2021年12月09日
2021年12月08日
(人間が消えた方が自然には良かったーSDGs(持続可能社会ー老子の思想) ドラマの一シーンから
重要ななネットインフラ (デジタル社会に適応せざるをえない)
重要ななネットインフラ
(デジタル社会に適応せざるをえない)
dellのノートパソコンを使うのに苦労した
インターネットにはまだいろいろ問題がある
セキュリティの問題もアキレス腱でありそれで常にパスワードが問題になる
そしてパスワードがもう十個くらい別々にあり忘れる
するとアクセスできなくなるから困る
ドラマで必ずパスワードがわからなくなり必死で合わせて助かる、つまりパスワードは命にも関わっているからだとなる
ドワでも閉じたのわいいがパスワードを忘れると開けられなくなり死ぬことあり得るからだ
私が失敗したのは自転者のカギである、パスワードを忘れて開けられなくなった、これも怖い、何故ならもしパスワードを忘れて開けられなくなったらどうにもならなくなるからだ、つまりパスワードはそれだけ重要だとなる。パスワードがわかれば重要な情報は盗まれて致命的になる
ここにネット社会の弱点がある
それと情報でもせっかく創作したのでも一瞬にして消える何か不具合があると一瞬にして記録したものが消えるる、また消すことができる
これも大問題なのである、本に出したもの消えない、どこかで残っている、電子本でも長くは残らないとも言う
いかに記録を保存すらかも大問題である
それから依然として文章にするのが進歩していない、手間なのである、私は富士通の親指シフトになじんでワープロからパソコンンの世界に入った
もしこれがないと入りずらかったのである
ただ文字入力でもdellだと校正しなくてもいいようだ、私の文は必ず誤字脱字などが多かったからだ、これも機械が変わると防げる
この文はデルのノートパソコンで打っている
ローマ字入力で打っている、だから遅くなる
この辺は進歩していないのである
とにかくネット社会にデジタル社会になるとこれに適応せざるを得ない、私は20年前からパソコンはしている
でもスマホはしていないのである、だからデジタル社会に適応してないともなるのだ
社会がデジタル社会になるとき仕事も変わる、新聞とかテレビでも変わる、マスコミはテレビは国の運命すら決めるとまでなっていた、それだけ報道できるのはマスコミしかなかったからそうなったのである
この辺で来年一月に市長選挙があるが政経東北で今の市長が相馬市長の子分でいいなりだとかかれて抗議した
この報道の影響は大きい、選挙に相当影響する、だから
マスコミは力を持ったのである
でも政経東北も金で動く、双相リッテクの宣伝していたからである、何十億の除染費用を山分けしていたからである、こうして報道でも公正にはならない、報道にしても調べるにしても金がかかるからだ
また警察とと親しくしないと情報すらはいらないからである、そのために検事と新聞社の記者がマージャンしていたことがわかったからである
ただネット社会化すると選挙にも影響するかもしれない、もし南相馬市長選挙で私が発言して影響すればそうなる、そうなっていたのがマスコミだったからである
だから政経東北の記事が判断材料になる
そもそも市役所の内部のことまでわからないからである
マスコミが報道することで判断する人も多いからである」、ネットだと確かに一個人でも発言はできる、でも影響はわずかであるまた信用度にも欠ける
でも政経東北でも全面的に信用できるかとなるとできない、双相リッテクから金をもらっていたからである
私はネットだと金はもらっていない、そういう人が大部分である、今はyutubeでも宣伝費をもらっているからだ
いずれにしろメデアは相当に変わる、スポーツ新聞の記者が辞めてネットに活路見出したというのもそうである
新聞は岐路う立たされている、ネット社会にデジタル社会に適応せざるを得ないのである
そのためにネットインフラ重要になる、国家的にも重要になる、道路を整備するようにインフラが重要になる
民営の会社だけでは維持できないともなる、自分にとってレンタルサーバーのさくらは重要である、ここでは不具合が一回しかおきていない、バックアップ体制がある、ただ民間だと権力がかかわりつぶされることもありえる、そんなに大きな会社ではないからである、そこに不安がある、そういう発言の保証もない
だからネット社会はデジタル社会は国がかかわらないとできないともなる、ただどいうふにかかわるかとなるとむずかしい、自由が制限されるようだと問題だからである
2021年12月07日
東北弁のんだについて
2021年12月06日
寒椿、枯野、冬の海、白鳥(俳句は写生で修行で作る)
