2021年11月07日

飯館村考ー何が失われたのか? (一つの詩から問うー失われた貴重なものとは)


飯館村考ー何が失われたのか?

(一つの詩から問うー失われた貴重なものとは)

●飯館村を象徴する詩から考える

世界の秘密 ホーフマンスタール 

深い泉たぶん知っている
かつてみんな深く 無言だった
そしてみんながそれを知っていた

奥底まで理解されずに
口づてで語られる呪文のように
それは今人々の口から口へ伝わっている

深い泉たぶんそれを知っている
その泉をのぞきこんで 一人の男がそれを知った
それを知ってやがて失ってしまった

宝石がそこに隠されているとも知らないで
乞食の足は砂利をふみつける

飯館村では失われたのは何なのか?この詩がそれを象徴しているかもしれない
深い泉というとき「作見の井戸」が飯館村にあり豊作になるかどうかを占った
その井戸が知っているとういとき自然の神秘がありそれを村人が知っていて
祭りとして行われて来たとなる

飯館村というとき広いから近くてもわかりにくいのである、回りの森でも深いからそこには踏み入れていない場所があり神秘があるとなる
今回訪ねたのは大倉から佐須の方へ行く道の山間の高い所に一軒家があった
前は二軒あった、でも一軒しか残っていない、そこには人は住んでいない
でも蛇口があり水が止まらず流れていた、飯館村とかではまだ自然の水を利用している
吸い上げたりして利用している、他でも利用していた場所があった
そもそも水でも水道はなく自給自足であり水はあった
それは自然の水だったのである、街内でも水は井戸水だったのである
農家ではみんな井戸水だったのである、自分の家では井戸がなかったらか近く井戸ある家で水をもらっていたのである

飯館村なら山の家なら水は自然の水があった、そこではどうして暮らしていたのかとみると炭焼き小屋の跡があるから炭を作って街に売っていた
炭が現金収入になっていた、街中でも炭が燃料であり自分の家にも囲炉裏があったということが不思議になる、そんな生活があったということが不思議である
だからつくづく戦後十年の生活経験は子供にしろ貴重だったとなる
人間はやはり水とか燃料となるものとかが今でも大事である
それが水道とか石油とか電気に変わったからである

結局その電気に変わったことでそれが原発になりこの辺では大被害を受けた
飯館村が一番放射線量が高く被害が大きかったのである
佐須村で泥が25マイクロシーベルトとかあったことには驚いた
それだけ放射線量が高かったのである、南相馬市とかの海岸地域は二日三日やはり20マイクロシーベルとになったが急激に下がったのである
ところが飯館村は一カ月も高い状態がつづいたし福島市でもつづいたのである
だからわからないのは福島市の方が南相馬市より高かったのである
でも補償金はほとんど出ないとなっていたのである

それは東風が吹いて飯館へ吹き福島市まで吹いたからである
春になるとその時海から東風が強く吹くからである、その風にって福島市の方まで流れたのである、その時期が悪かったのである、なぜなら冬だったら北風であり海の方に流されたからである、一カ月遅れて事故になっていたら被害は大きくならなかったのである
その時雪が降ったりしてそれで放射性物質も雪とともに降ったのも不運だったのである
ただ飯館村が原発と関係ないと言うがやはり原発で働いていた人がいたのである
それは給料が三倍にもなるし意外と重労働ではない、何分か交代してやる
中に長くいて作業できないからである、すると休む時間の方が長くなるともなるからだ
原発で働く人はこの辺では本当に多かったからそれで財を築いた人たちもいる
そのことであまり東電を批判できないという人達も多いのである

●飯館村の歴史は古

こんこんと水は湧きいず紅葉映えここに暮らしの失われしかも

ともかくあのように閉ざされたような隠れた場所に生活していた人がいたということが今になると不思議になる、それが不思議だというときもともとそういう生活が江戸時代からでも継続していたのである、つまり電気も水道もガスでもなくても人はそこで生活してきたのである、一時は戦後引揚者が入ってきて一万人近く住んでいたから驚く
その時は林業が盛んであったから住むことができたとなる
でも基本は自給自足の生活だったのである

第一飯館村には縄文中期の古い遺跡があり縄文時代からでも人は住んでいたのである
まったく人が住まない森でもなかった、もともとは日本がだったら森にどこでも覆われていた、その後稲作技術が入ってきて森が切られて平地になり米が作られて住むようになった、それが弥生時代なのである
そして不思議なのは佐須という地名は焼畑地名なのである、でも焼畑の技術は外部からもたらされた
それが山津見神社が佐須村の中心にあるけどまた綿津見神社があるけどこれは渡来人がここに入植して焼畑を伝えたからである、それで南相馬市には本当に綿津見神社と山津見神社が多い、この二つの神社に対になっていて一体なのである
長野県の安曇町は安曇族が入植した地でありそれで船の祭りが今でも伝えられている
海人族で船の操作にたけた人達だったからである、最近では南相馬市の鹿島区で船の線刻が発見されている

ともかくその一団が相馬藩一体に入植して拓いたのである
でも謎なのはその時代はいつなのか?それが不思議なのである
おそらく縄文時代があり次に弥生時代があったとすると弥生時代だともなる
そんなに古いのかというのも謎である、ただ焼畑農業はこれは実際は稲作より古いのである、それは月と関係している、五穀の神である、山では稗とか粟とか山でとれるから山芋とかもとれるらそれなりに山でとれるものがあり生活があった
だから飢饉の時やるに逃げろというのは何か食料になるものがあったからだとなる
ただ山の生活とかが戦後は特にわからなくなったのである

山津見神社には狼が祭られているけどそれも焼畑と関係している、畑がイノシシとか鹿とか猿とかに荒らされるというとき狼が天敵となっけ追い払ったともなるからだ

加工されたニホンオオカミの頭骨や牙が縄文時代の遺跡から出土していることから、その頃にはオオカミに対する信仰があり、頭骨や牙をお守りにしていたと推測されています

江戸時代以前から伝わる農家の旧家で形成される集落では、住宅や土蔵の入口に武蔵御嶽神社のお犬さまの御札を貼ってお祀りを続けているといいます。

飯館村の旧家からも狼の御札が発見されたのである、ともかくこの狼信仰は犬神信仰となり長く継続されていたし古いのである、縄文時代から信仰の対象ともなっていたからである

飯館村はこうして相当に古い歴史があり飯館村が無くなるとなるとこうした歴史も失われるのである
それより残念なのはここでの森があり自然と一体となり暮らしていた暮らしが失われることである、それが原発事故で一番罪深いことだった
それを象徴しているのが自然の水を湧き水であり山の清水でも利用していたのができない放射性物質に汚染されて水すら飲めなくなった
これが原発事故の酷さを示していたのである
そして補償金で村は分断されてばらばらになって離散してしまった
多額の補償金をもらった結果として不便な村に住みたくないとなり若い人は流出して残されたのは別荘に住んでいる老人だけだとなる

●飯館村の今後はどうなるのかどうすべきなのか

でも若い世代が流出したから村はもう継続できないとなる、多額の金をもらってもそれで村が元の村にもどることはない、飯館村でも補償金で争って分断して二派に分かれた
これもふりかえると南相馬市でもそうだが政府の策略だったのかともみる
補償金で内部抗争して分断された、そうすれば政府を一致して批判するより内部で争うから政府とか東電にとっていいとなるからだ
放射線量など正確に計れないのである、空気自体が汚染されているし水も汚染されているしそうしたらどうして汚染度合いで決められるのか?
そこで政府では大成建設とかにモニタリングボストの下の土をとって放射線量を低くしたのである、それは私もその回りを計ったら放射線量は倍にもなっていた
だからモニタリングボストの放射線量は実際は倍だとなみるべきである
そのことで抗議した

役場にあった線量計の値が平常時の年間許容量(1ミリシーベルト)を1日余りで超える「毎時40マイクロシーベルト超」を計測していたと指摘。驚く長谷川さんに向かって、村職員が「この数字、公表しねえでくれよ。(菅野典雄)村長から『絶対人に言うな』と止められている」と“口止め”されていたことを明かしていた。


