2021年12月19日

原発事故と酷似していた十津川警部の推理ドラマ (原発が産業廃棄物会社となっていたー大企業の下請け会社問題)


原発事故と酷似していた十津川警部の推理ドラマ

(原発が産業廃棄物会社となっていたー大企業の下請け会社問題)

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今日見た推理ドラマの十津川刑事出演の構図は原発事故と同じだった
原発が産業廃棄物となっていた
大企業がその産業廃棄物場を青森の各地請負仕事していた
そこに政治家がかかわり大企業がかかわり広告会社がかかわり下請け会社がかかわる
そこに悪の権力の構図ができあがる

このドラマで一番印象的だったのは下請会社の人である

「私らは小さな会社です、大企業から仕事をもらえないとつぶれししまうんです」

この言葉切実だったのである、これは東電で働いていた電気関係者が事故の時千人とかいたと働いている人に聞いたからである
また親戚でもないが東電の下請けで会社を経営している人もいたからである
また東電に逆らうと仕事をもらえないとか言う下請けの会社がいる
東電に文句があっても何も言えないという人もいた
配管など老朽化して危険なことを知っていても東電には何も言えないと言っていた
つまり大企業の東電の権力は絶大なものだったのである

それは自治体とかを越える権力であった
自治体に命令できる権力だった

産業廃棄物の反対運動している人もこのドラマでいた、弁護士まで雇い戦っていた
でも下請け会社の人に殺されたのである
これも何かこの辺でもありえたと思う
まずその権力と金は利権は信じられないほど大きなものだったからだ
それは除染費用で6兆円も国の金がでたとかそれが大企業が請け負って下請けでも請け負った
それでたいして技術もないのに相双リテックなどに何十億の金が入り幹部が山分けしていたのである、みんなその原発マネーに狂ってしまったのである

だから反対などできなかった、漁業組合の利権も大きかった
そういう土建業者とか漁業関係者とか農業関係者の農協とかは力をもっている
票田でもあった、利権を得る共同体なのである
その人たちは結構怖い面がある、その利権団体を批判したら本当にこのドラマのように殺人までなっていた、下請け会社ではドラマでは反対同盟の人を殺したからである
この辺でも事故前に原発に反対していたら住めなくなるだけではない、村八分にもされ
殺されまでなっていたかもしれない、人間の欲は抑えられない、危険は無視される

つまり

俺たちの会社が大企業から仕事をもらえないとつぶれるんだ」

こう言っているのが切実だったのである、それは東電の下請け会社が多く東電の城下町のようになっていた浪江とか双葉とか大熊町とかではそうなっていた
まず東電がなかったらその自治体自体が財政でも成り立たなくなっていた
勤め先とかでもそうであり町全体にしても原発マネーが回っていたからである
だから小高に東北電力の原発も工事が始まる時建築関係者は喜んでいたのである
でもそれはもうここだと20キロ内になっていたから怖いことだった
そもそも自分は原発のことを知らないし関心がなかったのである
30キロ離れているから関係ないと見ていたのである

ただ専門家は東電内で働く人たちは危険を感じていたが東電の権力と国の権力でおさえられていたのである
そして地元でも建築土木会社に関係で仕事している人が多いから自分たちの生活がかかるから簡単に反対できないのである
地方では権力を持つのはそうした人達でありあと医者など医療関係者も持っている
ただ東電とか大企業になるとそれはもう自治体を支配するまでなっていた巨大権力だったのである

広告の仕事をしていた女性の人は国会議員に世話になっていたからその殺人にも加担したのである
人間は金に困ると借金したりするとモラルが消失して悪に加担するのは推理ドラマの定番である
もう毎月電気水道ガスがとめられるとなれば金が欲しいしかない、その金の出どころなどどうでもいいとなる、それが人間なのである、追い詰められ人間はモラルが消失する
犯罪になる歯止がかからなくなるのである

この構図にいるトップが東電であり県であり国だった
渡部恒三はトップの政治家であり原発をもちあげていた、そして息子はアメリカの原子力会社のGEの社員になっていたのである
その渡部恒三でも持ちあげていたのは政経東北であった
福島県のマスコミは報道関係は例えば福島民報とは政府の県の広報機関なのである
なぜなら県が50パーセント出資して成り立っているからである
だから原発の危険など報道しないのである