寒椿、枯野、冬の海、白鳥(俳句は写生で修行で作る)

石黙し赤き誠や寒椿
二子山ここを離れず冬日没る
みちのくや枯野の向こう船一艘
墓残り海老浜に見ゆ冬の海
冠雪の蔵王の見えて白鳥の群れ飛べるかな朝日まぶしも
石垣のめぐらしここに家建てて落ち着きぬかも冬の日さしぬ
荒々し冬の波音ひびくかな津波の跡の無常なるかな
人間に共通する普遍的なモラルである
石黙しというとき禅宗で座禅を組んで沈黙の修行をする
自然と一体化する沈黙が必要なのである、それが修行なのである
俳句の様なものでも修行が必要であり精進しないと上達しない
俳句は写生と写実である、だから比較的他の芸術より修練すればいいものができるとはなる、その方法が明確だからである、それを明治になって提唱したのが正岡子規であり
それが俳句の世界に革新をもたらしたのである
俳句そのものは必ずしもいいものになっていない、究めていない、でもその方法を編み出したことに功績があった
意外と芸術という時、ARTとは技術とかの意味もあり広範囲な意味がある
医療までartだったのである、だからARTとは技術的要素がありそれで革新できる
それで私が試みている抽象画がそうである、写真でも絵でもデホルメして作りだしているからだ、これも芸術だとなる
これこそ全く絵の才能がゼロなのにやはり創作だとも見たからである
二次三次製作でもやはり創作的なことがあると思ったからだ
二子山とは大原の二つの山であり二子山に見えるのだ
海老浜の方は村自体が津波で消失した、残っているのは墓地だけである
そして墓が冬の海を見ている
みちのくというとき枯野がにあう、海には船一掃しか見えない
兵庫県の方から来た人が瀬戸内海とは随分違うでしょう、あそこはひっきりなしに船が
通っている。ここはただ海が広がっているだけであるからだ
キボードが使いない、親指シフト使えないと苦しい、パソコンは文を楽に書けないと苦しい、親指シフトで始めたので自分の場合なじんだのである
2021年12月05日
南相馬市原町区北泉のサーフィン場で清掃のボランティアに逢う (小高に住んでいる女性である)
南相馬市原町区北泉のサーフィン場で清掃のボランティアに逢う
(小高に住んでいる女性である)
Tシャッツを飾っているので何だろうと思った
清掃のボランティアだった、海をきれいにしている人達だった
その女性は秋田からきて仙台市にも住んで小高に今住んでいる
地元のことに詳しいから結構長くいるとなる
まだボランティアがいるということだがあまりに関心がなくなっている
一時はボランティアに来ても帰ってゆく人も多いという、やはりなじめないのでそうなる何か地元でも関心がなくなる、外部からでも十年過ぎると関心がなくなる
何かその女性は積極的であり秋田から来た東北人にも思えない
それで語尾にんだといっていたのは何故だろうと思ったら秋田弁でンダスと語尾の発音になる
このンダというのは東北弁で共通なのである
ところが仙台弁だけはちがう、だっちゃだっちゃになる、だからもともと伊達藩の仙台圏は東北でも異質の場所なのである
ただ丸森の人はんだちゃといったときんだにはこうしてバリエーションがあると思った
んだーだっちゃが合成してんだちゃになったのである
方言は何か国の訛りというように面白いのである
とにかくどうしても震災から十年過ぎて十一年にもなると関心が相当に薄れる
何か私は景観にこだわる、景観のいい場所には行ってみたいとなる
小高とかはあまり景観に特徴がないのである、双葉とか大熊辺りでもそうである
飯館は別である、高原の別世界になっていたのである
丸森は阿武隈川あり蔵王が見えるとかであそこは景観に魅力がある
鹿島区だと意外と気づかないかもしれないが蔵王は鹿島区からも晴れた日にはっきり見えたのである、この辺では高い山が無いから蔵王を見れることで南相馬市では鹿島区がいい場所だとなる、原町区になると蔵王は見えないからである
ただ原町区の魅力は街の魅力であり景観ではないから別である
私の場合はこうして景観がいいというときその場所に何度でも行きたいとなる
浪江町だと高瀬川渓谷があるからあそこに行ってみたいとなる
でもあそこは避難区域になっていて行けないから残念である
ここのサーフィン場には飲み食いする場所がない、だから作ればいいと話したが商売として成り立たないとやっていけない、ただサーフィンに来る人はいる、外の人も来る
でも景観的には火力発電所とかありいいとはならないのである
それでも遊園地もあり休む場所が欲しいとはなる
2021年12月04日
日大の田中英寿理事長を脱税の疑いで逮捕 東京地検 (学生運動を抑えるためにのし上がった、学生運動とは何だったの?)
