2022年02月02日

将来鉄道の廃線になるのが多いのに驚いた (鉄道は駅名が心に残るー東北の廃線となる路線)


将来鉄道の廃線になるのが多いのに驚いた

(鉄道は駅名が心に残るー東北の廃線となる路線)


東北地方において将来廃止が予想される路線を示したマップである。東北地方では、
JR 線は奥羽線、花輪線、釜石線、気仙沼線、五能線、左沢線、山田線、石巻線、大船渡線、大湊線、只見線、男鹿線、津軽線、田沢湖線、磐越西線、磐越東線、米坂線、北上線陸羽西線、仙石線、仙山線、東北線八戸線の  路線、公営、市営鉄道は津軽鉄道線、いわて銀河鉄道線、フラワー長井線、阿武隈急行線、会津鬼怒川線、会津線、弘南線、秋田内陸線、十和田観光電鉄線、青い森鉄道線、大鰐線、鳥海山ろく線、南リアス線、北リアス線の 14 路線の将来廃線が予想されるという結果となった

鉄道維持可能性シミュレーション結果に基づく 考察


茶色は私が乗った路線でありほとんど乗っているのである


鉄道は危機的状態である、これだけの路線がなくなるということはショックである
私はこの路線をたいがい乗っている、赤線の所は乗っている
花輪線とかは相当に運営するのもむずかしいと肌で感じた
そして何か鉄道というのは不思議に沿線の景色より必ず駅名が心に残るのである
そのために地名に興味をもったのが自分だった

花輪線だと兄畑とか小屋の畑とかの駅名が心に残った、その時は駅は雪に埋もれていた
そして

花輪線に好摩(こうま )に駅があり

霧ふかき好摩の原の停車場の朝の虫こそすゞろなりけれ  啄木


こうま」の地名由来を和語の範囲の中で解釈しようとしても無理があるようです。

やはり、この地名も、次のようなアィヌ語を語源に持つ古地名として考えるべきであると思います。
「こうま」は、=アィヌ語の「ク・オマ・ナィ(ku・oma・nay)」
=「仕掛け弓・そこにある・所」になります。

こうまはクオマからきていて漢字をあてた、そういう地名は北海道に多いしまたアメリカの地名にもインディアンの名付けたものから地名化しているのとにている

渋民(しぶたみ)…

「しぶたみ」も、アィヌ語を語源に持つ古地名であり、次のような解釈があると思います。

1.「しぶたみ」の語源は、=アィヌ語の「スプ・タ・アン・ムィ(sup・ta・an・muy)」→「スプタムムィ(suptammuy)」で、その意味は、
=「渦流・そこに・ある・淵」になります。

原町の萱浜の近くに渋佐という地名がある、これもアイヌ語由来なのか、萱浜はもともとカイ浜でありカイと北海道のカイでありカイというのは民族名である
するとこの辺にアイヌが住んでいたのか?
ただ渋いとかあり渋民とかありこれは普通にある地名である、だからアイヌ語をあてるのはむずかしいとなる
そもそもアイヌ語というのは日本全国の地名をアイヌ語にしたことがあったが今では否定されている、青森と岩手とかなるとアイヌ語らしいとなる
ナイというの川でありそれは青森県とかに共通して多いのである

左沢(あてら)沢線というのにも乗った、あてらとはあちら側であり向かいの岸だとなる要するに川を意識するとき向こうの河岸を意識していた、川を渡ることがありそうなったとなる

ここで将来廃線になるのが仙山線とか仙石線とかがあるのかとなる
仙石線だったら仙台から石巻まで通じている、ここは相当に仙台市が拠点として郊外になるから乗る人が多いからどうしてなのだろうとなる
仙山線は山形の方に行く線であり途中山寺がある、これもやがて廃線になるのか?
今はあまり乗っていない、それよりバスの方が便利になっているのだ
だから今は高速バスを利用する人が多いのである、自分でも利用したからである

