2021年12月16日

金沢の冬の俳句十句(冬桜、冬の水)


金沢の冬の俳句十句(冬桜、冬の水)

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金沢や街中に散る薄紅葉

金沢や松の間に咲く冬桜

日も暮れむ兼六園や冬桜

百万石金箔の技冬桜

冬の日や職人育てる城下町

斎川の木橋渡るや冬の川

金沢に茶碗の店や冬の暮

金沢に一杯の茶や冬に入る

石橋や流れめぐりぬ冬の水

茶室の障子映してて冬の水

金沢に我が泊まるかな冬の星

金沢や金箔の技雪ふりぬ


金沢には仙台市から夜行バスで行った、電車だと遠回りになるし高くもなる
この仙台市から出るバスはめずらしと思った
金沢には行きにくいからだ、金沢は二回くらい行ったのか?
それもかなり前だから忘れている、冬桜としても十月桜だったのである
十月頃に兼六園を見て回ったのである、ただ冬に入る時期だったのだろう
何か冬の感じだったのである、それで今冬桜として俳句にした
十月桜と冬桜はまた違っている、確かなことは冬桜は12月まで咲く桜なのだろう
なかなか冬桜みかけない、だから原町の農家の庭に咲いていたのはめずらしいと見た

金沢はやはり百万石の城下町でありそれで文化都市にもなっている
伝統工芸とか金箔の技とかを残している、兼六園は見物である
何かこうして城下町には独特の雰囲気が残っている、京都とか奈良でもそうである
ただあれだけの大きな庭園があるのが違っている、それで百万石だから作れたのかともなる

都市でいいのは東北だと盛岡市であり弘前市などもいい、仙台市は意外と何か伝統的なものを歴史を感じるとならない、60万石でも城下町のように感じないのである
街中を盛岡市は二つの川が流れているし詩の都市である
城跡も街中にありとけこんでいる、なんといっても岩手山がまじかに常に見えるから心も必ずひきしまるのである
都市でいいのは日本ではそんなにない、一番が京都であり奈良であり次に東北だと盛岡市と弘前市である、北陸では金沢市である
函館市も記憶される都市である、明治を偲べる場所なのである
その他日本ではいい都市はあまりゅい、東京には江戸百万都市があったとしてもそれが今感じられないのである、それだけ変わりすぎてしまったのである
何か歴史を感じるものがあってもいいと思うがないのである
江戸城でも将軍の城でも何か感じるものがないのである

いづれにしろ人生の最後になって旅した場所をふりかえる、冬には追憶の旅が似合っている、ただ忘れるのである、だから旅でも記憶する旅をしないと損である
今は団体旅行とか騒がしいと心に残らない、人のことに注意を払うと辺りの景色でも心に残らないのである、だから旅は一人旅がいいとなる
そうすれば最後に旅でも収穫があるとなる
そうして回想して今俳句とか短歌でも詩でも作っているのである
老人は記憶に生きるのである、でもその記憶が残らないと思い出しようがないのである
私の場合は一人でいてその辺りの景色が浮かんでくるのである
ただ金沢と行ったとしても何十年前にもなる、でも一応覚えている
俳句が写生だというときどうしてもそうなるとイメージで作るようになる
実写できないからである、そこで十月桜が冬桜ともなってしまったのである

確かに薄紅葉というとき早目に紅葉が散っていた、それが薄紅葉だったことを覚えている詩にも書いたのである、だから季節的には晩秋だったのだろう
金沢でわからなかったのは百万石にしては大きな城がなかった、城自体がわからなかった天主閣もない、だから城下町だとういことが認識できなかった
兼六園だけが目立だったのである、犀川などがあるからやはり情緒ある
金沢でも冬に行ったらかえって感じるものがあるかもしれない
ただ雪に埋もれてしまうからイメージとは違ってくる、実写の写生を基本とする俳句とは違ってくるのだ
ただ一回でも現場を踏むことは大事である、そこで記憶されて蘇る時があるからだ
しかし外国となると何か思い出せなくなる、日本だと一回でも行った場所は記憶されるのである

ともかく自分の人生をふりかえれば幸福だったとなる
私は別に旅が好きなわけではなかったのである、ただ大学を出て就職もしないで放浪していた結果旅をするようになった
私はまず集団生活ができないのだ、だから中学とか高校生活は本当に嫌だった
椅子に座り50人とか詰め込まれた教室とかが嫌でしょうがなかった
そうした場所にいられないのである、内向的でありそういう場所が嫌なのである
何か圧迫感があり緊張して勉強などできなかったのである
だから今でも結局学校を嫌悪しているしまた会社とも勤まらない性格だったのである

ただ私にとって幸運だったのは大学出てからでも就職しなくても家族は何も言わなかったのである、これが幸運だったのである、それは特殊な家庭環境でそうなったのである
そこから旅ばかりしていたとか引きこもりになったのである
でもそういう生活は自分の性分にあっていたのである
そこで社会性が欠如したにしろ何か自分にあっていたのである
それは家族に恵まれた結果としそうなったのである

人間とにかく自分にあったことをする、追求することである
そうでないと人生を無駄にする、でも人間は親でもなんでも自分に合ったことをさせないのである、親の言う通りにしろとかなんとかなる
そうして人生を失った人も相当にいる、親ガチャというけど別に毒親でもない医者の家とかに生まれて恵まれていてもやはり親と子は違っている
子供には子供の人生がある、その道を行かせないと親を恨むようになるのである
なぜ私は別な道を行きたかったのに行かせなかったのかとなるのである
まず自分は親に家族に恵まれた結果として自由に生きることができたのでけ感謝しているのである
もし家族がいなかったら相当に悲惨な結果になったし才能なども開発できなくて終わったのである
才能でも芸術とか学問でも結局積み重ねなのである、天才は別である
でも天才の真似などできないから普通の人は積み重ねでやるほかないのである
啄木とか宮沢賢治とかは天才である、なぜあんなに20代とか30代で才能が開花したのか不思議だとなる

ただどちらも肺病で結核で若くして死んでいる、とにかく結核で若くして死んでいる人が多いのである、母親の実家の兄も25才くらいで結核で死んでいる
その墓の前にたつとその人の無念が墓からこ
みあげてくるのである
また戦争で若くして死んだ人もそうである
つまり才能があったとしても開発できず開花せず死んだ人はいくらでもいるのである
自分でも家族に恵まれなかったらそうなっていたのである
それは時代の影響もある、豊かな時代になったからそういう引きこもり生活が可能となったからである

現代は何かその人なりやりたいことがやれる環境ができているのかもしれない
これが大事なのは最後に人生を後悔するからである、やりたくないことをやらされたとか犠牲にされたとかなるからだ
現実自分の場合は親が自分のために犠牲になったともなる、兄とカモそうである
人間は誰かの犠牲があり生きられなかった人が多数なのである
実際これからの時代は今までのようにいかない過酷な時代になるのかもしれない
日本でも高度成長は特別恵まれた時代だったとかふりかえることになるかもしれない
そうは言っても人間は時代を選ぶことはできない、だからどうにもならないとなる
時代の犠牲にされてもどうにもならないということである
それが戦争で三百万人死んだことなのである