2021年11月23日

春の日に佐須村から小国村へ


春の日に佐須村から小国村へ

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春の日に佐須から峠を下り行く人がいた
そこは峠でありかなたに山雪の吾妻連峰が見えた
その道を下ると行合道に出る、人が行合う所なので名付けられた
春の日に佐須村の人達が行合道に出て来た

「久しぶりでここに出て来たな」
「歩くとなると遠いよ、わしも年取って歩くのは楽じゃない」
「小国はまだ遠いよ」
「坂を下るから楽だけど帰りは苦しいな」
「小国に着くのが楽しみだ」

春の日がぽかぽかとさしていた
佐須の人達は長い坂を下って行った
見入り石とは石がありその石に見入ったから名がついた
途中見入り石とかあり石戸村とを通り過ぎて小国に着いた
そこには小国川が流れ開けた平な土地が広がっていた
あたたかい春の日がさしてスミレが咲き蝶が飛び始めていた
「ここは小国だ、いい所だ、広い平地があり田畑も広く気持ちいい
ここでは桃や梨でもとれる、長い冬が終わり春になった」
こんなふうに佐須村の人々は言って楽しんでいた
それから知り合いの家によった

「佐須村の人達あがんなされ、お茶でも飲みなされ」
「ありがとうよ」
「遠いところからまた来てくれたな」

そこでもてなされて話しがはずんだ、そこは近いようでも車がない時代は歩くほかないから遠かったのである
こうして一時小国で休んで帰ることになった
「帰りは楽じゃねえな」
「延々と坂を上らなきゃな」
「年とると疲れるよ」
途中には店もないし茶屋もなかった
そこでおにぎりを食べてなんとか腹こしらえして上って行った
そしてようやく自分の村についた
「いや、疲れたな」
「本当に小国は遠かった、疲れたよ」
「でも楽しかったな」
「ううん、また行きたいな」
「これからあたたかくなるから行けるよ」
「また行くのが楽しみだな」

こうして峠があり人々はなかなか歩く時代は互いに行き交うことがむずかしかった
だから人々は峠を越えて向こうの国に憧れた、ここでは小国だった
また小国の人達も佐須村に来ることが楽しみだったのだ
でもやはり峠があるからなかなか来れなかったのである

また一人の旅人がやってきた,バスでやってきた

はるか峠を越えて
小国によりぬ
スミレや春の花が咲き
春の陽ざしが心地よい
ぽっかり春の雲も浮き
蝶も飛びはじめ
小国に一時よる
旅人は去りしも
その小国の名の心に残りぬ
いつの日かまたか行かむ
遠き小国よ、幸いの国よ
春の日にさそわれ行かむ

旅人はバス停でおりて一時よった、でもまた遠くへと去った
今はバスは通っていない、ただバス停は残されている
今はバスは廃止されているのが多い、みんな車で行くからだ
福島中央道ができてもう相馬市と福島市は最速30分でも結ばれているからだ
福島市と相馬市は遠かった、電車だと岩沼で乗り換えるからさらに遠かった
車を持っている人と持っていない人の差は大きい、小国でも近くても遠いのである
日本全国に小国という地名が多い、そこは狭い所でも一つの国だった
国だからその中で一応生活できるものがあった
またそうせざるを得なかった、車もないから簡単に遠くに行けないからである
歩いて行くほかなかったからである、それで近くでも遠い国となっていたのである

旅人は雪に埋もれた青森の奥の方にパスを乗り継いで行った、トンネルを通る奥にやはり小国があった、そこは本当に奥であり閉ざされていた、そこも小国だったのである
そこで雪に閉ざされたら昔は物を運べない、閉ざされた雪の中で暮らすほかない、厳しい冬を小国でまかない暮らすほかない、それで何かたりないたりないと言っていては暮らしてはいけない、そこにあるものでしのぐほかなかったのである


posted by 老鶯 at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 童話

相馬市から霊山町までの地名の旅 (簡単な案内と説明)


相馬市から霊山町までの地名の旅

(簡単な案内と説明)



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霊山町の犬飼(犬養)

宇多川をさかのぼると川は丸森の方へ行くのと玉野村の方へ行くのとに分かれる
玉野村は昔の伊達藩と相馬藩の境である
それで次のような歌が残されている

伊達は伊達政宗の領地であり

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に実は伊達に

伊達藩と相馬藩は戦国時代に争っていたが江戸時代になると戦争をやめて仲良くしたからこういう歌が生まれた、互いに繁栄しようとなったのである

玉野村には「若木神社」がある、これは疫病の神であり疫病は恐れられていた
玉野村は境なので特にここで疫病をもってくる人がいると怖いから神社に祈っていたとなる、とにかく昨今のコロナウィルスのことで疫病の怖さを経験した
昔から人間は疫病で苦しんでいた、だから各地に疫病を防ぐための神社がある
その頃は神様に祈る他なかったからである
そして疫病を防ぐ唯一の方法は他の藩からでも人が入って来ないようにすることだったのだ、疫病は人から人へとうつるからである

