2021年11月17日

冬の日暮れぬ(山茶花、秋の雷、秋の暮、・・・我が家で茶を飲む)


冬の日暮れぬ(山茶花、秋の雷、秋の暮、・・・我が家で茶を飲む)

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ここは沼ではなかった、たまたま雨水がたまって沼になった
後ろは林である



田舎町三人集まり秋の雷

老ゆるともなお閃くや秋の雷

空家の庭烏とまりて秋の暮

日のさして山茶花赤し蔵に映ゆ


冬の日に茶一杯飲み安らぎぬ一人なりしも我が家なるかな

我が一人姉と母とに茶を献げ家を守るや冬の日暮れぬ

我が家に心静かに茶一杯飲むべかりけり老いにけるかな

家の跡土地の狭しもここに住む人し思わむ冬の日暮れぬ

近くにも忘れられしもこの家に住む人思ふ冬の日暮れぬ

新たにめ沼になりぬる細枝を映してあわれ冬の日暮れぬ


原町の方に今日行ったけど冬になっていた、秋の雷は数日前に一回だけ鳴ったからめずらしかった、空家の庭に烏がとまっているのも何か現代の風景である

家に帰ったら茶を飲む、いかにも冬らしいとなる、やはり家族はみんないなくなっても
まだ家があるとなり落ち着くともなる、姉と母とには熱いお茶を献げる
そこにまた死んでも継続して家族があるともなる
ただ正直何の反応もないのだから物足りないとなる

とにかく空家が増えている、私の回りは特に空家が増えた、最近一人死んだ家は農家であり庭が広いからここも空き地になる、家は壊されるみたいだ
狭い土地に家が建っていたところも人がみんな死んで空き地になった
そこは土地が狭い、庭もなかった、そして今になると住んでいる人を偲ぶのだがそれもその人がどういう人だったかわかちなくなった

そのおじいさんは建具屋であり仏壇を作った人である、でもその人はずいぶん前に死んでいるから記憶も定かではない、その後はタクシー運転手した人が住んでいたがその人も妻も死んだ、すると何が記憶されているのかとなるとないのである
人間はそれぞれ長く住んでいても意外と死ぬと記憶されることがないのである
その人の生きた記念とは何なのか?それも何かほとんどないのである
人間は生きている時なにかやと話題になるが死んだら話題にもならない
全く忘れられてしまうのが普通なのである
要するに長く記憶されている人は本当にまれである、ほとんどの人は忘却される
家族でも死んで十年以上過ぎると記憶も定かでなくなる
でも私の場合は姉と母とは60年も子供の時から一緒にいたので忘れられないのである

ともかく今度は本当に冬になった、季節が変わった、冬はやはり冬でいい、冬は田舎の方がいい、冬枯れの景色でも心にしみる、季節を感じるのは田舎なのである
我が家で茶をゆっくり飲むのも落ち着くとなる

自治体が財政破綻するとどうなるのか? (夕張市とか原発事故周辺は似ているーその恐怖)


自治体が財政破綻するとどうなるのか?

(夕張市とか原発事故周辺は似ているーその恐怖)


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https://onl.tw/DytNuKx


財政破綻の恐怖を夕張を例にして具体的に説明しているからわかりやすい
部長とか率先してやめた、給料でも退職金でもたいしてもらえなくる、もう生活していけない状態になる、するとサービスする消防隊員でも減り救急車すら一台となり隊員もいなくなり命にかかわってくる
病院でも看護師も医者でも雇えなくなる、給料が払えないからである
すると第一公務員もやめるのだから一般の人も流出してゆく
その原因が税金が何倍も高くなるのだから住んでいられなくなるのだ
そして人口が激減してゴーストタウンのようになる
残されたのは老人だけになった
そしてもう自治体は自治は成り立たなくなり国の管理下に入り何もできなくなったという