ただバスの旅は情緒がない、鉄道には情緒があるというか相当にパスとは違ったものである、だから鉄道は文化になもなっていた、人間の歴史として刻まれていたのである
そこには様々な人間のドラマがあり鉄道はそうした歴史があって貴重だった
でもそれがなくなるとそうした歴史と思い出も失われることになる
それが淋しいとはなる、ただ代わりにバスもあるし車もあるからそれほど困らないかもしれない、鉄道の問題はそのメンテナンスとかに電気とかなると相当に労力でも手間でもかかることが問題なのである、単なる道だったらそういうことはないからである

ただ山田線とか磐越東線でも極端に便数が減ったのである、一日数回とかしか出ない
数回というとき朝晩の通勤とか一日4回なのかそれくらいしかない
少なくとても一時間に一回くらいの便数がないと不便になる、利用しにくい
それで私はいわき市から郡山市に行くのにバスで行くほかなかった
便数が極端に少なくなり待っていられなかったからだ

それにしてもこれだけの線がなくなることはもう鉄道自体がなくなるともなる
ただ利益をあげているのは新幹線でありその新幹線につなぐものとしてローカル線があるまた常磐線だと名取の飛行場につなぐものとしてもある、なぜなら名取から飛行場までの線ができたからである
そして名取の飛行場から大阪へ飛行機で行く人が結構いたのである
大坂となるとやはり飛行機の方が便利になるからだ

鉄道というとき日常ではなく観光路線にもなっている、五能線とかがそうである、観光路線として残しているのもある、日常的にはみんな車だからである
ともかくこれだけの路線がなくなるということはいかに鉄道自体も消滅してゆくのかとなる、利益が出ないから消滅するともなる
結局みんな車をもっているのだから車が足になっているから鉄道が消滅しても別に困らないからである、そうでないならばみんな騒ぐから廃止することはできないのである
観光路線だけで維持するのはむずかしい、現実にコロナウィルス騒ぎで観光客も来なくななったからである、鉄道を利用する人も減った、それも経営的苦しいとなった

ただ鉄道に私が思い入れがあるのはやはりそれだけ鉄道で旅したからである
それで今思い出す旅をしている、でも思い出すのもあいまいとなってゆく

霧ふかき好摩の原の停車場の朝の虫こそすゞろなりけれ

つまり霧深いというときまさに遠い過去は霧の中にありあいまいとなる
ただそこで虫がかすかに鳴いている、その音に耳を傾ける、まさにそれが記憶なのである

新地駅数分止まり月照らしかすかに虫の音我は聴き待つ

新地駅は前は虫の声とは聴いていた、あそこで必ず6分くらい交換の待ち合わせをしていたからである、でも津波の後は高い場所に新しい駅を作ったから虫の音も聞こえなくなったのである
こうして待つということが人間的な時間を演出していたのである
それは駅でも同じである、その駅に時計までなくなるというのは何なのだろうと思う
もう駅は維持できずに無人駅化してゆく、時計すらない、ただまだ駅には必ず待つ時間がありそれでそこで遠くから来た人と私はボランティアのようなことをして話していたのである、駅に多様な人が来ていたのである

常磐高速のSAにも行くがあそこにはそういう人間的なものがないのである
ただその人の出入りする人数になると何十倍にもなる、駅でぱ待っているのは昼間だと数人であり一人の時もある、もう日常的には駅は閑散としている、使われていないのであるそれでも駅を維持するには掃除とか必要でありゴミ箱があったが撤去された
ただ外のトイレは立派なのである、障害者用のトイレは広々としているから贅沢である
健常者のトイレはかえって狭いのである、その障害者用の立派なトイレを毎日掃除しているのが障害者だというのも奇妙である

ともかく鉄道の旅は長いから愛着がある、でもこれだけの路線が将来なくなることはショックである、もう鉄道は新幹線くらいしかた残らないのかともなる
これも淋しいとなる、北海道だと半分がすでに消失した
もう北海道だと路線が維持できない、すでに私が旅したときから半分は消失したとなる