長谷川健一さん死因は「甲状腺がん」…福島原発事故と戦った飯舘村の酪農家が投げかけたもの

これショックだった、やはりこれだけ放射線量が高かったら何らかガンになっても不思議でとはない、菅野村長のレリーフがある小さな公園が佐須村にできたがこの人は本当にそうした功績があった人なのかとみる、一か月間これだけの放射線量をあびたらなんらか体でも症状がでる、これから増えるとすると怖い
菅野町長は強引に村人を避難させないようにしたのである
ただその時何が起ったのか急なことで理解できなかった
それは南相馬市でも桜井市長がいち早く北海道に逃げたとか言われる、その真意はわからないがどう対応していいのかわからなくてそうなった
その自分自身も何が起きたのか理解できずに爆発した時でも外を歩いていたのである
ここでも半分は避難したが半分は残っていた
何が起きたのか急なことで理解できないからそうなったのである

いづれにしろ飯館村は自分にとっても思い入れある場所である、自転車で何十回も七曲の坂を上って行っているからである
ただ別に村の人とは何の関係もしていない、花を見て帰るとかだけである
自分にとって一番神秘的だったのは木戸木の森におおわれて流れであった
あそこは手つかずであり神秘的な場所だった、それも道ができてなくなったのが残念だった、ただそこに十軒くらいの戦後に開墾に入った引き揚げ者がいたのである
でも自分はそこには注目していなかった
あんな辺鄙な所に住んだのは住む場所がないからそうなった、そこでもどういう生活をしていたのかわからなくなった

ともかく飯館村は広いから未だにわからない場所がある、森でも広いからである
そういう踏み入っていない場所が相当ある、飯館村が今後どうするのか?
それはもう飯館村だけではどうにもならないのではないか?
もう自治体として自立して存続するのは無理ともなる
ただ土地はか山林を持っている人達がいてそれを利権化しようとするだけの場所になるのか?ソーラーパネルなどは土地を貸すからそうなる
牛の村でもあったがそれも極端に減った、これも存続するのがむずかしくなる
佐須村では花の村として丘に花畑を作ったりはししている、花は放射線と関係ないからである

もともと何か飯館村に入ると草深く野の花でも映えるしきれいに見える、今だ汚されていない花に見えた、そして広いから森の中に隠されるように農家があった
その前の広い庭に畑があり花が映えてひっそり静まっていたのである
それをただ天から神が見ているような感覚になっていたのである
そうして広い場所に森に隠されるように一軒一軒家があるからそれが贅沢だと見ていた
そういうことは都会ではまた街でもありえないからだ
街の庭は狭いし家々が隣り合って窮屈で息苦しいともなっているからだ
それでそこは癒しの場となっていたのである、なにかほっとする場所になっていたのである

●飯館村の貴重なものをとは何だったのか

飯館村の自然自体がなくなったわけではない、やはり森に囲まれた村でありそういう自然はなくなっていない、でも村として自治体として自治できる村なのかとなると今後は相当にむずかしい、だからもう南相馬市と合併するほかない、そこで管理されるほかないと地元の年配の女性が言うのもわかる
その人は村議会選挙で南相馬市の人はかかわるな邪魔だというのとは違っていて飯館村の現状をわかっていてそう言ったのである
飯館村にもいろいろな人がいる、でも一人の印象が悪い人がそれもその村の印象となる
ただ自分にとっては神はその暮らしを隠したというときそこに自然の花がより美しく映えていたとはなる、つまり人ととかかわらないとき自然の美だけが映えていたとなっていたのである

それでもその隠された暮らしすらなくなるとどうなるのか、猿やイノシシに荒らされ放題になってしまう、人はそこに住んでいないからである
だから原発の被害の影響は一番飯館村に現れたのである
そこにあった自然とか暮らしを根こそぎ奪ってしまったのである
木にしても3マイクロシーベルトが樹皮で計ったらあったから森自体が汚染された
その森から放射線は消えないのである、循環しているから消えないのである
落葉になって土に還るけどそれで放射性物質は消えないのである
だから土をとるとか大変な作業になってしまうのである、溜池を除染したけどそれだっけ森から放射性物質がきりなく流れてくるから除染作業は終わらないのである

真野ダムにも相当な放射性物質が貯えられているけどここだってもう除染することが不可能であり依然として飲み水としてペットぺットボトルの水を買って飲んでいる人達がこの辺でいる
要するに水とか空気とか森とか汚染されたら住めなくなるということである
この甚大な被害を修復するのもプルトニウムだったら二万年も毒が消えないとなる
こんなものをなぜ作ったのか、その管理もずさんでありただ「安全神話」を権力で作り金をばらまきそれでよしとしたのである
それでも東電の幹部は訴えられても無罪を主張している、そもそも検察がグルだったから裁くこともできないのである、天下りしているし利益を得ているからである

何が失われたのか?それは村人でも意識しないものでもあったかもしれない
村人でもみんながそこに暮らすことで満足していたわけではないからである

深い泉たぶんそれを知っている
その泉をのぞきこんで 一人の男がそれを知った
それを知ってやがて失ってしまった

宝石がそこに隠されているとも知らないで
乞食の足は砂利をふみつける

一人の男が知ったとはその男は誰のことなのか?宝石が隠されていたが乞食の足によって踏みつけられた、その乞食とは誰なのか何なのか
原発乞食と言われた補償金だけを要求しつづける人達なのか、またそうした自然の村に住んでいても踏みつける人たちなのか、外部の人達なのか、それを示唆した詩がこれだったのである


大倉から佐須へ行く山間の高い場所にあった家の写真をとれないことが失敗だった
もう一回行ってとってこよう

posted by 老鶯 at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2021年11月06日

霊山から下り霊山町の石戸へ歴史を偲ぶ (時雨の短歌に俳句)


霊山から下り霊山町の石戸へ歴史を偲ぶ

(時雨の短歌に俳句)

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ーーーー霊山町石戸村ーーーーー



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伊達市は柿で有名である、だから柿が多くなっていた
それで放射線被害で作れないとして騒いだのである

蔵が二つある家がある、やはりそれは栄えた家だと見る

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旅に老ゆ霊山の麓時雨かな

柿あまた十数軒の石戸かな

石戸なれ家十数軒時雨かな

犬飼のバス停残りしぐれかな

山茶花や土蔵に日さし石戸かな

秋あざみ草の花あわれ石戸かな


霊山を我が下り行く落ち延ぶや風に吹き散り木の葉の舞いぬ

一時に木の葉のともに散りにけり南朝亡ぶ霊山暗し

霊山を下ればたちまち打ち曇り時雨にぬるや旅路急ぎぬ

奥深く霊山神社の隠されて南朝伝ゆ秋深まりぬ


飯館村の佐須から霊山に上り「りょうぜん紅彩館」で芋煮を食べた、あと蜂蜜ユズサイダーを飲んだ、それが飯坂で作っていたのである、飯坂は温泉街でも寂れた
だから何かこういうものを作っているのかとも思った
芋煮は1000円で安かった、他にうどんと天ぷらがついていたからだ
私は一人暮らしで料理に困っている、食堂でも同じものであきるからだ
だから芋煮は食べられて得した、それも安かったからである

今回は霊山から福島市の方に下って霊山町の方に出た、今回はバッテリーを二つ備えることができたので余裕があって行けた、対かいバッテリーが切れるからである
でも一つで90キロとか行けるから二つになると余裕がある
それで霊山から坂を下った、この坂が結構長かったのである
前は良くこっちの方まで行っていたがもう数十年も行っていない、特に介護になってから本当に遠くに行っていない、だから地理でもからなくなっていた

霊山神社に行ったことがあってもあんなに奥深い所だったのかといぶかった
人間はとにかく地理でも何十年も過ぎるとわからなくなる、近くでもそうなのである
ましてや遠くになればさらにわからなくなる
近くだと何回も行けば記憶が蘇るからだ
ただ今回失敗したのはカメラに記録するカードを入れるのを忘れたことである
二つもっていて一つにcardか入っていなかったのは失敗だった

何か今回結構長い距離だったので旅をした感じになった、前は阿武隈高原を自由に思いのままに自転車で目的もなく回っていたのである
だからつくづく自分は恵まれていたのである、20代で苦しんでも後は旅に明け暮れるだけだった
ただ旅とも遠ざかり旅の感覚を忘れていた
それで霊山から石戸に出たとき時雨になった、そこで旅情を感じた
時雨というとき山頭火が有名であゃ時雨の俳人となっていた
ただ山頭火の場合は本当の旅人だった、あれだけの旅をしたということは驚嘆する
とても自分にはできないからだ、歩いて旅した最後の人だったとなる

旅する時歩くのと車ではまるで違ったものになる、まず車では旅はありえない
ただ移動なのである、なぜなら今回のように時雨など感じないからである
時雨とか風を感じるのには歩くか自転車である、バイクでも早すぎるからだめなのである一応風くらいは感じるが早すぎる、その早すぎることは人間の五感が働かないとなる
だから俳句とか短歌でも作れないとなる

