か何でも平等にしようとする共産主義とか社会主義とかが失敗したのは人間の運命とかを無視しているからである
平等を追求してい行くと不平等になるのはそのためである
みんな個性を違うし生まれた親も違うし家族でも違うし生まれた場所も違うしといろいろな相違がすでにあって生まれてくるからである
そもそもそれを平等にすることはできないのである、かえって平等にすれば不平等になるのである
ただ教育とかは平等にして国で金を出して人材を育てるべきだとなる

人間は運から運命から宿命から逃れられない、必ずいいことがあっても悪いことがある
悪いカルマがどんな家にも人にもありそれで苦しむことになる
私は特別恵まれていても最後は親の介護でそれも二人もいたから自分自身も病気になり死ぬ思いした、それも結局特別恵まれた結果だったのである
金持でも恵まれていても必ずカルマを積んでいるから後年にそのカルマが苦しみとなって現れるのである

運というとめぐりあわせも運なのである、結婚も運だともなる、たまたま出会って結ばれる、何かその出合いも運だとなる、なぜあの人は不細工な男なのに美人と結婚しているのかとなる、でもその人の出合いがそうしたのである、たまたま出会ったことによりそうなった、出合いでも何回もわるわけではない、その出合うチャンスは限られた時間しかない普通は30歳まででありその後男女が出合い結婚することはむずかしくなるからだ
つまり結婚するチャンスもその時が限られていて短いのである

だから人間はどこで運がめぐってくるかわからない、本当にわからない、秀吉でも信長の側にいなければ天下をとることはできなかった
仕える人とか会社とかでも作用する、つまり自分がいくら才能があったとしても運がないと成功しないというのはそのためである
時代にもよる、高度成長時代は誰でも何もない所から始まり成功しやすかったからだ
今は事業するにしても簡単に成功などしないのである
日本全体が落ち込んでいるからである、つまり自分だけの力だけでは成功しない
成功とは結局運だという時、その成功は自分だけで作ったものではないということを考慮する必要がある、謙虚になる必要がある
まさに生んだという時自分の力ではないだ、ただ十パーセントは自分の努力とか才能とかで成功するとなる

いづれにしろ運はどこでめぐってくるかわからない、日本の経済でも将来がわからないのは国際情勢でも変わるからである、そこで日本全体の運も変わる、するとまた成功しやすくなる、運とか常に変化しやすいのである
だから栄える家でも地域でも国でも変わる、そして不運が必ずありそれでこの辺のように原発で栄えたがもう住めなくなり悲惨な結果にもなる
でも原発で財を成した人はこの辺で多いのである
だから何が富をもたらするのか運をもたらすのかはわからない、いいと思ったものが悪くもなる、運命は反転する、だから栄えた家でもみんなながつづきしないのである
中国が15、6年であんなに発展するとは思わなかったからだ

では運を良くしようとする時どうするのかとなるとそれを人為的に作り出すことはできない、運命がありどんなし親から生まれるからを選ぶこともできないからである
それで親ガチャになる、それに不満でもどうにもならない、その運命の下で運がめぐってくることを待つほかないともなる
ただ10パーセントは運ではないのだから努力もしておけとなるのである
ただいくら努力しても成功するとは限らないのである
ただ時間だけは平等に与えられている、その時間が極めて限られているのである
そして人生ではこの時間を一番みんな無駄にしているのである
そこで運命にかかわらず大きな差が生まれているともなる
時間を活かした人はやはり最後にその人なりの成功があるとなる

ともかく運が90パーセントだと松下幸之助すら言っているのだから自分自身の力だけではどうにならない、そして結局人間自体が人間の社会をどうにかできるものでもない
人間自身自分自身すらどうにもならないのである
人間がいくら努力しても全能の神にはなれない、そこに人間の限界があり神に頼らざるをえないのである、最終的に人間の運命を決めるのは決めることができるのは人間ではない神なのである

2021年11月23日

春の日に佐須村から小国村へ


春の日に佐須村から小国村へ

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春の日に佐須から峠を下り行く人がいた
そこは峠でありかなたに山雪の吾妻連峰が見えた
その道を下ると行合道に出る、人が行合う所なので名付けられた
春の日に佐須村の人達が行合道に出て来た

「久しぶりでここに出て来たな」
「歩くとなると遠いよ、わしも年取って歩くのは楽じゃない」
「小国はまだ遠いよ」
「坂を下るから楽だけど帰りは苦しいな」
「小国に着くのが楽しみだ」

春の日がぽかぽかとさしていた
佐須の人達は長い坂を下って行った
見入り石とは石がありその石に見入ったから名がついた
途中見入り石とかあり石戸村とを通り過ぎて小国に着いた
そこには小国川が流れ開けた平な土地が広がっていた
あたたかい春の日がさしてスミレが咲き蝶が飛び始めていた
「ここは小国だ、いい所だ、広い平地があり田畑も広く気持ちいい
ここでは桃や梨でもとれる、長い冬が終わり春になった」
こんなふうに佐須村の人々は言って楽しんでいた
それから知り合いの家によった

「佐須村の人達あがんなされ、お茶でも飲みなされ」
「ありがとうよ」
「遠いところからまた来てくれたな」

そこでもてなされて話しがはずんだ、そこは近いようでも車がない時代は歩くほかないから遠かったのである
こうして一時小国で休んで帰ることになった
「帰りは楽じゃねえな」
「延々と坂を上らなきゃな」
「年とると疲れるよ」
途中には店もないし茶屋もなかった
そこでおにぎりを食べてなんとか腹こしらえして上って行った
そしてようやく自分の村についた
「いや、疲れたな」
「本当に小国は遠かった、疲れたよ」
「でも楽しかったな」
「ううん、また行きたいな」
「これからあたたかくなるから行けるよ」
「また行くのが楽しみだな」

こうして峠があり人々はなかなか歩く時代は互いに行き交うことがむずかしかった
だから人々は峠を越えて向こうの国に憧れた、ここでは小国だった
また小国の人達も佐須村に来ることが楽しみだったのだ
でもやはり峠があるからなかなか来れなかったのである

また一人の旅人がやってきた,バスでやってきた

はるか峠を越えて
小国によりぬ
スミレや春の花が咲き
春の陽ざしが心地よい
ぽっかり春の雲も浮き
蝶も飛びはじめ
小国に一時よる
旅人は去りしも
その小国の名の心に残りぬ
いつの日かまたか行かむ
遠き小国よ、幸いの国よ
春の日にさそわれ行かむ

旅人はバス停でおりて一時よった、でもまた遠くへと去った
今はバスは通っていない、ただバス停は残されている
今はバスは廃止されているのが多い、みんな車で行くからだ
福島中央道ができてもう相馬市と福島市は最速30分でも結ばれているからだ
福島市と相馬市は遠かった、電車だと岩沼で乗り換えるからさらに遠かった
車を持っている人と持っていない人の差は大きい、小国でも近くても遠いのである
日本全国に小国という地名が多い、そこは狭い所でも一つの国だった
国だからその中で一応生活できるものがあった
またそうせざるを得なかった、車もないから簡単に遠くに行けないからである
歩いて行くほかなかったからである、それで近くでも遠い国となっていたのである

旅人は雪に埋もれた青森の奥の方にパスを乗り継いで行った、トンネルを通る奥にやはり小国があった、そこは本当に奥であり閉ざされていた、そこも小国だったのである
そこで雪に閉ざされたら昔は物を運べない、閉ざされた雪の中で暮らすほかない、厳しい冬を小国でまかない暮らすほかない、それで何かたりないたりないと言っていては暮らしてはいけない、そこにあるものでしのぐほかなかったのである


posted by 老鶯 at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 童話

相馬市から霊山町までの地名の旅 (簡単な案内と説明)


相馬市から霊山町までの地名の旅

(簡単な案内と説明)



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霊山町の犬飼(犬養)

宇多川をさかのぼると川は丸森の方へ行くのと玉野村の方へ行くのとに分かれる
玉野村は昔の伊達藩と相馬藩の境である
それで次のような歌が残されている

伊達は伊達政宗の領地であり

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に実は伊達に

伊達藩と相馬藩は戦国時代に争っていたが江戸時代になると戦争をやめて仲良くしたからこういう歌が生まれた、互いに繁栄しようとなったのである

玉野村には「若木神社」がある、これは疫病の神であり疫病は恐れられていた
玉野村は境なので特にここで疫病をもってくる人がいると怖いから神社に祈っていたとなる、とにかく昨今のコロナウィルスのことで疫病の怖さを経験した
昔から人間は疫病で苦しんでいた、だから各地に疫病を防ぐための神社がある
その頃は神様に祈る他なかったからである
そして疫病を防ぐ唯一の方法は他の藩からでも人が入って来ないようにすることだったのだ、疫病は人から人へとうつるからである

ここから伊達藩だけど相馬藩はもともと中村藩でありここと中村街道でもありこの細い道がそうなのだ、ここを行けば古い碑が残っていて元禄時代のもある
中村街道はもともと保原の方に行っていた
玉野村を過ぎると八木平とかありこれは姓名なのである、八木氏でありこれは海洋民の安曇氏と同じ系統のものであり飯館村へ行く八木沢峠の八木も八木氏なのである
この道筋にも山津見神社が残されていて飯館村の佐須の山津見神社がその本元になる
それから霊山町に入ると犬飼(いぬかい)というバス停が残っている
犬飼は古いものであり次に犬養となった、これも安曇氏系統の海洋民の一族なのである
海を渡ってきた外国人だとなる、その人たちがここに住みついたので八木平という地名になった、犬養も同じである

霊山の上り口に行合道とありここで人が行き逢った、出合うことからこの名がある
それは飯館村の佐須峠がありそこをおりてこの道で出ると出合うとなる
佐須村の人に聞いたら霊山町の方が親しいというのも近いからそうなる
昔は車もないので歩くのでなかなか山で暮らしていてもそこから遠くへ行くことが簡単にできない、それでそうした閉ざされた山の村から出て人と出合うことは喜びだったとなるなかなか他村のものと出合いなかいからである

霊山町へ出ると石戸という村がある、地名として見入り石とかある、この石の由来は良く分からないが特別な石でみんなが見入ったからこの名がついたらしい、石戸村というのはこの石から生まれたのかもしれない
地名には何かいわれがあり名付けられたからだ

福島中央道のトンネルの所に庄司淵はあるのはこれは佐藤庄司から来ているのだろう

奥州路で最初の義経ゆかりの地です。佐藤庄司とは、
源頼朝の平泉攻めの際、それを防いで戦った藤原秀衡の郎党です。

これは有名な話である、佐藤氏とはこの辺で多いがこの佐藤氏系統の一族が相馬地方に広がった、庄司と姓の人もいるからだ、佐藤氏は有力な氏族としてこの辺で支配していたからである、相馬市の磯部村に佐藤氏の館があり相馬の道の駅の鬼越館は佐藤氏の館であるあと中村街道を相馬市の方に下ると塩手山の麓の二軒も佐藤氏であり佐藤氏一族が中村街道を通って広がっていたのである

佐藤氏⇒庄司淵⇒塩手山の二軒の家⇒磯部の佐藤氏

それから霊山町に入ると力持ちとかの地名がある、力持ちとはなぜついたのか?
各土に比べ石とかあり昔の人は機械がないから力仕事が多いから力持ちの人は村にとって大事な人でありなくてはならない人になっていたのだ
そこで力持ちという地名にもなった

それから小国という地名があるがこれは日本全国にある地名である
ここに小国町があり小国城があり小国川があった
小国とはそこが人の住む小さな国ということである

ここに春の日にバスできて一時下りたことがあった
その時は春だった、春の日がさしてスミレなどが咲いていた
ただ一時ではあるがその小国という地名を覚えていたのだ

こうして地名をたどれば何かそこに謂れがありその地名の謂れは古い、古代にさかのぼるのである、地名から遠い昔を知ることができるのだ
この道は今は福島中央道ができて車が通らない、まるで旧道になり車も通らなくなって
サイクリング道路のようになってしまった
道が変わるとその道沿いも変わる、何か廃屋が空家が増えた、車も通らないとやはりさびれる、ただ自転車で行くのにはいい、車が通らないだ
すいすいと行けるからだ、でもここの旧道は他の旧道とは違う、車が一日数台くらいしか通らない、だから不思議になる
交通によってこんなふうに変わってしまうのも驚きである

他にも相馬市から山上に入ると紙漉沢とかありまた霊山町に楮という地名がありこれは紙漉きの材料となるから紙漉きが行われていたので地名化した
その頃紙漉きはきれいな水が必要なので山から流れるきれいな水を使って紙を作っていたのである、それで地名化した
ただ地名は古代にもさかのぼり古いのである


春の日に佐須村から小国村へ(童話)

2021年11月22日

紅葉、冬薔薇、冬の雨(石に散る木の葉―黒い猫―写生俳句)


紅葉、冬薔薇、冬の雨(石に散る木の葉―黒い猫―写生俳句)

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石に散る木の葉や今朝の小雨ぬる

紅葉散る石や朝の小雨ぬる


我が隣空家の庭の淋しかも誰かありなむ冬の薔薇咲く

冬の薔薇しとと雨ぬれ我が庭や一匹の猫住みつきぬ

冬の雨しととふりにき石ぬれて家にすみつく黒き猫かな


今日は冬の雨である、しとしとふっている、木の葉が一枚庭の石に散っていて雨が濡らす何か不思議なのは隣の庭を自分の庭のように見ていることである
それは空家になったから余計にそうなのである
毎日その庭の中に入って見ている、空家なのだから持ち主を知っているけどとがめられることはない、何か庭でも誰かがいて欲しいとみる
これも不思議な感じになる
家でも庭でも主がいなくなったときそこは空洞化する
だから誰かがいて欲しいとなる、隣だから自分の庭の延長のようにも見てしまうのである

今回も会津の城前団地が廃墟化したのをyoutubeで見た、これは城前とあるごとく街の
中心部なのである、前は東山温泉が廃墟化したのを見た、また飯坂温泉でも見た
温泉が廃墟化している、温泉は数回しか泊まっていない、高いから泊まっていない
そもそも温泉は旅の宿としてふさわしくないのだ
自転車とかで疲れたからといって泊まりにくいのである
何か今の宿は保養であり温泉にひたりうまいものを食べるとなる
それで温泉で退屈してしまうのである、温泉街というのは高度成長時代の遺物になってしまったのである、その時社員旅行や団体旅行が盛んであり温泉街がにぎわっていたのである、そういう時代が終わったということである
ただ外国人旅行者が温泉に来ていたときは良かった、これもコロナウィルスで来なくなりもたなくなった
とにかく旅はその行程にありその行程を車で飛ばして行くだけとなるとかえってつまらなくなる、現代には旅がなくなったのである

黒い猫が庭に来る、前飼っていた猫は出て行って帰らなくなった
それでこの黒い猫に餌をやっている、ただこの猫は本当に慣れない、餌をやりつづけても触らせたりさせないし逃げる、だからかわいげがないとなる
でもこうして餌くれと窓に顔出すのがかわいいのである
家の中に入れると汚れるので入れないがこうして毎日この黒い猫は来ているのである


2021年11月21日

増大する老人の医療費に介護費用 (その負担が下の世代の社会全体の重圧に・・・・)


 増大する老人の医療費に介護費用

 (その負担が下の世代の社会全体の重圧に・・・・)

 高齢者(70歳以上)の医療費は医療保険分で6852億円と前年度比806億円(13.3%)増、国民健康保険分で3兆3159億円と同1779億円(5.7%)増となっている。

   財源別でみると、公費が16兆9807億円で全体の38.3%を占める。このうち国庫は11兆2963億円で25.4%、地方自治体の負担は5兆6844億円で12.8%となっている。
   
   
近くで知っている人は糖尿病であり介護士がきてしょっちゅう医者に行っていてそれも検査費とかで結構な金がかかる、保険でもそんなに金がかかるのとなる
85歳くらいにてっているからだんだん弱って死んでゆくにしてもその期間が結構長いのである、ただ不思議なのは一年前は普通にしていたのに死んだ人もいる
一か月くらい前に元気な姿を見たのに入院したら死んだ人もいる
死ぬ人は簡単に死ぬが死なない人はなかなか死なないと見る
ガンになってから十年でも仕事している人がいる、そんなに長くガンでも仕事できるのかとなる

ただ点滴してしている、首辺りに点滴の跡を見たから点滴する場所がなくてそうなったらしい、自分も点滴していたからそうなるのがわかる
でも今は老人でも病気になってもなかなか死なない人が多い、手厚い治療をするからそうなるし医療でも進んでいるからである
まずガンだったらそんなに長く生きないと思うし糖尿病はわからないにしてもこれもなかなか死なない病気なのかもしれない、そして時々世話している女性も70過ぎていていつも腰が痛いとかとても介護などできない、軽い世話などはできる
でもその人からはわずかの金しかもらえない、医者にかかるから払えないと言っている
その世話する人も息子一人を頼っても金はもらえない、というのは親が施設に入っていて備品とかで金がかかっているからだ、またそれほど収入が多くないからである

そもそも生活保護になればみんないいとかいうが生活保護自体もう成り立たなくなるかもしれない、その女性にしても4万とか国民年金もらっているがあとは5000円とか医療費とか住宅代は無料にしても暮らしていいけないから必ず電気、ガス、水道、携帯代が払えないとなる、その負担がこっちに回ってきたりする

ますます老人の医療費、福祉費が増大して負担しきれなくなる!