これは原発事故周辺ともにている、南相馬市は一部であるが飯館村とか浪江とか双葉とか大熊とかは自治体全体がこのうよな状態になった、自治体が崩壊したのである
住民から税金もとれないし公務員に給料も払えない、これは会社が倒産したと同じである様々なサービスが受けているがそれが受けられなくなる

原発事故周辺はこれと似ているのである、ただ違うのは国から手厚い援助がありそれで持っている、飯館村などは80億円とか支援があったとか多額の補償金をもらった
でもそれも継続はしない、一時的なものとして消える
だから人も流出した、子供もいない、立派な学校を建てても外から通うだけだからである
もう飯館村の住人自体が言っているように飯館村がなくなるというとき何か夕張と似ている、ただ別に公務員には給料は支払われているし財政破綻は今はしていない、国からの援助があるからだ、でもいづれ継続できなくなる
住民は流出して子供もいない、自治体という時自治があるから自治体なのである
でも自治体も自ら自治ができないとき国の管理下に入る、すると自治はなくなり国の思うようにされる、例えば放射性物質の置き場だとか核処理場とかにされる
もう自治する住民がいないから反対する人達もいなくなるからだ

何か不思議なのは空家が増大していることである、自分の回りでも隣が空家になったとか最近一人死んで空家になったとか近くにもいい家があり庭があったがそこも長い間空家になっていたのだ、だからもったいなと思って見た
そして空家になると奇妙なのだけどそこに持ち主がいないから勝手に入る人が出て来る
それが自分でもあった、隠されたようにあった家に入ったら立派な庭があったからだ
別に見るだけならとがめる人もいないのである
不法侵入になるとしても空家になると誰もいないということで勝手に入る人がでてくるのである

まず浪江でも小高でも双葉でも飯館村でも空家だらけなのである
そんな市町村が成り立つのかと理屈ではなく感覚的にそう思うのである
廃墟の町とか村が成り立つのかとなる、つまり自治体が崩壊するということがこの辺で現実に起きているのだ、ただ国からの援助がありそれで今は持っている
でもやがて援助もなくなるとどうなるのか、夕張のように国の管理下に入りもう自治体の住民自体では何もできなくなる、そこで国の言いなりになるほかなくなるのである
自治体の自治がまさになくなる、自治体の住民がいなくなればそうなるからだ

こういうことは自治体が財政破綻が起きる、それが夕張市に起きた
もともと炭鉱がありそれで栄えていた、それがなくなり衰退してそうなった
この辺では原発がありそれで栄えていたが事故になり衰退したのである
ただ南相馬市となると小高区の一部がそうなったが全体はなっていない
だから自治体は維持されているのである
でも財政援助は十年つづけられたがそれも打ち切られた
すると自治体の経営も苦しくなる、それで生活保護でも実際は年金をわずかもらっても後は医療費とか無料のようでもそれも必ず金をとられる、何か住宅を直しても無料ではないその人はもう生活保護でもそもそも生活できないのである
それはやはり自治体で生活保護をまともに支給できなくなっている
このことは氷河期世代になると深刻になる、もう生活保護はとても最低限の補償はされないのである、そんな金がないしできなくなるからだ、それも恐怖である

結局飯館村は確かに国とか東電とから援助があり今は成り立っている
でもそれも継続しない、老人ばかりの村になって継続しない、若い世代は流出したからである、夕張とかなると極端であり住んでいられないからである
この辺も極端なものとして住んでいられないから若い世代が流出したのである
南相馬市だと小高区は別に南相馬市だから原町区とかに移り住む人が多かったからである原町区だと病院でも買物でも何でも便利だからこの際移り住んだ方がいいとなってそうなった、残されたのは老人だけなのである