今回霊山を下り石戸に出たとき不思議だった、そこは前に通ったとしても見慣れない初めて来た場所のようになっていた、ここはどこだろうといぶかった
家も少ない、そこに古い土蔵があったり犬飼というバス停が残っていたりして印象に残った、まだバス停があるのかと見た、ただ他でもバス停がありそこに地名が記されているから興味を持つのである、何か一つの記念碑のようになっているのだ
そしてこの石戸という名前が良かったのである、石の部落ともなりそれが良かったのである、地名は何か日本だとその場所を象徴するものとなるからだ、それで旅するとどうしても地名に興味をもったのである、そこから私は歴史にも興味をもち地理にも今日を見もったとなる、ただ旅するにしてももはやその時間は限られている
急ぐ旅ともなり時雨に濡れたということが象徴している、時雨はなにか死をイメージするからである

霊山はまず歴史を知らないとつまらないともなる、霊山は南朝の城でありそこが大事なのである、南朝系統と北朝系統は日本全国を二分した、その歴史は日本の隅々まで残っている、辺鄙な村にも残っている、それだけ二分した争いだったのである
そもそも相馬市とか南相馬市とか鹿島区になるとその霊山から逃れた落武者の末裔が住んだ所だからである、つまり先祖にもなっている
それが只野氏だったのである、只野氏とは郡山市の多田野村から発していたのである
同級生の一人が真野の江垂のお浜下りのおつづら馬という役で荷物を運ぶものとして重要な役目としてあった、ともかく只野という姓が鹿島区だけで50人くらいいるし近辺にもいたそれは南朝の末裔なのである

霊山はそうして歴史の町なのである、霊山神社には顕家の像があり二十代の若さで戦死したからだ、この南朝系統の神社は相当にある、そして大事なのは明治天皇は南朝系統だとしている、明治維新で重んじられたのは南朝なのである
だから明治でも南北朝の歴史が影響していたのである
だから日本の歴史でこの南北朝の争いがどれだけ影響したかは計り知れないとなる
その重要な歴史の拠点となっているのが霊山城だったのである
その規模は仏教の修行者の寺となることから南朝の城になったのである
ただ遺跡としてあまり残っていないからなかなか偲べないとはなるがその歴史はこの辺では相当に主要なものとなっている
それで野馬追の旗にその南朝の菊印が出ていたのである、それは鹿島区から出ていたのである

ともかく自転車でバッテリーを二つにしたら結構遠くに行ける、それでまた次は飯館村の佐須から霊山を下り丸森の方に行くことにした、ここは歴史の道でもある
バッテリが二つあると180キロ行けるから余裕になる、ただ坂でかなり消耗するからこの通りにはならない、今回思った以上疲れなかったのでまた近々行くことにした
やはり秋は涼しいからサイクリングには適している
ともかく旅はやめられない、それでまた長距離用の電動自転車を買った
でも部品がないとかでそれがいつ使えるのかわからない、来年になってしまうしいつ乗れるかわからない、今の自転車が荷台がないので長距離には向いていないからだ

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鹿島区に南朝系統の旗がある、天皇の菊の紋だからである

では次回をご期待!



2021年11月05日

飯館村の大倉村から佐須村から霊山へ (紅葉を見に行って佐須村で現状を聞いた)


飯館村の大倉村から佐須村から霊山へ

(紅葉を見に行って佐須村で現状を聞いた)

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猿がイノシシの檻にかかった―大倉



大倉で何かひきづっていた、なんだろうとみたら猿だった
イノシシの檻に入ったという、餌があるから入ったのかと思ったら獣の道にあり入ったという、とにかく猿が増えて困ったという、畑でも荒らされからである
大倉で30軒あったが今は二十軒だという、でもまだそれだけ残っている
空家が増えるとどうしても猿とかイノシシとかネズミでも家に入りこんでくるのである
それで家も荒れる、猿でもイノシシでも警戒しなくなるのが問題なのである
だから核兵器で人類が滅びた後に猿が支配したという猿の惑星は本当にこの辺で現実として起きたから驚いたのである
つまり人間は愚かだとしきりに猿が言っていた、本当に人間は愚かだというのがこの辺で証明されたとなる

赤々と紅葉の映えてこの家に人はなしかも水もいずるに

この水は山の水であり水道の水とは違うだろう、山では水を吸い上げたり山か水をとって利用したりしていたからである、ただ水は出っ放しであったからそう見た
ここは一段と高い所の家であり良くそんな所に住んだと見ていた
山の閉ざされて住むということはどういう感覚になるのか?それで生業があり炭焼きなどして住んでいた、ただ炭焼きは戦後十年くらいつづいても終わっている
その後はどういう生活だったのかわかりにくい、前に畑や田んぼがあってもわずかだからである、林業があればそれで暮らせた時期もあった、ただ外材になりそれもだめになったあとは他では牛を飼って暮らしていたのである
ただあの辺はどういう暮らしをしていたか良くわからないのである

大倉から佐須までは結構遠い、だから大倉村と佐須村が明治以降に民情が違うとして合併しなかった、地理的にも相当距離がある、今なら車だから感じなくても歩くほかないとしたら相当に遠いのである

佐須までを歩くとなれば遠きかな大倉より来て秋の日暮れぬ

飯館や懸命に鳴く残る虫

佐須に来たら風と土の家がありそこは宿泊もできる、簡易なベッドがあった
ただここも予約制だから泊まりずらい、何か撮影の人が来ていた
そこで一人の年配の女性が歩いていたのできいた
立派な石組の塀があったのでその中の家に人が住んでいるのですかと聞いたら住んでいるという、それは新しく建てた別荘であり時々帰るにしても住んでいないと思った
でも実際はここで住んでいるという、ただ年寄りだけが住んで若い人たちは他に移ったという
そしてその女性はもう飯館村はなくなると言っていた、菅野町長が30億とかの金をもらって村の人に配ったとか言っていた、飯館村の補償金が大きかった

ただその女性が言うには補償金だっていづれなくなるし飯館村ではもう生活できないと言い南相馬市と合併されてめんどうみてもらうようになるとか言っていた
この前の飯館村の議員選挙の応援の人は南相馬市だと言ったらただ関心があり聞いたのにかかわるなと言ってはねつけた
これは本当におかしいと思った、つまりこの女性の言うように飯館村はもう飯館村だけで成り立たなくなっているのだ、だからこそ南相馬市と合併するようになると言ったのであるそういう自分たちの事情すらわからない人がいたのである
この女性はこうして村の事情をわかっている

また補償金でもめたというのも聞いた、これは全体的にそうである、たいして放射線量も変わらないのに補償金に差がついたからである
それは伊達市でも親戚同士でも争ったというのも聞いた
つまり放射線量で区切って差別したことが問題だったのである
それは結局政府がそうさせた、みんなで一致して要求させないためにそうして分断させたかえって仲間内で争い分断されたさせられたともなるからだ

ともかく佐須村は山津見神社があるがこれは綿津見神社と一体であり安曇族とか海人族が入ってきた場所であり佐須とは焼畑のことである、この焼畑地名は多い
焼畑をするという技術は外国から入ってきたのである、縄文時代にはなかったからであるそこの佐須という地名は海人族が入ってきて拓いた土地なのである

その佐須から霊山に来た、その霊山から福島市の方に霊山町の方に行った
高速道路が福島市まで完成して高い所を走っていた、でも前の道は旧道となり車も走らない、サイクリングにはいい道になった
ただ店とかは閉じてまた空家が多くなった、車も通らないのだから商売した人たちは他に移ったのかもしれない、これも道路の影響が大きいと思った
常磐高速道路でも町全体とはかかわらない、ただ一時飲み食いして去るだけであり街の方に来ることはない、鉄道の駅とかは街とかかわり駅前通りができたが車だとそうはならないのである

霊山の食堂で芋煮が1000円で食べられた、これは安かった、天ぷらもついていたし安かった、こういうものはなかなか食べられないから良かった
それから蜂蜜とユズのサイダーを注文した、それは飯坂で作っていたのである
何か変だったが飯坂温泉が寂れて廃墟化しているとかyoutubeで見た
それで何か売るものとしてこれを作ったのかもしれない
霊山では紅葉の季節であり人は結構来ていた
ただ紅葉は今年はどこでもあまりきれいではない、気候の関係でそうなった
それが残念だった
posted by 老鶯 at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