2021年12月03日
栄える家と栄ない家の謎 (家が歴史郷土史の基本ー死者は家に生き続ける)
(家が歴史郷土史の基本ー死者は家に生き続ける)
我が家を創りし者
我が父と姉と母
父はこの町に移り
苦労の末に一辺の土地を買う
その土地は悪しき土地なり
二階水害にあいぬ
その後姉と母が新しき家を建てる
その家は大きく心地良し
この家に父と母と姉との力の宿る
我はこの家を受け継ぎ住みぬ
この町の一角に住みつきぬ
後妻の母の子は我が家に受け入れられず
不幸なりしは我が家の暗黒となる
兄は遠く集団就職で静岡に去る
そして交通事故で40才で死ぬ
その不幸ゆえに一基の墓を建つ
この家に父と母と姉との力の宿る
この家に住み我は力を得る
一代にて栄はならじも
故郷の大地に根を張りし木のように
代々受け継がれて栄はありぬべし
故郷の冬の日にそのことを深く感じぬ
栄は一人にて一代にてならじも
代々の人の力ありて成りにしを・・・・
人間が一番関心があるのが自分の生れた家であり故郷でもある
聖書が大きな国の歴史ではない、そもそも家族の歴史なのである
神に選ばれた人の家族の歴史なのである
家という時、天皇家というのも家族の歴史でありそれが日本が歴史になっている
平家源氏も家のことである、家が王家を作り歴史となる、この辺だと相馬氏が支配者となり歴史を作ったとなる、それで「御家」という旗印がある
外国でもハウスブル家がヨ−ロッパの王となり支配者ともなったことでもわかる
徳川家が三百年江戸時代支配者となったのもそうである
歴史とは家の物語(ヒストリー)でもある
ただ私が家を意識するようになったのは家族が全部死んでからである、それで遅いが自分自身が家を継いだ者になったことを意識したからである
なぜなら自分一人しか家を継ぐ者が残らなかったからである
父親は葛尾村の出であり双葉町の昔は新山の酒屋で丁稚として働いていた
それで暖簾分けしてこの土地に住むようになったのである
だから相当に苦労した、貧乏でもあった、ただその時代はみんな貧乏だったのである
それで刺身を食べれるようになったが病気で食べたくないと言って死んだのである
戦後十年くらいで豊かになったときである
何か無念に死ぬ人が多い、自分がかわいがられたのは50以上になって生まれた子供だったからだろう、でも兄は母は後妻であり5年間は一緒に育ったが後は実家で育てられた
そして集団就職して交通事故で40才で死んだのである
その責任が我が家にすべてあるとはならない、結婚した妻が不倫したとか何か兄自体にも問題がありそうなった、別にその時、集団就職した人も多いし全部が不幸にもなっていないからである
ともかく家にはいろいろな事情があり複雑になっている、だから他者の家がわかりにくいのである、自分の家にしてもわかりにくいのである
ただ確かなことはどうしてもその家が栄えるのは一代では無理である
何か栄えるという時、その前に積み重ねがあってそれを受け継ぎ栄えるとなる
ただ受け継ぐといっても受け継ぐ人が息子でも駄目な人だと栄ないのである
その人の親は両親とも正直なまれにみるいい人だったのである
でも息子がそんな親から生まれてとにかく駄目な男だったのである
そしてその孫の息子は自殺して死んだのである
今はその息子も死んで家は更地になる
いい両親から生まれてもその家が栄えるともならない、だから家を公式のように見れないのである、そもそもよほど深い関係でないと他者の家のことがわからないのである
ただ歴史が家から始まり家の物語(ストリーヒストリー)だったことは世界的に共通しているのである
相馬藩だと相馬氏という一族の歴史であり今も野馬追い祭りがあり相馬氏の殿様が出るから歴史が続いているのである
そして家の歴史というときまた田舎だと地方だと家と土地が密接に結びついている
