2022年01月12日

戦前の学校教育―旧制高校は超エリート (みんな尋常学校で読み書きソロバンの延長だったーこれからの教育)


戦前の学校教育―旧制高校は超エリート

(みんな尋常学校で読み書きソロバンの延長だったーこれからの教育)

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大学は増えたから実業化しろとなるとき戦前の実業学校にしろとなる
職人の養成とかである、大学は増えすぎてその中身が劣化したからである
実際大学として通用するのは国立大学と早慶になっているからだ
後は実業に即してものでいいとなる



●尋常小学校ー女学校時代

尋常小学校の6年間が義務教育となり、かつ尋常小学校の就学率が97%を超えたのが1907年(明治40年)のことです。ちなみにこの時点で、日本に大学は3つしかありませんでした。東京帝国大学(現・東京大学)、京都帝国大学(現・京都大学)、東北帝国大学(現・東北大学)で
https://note.com/asamorikdb/n/n6f38ed881883

人間は老人になれば60以上になれば必ず過去をふりかえる、自分は何をしてきたのだろうか、何のために働いたのか?そういうことは若い時はあまり考えない
生活のためだ金のためだとかなっている、それで収入が多い方がいいとなるだけである
何が志をもって働く人はまれだろう、そういうことは戦前のエリートの帝大生にはあっただからデカションとか哲学者をまなんでいたのである
その極一部のエリートは何か就職するのでもすでにかエリートとして有利な職が地位が与えられることが約束されていたのである
だから戦前のそうした旧制高等学校は一校二高・・・とかに入れる人はまれだったのである

例えば女学校というとき(高等女学校)というときそこに入れる人は地域で選りすぐれた女性であり金持ちの家が多かったとなる
だから女学校を出たというだけで一目置かれていたのである
それで飯館村の大倉のばあちゃんが俺は相馬女学校でたとか言っていた
それを自慢したかったのだろう、ではなぜそんな山の中で女学校に入る金があったのかとなると山林をもっていて山持ちが金持ちになっていた時代があったからだ
戦前は木材でも輸入することがなくみんな地元の木材を利用していたからである
木材は炭にもしたし燃料として欠かせないから飯館村では炭焼きで金持ちになった人がいたのでる
姉は看護婦になったが意外となれないものだった、なぜなら結構勉強することが多いからである、そして試験を受けるために東京の新宿の方まで行っていたからである
ただ頭が良かったのとしっかりしていたので女学校に入れないことを悔しがっていたのである

●相馬市の女学校に通った大倉の女性

私の子供の時でも囲炉裏があり炭を利用していたから今になると信じられないとまでなるその女性は鹿島の親戚の家から相馬女学校に通っていたのだ
とても大倉からでは通えないからである、第一通うだけで大変だった
なぜならその頃汽車(電車)があったとしてもその汽車賃が高いからである
私の母は大正生れて松川浦に親戚があったが汽車に乗って行ったことを語っていた
その時代は意外と汽車が通ってもいてもめったに乗っていないのである
なぜなら汽車賃が高いからである、今ならみんな電車で気軽に乗っているけどそうはならなかった、それだけ貧乏だったとなる

そして鉄道とはもともと荷物を運ぶために作られていた、主に石炭を東京に運ぶために作られていた、北海道はたいがい石炭を運ぶものしとて作られていた
旅する人を乗せていたわけではない、何かおそらく汽車で旅した人は文人とか特殊な人達だったかもしれない、汽車賃が高いから簡単に乗れないからである
それで鹿島区の横手から梨を売るために相馬市までリヤカーで行っていた女性がいた
これも遠いから大変だと思った、でも汽車はとても利用できないのである
その頃車がないからそうなっていたのである

この図でみれば大正生れの母は尋常小学校でありそこは一番多かったのである
それはせいぜい読み書きソロバンでありあとはたいして勉強する科目がなかった
習字とか作文とか算術が主だった、だから勉強するには楽だったとも見る
つまり高等教育を受けるのはほんの一部でありあとは日常生活できる程度の読み書きソロバンだったのである

●戦前の教育は修身と体練が主であった

効率的に知識を生徒の頭に詰め込むことができる。

初等科では国民科(修身・国語・国史・地理),理数科(算数・理科),体錬科
(体燥・武道・ただし,女児には武道を欠くことができる),芸能科(音楽・習字・図画・工作・女児には裁縫を加える),高等科では以上の諸教科のほか実業科(農業・工業・商業又は水産)を加え,女児にはさらに芸能科に家事及び裁縫を加えることになっていた