日本の空家が2000万軒に (空家の隠された庭の価値)


日本の空家が2000万軒に

(空家の隠された庭の価値)

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隠された庭

御影石の一つのテーブル
秋日さして組まれた石の庭
ここに隠されて残りぬ
ここに家族は集い休みぬ
何を語りしか暮らしのあり
名残りに咲きぬ花々や
蝶の舞い来たりて遊ぶ
今住む人なく隠されありぬ
田舎町の一隅の空家の庭
そこに座りて他者の生を偲ぶ
またこの町を偲ぶ
ただ隠されて知ることなしも
かくしてこの世に隠されて
価値あるものの見いだされざるもの
無数にありて知らざりしかな

石のテーブル

一つの御影石のテーブル
そこに集いし幾人か何語る
秋の日さして我も座しぬ
この庭を常に見て家族あり
信頼と愛はここに育まれぬ
石と石は堅く組まれて結ぶ
名残りに花々は咲きてあわれ
一つ一つの家が町を構成する
その一つの家をここに知る
ただ今になりそれを知る
かく身近にも知られざるもの
あまたありて人は気付かず
その価値にも気づかぬ
過去の価値あり今の価値あり
無数の価値はただ発見されずある
人は金にならぬものは価値なしと
その目はただ利益のみ求めるばかり
そして価値あるものは見出されず
忘却されてありしかな





この庭は本当に不思議だった、それがすぐ近くにあったのである
それに気づかなかったのは全く外から見えなかったからである
また人が住んでいるようにも見えたからである
空家とも気づかなかったのである
庭にはいろいろあり違っているから価値がある
京都だったら庭を見ることが観光にもなっているからだ
ただ庭はわかりにくい、それは中に入ってみないとわからないからである
外から見てはわからなことがある、この庭はいい庭だとみても外からだとわかないし塀とかに囲まれていても見えないからわからないのである
ただ私は石が好きだから庭を見るのである

とにかく空家がどこでも増えている、第一この辺では町自体が空家化したのである
原発避難区域は今でも空家の町となっている、これも衝撃である
外から来た人達は興味本位に空家を見にくる、でも一軒一軒の家が空家化するときなにがそこる喪失感を感じる、

つまり人間は何でも失って見てその価値を知る

人間は人間でも生きている時はその人の価値がわからない、親でもわからない、死んだ時その価値を知る、かけがえのないものとしての価値を知る
それを自分でも親でも全部死んで知ったのである、誰も頼るべき信じるものがなくなったと知ったのである
ただ町自体が街か通りでも廃墟化するゴーストタウンになることはイメージすらできなかった、それがこの辺では本当に町や通りでも村でもゴーストタウンになった現実である
それが空想ではなく現実として起きて今でもそうなっているのである

この空家にしても戦後だったら必ず誰かが利用していた、それだけ人口が多かったからである、こうして誰も利用しない空家などありえなかった
でも今や全国で800万軒の空家があるし増える
それより市町村が空家化してくる恐怖である、家にしても一軒一軒何かしら価値があるとするとその価値が失われることにもなる

驚いたのは福島県の会津の東山温泉でも飯館温泉街でも空家化していたことである
それは全国でもそうであり温泉街はコロナウィルスでも外国人が来なくなり廃墟化した
大きなホテルなどもそうである、それは高度成長時代とか会社の団体旅行が盛んな時に建てられたのである、それも今やただ繁栄の跡が廃墟化とする
それも歴史的文化的価値あるものとして遺跡のように残されるならいいか温泉街はそうともならい、ただ廃墟趣味の人はが回るだけだとなる

空き家が地域で問題視される1つ目の理由は、空き家が増えているということです。2013年の総務省調査によると全国の空き家数は約820万戸、全住宅の7戸に1戸が空き家という状況になっています。これが、2033年頃には空き家数2,150万戸、なんと全住宅の3戸に1戸が空き家になってしまうという民間予測となっています。

ある道路の利用家族数が100家族から50家族まで半減してしまった場合、1家族あたりの道路維持の負担は倍となってしまい、他にも、スーパーや銀行、クリニックなど、生活に欠かせない施設の撤退も起きてしまい、空き家の増加はその地域の魅力を低下させてしまう原因となってしまいます。
https://www.akiya-akichi.or.jp/what/troubles/

その他空家放置しておくとネズミや獣でも入りこんできて荒らされる、それが近隣の迷惑にもなる、家は痛んでいるのでそれが通りにあるとイメージが悪くなる
空家が多くなることは街でも村でもイメージが景観にも影響してくる
ただ空家を利用するにも結局高齢化社会でますます老人は維持できなくなり放置する
もし人口が増えている時だったら誰かが利用していたのである

原発避難区域などは若い世代が流出して帰らないから老人だけだからそんな町や村が維持できるのかとみる、だから日本全国でも少子高齢化かは日本の衰退させる
でも世界的に人口は減少する、これ以上地球の人口は増やせない、だから人口減少自体は高齢化は世界的なものなのである、中国自体もこれからそうなるからだ

とにかく一軒一軒に何かしら価値があったときその価値が失われてゆくことである
その価値の喪失はこうして一軒一軒廃墟化したときしみじみと感じたのである
ただ庭が残っていたことでそこが価値あったなと自分は見たのである
それは何か歴史的文化的価値になったとのかとも見る
ただそこまで価値が認められるのかとなると空家がこれだけ増えれば壊されるから残らないともなる




posted by 老鶯 at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年11月04日

地銀の営業の問題―民主主義は話し合い (勝手に株を決めて売った、その前に説明もなかった―話し合いもなかった)


地銀の営業の問題―民主主義は話し合い

(勝手に株を決めて売った、その前に説明もなかった―話し合いもなかった)


銀行で別に株や投資信託を売って悪いとはならない、それは政府から許可されたからである、法律違反でもないのである
これまではできなかったということは何かそうしてはまずいものとして銀行でも地銀でもあったから許可しなかった
何か自由主義社会とか民主主義社会は基本に話し合いがある
それは政治とかだけでないあらゆる場所でそうなのである
何かをするにも決めるにも話し合いすることが簡単に言えば民主主義の基本である
日本ではそうしして村で話し合いで物事を決めていたというとき民主主義の基礎があったから民主主義に移行できたともされる
ただ話し合いというとき相当に手間でめんどうなのである

何か即決できないから話し合いをしていたら緊急の場合は何もできずに死ぬとういこともある
みんなそれぞれああでもないこうでもないと議論しているうちに敵が攻めてきたらもう対抗もできない、指導者が強制的に命令して判断しなければ死ぬとなるからだ
だから緊急時には民主主義はかえって危険になる
ただその判断を誰にゆだねるかは大事になる、それは相当に優秀でないとできないからだ
地銀が投資信託でも売る時問題だったのは説明も話し合いもなかったことである
何か性急に勝手に営業の人が決めたのである
そこに話し合いがなかったのである、一方的だったのである

リーマンショックの時、半分になった株を元にもどりあがるとき今度はJ=REITに回したのである
その時どうしてなのか一言の説明もなかったのである
私はどうかなとも思ったがまかせる方針だったのでその人の決定に何も言わなかった
それは自分の落ち度だったがそれにしてもその人は何か性急であり説明もせず勝手に決めたのである
それは別に株を売るとか投資信託を売るとかが問題でなくその前にとにかく話し合いがないことが問題だったのである

なぜ今株がリーマンショックから株が元にもどり上がったのにJ-reitにその株を売って買うのかとなる、ただ自分自身がそれを望んだこともある
でも株を売ってそうしてくれとは頼んでいないのである
ただ自分もそこで聞けば良かったのである、でもその営業の人は性急であり勝手に上がっていた株を売った、その株を持っていたら今なら倍になっていたから悔しかった
ただその前に売っていたこともある、それは予測できないしどう判断するかは本当は株を売買する客の判断にまかせることなのである
自分自身が株のプロですからと言われたのでまかしたことが失敗だった

今度は私はなぜかこうしてこのことがありその営業の人を信じられなくなったのである
それは株とか投資信託を売るのが悪いというのではない

その前に話し合いがない,勝手に決められた

これが問題だったのである、今どうして上がってきた株を売るのですかとこちらから問うべきだったがなかった、それは自分の落ち度でもある
でもその営業の人は何か落ち着いて話し合いをしないのである,性急なのである
だから何か若いと営業に向いていないとも見た
じっくり話して決めるということもない、人の話も聞かないのである

そしてJ-reitを売ってくれと言ったとき売ったのだがNISAまで売っていたのである
私はNISAを売れと言っていないのである
これも株を売った時同じように説明もしないのに売ったのである
これは株とか投資信託を地銀でも売る前に話し合いもなく勝手に決められたということである
ともかく説明が必要なのでありそれがないし秋からにNISAは売れといっていないのであるただ営業の問題はこうして説明すらせずに売買したということであり株とか投資信託が悪いからではない、株なら上がったり下がったりするからである
それは銀行のせいではないのである

話し合いが全くなかった!

