2021年11月21日

増大する老人の医療費に介護費用 (その負担が下の世代の社会全体の重圧に・・・・)


 増大する老人の医療費に介護費用

 (その負担が下の世代の社会全体の重圧に・・・・)

 高齢者(70歳以上)の医療費は医療保険分で6852億円と前年度比806億円(13.3%)増、国民健康保険分で3兆3159億円と同1779億円(5.7%)増となっている。

   財源別でみると、公費が16兆9807億円で全体の38.3%を占める。このうち国庫は11兆2963億円で25.4%、地方自治体の負担は5兆6844億円で12.8%となっている。
   
   
近くで知っている人は糖尿病であり介護士がきてしょっちゅう医者に行っていてそれも検査費とかで結構な金がかかる、保険でもそんなに金がかかるのとなる
85歳くらいにてっているからだんだん弱って死んでゆくにしてもその期間が結構長いのである、ただ不思議なのは一年前は普通にしていたのに死んだ人もいる
一か月くらい前に元気な姿を見たのに入院したら死んだ人もいる
死ぬ人は簡単に死ぬが死なない人はなかなか死なないと見る
ガンになってから十年でも仕事している人がいる、そんなに長くガンでも仕事できるのかとなる

ただ点滴してしている、首辺りに点滴の跡を見たから点滴する場所がなくてそうなったらしい、自分も点滴していたからそうなるのがわかる
でも今は老人でも病気になってもなかなか死なない人が多い、手厚い治療をするからそうなるし医療でも進んでいるからである
まずガンだったらそんなに長く生きないと思うし糖尿病はわからないにしてもこれもなかなか死なない病気なのかもしれない、そして時々世話している女性も70過ぎていていつも腰が痛いとかとても介護などできない、軽い世話などはできる
でもその人からはわずかの金しかもらえない、医者にかかるから払えないと言っている
その世話する人も息子一人を頼っても金はもらえない、というのは親が施設に入っていて備品とかで金がかかっているからだ、またそれほど収入が多くないからである

そもそも生活保護になればみんないいとかいうが生活保護自体もう成り立たなくなるかもしれない、その女性にしても4万とか国民年金もらっているがあとは5000円とか医療費とか住宅代は無料にしても暮らしていいけないから必ず電気、ガス、水道、携帯代が払えないとなる、その負担がこっちに回ってきたりする

ますます老人の医療費、福祉費が増大して負担しきれなくなる!

こういう近未来が見えてきている、生活保護になればいいというが二万くらいしかもらえないとか試算が就職氷河期の人達に対して言われている
生活保護がすべての解決にはならない、老人の医療費と福祉費は増大する一方であり
2025問題は深刻になる、団塊の世代が75歳以上になるとどうしても介護状態になる人も増えて来る、それでなくてもやはり医療費は増大する
氷河期世代は人口が多い、でも収入は少ない、それで親の負担がかかってくる
それからすぐに自分たちの老後の金が問題になる、老後をまかなう金がないのである

それで老人の老々介護が問題になる

11月17日、大阪市平野区の住宅型老人ホームで、この施設で夜勤中だった職員の榊真希子さん(68)が受付で頭から血を流して亡くなっているのが見つかり、駐車場では入居者の男性(72)が死亡していました

職員が68歳で介護された人が72歳である、何らか68歳で働かざるを得ない状態にありこの事件が起きた、老々介護になる人も増えて来る、家族でも子供たちでもめんどうみきれないとなり老夫婦で老々介護になる、それも現代を象徴している
そして共倒れにもなる、それだけ少子高齢化は様々な問題を引き起こし事件になるしなっている、これからも増大するばかりである
もう国がこうして高齢化で財政ももたなくなる、限界に来る、今の氷河期世代は老後になっても年金二万とかなり生活保護も受けられない!
そしたらどうなるのか?その恐怖はもう目の前に迫っているのだ
誰かに頼れればいいのだが頼れない人はどうなるのか?
犯罪でも増えて来る、すでに老人の犯罪は十倍にもなっているし自分も被害者になった
何か将来にいい展望は見えないのである

それでアフガニスタンで家賃が払えないで洞窟に住んでいる人を見た
燃料もなく枯草を拾い、水がないのでやっと水を遠くから運びそれを煮て飲む
干ばつがつづいて食料がとれない、子供で餓死するとかその数も多いのに驚く
ただ戦後焼野原からの日本もこれと似ていた
水がないので近くの井戸水をもらっていた、それで自分もバケツで運んでいた
燃料は炭であり風呂はバタで残った木材の切れ端とかである
それは無料でもらっていた、洗濯は裏の堀の水でしていた
だからその暮らしをイメージはできる、人間の原始的な生活なのである
乾燥地帯はゴミとかでもなげても乾燥するからいい、日本だと湿気が多いからゴミを簡単に投げられないのである、乾かないからである