ここから伊達藩だけど相馬藩はもともと中村藩でありここと中村街道でもありこの細い道がそうなのだ、ここを行けば古い碑が残っていて元禄時代のもある
中村街道はもともと保原の方に行っていた
玉野村を過ぎると八木平とかありこれは姓名なのである、八木氏でありこれは海洋民の安曇氏と同じ系統のものであり飯館村へ行く八木沢峠の八木も八木氏なのである
この道筋にも山津見神社が残されていて飯館村の佐須の山津見神社がその本元になる
それから霊山町に入ると犬飼(いぬかい)というバス停が残っている
犬飼は古いものであり次に犬養となった、これも安曇氏系統の海洋民の一族なのである
海を渡ってきた外国人だとなる、その人たちがここに住みついたので八木平という地名になった、犬養も同じである

霊山の上り口に行合道とありここで人が行き逢った、出合うことからこの名がある
それは飯館村の佐須峠がありそこをおりてこの道で出ると出合うとなる
佐須村の人に聞いたら霊山町の方が親しいというのも近いからそうなる
昔は車もないので歩くのでなかなか山で暮らしていてもそこから遠くへ行くことが簡単にできない、それでそうした閉ざされた山の村から出て人と出合うことは喜びだったとなるなかなか他村のものと出合いなかいからである

霊山町へ出ると石戸という村がある、地名として見入り石とかある、この石の由来は良く分からないが特別な石でみんなが見入ったからこの名がついたらしい、石戸村というのはこの石から生まれたのかもしれない
地名には何かいわれがあり名付けられたからだ

福島中央道のトンネルの所に庄司淵はあるのはこれは佐藤庄司から来ているのだろう

奥州路で最初の義経ゆかりの地です。佐藤庄司とは、
源頼朝の平泉攻めの際、それを防いで戦った藤原秀衡の郎党です。

これは有名な話である、佐藤氏とはこの辺で多いがこの佐藤氏系統の一族が相馬地方に広がった、庄司と姓の人もいるからだ、佐藤氏は有力な氏族としてこの辺で支配していたからである、相馬市の磯部村に佐藤氏の館があり相馬の道の駅の鬼越館は佐藤氏の館であるあと中村街道を相馬市の方に下ると塩手山の麓の二軒も佐藤氏であり佐藤氏一族が中村街道を通って広がっていたのである

佐藤氏⇒庄司淵⇒塩手山の二軒の家⇒磯部の佐藤氏

それから霊山町に入ると力持ちとかの地名がある、力持ちとはなぜついたのか?
各土に比べ石とかあり昔の人は機械がないから力仕事が多いから力持ちの人は村にとって大事な人でありなくてはならない人になっていたのだ
そこで力持ちという地名にもなった

それから小国という地名があるがこれは日本全国にある地名である
ここに小国町があり小国城があり小国川があった
小国とはそこが人の住む小さな国ということである

ここに春の日にバスできて一時下りたことがあった
その時は春だった、春の日がさしてスミレなどが咲いていた
ただ一時ではあるがその小国という地名を覚えていたのだ

こうして地名をたどれば何かそこに謂れがありその地名の謂れは古い、古代にさかのぼるのである、地名から遠い昔を知ることができるのだ
この道は今は福島中央道ができて車が通らない、まるで旧道になり車も通らなくなって
サイクリング道路のようになってしまった
道が変わるとその道沿いも変わる、何か廃屋が空家が増えた、車も通らないとやはりさびれる、ただ自転車で行くのにはいい、車が通らないだ
すいすいと行けるからだ、でもここの旧道は他の旧道とは違う、車が一日数台くらいしか通らない、だから不思議になる
交通によってこんなふうに変わってしまうのも驚きである

他にも相馬市から山上に入ると紙漉沢とかありまた霊山町に楮という地名がありこれは紙漉きの材料となるから紙漉きが行われていたので地名化した
その頃紙漉きはきれいな水が必要なので山から流れるきれいな水を使って紙を作っていたのである、それで地名化した
ただ地名は古代にもさかのぼり古いのである


春の日に佐須村から小国村へ(童話)