なぜなら農業中心の社会では土地から実りを得るからそうなる
家と土地は切り離されずあった、ただ農業から工業社会に変化したとき家の重みも減少したとはなる
都会だと家とか土地とかでも何か一定の場所に根付くというのではなく一時的に住んでまた移り住むという感覚になっている、土地に定住するという感覚が希薄だからである
いづれしろ郷土史というとき特に個々の家の歴史が基本になる、でもこの家の歴史が事情がそれぞれ複雑でありわかりにくいのである
自分の家の歴史でも親戚の歴史でも複雑すぎるのである
それを語ると切りなくなる、母親の実家はやはり後妻が入ってきて複雑化したのである
そしてばらばらになった、一家の墓も二つに分かれたりした
そして不和分裂の家でありそれが影響して親戚関係は全部切れたとなる
どうししてそうなったのか?やはり後妻が入ってきて家が乱れたからだろう
それも仕方がないという事情もありそれが全部の原因なのか?それも良くわからないが
母親の実家は何か不和分裂の家でありそれでみんな死んでも遺された者も分裂して終わったとなる
家が乱れるということはそれは国が乱れることにもなる、なぜなら国は家の歴史でもあったからだ、だから天皇家が乱れると国家まで乱れるとなるのである
それで真子様の結婚問題が国家の問題にまでなっているのである
死者達の霊をかく敬い
その価値のわれらのうちに増しゆけば
誰か幽鬼と化す者あらむ
われらが精進と験し看破し
それを便りにあらゆる領域で
われらが君の同族と認めてくれ給え!
(ある古風な墓碑銘に寄せる歌詞ーハンス、カロッサ)
人間は死んでもそれで終わりではない、そのつづきがある、死者は確かに肉体は消失するでも何かそこに残すものがある、歴史的人物とか作品は歴史の中で語られつづける
だから死んでから百年後でも語られることは依然として死者は歴史の中で生きているのである、「その価値のわれらのうちに増しゆけば」ともなる
死んでから返ってその人の価値が増してゆくことがある
生前は価値を認められない人もいるからだ、そして逆に死者が幽鬼と化すことがある
これはまさにこの辺で起きた原発事故が証明した
空家だらけのゴーストタウンや村になった、そこにはもう人は住まず死者は活かされず
幽鬼が棲むようになったからである
死者は二回死んだとなる、一回は死んでもまだ町や村があったから受け継ぐ者があったが二回目の死は受け継ぐものがなくなり幽鬼の棲む町や村と化したのである
歴史は個々の家の歴史でも回りがあって全体があって故郷があり国があって成立っていたからである、ある土地の家が裕福だというときそれは回りの力でそうなったともなるからだ、それが原発事故でだいなしにされたのである
でも原発ができてこの辺で豊かになり財を築いた人もいるのである
でもそれは本当の栄ではなかったのである、だからそうして富を得たものは呪われた者ともなったのである、つまり子孫の繁栄をもたらさなかったのである
だからその子は親のことをいいとしないし語らないし忘れるとなる
歴史の中で受け継がれず価値を増さないのである
故郷を捨てて移り住んだ人は一から別な土地で歴史を刻むことになったからである
ただ金になればいいということで本当の豊かさはありえなかったともなる
そこに大きな落とし穴があったとなる
2021年12月02日
abstract stones and rocks
abstract stones and rocks
secret oasis
2021年12月01日
温泉若おかみの殺人推理 (ホテルは料理でもてなす所ー関サバがテーマのドラマ)
歩く旅の喪失と保養としての宿の変化 (福島中央道から地域を考える―車が通らなくなった道)
歩く旅の喪失と保養としての宿の変化
(福島中央道から地域を考える―車が通らなくなった道)