戦前は修身、体錬(体育)が重んじられていた、この中に武道があった、それで今でも相馬女子高校では長刀(なぎなた)を習っているのである、それは江戸時代の続きだったのである、相馬女学校は相馬氏の城があったからそういう歴史があってそうなったともなる侍の伝統を受け継ぐものとして依然としてあったともなる、裁縫も女性には不可欠だったから科目にあった
なぜなら原町高校の前進は原町商業学校だからである、相馬市には相馬女学校とか何か伝統的なものがあることがふさわしかったとなる
ともかく今のようにあまりに多岐にわたる科目がないし何か実生活での基本的なことを学ぶ場であった、今はあまりにも複雑なものとなりすぎたのである
もしかしたら基本的教育で必要なのは修身、体錬(体育)だったかもしれない、それが学校では膨大な知識中心の教育に変化したのである

戦後の教育は効率的に知識を生徒の頭に詰め込むことができる。

生徒を教室という『監獄』に押し込んで、授業で疑問や反論を一切認めない、画一的な教育を行うことによって、上からの理不尽な命令にも何の疑問も持たず、従順に従う、経営者にとって都合がよく、質の高い『企業戦士』という兵隊を大量生産することができる。
https://jp.quora.com/nippon-no-senzen-kyouiku-to-sengo-kyouiku-no-ooki-na-chigai-ha-nande-shou-ka

戦後の教育も明治からの継続であり暗記中心の教育でありそれが一応成功していたのである、戦後の焼け野原からの復興でもこうして画一的な人間の大量生産で良かったのであるなぜな高度成長とは同じものを大量に生産することであり人間も個性重視とかならない、個性を無視した同じような規格化された人間を作ることで良かったのである
そこに創造性は必要なかったのである
つまり日本の教育は時代にあって成功していたともなる
ただ規格化した大量生産と同じように人間もそうなったのである
そこで戦争になりその原因がまた戦前の画一的国家に忠誠を第一とするものとなっていたそれが国家神道となり皇国となり戦争の下敷きとなったのである
それは戦後も同じような規格化された人間の大量生産であった

『子曰 学而不思則罔 思而不学則殆』
(学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思ひて学ばざれば則ち殆し)

これは論語でもやはり学ぶことがどういうことか要点をついている
学ぶはまねるから来ている、暗記することであり暗唱することである
だから江戸時代でも暗唱しろと寺子屋があった跡に古い碑があった
暗唱が暗記が学ことの基本にあったのだ

でも学問とはまず学ぶーまねるーでも思わないと考えないとだめである、また考えてまた学ぶとなる、その過程で学問が身につくのである
だから論語というのは何か忘れられたが江戸時代でも論語を学びそれで人間を作っていたのである

●戦後教育も大量規格品を作り工場に配置するためであった

いづれにしや戦後の教育は高度成長時代を作るには良かったがその後は30年の停滞がありモラル的にも荒廃したのである
知識第一であり無思考であり創造性も追求していない、だからカルト教団が戦後増えたのである、これは現代文明に共通していたことでもある
ドイツにナチスが生まれたのはやはり日本的土壌と似たものがあったからかもしれない
ナショナリズムが強くあり民族意識が強いからそうなった面もあったからだ
何か軍隊的であり上意下達であり体育会系ともなる、ただ軍隊はそういうものであり
自主的に考えることを拒否する、それは警察とか自衛隊とかではそういう人が集まっている、考えることとか法律とかを嫌っているのである、それは体育系の上の命令に従うだけのロボットがいいのである、ただ体育とか体の鍛錬は必要なのである
だから戦前の教育がすべて悪いとはならない、いいとしている知識人もいたからである

いづれにしろこれからの教育をどうするのかとなるとやはり時代にあって抜本的に変えざるを得ない、高度成長時代は規格化した人間の大量生産でも良かった
でもなぜ30年も経済でも停滞しているのか?それは世界でも変化してそれに追いつけなかったからだとなる、ITでもそうだし何か製造業からソフトが中心になったとき変えられなかったともなる
創造性というときそれは一部の天才のものであり一般の大勢の庶民には関係ないと思っているがそうでもない、創造性とは創造してゆく態度なのである
創造性が大事だとなり何か常に工夫して考えて学ぶということである

『子曰 学而不思則罔 思而不学則殆』
(学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思ひて学ばざれば則ち殆し)

真似るだけではない、思うー考えることなのである、考えるとは工夫するということにも通じている、それが日本の教育に足りなかったのである
なぜヨ−ロッパが西欧文明が世界を導く者となったのか?
それはヨ−ロッパは貴族社会であり家庭で学べる環境がありそこで天才が多数生まれている、つまり学校教育ではない、家庭で学べる創造性を発揮することができた
また家庭教師がついてその人にあった教育ができたということも天才が生まれた所以だとなる

