権利と責任は一体(漁業権の問題など)
(原発事故で問われた重大な責任)
明治時代になったとき西洋の法律を取り入れた、しかしその訳でも日本にもともとないものを訳すとなると簡単にできなかったから誤解が生まれた
権利は権理と最初訳していたのである、これの方が正しかったのである
なぜなら権利を与えられるにはなにがしかの理由がありその理由があって権利が与えられているからだ
ところがこの権理が権利になりまさに利益を求める利を求めるだけになったのである
そこに権利が与えられた理由がリーズンがなくなったのである
とにかく権力を得て利益を得ればいいとなってしまったのである
それはあらゆることでそうなった
身近な所では相続でも兄弟姉妹で相続を等分する権利があるとなり長男に財産を特別に得ることはなくなった
でも長男は優遇されてもその家を受け継ぐ責任が課せられていたから特別遺産を受け継ぐ権利があったのである
長男は親の世話をみるとなったのもそのためである
それが等分に分けることは確かに兄弟に遺産を平等に分割するのだからいいように見えるしかしそうなると家を継いでも維持できなくなる、そのために遺産がないと金がないと
家や土地まで売らなければならないとなったりもめる
田畑をもって農業して生計したりしていると困ることになる
また家を持っていて都会辺りで土地を売るとなると困る
介護でも誰がするのかとなると今までなら長男が遺産を主に受け継ぐから責任がありそうなっていた、つまり権利には必ず何か権利を与えられる理由があり責任が課せられていたのである
何かこういうことはいくらでもある、とにかく人間は利益を得たいということでは共通している、権利を得て利益を得たいとして働いているともなる
だから地位を得たいとか上級人間になりかいとかなる
高級官僚が地位もあり金も入るということでうらやましがられる
でもその優遇される地位でも高給取りでも必ず責任が課せられているのである
しかしその責任が無視してまず権利を得る利権を得る、利益を得るとういことが先になる
原発事故ではその重い責任が問われたのである、でも誰も責任を果たしていないのである漁業組合が船主などが特に事故前も多額の補償金を得て原発御殿を建てていたとかうらやましがられていた
その時も漁業関係者は原発を建てて利権を得て利益を得ればいいとしか思っていなかったそこに重大な責任が課せられていたのである
つまり利権を得て利益を得て多額の補償金をもらったことが重い責任となっていたのである
政府でも東電でも
「私たちはあなた達に補償金を払います」
「はい、わかりました、もらいます」
「では事故になってもあなたたちは文句を言わないようしてください」
「・・・・・・・・」
「それを了解してもらいますよ、そのために金を払うのですから」
「・・・・・・・」
本当はこういうことで金は払われていたのである、ところが漁業権というのは漁業組合に入っている船主とかが独占しているものであり港に住んでいる人でももらえなかったのである、その理由となると
〔あなたたちは漁業者はなぜそうした利権があり利益が得られるのか
漁業権は何のために与えられているのですか?」
「漁業資源の保護のためです」
こういうことで理由があって利権を得ていたのである、でも肝心の漁業資源の保護が原発事故でできなくなったのである
でも政府と東電にすれば
「あなたたちは漁業組合は海を汚されてもいいと了解しましたね、そのために事故前にすでに多額の補償金を払ったのですから・・・」
こう言われることにもなった、そして今度はトリチウムを海に流すという時もあなたたちは漁業権を私たちに売ったのです、そのために金をすでに払っているのです
文句は言えないでしょうとなる
もちろん事故後の補償金はさらに増やすし継続して補償しますから文句はないでしょう
こんなふうになったのである、もし漁業権を漁業組合だけでものにしないで自治体とかのものとして協議していたら別である
漁業組合は海は俺たちの物だから勝手にしていいのだとなっていたのである
つまり権利があり利権があり利益があるとなるがそこに重大な責任が課せられていたのである
資源保護を目的として権利が与えられていた!