これが問題だったのである、勝手に営業の人が客に説明しないで決めたことである
株でも投資信託でも詐欺のようにも言ったが十分に説明して話し合いで決めたなら責めることはできないのである
それは原発でもそうだった、ほとんど政府と東電で勝手に決めてすすめたものだったからである、まず住民との話し合いなどない、原子力のこと核のことなどわからないものに話ししても無駄だとなっていたからである
そこからしてすでに民主主義の話し合いがないのだから問題だったのである
常に一方的になっていたのであり聴くことすらできないものになっていたからである

例えば事故がおきたらどうなりますか?

絶対に事故は起こりません

万全の手は打っています

これだけで終わりになる、でも説明くらいできるでしょう、原子力関係の専門家はそれを説明できた、最悪のことが説明はできたのである
それを言うと原発は拒否されるからしなかったのである
つまり政府と東電と住民は話し合いもなかったのである
そこに民主主義はなかったのである、民主主義は別に政治にあるだけではない、社会全般の問題として民主主義がある

その基本が十分な説明であり双方の話し合いなのである
また日本では議論を嫌うことも影響している、理屈を言うやつは嫌われる
でも基本的に裁判でも双方の言い分を聞くから話し合いだともなる
双方の言い分を聞いて判断するからそこで十分な説明と話し合いが必要になる
その中で理屈を言うのもしょうがないとなる
何を基準にして決めていいかわからないからである

いづれにしろ民主主義は手間もかかるし時間もかかるしめんどうになる
客との話し合いだとしても手間になるし時間もかかる
だからそういうことで勝手に営業の人が決めたともなる

ただ私としては株とか投資信託を売るのが悪いとは言わない
その売買で説明不足だったことと話し合いが全くなかったことが不満だったのである
ただ株でも投資信託でも金融商品の売買は自己責任である
ここだけは明確にするべきである、結局損したのは自分であり客である
地銀では利益を得たのであり損していないからである
地銀はただ客の金を売買して手数料を稼ぐだけである
客が損しても絶対に銀行は損しない商売なのである
そうなると客は本当は相当に投資信託とか株に詳しくないと売買するなともなる
結局自己責任であり一切銀行では責任はとらないからである

責任をとらされるのは客であり地銀ではない

まだ原発でも責任をとらされるのは地元の住民である

確かに政府でも東電でも多額の賠償金を払ったので責任をとらされた
でも一番責任をとらされたのは住民である、故郷に住めなくなったからだ

すると本当は一番責任をとらされる住民がもっと真剣に原発の是非を考えるべきだったとなる、それは地銀の株や投資信託の売買とも似ていたのである

最も真剣に考えるべきものは誰だったのか?

それは地銀だったら客自身なのである、なぜなら損するのは客だからである
戦争はもっと責任が重大である、国民が戦場で死んだからである
するともっと国民が戦争すべきかどうか考えねばならなかった
それも政府が勝手に決めてしたともなる、その結果として国民が3百万に死ぬという責任をとらされたのである
ともかく何であれ責任が人間につきまとっているのである
金がもらいるからいいとなってもそれも責任となっていた

責任の自覚がもてない

あなたは金をもらいましたね、あなたは原発を建てることをその金で許可したのです
例え事故があり汚染されてもそれはあなたがた住民の責任です
ただこういうふに自覚した人はいない、金になるからいいとしかなかったのである
だから金は具体的な責任なのである
ただ漁業権をもっている船主とか漁業組合は特別補償されて補償金を事故前でももらっていた、その金をもらったことで事故になっても東電でも責められなくなったのである

でも事故後はもらう権利があったのである、事故前にもらったことが問題だったのである
いづれにしろ人間は常に責任が問題になる、何か生まれたときから責任を負わされているだから赤ん坊は泣いて生まれるのだというのもわかる
何かしらで必ず責任が課せられているのである
そして責任の自覚がもてない、もし責任を自覚していたら原発など作れない、事故起こしたら切腹しろとなったらできない
だからこそいい加減になっていたのである、管理もずさんになっていたのである
権力と権利が欲しいとなるけどそれにもやはり重い責任が課せられている、権力が権利があるとして勝手なことはできない、そのために責任が問われる
マスコミの責任も重かった、800億円もの宣伝費が電事連とかから流れていたからである、それで危険を追求できなかった、ただ金をもらっただけだとなる
でもその責任はあまり追及されないのである





石と石は向き合う

長い時間を向き合う

そして落ち着いて

密に語り合う

石と石が信頼し合い

その場と時間があってそうできる


話し合いとか理解し合うとかでも簡単にできない、現代では何かもうグロ−バルに人は交わる、でもそこで信頼したり話しじっくり合ったりできない、そんな広い場では無理だとなる、信頼でも世界の果てにいるような人とできないしし話し合うこともできない
信頼するにも時間がかかる、すると時間も限られているから簡単にできない
現代ではこうして世界は広まったとしても互いに話し合い理解しあっているとはならないのである

「密」には、すきまのないこと、ちかしいこと、きめの細かいこと、行き届いていること、等の意味があり、「密接」「親密」「綿密」「厳密」などの熟語があります。
「コミュニケーションを密にして〜」は、細かく行き届いた、密接なコミュニケーションをする、という事です

このことである、営業でもそういうことがある、それをしていないと常に誤解があり信頼できないとなる、現実は世界は広がっても信頼するとかはない、ただ物が入ってくるだけだともなる、基本はそういう密なことを目指す社会になる
でも逆に三密はコロナウィルスで避けれることだった、でも密な世界に生きる回帰する
江戸時代辺りはそういう社会だった、狭いから村の様な世界では密にならざるをえなかったからだ






posted by 老鶯 at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2021年11月03日

事業失敗もカルマの法則? (人間の奢りが失敗の原因―家系のカルマ)


事業失敗もカルマの法則?

(人間の奢りが失敗の原因―家系のカルマ)

問題を起こしたまま人生を終えた先祖は、亡くなった後も苦しんでいます。行いや恨みは亡くなったからといって帳消しになるものではありません。法句経に、「悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む

母親の実家は不和分裂の家だった、なぜそうなったのか、それは事業に失敗したことが大きな原因だった、父親が警察署長して事業を始めたが失敗した
そうして事業を始めたのは警察署長をしていたからそれで成功すると思っていたのである結果としてその後裕福だった家は貧乏になり子供が苦労したのである
悪かったのは母親が病気になりそこに新しい継母が入ってきた
この継母が異常に気の強い人でそれで私の母親はひどいいきじめにあったのである

その家の跡を継ぐ人が嫁をもらったがその異常に気の強い継母に二人の嫁が追い出されたようになった、一人は娘が5歳の時別な人と再婚した
一人は別に家を構えて実家から出て行ったのである
ただその継母は肺病になったその家の息子を看病していたのである
ただこの継母に母の実家は翻弄されて遂にその継母も家を出て養老院で暮らして死んだ
最後は眼が見えなくなり母が行ってめんどうみて死んだ
「悪かったな」と言っていたという、そのお骨は約束していた大学病院で解剖されて私の家に来たのである

こうして不和分裂の家だからその親戚関係も争いうまくいかなかった
それが如実に現れたのは母が病気で寝ている時、その母の弟の嫁になった娘が「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ)と血相変えて去って行った
これも付き合いもたいしてないからそうなったのも当然だったともなる
その娘とは第一子供のころ一回くらいしかあっていないからである
ただその墓に私の異父兄弟の兄が埋められていたのでかかわっていただけである

事業の失敗というときなぜか父方の方でも嫁に行った先で事業をはじめて失敗した
これもなぜ事業をはじめたのかわからない、簡単にとれない特別の資格をもっていて会社で高給取りだったたからである
だからなぜ事業をはじめたのか?何かこの人も自分は優秀だと自負がありはじめたのかとなる、ただそこにしても自分は付き合いがないから関係ないと思っていたのである
でも意外とこうして薄い親戚の縁でも必ずかかわりその家のカルマを受けることが怖いのである
天皇家などでも結婚でもめているからのちのちに結婚相手の家族の家系のカルマを受けるから怖いのである
カルマが現れるのは60歳以降にもなるからだ
現実に秋篠宮家では自由結婚したが同じように娘も自由結婚した、ても天皇家となると簡単に一般人と同じにはなれない
でも親がそうしたのだから娘もそうしていいとなる、それもカルマだったのである
親のカルマが子に現れたのである