こういう近未来が見えてきている、生活保護になればいいというが二万くらいしかもらえないとか試算が就職氷河期の人達に対して言われている
生活保護がすべての解決にはならない、老人の医療費と福祉費は増大する一方であり
2025問題は深刻になる、団塊の世代が75歳以上になるとどうしても介護状態になる人も増えて来る、それでなくてもやはり医療費は増大する
氷河期世代は人口が多い、でも収入は少ない、それで親の負担がかかってくる
それからすぐに自分たちの老後の金が問題になる、老後をまかなう金がないのである

それで老人の老々介護が問題になる

11月17日、大阪市平野区の住宅型老人ホームで、この施設で夜勤中だった職員の榊真希子さん(68)が受付で頭から血を流して亡くなっているのが見つかり、駐車場では入居者の男性(72)が死亡していました

職員が68歳で介護された人が72歳である、何らか68歳で働かざるを得ない状態にありこの事件が起きた、老々介護になる人も増えて来る、家族でも子供たちでもめんどうみきれないとなり老夫婦で老々介護になる、それも現代を象徴している
そして共倒れにもなる、それだけ少子高齢化は様々な問題を引き起こし事件になるしなっている、これからも増大するばかりである
もう国がこうして高齢化で財政ももたなくなる、限界に来る、今の氷河期世代は老後になっても年金二万とかなり生活保護も受けられない!
そしたらどうなるのか?その恐怖はもう目の前に迫っているのだ
誰かに頼れればいいのだが頼れない人はどうなるのか?
犯罪でも増えて来る、すでに老人の犯罪は十倍にもなっているし自分も被害者になった
何か将来にいい展望は見えないのである

それでアフガニスタンで家賃が払えないで洞窟に住んでいる人を見た
燃料もなく枯草を拾い、水がないのでやっと水を遠くから運びそれを煮て飲む
干ばつがつづいて食料がとれない、子供で餓死するとかその数も多いのに驚く
ただ戦後焼野原からの日本もこれと似ていた
水がないので近くの井戸水をもらっていた、それで自分もバケツで運んでいた
燃料は炭であり風呂はバタで残った木材の切れ端とかである
それは無料でもらっていた、洗濯は裏の堀の水でしていた
だからその暮らしをイメージはできる、人間の原始的な生活なのである
乾燥地帯はゴミとかでもなげても乾燥するからいい、日本だと湿気が多いからゴミを簡単に投げられないのである、乾かないからである

ともかく日本に明るい未来を描けない、その原因が高齢化社会にある
戦後は子供が多かった、食べ物すらないのにどうして子供があんなに多かったのか不思議だとなる、脱脂粉乳とかアメリカからもらってしのいでいた
でも子供が多いということは実は明るい未来があったとなる
そしてちょうどうまい具合に高度成長時代になりその団塊の世代などの子どもたちが成長しても吸収できたのである
その団塊の世代が75以上になる、2025問題が生まれる、それが社会全体の重圧となり
日本が経済的に衰退しているときと重なり相当に苦しいものとなる
その解決方法がない、確実に医療費はますます増大するし介護費用も増大する
そういものに金をかけていたら他の物に金をかけられない、何か世界で競争することに投資もできないとなる
結局団塊の世代が高度成長では数が多くても力となったが逆に人口が多いので負担になってきた、それが社会全体の重圧となる、一人一人の問題ではない、社会全体がその重圧に苦しむ、それは氷河期世代が老後になるとさらに苦しくなる
それは十年とかに二十年でなるから目前の問題なのである

短日、冬の日、晩菊、冬の菊、葉牡丹(自転車故障で原町から歩く) (歩いて見る風景が新鮮)


短日、冬の日、晩菊、冬の菊、葉牡丹(自転車故障で原町から歩く)

(歩いて見る風景が新鮮)

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ここはいつも見ていたけど歩いて見た感じは違っていたのである
歩くということはやはり地についているとかなり見え方も違ってくるのである



木の根っこここに残りて冬に入る

冬の蝶一羽見つけ今日も暮る

短日や二里ほど歩み帰りけり

短日や二里ほど歩む原町に

晩菊や二里ほど歩む里の道

庭広く竹伸び映ゆる紅葉かな

墓地あわれ歩み来たりて残る菊

前畑に野菜の実り冬の菊

紫と白の葉牡丹前畑に

蔵ありて葉牡丹大きく農家かな

葉牡丹や大柄な女農家の出

長き道一人歩いて冬薊

冬の日や一坂越えて次の町

前畑に野菜実るや冬の菊

冬日さし体に熱気馬走る

蟻一匹冬の日に出て我も歩む

夕陽さし赤さを増しぬ紅葉かな


誰が眠る桜井古墳冬の日やここに鎮まり始祖ともなりぬ

公園に樹々の静かやヘンチあり冬の日さして我が座るかな


自転車が故障した、自分で直せなかった、チェーンがはずれたのである
普通なら直せるがこの自転車が直せなかった
自転車は故障すると歩くほかなくなるから大変である、幸い原町は二里ほど8キロくらいだから歩いて戻ることができた

ただそのことで歩いたら見る風景が違っていた、それで俳句ができた
人間は歩いてみる風景と自転車で見る風景は違う、自転車で見えないものが見えた
ましてやバイクと車になるとほとんど回りを見ないで突っ走るだけになる
通り過ぎるごたけになる、現代に旅がなくなったというとき歩くことがなくなったからである
旅とは歩きながら物に感じることである、風景と一体化することである
車でもバイクでも何か風景を切り裂く感じになる
自然と風景と一体化するものではないのだ

私は旅を日本なら隈なくしたとしても歩いた旅をしていないから本当に旅したとはならないのである、ただ歩く旅となると現代は相当に苦労になる、どうしても国道を行くことになりすると車の洪水の中を行くからいくら歩くとしても車のない時代とは違う

車がない所を歩くと人間回復になる

それを感じたのは相馬市から玉野村から霊山へ行く道である、中央高速道ができたので
車が全く通らないのである、それでその道が不思議だった、サイクリングロードのようになったからである、まさに江戸時代の街道になった、中村街道というものがあったからそこに戻ったとなる

現代に失われたものがいろいろあるが旅もその一つである、現代ほど移動している時代もなけいから旅をしていると思っているがしていないのである
旅とは本来は歩く旅だったからである、第一歩くこと自体が失われているのだ
歩くことが新鮮な経験になっているのが現代である
現代では歩く旅となると得難い経験になる、でも自分自身でも歩いた旅はしていなのである
だから近くでもは歩いてみると見えないものが見えて来る、ただ歩くことは容易ではない国道は歩いても車の洪水にのみこまれてしまうからだ

ともかく文明が発達して機械文明になると必ず何か失われたものが生まれてそれをなつかしむとかとりもどそうとする、その反動が生まれる、当然東京とから地方へ住みたいという人も増えてくる、人間の五感をとりもどそうとする、旅がなくなったというとき本当の旅をしたいとなり歩く旅をする人もまれにいる
今は旅はない、温泉に泊まって休養するとかはある、でも旅は近くでも歩くと旅になるのである、田舎だったらそうなる、ただ温泉で休養するのはつまらないとなる
ある短い区間でも歩くということを経験することでも旅になる
ただ車でもバイクでも通り過ぎるだけでは経験として残らない、ただ走るという快感だけである、それは後に記憶として残らないのである

秋の暮歩いて去りし人思ふ

上り来て峠の茶屋や秋の暮

2021年11月20日

なぜ南相馬市と相馬市に綿津見神社と山津見神社が多いのか?(1ー前編) ( 八木沢峠ー八木平ー犬養(犬飼)(いぬかい)は姓名であり安曇氏と同族だった)


なぜ南相馬市と相馬市に綿津見神社と山津見神社が多いのか?(1ー前編)

( 八木沢峠ー八木平ー犬養(犬飼)(いぬかい)は姓名であり安曇氏と同族だった)

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八木沢峠
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犬養⇒犬飼(霊山町)

●古事記の神話を作ったのは海人族の安曇氏などである

名前にワタツミとつく神を祖神としている氏族は、阿曇連に限らず、安曇宿禰、海犬養、凡海連、凡海連といった海人の氏族がいる(『新撰姓氏録』)。ワタツミの神が海人の諸氏族によって広範囲にわたって信仰されていたことがうかがわれる。

践祚大嘗祭において阿曇氏が神膳奉仕の職掌を担っていることの由来を物語るものと捉える説もある。また、綿津見神が火遠理命に娘の二柱の神を献上する話は、山(地上)を支配する大山津見神が天孫・邇々芸命に娘の二柱の神を献上する話と対応しており、この二つの神話は、山(地上)と海との両者の呪力あるいは統治の権威が、天孫に併合されることを示す構想に基づくものと解されている。
http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/watatsuminokami/

水の底で身体を洗ったときに生まれた神が底津綿津身神(ソコツワタツミノカミ)。次に底筒之男命(ソコツツノオノミコト)。
中ほどで成った神が中津綿津身神(ナカツワタツミノカミ)。次に中筒之男命(ナカツツノオノミコト)。
水の上のほうで身体を洗ったときに生まれた神が上津綿津身神(ウワツワタツミノカミ)。次に上筒之男命(ウワツツノオノミコト)。

ワダツミ神の宮殿へ
(塩椎神は言いました)
「わたしが今から、この船を押して流します。
しばらくそのまま進んで行ってください。
味し御路(良い海流?)があり、その海流に乗って行けば、
魚の鱗(ウロコ)のように家を並べた宮殿があります。
それは綿津見神(ワダツミ神)の宮殿です……
https://nihonsinwa.com/page/1827.html

伊邪那岐命と伊邪那美命の二人は引き続き神をお生みになります。

風の神、名は志那都比古神(シナツヒコの神)をお生みになり、
次に木の神、名は久久能智神(ククノチの神)をお生みになり、
次に山の神、名は大山津見神(オホヤマツミの神)をお生みになり、
次に野の神、名は鹿屋野比賣神(カヤノヒメの神)をお生みになられました。

鹿屋野比賣神は、草の神です。名前の通り「萱」を神格化したものと思われます。「萱」は、油分を含むので水をはじきます。そして軽い。屋根の材料として便利な植物です

鳥飼、鵜飼、馬飼などの地名は、大和朝廷の時代に朝廷が飼っている動物の世話役が住んでいた所。当時の犬は愛玩用では無く警備のためだった。鳥飼とは愛玩用の白鳥を飼うこと。

 大王の身辺の警備をする豪族を門号氏族(もんごうしぞく)と言い、大伴氏などの武芸に秀でた豪族が努めた。門号氏族のなかに、三系統の犬飼の家が見られ、県(あがた)犬養氏、稚(わか)犬養氏、海(あま)犬養氏である。

 六世紀には朝廷は諸国に犬飼部をおかせた。これは諸国の皇室領地の屯倉の警備のため。奈良時代のはじめに朝廷の犬養は廃止。

古代豪族の八木氏は安曇氏と同族

海人族、海洋民族が渡ってきて日本の国造りの神話を作った
国生み神話などでもいかに海洋民が作ったか明確である

底津綿津身神(ソコツワタツミノカミ)。次に底筒之男命(ソコツツノオノミコト)。
中ほどで成った神が中津綿津身神(ナカツワタツミノカミ)。次に中筒之男命(ナカツツノオノミコト)。
水の上のほうで身体を洗ったときに生まれた神が上津綿津身神(ウワツワタツミノカミ)。次に上筒之男命(ウワツツノオノミコト)。



海の底を三つに分ける発想は海の中に潜り海の産物をとって生活していたからこそであるここには現実体験から生まれた生々しいものがあるからだ

海人族が海洋民がこうした径路で広がり日本に定着した、島伝いに来たことを示している小さな島を産んだというのはやはり島伝いに渡ってきた海人族だったからである
この海人族は世界に広げると世界の海岸沿いを渡ってきたともなる
陸の海岸沿いを渡りめぐりめぐって日本まで来たとなる
それは雄大な発想になるが海岸沿いだったら船で渡って行ける、そこに大きな川があるとその川を上って行く、長江とかなるとその上はチベットとかなるのである
山岳民族がいるとしたらまず海から川を上って定着したとなる
つまり海は古代では道であり川も道なのである
なぜなら古代では鬱蒼としたジャングルとか森でおおわれていて道がなかったからだ
だから海を道として川を道として渡る人々、海人族が海洋民が世界に広がったのである

●霊山町の八木ー犬養(犬飼)の地名は安曇族の関係である

大王の身辺の警備をする豪族を門号氏族(もんごうしぞく)と言い、大伴氏などの武芸に秀でた豪族が努めた。門号氏族のなかに、三系統の犬飼の家が見られ、県(あがた)犬養氏、稚(わか)犬養氏、海(あま)犬養氏である。

 六世紀には朝廷は諸国に犬飼部をおかせた。これは諸国の皇室領地の屯倉の警備のため奈良時代のはじめに朝廷の犬養は廃止

古代豪族の八木氏は安曇氏と同族

川が道にっていたという時真野川をさかのぼって行った海人族がいる、その径路に海人族が定着した、なぜなら栃窪村に山津見神社があり山の方に行くと山津見神社になる
宇多川沿いの山にも山津見神社が隠れるようにしてあった、それは小さい社である
鳥居だけあって隠されるように山津見の神の社があった
真野川をさかのぼる終点に山津見神社がありここは有名である
でも綿津見神社も飯館村にありこれは対になっている神社である

だから不思議だったのは松川浦に山津見という地名があり和田という地名がある
なぜここで二つが地名化しているのか?ここが海人族の上陸地点だったからである
なかなか地名になるのは記念となる場所であり地名の起源は古代にさかのぼることが多いからだ
綿津見神社が多いのは南相馬市の原町区と小高にもあるし相馬市にもある

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この図で福島県の綿津見神社は南相馬市と相馬市が大半である、何かもっと多い感じがする、とにかくここも綿津見神社なのかと神社を見ると実感的に多いからである
山津見神社は山の方に行くと多いのである
もう一つ注意すべきは静岡県が多いのである、そして桜井古墳の発掘された物に静岡県由来のものがある



ヤマトタケルが駿河で敵に欺かれ野原に連れ出されて焼き討ちにあうが、火打ち石で向火をつけて難を逃れたとする有名な説話である。欺かれたことを知ったヤマトタケルは、敵を焼き滅ぼしたので、この地が「焼津」」とよばれたことや、身につけていた剣が自然に鞘から抜け、草を薙ぎ払ったので、その剣を「草薙」と名付けた地名起源説話を
伝えている。