その肝心の漁業の資源保護ができなくなったのである
だから権利は権理であり理由があって権利が与えられている、漁業組合に漁業権が与えられていたのは漁業するための資源保護のためだった、そうならば原発を建てるとき事故前にでも多額の補償金をもらうことはすでに海を汚してもかまわないですねという了解を契約をしたとまでなる
それは漁業組合で海は俺たち漁業者のものだと権利を主張して利権をえて利益を得るためにそうした、でもその権利には理由があり重い責任が課せられていたのである
ただこれはこの辺で具体的に起きたことでわかりやすいが他でもいくらでもこうしたことが起きている、なぜならまず利権であり利益だとなり他のことは責任でも無視されるのである
責任といえば東電に天下りした官僚たちも事故の責任があった
なぜなら多額の金を東電からもらっていたからである、それは自衛隊でも海上保安庁とか警察関係でも司法関係でも官僚が天下りして多額の金をもらっていたのである
その金をもらっていたことで重大な責任が課せられていたのである
安全を計ることに無関心ではいられなかったのである
だから天下りした官僚はその金を返還すべきだとなる、金をもらうことは必ず具体的な責任となっていたのである
でも実際は権利をもち利権を絵て利益になればいいしかないのである
弁護士でもただ相談するだけで百万とられたとかあり弁護士という資格をもっていて不正を働いたのである、弁護士という資格はそうして利権となるから利用したとなる
もちろんそれを相談した人も悪いとなるが死んでしまった
この人にも責任があったが死んだから問われない、ただ自分の家にも責任があったともなる、そんな金をなぜ払わなければならないか理由がないからである
だからなんらか金には常に責任が具体的なものとして課せられている
そして責任が自覚されないのである、それで後から原発事故のように責任が問われる
それで必ず何でも契約書には細かく責任をとらないことを記されている
「私たちはこういうことがあっても責任はとりません」と記されているのである
それは必ず後で責任問題になるからその責任をさけるために事細かに責任をとらない旨を記しているのである
本当に原発事故では天下りした政府関係者でも東電の幹部でも無罪を主張するとか全く
責任をとる人が一人もいなかったのである
でも人間は必ず責任を取らされる、戦争の結果として3百万人が死んだのである
責任をとらされたのである、一体のその責任は誰にあったのかとなる
あまりにも重い責任をとらされたのである
原発事故でも故郷に住めなくなる、貴重な自然と融合した飯館村でも住めなくなるとか重大な責任が生じていたのである
なぜそれが重大なものかというと飯館村でも縄文中期の遺跡が発見されたとか古いからである、つまりそういう古い時代から今日まで村は継続していたのである
最近盛んにSDGs(持続可能目的化社会)が言われるけどまさに縄文時代から継続してきた生活が村が失われることが最大の問題だったのである
村でも継続されることが第一なり
縄文時代から人が住んで生活していたのにできなくなる、このことは何を意味しているのか?その長い人間の歴史が失われることである
何であれ貧乏であれ継続される社会こそ重要だとなる
そういうことが燃料は炭であれ食料でも貧しくても縄文時代から継続していた歴史があったということである、その継続したものが根こそぎ原発事故で失われたとういことそれが人間にとって何を意味しているのか?
それがこの辺では問われたのである
とにかく今の社会は本来の目的からはずれたものとして利益のために何でも正当化されるのである
「では事故になってもあなたたちは文句を言わないようしてください」
「・・・・・・・・」
「それを了解してもらいますよ、そのために金を払うのですから」
「・・・・・・・」
本当はこういうことで金は払われていたのである、ところが漁業権というのは漁業組合に入っている船主とかが独占しているものであり港に住んでいる人でももらえなかったのである、その理由となると
〔あなたたちは漁業者はなぜそうした利権があり利益が得られるのか
漁業権は何のために与えられているのですか?」
「漁業資源の保護のためです」
こういうことで理由があって利権を得ていたのである、でも肝心の漁業資源の保護が原発事故でできなくなったのである
でも政府と東電にすれば
「あなたたちは漁業組合は海を汚されてもいいと了解しましたね、そのために事故前にすでに多額の補償金を払ったのですから・・・」
こう言われることにもなった、そして今度はトリチウムを海に流すという時もあなたたちは漁業権を私たちに売ったのです、そのために金をすでに払っているのです
文句は言えないでしょうとなる
もちろん事故後の補償金はさらに増やすし継続して補償しますから文句はないでしょう
こんなふうになったのである、もし漁業権を漁業組合だけでものにしないで自治体とかのものとして協議していたら別である
漁業組合は海は俺たちの物だから勝手にしていいのだとなっていたのである
つまり権利があり利権があり利益があるとなるがそこに重大な責任が課せられていたのである
資源保護を目的として権利が与えられていた!