旅も交通の変化で変わる、しかし旅が行程にあり道草にあり宿にあった
とにかく歩く⇒自転車⇒バイク⇒電車⇒車⇒飛行機と変わる時見える風景も違うのである旅という時江戸時代まで歩くことだったのである
宿というときあくまでも歩く旅の行程で休む場所であり旅の行程の中に必然的にあった
宿がなかったらとても歩く旅はつづけられない
だからホテルとはホスピタルから病院の語源になっている
つまりトラベルというとき苦労を意味している、旅とは難儀なことだったからそうなったまず歩く旅だったら苦しいからそうなる、それで宿に着いたら足を洗うというのはそれだけ汚れているし疲れているからである
江戸時代に街灯などなく、江戸のような街中でもかなり暗く、町はずれにもなれば足元も見えないほど真っ暗。
というわけで旅人は「7ツ立ち」といって夜明けの少し前に旅立ち、夕方前に宿場に入って宿を探した。
何か江戸時代でも誤解するのは現代からイメージするからそうなる
街灯がないとか暗いというのもそうである、その感覚がわからない
もう夜になった怖い世界である、歩くこともできない、すると早めに歩き出して宿に着くことを心掛けなければならない、そういう当たり前のことがわからなくなったのである
一日40キロ歩いたというのも信じられないともなる
城下町の相馬市から原町までくらいなら30キロにもならない、でも原町は宿場町であった、浪江とか双葉の方でも宿があった、参勤交代とかあり必要だった
ただそれが地域の農民の負担になっていた、無償の労働でもあったからだ
現代では交通が発達して歩く旅がない、だから歩く旅がどういうものかわからなくなったそれは電車から車社会になったとき何か電車というのがノスタルジックなものとして実用があっても見るようになった、何かなつかしいとなる
そして駅が人の出合いと別れの場所であり人生の織りなす一つの活きた場所だった
人間臭い場所だったのである、今やそういうのも薄れ駅は無人化してゆく
田舎駅だとぽつんと一人くらいしか待っていない
そこで駅員がいなくなり自動化したときたまたまボランティアで駅のまねをしたことが貴重だった、人間はともかく何でも経験することが貴重だった、なぜなら人間は経験することがわずかだからである、いろいろなことを経験できないからである
それで福島中央道ができたとき今までの道を車も全く通らない、人も通らない、これは何なのだろう不思議だった
つまり福島中央道ができたとき旧道化したのである、その道沿いの店はすたれた
何か廃屋が目立った、でもサイクリングするにはいいしサイクリングロードになったのかとも見た、そこはもともと家は少ない所であった、でも車はそれなりに通っていた
今の福島中央道を見るとひっきりなしに車が通っているからだ
交通量が増えたのかもしれない、最速三〇分というのは早い、前はバスが通っていたが
大分前にバスは廃止された、でも玉野村では一日数回くらい子供のせたバスが走っているそしてバス停がありそれが過去の遺物のように残っている
相馬市から霊山を通り霊山町の小国の方に行った、その道が旧道化して不思議だった
この辺では前の街道の旧道でも結構車が通っている、でもあそこは車が通らない
ただ原発事故で牛を飼って牛乳を作っていた農家が放射能汚染でやっていけないと自殺した場所でもあった、今はソーラーパネルが問題であり反対している
実際に玉野村へ行く宇多川を上って丸森の方に行く川の上の山はまるごとソーラーパネルになっているのに驚いた、あれだと木がないか保水力がないから川の水が増すことになるただ人家がないから目立たないから気付かない人もいる
森の木材が利用されないからあのようになった、江戸時代は木材の利用で相馬藩と米沢藩と伊達藩でその木材資源をめぐって熾烈な争いがあった
それだけ木材資源が豊富な場所だったのである