ともかく日本は今戦後70年であらゆるものが疲弊して停滞して衰退している
教育でもそうである、もう時代に合わない教育をつづけている
そうして改革しないとじり貧になってゆく、すでになっている
それは教育だけではない、あらゆる面でそうなっているのである
だから抜本的な改革をしない限りさらにジリ貧になるみんな不幸になってしまうのである

●明治維新の西欧化で失敗をしたことから学ぶ

ただ人間が住みやすいとか幸福とは何かとなると別に最先端の科学技術志向がそうするともならない、それが原発事故でわかったのである
いくら豊かになるとしても故郷にも住めなくなるということは最悪だったからである
別に原発が無くても住むことはできていたからである

日本は日本なりの教育があり経済があり文化がある、そういう日本の伝統を見直す作業が必要になるというのもわかる
何か戦後の20数年はかえって日本はいい社会だったとしている
それは戦後十年は貧乏の時代である、どこの家でも飯台一つしかない貧乏だった
でも何かその時日本人はかえって一家団欒とかあり貧しくてもめれほど欲望に衝かれたうになっていない平和な時代だったと回想する人もいる
何か隣近所とのつながりもあり金第一とか欲望がむきだしの競争社会でもなかった
そう回想するのも昔は良かったという年よりの常套句にもなるがでもそういう面はあったのだろう

そしてバブルの崩壊で日本の物欲金第一主義が崩壊した
それから30年も経済は低迷している、
すると過去に回帰するのが日本がである、過去に回帰する歴史があるのが日本なのであるアメリカとかにはないからである、日本に江戸時代があったということが大きな遺産なのである、だから江戸時代を知ると心がなごむのである、それは東京でも江戸は全然違った風景なのである、今になると東京には行きたくない、何か魅力あるものがない
景観でも高層ビルと車の洪水と騒音の中で人間的なものもないのである
だから今東京から人が離れて地方に移住する、東京の人口は減ってゆく
明治以来の東京中心の社会は終わる
だから教育にしても地域に根ざした江戸時代の藩校のようなものが復興するかもしれない私の試みて来たのはそういうことだからである
地域に自然に根差した本来の人間の復興である、ただそれも東電の東京中心の経済体制で原発事故で崩壊したのである

確かなことはこれからは脱西欧化アメリカ化が志向される、和魂洋才の和魂が見直されるそれはアジア的なものが見直される時代になる
ただカルト教団の仏教などは全く文化的な精神的なものとは何にも関係ない
そこには数と権力志向があるだけである、その現世利益追求は確かに高度成長時代の物欲中心の世界にマッチして会員が増えたのである
でも高度成長時代が終わりマッチしなくなった、物欲が充たされなくなったからである
そして物欲ではなく精神的和魂の充実が求められているのである
だから万葉集などが見直されるのである、ただ依然して和魂洋才は形を変えてありつづける、実際に西洋文明といっても日本では日本的に消化されなかったからである
それをアジアでは中国に先行して日本が担っていたのである
それで西欧文明の言葉を漢字を通して訳したのが日本だった、それを中国人が使っているのである、つまり日本が西欧文明とアジアの橋渡しを担っていたのである
今でも外交的にはアメリカとヨ−ロッパと中国の橋渡し役があり一方に偏ることは良くないのである、日本は両国の仲介役の立場にあるからである

西欧文明というとき内村鑑三によるとキリスト教文明でありそれを受け入れないので日本は西欧文明の受容に失敗したとなる、西欧文明を日本は機械とか道具とか工業力だと見たからである、それがキリスト教文明と見なかったのである
それで内村鑑三は武士道とキリスト教を接ぎ木したのである、手島郁郎はキリスト教と神道を接ぎ木したのである、神仏習合とも似ていたのである
キリスト教にはそういうことはなかった、習合しなかったのである
つまり機械であり道具であり実用的な技術的なものとしてしか見なかったし受け入れなかったのである、だから国家神道となりそれが戦争にも突入する要因ともなっていた
だから教育もすべて実用としての教育でありそこにモラルとしての教育は戦後は余計に修身もないのだからただ利益の追求だけになったのである
カルト宗教でも御利益の追求しかなくなった
アメリカ軍にGHQに支配されて日本の精神は骨抜きにされて今日至っている
明治維新で日本精神文化は失われ次に敗戦でアメリカ軍の支配で日本はモラルなき国となったのである
教育だけで日本を変えることは不可能である、日本国家自体の変革が要求されている
そういう大きな時代の変わり目なのである、戦後70年であらゆるものを変えないと日本は没落するだけでとなる
posted by 老鶯 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など