その肝心の漁業の資源保護ができなくなったのである
だから権利は権理であり理由があって権利が与えられている、漁業組合に漁業権が与えられていたのは漁業するための資源保護のためだった、そうならば原発を建てるとき事故前にでも多額の補償金をもらうことはすでに海を汚してもかまわないですねという了解を契約をしたとまでなる
それは漁業組合で海は俺たち漁業者のものだと権利を主張して利権をえて利益を得るためにそうした、でもその権利には理由があり重い責任が課せられていたのである
ただこれはこの辺で具体的に起きたことでわかりやすいが他でもいくらでもこうしたことが起きている、なぜならまず利権であり利益だとなり他のことは責任でも無視されるのである
責任といえば東電に天下りした官僚たちも事故の責任があった
なぜなら多額の金を東電からもらっていたからである、それは自衛隊でも海上保安庁とか警察関係でも司法関係でも官僚が天下りして多額の金をもらっていたのである
その金をもらっていたことで重大な責任が課せられていたのである
安全を計ることに無関心ではいられなかったのである
だから天下りした官僚はその金を返還すべきだとなる、金をもらうことは必ず具体的な責任となっていたのである
でも実際は権利をもち利権を絵て利益になればいいしかないのである
弁護士でもただ相談するだけで百万とられたとかあり弁護士という資格をもっていて不正を働いたのである、弁護士という資格はそうして利権となるから利用したとなる
もちろんそれを相談した人も悪いとなるが死んでしまった
この人にも責任があったが死んだから問われない、ただ自分の家にも責任があったともなる、そんな金をなぜ払わなければならないか理由がないからである
だからなんらか金には常に責任が具体的なものとして課せられている
そして責任が自覚されないのである、それで後から原発事故のように責任が問われる
それで必ず何でも契約書には細かく責任をとらないことを記されている
「私たちはこういうことがあっても責任はとりません」と記されているのである
それは必ず後で責任問題になるからその責任をさけるために事細かに責任をとらない旨を記しているのである
本当に原発事故では天下りした政府関係者でも東電の幹部でも無罪を主張するとか全く
責任をとる人が一人もいなかったのである
でも人間は必ず責任を取らされる、戦争の結果として3百万人が死んだのである
責任をとらされたのである、一体のその責任は誰にあったのかとなる
あまりにも重い責任をとらされたのである
原発事故でも故郷に住めなくなる、貴重な自然と融合した飯館村でも住めなくなるとか重大な責任が生じていたのである
なぜそれが重大なものかというと飯館村でも縄文中期の遺跡が発見されたとか古いからである、つまりそういう古い時代から今日まで村は継続していたのである
最近盛んにSDGs(持続可能目的化社会)が言われるけどまさに縄文時代から継続してきた生活が村が失われることが最大の問題だったのである
村でも継続されることが第一なり
縄文時代から人が住んで生活していたのにできなくなる、このことは何を意味しているのか?その長い人間の歴史が失われることである
何であれ貧乏であれ継続される社会こそ重要だとなる
そういうことが燃料は炭であれ食料でも貧しくても縄文時代から継続していた歴史があったということである、その継続したものが根こそぎ原発事故で失われたとういことそれが人間にとって何を意味しているのか?
それがこの辺では問われたのである
とにかく今の社会は本来の目的からはずれたものとして利益のために何でも正当化されるのである
カルト教団などでもそうである、確かに政治活動をしてもいいとはなる、でも宗教団体だと無税になる、特権が与えられている
そうしているのは宗教活動だからである、でも現実は宗教活動でなくても政治活動でも経済活動もしている
それも無税になる、そもそも宗教活動は何なのか、その理由が明確ではないのである
また明確にしていないのである、つまり権利とは権理であり理由があって権利があることなのである