この説話は焼畑と関係している、野を焼き払うとか焼畑をイメージさせるからである
ヤマトタケルの伝説には安曇族の海人族が船で渡って入植したことから生まれている
古事記でももともと安曇族の海人族が作ったものであるからそもを基にヤマトタケルの神話が作られたのである
焼畑というとき海人族がもたらした農耕技術であったからだ
飯館村の佐須が焼畑地名だというのもそうである

この松川浦から霊山への道で重要なのは一族の姓が地名化していることである
なぜこれが重要かとなると安曇族が来たとしてその姓もないし伝承すらないのである
ただやたら神社だけが残されていて海人族のことが不明になったからである
神社にしてもただ神社だけがあり伝承がないからである
おそらく安曇氏の後継として犬養(いぬかい)氏がいて八木氏がいてそれが地名化した
犬養は間違いないのである、犬を飼うということも一つの技術であり羊とか馬とか家畜化するのと似ている

●安曇氏系統の犬養氏と八木氏の探求


八木沢神社ヤギサワジンジャ
新町の観音様
挿絵
全国
秋田の神社・寺院
横手市
御祭神※
大山祇命オオヤマヅミノミコ

駅から歩いて5分ほどの場所に八木沢神社がある。「帆船女神像の里」とも言われる神社だ。航海練習船の帆船日本丸の船首像「藍青(らんじょう)」と、姉妹船の海王丸の「紺青(こんじょう)」は、境内にあったご神木のケヤキが使われている。
https://www.asahi.com/articles/ASM2V52WWM2VUTIL02T.html

阿曇犬養連は、「海神大和多罪(おおわたつみ)命の三世孫(みつぎのひこ)、穂己都久
(ほこつく)命の後なり」

阿曇氏の発祥の地

筑前国糟屋郡安曇郷(福岡市東区和白・福岡県粕屋郡新宮町あたり)、志珂郷(福岡市東区
志賀島)を中心とした地域

式内名神大社志加海(しかわた)神社があり、神職は阿曇氏

安曇氏族の系列

阿曇連(あずみのむらじ)(または阿曇宿禰)
海犬養連(あまのいぬかいむらじ
凡海連(おおしあまのむらじ)
八木造(やぎのみやつこ)
阿曇犬養連(あづみのいぬかいのむらじ)

日本書紀によると「蘇我馬子宿禰大臣、諸皇子(もろもろのみこたち)と群臣(まえつきみ
たち)とに勧めて、物部守屋大連を滅ぼさむことを謀る」とある。
589 年(当時の蝦夷との勢力関係において安曇氏は登場しない)
http://azuminorekishi.sakura.ne.jp/siryou.pdf

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大阪府岸和田市中井町

夜疑(やぎ)神社であり当て字でありこの字の方が古いのかもしれない、夜疑⇒八木になった

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、当地は『倭名類聚抄』にある和泉国和泉郡の「八木郷」と推定され、当地に居住した「八木氏」が祖神を祀ったのが当社であると考えられています。

『新撰姓氏録』右京神別に和多罪豊玉彦命の子、布留多摩乃命の後裔であるという「八木造」が登載されており、和泉国には見えないもののこの氏族が当社を奉斎したものと思われます。

八木氏の祖神であり当社の御祭神である「布留多摩命」は海神である豊玉彦命の子であり、豊玉姫命と兄弟姉妹の関係にあたります。このことから八木氏は、同様に豊玉彦命を祖とする海人族「安曇氏」と同族であることが示唆されています。

『倭名類聚抄』にある和泉国和泉郡の「掃守郷」は「八木郷」に隣接していたと見られ、かつて掃守郷の氏神だった「兵主神社」(西之内町に鎮座)には境内社に豊玉姫命が祀られています。
https://jun-yu-roku.com/izumi-minami-nakai-yagi/

安曇族

477 右京 神別 地祇 安曇宿祢 宿祢   海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也
478 右京 神別 地祇 海犬養     海神綿積命之後也     236
479 右京 神別 地祇 凡海連 連   同神男穂高見命之後也     236
678 河内国 神別 地祇 安曇連 連   綿積神命児穂高見命之後也
611 摂津国 神別 地祇 阿曇犬養連 連   海神大和多羅命三世孫穂己都久命之後也  
610 摂津国 神別 地祇 凡海連 連 安曇宿祢同祖 綿積命六世孫小栲梨命之後也

宗像族

476 右京 神別 地祇 宗形朝臣 朝臣 大神朝臣同祖 吾田片隅命之後也     235
677 河内国 神別 地祇 宗形君     大国主命六世孫吾田片隅命之後也

素盞鳴尊八世孫、和邇君の租神。大国主神の六世の孫裔ともいう
宗像三女神の七代孫とする説もあり、 「新撰姓氏録」では「宗形朝臣、大神朝臣同祖、吾田片隅命之後也」とあり、宗形朝臣の祖。大神朝臣の祖。

阿雲犬養・倉海の息子は、穂高神社社家となっていて信州にいる

河内国には安曇氏族の八木造か゛いたことか゛分かっている。八木造は新撰姓氏録によると「和多罪豊玉彦命の児の布留多摩乃命の後」とあり、安曇氏の一族とされている。八木氏は河内国和泉郡八木郷(現 在の岸和田市八木地区)を本拠地としていたとのことて゛ある。この地域に式内社て゛ある夜疑(やき゛)神社 か゛あり、主祭神は布留多摩命て゛ある。布留多摩命は綿津見命の次男て゛あり、八木氏は安曇氏の一族と考 えて良いと思われる。しかし八木氏と安曇氏の関係は詳細不明て゛ある。また淡路島の八木村か゛八木氏の 故地て゛あるという説もある
http://www.tokyox.matrix.jp/forum/discussion/407/%E5%AE%89%E6%9B%87-%E7%B6%BF%E6%B4%A5%E8%A6%8B-%E5%BF%97%E8%B3%80%E6%B5%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE

安曇氏族の系列
  阿曇連(あずみのむらじ)(または阿曇宿禰)
  海犬養連(あまのいぬかいむらじ)
  凡海連(おおしあまのむらじ)
  八木造(やぎのみやつこ)
  阿曇犬養連(あづみのいぬかいのむらじ)
  
安曇族が移住した地とされる場所は、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として残されており、安曇が語源とされる地名は九州から瀬戸内海を経由し近畿に達し、更に三河国の渥美郡(渥美半島、古名は飽海郡)や飽海川(あくみがわ、豊川の古名)、伊豆半島の熱海、最北端となる飽海郡(あくみぐん)は出羽国北部(山形県)に達する。

C長門国(安曇族)
  下関市安園町富任 長門国豊浦團五十長凡海我孫2
  大津郡向津具村 八木家所有の畑地から有柄銅剣
  
  子市上安曇(かみあづま)・下安曇(しもあずま)
和名抄に會見郡安曇郷の記載あり、現在でもその地名が残る。
近隣には式内社宗像神社、高良神社があり、九州との関連が考えられる遺跡も散在する。
また上安曇には楽楽福神社があり、当社は鉄との関連が深い神社であることから、安曇氏と産鉄との関係も考慮できるかもしれない。
  http://houki.yonago-kodaisi.com/F-BG-azumi.html
  
安曇族は2〜3世紀の物部東征とともに大和へ進出。やがて物部の力が衰退して神功皇后の時代になると、安曇氏も新権力のもとで朝廷に服従する側にまわったと考えられます。綿津見三神が住吉三神という呼び名に変わったことがそれを象徴しているように思います。

安曇氏は朝廷に仕えながら各地の海人族を統率していましたが、401年に安曇連浜子が天皇暗殺を謀った罪によりその地位を追われます。律令時代には天皇の食事を司る内膳司長官を務め、また660年頃に安曇比羅夫が水軍を率いて百済救援へ向かい、白村江の戦いで戦死。その後安曇氏は中央から消えていきまし


その古墳時代の前期後半(4世紀頃)
に「大和」を支配したのは、弥生終末期に(2世紀後半)、「前方後方墳勢力」、すなわち「ワニ族」によって
駆逐された「奴国系倭人」、すなわち「安曇族集団」であったということである?!その「安曇族集団」が、「大
和」(と朝鮮半島南部)で蘇ったということか?!穿った見方かもしれないが、それが、例の「物部氏」、すなわ
ち、「日神(太陽)信仰」の「饒速日集団」であったのではないか?!そうとも、思われるのである?!

祭神が「木花咲耶姫」(伊予大三島の「大山祇神社」の祭神「大山積(祇)命」の子?)である
「富士山本宮浅間せんげん大社」等は、その「和邇氏(族)」の、東方への進出の事績
http://www.gakuyou.jp/doumotosan/sisakubannimukete2-7.pdf

この「倭国」ですが、一般には「安曇(あずみ)氏」といわれる日本列島先住民である縄文海人族で、「磐余彦(イワレヒコ)」、すなわち、のちの「神武天皇」の出身母体である氏族ですが、後に「磐井の乱」を起こして大和朝と対立した地方支国です。

環太平洋文明圏縄文王国(安曇氏)→後期縄文王国(和田橘氏)→弥生時代
(海部氏・徐福系物部氏、邪馬台国)→大和朝廷(応神以降、秦氏)。

前期縄文王家の安曇氏の中

核は、後に東北側の寒冷化に伴い、列島の中心で黒曜石が取れ、自然の恵み豊
かな土地だった諏訪に隠れた。これが、国譲りに於いて、タケミナカタが諏訪
に追いやられたこととして暗示されている。
http://g-village.net/iyasaka369/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%B5%B7%E4%BA%BA%E3%81%A8%E5
%BC%A5%E7%94%9F%E6%B5%B7%E4%BA%BA.pdf

安曇族は熊襲、隼人、宗像、出雲、阿蘇多氏と血縁であろう。さらに秦氏、尾張氏、多氏、中臣氏、物部氏とも海運業の上で提携していたであろう。
天武朝の役人ともなった。阿曇連が記録に見える。右京神別。宿禰。
また同じ宿禰に海犬養連(あまいぬかいむらじ)、凡海(おほしあま)連がいる。
海犬養連はおそらく隼人である。隼人は出自として証せないので安曇氏を名乗った
http://www.oct-net.ne.jp/hatahata/azumino.html

和邇氏の実際の始祖は和邇日子押人命だと思われ(孝昭天皇後裔は後世の仮冒)、元々の姓は「鰐積」(安曇、穂積、出雲積などと同じ)だったと思われます。だからこそ、春日臣から和邇を名乗る者が出たのだと思います。「鰐」をシンボルとする海神系の氏族集団でしたので、本来は安曇同族で、綿津見豊玉彦が遠祖であったはずです。

まず、海の民は「まっすぐ伸びた巨木」を求めていたということだ。もちろん、木を刳(く)り抜いて船(丸木舟)を造るためだ。また、海の民は山を目印に航海をした(山アテ)ので、山の神を大切に祀ってきた。

海人族はこの辰砂を始め鉄や銅などの産出地を見極める技術や冶金術(鉱物から金属を取り出し精製する技術)をもっていたと考えられます。安曇の祖は穂高見命またの名を宇都志日金析命とあり、金カネの字があてられています。後裔の凡海氏はその冶金の技術を買われて陸奥国に派遣されています。
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/11146489

『新撰姓氏録』によれば、和多罪豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)の児神、布留多摩乃命(ふるたまのみこと)の後裔とされる。一族の始祖は布留多摩命の孫で、椎根津彦とは兄弟関係にある八玉彦命。

やぎ神社

「八木」の氏名(うじな)は河内国和泉郡(後に和泉国和泉郡)八木郷(現大阪府岸和田市八木地区)の地名に基づくとされるが、現奈良県橿原市八木町に八木寺(廃寺)があり、その創建は奈良時代に遡るものと見られるので、これを八木氏の氏寺と見て同地一帯に一族が蟠踞した可能性を説く説もある。また、一族で東大寺の写経生であった八木宮主が氏神の祭りを理由に休暇を請うた記録が『正倉院文書』に残されており、この氏神を鴨大神(現高鴨神社)と見て、その鎮座地である大和国葛上郡(現奈良県御所市)及びその南隣の同国宇智郡(現同県五條市)に住した一族がいた可能性も指摘されている。




安曇氏は早い時期に歴史から消えた、それは謎であるがこの辺では伝承もなく何も伝えられていない

しかし地名がその歴史を記していた、飯館村に行く八木沢峠とか霊山の八木平とか犬養は安曇氏と同族であり姓名だった、古代には姓名がそのまま地名化することがある
安曇は長野県で安曇として地名を残している
ただ南相馬市とか相馬市では安曇氏の関連は見いだせないがその後続として同族の八木氏とか犬養氏がこの辺に移住して農業などにたづさわっていたのである
明確なのは松川浦に山津見神社があり和田があるこの和田は綿津見(わたつみ)のことである、つまりそこが上陸地点だったことがわかる、そこから宇多川を上り玉野に出て
霊山町まで行った、途中に八木平があり霊山を越えると犬養がある
佐須までは真野川をさかのぼり行った、途中の栃窪村に山津見神社があり大倉に山津見神社がある、また原町の方から八木沢峠がありこれは八木氏と関係していて名付けられた
地形地名とは違っていたのである

ともかくなぜこれほど綿津見神社神社や山津見神社が多いのにこのことが見逃されていたそれは安曇氏とかの歴史が途絶えたからである、そして神社だけは伝承もなくこの辺に多く残されたのである
つまり神社だけが歴史の証拠として残されていたのである
そして地名が歴史の証拠であった、その外に解明する方法がないのである

2021年11月19日

短日、枯菊、冬の蝶、冬薔薇(冬に入る)


短日、枯菊、冬の蝶、冬薔薇(冬に入る)

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枯菊に日さしあたたか朽ちてゆく

短日に昔を語る老二人

短日や人の出会いも一時や

冬の蝶舞い別れて今日暮れぬ

冬の蝶一つ見つけて近間かな

巣籠や近間を回り冬に入る

一枚の広葉の散りぬ家の前

我が庭にいとしむ静か冬薔薇

我が庭の闇のつつみぬ冬薔薇


枯菊とは何を意味しているのか?老人とか病人なのである、枯れてゆくからである
でも日がさしてあたたかいというとき死ぬときも何かあたたかく見守られて楽に死にたいとなる

冬という時、老人に逢っているのた、春は夏は青春であり秋は壮年とか老いに入る時期だとなる、50代はまだ秋なのである、60過ぎると老いに入るとなる
ただ現代では本当の老いは80代くらいになるかもしれない、十年くらいは年齢を引いてみないと現代に合わないのである

冬の蝶を見た、何かはかないとなる、人の出会いでも何か本当に老人になると不思議である、何であっていたのだろうとか人間は簡単に別れて二度と合わないのだとつくづく思うさよならだけが人生だというのが実感としてわかる
人間は生まれたら逢うとなるが最後は人間はただ別れるだけだったとなる
これが一番意外なことだったのである、人間はなんのために逢っているのかもわからないとなる

俳句とか短歌でも短くても常に時代をその社会を反映したものとなる
コロナウィルスの巣籠りというのもそうである
その影響は今もつづいているからだ、そしてこの社会状況がわからなくなる
降る雪や明治は遠くなりにけり・・草田男とかなる、一時代が過ぎるとその時代のことがわからなくなるのだ
その時代がわからないと歴史でも文学でも理解できなくなるのだ
戦争の時代があってもその時代を雰囲気を知ることは不可能になる
それが外国だとさらに歴史でもわからなくなる、時代の雰囲気というのはその時代に生きていないとわからないのである

飯館になお鳴きひびく残る虫

この俳句でも今の飯館村を反映している、原発事故で荒れ果ててしまったけど人も住まなくなったけどそこに残り住んでいる老人もいる、それがまさに残る虫なのである

冬薔薇が闇に隠れる、でもその薔薇を私は見ている、その冬薔薇は自分自身だともなる
家の前の道路に大きな葉が散った、家の前だからその大きな葉が心にしみる
それは近くで人が死んだということに通じている
78歳くらいで近くの人が最近死んだからである
ともかく冬に入り冬もいい、老人には冬があっているのかもしれない
ただ老人でも何かある程度の金銭的にも余裕がないと老後は悲惨である
毎月電気ガス水道が払えないとなると何か常に金に追われることになる
その人は死ぬまで金に追われている