原発は国家権力が働いているから逆らうことはできない、国家の命令が県に下り県では自治体に命令するのである、そのために地元に飴を与える、金を与えるのである
それで地元も完全にとりこめたのである
そうなるともう誰も反対できないとなる
今でこそ原発を批判するがこうして国家権力で「安全神話」を作られた時もう逆らうことはできない、それは戦争の時と同じである、反対者は特高がきて警察に逮捕される
なぜなら検察と警察も国家権力だからである、戦争でも国家権力が実行したものであり
従わなければ検察と警察がかかわり逮捕されるのである
マスコミでも政府の県の広報機関であり「安全神話」に加担していたのである

このドラマは本当に生々しいリアルなものだった、それは本当に現実を反映したものだったのである、こういうことなのかとわかりやすかったのである
私自身が今原発事故のことでいろいろ追求しているけどまず事故前だったら怖いことになった、殺されることだってありえたとこのドラマを見て感じたのである
つまり下請け会社にしてみれば生活がかかっているからそうなったのである
ここでも同じ事が起きても不思議ではなかった
その後も原発事故の補償問題で南相馬市とか飯館村では分断された
その額がまた大きかったからである

ただ自分が原発事故のことを追求できたのは小高と原町区は鹿島区より三倍もらっているし医療費と高速料金が十年も無料だった、そして医療費無料が一年伸びたのである
ただ鹿島区も高速料金が無料にはなったのである
ただその差も大きいものだったのである、ただこれは相馬市とかも別に放射線量など同じでありそれで6万もらって終わりとかなっていた不満だったのである
ただ私の住んでいる場所は一人70万もらった、相馬市は六万しかもらっていないのである、原町区は三倍もらっている、医療費無料とかでも差別された
そのために生活保護でも医療費でも一部金がかかり国民年金をわずかでももらっていると最低限すらもらいないのかもしれない、4万くらいもらってどうして生活できるのかとなる
これはここだけではなきい、ロスジェネ世代はもう生活保護すらもらえない、もらっても雀の涙ということを示唆しているのである

ともかく人間は利権と利益には敏感でありそのために争う、またその目の前の利益のためにモラルも消失する、危険も返りみなくなるのである
この辺ではそれが他より強かったともなる
こういう状態ではもう何も反対はできなかった、反対運動している人達もいなかったからである、左の人達でもしていなかったのである
それで新潟県の小さな巻町でどうして反対して原発を作らせなかったのか不思議なのである、そこには新潟日報などが応援していたのである
これは本当に稀なことだったのである

金をもらいば何でも危険なものでも容認する、それが人間である
それに逆らうものは殺されるとまでなるから金は怖い
でも金をもらうことは必ずやはり責任がつきまとっているのである
金をもらったことは許可したことでありそのことで起きることの責任が生じていたのである
だから原発事故でこれだけの被害にあっても東電とか国家にも何か批判できないとしているのである、それは金をもらったからだとなる

「あなたたちに金をやりました、十分な金をやりました、だから批判しないで下さいよ」
こうなっていたとなる、ただ人間は目の前の利益だけを権利だけを見るのである
私だって原町区のように三倍の補償金をもらっていたら何も言えないのである
あなたは補償金それだけ受け取りましたから何も言わないで下さいとなるからだ
ただ南相馬市内で公平でなかったとして批判しているのである

この構図は何か共通している、どこでもあうりうることである、それは権力とはどういうものかをわかりやすく示しているからだ
権力の恐ろしさをわかりやすくドラマ化しているからである
ただ江戸時代の悪代官のように単純ではないから簡単には理解できないのである
posted by 老鶯 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

冬紅葉、冬薔薇、寒雀、師走(本とかプログとかの整理に追われる)


冬紅葉、冬薔薇、寒雀、師走(本とかプログとかの整理に追われる)