その家は父親が若い時病気で苦しんでいて一生その苦しみのためにまともに仕事もできない人だった、そのために嫁は苦しんだのである

つまり母親が夫で生涯苦しむ⇒その娘が夫で苦しむ

これがカルマだとなる、母親と同じカルマを受け継ぎ苦しむとなる
ただこうして同じ苦しみを受けると母親のことを理解するとはなる
「私はどれだけ夫苦しみち娘もまた夫で苦しむ、それで母親の苦労を理解するともなる
要するに人間は苦しまないとカルマを理解できないのである
戦争などでもとても人が殺し合うことなど理解できない、それを理解するにはまた戦争になることだともなるから恐ろしいとなる
そうでなくても何か苦しみとして現れる時カルマを理解するのである

いづれにしろどんな家でも家系でもなんらかのカルマを背負っている、その軽重はあってもそうである、それが苦しみとなって現れたとき理解するのである
例えばアメリカで日本に原爆を落としたけどこれもアメリカ本土に原爆を核ミサイルでも撃ち込まれて何十万とか死ななければその業(カルマ)高い理解できない
こんなひどいことをしていいのか、そう思った時、あなた達アメリカ人がそうしたのではないですか、それがカルマなんですよとなる
何であれ何か他者にでもした行為(カルマ)は今度は自分に現れて来る
それがカルマの法則なのである

なぜ事業に失敗したのか?

母の実家では警察署長していたからそれで成功すると思った

父方の親戚では特別の資格を持っていたし優秀とされていた

その奢りがあり失敗した

これは明らかに共通した原因があったとなる、人間の失敗は奢りから来ているのが多いのである、日本の戦争だってアメリカがどんな国かもしらないで奢りから始めた
日本は強いから負けないとかなっていた、それは原発でもそうである、日本の技術は優秀だからと言っていたからである、それで権力で「安全神話」を作ったのは奢りだったのである、人間の奢りは危険なのである、科学技術もまるで神の様な力をもつと過信して大事故にもなる、それも奢りからなるのである

人間の失敗の原因は奢りにあったことは確かである
人間が成功する時でもやはり自分の力だけで成功することもない、そこには様々な要素入ってくるからとても一人の力では成功しない、限界がある
人間の奢りは神から罰せられる、人間が神の様な力をもつことは神が許さない
だから失敗して罰せられるのである

いづれにしろ母の実家は墓まで分裂していたのである、母の弟が家を継いだにしろ外にでた、そして別に墓を作ったのである
でもその娘は一番長く暮らした育ての親にひどいことをした
そして自分に最後に「ひどい娘だわ」と呪いの言葉を残して死んだのである
病気になっても見捨てたのである、ただ簡単に死んだから良かったとなる
女性でも冷酷な人は普通にいる、病院で自分を虐待した看護師〈女性〉もそうだった、だから男女であれ人間は冷酷な人は普通にいる、だからそういう人は看護師とかでも医者でもふさわしくないとなるがそういう情的な面は見ていないのである

ただその労働がきついからそうして気の強くないと勤まらないということはある
ただ全般的に情に欠けた社会になっている、だから病院でも長く入っていてかえって悪くなったという人も多いのである
それは精神的な理由もある、病院は無機質な空間で情が感じられないからである
知っている人は病院に長く入院していたが家に帰ったらかえって良くなったというのもそうである
老人の場合体の治療も必要だが情的な面も大事になるが今はこの情を病院とか医者とか看護師になかなか求めにくい
情無き社会になっているからである
ただこうして情がない愛情もなくなる社会は怖いとなる、それをここ十年の自分の病気と家族の介護で嫌というほど経験したからである、ただこれも楽して来た自分のカルマだったのである、家族のカルマであり清算が強いられたのである

2021年11月02日

晩菊、秋薔薇(空家に残された庭の石)


晩菊、秋薔薇(空家に残された庭の石)

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川の土手の下の通りに咲いていた

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空家の庭

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晩菊や色様々に街の中

晩菊や今日も通りぬ墓の前

秋日さし石のテーブル空家かな

秋の蝶舞いて去りにき石の庭

家一軒次世代に残す石と柿


残されし石の淋しも隣なる空家の庭や秋の暮れかな

庭の石残れるそばにつわぶきの花の咲きをり我が見て帰る

一輪の秋の薔薇咲く我が庭や静かに時の過ぎゆくべしかな


そこは不思議だった、人が住んでいるかどうかわからなかった、いつも通る道でもそこに何軒か空家になっていた、その一軒へ入ってみた、そこは空家だと見えなかった
どうも空家だと思って今日は入ってみた、やはり空家だった
家の障子とか破けていて荒れていた、でもその庭が立派だったのである
本当に写真のように良く作られた庭である、その石が見事なのである
この庭はかなり金をかけた庭である、第一これだけの石を組み上げるのは金がかかる
だからこんな庭が隠されてあったことに驚いた

その前に立派な大きな石のテーブルがあった、ここに座ったりしていたのかと自分も座った、ただ家は荒れていたから家自体には価値がない、庭に相当に価値あると思った
知っている人の庭も20代で大きな石を組み作り上げた、500万円とかかかったとか言っていた、それはトラック運転して若い時人の二倍働いて作ったのである
その庭も立派なのである
私は石に興味があるから石をしみじみと見るのである

ともかく空家が本当に多い、それが今の日本を象徴しているのだ
空家や800万軒になるというときそれも空恐ろしいとまでなる
空家というとき原発避難区域になった所は空家だらけでありゴーストタウンに今もなっている
それは特殊だとしてと空家がどこでも多いしそれは全国的でありそれは大都会でも東京でもそうなのである、少子高齢化で空家化してくる時代である
その空家は誰も住まず放置されている、ただ空家でも時々で庭の手入れとかしたりする家もある、だから全部が全く放置されとはならない
それにしても空家の時代である、それで日本が経済でも空洞化して貧乏化する象徴ともなる

知っている人の家もいづれは病気なので死ぬと空家化すると思ったがすでに甥子にゆずるとしているから空家にはならない、こうして家が受け継がれのは少ないだろう
放置されて受け継がない空家が多いとみる
古い家は価値ないとなるからだ、でも家は庭がありそれが価値あるともみる
石の値段は高いとみるからだ

ともかくその空家は近くにあり不思議だった、近くでもわからないことがある
別にそこに入ってもとがめる人はいない、空家の問題はそうして勝手に入って寝泊まりした人もいたことである
それにしてもこれだけ空家が多いと街とかが空洞化してゆくことを感じる
原発避難区域では突然空家だらけになり空洞化したから驚いたのである

晩菊となると今頃の季節だろう、今日はあたたかい日だった
様々な色に咲くというときそれぞれの人生を送った老人にふさわしいとなる
庭の薔薇は不思議である、秋でも一輪咲いていた
今は秋薔薇の季節でもある

人間の運命の謎ー共産主義がなぜ失敗したか、立憲共産が負けたのはなぜ? (一律に平等にとか数字のように扱えない人間の問題)


人間の運命の謎ー共産主義がなぜ失敗したか、立憲共産が負けたのはなぜ?