ともかく日本に明るい未来を描けない、その原因が高齢化社会にある
戦後は子供が多かった、食べ物すらないのにどうして子供があんなに多かったのか不思議だとなる、脱脂粉乳とかアメリカからもらってしのいでいた
でも子供が多いということは実は明るい未来があったとなる
そしてちょうどうまい具合に高度成長時代になりその団塊の世代などの子どもたちが成長しても吸収できたのである
その団塊の世代が75以上になる、2025問題が生まれる、それが社会全体の重圧となり
日本が経済的に衰退しているときと重なり相当に苦しいものとなる
その解決方法がない、確実に医療費はますます増大するし介護費用も増大する
そういものに金をかけていたら他の物に金をかけられない、何か世界で競争することに投資もできないとなる
結局団塊の世代が高度成長では数が多くても力となったが逆に人口が多いので負担になってきた、それが社会全体の重圧となる、一人一人の問題ではない、社会全体がその重圧に苦しむ、それは氷河期世代が老後になるとさらに苦しくなる
それは十年とかに二十年でなるから目前の問題なのである

短日、冬の日、晩菊、冬の菊、葉牡丹(自転車故障で原町から歩く) (歩いて見る風景が新鮮)


短日、冬の日、晩菊、冬の菊、葉牡丹(自転車故障で原町から歩く)

(歩いて見る風景が新鮮)

habotan1111.jpg

ここはいつも見ていたけど歩いて見た感じは違っていたのである
歩くということはやはり地についているとかなり見え方も違ってくるのである



木の根っこここに残りて冬に入る

冬の蝶一羽見つけ今日も暮る

短日や二里ほど歩み帰りけり

短日や二里ほど歩む原町に

晩菊や二里ほど歩む里の道

庭広く竹伸び映ゆる紅葉かな

墓地あわれ歩み来たりて残る菊

前畑に野菜の実り冬の菊

紫と白の葉牡丹前畑に

蔵ありて葉牡丹大きく農家かな

葉牡丹や大柄な女農家の出

長き道一人歩いて冬薊

冬の日や一坂越えて次の町

前畑に野菜実るや冬の菊

冬日さし体に熱気馬走る

蟻一匹冬の日に出て我も歩む

夕陽さし赤さを増しぬ紅葉かな


誰が眠る桜井古墳冬の日やここに鎮まり始祖ともなりぬ

公園に樹々の静かやヘンチあり冬の日さして我が座るかな


自転車が故障した、自分で直せなかった、チェーンがはずれたのである
普通なら直せるがこの自転車が直せなかった
自転車は故障すると歩くほかなくなるから大変である、幸い原町は二里ほど8キロくらいだから歩いて戻ることができた

ただそのことで歩いたら見る風景が違っていた、それで俳句ができた
人間は歩いてみる風景と自転車で見る風景は違う、自転車で見えないものが見えた
ましてやバイクと車になるとほとんど回りを見ないで突っ走るだけになる
通り過ぎるごたけになる、現代に旅がなくなったというとき歩くことがなくなったからである
旅とは歩きながら物に感じることである、風景と一体化することである
車でもバイクでも何か風景を切り裂く感じになる
自然と風景と一体化するものではないのだ

私は旅を日本なら隈なくしたとしても歩いた旅をしていないから本当に旅したとはならないのである、ただ歩く旅となると現代は相当に苦労になる、どうしても国道を行くことになりすると車の洪水の中を行くからいくら歩くとしても車のない時代とは違う

車がない所を歩くと人間回復になる

それを感じたのは相馬市から玉野村から霊山へ行く道である、中央高速道ができたので
車が全く通らないのである、それでその道が不思議だった、サイクリングロードのようになったからである、まさに江戸時代の街道になった、中村街道というものがあったからそこに戻ったとなる

現代に失われたものがいろいろあるが旅もその一つである、現代ほど移動している時代もなけいから旅をしていると思っているがしていないのである
旅とは本来は歩く旅だったからである、第一歩くこと自体が失われているのだ
歩くことが新鮮な経験になっているのが現代である
現代では歩く旅となると得難い経験になる、でも自分自身でも歩いた旅はしていなのである
だから近くでもは歩いてみると見えないものが見えて来る、ただ歩くことは容易ではない国道は歩いても車の洪水にのみこまれてしまうからだ

ともかく文明が発達して機械文明になると必ず何か失われたものが生まれてそれをなつかしむとかとりもどそうとする、その反動が生まれる、当然東京とから地方へ住みたいという人も増えてくる、人間の五感をとりもどそうとする、旅がなくなったというとき本当の旅をしたいとなり歩く旅をする人もまれにいる
今は旅はない、温泉に泊まって休養するとかはある、でも旅は近くでも歩くと旅になるのである、田舎だったらそうなる、ただ温泉で休養するのはつまらないとなる
ある短い区間でも歩くということを経験することでも旅になる
ただ車でもバイクでも通り過ぎるだけでは経験として残らない、ただ走るという快感だけである、それは後に記憶として残らないのである

秋の暮歩いて去りし人思ふ

上り来て峠の茶屋や秋の暮