そして今度は知っている人が60代で死んだ、そしたらその人の借金の払い人になっていた、でも一万ばかりだからたいしたことはないからくれた
何かこうして借金はカルマであり誰かにカルマが回ってくるのだ
悪いカルマが回ってくる、恵みもめぐってくるが悪いカルマも必ず回ってくる
それが怖いのである、つまり数万でも殺されたりするのは相当に悪いカルマが回ってきてそうなったとしか思えないからである







みちのく考ー枯野のみちのく、わび、さびの世界 (金閣寺との相違ー枯野の俳句−20句)


みちのく考ー枯野のみちのく、わび、さびの世界

(金閣寺との相違ー枯野の俳句−20句)

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みちのくや枯野の心に染みにけり

みちのくや口籠る人冬の雲

みちのくや朴訥にして冬の雲

みちのくや枯野に残る標かな

みちのくや都に遠く冬の星

みちのくや老いてあわれや枯芒

みちのくや寄り合いなごむ冬の鴨

みちのくや枯野の中に都跡

たずぬれば平城宮(ならのみやこ)跡枯野かな

みちのくや枯野に消えぬ人の影

みちのくや栄の跡も枯野かな

みちのくや二三きらめく冬の星

みちのくや一転枯野夢の跡

みちのくに何を残さむ枯野かな

一時の出会い別れや枯野かな

散り散りに人の別れて枯野かな

みちのくに老木生きむ枯野かな

みちのくに枯野に何か昼の月

みちのくの枯野の果てや金色堂

北上の流れの尽きじ枯野かな

みちのくや冬菜に雪や駅に待つ


この道は中村街道元禄の碑の残りて秋のくれかな


陸奥の 真野の萱原 遠けども 面影にして 見ゆといふものを   笠女郎

みちのくという範囲は奈良時代だと南相馬市の鹿島区の真野郷辺りまでだった
なぜなら車輪梅が南限の地として指定されていたからである
つまり気候的にここまでは南国の花でも根付く場所だったのである
あたたかい場所でありここが境だったのである
奈良の人々にとってだから境というのは地理の目安となるから知られていたとなる
そしてなぜここに綿津見神社と山津見神社が本当に多いのである
それは海人族が安曇族などが入植して入ってきて住みついた場所だったのである
そういう基盤があり次に大和朝廷の勢力が正式に支配したとなる
その前進として安曇族などの海人族の一団がここに移住してきたのである
それは飯館村の佐須に山津見神社がありそこは焼畑の地名であり焼畑の技術は渡来人がもたらしたものである
その他にこの地には鉄の生産とかで深く渡来人とかかわっていたのである

真野の草原の草原は萱が茂っているとかではない、第一奈良時代を想像したら人口が二百万とかなっていたら回りはどこでも萱原であり平城宮の回りでもそうなのである
いたるところ原野のような状態が広がっていたのである
そうしたら萱原などめずらしくもない、日常の光景なのである
だから特別萱原を思うことなどないのである

この草原は地名でありみちのくの遠い場所として奈良の人達に知られていたのである
そしてこれが誤解しやすいのは

陸奥の 真野の萱原 遠けども 面影にして 見ゆといふものを

みちのくの真野の草原(かやはら)は遠いけれど奈良の都の人達は知られている場所である、そういう遠くに私の恋する大伴家持様は面影にして見えますよという意味である
つまりそんなに遠い場所でも大伴家持様のことは面影に見えますよということである
どんなに遠くに離れてもあなたのことは面影に見えますよということである
実際大伴家持は多賀城に赴任したという説がありとなるとまさに陸奥の辺境に行った大伴家持を偲んだ歌だともなるのである
とにかくこの歌は本当に誤解しやすい歌なのである

みちのくというのは古代から辺境の地であった、そこで白河の関がみちのくの入り口として知られていた、でも古代ではみちのくの範囲は狭い、平泉辺りまでがみちのくであり
江戸時代になっても芭蕉が旅したのは平泉までありその奥はみちのくの範囲ともならないみちのくと言っても平泉までありそこから青森まではさらに広い地域だからまた別なのである
ただみちのくというとき芭蕉の奥の細道によってみちのくという感覚が一般化したのである

みちのくというとき荒野というイメージになる、古代から人家も少ない荒野的な感覚である、荒野といっても奈良時代などはもう日本全国が荒野という感覚である
そこが錯覚しやすいのである、それは常に歴史をふりかえる時現代からイメージするから必ず誤解するのである
江戸時代でもやはり日本全国の感覚は今とは違って全体が田畑があっても荒野だという感覚にもなるからだ、みちのくはさらに荒野という感覚になる

そういう荒野の中に平泉が都として栄えて金色堂を残した
それでもその金色堂は五月雨が降る中で辛うじて朽ちずに残っていたとなる
つまり自然の猛威の中で朽ちずに残っていたというのが「五月雨の降り残してや光堂」なのである
それは蕪村の俳句でも「五月雨や大河を前に家二軒 与謝蕪村」などもそうである
自然の猛威でもう家でも流されるような感覚になるがなんとか残っているともなる
つまり現代の便利な文明生活とは違って自然の猛威の中に人々は生きていたのである
その感覚がわからなくなったのである
でも依然としてみちのくは荒野という感覚になる、大都会とかが少ないからである
仙台市にしてもちょっとはずれると田畑があるからである

それでこの辺でも枯野になり冬となったと感じた、しみじみと冬を感じたのである
みちのくには枯野がふさわしいともなる、枯野にかえって心が癒される
特にこれだけ人口が増えて都会化すると枯野に癒される、ただ車の洪水はここでも同じである
車というのは一台走っていても全体に相当に影響していた
というのは相馬市街から霊山の玉野村まで行った時、途中に相馬市の郊外となり家が点々とあった、でも福島中央道ができたので車は玉野を出るとほとんど一日通らない
でも相馬市郊外の山上とかそこから上に行っても人家があり車が通っていたのである
それは家があるから車を使うから通っていたのである
だから例え家が少ないにしても車を持っているから車が通る、すると一台通っても車が通るという感覚になる、玉野から霊山までは本当に車がゼロともなっているからだ
それで不思議な感覚になったのである
現代はどれだけ車の影響が心身ともに影響しているこれでわかるのである

ただみちのくはまだ枯野の荒野の感覚は残っている、その荒野の中で老いてゆく、ゆっくり茶を飲んでくつろぐのがいいとなる、まさにわび、さびの茶室がみちのくに似合っているのである、もう東京とか西でも大阪とか繁華な所に茶は似合わないのである
もうわび、さびの感覚がないからである
そのみちのくの荒野に枯野に残されたの光堂、金色堂の黄金(くがね)の夢だったのである、それが京都の金閣寺とは違っていたのである
 

2021年11月17日

冬の日暮れぬ(山茶花、秋の雷、秋の暮、・・・我が家で茶を飲む)


冬の日暮れぬ(山茶花、秋の雷、秋の暮、・・・我が家で茶を飲む)

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ここは沼ではなかった、たまたま雨水がたまって沼になった
後ろは林である



田舎町三人集まり秋の雷

老ゆるともなお閃くや秋の雷

空家の庭烏とまりて秋の暮

日のさして山茶花赤し蔵に映ゆ


冬の日に茶一杯飲み安らぎぬ一人なりしも我が家なるかな

我が一人姉と母とに茶を献げ家を守るや冬の日暮れぬ

我が家に心静かに茶一杯飲むべかりけり老いにけるかな

家の跡土地の狭しもここに住む人し思わむ冬の日暮れぬ

近くにも忘れられしもこの家に住む人思ふ冬の日暮れぬ

新たにめ沼になりぬる細枝を映してあわれ冬の日暮れぬ


原町の方に今日行ったけど冬になっていた、秋の雷は数日前に一回だけ鳴ったからめずらしかった、空家の庭に烏がとまっているのも何か現代の風景である

家に帰ったら茶を飲む、いかにも冬らしいとなる、やはり家族はみんないなくなっても
まだ家があるとなり落ち着くともなる、姉と母とには熱いお茶を献げる
そこにまた死んでも継続して家族があるともなる
ただ正直何の反応もないのだから物足りないとなる

とにかく空家が増えている、私の回りは特に空家が増えた、最近一人死んだ家は農家であり庭が広いからここも空き地になる、家は壊されるみたいだ
狭い土地に家が建っていたところも人がみんな死んで空き地になった
そこは土地が狭い、庭もなかった、そして今になると住んでいる人を偲ぶのだがそれもその人がどういう人だったかわかちなくなった

そのおじいさんは建具屋であり仏壇を作った人である、でもその人はずいぶん前に死んでいるから記憶も定かではない、その後はタクシー運転手した人が住んでいたがその人も妻も死んだ、すると何が記憶されているのかとなるとないのである
人間はそれぞれ長く住んでいても意外と死ぬと記憶されることがないのである
その人の生きた記念とは何なのか?それも何かほとんどないのである
人間は生きている時なにかやと話題になるが死んだら話題にもならない
全く忘れられてしまうのが普通なのである
要するに長く記憶されている人は本当にまれである、ほとんどの人は忘却される
家族でも死んで十年以上過ぎると記憶も定かでなくなる
でも私の場合は姉と母とは60年も子供の時から一緒にいたので忘れられないのである

ともかく今度は本当に冬になった、季節が変わった、冬はやはり冬でいい、冬は田舎の方がいい、冬枯れの景色でも心にしみる、季節を感じるのは田舎なのである
我が家で茶をゆっくり飲むのも落ち着くとなる

自治体が財政破綻するとどうなるのか? (夕張市とか原発事故周辺は似ているーその恐怖)


自治体が財政破綻するとどうなるのか?

(夕張市とか原発事故周辺は似ているーその恐怖)


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https://onl.tw/DytNuKx


財政破綻の恐怖を夕張を例にして具体的に説明しているからわかりやすい
部長とか率先してやめた、給料でも退職金でもたいしてもらえなくる、もう生活していけない状態になる、するとサービスする消防隊員でも減り救急車すら一台となり隊員もいなくなり命にかかわってくる
病院でも看護師も医者でも雇えなくなる、給料が払えないからである
すると第一公務員もやめるのだから一般の人も流出してゆく
その原因が税金が何倍も高くなるのだから住んでいられなくなるのだ
そして人口が激減してゴーストタウンのようになる
残されたのは老人だけになった
そしてもう自治体は自治は成り立たなくなり国の管理下に入り何もできなくなったという

これは原発事故周辺ともにている、南相馬市は一部であるが飯館村とか浪江とか双葉とか大熊とかは自治体全体がこのうよな状態になった、自治体が崩壊したのである
住民から税金もとれないし公務員に給料も払えない、これは会社が倒産したと同じである様々なサービスが受けているがそれが受けられなくなる

原発事故周辺はこれと似ているのである、ただ違うのは国から手厚い援助がありそれで持っている、飯館村などは80億円とか支援があったとか多額の補償金をもらった
でもそれも継続はしない、一時的なものとして消える
だから人も流出した、子供もいない、立派な学校を建てても外から通うだけだからである
もう飯館村の住人自体が言っているように飯館村がなくなるというとき何か夕張と似ている、ただ別に公務員には給料は支払われているし財政破綻は今はしていない、国からの援助があるからだ、でもいづれ継続できなくなる
住民は流出して子供もいない、自治体という時自治があるから自治体なのである
でも自治体も自ら自治ができないとき国の管理下に入る、すると自治はなくなり国の思うようにされる、例えば放射性物質の置き場だとか核処理場とかにされる
もう自治する住民がいないから反対する人達もいなくなるからだ

何か不思議なのは空家が増大していることである、自分の回りでも隣が空家になったとか最近一人死んで空家になったとか近くにもいい家があり庭があったがそこも長い間空家になっていたのだ、だからもったいなと思って見た
そして空家になると奇妙なのだけどそこに持ち主がいないから勝手に入る人が出て来る
それが自分でもあった、隠されたようにあった家に入ったら立派な庭があったからだ
別に見るだけならとがめる人もいないのである
不法侵入になるとしても空家になると誰もいないということで勝手に入る人がでてくるのである

まず浪江でも小高でも双葉でも飯館村でも空家だらけなのである
そんな市町村が成り立つのかと理屈ではなく感覚的にそう思うのである
廃墟の町とか村が成り立つのかとなる、つまり自治体が崩壊するということがこの辺で現実に起きているのだ、ただ国からの援助がありそれで今は持っている
でもやがて援助もなくなるとどうなるのか、夕張のように国の管理下に入りもう自治体の住民自体では何もできなくなる、そこで国の言いなりになるほかなくなるのである
自治体の自治がまさになくなる、自治体の住民がいなくなればそうなるからだ

こういうことは自治体が財政破綻が起きる、それが夕張市に起きた
もともと炭鉱がありそれで栄えていた、それがなくなり衰退してそうなった
この辺では原発がありそれで栄えていたが事故になり衰退したのである
ただ南相馬市となると小高区の一部がそうなったが全体はなっていない
だから自治体は維持されているのである
でも財政援助は十年つづけられたがそれも打ち切られた
すると自治体の経営も苦しくなる、それで生活保護でも実際は年金をわずかもらっても後は医療費とか無料のようでもそれも必ず金をとられる、何か住宅を直しても無料ではないその人はもう生活保護でもそもそも生活できないのである
それはやはり自治体で生活保護をまともに支給できなくなっている
このことは氷河期世代になると深刻になる、もう生活保護はとても最低限の補償はされないのである、そんな金がないしできなくなるからだ、それも恐怖である

結局飯館村は確かに国とか東電とから援助があり今は成り立っている
でもそれも継続しない、老人ばかりの村になって継続しない、若い世代は流出したからである、夕張とかなると極端であり住んでいられないからである
この辺も極端なものとして住んでいられないから若い世代が流出したのである
南相馬市だと小高区は別に南相馬市だから原町区とかに移り住む人が多かったからである原町区だと病院でも買物でも何でも便利だからこの際移り住んだ方がいいとなってそうなった、残されたのは老人だけなのである

ともかく夕張市は炭鉱の市として栄えた、それがなくなったとき急激に衰退した
この辺は原発で栄えたがこれも事故で同じように回りの市町村が衰退した
何か経済でも特化したものに頼るとこうなりやすい、でも不思議なのはSDGs(継続可能社会)を盛んに言うけどそもそも縄文時代から飯館村でもその村があり今まで継続していたのである、人口の増減などがあっても村は継続されてきたのである
だから別に原発がなくても市町村が成り立たない、継続されないとういことはない
だから継続できないということはそれが最大の問題だったともなる
継続を第一にすれば価値とすればその方法はあるし現実に縄文時代から今まで継続して町でも村でも成り立っていたのである、
その継続が断たれることが最大の問題だったともなる
多少縮小しても継続はされていた、それが自治体自体が破綻して崩壊するということは何なのだろうとなる

継続することが第一だ

こういう価値観になれば別にこれまで縄文時代から継続して村でも成り立っていたのだからその目的でもって村は継続できるのである
でも不思議なのはもう車がないと電気がないと住んでいられない、継続できないとなるのも変なのである
継続ということを第一の価値とすれば別に継続して村でも町でも維持できるのである
もちろん現代となればその維持の仕方は違ってくる、でも市町村自体が無くなるということはありえないのである
なぜなら相馬藩で飢饉になったとき三分の一の人たちが流出した、でもその三分の一を埋めたのが越中などからの移民であった
その移民はいい土地ではない土地を得て開墾して住んだのである
その時代が農業で生活していたから土地を無料でもらえるとして移民が来たのである
その苦労も並大抵なものではなく加賀泣きとして伝えられている
でもこうして相馬藩は飢饉からも立ち直ったのである

これを比べるとなぜここだけではない、自治体が財政破綻して崩壊して継続できなくなるのか?縄文時代から継続していた村でも無くなるのかということである
車を使うな電気を使うなとかいうのではない、何らか自治体を維持できる方策があると思うから言っているのである、ただ最大の問題を自治体を継続させることだとしていないことになるのではないか?
それを第一として目的としてあればそのためにはどうするのかとなる、それを全体で協議するとか何か解決策を見出すとなる