ともかく夕張市は炭鉱の市として栄えた、それがなくなったとき急激に衰退した
この辺は原発で栄えたがこれも事故で同じように回りの市町村が衰退した
何か経済でも特化したものに頼るとこうなりやすい、でも不思議なのはSDGs(継続可能社会)を盛んに言うけどそもそも縄文時代から飯館村でもその村があり今まで継続していたのである、人口の増減などがあっても村は継続されてきたのである
だから別に原発がなくても市町村が成り立たない、継続されないとういことはない
だから継続できないということはそれが最大の問題だったともなる
継続を第一にすれば価値とすればその方法はあるし現実に縄文時代から今まで継続して町でも村でも成り立っていたのである、
その継続が断たれることが最大の問題だったともなる
多少縮小しても継続はされていた、それが自治体自体が破綻して崩壊するということは何なのだろうとなる

継続することが第一だ

こういう価値観になれば別にこれまで縄文時代から継続して村でも成り立っていたのだからその目的でもって村は継続できるのである
でも不思議なのはもう車がないと電気がないと住んでいられない、継続できないとなるのも変なのである
継続ということを第一の価値とすれば別に継続して村でも町でも維持できるのである
もちろん現代となればその維持の仕方は違ってくる、でも市町村自体が無くなるということはありえないのである
なぜなら相馬藩で飢饉になったとき三分の一の人たちが流出した、でもその三分の一を埋めたのが越中などからの移民であった
その移民はいい土地ではない土地を得て開墾して住んだのである
その時代が農業で生活していたから土地を無料でもらえるとして移民が来たのである
その苦労も並大抵なものではなく加賀泣きとして伝えられている
でもこうして相馬藩は飢饉からも立ち直ったのである

これを比べるとなぜここだけではない、自治体が財政破綻して崩壊して継続できなくなるのか?縄文時代から継続していた村でも無くなるのかということである
車を使うな電気を使うなとかいうのではない、何らか自治体を維持できる方策があると思うから言っているのである、ただ最大の問題を自治体を継続させることだとしていないことになるのではないか?
それを第一として目的としてあればそのためにはどうするのかとなる、それを全体で協議するとか何か解決策を見出すとなる

ただ現代は個々に利益を求めるだけでありそうした全体としての志向がないということでそうなっているのか、つまり十津川村のように自然災害にあって村が壊滅的状態になって北海道に移住したとき村人が一致団結してできたからである
それは村がもともと強固な強固な共同体として機能していたからできた
今はそれがないから個々がばらばらになりかえって自治体を共同体を維持できなくなったともなる、そもそも農民共同体のようなものが喪失していたからである
だからこそ多額の補償金をもらったら即座に仙台市辺りまで移住したのである
別に農民社会でないから土地をもっていないから金さえあればどこに住んでもいいとなっているからそうなったともなる
そこで継続されなくなったのである、農民社会では土地が生産に不可欠だから移住しにくいからである

ともかく自治体の財政破綻は自治体の崩壊となりそれを具体的に示したのが夕張市だったのである、その悲惨はこの辺と似ているのである、ただこの辺はまだ補償金をもらっているから何とか維持できている、でも実質は小高区とか浪江とか双葉とか飯館村は崩壊しているのである,持続継続できなくなっているのである

このように、国も自治体も産業界も私たち国民も、家を「つくる」ことばかりに目を向けつくった住宅を「引き継ぐ」「たたむ」ことに目を向けてこなかった――。

災害の多発化・激甚化で空き家は新たな事態を引き起こす存在に。家をつくることしか考えてこなかったツケ 野澤千
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e4f81795a291be2a48ebb5470f374eba2025c81?page=3

こういうことも言える、家が建て過ぎてそれを引き継ぐ人がいなくなったいるのだ
それは墓でも引き継ぐ人がなく墓じまいするようになる
これも継続ということをないがしろにしためである、現代とは一代限りとかしか考えない未来に継続されることを考慮しない社会なのである
今良ければいいあとは野となれ山となれとなる社会である
だからエネルギーでも今使ってなくなってもいいやとなる
それでSDGs(持続可能目的化社会)が言われるようになったのである
目的が持続可能に置くということで悪、そのために一致協力することである
それぞれが勝手にしたら成立たないからである、持続できない継続できないで市町村でも崩壊するとういことにもなる、それが原発事故のこの辺の状況だったのである
posted by 老鶯 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連