(一律に平等にとか数字のように扱えない人間の問題)


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今回の選挙で立憲と共産党が組んで議席数を減らした、予想もはずれた
これは何なのだろうと思った、これだけ自民に批判があってもそうなったことはなぜなのだろうか?
それは共産党と組んだことが立憲の失敗だったとなる
共産党が意外と不満があっても人気がなかったのである
それにしても小選挙区は二者択一だから自民党に不満な人は立憲に入れるほかないから
議席を減らしたとういことはそこに何か根本的な問題があって負けたのかとなる

その原因を追究してゆくと共産主義とかイデオロギー政党とか創価公明のようにな宗教政党には問題がある、創価公明は自民党とくっついて何とか党勢を維持しているがそれも
投票率の低さでもっているようなものだから組織票に有利になっているから持っている
でも相当に支持する人たちは減っている
ただ必ず底辺層がいてその人たちの不満のはけ口としてある
支持層が公明と共産党では同じだからである
本当に底辺層の住宅街では共産党と創価に入っている、おそらくどちらかに入らないと住んでもいられないとなっている
どちらかの仲間になっているからである、でも何かそうして底辺層だけが集まると豊かになれないこともある、むしろもしかしたら金持ちの家で働きたり金持と付き合うとその恵みが回ってくることもあり得る、その土地で豊かになることは何かしら富を産みだすものがありそれが地域に回ってくるといかことがあるからだ

人間には確かに宿命がある、例えば生まれる国とか地域とかを選ぶことはできない、生まれる親を選ぶこともできない、また資質とかも受け継ぐからこれも変えられない
それは宿命だとなる、でも宿命がすべてなのかとなるとそうでもない
勉強するにも環境が大きく影響する、勉強する環境がなかったらいくら資質があっても才能を伸ばすことができないのである
まず私の子どもの頃は家に一冊の本もなく子供部屋もなく家で学習する環境が何もなかった、読んでいたのは貸本の漫画だけだったのである
こういう環境では自主的に何か興味をもって勉強することはできない
勉強するというとき自分の興味と自主学習することで伸びるからである

その後も地方ではまず本が売っていないのである、専門書は売っていない、すると仙台市まで行かざるをえないのである、そのハンディも大きいものだった
独学するにもできない環境だったのである、でも今の時代なら本などいくらでも読めるしインタ−ネットのyoutubeだけでも相当に学べる、大学の先生より優秀な先生から学べるとなるから有利である、だから時代が違ってもこうして差が生まれている
学校に行けた方が増しだということもある、大正生れとかなると子守りさせられて字さえ学ぶことがてきないという人もいた
ネパールの山の中では学用品がない、それでボールペンも無いかちくれとなっていた
その差もまた大きいのである、そういう場所で医者になりたいという人がいるのは医者がいないから病気になっても治療できないからである
でもそういう場所で医者になることは容易ではない、学習する環境がないからである

それは個々人の宿命ではなく全体の宿命でありどうにもならない
また個々人の家族でも恵まれた家族とそうでないものがありその家族もまたみんな違っているのである、だからなぜそうなってんいるのか?宿命だとなってしまう
ただその学べる環境は平等に整えてやるということは必要なのである
それでも資質がありそれは変えることはできない、宿命としてあるものを変えることはできない、そういう宿命とかどういう家族に生まれるかなどは謎であり解決しない
でも家族には家系には何か運命があり謎があり不可解だとなる

そもそも聖書とかでは神の選びがありそれは変えることはできない、神はある特定の人を選び神がその人を導いたのである、その選ぶということは神がするものであり人間側にはその決定権はないのである、そもそもイスラエルが神に選ばれた民族だというとき一個人を選んでその家族を選んだのである
それがアブラハムになり万民への神の祝福となる基となったのである

ではもともとあらかじめ神の選びは決められるとしたら何をするのも無駄だとなるかのかそういうことはキリストが現れて以来なくなった
万民への神の祝福として神が現れるようになった、だから誰でも求めなさいとなり求めれば神の祝福を受ける、神から永遠の命をさずかるとなった
その選びは国とか人種とか関係ないのである、求めることとまた魂が砕かれるとか試練を得れば誰でも得られるものになった、でもそういう試練を得なければ得られない
どんな裕福の家庭に生まれてもかえって得られないし恵まれた家族でもすべてがいいとはならない、かえって放蕩したりして身を持ち崩す人もいるからだ
裕福な恵まれた家族ても道をはずしやすいこともある
キリストが金持が最も天国に入りにくいと言って金持ちの家を去ったのでもそうである

いづれにしろ人間は平等ではない、また平等を求めると不平等になる
そこに共産主義が平等を求めて不平等になった原因がある、何かみんな平等でないといけないとして強制されたのである、結果的に大殺戮になった、それは人間がどういうものかを見ることを誤ったのである、人間にはそれぞれに宿命がある、でもその宿命がすべてを決めることにはならない、みんなその宿命は同じではない、だからその宿命を同じにしようとすることは過ちだとなる
淡路島でタマネギが甘く特産物になっているのはそこにその土地の様々な作用でそうなった、その土地の宿命があり甘いタマネギが作られるようになった、土地の影響とか風の影響とかその風土が影響して特産物が生まれたのである
そういうことは人間の力ではどうにもならない、宿命としてあり他ではまねることができなともなる

だから宿命とは変えることができない、でも宿命がすべてとはならない、第一環境でも時代時代によって違ってくる、環境が改善されるとそこで宿命も変わり才能でも活かされるとなる、戦争中に生まれて死んだ人は優秀な人がいてもその才能は活かすことができなかったからである、そうしていくら才能があっても活かせない人は無数にいたのである
人間の才能にしてもある家族からそういう人が出るとしてもそれはその家で積み重ねたものがあり環境が改善されて才能でも活かされたとなる
第一家に楽器もないピアノもないとしたら音楽の才能があっても活かせないからである

人間はともかく平等を追求すると不平等になる、それが共産主義の過ちだった
一律に人間を同じもののように見ることはできない、宿命も違っているからできない
もしそうして強制的に同じものにするときカンボジアであれ大量殺戮になったのである
ただ人間にできることは富の不公平があればやはりそれは同じようにする
学習する環境や教育費は無料で提供するとかする、そうすれば不平等はなくせる
でもそうしてみんな平等にすることはできない、その資質でも違っているからそれを同じようにすることはできない、その人の興味をも違っているから平等にできないのである

そもそも人間の運命は不可解なのである、例えば誰でも危険な目にあう、あの時死んでいたとかふりかえる、それは幸運だとかなる、つまり何かしら運不運の作用がありそこに神が関与していたのかともなる、それも謎なのである
神が人間の運命に関与することはありうる、それが聖書の歴史てありだから奇跡が欠かせないものとしてあった、奇跡なしでありえないからである
聖書の時代は一つの民族集団に奇跡が働きイスラエルに導いたとなる
神が導いたのである、つまり人間の力ではない神が導いたのである

でも共産主義となると人間の力で平等にして導けるとなった、だからそこに無理があり大量殺戮にもなった、だから人間の運命は簡単に平等化できなものがある
それは余りにも複雑でありそれぞれの家の運命も宿命も一様でなく平等ではないからである、そういうことは共産主義とかで平等にできないのである
それを平等にしようとするとき無理があり大量殺戮になったのである

何か不思議なのは運はめぐってゆく、俺は不幸ばかりだったなという人がいて運命を呪う人がいる、でもいつか運がめぐってきて楽になるということもある
それは人めぐり合わせでもそうである、不運だった人がいい人にめぐりあって幸運になったとかある
宗教とか共産党でもその巡り合わせを強制的にすることが問題になる
不幸な人たちを集めてみんな平等に幸福にしようとすることで失敗する
そこで成功しているのは不幸な人達を集めて勢力化して権力化して幹部は利益を得て豊かになる、でもその人を支持している人達は依然として不幸なのである

ともかく創価でも共産でもそうして運命を平等にしようとすることがある
でもそれがなかなかできない、近くの創価には入った家ではなぜか息子が若くして病気で死んですぐに母親も死んだのである、別に創価に入れた人は経済的にも家族でも恵まれている、ではなぜそんなに不幸になったのか?それが不可解なのである
別に創価に入ってもそういう人はいくらでもいる
何か必ず家の周りに自殺した人が何人かいる、それは自分の回りだけではない、聞いて見ると必ずある村であれ地域であり自殺した人が何人か平均的にいるのである
だから不幸になる人は必ず平均的にいるということになる
それはなぜなのか?その理由が良くわからないのである
ただあらゆる人は不運になる、自分自身も親二人の介護と自分の病気で死ぬ思いしたからである、その時母親は自殺するところだった、苦しくてそうなったのである
そういうことはあらゆる人にめぐってくる、それは宗教団体に入ってもそうである
ヨブのような苦しみは実は神が試練として苦しみを与えたとなるからだ

いづれにしろ人間の運命はどうしても説明がつかない不可解なものがある
一様にはできないし数学の公式のように解決ができない
運不運もありそれもなぜかわからないのである、だから人間を一様に数字のように見ることはできないのである、共産主義は人間を一様にみて失敗したのである
また宗教団体でもそこに入ったからといって解決しない、かえって不幸になる人も多いのである、その確率の方が高い、それはそうして宗教を利用して信者を利用して幹部は権力を得るとういことがあるからだ