ただ現代は個々に利益を求めるだけでありそうした全体としての志向がないということでそうなっているのか、つまり十津川村のように自然災害にあって村が壊滅的状態になって北海道に移住したとき村人が一致団結してできたからである
それは村がもともと強固な強固な共同体として機能していたからできた
今はそれがないから個々がばらばらになりかえって自治体を共同体を維持できなくなったともなる、そもそも農民共同体のようなものが喪失していたからである
だからこそ多額の補償金をもらったら即座に仙台市辺りまで移住したのである
別に農民社会でないから土地をもっていないから金さえあればどこに住んでもいいとなっているからそうなったともなる
そこで継続されなくなったのである、農民社会では土地が生産に不可欠だから移住しにくいからである

ともかく自治体の財政破綻は自治体の崩壊となりそれを具体的に示したのが夕張市だったのである、その悲惨はこの辺と似ているのである、ただこの辺はまだ補償金をもらっているから何とか維持できている、でも実質は小高区とか浪江とか双葉とか飯館村は崩壊しているのである,持続継続できなくなっているのである

このように、国も自治体も産業界も私たち国民も、家を「つくる」ことばかりに目を向けつくった住宅を「引き継ぐ」「たたむ」ことに目を向けてこなかった――。

災害の多発化・激甚化で空き家は新たな事態を引き起こす存在に。家をつくることしか考えてこなかったツケ 野澤千
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e4f81795a291be2a48ebb5470f374eba2025c81?page=3

こういうことも言える、家が建て過ぎてそれを引き継ぐ人がいなくなったいるのだ
それは墓でも引き継ぐ人がなく墓じまいするようになる
これも継続ということをないがしろにしためである、現代とは一代限りとかしか考えない未来に継続されることを考慮しない社会なのである
今良ければいいあとは野となれ山となれとなる社会である
だからエネルギーでも今使ってなくなってもいいやとなる
それでSDGs(持続可能目的化社会)が言われるようになったのである
目的が持続可能に置くということで悪、そのために一致協力することである
それぞれが勝手にしたら成立たないからである、持続できない継続できないで市町村でも崩壊するとういことにもなる、それが原発事故のこの辺の状況だったのである
posted by 老鶯 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年11月16日

新井白石の霊山鎮の漢詩ー相馬の義兄を訪ねて霊山に寄った


新井白石の霊山鎮の漢詩ー相馬の義兄を訪ねて霊山に寄った

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霊山鎮  (「新井白石全集」所収)
  
  霊山開巨鎮、郷月照雄藩、
  鐘鼓千峯動、貔貅萬竈屯、
  出師資上略、刻日復中原、
  一夕長星堕、年年哭嶺猿、


   (読み下し) 
  霊山、巨鎮を開き、郷月、雄藩を照らす
  鐘鼓、千峯を動かし、貔貅、萬竈に屯す        ※貔貅(ヒキュウ)=猛獣
  出師、上洛を資り、刻日、中原を復す
  一夕、長星、堕ち、年年、哭す、嶺の猿
   (意訳)
  霊山に聳える巨大な山城、霊山鎮。月が南朝方の伊達郡の地を照らしている。
  鐘や鼓の音が千の嶺々に響き、屈強な兵たちが万の家々に屯している。
  奥羽の大軍勢を率いて上洛した北畠顕家公は一旦京都を平定した。
  しかし、ある日の夕方、長大な彗星が墜落した。それを悲しんで 霊山の嶺々の猿が 今でも毎年泣いている。
  

  「顕家生ては、奥羽を以て根拠と為し、身は泉州に死すといえども、魂魄反(帰)りて常に此の山に在るが如し」
  
  ●享保6年(1721)8月9日新井白石書状 水戸彰考館総裁安積澹泊宛(抄)
「 一、奥州に家兄の事、『白石詩草』にて御覧に及ばれ、御尋にて候。某事は亡父の時より
故土屋民部少輔家人にて、民部少輔第二子相馬の家へ養子に罷成り候時に、某兄にて候
者をも附属し、つかはし候に付、相馬の城下中村に居住し候。是は三十年許以前に死去
し候て、子供も両人迄候ひしも打続き死し、今は孫の代に罷成り候。
さて某事は民部少輔子伊予守代に浪人仕り、堀田筑前守(正俊)家へ罷出、下総守(正仲)
代まで彼家に罷在り候。その時に福島へ一度、山県(山形)へ一度、罷越し候事に候ひ
き。信夫郡は即ち福島を申し候。
 兄の名は弥一右衛門正信と申し候ひき。『白石詩草』の中の人名の事、いかにもいかにも
忘れ申さず候。追て書付進呈致すべく候。彼福島より中村迄は僅に六里に候。中路に顕家中納言(北畠顕家)の遺跡霊山鎮是あり候て、今も昔の庭の跡に牡丹など春を忘れず候。礎石等も元のままにて、焦穀時々あなたこなたより出候と申す事に候。」
(「新井白石全集〕所収)
http://datenokaori.web.fc2.com/sub154.html


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晩秋悲風霊山

峨峨たる岩峰迫り
一転雲覆い暗黒
一時に木の葉共に散る
風雪帯ぶ巌に木の根づき
霊山に僧の籠もり修行
南朝の砦となり一〇年
戦い滅び武士の落ち延ぶ
若くして戦士の顕家の魂
ここに宿りて無念を語る
寥々として悲風吹く晩秋
木の葉風に舞い散り
その麓石戸に土蔵古り柿なりぬ
時雨の我が老いの身を濡らす
落武者は相馬の方にあわれ
身をやつして落ちにけり
短日の暮れ安く我も急ぎ帰らむ
その末裔の今に祭りとして
我が里に只野一族の数多
基は郡山の多田野村より来る
その謂れを語り残りけるかな

霊山の巌は黒々と夕暮れや花散りあわれ南朝亡ぶ



新井白石が福島城により霊山により養子となった相馬の義兄をたずねた
これも奇縁だとなる、中村街道を通り相馬の城下まで来たとなる
六里というのは過ちである、というのは旅していると距離の感覚がわからなくなる
ましてや江戸時代となると余計にそうなる、何か時間でも正確に計れないからである

霊山の魅力は玄武岩の黒々とした岩峰でありその黒さが印象的になる
それと南朝の城としての歴史があり歴史と自然が一体となって魅力をかもしだしている
顕家は二一歳で戦死した、あまりにも早い死でありまさに彗星のように消えたとなる
その霊山から落ち延びた落武者の末裔か相馬につづいているのである
南相馬市の日吉神社とか山王神社とかはもともと北畠家が守護神とするものである
それで山王神社とかの旗が野馬追いに出るのである
あとは南朝の菊の紋の旗が出る、霊山の歴史と相馬藩の歴史が重なっているのだ

そもそも霊山では北畠顕家が城とする前に山岳仏教の天台宗の修行の場だった、それは山形県の山寺でも同じである、天台宗なのである
天台宗の本山寺院である比叡山・延暦寺は平安仏教の中心地となり栄えました。
天台宗を基として鎌倉仏教の交流を迎えた、その基礎に天台宗があった
天台とはまさに高い所で天に通じる所で修行するということである
六根清浄の地として山岳仏教が基礎となっていたのである
ただ日蓮とか親鸞とかははなじみがあるが天台宗というとなじみがない、それは中国に留学生として習い伝えたのである

仏教でも空海でも中国に遣唐使に交じり実際に行っている、それから仏教は中国から学んだのである、鎌倉時代に道元は禅の寺を開いたが中国の寧波に渡り天童寺で修行したのである、そこで実際に私は天童寺に行って道元が座禅した部屋を見たのである
古松の道を上ってゆくとその場所がある、春の日に高い塔がいくつか見えた
中国では塔が多いのである、中国が仏教の興隆期があった、それで今でもその遺跡が残っている、でも何か日本では中国でそんなに仏教が普及したのかわからなくなった
仏教は中国経由で学んだのである、それが日蓮とか親鸞とかで日本化した仏教になったのである、宗教でも必ず別な国に普及するとその国の風土とか文化と一体化するのである
日本では神仏習合になったことでもそうである

ただ江戸時代になると仏教は官製のものとなり寺は役所のようになったのである
幕府で仏教は保護したからである、だから仏教の歴史でも江戸時代はむしろ論語を学んだ時代でもあった
ただ現代になると仏教でも論語でも親しみがないし何か伝わらない、教えが継続されていないのである
おそらく明治維新でそうした伝統が途切れてしまったともなる、神道が廃仏希釈などで神道が国家に保護されて天皇が現人神(あらひとかみ)となり国家神道になった
そして戦後はまた国家神道になったことで否定されたので神道というのも何かわからなくなったのである
中国でも仏教は文化革命で破壊された、共産主義思想によって統一されたからである
ただ仏教の遺跡は残っている、でもそれが人民に継続されているかどうかとなるとなっていない、共産主義と相いれないこともあり政府では宗教を警戒しているからである
反政府として宗教をが人をまとめることがありそれを恐れているのであるだからキリスト教も弾圧するとなる









2021年11月15日

権利と責任は一体(漁業権の問題など) (原発事故で問われた重大な責任)


権利と責任は一体(漁業権の問題など)

(原発事故で問われた重大な責任)

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明治時代になったとき西洋の法律を取り入れた、しかしその訳でも日本にもともとないものを訳すとなると簡単にできなかったから誤解が生まれた
権利は権理と最初訳していたのである、これの方が正しかったのである
なぜなら権利を与えられるにはなにがしかの理由がありその理由があって権利が与えられているからだ

ところがこの権理が権利になりまさに利益を求める利を求めるだけになったのである
そこに権利が与えられた理由がリーズンがなくなったのである
とにかく権力を得て利益を得ればいいとなってしまったのである
それはあらゆることでそうなった
身近な所では相続でも兄弟姉妹で相続を等分する権利があるとなり長男に財産を特別に得ることはなくなった
でも長男は優遇されてもその家を受け継ぐ責任が課せられていたから特別遺産を受け継ぐ権利があったのである
長男は親の世話をみるとなったのもそのためである

それが等分に分けることは確かに兄弟に遺産を平等に分割するのだからいいように見えるしかしそうなると家を継いでも維持できなくなる、そのために遺産がないと金がないと
家や土地まで売らなければならないとなったりもめる
田畑をもって農業して生計したりしていると困ることになる
また家を持っていて都会辺りで土地を売るとなると困る
介護でも誰がするのかとなると今までなら長男が遺産を主に受け継ぐから責任がありそうなっていた、つまり権利には必ず何か権利を与えられる理由があり責任が課せられていたのである

何かこういうことはいくらでもある、とにかく人間は利益を得たいということでは共通している、権利を得て利益を得たいとして働いているともなる
だから地位を得たいとか上級人間になりかいとかなる
高級官僚が地位もあり金も入るということでうらやましがられる
でもその優遇される地位でも高給取りでも必ず責任が課せられているのである
しかしその責任が無視してまず権利を得る利権を得る、利益を得るとういことが先になる
原発事故ではその重い責任が問われたのである、でも誰も責任を果たしていないのである漁業組合が船主などが特に事故前も多額の補償金を得て原発御殿を建てていたとかうらやましがられていた
その時も漁業関係者は原発を建てて利権を得て利益を得ればいいとしか思っていなかったそこに重大な責任が課せられていたのである
つまり利権を得て利益を得て多額の補償金をもらったことが重い責任となっていたのである

政府でも東電でも

「私たちはあなた達に補償金を払います」
「はい、わかりました、もらいます」
「では事故になってもあなたたちは文句を言わないようしてください」
「・・・・・・・・」
「それを了解してもらいますよ、そのために金を払うのですから」
「・・・・・・・」

本当はこういうことで金は払われていたのである、ところが漁業権というのは漁業組合に入っている船主とかが独占しているものであり港に住んでいる人でももらえなかったのである、その理由となると

〔あなたたちは漁業者はなぜそうした利権があり利益が得られるのか
 漁業権は何のために与えられているのですか?」
「漁業資源の保護のためです」

こういうことで理由があって利権を得ていたのである、でも肝心の漁業資源の保護が原発事故でできなくなったのである
でも政府と東電にすれば
「あなたたちは漁業組合は海を汚されてもいいと了解しましたね、そのために事故前にすでに多額の補償金を払ったのですから・・・」
こう言われることにもなった、そして今度はトリチウムを海に流すという時もあなたたちは漁業権を私たちに売ったのです、そのために金をすでに払っているのです
文句は言えないでしょうとなる
もちろん事故後の補償金はさらに増やすし継続して補償しますから文句はないでしょう

こんなふうになったのである、もし漁業権を漁業組合だけでものにしないで自治体とかのものとして協議していたら別である
漁業組合は海は俺たちの物だから勝手にしていいのだとなっていたのである
つまり権利があり利権があり利益があるとなるがそこに重大な責任が課せられていたのである

資源保護を目的として権利が与えられていた!

その肝心の漁業の資源保護ができなくなったのである
だから権利は権理であり理由があって権利が与えられている、漁業組合に漁業権が与えられていたのは漁業するための資源保護のためだった、そうならば原発を建てるとき事故前にでも多額の補償金をもらうことはすでに海を汚してもかまわないですねという了解を契約をしたとまでなる
それは漁業組合で海は俺たち漁業者のものだと権利を主張して利権をえて利益を得るためにそうした、でもその権利には理由があり重い責任が課せられていたのである

ただこれはこの辺で具体的に起きたことでわかりやすいが他でもいくらでもこうしたことが起きている、なぜならまず利権であり利益だとなり他のことは責任でも無視されるのである
責任といえば東電に天下りした官僚たちも事故の責任があった
なぜなら多額の金を東電からもらっていたからである、それは自衛隊でも海上保安庁とか警察関係でも司法関係でも官僚が天下りして多額の金をもらっていたのである
その金をもらっていたことで重大な責任が課せられていたのである
安全を計ることに無関心ではいられなかったのである
だから天下りした官僚はその金を返還すべきだとなる、金をもらうことは必ず具体的な責任となっていたのである

でも実際は権利をもち利権を絵て利益になればいいしかないのである
弁護士でもただ相談するだけで百万とられたとかあり弁護士という資格をもっていて不正を働いたのである、弁護士という資格はそうして利権となるから利用したとなる
もちろんそれを相談した人も悪いとなるが死んでしまった
この人にも責任があったが死んだから問われない、ただ自分の家にも責任があったともなる、そんな金をなぜ払わなければならないか理由がないからである
だからなんらか金には常に責任が具体的なものとして課せられている
そして責任が自覚されないのである、それで後から原発事故のように責任が問われる
それで必ず何でも契約書には細かく責任をとらないことを記されている
「私たちはこういうことがあっても責任はとりません」と記されているのである
それは必ず後で責任問題になるからその責任をさけるために事細かに責任をとらない旨を記しているのである

本当に原発事故では天下りした政府関係者でも東電の幹部でも無罪を主張するとか全く
責任をとる人が一人もいなかったのである
でも人間は必ず責任を取らされる、戦争の結果として3百万人が死んだのである
責任をとらされたのである、一体のその責任は誰にあったのかとなる
あまりにも重い責任をとらされたのである
原発事故でも故郷に住めなくなる、貴重な自然と融合した飯館村でも住めなくなるとか重大な責任が生じていたのである
なぜそれが重大なものかというと飯館村でも縄文中期の遺跡が発見されたとか古いからである、つまりそういう古い時代から今日まで村は継続していたのである
最近盛んにSDGs(持続可能目的化社会)が言われるけどまさに縄文時代から継続してきた生活が村が失われることが最大の問題だったのである

村でも継続されることが第一なり

縄文時代から人が住んで生活していたのにできなくなる、このことは何を意味しているのか?その長い人間の歴史が失われることである
何であれ貧乏であれ継続される社会こそ重要だとなる
そういうことが燃料は炭であれ食料でも貧しくても縄文時代から継続していた歴史があったということである、その継続したものが根こそぎ原発事故で失われたとういことそれが人間にとって何を意味しているのか?
それがこの辺では問われたのである