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黒い猫が餌を食べている

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籠もるかな曇りガラスに冬紅葉

冬薔薇一片残りはや暮れぬ

忘れけり母の命日師走かな

今日も来ぬ黒き猫かな冬薔薇

冬の日や書庫に籠もるや黒い猫

風花や籠りし部屋に見ゆるかな

葉牡丹の大と小とが一鉢に

風花やハ鉢に葉牡丹籠もるかな

今月も金の工面や寒雀

書庫に入り本の整理や年の暮

故郷や老いをともにし冬景色

玄関に訪う人なきや冬の月


たまゆらにジョウビタキ来て去りにけり朝の静かに石は黙しぬ

冬の薔薇一輪なおも我が庭に咲しをいとしみはや暮れぬかも


冬紅葉というとき母の命日にしていた、何かそれがふさわしいからだ
冬紅葉忌となる、玄関の曇りガラスに冬紅葉が映る、でも散っている
昨日は本当に真冬だった、でもこの辺は雪はふらない、山の方から雪がふきかけて風花となる,ジョウビタキが来て去った、それも空家化した隣の庭なのである
隣の庭には樹木があるからそこに止まって去って行った
そして大きな石がある、何か自分の庭のように見ているのも不思議である
中にも入っているからだ、誰もとがめるものもいないのである

母の命日を忘れていた、15日だった、何か師走は忙しい、家事に追われるのである
その間にプログの記事を書く、すると他に何もできないのである、だからコメントもしていない,フェスブックは一回も書き込んでいない
対話になると疲れるからただ自分一人で書いているだけである
母は内向的な女性であり忍耐強いとかあり自分の性格と似ていた
目立たない女性だったのである
ただいつも忙しくしていたから師走で自分も命日を忘れていたのである

寒雀というとき毎月電気水道ガスを支払いない女性が来る、そういう人が増えてくる
ただ今貧乏かどうかは着たものではわからない、戦前とか明治時代の写真をみるとボロのようなものを着ていた、着た切り雀とかなっていた
それで貧乏だとわかるが今は着るものを見ただけではわからないからである
確かなことは今の貧乏は電気ガス水道が払うことができなくなる人である
また家賃でもそうである、そこに貧乏だと外に現れてくるのである

訪ねる人はない、人間はまともな人がいない、かえって冬の月の光りがさしているだけの方が清々しいともなる、人間にそんな清々しい人などいないからである
老いは冬にふさわしい、冬は家に籠り瞑想して本を読むとか内省するのがいい

自分にとって不思議なのは本を相当に買いためたが理解していなかった
それが理解できるようになったことである
自分の文脈の中で引用できたりする、それまではびっしりと線を引いたりしていたがそれも理解できなかった、まず本を読むことは自分なり読めて理解したとなる
自分の文脈の中で引用したりしてこそ初めて理解して読んだとなる
ただ読んだだけでは理解したとはならなかったのである

何か黒い猫に餌をやっているが家にはあげない、汚れるし世話できないからである
黒い猫はなれない、でも何か書庫に入って本を整理しているとこの黒い猫があっている
猫は何か書斎とかにいるのがにあっているのだ
それで「吾輩は猫である」が漱石から生まれたのである

とにかく自分の書いたものが膨大でありホームページでもプログでも整理しようとしている、この整理が大変な作業になっている、そして不思議なのは読み返してみると自分の書いたことを忘れている、詩でも忘れているのだ、人間とは本当に忘れ安いのである
家族でもあんなに親しく一緒に暮らしていたのに忘れてゆく
これほど人間は忘れやすいのである、だから記録することが大事である
記録したものから文でも写真でも思いだすことがあるからだ
今は記録るのでは発表することもネットでできる

ただこのネットの問題は記録したものが一瞬にして消えることなのである
これが一番怖いのである、それでログをとることが必要になる
クラウドだと便利だがなにかパスワードとか忘れてアクセスできなるとかでも不安なのである、ただ印刷してもそれが膨大になるから簡単にできない、それで困っているのである
ともかく今年も終わる、年の暮は整理に追われている、今また昼の食事の用意なのであるだから暇なし何かをしているのが自分である、これを書く前は掃除していたのである
そして母の命日も気にしていたが忘れてしまった
母は忙しい人だったからこれもふさわしいとはなる