そのためにそうした団体に入ることは危険である、ただ利用されるだけだとなるからだ
一生をみれば長い目で見れば人間は運不運は必ずある、ただ運はかならずめぐる
恵みとはめぐることだからである、だから一生不運な人はいないと思う
苦しくても生きていれば運がめぐってくることはありうる
それは強制的に平等にはできないのである、というのはその家族でも祖父母とか親がいてそのお陰で子供の運命も変わるからである、だから一代ではそうした運不運は解決しない親の代で苦してもその次の代で実りがあるとなる

すると親は次の代のために子供のために犠牲になるともなる、何か犠牲になるということも常にこの世にはある、何ら才能も開発できず若くして病気で肺病で死んだとかいくらでも歴史にはあるからだ、そういう犠牲の上に今の人があり何か才能でも開花するとなる
栄える国でも必ず栄はめぐっている、世界史でも国々でも栄える国がありその国の栄も終わり次にまた別な国に地域に栄はめぐってくる、中国が貧困だったのにあんなに栄える国になったことも驚きだからである、そういうことは世界史では常にある
恵みは栄は一か所に家でもとどまらないのである、移ってゆく、めぐってゆくから恵みなのである
地域でもどこかの家が豊かになることは何か理由がある、その地域の特産物がとれるというときそうである、ただこの辺で原発は一時豊かにしたが反転して故郷にも住めなくなり悲惨なものになった、豊かにするものを間違えたからだとなる
何が栄となるのかその選定が誤ったとなる

とにかく運命とか宿命を強制的に平等にすることは間違っていた
だから共産主義は失敗したしカルト宗教団体もそうした不幸な人たちを利用して幹部だけが得するシステムも間違っているとなる、中国では幹部が莫大な富を得ているのもそうである、全く平等とはかけ離れたものになっているからだ
そういうふうに組織的に強制的な改革でありそれが元来無理なのである
だからこそ共産主義やカルト教団はそうした不幸な人たちを利用して幹部が得するシステムだとなる、もし本来の宗教ならそういう不幸な人達に奉仕するとなり自分は贅沢をしないからである、そういう不幸な人たちを利用して得をするというのがカルト教団であり
共産主義者だとなる

ただ悲しむ者は幸いであるというとき何なのか?

この世で苦しみ悲しみを知ってこそ人間となり同情心が生まれる、何も苦しみ悲しまない人は人間のことを知らないから人を導いたりできないとなる
でも組織的に平等を目指す人たちは自分達だけは幹部になってそういう不幸な人たちを利用して贅沢することなのである、だから平等を言っても自分たちは平等でありたくない
特権階級でありたい上級国民でありたいとなっている
それが詐欺的なものだけど気づかないから利用されているだけだとなる
そういうことをわかってきたから共産党が伸びないとかカルト教団も伸びないとなる
ただ一定数はそういう不幸な人達がいて利用されるとなる
posted by 老鶯 at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年11月01日

衆議院選挙終わる―投票率が低いのと立憲が伸びなかったのは意外 (二大政党の方がいい、創価公明と共産党は嫌われる)


衆議院選挙終わる―投票率が低いのと立憲が伸びなかったのは意外

(二大政党の方がいい、創価公明と共産党は嫌われる)


選挙に行ったけど自分の場合は自民に不満だから入れないのが普通である
公明党と組んでいるのも嫌だから入れない、そして今回はオリッピックなどを強行したことに不満だった、税金の無駄使いだと思った、それで別に立憲など共産党などは入れないそもそも共産党は自由がないので嫌だからである
また創価公明党だって確実に言論の自由などなくなる、マルクス主義と同じだからであるイデオロギー政党だからである
創価公明は完全に政教一致である、王仏冥合の思想は王は政治であり仏は信仰であり宗教が一致させることだからである、それは鎌倉時代に生まれたものであり今の時代に適合させることはできない

ではなぜ一定数の人が必ず選挙に行くのかとなるとこの思想があり信仰のために選挙に行く、一つの信仰として行為として位置づけられているしまた強制もされている
座談会とは選挙のためのものであり信仰だけのものではない、なぜなら選挙活動と信仰活動が一致しているからである
それで座談会では実際の活動は選挙活動である、なぜならそこで池田大作先生の指揮のもとに池田大作先生のためにと祈り選挙活動していざ出陣となり票をとりにゆく、それが信仰の戦いであり福運を得るためにするのである
結局の御利益を得るのは幹部だけである、あとは駒として使われるだけである
その幹部は家で立派だしいい暮らしができて御利益があるとなる
それは共産党でも同じなのである、幹部はいい暮らしをして御利益があるとなる
党員でも新聞を配達するにも無料だとかなる、結局下の者になると搾取されるだけだという矛盾がある
ただ創価の場合700万票があってもその内百万票なのか、また200万なのか300万なのか幽霊会員である、座談会に行かないしただ名簿にあるだけの会員である
その幽霊会員を票に結びつけるのが幹部の仕事なのである

ただなぜ会員が票でもまだ減っても入るのかとなるとそれは宗教の呪縛かあり減らないとなる、ただ最近は減り続けていてもうだんだん維持できなくなる
老人会のようにもなっているとなり主役となっていた人達が高齢化しているからだ
だから創価でも共産党でも下降してゆくだけである、共産党でもマルクス主義に酔った世代は学生運動した世代はもう75才とかなる
その熱気はさめた、だから意外と立憲と共産党が組んでも票がかえって減ったことに驚いたのである

マルクス主義の共産主義のイデオロギーは実験の結果失敗したのである
一党独裁となり全体主義となりファシズムともなった、それでカンボジアで3百万人が殺戮たとか頭蓋骨の山が築かれた博物館がある
これも空恐ろしいと思った、それはある意味でイデオロギーを絶対化することの危険があった、それは宗教とも似ていたのである、宗教となると絶対になるから逆らえなくなるからだ、なぜなら創価でも敵対する者は仏罰が当たるとして何百万人が罰当たると攻撃してくるから怖いのである

それが全体主義になるから怖いのである、そして罰当たるとかなりやめることができない人も多いのである、そういうことはカトリックとかにもあり宗教の歴史でもありカトリックからプロテスタントが生まれ熾烈な血で血を争うようにもなった
つまり宗教とかイデオロギーには妥協がないのである、日本の戦争でも天皇が神となり日本が神国だから負けないというのと同じだったのである
神には勝てない、逆らえないとなるからだ
宗教が妥協がない争いとなりイスラム教でもシーア派とスンニ派が熾烈な争いとなっていることでもわかる、それはカトリックとプロテスタントの争そいともに似ている
でも立憲と共産党が組んで議員数でも票数でも減ったことは意外だった
何か普通の人でもそうした共産主義とか宗教でも嫌う人が多いということである
そもそも宗教は強制するべきものではないからである

維新が伸びたということはやはり自民の批判票が立憲共産に入らず維新に入った
ということは自民が二つに割れてアメリカのような二大政党になることがいいとなる
河野とか菅とか石破とかが別な政党を作るとかなると自民が二つに割れて二大政党になった方がわかりやすいとなる、だから今回の選挙でわかったことはイデオロギー政党はもう成り立たない、そこにみんなアレルギーがある、それは創価公明でもそうである
だから自民党は公明より維新と組むようになる、それが今回の選挙の結果だったともなるただ正直この政党についてもどこに誰に投票していいかわかりにくいのである

小選挙区と比例区でも人物は関係なくなった、政党で決めるから人物を選ぶこともできない、何かすでに選択技は白か黒とか二つしかないのである
ただ批判票としては立憲とか共産ではもう成り立たない、だから維新が批判票を得て伸びたと浮動票を得たともなる、つまり立憲共産は減ってゆき自民が二つ分かれてアメリカの二大政党に近づくようになる、それが見えてきたというのが今回の選挙で見えて来たとはなる

いづれにしろ政治で社会は変わらない、みんなそうみているから意外と不満票があっても批判票があっても自民がは依然としてたいして議席も減らさなかった
ただ維新にしても何なのか理解できないのである、そもそも政党にしても理解しにくい
この理解しにくいということでも投票率が上がらないこともある
つまり理解できないからどこに投票していいかわからないからである
政策論争でもわかりやすければ投票しやすいのである、四つも五つも政党があるとまたわかりにくなる、だからアメリカのように二大政党の方がわかりやすいとなる
つまり民主主義の基本が権力の集中ではなく分散であり既得権にならないようにすることだから政権は定期的に交代することが必要なのである、いつまでも自民党が権力を持つことは権力は絶対的に腐敗するとなるからだ
それが日本ではなく創価公明のような宗教政党と一体化して自民党政権は歪びつなのである
それもただ政権を維持するためにそうしているだけなのである


posted by 老鶯 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層