とにかく今の社会は本来の目的からはずれたものとして利益のために何でも正当化されるのである
カルト教団などでもそうである、確かに政治活動をしてもいいとはなる、でも宗教団体だと無税になる、特権が与えられている
そうしているのは宗教活動だからである、でも現実は宗教活動でなくても政治活動でも経済活動もしている
それも無税になる、そもそも宗教活動は何なのか、その理由が明確ではないのである
また明確にしていないのである、つまり権利とは権理であり理由があって権利があることなのである


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2021年11月14日

秋薔薇(写真三枚)


秋薔薇(写真三枚)

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紫式部と薔薇

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空家の薔薇

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秋薔薇一輪あわれ空家かな

晩菊や近くに墓地や今日も行く

我が庭に秋薔薇二輪いとしみぬ


秋の薔薇一輪咲きぬ我が庭に紫式部添えて隠さる
    
秋の薔薇一輪咲きぬ隠されて紅葉も映えて庭石重し

朝顔の藍の深めて橙の薔薇は映え咲く板塀の中

一人のみ駅に電車を待つ女(ひと)や秋の薔薇咲く田舎町かな


秋薔薇はかえって色は美しくなる、濃くなる、何か私は秋薔薇にひかれる
薔薇というと夏だけど秋薔薇が何とも言えず色もにじみでて心にしみる

隣の家は空家となり秋薔薇が咲いていた、その庭を隣だから入ってみてもとがめられないのも奇妙であり自分の庭のように見ている
空家が近くにもありそこは医院であり金があり庭が広く金をかけた家である
でもそこに住んだというのは短かった、そして長く住んでいいないからいたんでいる
庭も剪定していないから荒れている

でも何かこうして空家が増えていい庭があっても家があっても利用する人がいないのはもったいないと思った、何か空家の利用が地方の活性化に必要だと自ずとみる
でも空家は持ち主がいるから勝手にできないのも困る
それでも放置されて利用されなければ価値がないのである
そこは一時歯医者として利用しようとしたがその持ち主は東京にいるので利用していないのである
そしてその遺産を相続した息子も最近78歳で死んだのである
この空家の問題はかなり深刻である

近くの人と語ったら墓の跡継ぎがいないとかなんとかとも言っていたからこれも問題である、とにかく後継者があるゆることで少子高齢化で消失してゆくからだ
その家は金持ちの医者でありかなり金をかけた家である、だからそたに住む人がいないのはもったいないと見た

私の庭の薔薇は二つばかり結構咲く、秋になっても咲く、咲かない薔薇もあったが二つはかなり咲くから不思議である、どうしてし咲くのか不思議である
咲かないのも半分くらいあるから不思議だとなる

写真は欠かせない、写真をとると見えないものが見えることがある
朝顔の写真は肉眼では写真のように見えなかったのである
だから写真は欠かせないしまたそれなりのカメラが必要になる
でも私のカメラは高いものではなかった、8万くらいだった
でもそれが一眼レフで意外ときれいにとれるものだったのである
このカメラを買ったのは運が良かったとなる
高くても使えないものがあるからだ
それで自転車では失敗しているからだ

駅には昼間は一人くらいしか待っていない、前は話しかけたりしたが今はしていない
何かとうるさいから案内はやめた、ただ駅前の薔薇を見に来ているだけである


2021年11月13日

飯館村考(小国という地名がなぜ多いのかー人は隣村でも人が交わらない世界)


飯館村考(小国という地名がなぜ多いのかー人は隣村でも人が交わらない世界)

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かくして二里三里の険阻な山を越えなければ、入って行かれない川内が日本に多かった
それを住む人の側では或いはよぐに(小国)などとも呼んでいた
これらは標後の地名である
しかもそのその時代の古かるべきはことは言葉だけでなく、分内が梢、広くして生活品は藍さえも土地に産することがあり、武陵桃源の隠れ里の如く、彼が自得自賛の根拠あることを感んぜしめるからである

神を祭る人々に稲は絶対必要である、野川の流れはまた交通の唯一の栞である
(柳田国男ー地名考)

河内、川内、九州の隈、または福良も小川内であって盆地の上下をくくる所の急たんな地が都留(つる)である

小国村のなにがしの男、ある日早池峰池に竹を切りに行きしに、地竹の夥しく茂りたるなかに大なる男一人寝ていたるを見たり、地竹に編みたる三尺ばかりの草履を脱ぎてあり
あおに伏して大なる鼾をかきてあり

●下閉伊郡小国村大字小国


閉伊川の流れに淵多く恐ろしき伝説少なからず、小国川との落合に近き所に、川井という村あり、その村の長者の奉公人、ある淵の上なる山に木を刈るとて水中に斧を落としたり主人のものなれば淵に入りてこれを探りしに水の底に入るままに物音聞こゆ
これを求めて行くに岩の陰に家あり、奥の方に美しき機をおりていたり、
その脇に彼の斧をたててあり

小国の三浦某というは村一の金持ちなり、今より二三代前の主人、まだ家貧しくて
妻は少しく魯鈍なりき、この妻ある日門の前を流れる小さき川に沿いて蕗をとりに入りしに、良きもの少なければしだいに谷深く登りたり、そうして見れば黒き門の家あり
いぶかしけれど門の中に入りてみれば大いなる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり
その庭の裏方に回れば、牛小屋ありて牛多く、馬舎あり、馬多くいれども、一向に人をおらずその次の間に朱と黒との膳椀
をあまた取り出したり、奥の座敷に火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見ゆ
されども終に人影なければもしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり駆けだして家に帰れり
此の事をひに語れども真と思う者なかりしが、またある日我が家の門に出て物洗いしに
川上より赤き椀の流て来たれり

柳田国男ー遠野物語




こうした言い伝えとかはどうして生まれたのか?それは江戸時代までは隣村でも行き来がまれである、だから隣村同士でも人は交わらずに生活していた
その隣村の人が来たとしてもそれは異人になるしまた隣村さえ異界なのである
だから麦付きに来た若者が蛇だったとかなる、人との交流がないのである
ではなぜそういう社会で隣村とも交わらずに生活できていたのか?
それが現代の様な世界とも交わるグロ−バル化社会とは全く異質の世界なのである

それで飯館の大倉村と佐須村が明治以降合併しようとしたとき民情が違うとして合併しなかったのである、今ならそんなに近くでそんなことがありえるのかとなる
でも歩いてみればかなり大倉村と佐須村は遠いのである、その歩いた感覚が今になるとわからないからそうなるのである

そして古代から川が道となっていた、だから真野川をさかのぼり大倉村ができた
その村も古い、でもダムの底に主要な家は沈んで消えた、そこには山津見神社があり
その川をさかのぼってゆくと佐須村がある
川が道となっていたのである、川内という地名が多いのは川の側は水があるから住みやすいからである、小川だと洗い物をするにいい、最近までそういう洗い物をした小川が栃窪にあった
そして信じられないことは私の家のすぐそばに掘りの川がありそこで洗い物をしていたのである、街内でも川の水を利用してい洗い物をしていたのである
戦後十年は水道もないから井戸水であり燃料は炭だったのである
だからそうした原始的生活と江戸時代のつづきだったのである
電気は裸電球一つだった、トイレは外の便所でありその糞尿も近くの農家の人が汲み取りに来ていたのである、その女性を知っていたが死んでしまった
街内でも農家があったのでありこの辺でも農家中心の部落だった
だから近くの神社に「天明の碑」がある、それは飢饉の時の碑なのである
裏の畑は麦とか桑畑であり養蚕をしいた家が街中にもあった

とにかく昔を知る時、大事なのは村はそれぞれ自給自足であり村人は滅多に交わらないのである、交わらなくても物のやりとり売買がなくても自給自足が基本だったのである
それより一軒農家があるとしたらその家自体が自給自足だったのである
その一軒の家で何でもまかなうともなっていたのである
裏に林があれば燃料にするし家の材料にもなるしまた鶏を飼って卵でも鶏をつぶして肉を食べるとかしていたのである
そして納豆まで作っていたとか一軒農家自体が自給自足が基本的にあったのである
そういうことがこれだけ買うことが生活になった時代とまくで違ったものだったのである何か作り生産して売るというのではなく自給自足の生活というのがわからなくなったのである
飯館村などはまだそういうことが継続していてまでいな村としてあった
だから水道を使わずに山の清水でも利用していたからそれは無料だったとなる
それが放射性物質で汚染されて飲めないから住めなくなったとなる

飯館村の山津見神社は海から安曇族などの渡来人が海人が入ってきて開拓した場所であるとにかく綿津見神社と山津見神社は相馬藩内で本当に多い、栃窪に山津見神社があり
大倉に山津見神社がありそして本元が佐須の山津見神社になる
でもこれはもともと海から海人が入ってきて開拓したのである
その人達の伝承もないから謎になる、でもこれだけ綿津見神社神社と山津見神社が相馬藩内に多いのにその由来も解き明かされていないのである
佐須の山津見神社で狼を神体としているのは焼畑がありそれが鹿やイノシシとか猿に荒らされる、狼はその天敵となっていたから神としてあがめられたという経緯があり
すでにそれは縄文時代から狼は神として崇められていたのである
佐須とは焼畑地名であり渡来人が名付けた地名なのである、焼畑地名は多いのは縄文時代は採集と狩猟じだいであり次に焼畑時代となり稲作時代と変化したのである
ただこの綿津見神社と山津見神社のことは何か伝承も残っていない不思議なのである
長野県の安曇野(あづみ)には安曇族が入植したことが明確であり船の祭りを今でもしている、ただこの辺で何の伝承もないのが謎なのである

小国という地名が日本全国に多いののは日本人がともかく小さな村で自給自足していて
それで俺たちは小さな国でもここが俺たちのクニだとして生活していた
隣の村さえ交流がなく自給自足していた誇りをもっていたのかもしれない
それを比べると今や日本全国の村でも町でもグロ−バル化して財源でも東京に頼ったり
物資でも世界から輸入したりとあまりにも変わりすぎたのである
その結果として原発が作られて水も飲めなくなり飯館村に住めなくなりやがては廃村にもなる
今や電気がなければ車がなければ石油がなければ生活できないとなっている
でも江戸時代から戦前までも人間はそういうものがなくても暮らしていたのである
そういう文明の利器がなくても生活してきたのである
つまりそうした文明の利器がなくても死ぬことはなかったのである
今だと近くの人が毎月電気水道ガス代が払えないとして死んでしまうとなっているのも変だとなる、そうしたら昔の人はみんな死んでいたとなるからである

柳田国男の遠野物語でも何か神秘的なものとなっているがそれは人と人が隣村でも交わらないから隣村でもそこに住んでいる人でも神秘的になる
そして大男とか巨人が住んでいたとなるのは何故か?
それは小さな村だと人間が大きく見える、存在感が大きくなるのである

牡鹿半島のある島に寄った啄木が小さな島を歩く人が巨人のように見えたとか書き残している、小さな島だと人間が大きく見えたということである
大男に見えるというのはそういう小さな島とかでは人間が目立つからである
また山の中でも人間が大男になる、人間が巨人になる、それはなぜかというとそこでは人間が主役になっている、人間の存在が大きくなっている
でも現代は人間の存在が卑小化される、小人化される、それよりもう人間はいないともなっている、大都会に行けばそこは群衆と大衆であり人はただ点になり実際に人間は数にすぎない、千人も歩いていればそれは数であり一人一人の人間はいないのである
名前もない数でしかない、選挙でも名前など関係ない、数として統計としてしか人間は存在しないのである
だから奇妙だけど東京であれ大都会の人間はもう一人の大男とか巨人はいない、そもそももう人間はいないのである、大衆であり群衆でありそんな一人の人間が大男とか巨人になっりしないし伝説とかも生れないのである
人間は自然と一体化したときその存在も大きくなっていた、山には大男や巨人が住んでいたとなる

だから現代文明人はいくら科学技術の進歩による機械による便利な生活をしていても
人間の存在感はもうない、人間はいないのである、巨大なビルの谷間で人間は蟻のようになり人間はいない、文明人はいかにも進歩したものとして見ているけどその存在感は本当にない、一千万人の都会でどういう人間の存在感があるのかとなる
それは抽象化した数であり名前も個性もない、常に数として金銭として無機物として数えられているだけなのである、選挙がそれを一番象徴している
一票などなんの意味もないし力もない、まとまった数とならない限り現代では何も通用しない、ボランティアすら一人ではできない、十人以上集まらないとできないし一人とかもう誰も相手にしないのである、ただ数がすべての世界なのである

だからこそかえって飯館村のような世界は文明世界からすると貴重なものがあったがそれも文明の最先端の科学技術の原発で根こそぎ失われた
水も土も木も空気も汚染されたからである、そうしたら縄文時代からつづいた生態系に依拠した生活はできなくなったからである
とにかく飯館村であれ山村であれそこで人間は自給自足して生きてきたのである
でもそういう何千年と生活して来たものを根こそぎ原発が破壊したのである
このことは本当にここだけではない、文明というもの自体を考え直すことを強いられているのである

柳田国男が探求して来たものは人間の本源的な生活の在り方がどうあるべきなのか探ったのである、人間はどうして山深くでも生活できていたのかそれが伝説化したのかとかを探った、それが時代が変わり不明となり遠野物語のように神秘化したのである
何かそうした山の村でもいい暮らしている人がいてそこで長者伝説が生まれたのである
遠野がそういう場所として有名になったけど飯館村にもそういう村として共通な面はあった、それが失われたことは相当に損失だった
でも東京の人達がそんなことを余り考えないだろう、原発が何を破壊したのか
それを本当にみんなで真剣に考えるべきである
それは文明というのが何を破壊して喪失させたかという問題にもなる
そういう大きな大局的な問題としてと飯館村の原発による被害があったことを知るべきである





posted by 老鶯 at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2021年11月12日

福島中央道(相馬市―福島市)開通で寂びれた道 (中村街道からの変化の歴史)


福島中央道(相馬市―福島市)開通で寂びれた道

(中村街道からの変化の歴史)

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昭和3年編纂の「福島縣道路改盤沿革概要」によると、相馬中村街道は明治12年に信夫郡瀬ノ上村から伊達郡保原村と掛田村を経て相馬郡中村に繋がるルートとされ、同年をもって縣道2等線に仮指定をしている。
 これは当時、信夫郡の経済的中心が福島ではなく伊達/保原にあり、街道は江戸時代に福島城(現在の県庁)発、十万劫を経由するルートから変更されていたからである。
 http://dtm-rt.o.oo7.jp/3.dtm/6.ObRoad-Diary/project-4/026.QR115-SomaNakamura/QR115-Somanakamura.htm
 
福島中央道(相馬ー福島市)ができた、そこで感じたのは今までの道が完全に旧道化した
それも車が一日数台とかの単位でしか通らない、これは何なのだろうと奇妙だった
だからなぜか廃屋とか空家が多いと見た、ただもともとあの辺の道沿いには家が少なかったし店もなかった、だからもともと家がないのだから福島中央道ができて寂れたということではない、でも今の福島中央道の高い所を走る車を見ているとひっきりなしに車が通っている、すると前は相当にやはり車が通っていたのだ
ただ今の時代車社会だから相馬市領域となると山上辺りではまだ家がありそれで家があれば必ず車をもっているから車が少なくなっても通るのである

でも玉野村から霊山の方にはほとんど車が通らない、こうなると自転車で走るのには快適である、まるでサイクリング道路になってしまった
旧道化しても六号線ができたから相馬市の城下町から浜街道を車を通らなくなることはない、結構通っている、家があれば車を利用するから車は通るのである
しかし玉野村から霊山まではほとんど車が通らない、だから何か不思議だった
そこで玉野村までとかバス停があり何かそれが道の記念にあるように見えた
そこに地名が記されているから興味をもった、まるでその土地の地名を示すようにあったからである