いづれにしろ相馬市から宇多川をさかのぼり玉野村に出て霊山の方に行き霊山町に出る
道は旅するにはサイクリングするにはいい道だったと思う
八木平とか犬飼というバス停が霊山町の方にあった、これは安曇族の系統のものであり
霊山町の方まで移住して住んだのである、途中隠されるように山津見神社があったからだもちろん本元は飯館村の佐須村の山津見神社だから近いのだから霊山町の方まで移って行ったということはイメージできる、でもその海洋民の安曇族のことを誰も調べていないし語られていないのである、それも何か奇妙なのである
まず原町区には特に綿津見神社がやたら多いからである、でもその謂れもは語られていないのである、これも郷土史を調べていて奇妙でありおかしいことだと見たのである
八木沢とうげというのも八木氏の姓に由来している、この一族も安曇族の同族であり系統だったのである、だから意外だったのである
現代では旅はなくなり保養観光になった、常に宿で保養するとなると食べることに関心がありあとは温泉につかり日ごろの疲れをいやすということでもともとトラベルという苦労する旅はなくなった、第一数日では歩く旅は不可能である、一日歩いても疲れるからである、それを歩きつづけるとなると本当に苦行になるからだ
ただ江戸時代とかの宿場町は観光ではなく物を運ぶ中継点としての役割があった
最も重要な役割として、隣の宿場から運ばれてきた公用の荷物や通信物を、次の宿場まで運ぶという業務がありました。そのため宿場は、本陣、脇本陣、旅籠などの宿泊施設と、継ぎ送り業務を行う問屋場が中心となっています。
https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index2/a0201.htm
要するに宿場とは当時の生活で欠かせないものだったのである、それは物見遊山で旅するのとは違っていたのである、もともと電車でも北海道などでは他でも石炭を運ぶものとして作られていたからである、常磐炭田などでもそうである、常磐線は東京に石炭を運ぶものとして作られていた、今になると東電が原発を作り送電線で東京に電気を送るというふうに変わったのである、やはり東京が百万都市であり消費の場になるから地方から資材を運んでいたからである
最近温泉街が飯坂でも会津東山温泉でも廃墟化した映像をyoutubeで見て驚いた
有名な温泉街が廃墟化している、それもビルのホテルが建ち高度成長時代に会社の団体旅行でにぎわった一時代が終わったことを象徴していた
何か高度成長時代の名残として団地も廃墟化している、そして日本で全国でこれから空家が二千万軒になるというのもいかに空家が増えて日本が衰退してゆくことがそれで象徴されているのだ
仙台市の人口は増えているがそれでも宮城県で六五歳の人口が三分の一とか多いし意外と丸森は12パーセントくらい人口が減っている、山の中にやはり空家が目立った
丸森は鉄道でも仙台市に行くのが乗り換えがあったり不便なのである
ただ自然には恵まれているから好きである、でも過疎化しているのである
また南相馬市で人口が増えたとしてもそれは浪江町とか双葉町とかからの原発事故関係の移住者が多いからである、地域全体を見れば人口は減り衰退しているのである
飯館村などは廃墟の村と化しているしそういうことでも相馬藩とされた地域全体では相当に衰退してしまったのである
これまで財政的に援助があったが十年過ぎてその援助もなくなった、すると財政的に相当に厳しくなる、福祉関係の予算でも相当にけずられるのである
相馬市から霊山町までの地名の旅 (簡単な案内と説明)
http://musubu.sblo.jp/article/189154950.html
なぜ南相馬市と相馬市に綿津見神社と山津見神社が多いのか?(1ー前編)