ここで思ったことは道の影響が大きいということである
交通とか道が変わると急激に変化する、ある街でも栄えていても急激に衰退する
そういうことは歴史上常に経験して来た
北前船とかでも鉄道ができたとき衰退して歴史になった
鉄道でも車時代になったとき衰退した、車を乗る人はそもそも鉄道を利用しないから鉄道の乗り方すらわからなくなっているのだ
そして駅で80くらいの人にあうと車の免許を返納したとかいう人がいた
そこで鉄道を利用するようになったともなる
また怪我したトラック運転手は自転車に乗るようになり坂元とか結構遠くまでサイクリングしている
ともかく今の社会が車の影響がどれだけ大きいかわかる、もう車に乗らない人は社会に適合できない落伍者だとまでなる、確かに車を持たない人をそう見ているのである
車にも乗れないのかとなるからである、確か車に乗らない人はニートとか無職の人が若者でも多いのである、だから社会の落伍者に見えるのである

ともかく相馬市から福島市方面の街道はもともと中村街道でありそれは福島市の方に行くものではなかったのが意外だった
ただ玉野村から中村街道の細道がありその道の辺に古い碑がありそこでその道が相当に古いとわかる、トンネルもある
そして玉野村は伊達と相馬の境である

伊達と相馬の境の桜

花は相馬にみは伊達に

とあるごとく境なのである、それでそこに若木神社があるのは理解できる
境を越えて入ってくる者を警戒した、疫病がもたらされるからである
この若木神社自体が相馬藩で見かけない、この玉野村にあることはもともと境だったから理解できる、ただ江戸時代の中心が伊達や保原だったことが意外である
福島市は廃藩置県で県庁があり福島県の中心になったのである
それまでは中心ではなかったのである、ただ保原とかなじみがないからこの辺は調べないとわからないのである

人間社会で交通の変化の影響は大きい、何か繁盛した場所を見るとその当時の交通の要にあったとかなる、場所が良いだけで繁盛する、それは道路と交通の影響でそうなる
ただ前からあったソフト屋は繁盛している
中央道ができても必ず寄る人がいる、それは多種類のソフトを作っていてうまいからである、みんなそれを知っているから道路の影響がなかったのである
またあの辺にはもう一軒の店もないのも影響している
ただ相馬ー福島間が45キロとなると最速30分で行けるという人もいたから早いと思った
だから途中にSAとか常磐高速のようにないのである
直通で通りぬけてゆくのである、するともともと家が少なかったにしろ店とかはもう車も通らないということでやめたともなる
町や村でも高い道路を走るので関係なくなるからだ
常磐高速でも鹿島区にSAがあってもそこにしか人は集まらない、街の方には来ないのである、そこがいくらにぎわっていても街とは関係ないのである
鉄道だったら駅前通りができたがそういうことにはならないのが車社会なのである

とにかく今回宇多川をさかのぼり玉野村に出て霊山まで行ったがそこが何か現在の生活が途切れて歴史の道になった感じをもった
人間はこうして交通とかの変化で昔になりそこが遺跡のようにもなる
現実の生活で活きていたものが過去のものになってゆく、そして歴史として偲ぶともなるあそこが車がほとんど通らないし行く人もいなのである
バイクが何台かとか行くだけである、だからその差が大きいと思った
江戸時代の中村街道から今度はこの道が旧街道になってしまった
ただもともと家が少ないから町とか村自体に人がいなくなるということではない
でも急激にそうなったので不思議な感覚になったのである

旧道をよぎり飛び消ゆ秋の蝶

旧道に散れる木の葉や旅路行く

旧道を来て出合いや秋の暮

秋日さし二本の松や旧道をたどりて偲びあわれ深まる


秋深む宇多川を上り霊山へー真野川を下り帰る (バス停をたどる旅)
http://musubu.sblo.jp/article/189129346.html
posted by 老鶯 at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年11月11日

秋深む宇多川を上り霊山へー真野川を下り帰る (バス停をたどる旅)


秋深む宇多川を上り霊山へー真野川を下り帰る

(バス停をたどる旅)


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物倉のバス停
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大滝
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草埋もれ十体の仏秋深む

これがなぜここにあるのかわからない、古いものではないみたい

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バス停残り薊に石一つ

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空家が多い、これは廃屋である


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玉野村にあった神社

若木神社は疫病を防ぐ神である
八坂神社もそうらしい
八坂神社はとにかく多い
玉野村は伊達の相馬の境界だから疫病を恐れて神社を祭った

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reizanaki6.jpg


真野川を下りー栃窪へ

onehouse7.jpg

onehouse8.jpg
この一軒あった家も空家になっていた
紅葉は散っていた、水は湧き水か清水を吸い上げて流している
水道とか下水道は使っていない、水は無料である
放射性物質に肝心の水が汚染されて飲めないとなれば住めないともなる
つまりこんなところにも住んでいいたのに住めなくさせたのが原発事故だった

はっきり見るにはクリック拡大



山上の奥のあわれや刈田かな

蔵古りてなおあまたなる残る柿

干し柿や昔のままの家一軒

秋の雲流れて遅く休むかな

草うもれ十体の仏秋深む

物倉のバス停あわれ秋の暮

打ちひびく巌に大滝秋の朝

バス停の残りて石に秋あざみ

玉野村若木神社や秋の暮

秋の暮伊達と相馬の境かな

バス停に空家に一輪秋薔薇

バス停の残りてあわれ秋の暮

十体の仏の像や秋深む

旧道や松に紅葉の映えにけり


でで虫の殻の一つやバス停は間の次郎や秋のくれかな

二本の松の幾年月やここにしも離れずありて秋のくれかな

霊山のそそりて険し修行する僧のありしも秋深まりぬ

誰が棲むや湧き水いでつ紅葉映え山の間あわれ月のいずるも

たずねける人のなしかも空家一軒水の湧き出で紅葉に暮れぬ


真野川を上り栃窪に行く道が通行止めになっていた
それで今回は宇多川の方を上って行った、山上の方である
ただここは結構坂がつづいて疲れた、電動自転車でバッテリー二つを伸せるになったのは自分にとって安心を得た、一つだと必ず切れて苦しくなるからだ
二つだと余裕なのである、まずバッテリーは切れることはないからである

物倉というバス停があり何かそのバス停の地名がここに残る、まるで駅名のようにも見える、何かバス停は文化財のようにも見える
でもここの路線は玉野の学校に通う人がいてバスも通っている、だからバス停はまだ活きているのである、ただ小学生とかが利用しているだけなみたいだ

この辺は福島市までの高速道路ができた結果旧道になってしまった
ほとんど車が通らないのである、何か空家も多いのである
車は高い所を走っているのである、なにか相馬市から30分くらいで福島市につくとか行っていた、それは早いい思った、高い所を車が突っ走って行く、途中道の駅もない、直通で福島市に行くのである
ただソフト屋だけはひっきりなしに人が来る、繁盛している、あれだけの種類のソフトを作っていれば売れるとなる

霊山とは霊山寺がもともとあり修行の場だった、天台宗の山岳仏教の場だった

阿武隈高原の北端に霊山寺がある、貞観元年(859)円仁の開基と伝え霊山の中腹の寺屋敷、山頂、副霊山、東寺屋敷などに礎石を残す寺院跡、鎮守山王社など数十基の大伽藍遺構が山林藪の中に存在する、土師器、須恵器、硯、青磁、白磁、経塚遺品が出土して
9世紀後半から中世にかけてのものである
霊山寺は天台宗の山岳寺院で鎌倉時代末期に南朝の拠点となり国司北畠顕家はこの寺を頼って陸奥国府を移したが十年にわたる北朝方の攻撃によって一山ことごとく灰塵に帰した

天台宗というとき山形県の山寺もそうである、山岳仏教というのは山に籠もり修行する
ただ不思議なのは霊山でも相当に高い、それで食料はどうして調達したのかとなる
そんな高い所でどうして生活していたのかとなる
ただ山岳宗教となると山と一体化して修行するということだから都会の宗教とはまるで違ったモノなのである、本来宗教とはそうして山を修行の場として生まれたとかありとても今の様な大都会の宗教とは別物である、実際はそれが本来の宗教なのである
ただそういう寺院も城の役割があって砦のようになっていてそこに武士が入ってきたのである、また僧侶が武士にもなっていたのである

霊山から佐須に出てずっと下りまた高台にある紅葉が美しかった家をたずねたが紅葉は半場散っていた、朝日に照らされた紅葉は美しかった
そしてあのような所に家があるのも不思議だった、今は人は住んでいない空家である
ともかく本当に空家がやはり目立つ、高速道路ができて車が通らなくなり空家化したともみる、高い所ではひっきりなしに車が通っていたからである

2021年11月10日

霊山町の方に行ったが全く記憶が消えていた (人間ほど忘れやすいものはない)


霊山町の方に行ったが全く記憶が消えていた

(人間ほど忘れやすいものはない)

霊山を越えて霊山町の方に行ったのは20年から30年ぶりくらいかもしれない
それで不思議だったのは霊山神社があるところが道から奥の方にありこんなところにあったのかと不安になり行かなかった、そこまで行った記憶が全くなくなっていたのである
他にも別な方向に行ったこともあった、そこにも行こうとしたが行けなかった
前はゆっくりといろいろ回っていたのである
人間はまずいくらそこを訪れたとしても20年とか30年過ぎると記憶が消失してゆく
だからそこは初めて行った場所にもなっていた
第一霊山が霊山町の方向から見たら違って見えたからである

一つの山でも方向が違うと違って見える、だから何でも印象は一つとはならないのである霊山だったら何度も見ているけど同じ方向から見ていると印象的には同じになる
山を知るという時、実際は山を登らないとまたわからないのである
霊山は前と上っていた、その頃バスが通っていたから行けた
それでバス停があったのをみて昔はバスが通っていたと見た
霊山には古霊山とかあり裏の方にある

古霊山落葉の深く踏み帰る

あそこも神秘的な場所である、それだって一回だけと行ったのでは記憶が薄れる
ただ霊山にしても低いにしても霊山全体を知ることはなかなかできない
岩手山は三回登った、下山したときまだ秋なのに紅葉の盛りでありそれが一瞬にして雪化粧したのである、そういうことはやはり山を上らないとその山の厳しさ感じられないのである
ただこうして山を実感として知ることはむずかしいとなる

頂上に紅葉の燃えて雪化粧一瞬に変わる岩手山かな

岩手山は独立峰であり印象に残る山である、山はそれぞれに違った個性を持っている
霊山はもともと僧の修行の場だった、山岳宗教の場だった、そこで修行していたというけどそれで不思議なのはどうして食べていたのかということである
食料をどうしていたのか不思議なのである、でも山城などでは食料を下から運ぶ人達がいたのである、そういうことで伝説も残っている
第一修行するにしても誰かが食料を運ばねばならないからである
その食料をどうして調達したのだろうと不思議なにる、冬でも寒いから暖房をどうしたのかともなる、霊山は歴史の山であるから他の山とはまた違っている

霊山や巌に木の根秋深かむ

ともかく山は本当に必ず見方によって違って見えるのである、ただ山を知ることは容易ではない、まず山を登ること登山となると体力が必要だからそんなに登れないからだ

とにかく人間は忘れやすい、不思議になるのは50年前とか大学で逢った人がいたとしてそんな人がいたのかとまでなる、本当に実在したのかとまでなる
50年もすぎれば本当にその人が今実在しているのかとなる、実際に死んでいる人もいるからそうなる
霊山などはまだ近いのだからまた行けばやはり思い出すことがある
でも遠くになると思い出すことも容易でなくなるのだ
外国となると余計に思い出すことがさらにむずかしくなる、なぜなら一回しか行けないことが多いからそうなるのだ、ただ一回でも記憶する旅をしていれば思い出す
団体旅行で騒がしく旅していると辺りの景色などが心に記憶されないのである
辺りの雰囲気を記憶するには一人旅がいいとなる、二人くらいでもいいとなる
それでもその場の雰囲気を記憶するには一人の方がいいとなる

ともかく今回霊山町の方に行ったのは本当に不思議な経験だった、全く前に行ったとしてその記憶が消えて始めて行った気分になったからである
ただ体が異常に疲れた、五日寝ていても疲れがとれないのである
筋肉の疲れがとれないのである、ただ写真をとれなかったのでもう一回とるために行くほかない、寒くなると行けないからである



2021年11月09日

日蓮の時代と同じ七難八苦の時代へ (中国とロシアが南から北から攻めてくる―日本存亡の危機)


日蓮の時代と同じ七難八苦の時代へ

(中国とロシアが南から北から攻めてくる―日本存亡の危機)

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他国からの侵略〈他国侵逼難(たこくしんぴつなん)〉と国内紛争〈自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)〉の二つだけは未だ起きていないからです。このままいけば、この二つもきっと起きてしまうでしょう」と警告します。なお、この警告は後に文永十一年〈1274〉年に起きたモンゴル軍の襲来「元寇」と、文永九年〈1272〉に起きた北条氏一門の内紛「二月騒動」によって的中することになります。

小の三災に穀貴(こっき)・兵革(ひょうかく)・疫病(えきびょう)があります。穀貴とは、五穀の価が異常に高騰(こうとう)する物価騰貴のことであり、兵革は戦争、疫病は伝染病や流行病などをいいます。

今は日蓮の時代と似ている、おそらく東日本大震災とか原発事故とかがその前兆として起きた、次に日本経済が衰退して穀貴(こっき)が起きる、最悪になれば飢饉になる
現実に円安になり食料を外国に頼ることができなくなり日本に入らなくなる
それで日本は今や中国に貧乏国となり買い負けて買えないのである
中国がアメリカと争っているようで依然として互いに貿易はして利することをしているのである、利するとなれば日本は今や小国だから中国を相手にしていた方がいいとなるからだ

そしてアメリカが日本を守ってくれるかというとそうはならない、アメリカ自体が衰退しているしアフガニスタンで撤退したようにアメリカは日本を守らない
だからこそ中国は強気であり台湾進攻は時間の問題だとなる
台湾の次は沖縄占領を目指している、また津軽海峡を中国とロシアの海軍の船が航行したようにロシアは北海道を占領する、つまり中国とロシアは日本を占領することを狙っているからだ、アメリカを警戒して今までは露骨には侵攻してこなかったが今やアメリカが弱体化したとなり日本占領を狙っている

日本はあらゆることで今危機になっている、自然災害でもそうだし疫病でもそうだし次々と災難が起きてくる、七難八苦の時代となる
こういう時挙国一致の内閣とか政府とか作らないと日本は中国とロシアに占領される
現実にソ連(ロシア)が北海道を占領するために日本軍が戦って守ったという事実があった

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ソ連軍は北方領土を次々と侵食して行ったが、北海道本島にはすでにアメリカ軍が進駐しており、ソ連による北海道割譲の野望は砕かれた。当初の計画通り、占守島が1日で占領されていたら、北海道もソ連の手に落ちていたことは間違いない。

島を死守し、民間人を保護し、祖国を守って戦い抜いた男達は、戦闘終了後も帰国できるはずが連行され、極寒のシベリアで奴隷労働に従事し、多くが命を落とした。(ちなみにこの明らかな国際法違反の拉致虐待犯罪による被害者は200万、死者40万とされている。)
http://www.suzaku-s.net/2007/07/shumushu.html
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つまり日本の敗戦で本当に北海道はロシアに占領されるところだったのである
そこで戦った人達がいたということは大きな功績だったと認識した
戦わなければ北海道はロシアに占領されていたのである

日本はこうして七難八苦が来て混乱して苦難の時代になる、それは明治維新の時がそうであり70年過ぎて太平洋戦争で焼野原になったときがそうでありそしてまた70年過ぎて大混乱の時代になる、
こうなった原因が日本から善神が去ったとか悪心が満ちるとかがあり法華経を信じろと説いた、今もそうである、日本人にはもう日本人の本来の心など喪失した
金しか求めない守銭奴しかいない、それは政治でも経済でも教育でもあらゆる分野で金をしか求めない、日本人の義理人情などとっくになくなっている
日本人は情も義理もなくただ金を求めているだけである

相手が弱ったとき好機だとなり相手が苦しんでいることで喜び攻めて金を得ようとするだけである、そういう非情を介護と自らの病気で嫌というほど味わった
それも金に余裕がなくなり相手のことを思う余裕もなくなったからだともなる
日本が貧困化してくるとそうして相手のことより自分のことだとなる、飢饉のようになったら食料でもなんでも奪い合いになり金持ちは鉄条網を作り守るほかなくなる
一部はなっている、中産階級が没落して極一部の富裕層と社会が分離されると国力がさらに衰退する、今でも既得権者が批判されるからである、つまり既得権者のために極一部の富裕層のために戦うのかとなるからである
そこに分断が起きて国内でも二分して争うことになり内乱状態になりそうなると外国勢が巨大化した中国がロシアがその機に乗じて攻めてくる
アメリカはアフガニスタンのように外国にかかわらず引きこもるようになる
この世は弱肉強食となりまさに日蓮の危機の時代にある

日蓮がどうのこうのと言ってもカルト教団などなんの頼りにもならない、御利益しか求めない、金しか求めないからである、その人たちが国のために犠牲になることなどしない
第一政治家はあてにならない、自分達の既得権を得るために地位についているのであり
日本のために働くなどないのである、第一創価公明は中国と親密だから中国に日本を売り渡す、それは確約している、そして中国様の配下となり地位を得て得することしか考えていない、そもそもそうして権力と地位を得たいために権力争奪のために祈って日々選挙態勢であり運動しているからである
そういう団体と自民党が組んでいて創価頼りであり自主性もない、創価公明とは中国党なのである、中国の手先であり日本を中国に売り渡して自分たち特権を得ようとしているのである、そんな政党と組んでいる自民党は危険である
中国が攻めてきたときどうするのか?もう内部に手先がいて降伏して国を売りわたすとなる、創価公明は中国の命令で動く一部隊だからである

他国からの侵略〈他国侵逼難(たこくしんぴつなん)〉と国内紛争〈自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)

国内紛争も熾烈になる、そうして内乱状態になるとそこで外国から中国にロシアにつけいれられる、中国とロシアの軍の船が津軽海峡を通ったということはすでに両国は日本を占領を狙っているとなる
それはアメリカが弱体化したからだとなる、その隙にそうして日本を狙って我がものにしようとしているのである

日本は今や外国から攻められるというだけではない、内部でももう経済的にもあらゆることで衰退して疲弊している、また挙国一致にするにしてもそういうことも戦前とは違うから戦後は平和であり利益優先だから金だけを求めて働いてきたから第一国のために働くということを否定してきたのである、ただすべて自己の利益のためにしか働かないようになった、それは原発事故でも補償金をもらったら他にみんな移住してもぬけの殻のように故郷がなったからである、ただその時求めたのが補償金であり金だけだったのである
何か金より大事なものがあってよかったと思うがそれもなかった
故郷の価値とは何か金だけで計れないものがあったと思うが現実は金だとなり故郷は簡単に捨てられたとなる、ただ放射線被害があるからそれは正当化されたのである

要するに日本もこうして金を求めるだけの社会だから日本も簡単に日本人が捨てるのではないか?
現実にひろゆきとかなんとか若者などはそういう意識に育った、戦後の団塊の世代でもそうである、唯一の価値が金となっていた時代だからである
外国に移住すればいいとかなるだけである、日本を逃げろ脱出しろとしている、日本などどうでもいい外国へ逃げろとしているからだ、そういう人はもう日本に住むべきではないとも思う
外国暮らし人は外国に暮らすことが抵抗がないからである,グロ−バル化ということはそういうことをかえって奨励した社会だからである

つまりこの辺のように原発事故で簡単に故郷を捨てたように日本もまた捨てるのではないか?創価公明のように中国様に売り渡すことがありまた日本人が自国を守る意識がない
そういう教育も受けていない、ただ自分自身の利益追求だけをしてきたのが戦後だからである、日本人はそもそも国という意識すら失っているのではないか?
国のためにとなったのは戦前であり過剰にまでなった、それが戦後は過剰に自己の利益のために働くとかしかなくなったからだ、それが極端だったのである
だからそういう意識が喪失したときどうして国が守れるのかとなる、そういう国とかを否定してきたのが戦後の日本だったからである
でもこうして危機になるとき日本を守るということができるのか?
結局中国ロシアに国土が占領されてその隷属下になるのか?それが問われている

今必要なのは戦前と違った愛国心なのかもしれない、愛国心でもいい愛国心と悪い愛国心がある、自分の利益のために既得権とかのために戦う愛国心と純粋な愛国心がある
それはどこの国でももっている、でも共産主義はこの愛国心を否定する、でもこの愛国心は基本的な人間のアイディンティティである、それを否定したらそもそも国が維持できないのである、だから中国でもロシアでも愛国心がありそれを鼓舞するのである
日本はアメリカに負けて占領されてから愛国心すら奪われて精神的にも従属するようになったのである、でもアメリカが弱体化して中国がロシアが脅威となるとき自国で守らなければならなくなった

ただ日本は少子高齢化であり経済も衰退しているしそれも足かせとなって国を守る気概とかも喪失している、それも危機になっている
これは中国でも高齢化社会になっている一人っ子政策で戦争となると尻込みするかもしれない、中国でもやはり大国でも個々人は軟弱している
ただ中国は台湾を支配すれば次は日本だとなる、その脅威は具体的に迫っていることは確かである
こうはいっても自分自身がもう年齢的に苦しい、むしろそうした苦難を担うよりその前に死んだ方いいとまでなる、どうしても老人は保守的になる
ただ明らかにこれからの人は苦難を強いられる、戦争経験した人の様な苦難を強いられるそれに耐えて乗り切れるのか、いづれにしろ日本存亡の危機が迫っているともなる
政治にしても大きく変革が望まれる、その兆候として維新が躍進したことは政変のきっかけとはなる、動乱の時代になってきたのである

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2021年11月08日

創価とナチスは文明病でありファシズムになる (自公政権は崩壊すべきー創価の票も減りもう頼れなくなる)


創価とナチスは文明病でありファシズムになる

(自公政権は崩壊すべきー創価の票も減りもう頼れなくなる)

●この世の王となり支配することが目的

創価とは何なのか?
それを知るにはナチスを知りまた現代文明の病理を知らなければならない
これは文明から生まれた病理的現象であり宗教とかの依然の問題だからである
そもそも宗教というときどういうふうにして生まれたかわかる
その始祖は都会から生まれていない、キリストでもエレサレムの神殿で商売している人を神聖な場所を汚すなど怒ったからである
シャカは洞窟で悟りを開いたしモハメッドでもイスラム教の始祖も洞窟で啓示を受けた
つまり現代文明の大都会とかとはかけ離れた場所に本来の宗教があった
日本だったら山伏とか山岳宗教がありそれで六根清浄とか修行したのである

現代の宗教はそうした本来宗教が目指したものとまるで違っている
文明の大都会を拠点として生れたものでありそこに宗教性がなく経済と政治と科学技術の宗教である、そこに一人瞑想したり自然と通じ合うことなどはない
宗教もビジネスであり政治であり俗的なものとしての欲望の追求である
結局ハイルヒットラーとナチスでもありハイル池田大作となったのが池田大作である
そういうものがなぜ生れたのかというと文明という異常なものを母胎として必然的に生まれたのである、オウムでもまさにそうだった、現代文明の中から必然的に生まれたカルトだったのである

キリストが試された

「更に悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう』と言った。すると、イエスは言われた。『退け、サタン。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよと書いてある」。

この世の王になることを拒否したのである
でも今の宗教は団体はこの世の王になることを望んでいるのである
ただ宗教はそのために利用されているだけである、完全にサタンに乗っ取られた宗教なのである、それはローマ帝国でもカトリックが政治組織化して本来の宗教でなくなったのと同じである
この世の王となり権力を手中にしたいということである、もちろん創価でも他の宗教団体でもいろいろな人がいる、ただ確実に組織団体の目的が宗教の悟りとか救いと関係ないのである、この世の権力を手中にしてこの世の栄華を求めているのである
だから目的は権力奪取と公然として言っているしそのために選挙活動が最大の運動でありすでに選挙態勢組織としてあり毎日が365日が選挙活動のためにある
つまり常時選挙運動しているのが創価なのである、それが信心でありとしているからカルトなのである

●団地の宗教と言われた創価の成り立ち

大都会とは狂乱と混乱でありもうばらばらの世界である、そこでなんとか組織に入って辛うじて繋がりを求める、なぜなら創価とかは戦後の焼け野原からまた東京に地方から集まった人達が作ったコミニュティでありそれで団地の宗教と言われたのである
団地には地方から出て来た人達が集まり何か田舎のようによりどころがない
田舎から地方から切り離された人達が団地に住んだのである、そこで仲間を形成したのが創価である、座談会という形式がそうである、そこで仲間意識を高めたのである
だから洞窟とはか山岳で悟り開くとか本来の宗教とはまるで違ったものである
東京とかの大都会が産みだしたものでありそれは仏教などと全く関係ないのである
何か地方から田舎から出て来た人たちが都会に出てきて不安になりそれで仲間を作る手段として宗教があった、それが団地の宗教であり選挙の宗教となったのである

どういうわけか国土交通大臣が公明党になっているけどここは大きな利権になる
公共事業でも配分するからである、それで団地には大成建設の人が住んでいた
そこで会合をしていた、大成建設と創価は深いつながりがある
それは富士山に正本堂を建てるとき請け負ったからである、そこで深い繋がりが生まれ
大成建設は創価のシンパとなり選挙運動もしていたのである
創価大学では必ず大成建設に就職する人がある、その枠を与えられているからだ
それはこうしてつながりが深いからそうなっているのである
また大銀行でも巨額の金を預けるからそこから銀行に対しても力を持つのであく
創価とはこうして巨大な権力機構集団でありそれで一番の運動の目的が選挙のなである
なぜなら選挙は一番権力と結びつくからである
自民党は創価の会員の票を得られなとと落選する人が半分くらいいるというのもそうである、つまりまとまった票を操作できるからそうなる
自民党を下支えしているのは創価の票だとなる、ただ最近は衰退しているし主役だった人達が高齢化して老人会の集まりのようだというとき最盛期はとっくに終わった
ただ辛うじて現状維持するのが精一杯だとなる

●創価でもナチスでもでもカルト教団は文明の病理現象

ともかくナチスがなぜ生れたのかと問うとこれも何か解明されていないのである
それは文明的病理現象であり文明故に生まれたものとしてピカートが解明した
それと似ているのが現代のカルト教団なのである、それは創価に限らない現代の宗教はカルトであり文明の病理的現象なのである
だから創価で精神障害になっている人が多いというときもそうである
ただこれは創価に限ったことではない、そもそも東京とかに住んで精神の正常が保たれるのか?そこからしてすでに異常なものが生まれる素地がありそれがなくなり第二第三のナチスであれ創価でも生まれるし現実に第二の創価なのか顕正会とか生まれているからだ
日蓮宗にはファナティクなもの狂信になりやすいものがあるからだ

世界でもそうだが大都会現象というのは世界的現象であり文明的現象である
そこが人間の住むところなのか?そういう場所で精神の正常が保たれるのか?
それが不可能になる、グロ−バル経済にしてももうそれは人間的なものをはるかに越えている知りえようがない世界である、そいんな天文学的な数字の金を扱っていてそれがまともな経済なのかとなるからだ
だからそれもある時世界恐慌とかなり世界的に崩壊する、とても維持できないのである
そこに株でも公正になりえない世界だからである、それで絶えず陰謀論になってしまうのである、陰謀論になるのはもう世界と社会でもとても見えないからである
誰一人としてそれを理解する者はいない、株でもそれは世界のカジノになっている
数字を操作するギャンブルとなる、そこで世界的な搾取があり極一部のものに金は吸い上げられているのである

人間が肌感覚で理解できる世界は狭いのである、まず東京とかを見渡して目まいを感じないか、こんな所に人が住めるのか、ここは一体どこなのだ、どこかの別な惑星に来たのかともなる、とてもそこが人間の住む世界でありえない、だから良くそんな場所に住んでいられると思う

そういう大都会に住んでいられること自体異常である

つまり東京のような大都会に住んでいること自体がすでに異常なのである、とても正常は保てない、ということはなんらか異常なものが必然的に生まれて来る
それがカルト宗教団体でありオウムであり創価でありナチスであり統一教会とかでもありすへて文明の異常から生れた団体である
そこで目指しているのは何かとなればこの世の権力を得ることで共通している
ただ数と金を追求して権力を得てこの世の王となることである

●私が追及してきたのは自然と一体化するアイディンティティ化すること

自分は東京に住んでいてそういう世界の異常空間から離脱して田舎に帰り住んで自然との合一をアイディンティティ化を試みてきた
自然と合一するというとき文明でも古代文明はそういうことがあった
エジプト文明でもマヤ文明でも古代文明は自然と合一するアイディンティティ化するものがあった、現代文明は自然と遊離した乖離した文明である
だから生態系と結びつかない、生態系と分離するのである、東京の中に第一生態系を感じるものがないからである、完全にビルとか家で埋め尽くされて自然を感じるものがないからである、人間が全く人工化した空間に適合できること自体が人間が異常化しているのである

そして原発事故でもなぜ起きたのか?それは本来は東京に作るべきものだったのである
なぜなら送電線でもコストがかかるからである
でも東京では危険だからとして福島に作ったのである、ここからして専門家や技術者は
事故を想定していたのであり危険なものであるから福島に作ったのである
それほど安全を言うなら東京に作った方が安上がりにもなったからである
原発も巨大都市東京があって産みだされたものだともなる
東京から巨大な災いが生まれてくるのである、それはもう人間的なものをはるかに越えたモンスター都市でありそれが災いを産むのである
ナチスであれオウムであれ創価であれ他のカルト宗教団体でもそういう大都会の異常の中から必然的に生まれてきたのである

東京から離れていても東京という巨大都市は回りに影響する
それが原発事故になったしコロナウィルスの時も東京が震源地となり地方に拡散されるという恐怖があった、それで福島から放射線被害を逃れた人たちが放射能がうつるから来るなと言われたのもそうである、そして逆に今度はコロナウィルスがうつるから東京の人は来るなとなったのである、これもカルマだったとなる
実際に東京という異常な大都会から回りに地方でも影響する
東京は災いの都市となるのである、それは一千万の人口をかかえているのだからその圧力が周りに起きる、回りも地方も災いに巻き込まれるのだ
その一つは福島に作られた東電の原発だったし創価とかでも東京から地方に拡散された
何か悪いものが核散されるのである、そもそも宗教は都会から生まれていないからである
私は東京を脱出してその正反対のものを追求して来た、自然との合一でありアイディンティティ化である、山や木や石と一体化することであり詩にしてきたのである

ただその東京のようなモンスター都会があってそれが飯館村を崩壊させたともなる
原発を産みだしたのはやはり大都会であり東京でもあったからだ
ただ価値観としては現代文明の一員として同じだったのである
みんな電気がなくて生きられるか、車がなくて生きられるのか、石油がなくて生きられるのか・・・・こういう意識は田舎の方が地方の方が強いからである
だから車でもいい車が欲しいとなるし電気なしで暮らせるとかなるかもっと贅沢したいとなっているのである、それが原発は金を産みだすから金のなる木だからそこで利益を得よとすることで眼の色を変えて誘致したのである
それで東京と地方のこの田舎でも同じ文明人でありその求めるものは同じだったのである

でも自分の場合、別に電気でも使っているし現代文明の生活をしている
ただ違ってるのは車はもっていない、だから文明的生活からここだけははずれている
あとは文明的生活をしているとなる、それでも精神的なものとしては文明を拒否して
自然との合一を求めてきたのである、そういう場所として田舎があり地方があったとなるともかく現代は文明は異常であり正常が保てない、実際は東京などは狂乱状態にあるともみる、そこで平静は保てないとなる
そして腐乱している、モラルも荒廃している、美もそこにないのである
そういう場所で宗教など全くありえないのである、宗教がある場所はもともと山岳とか清浄な場所にあったからである



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